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Case No.2.0 「桐羽柚葉」

 その人は、夕日に輝く金色の長い髪を背中に流していました。海風にそよぐと、金糸のように美しく揺れるのがとても印象的でした。

 銀色に輝く鎧を身につけ、鞘に納められた長剣を佩いた姿は勇壮で、なんとも神々しい限り。

 水面に照り返す夕日を波打ち際から眺めている切れ長の双眸の奥には、サファイアのように深く蒼い瞳が光りを湛えていました。

 ふと、こちらに気付いた彼女は、ほっそりとした形のよい輪郭に包まれている面立ちに微笑を浮かべました。

 なんて綺麗な人なんだろうか。芸術作品のように整った鼻筋や薔薇の蕾を思い出させる小さな唇を見ても、計算しつくされたかのような、もはや造形美だと思います。

 八年前と変わらない――違う、あの時以上に輝く彼女が手に届くところにいる。

 声をかけたい。伝えたい想いが沢山あるんです。見とれている場合じゃない。

「あの、その、た、鷹匠義志です。八年前、命を助けていただいた。覚えていらっしゃいますか、サラ=トランスファー卿――」

 勇気を出して声を振り絞り、呼びかけました。

 すると――

「誰? サラって」

 聞き覚えのある妙に滑舌のいい声。でも、忘れもしないサラ卿の声じゃない。

 見ると、サラ卿の首から上がいつの間にか別人になっていて、言葉はその首が発していました。あまりに突然のことに、鼻からずり落ちそうになる僕の眼鏡。

「ねえねえ、誰よサラ=トランスファーって。よし君の何なの? ほら、教えなさいってば」

 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている首は、明らかに単なる好奇心で尋ねてきてます。あの顔は状況を楽しんでいる顔です、絶対。

 冷や汗が背筋を伝います。このままでは餌食になる! 慌てて逃げようとするものの、なぜか体が動きません。

 気付いたら首が目の前まで来てるじゃないですか! なんか、「早く言いなさい、痛くしないから」と意味不明なこと言ってるんですけど! もはや恐怖すら感じるくらいです。

「か、勘弁してください! ゆずさん!」

 耐え切れなくなって、目を閉じ叫んでしまいました。

 同時に、目から火花が飛び散ります。

 ホントに火花がでたら万国びっくりショーに出られてしまうのであくまで比喩です比喩。

 いやもう痛かった。何かが額を直撃した痛みだったんですが、驚いて跳び起きたぐらいです。

 ズキズキと痛む額をさすりながら周囲を見回すと、セーラー服かつミニスカートの制服姿なのに床に胡座をかいて座り僕を見上げているあの「首」の女の子が一人。

 女の子、なんて生易しいものじゃなくてその実『人間凶器』なんですが、って死んでも本人には言えませんけど、とにかく彼女、ゆずさんこと桐羽柚葉さんが振り下ろした後みたいな卓上計算機を片手に、『首』の時にはかけていなかった眼鏡越しに眼差しを向けてきてました。

 ――振り下ろした後みたいな?

「あのぅ、ゆずさん」

「なあに?」

「もしかして『ソレ』で僕のおでこ殴ったりしてませんよね?」

「ああこれ? うん殴ったけど?」

 計算機をひょいと持ち上げて示しながら、悪びれた様子なんて毛ほども見せず言ってのけるゆずさん。

「な、なんてことするんですか!?」、

「だって金縛りにあってるみたいに呻いてたから助けようと思って。あ、角欠けちゃった」

 卓上計算機の角が欠けるって、どんだけ思い切り殴りつけてきてるんですかこの人は。

 なぜ怒っているのかまるでわからない的な表情のまま不思議そうに見上げてきているゆずさんの姿見ていると、怒鳴っているのが馬鹿馬鹿しくなってきます。いかんいかん、我ながら不毛なことしてしまいました。

 それにしてもおかげですっかり目が覚めました。

 校舎の屋上の片隅、人気の無い昇降口の裏側でお昼休みを過ごすのが日課なのですが、今日はお昼を食べた後眠たくて、つい横になってうとうとしてしまったんです。

 その寝込みをまさに襲われた形ですが、『助けた』と言い張る当のご本人は相変わらず涼しい顔してます。よくよく考えてみれば、呻くことになった原因はご当人が僕の夢の中にまで登場して引っ掻き回してくれたからなんですけど。

 でも、もういいんです。『理屈』が通用しないこの人に多くを語るのは自殺行為ですし。それに、夢の中のことなんて話した日には、あの『首』よろしく根掘り葉掘り『尋問』されるのがオチです。大事なサラ卿の思い出はそっと僕だけの胸の中にしまっておくとして……って、今度は何やってんですかこの人。

 何で計算機を持っているんだろうと思ってましたが、ゆずさん、家計簿片手に必死になってパチパチとキーを叩いてました。それも凄い形相で。

「どうしたんですか?」

「見てわかんない? 今月も赤なの。赤字」

 ついさっきまでとはうって変わって、肩落として青色吐息ついちゃったりしてます。

「昨日ってか今日、一張羅のスーツ駄目にしちゃったから新しいの買おうと思ったんだけど、こんなんじゃとても無理だわ。無報酬なのに調子こいて参方結陣板使っちゃったのが痛かったなあ」

