【第14話】透明な剣
「何リットルにす~る?」
オンディーヌ先生が、講義室前方をステージ仕様に変形させながら、セリアルに聞く。
「10でお願いします」
「10! いいねェ! 派手になるぜ!!」
バーナード先生は、ウキウキとストレッチ運動をしているが、その動きだけで、吹っ飛ばされそうな威圧感がある。本当、くまちゃんの可愛い帽子が不釣り合いだ。
オンディーヌ先生は天井へ手を伸ばし、手早く水をバケツへ移すと、セリアルに手渡した。
「はい、10リットル。重たいわ~よ。ハンドルボトルは?」
「あ、持ってます」
セリアルはポシェットから、エメラルドグリーンのハンドルボトルを取り出した。ハンドルボトルとは、競技中に持ち手として使用する部分のことだ。
ボトルに入るだけの少量でもアクアフェンシングは可能だが、通常試合の際は、3リットルや5リットル等、決められた水の量を使って行う。バケツから、持ち手の先へ吸い上げて利用することになる。
水の量が増えるほど見栄えもするし、打撃力も増すが、そのぶん当然重く、コントロールにも労力がかかる。そのため、女子選手は通常5リットル程度で試合することが多い。10リットル使うのは、かなり多い方である。
男子選手の場合は、15リットルや、時には30リットルなんてこともある。体格の大きなバーナード先生には10リットルじゃ少ないと思うが、そこは合わせてもらう。
「よォーしみんな! これからアクアフェンシングのデモをやるぞォ! 身近なところ、どこにでもある水ってものが、コントロールすることでどんな可能性を秘めるか、よく見とけェ!」
エイチェルは、講義室前方に立つセリアルを見つめる。
セリアルは女子にしてはかなり背が高いが、バーナード先生と並ぶとまるで小さな子供のようである。体格があんなに違う人同士の試合は、エイチェルはこれまで見たことがなかった。
なにより、席を立つ時にセリアルが呟いた「あの先生との手合わせはヤバい」が気になる。まぁ、確かに見るからにヤバいけど。
若干緊張した面持ちのセリアルに、バーナード先生が声をかける。
「そんなに緊張すんな! 本当の試合じゃねェんだから。ま、オレは楽しみたいけどなァ!」
「…わかりました」
両者、バケツの水を吸い上げ、ハンドルボトルから伸びる剣の形を取る。
セリアルの背筋が、すっ と伸びた。
「ルールを確認しま~しょ。ステージ上の円から出るか、水を使い切ったら負け。相手の水を奪うのは、今回は無しにしよう~ね。5分経過しても勝敗がつかなければ、残った水の量と、テクニカル・エレガンスポイントの合算で勝敗を決めます。これでいい~ね」
「いいぜ!」
「はい」
「実況は、私がやるわ~ね。では、位置について… よ~い…」
両者、ぐっと姿勢を低くして構える。講義室中の視線が集中し、ピンと張ったピアノ線のように、ピリピリとした空気で満たされていく。
「スプラ~ッシュ!!」
「先に動いていいぜェ」
「では」
セリアルは低い姿勢のまま、目にも止まらぬ速さで駆け寄ってバーナード先生の後ろに回り込むと、一気に高くジャンプ。そこで水の剣を一振りし、バーナード先生の頭をかすめた。遠心力で水の剣がプツプツとちぎれ、弧を描きながら真珠のネックレスのように連なると、また元通り、剣の形になった。
ポサッ
くまちゃんの可愛い帽子が床に落ちた。
「は… 早いぞ~!! なんとなんとなんと!! 一瞬にしてくまちゃん帽子が無残にも地面に!! そして美しい真珠の軌跡! テクニカル・エレガンスポイント2点加算です!」
オンディーヌ先生の興奮気味の実況に合わせて、学生達、特に女子学生達の黄色い歓声があがった。エイチェルも負けじとエールを叫ぶが、かき消されるほどである。
いつまでもバーナード先生の近くにいては、振り払われる隙を生む。セリアルは、また素早く身を翻すと間合いを取り、構えの姿勢を取った。
セリアルの頭の中では脳細胞がフル回転し、いくつものパターンを計算機のように算出していく。
これは試合じゃないのだから、そんなにむきになる必要はない。けれども、セリアル自身、こういう場所に立つとスイッチが入ってしまうのは染み付いた習慣だし、さっき、バーナード先生は「楽しみたい」と言った。ならばできる限りのパフォーマンスをして答えたい。だって、この先生は…
「あーん、オレのくまちゃん帽子、やったなァ~! これがないと学生に怖がられるじゃねェかよォ!」
バーナード先生は帽子を拾うと、また丁寧に被り直した。隙だらけの動きをしているようで、どうにも隙が無い。
「いい動きだ。先生を楽しませようって思ってくれてる、そんな気概を感じるぜ! いいやつだなァ!」
あの帽子、わざわざ被り直すんだ… と、多くの見物する学生達が思った瞬間、今度は先生が動いた。
ばしゃあああああああ!!
