第34話 火娘さんは我慢できない
前回までのあらすじ!
おっさんが必死。
地図によれば、ルランゼが囚われていると思われるルーグデンス監獄までは、前線都市ガルグから続く大河、セノリア川をフェンリルさん家から辿っておよそ十四~十五日の旅といったところだ。
このセノリア川は魔族領域ルーグリオン地方の東西を分断する形で西の海まで続いている。大河からの恵みと、舟という交通・物流手段は魔族の都市圏にとって必要不可欠なものだから、大都市と呼ばれる街はほとんどがこの川沿いにあるようだ。
「ルーグデンス監獄は川下方面ですから、舟が使えればかなり速いのですが、なかなか簡単にはいきませんね」
「まあ、無理すりゃ舟は買えるが、航路は魔族のもんだしな。他の舟に見られるわけにゃいかねえ」
俺はいまや明確なお尋ね者だ。
でっち上げられた罪状は暗殺未遂。しかも魔王ジルイールをだ。もしかしたら前線都市ガルグの領主ギリアグルス子爵もか。あっちは未遂じゃ済まなさそうだが。あとはそうだな。各地で頻発している誘拐事件の罪もかぶってるだろうね。
ふざけんな、あの偽乳女め。や、乳は本物だろうけど。
「それにダゴンだっている。水上で襲われたら、さすがに勝ち目ねえや」
「ですね。早めにどこかでまた剣を調達しないと今後は厳しそうです」
「んだなあ。つっても街にゃ寄れねえっていうね」
「ライリー様は難儀なヒトですねえ」
そんなわけで、俺たちは徒歩でのこのこと旅を続けているわけだ。もちろんセノリア川沿いを。ちなみにレンは徒歩じゃない。いつの間にかコボルトと合体してやがる。それも跨がって乗るのではなく、側方に両足を出して腰をちょこんと乗せるお姫様みたいな乗り方でだ。
ずるいぞ。
いや、そんなことよりも何でまだついてきてるんだよ、茶白コボルトのやつ。てっきりフェンリルさん家に残ると思ってたんだが。
「おい、犬。おまえさんは帰らなくていいのか? せっかく家に寄ったってのによ」
ポテポテ歩いていたコボルトが、「わぉん?」と振り向く。
「カ、カ、帰ラン。オサンポト女房、古イホド、良キ?」
格言みたいなこと言い出した。
「ソシー、ソシテ? 人生、ハ、オサンポ。ワカル? 人間サァ~ン、ワカル?」
「……すまん、わからん」
「人間サァ~ンデモ、ワカランコト? 犬モ、ワカラァ~ン! わぉん!」
何が言いたかったのかはさっぱりわからんが、当の本人が尻尾ぶん回して楽しそうにしているなら、まあいい。レンも何だか楽しそうにしているしな。微量とはいえ、犬は荷運びに使えるのも助かる。
荷物と言えば……。
俺は青い空を見上げた。
炎竜はあれ以来姿を見せていない。野生に帰ってしまったか、あるいは猛禽類にでも襲われたか。
まじいな。猛禽類の爪なんかで引き裂かれて死んでいたら、今度は火災旋風を吐くだけに留まらず、恐ろしい爪をも兼ね備えて復活しちまう。炎爪龍とでも名付けるか。遠近に隙がなくなれば、手がつけられない。
生まれたてのときの刷り込みに失敗したら、人類魔族双方ともに滅亡させられそうだ。次はルランゼとタッグを組んでも勝てそうにない。
ぐ、胃が痛い。
「……頼むぜ~、どうか生き延びていてくれ……」
空を見上げ、俺はつぶやく。
レンがそんな俺を見上げて、少し目を細めた。
「ライリー様はお優しいのですね。鳥さんのことをそこまで愛していたなんて」
そういうんじゃないんだけどねっ!?
「大丈夫。きっと帰ってきます。目だけは、とてもよい子でしたので」
「……目だけな。それ以外に褒められるところが――……あ~」
と思ったが、犬、鳥、猿の合体技で命を一度救われているのだった。
「まあいいや。……と」
俺とコボルトが同時に立ち止まった。嫌な臭いがしやがる。
血、じゃねえ。空間そのものが焦げ付くような臭いだ。俺にとっちゃ、オアシスの砂漠の熱気を思い出して少々懐かしいが、その記憶もある瞬間に入れ替えられた。
「どうかされましたか?」
「ああ」
視線を回して、川岸の巨大な岩で止めた。
それだけだ。それだけで、そいつはすごすごと出てきた。
「あっれ~? バレちったぁ? 気配はちゃんとぶっ殺してたのに、さっすが元勇者じゃん! ライリーは人魔戦争から逃げ出した臆病者だって聞いてたのに、アハッ、やっぱ何か話がどっかでねじれてるよねぇっ!?」
明るい声。少女の声だ。
燃え盛るような真っ赤な髪。瞳の色は炎色、橙。布地面積の少ない挑発的な形状をした魔物革の服は、ヘソ下から胸までの編み上げ式だ。
腕の色は――今日はどうやらまともなようだ。戦闘時にのみ、自在に炎を宿すというのか。
「初めてあんたに遭ったときから、あたしはそう思ってたんだぁ!」
「よう、火娘。しばらくぶりだなァ」
レンの表情が強ばる。
そりゃそうだ。誘拐されて殺されかけたんだ、こいつに。
俺はコボルトの胴を押して、レンごと背中に隠した。
「火娘ってあたしのこと? アッハ! いーねえ、その呼び方! 気に入ったよ! ライリーにならそう呼ばれて嬉しいよっ!」
「フ、悪いが俺にはすでに心に決めた先約があってな」
「アッハ! そういう意味じゃないからさぁ!」
「ですかぁ~……」
