第38話 おっさん勇者の男泣き
前回までのあらすじ!
選択肢があればいつも危険な方を選んじゃう。
犬がいてよかった。心の底からそう思ったのはこれが初めてだ。
ルーグデンス山脈にいるはずのサーベルタイガーの群れを捜して彷徨い始め、すでに三日が経過していた。次第に焦りが募っていく。
俺はごつごつとした岩場を乗り越えながら、弱音を吐いた。
「ほんとにいんのか。糞すら見当たらねえよ」
その遙か上方。樹木の枝から枝を飛び移りながら、レンは周囲を見回す。
「サーベルタイガーはとても慎重な種族です。落葉や岩場を選んで通るので足跡はほとんど残しませんし、糞をしたあとは足で掻いて埋めてしまうんです。爪とぎも木ではなく岩です。だから痕跡から辿るのは非常に困難なんです」
「無駄に利口だな」
早く偽魔王を魔王位から引きずり下ろし、ルランゼをその地位に戻さなければ、人類は本当に滅亡してしまいかねない。
魔王軍は、いまのところはまだ、王都ザレスの鼻先にある街で進軍を止めている。
だが、魔王一派から穏健派を代表する側近たちが排除され、徴兵を由としない評議会も力を奪われ、でっち上げ誘拐事件で民意すら人類憎しの強硬派に傾き始めているいま、すぐに進軍が再開されたとしても何ら不思議じゃあないんだ。
そんなことを考えた瞬間だった。
普通の犬のように地面で鼻先を擦りながら俺の前を歩いていたコボルトが、突然二足で立ち上がり、温泉から出たてのおっさんが手ぬぐいでそうするように、パシンと尾で股間を覆ったんだ。
「ホワッツ!? ハワワワワ……」
「どしたー? 糞か?」
「……ゴ、ゴゴ、ゴ……ゴスジン……」
ごすじん? ごす……ご主人? もしかして俺のことか?
散歩に引きずり回していたから、どうやらいつの間にかご主人認定をされてしまっていたようだ。可愛らしいやつめ。
三角形の耳を立て、目を見開き、犬が体毛を少し逆立てた。
「……キキ、危険! 危険、ニヨイ! ニヨイ、イッパイ! ココ、オサンポ、ダメ、ゼッタイ!」
「お?」
レンが木枝を揺らし、葉を落としながら地面まで下りてくる。
「反応ありですね。私からはまだ見えていませんでしたが、どうやら犬さんのおかげで運良くこちらが先に発見できたようです」
「お、おお」
ついに発見しちゃったかぁ。俺、生きて帰れるかな。
「私は犬さんを連れて、ここらへんの木に登って葉の中に隠れてます」
「木の上なら安全なのか?」
「いえ、登ってきますよ。ただ、樹上でしたら、もしも発見されたとしても私の逃げ足の方に分があります」
その場合、犬はどうなんの……? いつもとは逆の役割で、レンが犬を背負って逃げるの……? それとも生きた囮にするの……?
いろんなことを考えついたけれど、俺はあえて聞かないでおいた。どのみち地上を走ったところでサーベルタイガーからは逃れられない。
「わかった。ちょっといってくるわ」
「お気をつけて。本当に」
「おお。うまくいったら大声で呼ぶから、すぐにきてくれ」
「わかりました。でも悲鳴だったらいきませんので、わかりやすく叫んでくださいね」
「安心しろ、悲鳴だったらそんときゃもう俺は死んでるよ。ははは」
俺のブラックなジョークに、レンが真顔で返す。
「かわいそう」
「言うことそれだけっ!?」
「……しっ、大声を出すと聞かれますよ。相手は野生の魔物ですから」
「お、おお」
風の流れが変わらないことを祈りながら、俺は風上を目指して一人で進む。程なくして俺は、その谷を発見した。
それほど深い谷じゃない。底からはせせらぎの音が聞こえている。
そっと覗き込んだ俺は戦慄した。
「……ッ!?」
小川の周囲に金色の体毛を持つ成人男性くらいの獣たちが群れを成して座っている。どいつもこいつも短剣なみの牙を持ってやがるんだ。
俺は大慌てで身を低くして隠れた。崖際に手をつきながらもう一度覗き込む。
間違いなくサーベルタイガーの群れだ。数はおよそ……四十体ほどか。想定よりは少ないが、それでも十二分にヤバそうだ。
思ったより近いところにいやがったもんだ。これじゃ風向きが変わってしまえば、レンや犬の臭いであいつらまでバレちまうかもしれない。
早めにケリをつけなければ。
俺は群れを睨みながら見定める。
もちろん、やつらのボスをだ。まともに群れとやり合う気はさらさらない。てか無理だろ、どう考えても。
「……」
どれだ? どいつがこの群れのボスだ?
