【第4話】水色と空色と
「あれっ?」
今の今まで左側を歩いていたはずのエイチェルがいない。
Bホールを出てから一度Aホールのカウンター受付で鳥のフンの苦情を言い、すぐに目的の家に向かって歩き始めた。2人で一緒に。その時からまだ数分も経っていない。
後ろを振り返ってみると、3メートルほど後ろでエイチェルが地面にうずくまっているではないか。
「ちょっ!! エイチェル、大丈夫!?」
セリアルは急いで駆け寄る。
心臓が跳ねている。
「おぉー セリアル殿、いいところに! これを見るのです!!」
「へっ?」
殿??
焦っているセリアルとはまるで正反対の、好奇心の混じったのんきな声である。面食らいつつも覗き込んでみると、金色のキラキラした小さな粒が列をなしていた。アリである。
「シリカアリだね」
「さすがセリアル殿!! よく御存じで!!」
シリカアリは、シリカ、つまり珪石・石英系の鉱物を腹部にまとっているアリだ。特別珍しいアリではなく、民家の近くでも見かけることがある。普通種だが、鉱物がキラキラ光って綺麗っちゃ綺麗である。硬いものを身に着けて外敵から身を守っているとか聞いたことがあるが、セリアルはそれ以上詳しくは知らない。
「セリアル殿が今まで見てきたシリカアリは何色だったでしょうか!!」
「ちょうどそんな感じだよ。黄色っていうか金色っていうか、シトリンぽい色の」
「ほおおおおおお!!!」
大きな目をシリカアリよりもキラキラさせて、もう夢中、といった感じである。
脱線している。
これはエイチェルのちょっと残念な癖の1つなのだが、知り合ったばかりのセリアルは知る由もなかったのである。ようやく冷静さが戻ってきたセリアルは、こりゃあ目的を忘れて脱線しているな、と悟るのだった。
エイチェルのつややかな長い髪も、柔らかいピンクのマントも、地面に降り立ち砂を食べてしまっている。
「わたくしの故郷では紫色のシリカアリしか見たことがなくてですね!! 地域によるのか、はたまた食べ物によるのか、それとも別種? もしくは・・・」
まくしたてたあと、またアリ観察に戻って黙ってしまった。セリアルは紫のシリカアリは見たことが無かったので若干興味をそそられかけたが、今はそれよりもやることがある。
そして、大丈夫かこの子。
「・・・あの、エイチェル、悪いんだけど」
「んー?」
「家は?」
「・・・あ゛っ!!!!!!!」
そこからはエイチェルの平謝りのターンであった。
「いやもう、驚いたよ。いきなり倒れちゃったのかと思ったし」
「いやあああああ ごめんなさいごめんなさい・・・」
「まぁ、何事もなかったのは良かったけど」
「・・・殿とか言ってた?」
「うん言ってたよ」
みるみるうちに耳まで真っ赤になるエイチェル。
曰く、生き物とかに夢中になってしまった時の口癖なのだという。
「家族はこんな私にもう慣れっこなんだけど、いやー やってしまった。
これから大切な友達になりたいと思っている人の前で、会った当日にやってしまった~」
やらかした、やらかした、と連呼しながら謝るエイチェルに対してとても怒る気にはなれず、ちょっと脱力して笑ってしまうセリアル。この反応を見る限り、彼女にとってはよくあることのようだ。同級生であれば、どうせ近々バレていただろう。
「あの、変なやつだと思ったかもしれないけど、というか変なやつかもだけど!!
しかもさぞかし隣人になるのは不安だと思ってしまっただろうけど!!