「あら、ちょっと残念そう? アハハハハ! おもしろいね、あんた!」
俺はさらに周囲に視線を散らす。
こいつらは四人一組だ。ギャッツ、ビーグ、グックルの三人もいるかもしれねえ。
「アハッ! 心配しないで? あの三人なら今日はいないからぁ」
「信じるわけねーだろ」
それまでケラケラ笑っていた火娘が、心外そうに唇を尖らせた。
「そこは信じてよ。あたしはただ、あんたみたいな強いやつと、正々堂々殺り合いたいだけなんだよ。他は邪ぁ~魔。この前はお仕事だからあいつらについたけどねっ」
「お仕事? やっぱおまえさんだけ別口か」
火娘が凄みのある笑みを浮かべる。
「ご名答ぉ~。あいつらは魔王ジルイールに心酔している生粋の飼い戌だけど、あたしはアルザールに金で雇われてるただの猟兵だもん」
「な――っ!?」
強硬派を束ねる侯爵の名だ。
ここで出てくるかよ。
「あっちゃ~、しまった。これ言っちゃまずかったんだっけ。黙っててね」
またケラケラと笑い出す。言葉とは裏腹に、深刻さなど微塵も感じさせない。楽しそうに。
そして火娘は右腕を空に掲げた。
「あ、そーだ」
「……?」
「ここで決着つけちゃえばいいんだっ。そっか、そっかっ。うんうん、つまんないお使いだったけど、偶然ライリーに逢えたのはツイてるなっ」
「お使い?」
火娘が妖艶な唇に人差し指を立てる。
「んっふふ。秘密。ジルイールからアルザールに言伝ってことだけ」
直後、腕の色が変色する。炎色、すなわち橙色だ。さらに赤く、朱く、紅く。溶解寸前の金属のように。そこから立ち上る炎など、ただのおまけだ。炎に当たっても即死はないだろうが、あの腕でつかまれれば骨まで溶かされて終わる。
周囲一帯に陽炎が立ち上った。
「じゃ、そろそろ殺り合おっかあ!」
正直やりたくねえ。ダークエルフ族のギャッツ、魔人族と思しきビーグ、オーガ族のグックルは、種族が割れて底が見えた。三人ともなかなかの手練れだが、もう一対一でなら俺が敗北することはない。三対一でもどうにかできる算段はある。
「また懲りずにレンを誘拐するつもりか?」
「えー? そんなつまんない仕事は命令でもなきゃあたしはしないよぉ! それは三バカのお仕事だからねっ。あたしがあの日アルザールから受けてた依頼は、三バカの護衛だ~けっ。だから、あんたが相手してくれたなら、ゴブリンちゃんは見逃してあげちゃうっ!」
だが、この火娘は別だ。いや、別格だ。
何なんだ、こいつは。この熱さでも悪寒が走る。肌が粟立つんだ。
「俺を殺すことはアルザール公の命令か。恨まれる覚えはねえんだがねえ」
「ん~。今日のはただの、趣・味!」
「……イカレ娘が」
魔術師が炎を出す際には、必ず集中する時間が必要となる。こいつにはそれがない。ましてや肉体に炎を宿すなど。あれじゃまるで、オアシスでルランゼが俺の聖剣に付与してくれたときの、炎の聖剣状態だ。
分が悪いなんてもんじゃない。こちとら包丁だぞ。
「ところで、だ。おまえさん」
「なぁに? 早く殺ろうよ。もう我慢できないよ」
是非ともベッドで言われたい言葉だが、こいつにだけは勘弁だ。
「前線都市ガルグにいる魔王が偽物だってことは、三バカは知ってんのかい?」
ぴくっと、火娘の瞼が揺れた。
けれどすぐに笑みが浮かぶ。
「ほんとすごいね、ライリー! どうやってそれをつきとめたのさ!」
なるほど。いまの反応から察するに、三バカは真実を知った上で、あの偽の魔王ジルイールに忠誠を誓っているってわけか。
「あ、もしかしてこの前のガルグでの騒動って――……アッハ! たった一人でっ!?」
「いやあ、ちょいと夜這いにな。でも人違いでとんだ罪を被せられたわけだが」
「アハハハ! 超ウケる! さっすがあたしのライリー! あんた、あたしよりイカレてる! も、最っ高!」
腹を抱えて笑っている。敵を目の前にしてこの余裕とは。
「あ~笑った笑った。もしかしたらこれ戦ったら、あたし死んじゃうかもだっ」
「楽しそうに言うなよ。あと一つ、尋ねたいことがある」
「いーよっ! ライリーのことは大好きだから、何でも教えてあげちゃう! 依頼主のことも喋っちゃったしね!」
「心配すんな。そんな深刻な話じゃねえ」
俺は火娘を指さして尋ねた。
「おまえ、何だ? 人間族じゃねえのはわかるが、ほんとに魔族か?」
「あたし? 興味持ってくれたの嬉しいなっ! だったら教えてあげちゃう!」
じわり、じわり、周囲の熱気がさらに高まる。
コボルトがレンを乗せたまま、嫌がるように後退しながら距離を取った。ずず、と音を立てて、火娘の右腕から炎色が全身へと広がっていく。腕だけじゃない。足も、身体も、頭部も、頭髪に至るまでだ。
「…………おいおい……マジか……」
「あたしは精霊族のイフリータ! よろしくネ! そんでぇ、アッハ! 早速だけどバッイバァ~イってのはどう? しゃれてるっしょ!」
「そりゃちょっと笑えないねぇ」
ああ、まじい。かなりまじいわ。ようやくわかった。
こいつ、炎の精霊王だ。
おっさんの熱烈なファン、燃えるストーカー娘の誕生だ。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




