【第3話】マイホーム
Bホールに戻ってくると、まばらになった学生達が、フロアに広がった地図内を練り歩きながら吟味していた。
改めてエイチェルは天井を見上げる。霞んで見えるほど高い天井に、何かの鳥が飛び交っているのが見える。あの高い天井はだまし絵ではなく、実際に「ある」。心なしか風も吹いているようで、セミの翅を模したエイチェルのイヤリングが、耳元でこすれてカラカラと音を立てた。
「すっご…」
感嘆の声が聞こえて隣を見ると、水色の髪の彼女が足元を見ていた。足元もまた、底が見えないほど深いのだ。
「あの時はびっくりしてるだけでよく見られてなかったけど、まじまじ見るとこわいね」
エイチェルが言った。
「落ちないようになってるって、分かっててもなんか怖いわ… 入学案内パンフレットとかで写真は見てたけど、実物はやっぱり迫力が違うっていうか。たまらないねぇ…」
「わかる~。ゾクゾクするけど見入っちゃうね。家選びのために今は平面でしか使ってないけど、上下全体を使うようなイベントもあるのかなぁ…」
「よし、じゃあそろそろ家探し、行きますか!!」
「そうだ、見とれてる場合じゃなかった! 待ってろよ私のマイホーム!!」
先ほどはステア校長が説明をするために細道と浮島があったのだが、いつの間にか無くなっている。扉のすぐ目の前が、もう目に見えない透明の床なのだ。見えない床への信頼を胸に、二人は空中散歩への一歩を踏み出した。
「んーと、まずおさらいだな」
見えない床に描かれた地図の上に立つと、先ほど校長から配られた薄く光る紙を広げながら、セリアルが言った。目の前にはカラフルに彩られた学生都市の縮尺地図が、学校を中心として円形に広がっていて、1軒がだいたい50cm四方くらいで表示されている。
「青いところは入居中だから不可でしょ。
黄色が空き家。
赤は今月いっぱいは住んでるけど、空き家見込みだから選んでもよし、と」
「あと、緑はもう決まったところだね」
エイチェルも横から覗き込む。
「フム…、もういくつか緑のところあるね。1、2… 5か所か」
「ねぇ、セリアルは学校の近くと遠く、どっちがいい?」
「近く!!」
「あっはは、セリアル即答~!」
「えっ いや、決して怠け者というわけでは… でもやっぱり近くの方が便利そうというか…
じゃあエイチェルはどっちがいいと思うわけ?」
「近く!!」
「んだよ、エイチェルも即答じゃん!!」
さっき出会ったばかりに思えないな。
一緒に笑い合いながらエイチェルは思った。セリアルとは学校生活が終わってもずっと、一生の友達になれそう。いや、なる。一生の友達になるための友情を、これから自分の手で育てていくんだ。なんとなくそんなことを考えていた。
ぽとっ
すぐ目の前の足元に、何かが落ちてきた。
鳥のフンである。
「…ここ屋内だよね?」
「うん…」
ひきつった笑顔でセリアルが天井を見上げる。
「ホール内に鳥がいる意味とは…?」
「う、うーん? 街並みのリアルさを表現? とか?」
「…ぷっ」
少し考えて、セリアルが噴き出す。いきなりのセリアルの問いかけに対して、怪訝な顔をしながらも真剣に答えを考えているエイチェルがおかしい。
「なんだかよく分かんないけど、早めに決めちゃおうか。頭上に気を付けながらね」
二人が立ち去ったあと、見えない床に落ちた鳥のフンはゆっくりと沈み始め、そして遥か深く、床の底まで落ちて行った。無生物やゴミ等は、床が自動認識して清掃しているのだ。天井の方に見える鳥たちは、普段はあまり使われていないBホールを利用して、魔法動物学教室の学生達が生体調査のために飼育しているものなのだが、二人がそれを知ることになるのはもう少しあとになってからだ。
―――
コンコンコン
すぐ近くにあった黄色い区画の空中をセリアルがノックした。先ほど校長が実演して見せたように、目の前の空中に部屋の間取りが現れる。居間やキッチン、風呂場やクローゼットがコンパクトに収まった2階建ての間取りだ。
「うーん、間取りは確かに分かるんだけど、なんかこれじゃイメージ湧かない…」
通りの向かいにある黄色い区画もノックしてみる。配置や広さは先ほどの家とは違うがキッチンや風呂場など、あるものは大体同じようだ。
「あ、セリアルこれ見て」
とりあえず間取り図を眺めていたセリアルに、エイチェルが手元の光る地図を指さして示している。
