第29話 前線都市の邂逅
前回までのあらすじ!
主人公よりも脇役の人生の方がよっぽどハードボイルド。
ギリアグルス子爵の話のおかげで、この館に妙に警備が少ない理由がわかった。
眷属を自ら切り離した老人は、すでに世界から見捨てられていたんだ。魔王、すなわち彼の死因となったルランゼ以外のすべてから。
使用人も、眷属も、おそらくは領民ですらも。
実際に遭遇したのは門衛一体だ。交代要員を考慮しても、あと一体か二体だろう。それもおそらく一階のどこかだ。
そこからは落ち着いてドアを開けて回った。
そして俺は館二階の廊下最奥で、貴賓室を発見する。
護衛は立っていない。穏健派排除の変革に伴って危険は増しているはずなのにだ。もしかしたら部屋はもぬけの殻かもしれない。
心に暗雲が立ち籠める。俺は頭を振った。
いや、彼女がいないと考えるのは早計だ。危険だからこそ、居所をあえて周囲に知らせていないということも考えられる。あれだけの魔力を持ったルランゼだ。単独でもそうそう危険はないのだから。
心臓が鳴った。
期待と不安の両方があるんだ。ドアを開けてあいつが俺を見たとき、以前のように笑ってくれるだろうか。それともフェンリルやウォルウォが語ったように、ルランゼ・ジルイールはもう変わってしまっているのだろうか。
左胸を服の上からつかむ。掌を伝わる鼓動。収まりを待つつもりはない。
深呼吸をする。
俺はノックをせずに、そっとドアノブを回転させた。キィと蝶番が軋み、ドアが開かれた。
「……」
夜の暗さに、廊下からの魔導灯の光が入った。動くものはない。
俺は足を踏み入れる。
ベッドに膨らみがあった。誰かが眠っているようだ。
忍び足で近づく。数歩進んで気がついた。
「ああ……」
安堵の息が漏れた。
ルランゼだ。あの頃と変わらない姿で、彼女がすぐ側にいる。枕の上に長い黒髪を広げて、睫毛の長い瞼を閉ざし、静かに眠っていたんだ。
俺はベッドの隣に屈んで、彼女の耳に囁く。
「ルランゼ」
「……」
「ルランゼ。迎えにきた」
「……ん……」
瞼が微かに揺れる。切れ長の瞳がわずかに開かれた。
「――っ」
直後、ルランゼは両手をベッドについてキルトを巻き上げ、両足で俺の胸部を思いっきり蹴った。
「ぐが……ッ!?」
その魔力の通った凄まじい衝撃に、中腰になっていた俺は背中から転がって、けれどもすぐに膝を立てる。
そのときにはもう、ルランゼはネグリジェ姿のまま赤い絨毯に両足をつけていた。
危ねえ。胸部への防御付与が一瞬でも遅れていたら、肋骨を砕かれていた。
「ルランゼ、落ち着け! 俺だ!」
「――ッ!?」
どぐ、どぐ、どぐ、心音がさらに高鳴る。
ルランゼの額に縦皺が寄る。まるで不快な存在を見るかのような視線だ。
何だよ、その反応。本当にいなくなったってのか、俺の知っているルランゼは。
長い黒髪に、切れ長の目。整った顔立ち。ネグリジェの上からでもわかる、大きく膨らんだ胸。細い腰に、鍛え上げられた長くしなやかな脚部。
間違いなく俺がオアシスでともに過ごしたルランゼ・ジルイールの顔だ。
なぜ俺を攻撃した?
寝ぼけていたからか?
それとも……。
ルランゼの視線が俺の腰の剣に向けられた。
表情がさらに険しく変化する。
そうして彼女は、決定的な一言を俺へと向けて投げかけた。
「気安く名を呼ぶな。何者か。わたしを現魔王ジルイールと知ってのことか。疾くこたえよ」
呆然とした。
胸の中で大切に大切に積み上げてきた何かが、音を立てて崩れ落ちていくような気がした。そこに空いた虚無の穴に、風が吹き込む。
俺は我知らず、肩を落とした……。
ウォルウォやフェンリルの言った通りだ。誰かを人質にされて、何者かにむりやり望まぬことをさせられているのだと思っていたのに。
いないのだ。俺の知っていたルランゼは。ここには。もう。
ここにいるのは、冷戦状態だった人魔戦争を再び巻き起こし、人類領域を侵略して人々に悲劇をまき散らした、ただの悪党に過ぎない。
「そうか、いないんだな……」
「何を言っている!」
「なら――」
どぐっ!