「ああ、例の女性霊を一般の人が浄霊したって件ですか?」

 そう、よし君が寝てる間に起こったね、ってさりげなく嫌味つぶやかないでくださいよ。聞こえてるんですから、まったく。

「その一件のおかげで10万飛んでいったわ。こないだ肆方結陣板使って40万消えて報酬とトントンだったばかりなのに。これはちょっと考えないといけないわね、装備の使い方。後は、ハイコストパフォーマンスのお仕事に巡り合えることを祈るばかりか」

「じゃあ今夜はその辺りにも焦点を当てて依頼を精査してみましょうか」

「そうね。重要度が高い案件も大事だけど、このままだと困っている人を助ける前にあたしが路頭に迷いそうだもの」

 ぼやきながらゆずさんが立ち上がった時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響きました。



 午後一発目の授業。不覚にも居眠りしてしまい、さらに目ざとい教師に見られてしまいました。

 おかげで授業中に教師が使用した用具を、罰として教員室まで片付けさせられる始末。

 暦上では夏至を過ぎたもう夏目前なんですから、春眠暁を覚えずもないでしょうに。我ながらちょっと情けなくなりました。

 なんだか悔しいので、半徹したゆずさんの状況もチェックさせてもらうべく、寄り道しながら職員室へと向かうことに。

 矢来高校1年生である僕のクラスは4階、2年生のゆずさんのクラスは3階にあり、一階降りた後、教員室のある3階端まで2年生領域の廊下を通って行きます。

 休み時間のため、教室だけでなく廊下にも2年生たちが出張ってクラスメートとお喋りしたり暇つぶしをしていました。

 そんな彼らの間を縫って進んでいくと、ゆずさんのクラスが見えてきました。

 廊下からこっそり覗き込むと、いましたいました。窓際の席で1人黄昏てる人が。

 悔しいことにこれがまったくもって絵になっていたりします。

 でも、それは仮の姿。学校での猫を被っている姿なんです。眼鏡も思いっきり伊達ですし。

 矢来高校は進学校で、結構な大学に卒業生をそこそこ輩出している学校ですが、規律は比較的緩くて髪を多少染めたりしてもよほど酷くない限り指導されたりしません。

 だから、女子はほとんどの子が大なり小なり髪を染めたりしているんですが、ゆずさんは染めていなかったりします。昔、金髪にしてみたことがあるらしく、一度その時の写真を見せて欲しいとねだったらグーで殴られました。よほど良くない思い出があるんでしょうね……。

 って、それは置いといて。

 普段の猫を被った大人しい行状や伊達眼鏡も相まったところに黒髪とくれれば、『大人しい子』で通るのも自明の理ってやつです。

 なぜ大人しい子の振りをしているのかと問われれば、ご存知、ゆずさんは退魔禁妖討霊社の代表。超常現象を相手に活躍するお人です。

 現に存在する『不可思議な世界』ではありますが、普通に暮らしていればそれこそ普通の人は関わることなんてありませんからね。『高校』っていう日常で暮らしていくには、逆にその『日常の世界』のルールに沿うのが決りです。

 だからゆずさんは、猫を被ってまで日常を大切にしようと努めているんですよね。

 それはわかります。わかるんですけど、僕の前で見せる姿とあまりに違うのはさすがにどうにかして欲しかったりします。ギャップがありすぎて、どっちの姿がホントやら嘘やら……。

 でも、その効果はてき面みたいですよ。黄昏ていたゆずさんに、クラスメートの女子がわざわざ声かけてますから、心配して。風の便りでは意外に人望もあるようなことも耳に挟んでますので、だからかもしれません。

 クラスの中心人物にはなってはいないものの、ご意見番的なポジションにあるようです。そりゃ、はっきり言って同世代の3倍ぐらいの人生経験積んでる人ですから、あらゆる状況に即した対応を取れるでしょうし、そりゃ人望集めますよね。

「おいおい、1年がこんなところで何してんだ? 誰か探してるんか?」

 廊下からしばらくゆずさんを眺めていると、唐突に声をかけられました。声の主を見ると2年生の男子でした。一目で体育会系とわかる厳ついボディを晒している人物でしたが、口調と違って表情は意外と柔和そうな感じをしていました。どうやら怒られているわけではないようです。

 そこで、教員室に行く途中、たまたま親戚――という間柄で学校内ではいようと2人で取り決めました――の『桐羽先輩』のクラスを通りかかったので顔を覗いて行こうと思ったんです、と素直に答えると、その男子は嬉しそうに僕の肩を叩いてきました。

「そうか、君は桐羽さんの親戚君なんだ。なるほど、いや奇遇だな。呼んで来なくていいのかい?」

 急に猫撫で声になる体育会系。なんなんだろう、この豹変ぶり。

 あ、そうか。ゆずさんが原因だな。表立って、ではないですが、ゆずさん影で意外と男子に人気あるから。

 客観的にイワユル『美人さん』ではないかもしれませんが、眼鏡の奥には僕でも『可愛い』って思えるお顔がありますからね。

 表舞台では矢来高校のアイドルと言われている、ゆずさんと同じクラスで御園朱里さんって人が目立ってはいるんですが、大人しくて古風な感じ――髪の色や雰囲気だけのあくまで『感じ』ってことですよ――がカウンターアイドル的に隠れた人気を博しているみたいです。