右手で一振り。竜のようにうねる水が、セリアルに襲いかかる。セリアルは、自分の水で防御するが、腕がビリビリと痺れる衝撃だ。10リットルがこんなに重い一撃だなんて、チートかと思う。
「ああああ! バーナード選手、大人げな~い! 実に大人げない威力でセリアル選手に反撃~です!! 真っ向からぶつかりに行きました!!」
ちなみに、アクアフェンシングに使う手持ちの水は、分子の隙間という隙間に魔力を行き渡らせて操作しているため、通常はぶつかっても双方の水が混じり合うことはない。
お互いの水を奪い合ってOKというルールの試合もあるが、特殊な呪文を必要とする。それはそれで駆け引きが多様で、見ている方は面白いのだが、選手はかなり消耗する。
幸い、今のルールは奪い合い無しだ。ただ、衝撃に怯むと水から魔力が抜けてしまう。
ぱたたっ
セリアルの剣から一部魔力が抜けて、制御を逃れた水が滴り落ちた。
何とか5分間逃げ延びても、これが続けば最後の水量カウントで負けることになる。どう見てもパワー的に上位の先生に対して、水の剣を消耗させるのはかなり厳しいと思う。ぶつかり合い以外の戦法が必須だ。
そもそも、勝つなんておこがましいことなのだが、それでも奮闘はしたいのだ。
「おっと、隙ありィ!」
いつの間にかセリアルの背後にバーナード先生がいる。あの巨体がどうやってそんなに素早く動くのだ。
パサッ
振り向く間もなく、今度はセリアルの帽子が地面に落ちた。
バーナード先生が振った水の剣は、土星の輪のようにまるく平たいしぶきをあげた。照明が当たってキラキラと煌めく。屋外だったらきっと、虹になっていたと思う。
そして、1滴もこぼれることなく集まり、再び剣の形になっていく。
セリアルは急いで帽子を拾うと、圧縮ポシェットに突っ込んだ。ゆっくり被り直している暇はない。身を翻して間合いを取る。
「帽子を取られたから帽子を取り返~す、いや実に大人げない~です、バーナード選手!」
「おいオンちゃん、もうちょい実況で褒めてくれよォ!」
「おっと、忘れてた、素敵な水の軌跡でした~ね、テクニカル・エレガンスポイント2点加算です!」
アクアフェンシングの勝敗には、水をこぼさないことと、あともう1つ。「テクニカル・エレガンスポイント」を稼ぐ方法も関係する。
これは芸術点のようなもので、ジャンプをした状態での太刀振りや、水しぶきを利用した剣の軌跡など、大まかに何をしたら何点、というのは決まっている。単純に言うと「綺麗でかっこよくて難しいと、高得点が入るもの」と考えてよい。
中には曖昧な部分もあり、公式試合の判定では揉める一番の理由になっていたりする。
水の損失なく大技を決めるには、コントロールする精神力と体力が必要だ。選手達は各々、限られた時間の中でこのテクニカル・エレガンスポイントを稼ぎながら動く。
考えながらも、バーナード先生からの水の打撃が飛んでくる。必死でかわすが、全部は防ぎきれない。
ただ逃げ回っていても、怯んだ瞬間に水をこぼしてしまう。ならばどんどん加点を稼いで食い下がるしかない。
セリアルはすっとつま先で立って、長い脚をクロスさせると、水の剣を2本のリボン状に変形させた。
集中。
どこに次の一撃が飛んでくるか、よく読んで。
心の中で自分に声をかける。
そこだ。
隙間を縫って、セリアルはバーナード先生の目の前まで一気に駆け寄る。たなびく水のリボンが、絡み合う螺旋となり、華やかな軌跡を描いた。
間合いに入った瞬間、水のリボンを鞭のように振り下ろす。
「ヤアー―――!!!!」
バチィン!!
