【第15話】百花の森
「ん、コレ美味しい!」
セリアルが、小鉢の煮物の感想を呟く。
柔らかく煮込まれた根菜。口に入れるとほろりと崩れ、染み込んだスープがじゅわっと溢れる。
「えー、いいな、明日もあったら私もそれ取ろうっと」
エイチェルがセリアルのおぼんを覗き込みながら言った。
北半球上級魔法学校の校内には、4つの学食がある。
2つはレストラン形式で、魔法界の郷土料理と、科学界の郷土料理、それぞれ得意分野が違う。本格的で美味しいと評判だ。
もう1つはバイキング形式で、好きなものを好きなだけ盛り付けられる。沢山食べたい学生には人気だ。
そして、今日の昼休み、エイチェルとセリアルがやってきた4つめの学食は、『クレヨン食堂』と呼ばれている。悪く言えばメニューに一貫性が無いが、良く言えば飽きにくい。日によって多種多様な食べ物が並ぶ。その中から、食べたいおかずを自分でおぼんに乗せていくスタイルだ。
クレヨンの名称は、そんな彩り豊かなバリエーションから付けられた、と建物の入口に説明書きがあった。そのクレヨンのイメージに合わせて、テーブルや椅子、建具等は、色とりどりでカラフル。食器のフチにも7色のラインが入っていて、ポップで元気が出る食堂である。
一番リーズナブルで利用する学生も多いので、席数も一番多い。
この他、学校を出た学生都市内にも飲食店が散在している。学食に飽きてきた学生達は、そちらまで足を運ぶことも多いようだ。
「他の学食も行ってみたいけど、クレヨン食堂に来ちゃうと、他のメニューが気になってまた来ちゃいそうだねぇ。あ、これも美味しいよ」
エイチェルが、鶏肉と青菜のソテーを頬張り、美味しさに顔を緩ませる。濃厚なバターの香りと控えめなスパイスの香りが、バランス良く絡んでいる。
「そうだね、毎日何かしら違うらしいから、一期一会な感じがしちゃうよね」
「あと、安い!」
「それね! 学生のこと分かってるよね!!」
お喋りしつつ、さっきから、セリアルには気になっていることがある。
「…エイチェル、早くない?」
「あ! あ、うん、つい」
エイチェルの皿が空になるスピードが、やたらと早いのだ。まず、そもそも一口が大きい。次から次へと料理が吸い込まれては消えていく。清々しい食いっぷりだ。
「お母さんにも、もっとゆっくり食べなさいって言われるんだけど、美味しいとついつい食が進むし…」
「進むし… なぁに?」
なんとなく予想は付くのだが、とりあえず聞いてみる。
「小さい頃からずっと、お昼休みはさっさと食べて虫捕りとか木登りとかして遊んでたから… 癖かな」
「あ~、やっぱり、そういう感じだと思った!」
「読まれたかー!」
まさかの早食い女子。
本当に、エイチェルは見た目に似合わない女の子である。でも、上品ぶって残すような食べ方よりも、美味しい美味しいと頬張る方が、見ていて気持ち良くて好きだな、とセリアルは思う。
「本当はセリアルみたいに綺麗な食べ方に憧れるんだけどな」
「え、そう?」
「うん、特に、魚を食べるのが綺麗な人って、超素敵だよ!」
セリアルの皿には、綺麗に身を取り除かれた焼き魚の骨と頭がある。食べる動きを見ていても無駄がなくて品が良く、とてもスムーズで気持ち良い。
「ありがと、そういえばうちの母さん、こういうの細かいんだよね。学校の先生してるからかなぁ」
「そうなんだ! お母さんの教えが、セリアルの中に染み込んでるのね」
あんまりそんなことを考えたことが無かったが、言われてみればそうかもしれない。
母一人子一人の二人暮らし。ずっと一緒だったから気がつかなかったけれど、離れてみて初めて、自分の中に根付いた母を感じることがあるんだな、とセリアルは思った。
「そういえば、魚と言えば、シンボルマーク!!」
「あ、そうだった、ちょっと待ってね」
先ほどの、三元素魔法学の講義が始まる前に話していたことを思い出した。セリアルの家系、フロストルイス家のシンボルマークが魚だという話だ。
モビリンに入っている画像を見つけてくる。
「ほら、これ」
濃いめのブルーの魚が真上から描かれている。大きな両胸鰭を蝶のように広げ、尾鰭もひらりと軽やかに広がったポーズだ。胸鰭と尾鰭の縁はほんのりとピンク色のグラデーションに色づいている。
「おぉ、これは… ガラスノコロモ?」
「うわ、デフォルメされてるのによく分かったね! さすがエイチェル博士」
「いや、たまたまだよ~。小さい頃よく読んでた図鑑に紹介されてて。生態が面白いんだよねぇ!」
エイチェルの瞳の輝きが増す。
「あれでしょ、身を守るために氷の鎧を纏うんだよね、その姿からガラスノコロモって種名が付けられたとか!! あと、繁殖シーズンには水中で氷の巣を作るんだよね!!」
「そうそう! まさにそれだよ」