 でも、本当のゆずさんを知ったら、みんな引くでしょうね。そりゃもう、『ドン引き』ってやつでしょう、間違いなく。

 ゆずさんとお近づきになりたいんでしょう。なんやかんや話しかけてくる体育会系の前から、チャイムがなったことを理由に丁重に辞去して教員室に向かいました。

 って、こりゃ次の授業遅刻かな。



 放課後の日課は喫茶『憩居』にてノートパソコンを広げて依頼チェックです。

 憩居はゆずさんの下宿先オーナー・里中夫人が経営する喫茶店で、ゆずさんのバイト先でもあります。

 店内には特に目立つ装飾もなく、ごく普通のどこにでもあるような喫茶店です。学生街に居を構えていますが、通りから若干奥まった所にあるため、ひと頃はお客もまばらだったそうです。

 今はと言うと、夕食時の店内はリーズナブルなディナーメニューをかきこむ学生さんたちでなかなかの盛況ぶり。

 口コミがきっかけで軌道に乗ったそうですが、発端となったのは目の前で忙しく給仕してるメイドさんです。

 いえ、他でもないゆずさんなんですけどね、メイドさんて。

 アキバで見かけるような派手だったり際どかったりする衣装ではないですが、昔ながらのメイド衣装を着込んだゆずさんが熱心に仕事しています。やると決めたからにはとことんやって手を抜かないところはバイトでも変わらないんですよね。そこがゆずさんらしいと言えばその通りなんですけど。

 ここに越してきて超常現象解決の仕事を始めたものの閑古鳥が鳴いていたんで、生活費の足しにするために始めたのが憩居でのバイトだと聞いています。

 以前、二十代のフリーターの女性がバイトしていたみたいなんですが、寿退職してしまい、以来里中夫人1人でお店を切り盛りしていたそうです。

 元々お客もまばらだったこともあって、里中夫人1人でもお店を回すことはできていたみたいですが、ゆずさんの窮状を聞いてそういうことならとお店でのバイトを勧められたのがきっかけだったみたいです。

 でもどうしてメイド服でバイトしてるか不思議なところなんですが、理由がわかると結構脱力しますよ、いい具合に。

 以前のバイトさん、どうも『コスプレマニア』だったみたいで、私物で持っていたメイド服を置き土産にしてったみたいなんですね。

 それがずっと保管されていて、バイト始めに仕事着がなかったゆずさんに里中夫人が使ってもいいよと軽く言ったらしいんです。そしたらゆずさんもこれ幸いとそのまま着てバイトし始める始末。

 そう、里中夫人もゆずさんも、メイド服が『その筋の人』に大層喜ばれることを知らなかったんです。正直いまだにわかってないと思います。だからメイド服着続けているんでしょうし。

 それにしても口コミの力って凄まじいですね。メイド服を着た可愛らしくて奥ゆかしく見える女子高生がバイトしてるってことがまことしやかに学生たちの間へ伝聞したらしく、ゆずさん見たさの若い男性が激増。来客数が桁1つ上がったそうです。

 仕事ぶりも真面目なゆずさんですから、見た目だけでなく人柄でも惚れこまれて常連さんが大幅に増加し今に至るということでした。

 もっとも、里中夫人のコーヒーやお料理自体かなり美味しいんで、一度憩居の名前が売れれば、お店が繁盛し続けているのも不思議じゃないんですけどね。

 とにもかくにも、ゆずさんは今日もメイド服で元気にバイトに精を出しています。

 一方で僕は、店内の端っこにあるお気に入りの二人掛け席でメールチェックをしていました。

 移動に便利な最新型のB5ノートのメーラーにはそれはもう山ほどのメールが毎日到着しています。ほとんどが迷惑メールやいたずらメールですけどね。

 退魔禁妖討霊社宛の依頼はメールのみ受け付けていて、そのチェックの役目を僕が担当しているんです。

 なぜかと言うと、ゆずさんでは膨大な量のメールを処理しきれないから。

 いえ、僕だって1つ1つ見ていく処理なんて到底できませんよ。一応学生ですので徹夜なんてそうそうできないですし、そもそも徹夜しても無理な件数なんです。

 僕が依頼のチェックをするのは、届いた依頼が迷惑メールやいたずらか、あるいは本当の依頼かがメールを開かなくてもわかるから――もっと言えば、本当の依頼の中でも重要度、危険度の序列、優先順位を付けられるからなんです。

 どうしてそんなことができるか? まあ退魔禁妖討霊社なんてモノに関わっているんですから、良いのか悪いのか僕も一般人じゃなかったりします。

 パソコンが人より得意、というのもありますが、ゆずさんと一緒に仕事させてもらっているのは、僕が強度の『霊感』の持ち主だから。

 まあ色々見えてしまったり体感してしまったりとあまり良いことはなかったんですが、メールをチェックする時には重宝しています。

 別にメールに『本物』って文字が浮かんだりするわけじゃないんですが、イメージでわかるんですよね。すぐ処理しないと人の命が危ない依頼や、大変な被害を出してしまう依頼がどれかって。