崖際に手をついて、顔だけを覗かせる。
あの体格のでけえ筋肉質のやつか。それとも速く走れそうなしなやかなやつか。あるいは立派な牙を持ってるやつか。
わッッッッかんねぇわ!
いや落ち着け。
チャンスは一度きりだぞ。ここから落下しながらそいつの脳天を串刺しにするんだ。ボスを見誤れば、肉片にされるのは俺だ。
ぐびっ、喉を動かして唾液を飲む。
深呼吸をし、刮目する。
あのちょっぴりエロい腰つきのやつか。それとも頭の毛皮がハゲかけてるやつか。あるいは――……。
崖際をつかんでいた手に違和感が走った。
「ん?」
次の瞬間、違和感は全身に広がる。視界が傾いた。眼下に見下ろしていたサーベルタイガーの群れが、正眼の位置にくる。
土が滑ったんだ。俺を乗せて。ちょっとした崖崩れだ。
「ぅ……お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!?」
俺は土塊とともにサーベルタイガー三十体の群れの中央へと、ベシャリと落下してしまった。高さはさほどでもないが、着地の体勢が悪かったらしく。
「痛ッ!? あ、ああぁぁ、こ、こ、腰ィ~……」
当然、群れのサーベルタイガーどもが一体残らず一斉に立ち上がり、腰をさすった闖入者である俺に注目する。
「嘘ぉ~……」
最初は驚愕の目で俺を見ていたサーベルタイガーどもだったが、数秒も経てば、もううなり声を上げ始め、立派な牙を剥き出しにしていた。
戦闘態勢に入られたんだ。
――グルルルルルルルル……ッ!
――ガアアアアァァァ!
「や、お、お腹空いて気が立ってんのかな? でも、最近はもう加齢臭とかひどくて、たぶん俺の肉って臭くてまずいと思うんだ」
――グウウッ!
「わかった。わかってる。それでもいいってんだろ。やっぱどう見ても可愛いしおいしそうだもんな、俺って。でも、そこを何とか見逃しちゃくれねえかねぇ……?」
――ガルァァァァァッ!!
――グルァァァ!!
「ひ……っ!? やっぱ言葉だめか……魔物だもんなぁ……」
泣いた……。ガキの頃、野良犬に追われて尻を囓られたときのように、俺は泣いた……。そして心の中で思い人に別れ告げる、さよならルランゼ……と。
「~~ッ!!」
否――ッ!! 取り戻せ、覇気をッ!!
まだだ。あいつとイチャつくまで、まだ死ねん。死ねんのだ。
俺はベルトに挟んだメイド服をそっと指先で撫で、精神に落ち着きを取り戻す。
大丈夫。大丈夫だ。やれるさ。俺はまだやれる。まだ大丈夫だ。
必ず着せる。これを。ルランゼに。
「フ、ちょいと取り乱しちまったが……さあかかってこい、獣ども! 正々堂々とな!」
そして、俺は逆手に持った包丁を構えるのだった。
精神安定剤かな?
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