すんでのところでバーナード先生の剣に弾かれ、水がぶつかる音が講義室に響いた。
「おぉおおお!! 華やかな大技、セリアル選手のリボンワークです!! テクニカル・エレガンスポイント5点加算!!」
「あっぶねェ! やるな… うぉわ!!!!」
パァン!!
また、水のぶつかる音だ。
セリアルは猛攻の手を止めない。退く時や移動の時に、水しぶきやリボン、バブル、リング等の加点技をいちいち仕込み、駆け寄っては打撃の繰り返しだ。
セリアルが連続打撃に切り替えたので、バーナード先生もそれに応じる。剣と剣が頻繁にぶつかり合う、いわゆる「チャンバラ状態」になった。
先生も点稼ぎに余念がない。加点技のレパートリーも格段に多く、間近で見る細やかなコントロールに、セリアルは高揚していた。無意識のうちに、口元に笑みがこぼれた。
連発する加点技の数々に、実況のオンディーヌ先生は早口になり、大興奮状態だ。スカートのタコ足が軽やかに踊る。
目で見て鮮やかな水の軌跡に、見物の学生達も次々に歓声を上げていた。
剣でぶつかり合いながら、バーナード先生が口を開いた。
「そういやァ、『セリアル選手』って聞いたことあるよなァ」
「本当ですか?」
「サミアッカ地方の試合に出てたことあるだろ。うちの教室に、確か君に負けたって学生がいたぜェ」
「光栄です」
先生は長文で話しても息切れしない。動きも全くぶれないのは、さすがとしか言い様がない。
「私も先生の、選手時代を、知っています」
セリアルがまだ、3つか4つくらいだった頃、近くの競技場でアクアフェンシングの試合があるからと、母に連れられて見に行ったことがある。たまたま、本当にたまたま、その日、その競技場で試合に参加していたのが、選手時代のバーナード先生であった。実は元々アクアフェンシング・ダンスの選手なのだが、これまたたまたま、その日はアクアフェンシングの試合に参加していた。両競技は共通する部分も多いため、こんな風に両方とも問題なく試合ができる選手は、まぁ時々いる。
圧倒的なパワーと細やかなコントロールで、相手を完膚なきまでに負かしたバーナード先生の姿は、セリアルの脳裏に焼き付いて離れなかった。帰宅後、試合の録画を入手して、穴が開くほど動きを観察した。
そして、私もアクアフェンシングやりたい、と言い出すのに、それほど時間はかからなかった。
幼きセリアルに強烈なインパクトを与えたバーナード先生だったが、もう20代後半であり、選手としては高齢の部類になっていた。その後、若手がどんどん活躍するようになった上に、肩の故障も重なり、残念ながら成績は泣かず飛ばずに。第一線から退いたあと、どうしているのかセリアルはずっと気になっていた。
選手とは全然違う、教員という道を選んだことを知ったのは、わりと最近になってからのことだった。
選手を引退してすぐに教員になったようなので、先生歴としては10年くらいか。
「ほぉ!! どうりでオレの動きを結構見切ってくると思ったぜェ!」
「いえ、全然、まだまだです」
「じゃあ、見切られない最近の技をやるかな!! 君なら受けても大丈夫そうだァ!」
そう言うと、バーナード先生は水を全部まとめて球にしたかと思うと、おもむろにこう言った。
「オンちゃんの真似っこ、キャノン砲だァ!」
それって、もはやフェンシングじゃないじゃん! 声に出して突っ込む暇もなく、セリアルは飛んで来た水のアタックをもろにくらう。
ぶつかったあとに弾けた水しぶきは、視界いっぱいにキラキラに広がったあと、螺旋を描いてまたバーナード先生の手元へ戻っていった。
「あぁーっと!! これは私の水鉄砲のパク~り!! キャノン砲です!! 威力の強さと戻ってい~く軌跡の美しさが魅力の大技!! テクニカル・エレガンスポイント7点!!」
「パクりって言い方、感じ悪ィなァ! 真似っこ、って可愛く言えよォ!」
防いだけど、防ぎきれない。ぐっと堪えても、セリアルの手元からぱたぱたと水がこぼれた。腕がビリビリ痺れる。
はっとして足元を見ると、円からはみ出すまであと半歩ほどしか残っていない。この場所で次の打撃を受けたら確実に円から出される。移動しないと。次の一撃が来る前に。
ビーーーーーー!!!!