 基本的にゆずさんお1人で実務はこなされるわけですから、マンパワー的に全ての依頼をこなせるわけがありません。であるならば、フィルターをかけて最重要の案件から片付けていくことが最も効果的というものです。

 そんなこんなで、ゆずさんが実務、僕がバックアップという形で退魔禁妖討霊社の運営は行われています。

 『社』って言っても、別に法人登記してあるわけでもないですし、メンバーもゆずさんと僕の2人だけ。元々、ゆずさんが独自の力で『本業』では食べていけなそうだったのを見かねて、僕が協力したのが始まりでした。

 そもそもゆずさんと出会ったのは、ほんの3か月ほど前。ゆずさんが矢来高校に編入する前の春休みの頃でした。

 独力で『本業』を果たすために単身上京してきたゆずさんが、矢来市で初めて依頼を受けた時、たまたま現場に居合わせたのが僕だったんです。その依頼というのが僕の従兄の案件だったので。

 そのツテでゆずさんと出会ったんですが、その頃のゆずさんは依頼自体に巡り合えなくて悲惨な状況に陥っていました。

 ウェブサイトで依頼を募る形は今と変わらなかったですが、ホームページの出来はシンプルを通り越してあまりにも素人丸出しのデザインでしたし、当然のごとく知名度ゼロ。送られてくるメールは迷惑メールばかり。

 それでも依頼がないか、誤って消さないように1つ1つメールチェックしていたそうです。努力はまったく実を結ばなかったようですけど。

 状況が状況だったので、さすがにこれはと思って助力を申し出たんです。

 ホームページの構成変更もしましたし、依頼から見積・着手・アフターフォロー等の一連の流れを再構築したりもしました。交渉ごとのあまり上手くないゆずさんに代わって依頼主と費用面等の打ち合わせを行いもしましたし、当局にパイプも作ったりしました。

 本業以外に超常現象全般を扱うことも提案しましたし、退魔禁妖討霊社って名前も僕が考えたんです。ゆずさんお1人でやられていた頃は、名称すらなかったですからね。シンプルで一見ベタなようですが、一目見てのわかりやすさを追求しました。

 軌道に乗せるにはまだまだ先は長いですが、色々と改善した成果は少しずつですが出てきています。

 最初は大変でしたし、って今も大変は大変ですが、主体的に関わると結構面白いもので、やりがいはすごくありますね。それに、僕には霊や怪物と戦ったりする力はありませんが、影ながらゆずさんをサポートすることで役に立てているんじゃないかなと。

 この先どうなっていくか。まだ見えてこない部分はたくさんありますが、できることは手を尽くしていこうと思っています。

 なんと言っても、僕らにしかできない、困っている人々を助ける仕事をしているんですから。

「何? 妙に嬉しそうな顔して。何かいいことでもあったの?」

 いつの間にか、ゆずさんのお顔が目の前にありました。

 突然のことだったので、驚いて思わず仰け反ってしまいました。

「失礼ね、そんなに驚かれたらあたしまるでお化けみたいじゃない」

 腰を屈めて僕の顔を覗きこんでいたゆずさんは、すぐに姿勢を直してむくれ顔になっていました。ちなみにバイトする時は学校じゃないので伊達眼鏡を外した素顔のゆずさんです。

