番外編③ 火娘さんは語らない
前回までのあらすじ
ろくなおっさんが出てこない。
ハンモックに寝そべり、炎縫状態の掌を太陽にかざして見つめる。裏返して手の甲を見て、戻してまた掌を眺める。
指を一本ずつたたみ、拳を握りしめ……けれども力なく解けてしまった。
「……」
いつからだろう。
火が消えてしまったのは。
いつからだろう。
求めるものを失ったのは。
いつからだろう。
この身に寒さを感じるようになったのは。
いつからだろう。
逃げるようになったのは。
指の隙間から、遠くが見える。砂漠の向こう側、人類領域。反対はルーグリオン地方。
以前ならば魔力嵐で閉ざされていた景色だけれど、それを失ったいまは。
「リータ」
呼ばれて、あたしは視線を向けた。
ライリーだ。オアシスの中にいるのに、珍しく帯剣している。
いや、魔力嵐を失った時点で、ここももう安全ではないということか。
「どっか行くの、ライリー?」
「いや」
歳を取った。そう見える。人間は早い。時間の流れが。
出会った頃からおっさんだったけれど、髪の白さは遙かに増えた。
「……久しぶりにどうだ?」
声。やや嗄れたか。でも艶は増したかな。
低さは変わらず。身体の奥底に響くような声。少しこそばゆくて、嫌いじゃないね。
「何を? エッチなこと?」
「したことねーだろっ! 唐突におかしなこと言うなアホォ! ルランゼに聞かれたらどうしてくれるんだっ!?」
ライリーがキョドりながら周囲を見回し、胸をなで下ろした。
ルランゼの姿はないようだ。
「あっはっ! 大声なんて出したら、それこそ聞かれるよ~?」
いや、したことねーってのはどうよ。
散々、人の身体触っといてさ。ひん剥かれるわ、服ん中に手ぇ突っ込まれるわ、水蒸気爆発させられるわ。
この男と出会ってからはろくな目に遭ってないな、あたし。
ライリーが言いにくそうに、ガリガリと後頭部を掻いて吐き捨てた。
「ったく。殺し合いだよ、殺し合い。俺と本気で戦いてえんだろ?」
その言葉に、あたしは上体を起こす。
全身の細胞が一瞬で覚醒した。劫火の熱が全身に灯る。
「……あ~んた、頭でも打った?」
「打ってねえ。おめえこそ胸でも打ったのか? パンパンだぞ? どれ、おじさんがちょっと看てやろうかね?」
「あっは! そのノリ、キッツ! つか元々だし! んじゃあ、どういう風の吹き回し? 十年近く、あたしから逃げ回ってたくせにさあ?」
ハンモックを腰で揺らして、あたしは飛び降りる。
ライリーの目の前へと。それこそ、つま先立ちになって唇を伸ばせば、触れ合ってしまうような距離で。
ライリーのニオイがする。
灼けた砂と、冷たい水と、照りつける太陽と、畑の植物と、強いオンナとそのガキと、汗がほんの少しずつ混じったニオイ。
あと加齢臭ぅ~……。枕も洗いなよ……。
「んなこたどうだっていいだろ。戦んのか、戦んねえのか、どっちだ?」
「あっは! 話が早くていいねえ! んんん~! 興奮してきたっ!」
「くかかっ、あいかわらずおまえは言葉の選び方がすけべだな。ベッドで言えよ。ああ、相手いねえか。なんか、ごめんな」
コノヤロウ。誰のせいだと思ってるんだ。
「でっかいお世話だねっ。ライリーはさあ、黙ってたらいい男なのにねえっ」
「おう、よく言われるぜっ。むしろ喋っててもいい男だって言われるっ。汁も滴るいい男だってなっ」
喋りすぎ、夜の生活やりすぎで、ただ単に皮肉られてるだけじゃないの、それ。
「それ言ってくれたのって、どうせルランゼだけじゃん?」
「………………あ…………うん……」
あら。図星か。落ち込んじゃったよ。メンタル弱。
「とにかくだ。戦んのか戦らんのか、どっちだよ」
熱い。熱い。熱い。身体が熱い。無意識に、呼吸に炎が混じった。心臓がバクバク跳ねて、マグマのような血液を全身に行き渡らせている。
抑えが効かなくなってしまう。
「ほう、やる気満々じゃねえの。全身から炎が漏れ出してるぜ」
「う、うるさいなっ」
あたしたちを中心として、陽炎が立ち上る。
互いの呼吸が混じり合う。
視線がぶつかり合う。
その目を見てわかった。これは本気だ。でも。
「条件は~?」
