【第5話】ピンクのむし
エイチェル達が水色の家を出て、ピンクの家の方に視線を向けるのと、ピンクの家の住人が玄関ドアを開けたのは、ほぼ同時のタイミングだった。
「あ、なんだ新入生か!」
「は、はじめまして」
はじめて出会う北半球上級魔法学校の先輩に、おずおずと挨拶を返す。
「そっちの家は空き家なのに、何やら物音がすると思って気になったんだよ」
「わっ すみません」
「ごめんなさいうるさかったですか…」
「ははは、いや、私の耳が良いだけだから、気にしないでいいよ」
淡緋色のボブヘアのその女性は、なるほど長く尖った耳を持っている。
セリアルは、一軒家タイプなのにそんなに音が漏れてしまうのかと一瞬焦ったが、そういうわけではなさそうだ。
「家選び中かい? 懐かしいな~」
「はい。あの、先輩はこれからおでかけですか?」
「いや。ただ様子見に出てきただけだよ。こっちの家も見るかい? 私の家具がまだあるけどね」
「いいんですか!? 見たいです!!」
エイチェルの100点満点の笑顔と可愛いガッツポーズを見て、先輩もニコニコしながら手招きしてくれる。この笑顔を見て断れる人はほとんどいないんじゃないだろうか。得だなぁ。そんなことをセリアルは考えていた。
「なんだかあなたたち、この2軒の家がぴったりって感じの色合いしてるよねぇ」
えへへそうなんですよ、とエイチェルが答える。
「うん、ほんとに」
そう言いながら、先輩がセリアルの方をじっと見た。
「あの、どうされましたか?」
「前に水色の家に住んでた子と、髪の色が似てると思って。雰囲気とかは全然違う子だったけど、髪の色が本当にそっくり」
「そうなんですか」
「その子、勉強が嫌になって中退しちゃったんだけどさ、商人やってて時々学校の購買に入荷しに来るから、そのうち会うかもね」
「へぇ 楽しみです!」
ナマナマの絵を置いていった犯人は、一体どんな人なんだろう。せっかく入った北半球上級魔法学校を中退してしまうなんて、すごく勿体なく感じるが、色んな人生があるんだな、とセリアルは思った。
「そういえば自己紹介が遅れました。セリアル・フロストルイスです」
「あ、あー!! すみません忘れてました、エイチェル・セプターです」
セリアルが自己紹介したのを見て、慌ててエイチェルが付け加える。
「セリアルと、エイチェルね。私は5年生のジャクリーン・グレイス。よろしくね。
見ての通り、ドラゴン系の一族です」
先輩の背中には白くて大きなドラゴンの羽根があり、長くて艶やかな尾もある。深い緑色の瞳は宝石のように澄んでいて、凛とした佇まいと気さくな雰囲気が同居している。笑った時にちらりと見える、長めの犬歯も格好良い。
初めて出会った後輩が憧れてしまうのは、もはや必然かもしれない。
「まぁまぁそう硬くならず、見ていきな」
*
「ひゃあああああああ」
扉を開けると、先ほどの水色の家とは対照的に、ピンク~白系の壁紙でコーディネートされていた。
エイチェルが見て奇声を発しているのは、その色にだけではない。ところどころにあるアクセント壁紙の「柄」である。
「すごい~~ すごい生き物柄ばっかり~~」
「お、好きかい? 私の趣味で毎年少しずつ壁紙変えててこんな状態なんだけど、苦手な子が住むかもしれないから、出て行くにあたって無難なやつに戻すべきか迷ってたんだ」
「戻しちゃダメです!! ぜっったいダメです!!」
ボタニカル柄やウサギやリス等の小動物柄はまだ可愛い方で、虫柄の面、カタツムリ柄の面、ヤモリ柄の面なんかもある。一般にグロテスクとされ、苦手な人も多いそれらの柄までみんなピンクなものだから、妙に可愛らしいのである。
「あ あああ あああああ」
トイレを見せてもらったエイチェルの反応が異様である。セリアルものぞきに行ってみる。
「こ、これは・・・」
「ジャクリーンせんぱい、これは、まさか・・・」