 慌てて考え事をしていたためと弁明すると、

「考え事? ははーん、またどこぞの女のことでも考えてたんじゃないの?」

 豚でもない、いえ、とんでもない答えが返ってきました。

 まさかゆずさん、サラ卿のこと知ってるんですか!? いや、そんなはずありません。サラ卿のことはさすがに言えませんので、一切口には出さないようにしているんですから。

 って、また考えているところ見られたら――

「ありゃ、図星?」

「ち、違いますって。最近依頼も順調でホッとしていたところです!」

「またまたよし君、そんなムキにならなくてもいいってば。邪魔しないから」

 喉を鳴らすようにして笑いながら背を向けて仕事に戻っていくゆずさん。

 ゆずさんとやりとりすると、どうも調子が狂ってゆずさんペースになってしまいます。特に最近なんだかいじられ回されてばかりのような気が。

 どうにもすっきりせず、ついまた考え込みそうになった時、突然立ち止まったゆずさんが振り返って戻ってきました。

 あまりにも唐突のできごとだったので、びっくりして身構えてしまう僕。

 一方、そんなことなどお構いなしといった形で小走りに戻ってきたゆずさんは、机に手をつき身を乗り出して僕の顔を覗きこみ、言いました。

「今日という日こそ、通っちゃ駄目よ。木林公園」

 先ほどまでのどこかいい加減なゆずさんではありません。目が笑ってませんから。

 怪物と対峙する戦闘時さながらの真剣な眼差しで僕を見つめていました。

「え、い、いきなり何ですか?」

「よくわからないけど、なんとなくふと思ったの。とにかく、帰る時は遠路迂回してでもあそこだけは通らないようにね」

 言うだけ言うと満足したのか、あっさり踵を返して仕事に戻って行ってしまいました。

 木林公園。ゆずさんの地元駅と憩居を結ぶ道の途中にある公園です。

 学校帰りに憩居へ寄っているわけですが、実は通学途中の駅から一度降りて立ち寄っていたりします。僕はゆずさんよりも遠いところから通学しているわけで。

 だから、帰宅する時はもう一度ゆずさん地元駅へ向かってそこから電車で僕の地元に帰ることになります。

 駅と憩居の間には3ルートほど道のりがあるのですが、普段通っている道は近くにある大学の学生さんたちの学生通りです。

 もう1つは、明後日に近い方角から回りこむようにして進む大変な迂回ルート。

 そして最後の1つが学生通りほどではないにせよ、駅まで進める道のりである木林公園のルートだったりします。

 実は木林公園、よくない噂を頻繁に耳にする場所なんです。ウェブ上では心霊スポットにも取り上げられてますし。

 他でもない、僕自身もそれは痛いほど感じてますし、用が無ければ絶対に近づきたくない場所だったりします。

 だからこそ今まで一度も、それこそ日中でも木林公園の道のりは使ったことはないですし、今日だって使う気はさらさらありません。

 にもかかわらず、どうしてゆずさんはあんなことを? 僕が木林公園の道のりなんて絶対に使わないって知っているのに。 

 真剣な眼差しなどすでにどこ吹く風。すっかり仕事モードで笑顔を振りまいているゆずさんの姿を、僕は釈然としない思いを胸に抱きながら見つめていました。




 初夏とはいえまだ夜は涼しく、時折風が吹くと肌寒くすら感じます。

 もっとも、そう感じるのは外気の為だけじゃありませんが。

 僕は今、木林公園の中を早足で歩いていました。あれほど通りたくなかった、通るなと忠告されたあの場所です。

 街灯がいくつも設置されているため、園内の道筋はちゃんと照らし出されていますし、光りが強いので園内の池や歌壇もはっきり目にすることができます。

 でも、公園の周囲に生い茂る木々の向こうは暗闇に支配されて窺うことができません。それが凄く不気味で背筋が凍りつきそうです。

 こんなところ、頼まれても来る気はありません。今もその気持ちは変わっていません。

 ではなぜ僕は木林公園内にいるのか。

 それはほんの十数分前に起きたことまで遡ります。

 今日は8時過ぎまで憩居で過ごした後、いつも通りの帰り道を行こうとしたんです。

 ところが、なんと夜間道路工事が始まって全面通行止めになっていました。

 仕方ないので迂回路を行こうとしたのですが、ここでも不測の事態が。

 迂回路には原チャリに乗った何人かの不良がたむろしていて、彼等に見事因縁をつけられてしまったんです。

 腕っぷしには自慢できるほど自信がないですし、だいたい数で勝てるはずがありません。

 十中八九逃げるが勝ち。これでも逃げ足には自信があります。

 脱兎のように逃げ回りながら原チャリ相手に上手く路地を使って彼等を巻いていきました。

 最終的には完全に彼等を引き離したんですが、僕も必死だったんですね。無我夢中で駆け抜け、気付いた時には木林公園のただ中にいました。

 自分でもどうしてこのルートに来てしまったのかわかりません。

 先程から首筋がすごく痛みます。肩も重い気がします。何より、僕の霊感がこの場にいてはいけないと激しい警鐘を鳴らしていました。

 かと言って、再び駆け出して一気に脱出しようとするのは危険だと感じるのです。

 だから僕は急がず、ゆっくりし過ぎず、公園の出口へと急いでいました。

 けれど、何事もなく無事に済んで欲しいという僕の願いは無に帰してしまったのです。

 突然足が動かなくなりました。嫌な感触とともに。

 前へ踏み出そうとしますがびくともしません。

 経験上、理由はなんとなくわかっていました、足元を見なくても。

 でもこのままでは埒があきません。

