第16話 ゴブリン娘は頭がいい
前回までのあらすじ!
TSUEEできそうでできない、そんな哀愁おじさん。
そいつはあきらかに俺がこれまで見てきた他のゴブリンとは違っていた。
大半のゴブリン族は、武器以外は腰蓑姿なのに比べて、ちゃんと服を着こなしている。それも女物とわかる子供服だ。肌の色こそ緑だが、足はがに股じゃないし、腰も曲がっていない。それに、ちょいとお洒落なショートボブだ。人間の十歳前後の女児といった姿か。
ゴブ子は廃墟の地下で、ひどく怯えていた。地に伏せて頭を両手で抱え込んでたんだ。
当然だろう。突然わけもわからず誘拐されて地下閉じ込められ、さらに地上じゃドッカンバッタンと不穏な物音ときたもんだ。
俺はできる限り優しい声で囁く。
「よぉ、無事かい?」
小さな肩がびくりと跳ね上がる。恐る恐る振り返った彼女は、俺の姿を見るや否や腰砕けとなり、狭い地下室で尻を引きずりながら後ずさった。
くりくりと大きなお目々には、いっぱいの涙だ。
「に、人間……ッ」
「うんまあ。人間だが、おまえさんを助けにきた白馬のオジサマだ」
「彼らの仲間……ですか?」
片言じゃないな。ちゃんとした言葉だ。体型や体色からゴブリンには違いないのだろうが、どこか他のゴブリン族とは様子が違っている。これが上位種のホブゴブリンってやつだろうか。
「彼らってのが誘拐犯どものことなら、俺は仲間じゃねえよ。やつらなら追っ払った」
「先ほどの物音?」
「ああ。はっはっは、おかげで建物なくなっちまったよ」
「ええ!?」
追っ払ったというか逃げられたんだが。思い出しても恐ろしい。
あんの火娘め、次に遭遇したら絶対許さん。ひぃひぃ言わせてやる。火だけにな。
「レンってのはおまえさんのことだろ? フルルってゴブリンに頼まれて助けにきた」
「フルル! 彼はどこに……?」
「離れたところで待機させてる。それと、信じる信じないは好きにすりゃいいが、おまえさんを誘拐したやつらは人間じゃなかったぞ」
「?」
首が微かに傾く。
子供の仕草のようで、ちょっと可愛らしい。
俺が手を伸ばすと、彼女は少し躊躇ったあと、俺の手を握り返した。軽い彼女を地下から地上へと引っ張り上げる。
「ありがとう」
「おう」
「あ、あの、彼らが人間じゃなかったってどういうことですか?」
「男三人、女一人の四人組だよな?」
レンがこくりとうなずく。
「魔術師風のギャッツはダークエルフ族で巨漢のグックルはオーガ族だ。いずれもフードや骨兜で長耳と角を隠してた。ビーグだけ確証はねえが、人間と変わらなく見えてもおそらく魔人族だろう。火娘は何族かはわからんが、そもそも魔術師であっても自分の肉体に炎を宿せる人間なんぞいねえ。あれじゃまるで精霊だ」
立ち上がっても、レンは俺の腰あたりまでしか身長がない。仕草は大人びているが、見た目は人間の子供だ。緑色で、ちょっとだけ耳が尖ってるけどな。
レンが洋服についた砂を両手で払った。
「そう……ですか」
「信じなくても別にいいぜ。人間がどう思われようが、俺にゃもう関係ねえからな」
勇者をクビになった身だ。戦争は嫌いだが、両種族がどこへ向かおうが興味はない、と、割り切れたならどれだけ気楽か。嫌になるね、己の性格が。
「いえ。ギャッツとグックルはたしかに私の前でもフードや骨兜を取りませんでした。あなたの言う通り、自身の正体を隠して人間の仕業と思わせたかったのでしょう」
「ほう?」
驚いたな。敵性種族の言葉をこんなに簡単に信じるとは。下位魔族特有の知能の低さゆえなのか。あるいはその反対で、頭の回転が異常に速いのか。フルルたちゴブリン族と同族だとは思えない聡明さに見えるが。