でも、たぶんわりと比較的だいたい無害な方だとは思うので…」
一所懸命弁明しているが、悪気が無いというのは本当だと思う。脱線を目の当たりにした時、若干引いてしまったことは否定しないが、不思議とエイチェルに対して嫌な感じはしないのだ。
(まぁ、いっか)
きっと隣にいたら、にぎやかで面白い毎日が待ってるんだろう。そう思うことにして、セリアルは予定通りの目的地へ向かうことを提案する。
ぱあああああぁぁぁ
提案を聞くなり安心したのか、この花が咲いたような笑顔である。素直な気持ちが全部顔に出る。
だからか。
二人は再び、ピンクと水色の隣り合った家に向かって歩き始めた。
――――――
「あれだ!! セリアル見えてきたね!!」
学校から歩いてきた通りの左側。手前にピンク、奥に水色の家が見えてきた。
実際に学生都市内を歩いてみると、他にも黄色や緑やオレンジなどなど、多様な家が彩豊かに並んでおり、その中ではピンクと水色の家も特別派手には感じなかった。
異様なほどカラフルな街並みなのだけれど、1軒1軒の家の大きさが小さめなせいか、とてもメルヘンチックにまとまっているように思える。
「そういえば、鳥のフンで慌てちゃってBホールで家の間取りをまともに見てなかったんだけど、エイチェル覚えてる?」
「任せて! 覚えてる。というか、ほぼ同じ間取りで左右が逆って感じだったよ。
水色の家は今空き家のはずだから、ピンクの家はそれで推測すればいいのかなって」
「なるほど、さすがエイチェル殿」
「やっ も、もぉ~ やめてよ恥ずかしい~」
本当に恥ずかしそうにしていて、妙に微笑ましい。次にナチュラルな「殿」が聞けるのはいつだろうか。あまりからかうと聞けなくなりそうなので、気を付けなければ、とセリアルは思った。
水色の家の前で、校長から渡された薄く光る地図を広げる。家の前にいることを認識して、先ほどとは記述が少し変わっているようだ。
表示されている文字列が、ドアを開ける鍵の呪文になるようだ。
「J4HSNI3 だって」
「意味があるように見えないから、ランダム呪文なのかね。ドアに書けばいい?」
「うん、そうみたい」
呪文とは、意味のある文字列ばかりとは限らない。何事においても「鍵」の役割をする言葉や文字列のことを、この世界では呪文と呼んでいるのだ。鍵穴にぴったりと合う文字列がはまった時、呪文は発動する。
セリアルが呪文の文字列をドアに書きなぞると、かちゃり、と鍵の開く音がした。
高揚する気持ちと共に、セリアルがドアノブを回した。
「おわぁ、中も水色なんだね!!」
エイチェルの声も心なしか上ずっているように聞こえる。
壁の一部は水面の揺れのような模様や、雪の結晶模様の柄壁紙でアクセントが添えられている。全体的に白から水色でまとめられていて、さわやかな印象。
玄関で靴を脱ぐタイプの家なので、床面も綺麗だ。
セリアルは奥へと進んでいく。1階には、小さめだがちゃんと独立したバスルームとトイレがあり、キッチンもある。1階の間取りは1DKだ。寝室は2階になるのだろうか。
「エイチェル、私ちょっと2階を見てくるね!」
「うん!」
エイチェルは巻尺リボンを使って、早速窓の大きさを測っていた。巻尺リボンは、測りたい長さに伸縮してその長さを教えてくれる。柔らかいので曲面も難なく測れる上に、使わない時は丸まってビー玉サイズになってくれるという、優れもの製品だ。ちゃんと持ってきているなんて、意外と抜け目ない。
(私もあとで測らなくちゃ)
白い手すりを撫でながら、セリアルは2階へと上がっていった。
2階の広さはベッドを置いてももう少し余裕があり、クローゼットや勉強机が置ける感じだろうか。まさに寝室にぴったりなサイズで、日当たりも悪くない。掃出し窓の外はベランダになっているようだ。
4面ある壁のうちの1面は、紺色から深い青へのグラデーションで星空が描かれている。
ふと、壁にかかっている楕円形の絵が目に入った。
描かれているのは、空色をしたラクダの仲間だ。クレヨンのような強めのタッチで描かれたこの絵をどこかで見たことがあるような。なんだか懐かしい気持ちにさせられる。
セリアルは額を壁から外し、手に取って眺めてみる。
「ん、どうしたの?」
2階に上がってきたエイチェルも、絵を覗き込む。
「あ、ナマナマだね!!」
「うん、ナマナマ。前住んでた人が置いていったのかな?」
ラクダの種名はナマナマ。その空色の体は、開けた草原や砂漠で空に溶け込むための保護色になるのだという。水色を基調にしたこの家にはぴったりなカラーリングである。
「なんか、ここに飾ってあると、すごくしっくりくる感じがするなぁ」
額を壁に掛け直し、セリアルは改めて部屋を見渡した。
「ここたぶん寝室になるよね? 星空を眺めながら眠りにつくって、癒し効果が抜群な感じするね。全体的にすごく可愛いし、セリアルにも似合ってる!!」
「うん、結構気に入ったかな」
エイチェルが測り終えた数字を教えてくれるというので、セリアルはありがたくメモを取らせてもらう。カーテンは何色にしようかな。
「ピンクの家の方も、外からでいいからもうちょっと見たいな」
「いいよ。見に行こ!」
2人はまた白い手すりを撫でながら、階段を下りていった。