 視線を足元に移すと……

「やっぱり」

 案の定、地面から生えた二本の腕に足首を掴まれてました。妙に生白く、細い腕でした。

 振りほどこうとしますがまったく動けません。

 なんせ相手は人間じゃないんです。

 僕は『彼ら』を見ること、感じることはできても、鎮めたり祓ったりすることはできません。力技でどうにかできないならもうお手上げです。

 でもそれは僕にはどうにもできないだけであって、人の助けを借りることはできます。

 幸い上半身は動きます。

 制服のポケットから携帯を取り出しました。ゆずさんにSOSをコールしなければ。

 その時でした。足首を掴んでいる腕から物凄い数の思念が僕に流れ込んできたんです。

 鉄砲水のような激情でした。あまりに強烈な感情に僕は悲鳴を上げて携帯を落としてしまいました。

 途端、背後から何本も腕が伸びてきて僕の体に絡み付きました。強い力でそのまま地面に引き倒されてしまいます。背中から倒れたので衝撃で一瞬呼吸が止まったほどです。

 頭を打たなかったのは幸いでしたが、状況は極めて危険でした。

 現に、数多くの腕によって僕のからだは引きずられ始めたんです。

 まったく抵抗できないまま、容赦なく砂利道の上を引きずられながら、何かできないかとにかく考えました。

 耳元でエンドレスに悲鳴を聞かされているかのように、想念の奔流は僕の頭のなかをいまだ駆けずり回っていましたが、折れてしまわないよう自分の心を鼓舞しました。

 首は動かせませんが、目を動かせることに気付きました。視界の限界まで視線を巡らしたおかげで行き先が分かったんです。

 池です。我が身は木林公園のシンボルの一つである池に向かっていました。

 行き先が判明したと同時に、必然的に末路までわかってしまいました。

 このままでは本当にとり殺されてしまいます

 駄目もとでもなんとかならないかと懸命に全身に力を込めて抵抗してみます。

 諦めずに何度も何度も繰り返し行っていると、あることに気付きました。

 思いきり力をこめている間は引きずられているのが一端止まるあるいは極端に遅くなるんです。

 これしかありません。僕は懸命に力を入れ続けました。

 全力で力をこめると必然的に息を止めざるを得ません。もちろん、呼吸を止め続けるのも限界があります。

 急場凌ぎにしかならないのはわかっていますが、今自分にできることをするまでです。

 ゆずさんの助けが来るまではなんとしてももたせてみせます。

 携帯は落としてしまいましたが、ゆずさんの携帯を呼び出すことまではしていました。

 僕からの着信に応じたゆずさんは、呼び掛けてもしゃべらない僕に不審を抱き、つい先程話題に出た木林公園のことを思い出してくれるはずです。きっと。

 ……わかってはいるんです。希望的観測って。

 不審に感じてくれたとしても、木林公園を連想してもらわなくちゃ意味ないですし、そもそも電話出てくれているかどうか。

 ゆずさんの携帯番号をコールしたのは間違いありませんが、僕の着信を受けてくれたかまでは確認できていません。

 バイト中、ゆずさんは携帯をカウンターの里中夫人に預けています。仕事に集中するためですが、僕や依頼者からの緊急連絡に対応できるようにと里中夫人許可のもと、電源は入れたままになっています。

 でも、ゆずさんも里中夫人も忙しくて着信に気づかなかったら? きづいてもらえたとしても、木林公園にいることがわかってもらえなかったら? 全てわかってもらえても結局間に合わなかったら?

 いまだ激しい想念で頭はガンガンしてるし、引きずられるのも継続中。そんな時でも意外と冷静に考えられていることに我ながら驚きましたが、出てくるのは悲観的なことばかり。

 なんだかアホらしくなってきました。悲観したって状況が好転するわけじゃありません。

 だったら諦めずに最期まで抵抗したいと思います。ゆずさんもいつも執念深く諦めないですし。そうだ、ゆずさんを信じよう。

 というわけで折れずに徹底抗戦です。

 池の周りを取り囲む丸太を組み合わせてできた柵の下まできましたが、断続的に力を込めて抗います。もうこうなったらやれるところまでやる。そう覚悟を決めると、不思議と焦りや恐怖は薄れていきました。

 その僕の覚悟を、見ている人は見ていてくれたのかもしれません。

「厳命!」

 遠くの方から響いてきた、聞き違いようのない、あの人の声。信じる者は救われる、という文句は本当だったんですね。

 次の瞬間、進行方向であるつま先の方を真っ赤な光が焼けるような熱さを放ちながら横切ったかと思うと、引きずられていた動きがパタリと止みました。

 気づいたら、僕の体を拘束していた何本もの腕が消えています。全身の硬直も取れ、腕も足も自由に動かすことができました。このチャンスを逃す手はありません。

 急いで上体を起こします。倒された後さんざんぱら引きずりまわされたので、砂利道にこねくり回された背中がヒリヒリ痛みました。これだけ痛いということは、制服の背中はもうボロボロになっていることでしょう。

 痛みを堪えながら身を起こして立ち上がると、異様な光景が視界に飛び込んできました。

 そこら中に乱立する、地面から突き出た腕、腕、腕。

 そんな中、ぽっかりと僕の回りは空白地帯になっていました

 また、池まで後少しの水際で助かったことに気付きました。

 こうして命を長らえることができたのもあの人の、生い茂る草葉のように起立している腕の群れの向こうで肩を怒らせて仁王立ちしているゆずさんのおかげでした。あの人はメイド服のまま取るものもとりあえず駆け付けてくれたんです。

