Case No.4.11 「封禍術士」
8畳ほどの和室は飾り気のない質素な間取りで、障子を通して入り込む陽光が室内を隅々まで照らしている。
中央には畳1枚ほどの座卓が置かれ、机上では湯呑みが3つ、白い湯気を立てていた。
上座には不自然な組み合わせの男女が並んで腰を下ろしている。
アイロンをかけたばかりのようなこざっぱりとした細身のスーツに身を包んだ男は清潔感に溢れ、高い鼻の上に頂いた銀縁の眼鏡が知的さを滲ませていた。
一方、隣で正座している女は純白の長着に、見事な朱に染まった袴を着込んでいた。背中に流した艶のある黒髪や、化粧気はないが色白の頬が清楚さを醸し出している。
各々品のある居住まいではあったが、根本的な点において不自然だったのである。
つまり、2人はあまりにも歳が離れていたのだ。
男性は小綺麗ではあるが決して若々しくはなく、40歳前後にしか見えなかった。
一方で女性はというと――否、女性と呼ぶにはまだ早いほどの娘は12、3歳ぐらいの見た目である。
親子ほどの年齢差がありながら、しかし親子と言うには似ても似つかない2人。
これで違和感を感じない方がおかしいに違いない。
しかしながら、座卓を挟んで彼らと向かい合って座る人物は、まったく意に介した様子もなく平然としていた。
もっとも、対面しているその人物自身が異彩を放っているため、ある意味不思議ではないのかもしれない。
背格好から見れば10代半ばの少女なのだが、体型は貧弱で、面立ちだけ見れば小学生にも見えかねなかったからだ。
さらに目を引くのは、背中に流した長い髪と黒ではない双眸。ややくすんだ光沢であるものの見事な黄金の毛色、そして天高い空の色のような深い蒼の瞳だった。
反面、見た目にそぐわず非常に落ち着いた雰囲気を湛えており、ピンと背筋を伸ばして正座している様は熟練の修験者のようだ。身に纏った黒のワンピースも少女の泰然とした様子を確かなものとしていた。
「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」
凜とした声音が静寂に包まれていた室内に響き渡る。
活舌のよい流暢な日本語が蕾のような小さな唇から紡ぎ出された。
その見た目との差異に驚いたのか、男は目を丸くしていた。
「この度はお忙しいなかご足労いただき、誠にありがとうございました」
男の反応など意にもかけない様子で、慇懃な挨拶をする少女。
「私、嘉村義瑞の姪で嘉村理桜と申します。この度は、嘉村の甥で私の従兄にあたる名代・嘉村義明が急な病に伏せったため、貴方様方のご対応を任されております。以後お見知りおきくださいますよう宜しくお願い申し上げます」
丁寧に会釈して礼を尽くす少女に始めはとまどった感の男だったが、さすがに感心したようで何度も小さく頷いている。
「これはこれはご丁寧なご挨拶、恐れ入りました。まだ中高生ほどの娘様かとお見受けしたのですが、実にしっかりしてらっしゃる」
「過分なお言葉、恐れ入ります」
「いやいや、ご謙遜には及びません。心底感服いたしました。いやしかし、恭しいお言葉にも目を見張りましたが、明瞭な活舌が胸に染み渡りましたよ。よく訓練された封禍術士かと見違えるほどでした」
男は饒舌に少女を褒めちぎった。
一方で、困惑しているのかやや小首を傾げている少女。
少女の様子に気付いたのだろう。男は「これは失礼」と詫びていた。
「挨拶もせずに内輪の話をしてしまいましたな。あらためまして、私、久見雄一と申します。既にお聞きおよびかもしれませんが、華皇派封禍術を会得した封禍術士を務めております」
慇懃な所作にて深々と頭を下げた男――久見は隣の娘にも一礼すると、「私はあくまで窓口役の側人にすぎませぬ」と一言断りを入れてから仰々しく紹介を始めた。――『紅い袴の娘』について。
「こちらにおはすお方は華皇派封禍術を統べる華皇家の次期ご当主、華皇柚葉様にございます」
これ以上ない高貴な人物であるという含みの込められた言い回しを受けてか、娘も実に優雅に頭を垂れた。
「華皇柚葉と申します。以後よしなにお付き合いくださいますよう」
高貴な令嬢のお手本のような挨拶は、見る者に感嘆と羨望を与えるほどに違いない。一片の隙もない柚葉の口上に、大抵の人間は見とれて溜息を漏らすことだろう。
しかし、理桜は感情を揺らした様子などまったく見せていなかった。
多くの人間を感心させてきた娘の大人びた様にも一切動じていない少女の居住まいに、今度は久見が戸惑うような素振り――眉間に皺を寄せてわずかに上体を引いていた。
「それにしても。お褒めのお言葉をいただいた時は見当もつかなかったのですが、お2人のお話を耳にしてようやく真意を理解することができました。封禍術士の方は皆様活舌が本当にとてもよろしいのですね」
