【第13話】水のエレメント
次の授業は三元素魔法学。場所は水魔法学教室付属の講義室だ。
天井は水の層で覆われていて、水面がゆらいでいる。水面越しに見える照明がキラキラして心地よい。かすかな水音が耳に優しく、水槽の中の魚になった気分になる、不思議な講義室だ。
セリアルが天井を見上げる。
「あー、いいなぁこれ。うちの天井もこれにしたい」
「綺麗だねぇ、セリアルの家にすっごく似合いそう!」
エイチェルも同意する。
「セリアルはさ、やっぱり水魔法が好きなの? アクアフェンシングやってるし」
「うん、そうだね、うちの家系は水魔法に縁があって、シンボルマークも魚なんだよ」
「さかな!! え、どういうマークなの?!」
「えっとね、確か画像が…」
「はーい! 皆さん席に~ついて~!!」
セリアルがモビリンに入っている画像を見つける前に、先生が来てしまった。
「またあとでね」
「うん!」
講義室にやってきた先生は4人。
真ん中に立つ女の先生が、1歩前に出た。華やかなルビー色の髪も特徴的だが、それ以上に目を引くものがある。それはタコの足がついたスカートで、うねうねと絶え間なく動き、ひらひらと吸盤が見え隠れする。
「新入生の皆さんこ~んにちは! これからの授業は『三元素魔法学』です!」
明るい声だけれど、ふらりふらりと水に揺れているような、時々不思議なイントネーションの混じる話し方だ。
「魔法の三元素とは、水・炎・雷のことを指しています。今日はそれぞれ~の研究教室から先生が来ているから、まずは紹介するわ~ね!」
先生は、きょろりとした丸い目で教室を見渡す。
「まずはわたくし。水魔法学を担当している、オンディーヌ・オクタビアンです。水の操作と分子の研究をしています。趣味は水鉄砲開発で~す。オンディーヌ先生って呼んでね! ではお次はこち~ら!」
ぬるりと横に移動し、一番右に立つ先生へ手を伸ばす。
その先生は、ものすごい大男。身長2mはあるんじゃないだろうか。体格もいかついし、三白眼で目付きも悪い。それだけなら怖い先生なのだが、白くてフワフワしたアンバランスな被り物が、嫌でも目に付く。
「この、可愛~いくまちゃん帽子をかぶった人は、バーナード・ボリス先生! 水魔法の親戚! 氷雪魔法学を担当しています。氷の使い手な~のに、性格は極めて暑苦しくて、暑苦しく、暑苦しいので、みんなギャップに気をつけて~ね!」
「おう! バーナード先生だぞ、みんな、よろしくなァ!」
声も低くてドスがきいているが、オンディーヌ先生の全然褒めてない紹介も、特に否定せずに笑っている。
「くまおとこ先生~って呼んでも、振り向くよ~ね?」
「おう! 振り向くぞォ!」
目を見開いたまま満面の笑みを浮かべるので、かなり顔が怖い。怖いが、くまちゃん帽子のくまおとこ先生、と思うと笑ってしまう学生の方が多い。無事に学生達にウケたので、バーナード先生は満足げだ。
先生達を見つめるセリアルの横顔を、エイチェルが横目で観察する。
嬉しそう。
端正な横顔のシルエットが柔らかく崩れていた。
「お次はこち~ら!」
オンディーヌ先生は、その隣のパウダーブルーの長い髪をした、男の先生に手を伸ばす。
年齢は40代後半くらいだろうか。切れ長の瞳で整った顔立ちだが、口元はきゅっと結ばれ、ちょっと気難しそうに見える。
「こちらの、超クールな先生は、デューク・デイビス先生! 炎魔法学の担当で~す。クールに見えて、ハートは燃えたぎ~る高温の蒼き炎! 心のやけ~どにご注意ください!」
「ちょ、ちょっとオンディーヌ先生、今年はその恥ずかしい紹介はやめてくれと言ったじゃ…」
「まぁ~まぁ~」
きゅっと結んでいた口元が恥ずかしそうに緩み、デューク先生が訴えるが、オンディーヌ先生はお構い無しといった感じだ。
エイチェルがコソコソとセリアルに話しかける。
「あの先生、あの時の先生だよね?」
「そうそう! 入学セレモニーで、私に宣誓の段取り教えてくれた先生だね」
「私てっきり水とか氷雪の先生かと思ってた。炎の先生だったんだね」
先日は全く気がつかなかったが、よくよく見ると、マントの裏側は青い炎の揺らめき柄である。炎の揺らぎが刻々と変化する、魔法柄だ。
涼やかなパウダーブルーとクールな雰囲気で、勝手な先入観を抱いていたが、言われてみれば、確かに炎は高温だと青くなる。
「ではでは、最後はこち~らの先生。エレノア・アレキサンダー先生!」
「はーい!」
呼ばれた先生は、元気に返事をして1歩前に出た。
「エレノア先生は、雷魔法学の担当です。小柄で可愛らしい体格を侮るなかれ! 雷撃はまるで磨き上げられた弾丸! 面倒見も良いので頼りになる~よ!!」