「誘拐される覚えは?」
「私にはありません。ですが、心当たりはあります。もしかしたら誰でもよかったのかもしれません」
レンが利発的な瞳を上げた。
「聞かせてもらってもいいかい?」
「ええ。あなたには恩がありますから」
「誰でもよかったというのはどういう意味だ?」
「正確には、魔族なら誰でもよかった、です」
そいつは俺が予想していた身代金目的の誘拐などという小さな事件じゃなかった。レンの語った内容は、魔族と人類、両種族ともに絡むとんでもない陰謀の始まりだったんだ。
ルーグリオン地方の魔族は、大雑把にわけて二派に分かれている。
人類を殲滅せんとする大貴族アルザール公を筆頭とする強硬派と、両種族を線引きして互いの領分を保つべきと主張する穏健派だ。
昨年までは魔王ジルイールが穏健派の筆頭であったため、アルザール公の強硬論に睨みを効かせてきていたのだが、昨年のある時期を境にジルイールが突然に強硬派へと鞍替えしたらしい。
「ある時期ってのは?」
「はい。ちょうど昨年の今頃か、少し前くらいだったと思います」
俺とルランゼがバカンスを楽しんでいた頃か。
魔王ジルイールの心変わりの理由は不明。当のアルザール公にすら想像できなかったのだとか。とにかくこれで一転攻勢に出ることができた強硬派アルザール公は、魔王の庇護の下、魔王軍を動かして人類領域へと侵攻を開始したのだ。
しかし先代ジルイールの時代以降、長きにわたる平和を享受してきた民衆は、残る穏健派を表立って支持し始めた。当然、穏健派勢力は再び力を盛り返し、強硬派に転じた魔王ジルイールと、強硬派を率いるアルザール公に評議会を通して真っ向から対立している。
現在、人類領域への侵攻の勢いが収まっているのはそのためなのだとか。
ルランゼのやつ、何をしてやがるんだ……。
胸がざわつく。苛立ちを隠せない俺は、焦げ付いた瓦礫の上に腰を下ろして頭を掻き毟った。
あのたった二日足らずをともに過ごしたバカンスの間に、彼女にいったい何があったんだ。いや、起こったのはその後か。
「わっかんねぇなッ」
「……?」
レンが怪訝な視線を俺に向けた。俺はうめく。
「何でもねえよ。続けてくれ」
「はい。ですが、事実はそれがすべてです。ここから先は事実を基にした私の推測に過ぎませんが、それでもよろしいでしょうか」
「構わねえ。ちょいといま頭が回らねんだ。自分で考える気になれねえから頼む」
レンがこくりとうなずいた。
「ジルイール、アルザールの強硬派が、穏健派勢力から民衆の支持を取り上げる方法があるとすれば……という話です」
「それができりゃ民衆の側に立つ評議会とやらも力を失うね。魔王を止めるやつがいなくなる。だが、そんな方法があるのか?」
「簡単です。強硬派魔族が穏健派魔族の地位ある――そうですね、例えば一種族の族長の娘である私のような存在、とりわけ子供、あるいは子供に見える人物を狙って誘拐や殺害をし、その罪を人類に被せるんです」
「――!」
なるほど。いくら穏健派を支持する民衆でも、人間が魔族の罪なき子供を拉致って殺害すりゃあ、世論は間違いなく人類殲滅論に傾くだろう。
先ほどのゴブリン族がまさにそうだ。俺がレンを誘拐した人間の一味と勘違いをし、迷うことなく殺しにかかってきていた。
簡単なんだ。人心を変えることくらいは。子供を犠牲にすればな。
ああ、そういうことか。わかった。
四人組の言った“大局”とは、世論のことだ。これまでは魔王とアルザール公一派だけが明確な強硬派だったが、魔族の民もまた、人類に罪を着せた偽装誘拐によって、それに近しい意見を持ち始めているということだ。