久見の異変のことをまるで気付いていないのか、はたまた気付いた上で知らず存ぜずなのか、理桜は泰然として揺るぎない。
ごく自然にさらりと話題を変えてしまう様は、見る者に余裕すら感じさせるだろう。
そこまでの落ち着きぶりに久見は違和感を感じたようだが、
「おっしゃる通りです。我々の行使する術は言霊を媒体にして力を発動させる為、正確な発音、発声の強弱・高低が欠かせませぬ。手練の封禍術士になればなるほど、話術を生業になさっている一流の喋り手と見紛うほどの技術を持つこととなります」
経験がなせる業だろうか。動じることもなく、久見は理桜からの言葉に丁寧に応えていた。
あるいは自身の違和感を気のせいと自らに思い込ませたのかもしれない。
先程の揺らぎなどまるでなかったかのように自然体でいる久見。
彼は場の支配権を手中に納めんとするかのように、今度は彼の方から話題を切り替えた。
「過日お電話にて嘉村家ご当主であらせられます義瑞様よりご依頼いただいた際には、件の甥御様の義明様が御対応されると伺っていたので、理桜様がお見えになられた際はいささか驚きました」
そうすることで恩を売り付け優位に立とうとする思惑があるのだろう。
だが、彼の目論みは企図した端から脆くも崩れさることになる。
「ご不快な思いをさせてしまい誠に失礼致しました。手前どもの慌ただしい内情にて、さぞ困惑されたことかと存じます。当主嘉村に代わり、心からお詫び申し上げます」
澱みなく非礼を詫びた理桜は、背筋を張ったまま綺麗に屈体し座礼を手向けた。
これに慌てたのは久見だ。
よもやそこまでされるとは予期していなかったのだろう。
「理桜様、理桜様どうかお直りくだされ。私どもは貴女様方々を責めるつもりなど毛頭ございませぬ」
先程までの余裕ぶりはどこに行ってしまったのかと言うほど血相を変えて慌てていた。
「理桜様に無用のご懸念を抱かせてしまい、我が身の軽率さをただただ恥じ入るばかりでございます」
今度は久見が頭を下げる番だった。
確かに嘉村側は事前に通知していた話とは異なる対応をした。
しかし、信義にもとる行為だったか、と言えばそこまで酷い対応ではない。ましてや、この場でとはいえ正当な事情も説明をしているのである。
その上でさらに座礼による謝罪まで見せた依頼主。
顧客と売手の力関係から見て、この上依頼主に頭を下げさせるなど着手側の傲慢以外の何物でもなくなってしまう。
「我々とて封禍を使命として戴く者どもでございます。封禍の為ならば、一度受けたご依頼はご依頼主がどなたであろうとも使命を完遂いたします」
先程までの自然体が嘘のように、なりふり構わず釈明する久見。
「ですからどうか、どうか理桜様、お顔をお上げください」
もはや懇願に近い久見の平身低頭しそうな勢いに対し、ゆっくりと顔をあげた理桜は穏やかに微笑みを浮かべていた。
「お心遣い誠に恐れいります。私も気にしておりませんので、どうぞお気になさらないでください」
理桜と久見の力関係――久見が狙っていたであろう優位な立場が、理桜の手中に納まった瞬間だった。
目論見を隠し通せずにいた久見とは異なり、腹の底をまったく見せぬまま主導権を巡る鍔ぜり合いを制した理桜。彼女は悠然とした微笑を浮かべつつも、事務的に彼らへの依頼事項を再確認し始めた。
一方的に話を進める彼女に対し、久見は言われるがままただただ頷くばかり。
呆気に取られている久見を尻目に、事前に預かっていた嘉村氏署名捺印入りの契約書類を机上に差し出し、理桜はそこでようやく攻勢の手を止めた。
「私どもからは以上でございます。久見様からは何かございますでしょうか?」
まだ10も半ば程度とは思えぬほど落ち着き払った所作を見せつけられ、久見は明らかに呑まれていた。
「あ、ぐ、具体的な着手日程などを調整させていただければと」
どもりながらそれだけを発するのが精一杯であったことからも、彼が白旗を上げているのは明白である。
少し前まではほとんどぶれを見せなかったことが幻であるかのように焦りを隠せないのは彼だけではない。
気品ある令嬢然としていた隣りの娘も見る影もなく落ち着きをなくし、横目で男の様子ばかり伺っている有様。
帰趨が決したことに満足気な様子の理桜とは真逆ではあるが、本来あるべき歳相応の反応としては別段おかしなことではなかった。
むしろ、1対2の情勢下で、かつ一時は不利な状況に陥りながらも、冷静に相手のミスを突いて逆転してしまう理桜が異常なのである。中高生の少女がとても為せる業ではなかった。
少女はごく自然な、深遠なる余裕を感じさせる穏やかな笑みを湛えて応えた。
「喜んで久見様のご都合のよろしい日程に沿わせていただきますわ」
Case No.4.12に続く