心臓が嫌な形に跳ねた。心に溜まった暗雲は鉛のように重く、我知らず閉じていた目を開く。
苛立ちがあった。怒りがあった。悲しみがあった。空虚があった。八つ当たりがしたかった。
魔王が両手をかざした。
俺の眼前、何もない空間に小さな火花が散った瞬間、俺は身を低くして剣の柄に手を置き、高熱の爆発をかいくぐりながら地を蹴っていた。
「――人間として、遠慮なくいかせてもらう」
俺は魔王の足下に踏み込むと同時に、レンからもらった剣を抜刀する。
「くっ」
一瞬早く飛び退いた魔王のネグリジェの胸部下が、はらりとはだけた。一瞬、胸に視線を取られた俺へと向けて、魔王の指先から赤い光のような線が飛び出す。
「ちいっ!?」
ルランゼがオアシスで見せた、あの凄まじい威力の貫通魔法だ。それは俺の脇腹を掠めて館の外壁を突き破る。
だが、知っているぞ。それで終わりじゃない。ただの飛び道具としての魔法じゃねえんだ、こいつは。
魔王がそれを俺へと向けて、剣のように逆袈裟に振り上げる――!
「消えるがいい、人間」
ルランゼが竜へと向けて使っていたところを見ていなかったら、俺の肉体はこの時点で上下真っ二つにされていただろう。
だが、俺は身を屈めて躱す。
魔王の目が驚愕に見開かれた。
そりゃそうだろ。本来なら初見で躱せる魔法じゃねえんだからな。
「な――っ!?」
「くかかッ」
俺の背後でギリアグルス子爵の館の外壁が、派手な音を立てて崩れ落ちた。魔王の指先から伸びた赤い光線が灼き斬ったのだ。躱せてなきゃ、ああなっていたのは俺自身だ。
「何がおかしい? 気でも狂ったか?」
「ハッ! んなもん、とっくの昔からだ!」
魔王に惚れた時点で、だいぶおかしいよ、俺は。
魔王は自在に線状魔法を振り回す。縦横無尽。それも剣や槍とは違って重量がないだけに、凄まじい速さだ。
俺はそいつをかいくぐり、身を横にして避け、魔王を撹乱しながら構わず距離を詰めいく。左上腕部に掠って皮膚が炭化したが、構わねえ。
足は止めない。詰める、詰める、距離を詰める。
外壁が灼き斬られ、天上から屋根が崩落してきても、俺はただひたすらに前進する。
「これも避けるか! 貴様、本当に何者だッ!?」
「さてねえ」
魔王が後退しても追いすがり、俺はついに剣の間合いに入ることに成功した。
こめかみを灼かれながら、逆袈裟に剣を振り上げる。彼女の脇腹から肩口へと抜けるようにだ。躊躇いはなかった。
だが。
振り切った腕の先、けれども剣の刃は中間で途切れ、刃先だけが中空で舞って絨毯の床へと突き刺さった。
魔王が一瞬早く、線状魔法で俺の剣を焼き切ったんだ。脇腹を防御するようにな。
勝ちを確信した魔王が嗤う。
邪悪に。美しいルランゼの顔で。醜悪に。嘲笑する。
「惜しかったな、人げ――ぐッ」
「終わってねえぞ~」
ここまでは織り込み済みだ。俺は振り切った剣をあっさりと手放して、魔王の両手首を自らの手でつかんでいた。
「おおおおおっ!!」
そのままの勢いで彼女を連れて走り、ベッドに押し倒す。もちろん、手首は拘束したままだ。あの線状魔法は剣のように両手で振るうものだと知っていたからな。ルランゼのおかげで。
魔王の長い黒髪が、扇のようにベッドで広がった。
「く、な、何を――っ!?」
俺は彼女を押し倒した形で顔を近づけ、その唇に囁く。
「俺が何者かって尋ねたなッ。その質問、そっくりそのまま返すぜッ」
「……?」
「――てめえこそ、誰だ? ルランゼをどこにやった?」
ぴくり。魔王の頬が一瞬だけ引き攣った。