ガラスノコロモは、生息域の限られる淡水魚である。セリアルの出身地、サミアッカ地方には普通にいるのだが、他の地域ではそんなに有名ではないと思う。
生き物好きのエイチェルが知っていてくれたのが嬉しい。
「うちの近くの湖にもいるんだよ」
「えーーー!! そうなの! いいな、本物は見たことないの!! いつか遊びに行かせてね!!」
「そうだね、いつか、長期休みとかかな、母さんに話しておくよ」
「よろしくお願いいたします!! そういえば、セリアルの肩のところのフリル、ガラスノコロモの鰭と同じなんだね」
「そう! うちの方だと、ガラスノコロモの鰭風フリルのついた服、わりと売ってるんだ。他にもいくつか持ってるよ」
「へー! 他の服も見るの、楽しみにしてるね」
「うん! あ、あとちょっとで食べ終わるから待ってね」
すっかり空っぽになったエイチェルの皿達を見て、セリアルが詫びる。エイチェルは、一度も口に物が入ったまま喋ったりしていない。なのに、あんなに喋りながらも皿が空になるのはどういうことだ。
「あぁ、気にしないでいいの! 私が早すぎるだけなんだから」
おなかいっぱいになって、満足げに笑う顔も可愛い。エイチェルのお母さんが、注意はするものの早食いをやめさせられない気持ちが、セリアルにも分かる気がした。
「そういえば、あれは? あの、くまごろう先生との手合わせがヤバいって呟いてたやつ」
「あぁ、あれね、あれはね」
ポシェットからティッシュを取り出し、口元を丁寧に拭きつつ、セリアルが続ける。
「バーナード先生、私がアクアフェンシング始めたきっかけの人なんだ」
「えっ! えーーー!! そうだったの!!」
あとはゴミになるだけのティッシュを几帳面に折り畳みながら、セリアルは、幼い頃に母と試合を見に行った話をした。
「今思えば、『ヤバい』とだけ聞いたら何事かと思うよね。まさかいきなり声をかけられるなんて思ってなくて、語彙力消失してたなぁ私」
「いやーそれはしょうがないでしょ! 私がその立場だったら、語彙力消失どころじゃ済まないと思う! うわ~、いいね! これからの授業を受けるのもわくわくするね!!」
自分のことのように興奮しながら、エイチェルが前のめり気味になる。
「なんか、一緒に喜んでくれるの嬉しいよ、ありがと」
「おうよ! まかせといて!!」
エイチェルは、左手をグーにして、自分の胸元をトンっと叩いた。
お昼ご飯が凄く美味しかったのは、きっと味だけのせいじゃなくて、エイチェルと食べたからかもしれない。こんな子と友達になったよって伝えたら、きっと母は喜んでくれるだろうな、とセリアルは思った。
*
午後の授業は飛行魔法学。空気魔法の中の1教科である。
1年生の前半は、基本的に座学のはずだが、指定された集合場所は『百花の森』の入口だった。
「なんで、ここ集合なんでしょうね…」
入口から森の中を覗き見しつつ、スペルがラスターに呟く。
「さぁ? 最初だから紹介じゃないの」
「空気魔法棟と結構離れてるのに… このあとぞろぞろ移動するなら、なんだか無駄な感じがしますけど。時間もかかるし…」
「飛行魔法学の授業なんだから、飛んで行くんじゃね?」
「嫌な予感がするのはそこですよ! 飛行道具を持参するように連絡があったじゃないですか。僕は絨毯しか持ってないんで、そうなったら置いて行かれます…」
「うーん、じゃあ、そん時は引っ張ってやるよ」
「頼みます…」
さっきからいちいち、スペルの語尾に覇気が無い。
「そんな高くないホウキも売ってるだろ。1本買っておけばいいのに」
「うーん… いや、僕には絨毯があるんで…」
「いやだから、普段は絨毯でいいけどさぁ」
「よし! みんな、揃ってるか!!」
集合場所に先生がやってきたので、皆が注目する。先生は一人だけのようだ。
「飛行魔法学教室の教員、クリフォード・チェイサーだ。みんな、よろしくな!」
飛行帽と、虹色にギラギラ光るゴーグルが、遠目にも目立つ。がっしりした体型で、スポーティーな印象の先生だ。
「早速だが、座学はやめだ! 午後の眠くなる時間に座学なんかやったって、うまく飛べるようにはならないからな!!」
スペルは目が点状態。想像していた『嫌な予感』より、更に嫌な予感がする。
「演習から入るぞ! 飛行魔法は習うより慣れろだからな!! 持ってない学生達も安心してな。貸し出し用のホウキはたんまりある!!」
クリフォード先生の元々細い目は、笑ってもっと見えなくなる。健康的に日焼けした肌に、歯だけが白く浮いて見えた。
「とまぁ、まずはこの森の紹介からだな。みんな、まだまともに中に入ったことはないだろう。最初にこの百花の森の鍵を配布するから、なくさないようにしてな」