オンディーヌ先生がホイッスルを鳴らした。
「はい、5分!! 試合終了で~す」
セリアルはほっとして、ふぅ、と息を吐いた。
それと同時に、講義室中に同級生達の拍手と歓声が飛び交った。特に女子学生達の黄色い歓声が、華やかに響き渡る。セリアルは試合に夢中になっていて忘れかけていたが、そういえば授業中だった。
自分が元いた席へ目をやると、エイチェルがとびきりの笑顔で手を振っていた。セリアルも小さく手を振り返す。
オンディーヌ先生が、手元に残った水を計量し、ポイントと合わせて判定する。
スタート時点で所持していた水は、両者とも10リットル。
セリアルの水は残り6.9リットルだったが、バーナード先生は9.8リットルだった。ほとんどこぼしていない。テクニカル・エレガンスポイントの加点も残念ながら追い付かず、セリアルの完敗。
でも、かなり食い下がって健闘したと思う。自分がこの競技を始めたきっかけの選手と、全力で手合わせできた。後で母に話そう、とセリアルは思った。
セリアルの負け、と判定されると、講義室の一部からはブーイングが起こった。
「あー、オレちょっとショックだなァ、オレだってかっこよかっただろォ!」
「い~や、くまちゃん先生、だって大人げなかった~もん。最後の方はちょっとむきになってたでしょう」
「だははは!! まぁ、そうだなァ! すまんな!」
「いえ…」
負けはしたけれど、あのバーナード選手が、少しでもむきになってしまったのなら、セリアルにとって御の字であった。なにより、選手をやめても、アクアフェンシングが大好きなままだとわかったことが嬉しかった。
悲しい顔にはなりようがなかった。
「オレのわがままに付き合わせて悪かったなァ! セリアル、君は良い選手だ! こんなところで普通に進学してていいのかァ?」
ニコニコしながら、バーナード先生がセリアルに問いかけた。
「…はい。アクアフェンシングも好きだけど、もっと、学問としても、水魔法や氷雪魔法のことを知りたいので」
「わかる! わかるぜェ!」
頭をブンブン大きく振って、バーナード先生がうなずいて、くまちゃん帽子がふっ飛んだ。
「おっと、いけねェ!」
あわてて帽子を拾うと、また丁寧に被り直した。目を見開いたままの怖い顔で、ニカッと笑う。
「これからもよろしくな!」
「はい!」
「は~い、お二人とも、お疲れ様でした! んじゃ~残りの時間、また教科書に戻るわ~よ!!」
「ありがとうございました!」
セリアルとバーナード先生は、向かい合ってぺこりとお辞儀をして、セリアルは自分の元いた席へ向かった。
浮わついた空気はまだまだ講義室に残ったまま。授業前半の水分子の話の間は退屈そうにしていた学生も、間近で水魔法の動きと煌びやかさを目にして、俄然やる気が出ているようである。
「セリアル、おかえり!」
「んあー、緊張したよぉ」
セリアルはエイチェルの隣に腰かける。自分でも緊張していたことを忘れていたが、エイチェルのキラキラした大きな目と「おかえり」を聞いたら、弱音が出てしまった。
そういえば、このやり取りは2回目だ、と思う。前回は、入学セレモニーの後だった。
「えっ、そうなの? 全然見えないけど」
「やってる時は必死なんだけど、安心したら急に自覚するっていうかね」
5分間の全力運動で、セリアルは少しだけ汗ばんでいるが、あまり息が上がっているように見えない。
相変わらず笑顔が爽やかだ。
「しかし素敵だった~ あんなに変幻自在でキラキラで… 試合をこんなに間近で見るの、実は初めてだったんだけど、うっとりしちゃうよ」
「そ、そう?」
「うん、これじゃ、私以外にもファンが増えちゃうなぁ~」
「あはは、どうだか」
まっすぐ目を見ながら褒めてくるエイチェルの顔を見ていられなくなって、セリアルは講義室前方へ視線を逸らした。
横顔だと、すっと通った上品な鼻筋や、長めの睫毛が良くわかる。
「セリアルって…」
「んー?」
「可愛いね」
「えっ! いや、いやいやいやいや、そんなことないでしょ」
既に照れていたセリアルが、更に照れる様子を見て、エイチェルは満足そうに言う。
「うん、そういうところが特に!!」
「可愛いの形容詞が似合うのはエイチェルの方でしょう」