俺は両手首の拘束をさらに強めて、半笑いで問い詰める。
「てめえ、ルランゼじゃねえだろ」
「わたしがルランゼ・ジルイールだ!」
「嘘をつけ。俺には確証がある」
俺は彼女の左手首の拘束だけを解き、右の掌で魔王の大きな胸を思いっきり叩いてやった。ばるるるるんと巨大な胸が揺れる。
「痛っ!? な、な、な、何をする――っ!?」
「く、くっくっく」
そうして俺は言ってやった。
ああ、言ってやったとも。
「ザ・ン・ネ・ンだったなァ!? 俺のルランゼはなあ、こぉぉ~~んな、ご立派なおっぱいしてねえんだよォ!」
間があった。
間があって、魔王は顔をしかめる。
「……は?」
「ルランゼはなぁ、貧にゅ、じゃなくて、残念乳、でもねえな。普通? うん? 楚々とした? お淑やか? ぐっ、褒め方がわかんねえ! とにかくもうちょい小せえんだよ、バァ~カ!」
また少し間が空いた。
けれどもすぐに魔王は、引き攣ったような歪な笑みを浮かべる。
「ふ、ふふ、ふふふ。よもやあのルランゼ・ジルイールに、肉体を許すような人間の男がいたとはな。さすがに想定外だ」
それは大いなる誤解だが、あえて訂正するのはやめておいた。
虚しくなっちゃうでしょうよ。
「いいだろう。貴様が何者かは知らんが、わたしはルランゼ・ジルイールではない。だがそれを知ったからには生かして帰すわけには――」
パァン! ばるるるるん!
「痛っ! 貴様!」
「何だこの下品なおっぱいは。けしからん。普段何食ってんだ」
パァン! ばるるるるん!
「まったくけしからん。全然違うだろうが。似ても似つかんわ。こんなに膨らみやがって。いや、しかし同じもん食わせたらルランゼもこうなる可能性――」
「貴様、わたしの話を聞けぇぇーーーッ!」
ボゴォ!
俺の頬に魔王の左拳がめり込み、俺の全身は勢いよく吹っ飛ばされた。もちろん、魔力は込められていたし、俺も魔力で全力ガードはした。
でも、ぶん殴られた瞬間、「オゴンッ!?」って変な声がでちゃった。
涙出るくらい痛え。だって男の子だもん。
派手にぶっ飛ばされて部屋を転がった俺は、その勢いを利用して崩れかけた部分の外壁を蹴破り、鼻血を噴きながら振り返る。
「あ~ばよぉ! デカパイちゃ~ん!」
そうしてそこから、闇に吸い込まれるように前線都市の夜へと身を投げる。
「く、しまった! 逃がさぬ!」
「女の子がそんな破廉恥な姿で追ってきちゃだめだぜ~?」
俺を追って飛び出そうとした偽魔王だったが、夜風にはだけたネグリジェの胸元を押さえて歯がみした。俺が斬ってやった部分だ。いい眺めだね。
「く、誰か! 誰でもいい、そいつを逃がすなッ!! その人間を殺せ! 討ち取った者には巨万の富を与える! 人類領域からの暗殺者だ!」
眼下には周辺貴族の館から駆けつけてきたと思しき魔族たちがひしめき合っていた。館がぶっ壊れるくらい派手に戦闘しちまっちゃあ、まあそうなるだろうよ。
俺は鼻歌交じりに一体のオークの脳天に着地して、きたときと同じように外壁に跳び乗り、屋根を駆ける。
いつから気づいていたか。
最初に言ったろ? ルランゼはここにはもう「いない」ってな。
今回は空振りだったが、それでも大いなる収穫だ。
本物がどこにいるかまではまだわからない。だが、ルランゼはいまでも、俺の知っているルランゼのままだってことだけはわかった。
それだけでもう、俺の足取りは軽い。
おまわりさん、こいつです!
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