第2話 魔王さんは人なつっこい
前回までのあらすじ
クビはむしろ望むところ。
統一王ガイザスの鎮座するザルトラム王国と、魔王ジルイールの統治するルーグリオン地方との中間地点には、広大な砂漠が広がっている。
百年前までは緑の草原だったらしいのだが、俺の曾祖母にあたるサクヤ・キリサメと先代魔王ジルイールがこの地で人魔戦争の頂上決戦を行った結果、雑草一本生えちゃこねえ不毛の地と化してしまったのだとか。
以来この地は、人類と魔族の国境線にある緩衝地帯となっている。
勇者サクヤ・キリサメが先代魔王を討ってからも、魔族は先代の血族である新たな魔王ジルイールを中心として、領地への人類の侵入に抵抗を続けているけれど、両種族ともこの地を戦場にすることはしなくなった。
なぜならばそれは……。
「はっはっ、あいかわらずひでぇ土地だ」
大荷物を背負った俺は、陽光に手をかざして砂漠の中央に視線を向けた。
その先では、天まで貫くほどの巨大な――あまりにも巨大な砂嵐がうなりを上げ続けていたからだ。
魔力嵐である。
勇者サクヤ・キリサメと先代魔王ジルイールの戦った際の名残とでも言うべきか。魔王の魔法と勇者の剣術が百年前にぶつかり合い、巻き起こされた大風は、未だ消えずに残っている。
それどころかこの地の気候がそうさせるのか、あるいは大地より無限に湧き出る魔素を吸収する動植物が存在しないせいか、この魔力嵐は時折その勢力を爆発的に広げて砂漠全土を呑み込むこともある。
危険なのである。この砂漠は。
まるで百年前の戦いが未だに続いているかのように、他者の侵入を拒むのだ。それは強大な魔力を誇る人類の大賢者であっても、魔王軍で最も恐れられる魔将軍であったとしても、迂闊に踏み入れば肉体をズタズタに引き裂かれるほどに。
だがゆえに、人魔双方に対する暗黙の不可侵地域と化した。
「バカンスを満喫するにゃあ、ちょうどいいってもんだ」
俺は砂の侵入を防ぐために口に布を巻き付け、鼻歌交じりに魔力嵐へと向かって歩き出す。大賢者も魔将軍も、あるいは並の竜族であったとしても拒むこの嵐だが――。
聴覚が風の音に支配される。耳は両手で塞いだ。目は開けられない。だが進む方角は決まっている。まっすぐだ。
凶器と化した砂礫から身を守るため、全身を魔力で覆う。
風を受けてなお、大地より足が浮き上がらないのは、強くそうイメージしているからだ。そして魔力は俺のイメージを実現させる。何せこの魔力嵐のおよそ半分の原因を担った勇者一族の末裔なのだから。
どれくらい歩いただろう。それほど時間は経っていない。徐々に風が弱くなっていく。ある程度まで弱まったところで、耳を塞いでいた手を放し、マスクを取って砂を払った。
目を開けば、砂嵐の壁はすでに背後にある。
そして前方には、緑の大地。砂漠とは似ても似つかぬ、草原と森と水の大地が広がっていた。それも、ちょっとした街くらいの広さを持った大地だ。そのおよそ半分近くの面積は、美しく透き通った湖だが。
オアシスと呼ぶには、あまりに広大。
「へへ」
砂漠の魔力嵐の内側を知る者は、世界中を捜しても俺以外にはいないだろう。何せ、たまたまだったのだ。ここを発見できたのは。
ガイザス王の命令で仕方なく緩衝地帯に出向き、魔族の動向を監視するという任務の最中だった。しつこく俺の監視についてまわる王の私兵を巻くために隠れたのが、この魔力嵐の内側世界だったってわけだ。
以来、数年に一度あるかないかの休息日には必ずこのオアシスを訪れ、一晩だけのバカンスをひとりで楽しんでいる。
早速大きな樹木の下にテントを立てる。
その横の樹木を利用して紐と布で日よけを作り、そこら中に落ちている枯れ木や枯れ草を拾い集めた。湖岸の石を拾って積み上げて囲いを作り、その中に枯れ木と枯れ草を放り込む。もちろんバーベキューの準備だ。
最後に木の幹を繋ぐハンモックを作れば、秘密基地のできあがりだ。
「持ってきた材料を使ってもいいが、それじゃあちょいと味気ねえなァ」
こういうときは釣りだ。
幸いにもこの湖は、生物のいない水たまりじゃない。百年前は砂漠ではなく草原だったことから、元々は川が流れ込んでできていたものだ。さらにそれだけではなく、地下水とも繋がっているらしく、河川が砂漠化したあとも枯れたことはない。
俺はしなりに強い生木の枝を一本折って、魔物の骨から削り出した釣り針のついた糸を先端にくくりつけた。
かさばる竿こそないものの、テグスなどの釣り用具はいつも持ち歩いている。魔物退治にせよ魔族討伐にせよ、食い物に困るようでは話にならないからだ。
適当な小石を錘としてくくりつけ、湖岸の岩陰からよくわからない蟲を取って針に刺す。これで仕掛けのできあがりだ。
「よっと」
早速湖岸に立って糸を投げる。つっても小舟でのそれとは違って、糸の長さから届く距離範囲にしか届かない。だが、この湖ならばこれで十分だ。
見える範囲にだけでも、そこそこの数の魚が泳いでいるのだから。