「清和・踊れ猛き焔、禍根を焼き尽くすまで」

 指結印を振りかざし、いつにも増して滑舌のよい声で月詠祓詞を高らかに詠み上げるゆずさん。

「灼熱輪舞・厳命!」

 結唱すると、鬼火のような炎があちらこちらで立ち上りました。

「うちのよし君によくも手を出してくれたわね。霊だろうがなんだろうが許さな

い!」

 他意はないんでしょうけど結構恥ずかしいことを事もなげに言ってのけるゆずさんが指結印を結んだ両腕をうち振るうと、炎が円を描くように地走り始めました。

 まるで大地を走る何匹もの蛇のように、縦横無尽に炎は地を這い腕を薙ぎ払っていきます。

 『一掃』と言う言葉がこれほど相応しいと思ったことはありません。

 ほとんどの腕を霧散させたゆずさんは、この異常な光景にまったく臆することなく悠然と僕のもとへと歩み寄って来ました。

「すみません、ゆずさん。せっかく忠告してくださったのに」

 どんな理由があっても、あれほど念を押されたにもかかわらず木林公園に立ち入り、ゆずさんに迷惑をかけたことは事実。素直に謝りました。

 するとゆずさんはかぶりを振って『気にしない』のリアクション。

「ああは言ったけど、こうなるんじゃないかってなんとなく感じてたから別にいいわよ。それより怪我は?」

「見た目ほど酷くはないです。背中がヒリヒリしてますがなんとか」

本当は結構痛かったのですが、我慢しました。一刻も早くここから立ち去るために。

 なぜなら――

「結構。ならとりあえず残りを蹴散らしてしまうわ」

 僕の配慮を一言で灰燼に帰してしまいそうになるゆずさん。

「ま、まってください! もういいですから早くここから出ましょう!」

「え、だってまだいるし」

「いいんですってば! とにかく行きましょう!」

 訝るゆずさんの背を無理矢理押して、腕が薙ぎ払われた空白地帯を縫うようにして小走りに進みました。

 幸いにも特に体を縛られることなく、木林公園の反対口までたどり着くことができたんです。

 それはよかったんです。よかったんですが、怖い顔になってらっしゃる方が一人。

 顔一面に『説明してくれるんでしょうね』という威嚇に近いメッセージを張り付かせてました。説明します、しますとも!

 ある意味どんな怪奇現象より怖いお方を納得させるべく、僕は今回の一件の真相を語り出しました。

 始めは僕も適当な自縛霊による心霊現象だと思ったんです。

 でも、無数の腕に掴まれ、彼らの想いが僕の中に流れ込んできた時、全てがわかったんです。

 この場所が心霊スポットと言われてきたのは、数々の心霊現象が起きていたからですが、自殺者がいたから、昔墓地だった、殺人事件が起きた等々、原因は特定されてませんでした。

 でも本当の原因は、遠い昔に起きた大災害が発端だったんです。

 江戸時代よりも前、この場所で水害が起きました。今でこそ治水工事で水はけは良くなりましたが、それでも一昔前までは大雨が降ると冠水したりしていたらしいです。

 それぐらい、この辺り一帯は水に悩まされてきた土地柄なんですが、その水害が起きた時、多くの人が水流に呑まれて亡くなっています。

 そう。悲惨な水死を余儀なくされた遠い昔の人々の苦痛や無念さと言った想いがいまだにこの場所に渦巻き、それが霊障となって具現化していたんです。

 なにより、遠い昔の今日、大いなる災厄が起きたのですから。

 古い古い悲劇のため、人々の記憶はもとより記録からも失われてしまっている過去。

 けれども、数百年経っても当時水害に遭い亡くなった人々の辛く苦しく悲しい激情なる想いは消えずに残っています。年に一度の命日ならば、その想いが頂点に達するというのも頷けるものです。

 ただ、もはや誰にも振り返られなくなってしまった今、行き場を失ってしまっている彼らの想いは生者に仇なす存在となってしまいました。僕も、彼らによって亡き者にされかけました。

 でも、彼らに訪れた壮絶な運命、苦痛と恐怖に満ちた最期の数々を感覚的に体感してしまった今、彼らを責める思いは到底湧いてきません。彼らも被害者なんです。

「だからあたしを止めたのね」

 試すような、確かめるような、真摯な面持ちで問いかけてきたゆずさんに対し、僕も居住まいを正して頷き応えました。

「結局わけありってことか。思い通りにはなかなかいかないわね。だからわけありって嫌いよ」

 拍子抜けしたという風に肩を落とし、ややむくれているゆずさん。

 ただ、そういう時は大概納得していたりします。

「まあいいわ。よし君に免じて、今日のところはこれぐらいにしておくか」

 ほら、納得しているからこそ、やっぱりさっくり流しちゃいました。

 もっとも、だからこそ彼らは救われたというわけで。

 それまで厳しい表情だったゆずさんも表情を崩しましたし、僕はホッと胸を撫で下ろし、そうで撫で下ろせませんでした。

「優しいよね、よし君て。あたしが同じ目に遭わされたら、どういう経緯があろうと無関係な他人を巻き込む奴はギタギタにのしちゃうのに」

 微笑みを浮かべながら、表情とは180度異なる物騒なことをおっしゃっていただきました。僕も笑みを浮かべかけていたんですが、思い切り引きつったのは言うまでもありません。ゆずさんを止めといてよかった……。

