第32話 もう一人の魔王さん
前回までのあらすじ!
ひとりでできるもん!
フェンリルの森――。
木漏れ日の中で目を閉じるフェンリルの頭部には、数話の鳥が止まっている。俺たちが銀狼の案内で近づくと、片方の瞼が上がった。
鳥が空へと飛び立っていく。代わりに茶白コボルトがフェンリルの頭によじ登って、へそ天で寝転んだ。
気持ち良さそうだ。うらやましい。
「我が主。勇者ライリーをお連れしました」
――……。
「ハ」
銀狼がフェンリルに一礼をし、同じく俺には一舌打ちをして背中を向けた。去り際に俺は声をかける。
「その舌打ちほんとに必要だったの? さっきもだよね? ねえねえ? 傷つくんだけど?」
「やかましいっ!! 気安く話しかけるな、人間っ!!」
「何でそういうこと言うの? ねえねえ? 俺、何かした?」
「く、ぐっ」
ぷぅーくすくす。おもしろい。
しかし銀狼は大きな深呼吸をすると、もう一度盛大な舌打ちをかましてから、おとなしく去っていった。
――……。
「うちの眷属をあまりいじめるな、だそうです」
前回同様、レンがフェンリルの言葉を通訳する。
「冗談だよ。で、報告だろ」
俺は前線都市ガルグの領主の館であったことをフェンリルに事細かに説明した。その上で尋ねる。
「ルランゼの影武者について心当たりはないか?」
――……。
「残念ながら。父と同じでフェンリル様にも、ルランゼ様は影武者の存在を知らせていなかったようです。ただ――」
フェンリルが視線を俺の背後へと向けた。灰色狼が魔人族の女らしき者を連れてきたんだ。灰色狼はフェンリルに一礼して魔人族の女をこの場に残し、俺にはきっちりと一舌打ちをして去っていく。
俺に対する礼儀がなってないなあ、人狼族は。
女は俺とレンを交互に見て、不思議そうな顔をした。
レンがフェンリルに向き直って尋ねる。
「フェンリル様、こちらの方は?」
――……。
「え? ルランゼ様の? そう、なのですね」
「どういうこと?」
「えっと、それはご本人からの方が」
女がフェンリルと目配せをしてから、俺へと向き直った。
人間年齢で言うと二十代の後半といったところだろうか。人間族にはとんと見られない、緩くウェーブがかった薄紫の髪をした美女だ。
「初めまして、勇者ライリー。わたくしはルランゼ・ジルイールの乳母をしていましたカルエラと申します」
「乳母……。ああ、そうか。ルランゼの。ライリーだ。よろしく頼む」
どうやらフェンリルがルランゼの過去を探るため、人狼たちを使って彼女の乳母を呼び寄せていたらしい。
ルランゼの母親は人間だと、オアシスで本人から聞いたことがある。先代魔王ジルイールと母親の間に何があったかは知る由もないが、乳母ならば何か知っているかもしれない。引いては影武者のことも。
「早速で悪いんだが、カルエラ。ルランゼが産まれたときのことを教えてくれないか」
あの影武者はあまりにもルランゼに似ていた。肉体を変形させる魔族は存在しているが、あそこまで忠実に、側近たちですら見分けがつかないほどの変化は聞いたことがない。何かしら血の繋がりがあるはずなんだ、あの偽物魔王とルランゼとの間には。
「と申されましても……」
思い出そうとしているのか、唇に手を当てる仕草が妙に色っぽい。
「わかる範囲でいいんだ。あいつを助けると思って頼む」
「……承知しました。わたくしが乳母として王宮に召し抱えられたのは、ルランゼの母君様であらせらますリィナ様がお亡くなりになられたからだと、先代様から聞き及んでおります。出産には耐えられないお体で、産後すぐに……」
そうか。それであいつ、オアシスではそのことを詳しく語らなかったんだな。
ああ、人間でありながら魔王の子を出産するのは、たしかに無謀だったのかもしれない。修練で後天的に魔力を使うようになる人間族とは違って、魔族は先天的に赤ん坊の頃から魔力を強く宿しているからだ。魔人族、それも魔王の子ともなれば、なおさらのこと。
「ですが、それからは普通のお子様のように育てましたよ?」
「普通……。カルエラ、あんた、普通って言葉の意味は知ってるよな?」
レンが大慌てで口を開いた。
「ちょっと! ライリー様、いくらなんでも失礼ですよ! カルエラさんにも、ルランゼ様にも!」
ところがカルエラは苦笑いを浮かべてこう言ったんだ。
「あ、やっぱりちょっとおかしかったですか?」
「うん、まあ。俺も人のことは言えんが、なかなかのアレだったぞ」
「あははは! ま、自由な子でしたからね」
「ははは、そうだな」
だがそこがいいんだ。そこに惚れてんだ。
そんな話も延々と聞いていたいが、いまは本題に戻そう。
「カルエラ。ルランゼには姉妹や従姉妹はいないか? 同い年くらいの――あ、いや」
俺から見た魔族年齢は大体が若く見える。
少女のように見えたルランゼだって俺の倍以上は生きているし、目の前のカルエラだって乳母をするくらいだから妙齢に見えて経産婦なのだろう。
「あー……」
何か口ごもっている。
「頼む、教えてくれ」
――……。
レンがすかさずフェンリルの言葉を口に出す。
「王宮の規約に抵触する話でも構わない。評議会議長であるフェンリルの名にかけて、必ず貴女とその家族を守る、だそうです」
「そもそも規約の主はルランゼ本人だろ。乳母であるあんたに害を為すようなことは、あいつは絶対にさせねえよ。本物ならな」
「そうですね。承知しました」