少し変わったストライプ柄の壁紙がセリアルの目に入る。
ごくり、とエイチェルがのどを鳴らす。
「・・・条虫?」
「あたりー!!!」
条虫、つまりサナダムシのことである。
トイレの壁紙がサナダムシというこのセンスに普通ならドン引きなのだろうが、このピンクの髪をした乙女たちと言ったら本気で大喜びである。
「これ見て笑ってくれる子が住んでくれるなら私すっごく嬉しいんだけど!! ははは」
「住みます!! ここに住みます!!!」
「決定打がトイレなのかい? あははははは」
セリアルも決して生き物は嫌いな方ではないが、なかなかここまではのめり込めない。
北半球上級魔法学校の魔法生物学専攻の人たちは、みんな生き物が好き過ぎて変な人だと聞いたことがある。ジャクリーンもそうなのだろうか。
「ジャクリーン先輩は、専攻は何の教科なんですか?」
セリアルが聞いてみる。
「魔法生物学専攻で、魔法動物学教室の所属だよ」
まさしく。大当たりである。
噂は本当だった。
「寄生虫の研究をしているんですか?」
エイチェルも食い気味に質問する。
「んー、寄生虫調べていたこともあるけど、最終的には【種の定義】の研究だね」
かいつまんで話してくれたことによると、ジャクリーンのように「ドラゴン」という全く異なる生物の血を引く民族というのが魔法界には沢山いて、何をもって「種」を区別するべきか、そのラインと定義に関する研究なのだそうだ。
「まぁ話し始めると丸一日だって語れちゃうけど、今日はそんなに時間が無いもんね。
入学してからまた遊びにおいで」
「あれ、でも先輩は卒業しちゃうんじゃ…」
「あぁ、在学中に研究したかったことが全然調べ切れなかったから、研究生兼助手としてしばらく学校に残るんだよ」
「そうなんですね!! じゃあまた会えるんですね!!!」
エイチェルは本当に嬉しそうである。キラキラの目がこぼれ落ちそうだ。入学前からこんな運命の先輩に出会えるなんて、なんという幸運だろう。
「研究生用の寮はまた別にあるんだよ。学校の敷地内で、ここより広いんだ。そこなら研究用の資材ももっと持ち込める。
この家を離れるのは名残惜しいと思ってたけど、エイチェルみたいな後輩が住んでくれるならむしろ嬉しいよ」
寄生虫の話もまた今度してくれるという。
*
窓や扉の寸法が水色の家と同じことを確認させてもらったあと、ジャクリーンに礼を言って家を出た。
二人は薄く光る地図に従って入居手続きの呪文を入力する。
「お、緑に変わった」
「あぁ~ ここがこれから私の我が家~」
ここで、これから5年間。勉学に励みながら友と一緒に毎日を紡いでいくのだ。
「改めて、隣人、よろしくね」
「うん、今日は本当にありがとう。これからよろしくね。あ、そうだ」
エイチェルが腰に下げた圧縮ポシェットの中から何かを取り出して広げた。
「モビリン、持ってる?」
モビリンとは、魔法界で連絡を取り合うために使用される変形型携帯機器だ。持ち主の魔力に染まって色づき、持ち主にしか操作できないようになっている。いわば科学界でいうスマートフォンのようなもので、多機能で便利な品だ。顔が付いており、魔法をかけると変形することもできる。
「持ってるよ。連絡先の交換ね!!」
ピンク色のモビリンと水色のモビリンを近づけて設定すると、それぞれ手を伸ばして情報交換をした。
「ありがとう」
にっこりと笑うエイチェル。
「じゃあそろそろ帰ろうか。最寄りの転送駅は一緒だよね?」
「うん、北半球上級魔法学校前駅だよ。分かりやすい名前だよね」
今日はまだ3月。
北半球の春はもう、すぐ近くまで来ているが、夕暮れが見える頃になるとまだ肌寒い。しかし期待と興奮の混じった感情が、二人の胸の中を妙に暖かくしているのだった。
橙色に変わり始めた空を背に、二人は最寄りの転送駅まで一緒に歩いた。