世論が誘導されている。人類殲滅論が魔族の間で広まりつつある。すなわち、魔王軍の人類侵攻に反対する勢力が、魔族内からなくなりつつある。評議会が民衆から見放されていくように。
けど。けどよ。
同族の子供を犠牲にしてまで、人類を殲滅させたいのか、いまの魔王軍は。
「何だそりゃ、胸くそ悪ィ」
「ええ。ですが、これはただの推測ではありません。すでにこの数ヶ月で、穏健派魔族から多数、強硬派魔族から少数の行方不明者が出ています。前者は誘拐か殺害、後者は偽装誘拐といったところかと。いずれも目撃者の証言から、潜入した人間の仕業であるというのが一般論になっています」
ギャッツのフードやグックルの骨兜姿を思い出して、俺は吐き捨てた。
「角や耳を隠すだけで人間の仕業と断定かよ。目撃者ってのもグルかもしれねえな」
「はい、おそらく何件かはそうだったのでしょう。ですがもう一般論として人間の仕業であると広まってしまいました。“大局”ができあがってしまっています」
頭を抱えながら聞いていた俺は、自分の髪を強く握り潰した。
レンは続ける。
「以前の魔王様であれば考えられないことですが、いまの彼女であれば、そういったことでもやってのけるかもしれません」
「そりゃ、新たに三代目ジルイールが即位したって意味か?」
「いいえ。二代目のルランゼ・ジルイールです」
ああ。ため息も出ねえ。
「あの方はこの一年で変わられました」
「うるせえ……」
「え……?」
頭ン中に溶岩を突っ込まれたような気分だ。
ルランゼが自ら命じて行わせた罪を人類全体に被せ、治めるべき民を騙し、それを理由に人類領域に侵攻を開始したってか。
あのルランゼが? 俺の知っている、あの愉快で魅力的な魔王が?
なあ、おまえは俺を騙していたのか?
あの日のあれは全部芝居だったのか?
何やってんだよ、おまえ……。
こたえてくれ、ルランゼ……。
俺は囚われかけた思考を、頭を振って消し飛ばす。だが、頭は上げられない。こんな怒りと悲しみを内包した脂汗まみれの顔は誰にも見せられない。
心臓が雑巾絞りされてる気分だ。吐き気がする。
俺はどうにか声を絞り出す。
「いや、すまねえ。わかった。話してくれて感謝する」
「私の方こそ、あなたには感謝しています。それと、先ほどの話はあくまでも私の推測に過ぎませんので……あなたに何があったのかは知る由もありませんが、どうか、あまり思い詰めませんよう」
何かを察したのか、俺を慰めるようにおずおずとレンはそう付け加えてくれた。
ガキに慰められてちゃ世話もねえ。
「ところで、あなたのお名前を伺っても?」
「ライリーだ」
レンの大きな目がさらに見開かれた。
「ライ、リー……? まさか、あのライリー・キリサメ……?」
「ああ。だがもう勇者は辞めた。てか一年ほど前にクビになっちまった」
「存じ上げています。そのせいで新たに選出された勇者ミリアスが魔族領域に侵入し、多くの罪なき民を殺めましたから」
「……俺がクビにされてなきゃ、なかった悲劇かもしんねえな」
「あなたのせいではありません。それに、ミリアスは魔族によって討ち取られましたから。それよりもライリー様、あなたがルーグリオン地方におられる理由をお尋ねしても構いませんか?」
俺はどうにか笑みを取り戻して、これまでの経緯を掻い摘まんでレンに説明した。
あの日、ルランゼと二人で見上げたのと同じ色の空には、不穏を告げるかのように暗雲が立ち籠め始めていた。
珍しくシリアス。
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