「ちょいと前と同じだ。俺が勝ったら、俺に従ってもらう」
「具体的には? 浮気相手?」
「や、危険な旅に出てもらう。ルーグリオン地方へ向かい、あっちの問題を解決してルナを救ってやってくれや。おまえくらい強くねえと、ちょいとまずそうでな」
魔力嵐喪失の原因究明と、義妹の心配ね。
あいかわらずお人好しだ。そもそも自分で行かないのだって、ここに民と家族を残してしまうことを心配してのことだからね。
「あたしが勝ったら?」
「火山で交わした契約を破棄してやる。おまえはこの先ずっと自由だ。去ろうが追わん。つってもその場合、俺ぁもう消し炭になっちまってるだろうがな」
殺気で空間が震える。
寄る辺とする炎を失い、雪原に裸で放り出されたかのような、そんな空恐ろしさを感じた。精霊王のこのあたしが、だ。
老いてなお健在。それほどの剣気だ。まだ抜いてもないのに、これとは。
やはりこの男は別格だ。たぶん、力や速さは失われても、技とどすけべはさらに磨かれている。いや、すけべは磨くな。
「感心しないね。ルランゼやガキどもを置いてくたばるような契約を結ぼうとするのは、ちょ~っとあたし的にもキツいもんがあるね」
「……はっは、おめえに正論で諭されるとはな。ま、火山の契約でおめえの人生を奪っちまったのは俺だ。筋くれえ通させてくれや」
ライリーの右手が、剣の柄へと軽く乗せられた。
全身の細胞が警鐘を打ち鳴らす。
でも、あたしは。
「……リータ?」
「……」
あたしの炎は散った。散ってしまった。
全身から立ち上っていた炎も、無限に湧き出す体熱も、ため息とともに消滅した。いや、種火は消えない。残っている。
身体はまだ熱い。熱いんだよ。
「しゃあないね。いいよ。行ったげる」
「あ?」
ライリーはぽかんとした顔で、あたしを見ていた。
「ばっかだねえっ。いまさら取引なんて必要ないって言ってんの。火山の契約で人類の連合軍を追い払ったあとも、あたしがここに残ったのは、別に契約を守ってやろうなんてこと思ってたわけじゃないかんね」
マヌケ面だ。皺、増えたな。
あたしはその頬に掌をあてた。もちろん炎縫はしていない。
「お、おい」
戸惑うライリーの耳をムンズとつかんで引き寄せ、あたしは唇を寄せる。
「いでえッ!?」
頬に思いっきり噛みついてやった。
「な、なな、何しやがんだ! ッ痛ぅ~、は、歯形とか残ったら、ルランゼに誤解されちまうだろっ!?」
「そ。だったらせいぜい弁明を頑張んなよ。色男」
「何なんだよ……」
頬をさするライリーを指さして、あたしは笑う。
「あんたがこれまであたしに勝利してきたやり方って、こういうことだかんなっ。ずるいんだよっ」
「あ……。はは、ははは、なるほど。こいつぁ、俺の負けかもな」
ライリーも少し笑った。
あたしはライリーにうなずく。
「旅の準備だけしといて。路銀だけでいいから。今日の夜に発つよ」
「……あ、ああ。すまん。頼む」
あたしは木陰のハンモックに戻って目を閉じた。
「出発まで寝る。ライリーも一緒に昼寝する?」
「残念ながら、ハンモックは一人用だ」
嘘つき。
ルランゼ以外見てないからだろ。
「知ってて言った。あはっ、あんたみたいなどすけべなおっさんと平気で寝れるオンナなんて、元魔王くらいのもんじゃないの?」
「うるへー! けっ! ……無事に帰ってこいよ。リータ」
「へいへい」
あたしがひらひら手を振ると、ライリーは首を傾げながら背中を向けて去っていった。
胸、まだドキドキしてる。奥にこもった体熱が下がらない。赤面してたの、バレてなければいいんだけど。
「はぁ~……まいったな……」
いつからだろう。
纏った炎よりも熱い想いに焦がれるようになったのは。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
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よろしければそちらの方も覗いてやっていただけると幸いです。
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