カルエラがすぅっと息を吸う。おそらく躊躇いを振り切るためだ。それだけの覚悟をしなければ、口には出せないことなのだろう。
そして実際にそれは、とても哀しい物語だった。
「これから語ることは、すべて先代魔王ジルイール、すなわちレイガ様の口から直接聞いたことです」
「ああ」
レイガ。それが先代魔王の真名か。
「母君であらせられますリィナ様は、レイガ様のお子を身ごもった際、危険を承知で出産されることを決意されました。結末は皆様の知られる通りになってしまったのですが、レイガ様はそのことを大層お嘆きになられました」
美談には聞こえるが、たしかめたいことがある。死者に鞭打つ真似はしたくはないが。
「ジルイールはリィナを人類領域から攫ったのか?」
「無礼な! それは誤解です! レイガ様は本来そのようなお方ではありません!」
思わぬ反撃に面食らう。カルエラが声を荒げるような人物には見えなかったからだ。だがそれだけに、その言葉の真実味は増す。
「わたくしはまだ勤めていた時期ではありませんが、当時の王宮を知る者の話でも、レイガ様とリィナ様は大変仲睦まじくお過ごしになられていたと聞いています」
「そうか。話の腰を折って悪かったな。人類側から見た疑問だったんだ。いまのは流してくれ」
「わたくしの方こそ、大声を出して申し訳ありません」
うなずく。
「リィナ様がルランゼ様を出産された日、命の消えゆく状態で彼女は静かにこうつぶやきました。ああ、最後に故郷の景色が見たかったな……と。その一言が呪いとなってレイガ様を狂わせてしまったのです」
「どういうことだ?」
「リィナ様の意識が残るうちに冷戦状態だった人類領域に宣戦布告をし、ルーグリオン地方で緊急徴兵を行って軍部を増強し、練兵もままならぬうちに大侵攻を開始されたのです。侵略戦争であることも相まって、当然、両国の被害は相当なものとなりました」
徴兵と侵略。最悪の組み合わせだ。
徴兵されるのは軍部ではなく民で、侵略されるのも軍部ではなく民だからだ。
「何でまた……」
「レイガ様は、どうにかしてリィナ様が生きているうちに人類領域の故郷に戻してやりたかったのです」
「ああ!? 待て待て。だったら、人類側にそう言えばよかったじゃねえか。病人の、それも人間の女の一人や二人なら受け容れてもらえるだろ。それをなんでいきなり戦争なんて吹っ掛けるんだよ」
カルエラが不満顔で言い返してきた。
「もちろんレイガ様は最初に使者を送りました。ところが当時の人類王も、聞く耳をもたなかったのです。魔族の王の言葉など信じられるかと一蹴されたどころか、レイガ様の使者は首だけになって文とともに戻ってきました」
俺は額に手を当ててうつむく。
厳王ガイザスや大司教カザーノフと同じだ。まったく。ザレスの王族の代々を見てると、人間であることが嫌になる。
「……すまん」
「あなたが謝るようなことでは」
だが、そうか。
百年前、曾祖母サクヤ・キリサメが防いだ魔族の大侵攻は、たった一人の女のたった一言に狂わされた優しき魔王レイガ・ジルイールが引き起こした暴走だったのか。
これが暴君と呼ばれた先代魔王ジルイールの真実。
レイガは王としては失格だが、男としてその行動は理解できる。さぞやつらかったろうな。
「しかしリィナ様は開戦して間もなく他界されました。わたくしが王宮に召し抱えられたのは、この時期です。しかしすでに振り上げた拳の落としどころはなく、領地に攻め入られて怒り狂った人類との人魔戦争は泥沼化していきました。そして数年後、魔王レイガ様と勇者サクヤの壮絶な相討ちによって発生した魔力嵐により、両種族の領域は再び分かたれ、ようやく冷戦へと戻ったのです」
「くだらねえ……」
くだらねえ。ほんとにくだらねえ戦争だ。何でそんなことになっちまうんだよ。おかしいだろ、こんなの。誰も救われてねえ。誰もだ。全員がただ傷ついただけだ。
フェンリルも、レンも、俺も、言葉を失っていた。無意識にうつむき、地面を見つめていた。
「レイガは、サクヤにわざと討たれたのかもしんねえな」
気づけば俺は、そんなことをつぶやいていた。
だってそうだろ。リィナを亡くした時点で、レイガは戦う理由を失っていた。その上で自国の民からは暴君と誹られ、さらに戦争だけが一人歩きし始めた。
そんな状態でどうやって戦い続けるんだよ。俺には無理だ。想像もできない。空っぽじゃ剣は振るえない。誰かを救えるから剣を振るえるんだ。
あの砂漠の魔力嵐は、自身で起こしてしまった戦争を終わらせたかったレイガが、贖罪のためにと世界に残した遺産だったのかもしれない。強力な魔法と並外れた剣技のぶつかり合いが産んだ結果なのだとしたら、サクヤもまたそこに一枚噛んでいた可能性もある。
曾祖母の手記には何も書かれていないが、両者の間で談合があったとしても不思議じゃないんだ。なぜならレイガとサクヤの願いはまったく同じで、このどうしようもなくくだらない戦争を一刻も早く止めることだったのだから。
「……虚しいねェ」
「少し、話がずれてしまいましたね、勇者ライリー。先ほどのあなたの質問に戻りましょう。リィナ様がルランゼ様を出産した際のことですが、実はルランゼ様には双子の妹がおられます」
俺は視線を跳ね上げる。
「彼女の名は、ルナ・ジルイール」
あ……?
ライリー以外はみんなハードボイルド。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