最悪釣れなかった場合には、あまり良い方法ではないけれど、湖に炎の魔法でも打ち込めば、魚なんざいくらでも浮いてくる。ただ、食わねえもんまで殺しちまうから、可能な限り俺は釣ることにしている。
俺は手頃な石に腰を下ろして、光を反射する湖面をぼんやりと眺めた。待つことは嫌いじゃない。それは剣の途にも通ずるものだ。焦れて先に動いたほうが不利になることは少なくない。
「はぁ~」
それ以前に、俺はこの瞬間が好きだ。
肉体、精神ともにすべての荷を下ろし、何も考えずにただ待つ。街中でも城でも街道でも草原でも戦場でも、そんな瞬間は訪れない。味わえるのはここだけだ。
何ならこのままうたた寝したところで、誰に咎められるわけでもない。
隙だらけだったのだと、思う。
だからそいつに背後から声をかけられたとき、俺はあまりの驚きに、みっともなくも全身で跳ね上がった。
「何が釣れるの?」
「うおぁっ!? ……は!? あぁ!?」
長い黒髪から水滴を滴らせ、水着姿の少女が切れ長の瞳で俺を覗き込んできていた。均整の取れた肉体はやや引き締まっていて、こんな陽光の下で半裸であるにもかかわらず、肌は陶器のように白い。日焼けをしない体質だろうか。
「あ、ああ? ええ?」
「ああ、驚かせてしまったようだね。ごめんなさい。ただ、わたしも驚いたんだ。こんなところにわたし以外のヒトがいたなんてさ」
絶句する俺を前に、可愛らしく頬を人差し指で掻いて。
「それで少し、遠巻きにあなたのことを眺めてた。危険なヒトかなって」
眺めてた? 見られていた? いつから?
俺が気づかないなんてことがあるのか。戦場に身を置いてきたのだから気配を読むのは得意なのだが。それほどまでに気が緩んでいたということか。
「でもその驚きようじゃ、わたしのほうが危険人物みたいだ」
「勘弁してくれ。心臓が止まるかと思った」
「ごめんね。それで、何か釣れた?」
「いンや、まだだが」
ぽたり、水着から雫が滴る。どうやら俺が釣りにくるまでは、泳いでいたらしい。水滴は全身から滴っている。
「ああ、すまねえ。先客がいたとは気づかなかった」
「ふふ。夢中で釣りをしていたようだからね」
「だったら釣れたか釣れてねえかも知ってるんじゃねえの?」
少女が舌を出して、意地の悪い笑みを浮かべる。
「えっへっへ。実は知ってた。釣れてないみたいだね、おにーさん?」
「カッ、意地の悪い娘だ」
そいつは尻に敷くのに手頃な石を拾ってくると、なぜか俺の横においてその上に腰を下ろした。
「娘なんて言われるほど若くはないよ、わたしは。ねえ、ここで見てていい?」
「子供にしか見えねえんだがねえ。別にいいぞ」
少女が自身の身体を見下ろしてぼやく。
「そうかな。これでも嫁き遅れの部類だと思ってたんだけどな」
少女はどう見ても十代の後半といったところだ。胸は小さくはないが大きくもない。腰部は細く、足は長いが少々肉感的だ。おそらく格闘を多少嗜んだといったところか。全体的に均整の取れた肉体をしている。その美貌なら舞台女優にだってなれるだろう。
「ガハハ、言ってろ。……泣くぞ、俺は……」
自身の半分程度しか生きていない娘に言われちゃ、立つ瀬がない。
こちとら四十路手前だ。嫁さんどころか恋人すらいねえ。ずっと任務任務で走り回ってきたからな。最も、その大半はお上に言わせりゃ任務ですらなかったようだが。
別にいい。王や大司教のために剣を振ってきたわけじゃない。俺の剣は守るべきものを守るためにある。
「へえ、その口ぶりじゃあ、おにーさんもまだなんだ? なんで? モテない?」
俺はぶすくれながらつぶやく。
「モテるもモテないも、これまでちょいと特殊な仕事に就いてたもんでな。出逢いはあっても機会はまったくなかった。って言い訳がましいか」
「仕事? どんな?」
「そりゃ秘密だ。思い出したくもねえ」
少女が長い黒髪を後頭部で一本に束ねた。
仕草が上品だ。案外、よいところの出なのかもしれない。
「……ねえ、じろじろ見ないで? あなたすけべなの?」
「バ、バカ、俺はすけべじゃねえ。どすけべだ」
一瞬ぽかんとしたあと、少女が堪えきれなかったとばかりに笑った。
「てっきりおもしろい言い訳でも聞かせてくれるのかなって思ったのに、開き直りがひどいね」
「男はみんな、どすけべだ」
「さすがにその断定は、全世界の男性に謝るべきだね」
「ハッハ。むしろ同意してくれると思うがねえ」
いや、しかし驚いた。
あの魔力嵐の内側だぞ。俺以外の生物が外からやってくるなんて考えられない。それこそ古竜級の力でもなけりゃ不可能だ。
いや。このオアシスは広大だ。俺が知らなかっただけで人間が住んでいたとしても不思議じゃない。
そしてこの土地では、女性は十代で嫁ぐことが常識なのだろう。俺はそう考えることにした。
おっさんはあまり動じない。
なぜならおっさんだから。
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