クリフォード先生は、ブロンズ色で、3色の石が埋め込まれた鍵を、学生達に1つずつ配布した。持ち手のところには、紐を通せる穴が開いている。
「鍵って言っても、入る時よりむしろ出る時に重要なんだ。まぁ、中はモビリンも通じるし、迷っても何とかなるけど、鍵がある方がスムーズに移動できるからな。百花の森は、この学校最大の圧縮がかけられているから、見た目に反して、とんでもなく広いぞ!」
エイチェルは、うっかりやな自覚がある。なくしてしまいそうで怖いので、家の鍵と一緒にキーリングに付けて、急いでポシェットにしまった。
「色んな研究教室、色んな学生が、百花の森の中で演習や実験を行っているんだ。花はつまり、実りの前兆だ。学生達がみんな実りますように、って願いがこもった名前なんだな。みんなも近々、必ず世話になる場所だ。早く知って損はない! じゃあ、飛行魔法学の演習場へ行くから、遅れずについてくるように!!」
そう言うと、クリフォード先生は学生達にくるりと背を向け、森の中へ歩き出した。皆が慌ててあとに続く。
一気に飛んで行ってしまうかと思ってヒヤヒヤしながら見ていたスペルは、ほっと息を吐き、続いて歩き始めた。
「さぁ、ここが、俺達、飛行魔法学教室が普段使っている演習場になる」
拍子抜けするくらい、すぐに目的地に到着した。
森の中がぽっかりと大きく開けていて、草原のようになっている。通常であれば、こじんまりとした森の中に、とてもこんなスペースがあるようには思えないところだが、ホールや大講堂の大規模圧縮を見た後なので、まぁ納得できる。
ただの草原ではなく、倉庫のような小屋や、練習用と思われる器具や設備が、ぽつらぽつらと置かれていた。先輩とおぼしき学生が数人、飛行練習をしている。
「ははは、すぐ着いたんで驚いただろう。鍵のルート短縮機能を使ったからな。便利だろ?」
圧縮の凄さよりも、こちらにびっくりする学生の方が多かったようだ。
感覚としては、振り返ったらまだ入口が見えると思うくらいしか歩いていない。しかし、エイチェルが元来た道を振り返っても、あるのは延々と続く、深い深い森であった。
「た… 確かにこれは迷子が怖いね…」
「え? あ、うわー、本当だ」
エイチェルに言われて振り返ったセリアルも、重なり合う木々を見て同意する。森の中は連続していて、転送されたような感覚は無かったのに、いつの間にか転送されていたわけだ。
そんな二人の目の前を、小さな虫がふいっと横切った。もちろんエイチェルは見逃さない。
「あ! 今、なんかハナアブいた!!」
「あ! 待って!」
エイチェルがハナアブを追いかけてしまうと思ったセリアルは、慌ててエイチェルの手首を掴んだ。しかし、エイチェルは走り出さず、立ち止まったままであった。
「ありがと、セリアル。でもさすがに迷子が怖くて理性が働いちゃった」
えへへ、と照れ臭そうに笑うエイチェルを見て、セリアルがほっとして手を放した… のも束の間、今度は足元にシリカアリを見つけてしゃがんでしまった。
全く、期待を裏切らないんだから。エイチェルを立ち上がらせようと、セリアルも少しかがむ。
「こんな、圧縮がかかった森にも、生き物沢山いるんだね」
エイチェルがしみじみと言った。対象が既に観察済みのシリカアリだからかもしれないが、我を忘れているわけではなさそうだ。
「そういえば、そうだね」
「魔法動物学でこの森を使う授業はいつかなぁ。楽しみだなぁ…」
心底嬉しそうに蟻を眺めているので、ちょっと心が痛むが、セリアルは「気を抜いてると、置いて行かれて迷子になっちゃうよ」と脅して、エイチェルを立たせた。
ニッコニコのクリフォード先生が、陽気に叫ぶ。
「よし、では早速だが、今日みんなにやってもらうのは、ホウキのクイックライドだ!!」
クイックライド。
その名の通り、急いで乗ることである。
せっかく飛行道具を持っていても、どこかから落ちそうになった時に、瞬時に起動して乗れなければ、落下事故になってしまう。そうならないために、瞬時に起動する訓練をする、ということだ。
訓練すると言えば聞こえが良いが、クリフォード先生の指差す先には、スペルにとって、非常に嫌な予感がする設備が見える。
その設備とは、プールへの飛び込み台によく似たやつ、である。
「じゃあ、あそこから飛び降りて、下に着く前にホウキに乗って飛び立つ練習だ!! 距離は20mもあるから余裕だぞ。安心してな!!」
何が安心なのかわからない。下、ってつまり、地面である。
スペルは目が点を通り越して、目玉が落ちるかと思った。そんなスペルの表情を見て、ラスターが声をかける。
「なんだ、高いところが苦手だから、安定した絨毯がいいとか、そういうやつなの?」
「別に苦手じゃないですけど」
ラスターは、つまり苦手なんだな、と思ったが、それ以上詮索するのはやめた。