 かと思えば、心からの優しい笑顔を作ってくれて僕のことを送り出してくれます。

「とにかく。今日はもう帰んなさい」

 僕が木林公園に来てしまった経緯を少しも気にせず、おだやかでいてくれるゆずさん。

 そうなんですよね。

 怖いことを口にしたり、融通が利かなかったり、猫もかぶったり、大雑把で考えなしなところもあります。あ、別にゆずさんを貶しているわけではないですよ。

 確かにそういう面はあるんですけど、でも本当のゆずさんはとても懐が深く、正道の人だってことを言いたいんです。たとえ自分が傷ついても、困っている人を守る為なら我が身を顧みずに突き進む――それこそがゆずさん。

 だから僕は、ゆずさんのことを心から尊敬しています。

 ……実は初めて出会った時はゆずさんを利用することを考えていました。僕の恩人、サラ=トランスファー卿に会えるかもしれない手がかりを、ゆずさんが持っていると思ったからです。

 正直、今でもサラ卿には会いたいです。

 でも、ゆずさんを利用してまで会いたいとはもう思っていません。

 少しでもゆずさんの力になりたい――それが今の素直な気持ちです。

 こんなことゆずさんにはとても言えないですけどね。

 当のご本人は、僕のことを見送り終えたと看做したからか、何やら公園入口傍らの茂みにしゃがみ込んで何やらゴソゴソやっています。

「どうされたんですか?」

 覗き込むようにして問い掛けると、あれまだいたの? という表情でしゃがんだまま軽く振り返るゆずさん。

「明日、神城さんトコにここの件を相談するとして、それまで公園の中に人入れるわけにはいかないでしょ?」

 協力関係にある御代志神社の宮司に助力を仰ぐ旨をおっしゃってから『戴陽』と一言。月詠祓詞を詠み始められました。

 その手には髪留め用のゴムを使い、木の枝を組み合わせて作られた『人形ヒトガタ』が。以前、同じ物を見たことがあるんですけど、小さいながら人間に幻覚を見せたりする優れモノだったりします。

「汝、我が命あるまで防人となれ」

 立ち上がりつつ、魂を込めるかのように指結印を人形に押し当てています。

「式勅使令・厳命」

 結唱し、人形をヒョイと宙に放り投げました。

 すると、人形は地面に落ちて倒れるかと思いきや、なんと自立したのです。しかも器用に歩き出して、公園入口中央まで進むと進入路を向いて仁王立ちしていました。

 魔法みたいに凄い技を事も無げに駆使する手並みは何度見ても驚嘆するばかりです。霊感のある僕が言うのもなんですが、世の中にはこういう力を持つ人が本当に存在しているんですよねえ。

 人を寄せ付けない仕掛けをし終え、悠然と木林公園内へ戻っていくゆずさんの背中を、僕は感慨深く見送っていました。

 ん? 木林公園へと戻っていく?

「ちょ、ちょっとゆずさん! どこを通って行かれるんですか!?」

慌てて呼びかけると、足を止めて振り返りました。もちろん、そのお顔一面に怪訝な色を浮かべて。

「何?」

「何って、どこへ行かれるつもりですか!?」

「どこって、反対側の入口にも防人を設置してからそのまま帰るつもりなんだけど?」

 案の定、あれほどな目に遭わされた木林公園の中を通って行くつもりです、この人は。

「でも木林公園は――」

「ああ? 大丈夫よ、もう霊に手は出さないから」

 慌てて制止しようとしたんですが、壮大な勘違いをされているみたいです。

 ゆずさんが霊を倒さないのはもちろんわかっているんです。そうじゃなくて、倒さないなら倒さないで、霊に手出しできないゆずさんが危ない――

「あら、あたしを誰だと思ってるの?」

 僕が慌てているのを見て、理解されたからの一言でしょう。

 その一言――超然とした様子で見事におっしゃった一言に、僕は何も言えませんでした。

 愚問でした。この人はゆずさんなんです。他の誰でもない、桐羽柚葉さんなんです。

 魔を退け、妖を禁じ、霊を討つお方に対して心配を寄せることがどれほどおこがましいことか。

「ほんじゃね。気いつけて帰るのよ」

 軽く手を挙げ挨拶し、踵を返して颯爽と去っていくゆずさんを、僕は畏敬な眼差しで見送るばかりでした。

 メイド服での颯爽と、なのが若干違和感ありましたけど。

 そんなことを思ったからでしょうか。

 ゆずさんの足が止まり、こうおっしゃいました。

「あ、そうそう」

 半身だけ振り返ったその表情にはよからぬ企みを内包した不敵適な笑みがありありと浮かんでいました。

「聴こうと思ってからタイミング逃してそのまますっかり忘れてたけど、思い出した」

 唇の端をゆがめて。

「サラ=トランスファーって、誰?」

 今なんと?

 目が点になる僕。

「いや、だからサラ卿って誰よ、ねえ」

「な、ななななんでゆずさんが!?」

「え、だって自分で言ってたじゃない。寝言で」

 何かが僕のなかで崩れていきました。心辺りありまくりで唇の端がひきつります。

 というかこのおかしな展開をどう片付ければいいんでしょう。

 何を期待しているのか妙に嬉しそうな表情をしているメイドの姿をしたあの鬼みたいな人を誰かどうにかしてください。

 畏敬の念などあっさり明後日の方向にかなぐり捨て、僕はただただ脂汗を垂れ流す他ありませんでした。


 ― 了 ―


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