「これ、外観も見られるみたいだよ」
ページをめくるように、エイチェルが空中の間取り図を右から左へなでると、家の外観図に切り替わった。現れたのは、屋根はチョコレート色で、壁がビビッドなオレンジ色の家だ。
「おおぅ… めっちゃオレンジ…」
「でもなんか可愛らしいね」
セリアルは一瞬派手でびっくりしたのだが、木目調の扉や円い小窓が付いていて、角が取れてどこも丸みをおびたデザイン。良く見ると確かにカワイイ。一人暮らしの学生用だから、家がコンパクトにまとまっているのも可愛く見える要因かもしれない。
「ねえ、ちょっと手分けして探さない? 良さそうなのあったら呼ぶからさ。内装はそこまで差が無さそうだし、まずは見た目かな?」
「わかった! できるだけ学校の近くでね!」
しばし別れ、エイチェルとは別方向に歩いてきたセリアル。黄色が二つ並んだところを見つけた。外観を確認すると、片方は白を基調としたシンプルで可愛らしい家、もう片方はレンガ色の落ち着いた感じの家だった。まぁ、無難で悪くはない。
(ふーむ)
セリアルは考えていた。
思わず隣同士で住める家を探してしまったけれど、ふと冷静になると、二人は今日出会ったばかりである。直感で気が合いそうと思ったものの、これから5年間の学生生活、ずっと隣でいられるだろうか。人間関係何があるか分からない。隣にいづらくならないだろうか。それならいっそ、隣は誰が入るか分からない場所にして、恨みっこなしの方が…。
そもそも、隣に住もうって言われてないのに、隣同士を見つけたよって言って引かれないだろうか。
セリアルは結構慎重な性格なのである。あること無いこと考え始めると、止まらない。そんな慎重な性格だからこそ入試で一番取ってしまうのであり、成績上位者の掲示板を見落とすようなことの方が、普段のセリアルからすると実は珍しい。
次は黄色・赤・黄色、と並んでいるところを見つけた。これなら… と家の外観を見ようとした時だった。
「セリアルー―――!!」
あからさまに嬉しそうな顔をしてエイチェルが駆け寄ってきた。
「セリアルいいの見つけた?」
「ん、んー 可もなく不可もなく…」
「じゃあこっち来て!!」
エイチェルに手を引かれて来たところは、黄色と赤、つまり空き家と、空き家見込みが隣同士で並んだ区画だった。
セリアルがうじうじ考えていたような(隣同士で大丈夫だろうか…)といった心配について、エイチェルは一切気にしている様子がない。無意識に隣同士を探していた自分と同じ気持ちだと分かり、少しほっとした。
「この2軒がね、とってもいいなって!!」
ノックで出てきた間取り図をスワイプして、外観を表示させるエイチェル。
「なんだか私達二人みたいじゃない?」
そう言うエイチェルの横顔には、興味があるものを見つけた時の純真な子供のような、熱を帯びた瞳が光っている。
表示された家は、薄いピンク色と水色の、並んだ2軒の家。そう、まるで、淡いピンク色の髪をもつエイチェルと、透き通った水色の髪をもつセリアルが並んで立っているようだった。
「おぉ…」
「どう? どう?」
「ほんと、私達が並んで立ってるみたい」
「でしょ? ねえ、実物見に行きたいんだけど、いいかな?」
「いいよ!! 行ってみよ!!」
ぽとっ
鳥のフンである。
今度は危うくセリアルの肩に落ちそうなほど近かった。
「…これ、頭上にもう1層透明な床作るとかできないのかね…?」
先ほどより更にひきつった笑顔でセリアルが言った。
エイチェルも苦笑いで同意する。
「それいいね、あとで先生に言っておこうね…」
さっさと出て行ってやるぞー! とセリアルが入口扉に向かって歩き出し、エイチェルもそれに続く。
「うわっ 鳥のフンがー!!」
「ひええぇ 大丈夫?」
可哀想に、直撃を受けてしまった学生の悲鳴が背後から聞こえる。本当、来年は対策した方がいいって…。いや、だめだ。来年では遅い。成績上位者が選び終わったあと他の入学生も見るわけだから、もっと早くだ。
鳥自体は降りてくる様子が無いので、何かネットのようなものは張ってあるのかもしれないが、こう何度もフンが落ちてきてしまってはたまらない。
抜けるような天井と深すぎて底が見えない床下に魅了されていたはずなのに、今は何とも言えない気分だ。なんて残念。ちょっと、感動を返して欲しいよな。
そんなことを考えながら、二人はBホールを後にした。