「えっ、何言ってるの、私を形容するなら『ワイルドうっかりや』とか、そういうのだよ!」
「ぶふっ、なにそれ!」
セリアルは、エイチェルは可愛いと思う。女の子らしい顔に、さらに人懐こい表情が乗っているし、背格好も女の子らしくて、正直羨ましい。
でも確かに、知っていくと中身は「ワイルドうっかりや」かもしれない。生き物を追いかけて、何でもワイルドなことをしでかしそうである。泥だらけもお構い無し。
「じゃあ、可愛いワイルドうっかりや、ね」
「うーん、まぁそれでもいいですけどぉー」
肯定してるのかしていないのか、微妙な反応ではあるが、全否定しないのが妙に感じ良い。
この塩梅もなかなか真似できないので、セリアルは羨ましいと思う。
「あ、ほらほら、手が止まってます~よ」
見回りしていたオンディーヌ先生が、優しく注意する。
「あっ すみません」
「水鉄砲は勘弁してください!!」
そう言って、高速で裏返したマントを頭巾のように頭にかぶったエイチェルを見て、オンディーヌ先生は笑い出す。
「あはは、これくらいじゃぶっぱなさないわ~よ!! まぁ、小さい水鉄砲も持ってるから、お望みならやるけど~ね」
早打ちガンマンのように、目に見えない速さで手のひらに収まるサイズの水鉄砲を取り出し、オンディーヌ先生は構えるポーズをした。
よく見ると、オンディーヌ先生の瞳孔は、タコの眼みたいに横長だ。
「お、お望みじゃないですー!!」
「あはは、冗談です~よ! さあ、演習に戻った戻った!!」
オンディーヌ先生は、さっさと水鉄砲をしまうと、また歩き出した。
*
さっきから、苦々しい顔で授業を受けている男がいる。
スペルである。
ラスターが見ている限り、教科書に出てくる呪文と操作はほぼ完璧だ。さっき、通りがかりのオンディーヌ先生にも褒められていた。
それなのに苦々しい顔をしている原因は、言わずもがな、セリアルの大活躍である。
席に戻っていくのを見届けたので、今はセリアル達がどこに座っているのか分かる。そうなると、どうしても視界に入って気になるらしい。
セリアルは、勝敗としては負けていたが、相手は先生だ。しかも、通常試合をする体格差ではない。そんなハンデを抱えた状態で、5分間粘り続けて奮闘し、皆を熱狂させるパフォーマンスを成し遂げた。それが簡単ではないことは、嫌でも分かった。あれだけ活躍して優等生ぶりを知らしめておきながら、無駄話を注意されている。気にくわない。とにかく色々と、気にくわない。
…といった感じで、イライラしているのが全然隠せていない。スペルは正直者である。
「なんだよ、さっきからピリピリして感じ悪いなぁ」
「ほっといてください」
「そんなに悔しかったら、スペルも前に出て何かやってくれば?」
「べ、別に悔しいとかそんなんじゃないですけど! それに…」
「それに?」
「僕は、運動はからきしダメなので… 」
そこは負けを認めざるを得ないらしいが、これを口に出したら、余計に悔しくなったらしい。セリアルのいる方を睨んでいる。
「どうでもいいけどさ、あんまり見てると好きになっちゃうぞ、な~んて…」
「はい?! バカも休み休み言ってください!!」
「あー怒るな怒るな! 冗談だってば。それに大声出すとお前も注意されるぜ」
「う…」
好きになっちゃうぞ、は冗談にしても、確かにセリアルの方ばかり見ていたことに気づき、スペルは視線を手元に移した。
相変わらず面倒臭いやつである。負けず嫌いも大変なもんだ。
「では、今日の授業はここま~で」
オンディーヌ先生が、終わりの挨拶を始めた。
「私はまだ子供が小さくて、4時に早上がりしてしまうので、それ以降質問がある学生は、くま『ごろう』先生に聞いて~ね。一応氷雪魔法の教員だけど、水のこともよく分かってるから~ね」
「おう、いつでもいいぜ! 待ってるからなァ!」
「くまごろう先生」のフレーズを聞いて、スペルが少しだけニヤッとした。ラスターにとっては恥ずかしいフレーズなのだが、スペルのイライラが誤魔化せるなら、まぁいいか、と思った。
次は昼休み。そういえばお腹も空いている。空腹もイライラには良くない。
「んじゃ、混む前にさっさと学食行くぞ!」
スペルの肩をぽん、と叩き、ラスターは立ち上がった。