「魔法動物学のフィービー先生とは、元同級生で、卒業生なの! 勉強以外でも、困ったこととかあれば相談してね!!」
雷柄のワンピースを着たエレノア先生は、くまおとこ先生と並んでいるせいもあって、かなり小柄さが目立つ。むちっとした体型なので、ころころした印象で可愛らしい。
前髪の一部だけ金色で、あとは紺色のショートボブだ。
「さてさ~て、で~は…」
オンディーヌ先生が何か書類を見ている。
「よ~し、君にしよう。ラスター・アステルパルク君はいま~すか?」
「げっ!!! あ、はい!」
ラスターは、思わず結構大きな声で「げっ!!!」と言ってしまったので、少し離れた席にいるエイチェル達にまで聞こえた。
エイチェルが噴き出しそうになる口元を押さえる。
「ラスター君、こので~っかい先生の名前、な~んだ?」
もしかして、先生の名前当てで指名するのは毎回なのか? 連続してこういう流れだとは思っておらず、ラスターは完全に油断していた。
雷魔法は興味があるので、エレノア先生は覚えた。
タコのスカートの先生は、オクトパス先生? じゃないけど、なんかそんな名前だった。バーナー? バーナーは、クールな炎の先生だっけ? そしてクマ。クマの人は何だっけ。
焦るほどに混乱し、先生達の名前がどんどん分からなくなる。
結果、こういう答えになってしまったのである。
「……くま…くまごろう先生…」
少しの間のあと、隣のスペルが噴き出したのを皮切りに、教室中で笑いが起こった。
「ラスター、くフッ あの、せっかく見せてあげたのに、気づかないで答えちゃうんですから… ふふっ」
笑いながら、隣のスペルがノートを指差す。ノートには、やたらと綺麗な字で、しっかりと4人の先生の名前がフルネームでメモしてあった。
「バーナード・ボリス先生」の隣には、担当教科の他、ご丁寧に「ニックネームはくまおとこ先生」とまでメモしてある。
ラスターにも見えるようにと、ノートはラスターの席の方へ寄せて置かれていた。
「スペル~ お前やっぱりさすがだなぁ~。はぁ、でも、すまん、見えてなかったわ…」
ぼんやり聞いていた自分の記憶がいかにいい加減だったか。スペルのノートを眺めながら、ラスターはがっくりと肩を落とした。
オクトパスでもないし、バーナーでもなかった…。
スペルのことは、知れば知るほど第一印象が崩れていくヤツ、と思っていたが、困った時に颯爽と助けの手を差し伸べてくれるのは、不覚にも格好良い。購買で教科書が入りきらなかった、あの時のように。
今回は、助けの手は活かされなかったものの、朝寝坊を起こしてあげた借りを、早くも返されてしまった気分だった。
「あははは~、くまごろう先生 ! 『ごろう』は一体どっから来たの!! でも似合~うね!!」
「あっはははァ!! 別にそれでもいいけどよォ!!」
オンディーヌ先生と、バーナード先生も笑っている。
「バーナード先生だよ、バーナード・ボリス先生ね! まぁ、講義室中が楽し~い雰囲気になったから、答えとしてはある意味正解だけど~ね! ラスター君、ありがとう~ね!」
優しい。
優しいけど、恥ずかしいのでもう自分の名前を呼ばないで欲しい、とラスターは思った。今回は席が近くないのでどこにいるか分からないが、たぶんエイチェル達にも笑われてるだろうな、と思うと、気が重かった。
「ではで~は、気を取り直して」
軽く咳払いをしてから、オンディーヌ先生が話し始めた。
「学年が上がると、水魔法学、氷雪魔法学、炎魔法学、雷魔法学は、それぞれ各論の授業があるのだけど、この『三元素魔法学』では、その歴史であると~か、共通する魔法の元『エレメント』についてなどを学びます。今日はまず、水魔法からやりますから、私以外の先生達はここ~で撤収で~す」
先生達が講義室から出ていくが、バーナード先生が立ち止まり、補足する。
「今日の後半で少し実技をすっけど、俺はその時また来るからなァ! みんな、またな! 座学もしっかり頑張ってな!! いいか? 寝たりするなよォ! しっかりな!!」
「はいは~い、時間が無いから」
相変わらず目を見開いたままの満面の笑みは怖いが、オンディーヌ先生に背中を押されつつ、学生に手を振りながら出ていく様子は可愛い。もちろん、くまちゃん帽子も可愛い。
オンディーヌ先生の紹介どおり、既にギャップがすごい。
無事にバーナード先生を閉め出すと、オンディーヌ先生は講義を始めた。
「それでは、『三元素魔法学』の教科書は持ってきているかな? 1ページ目から始めましょう。『魔法と元素~エレメントの概念~』という項目から~ね」
セリアルは、圧縮バッグから真新しい教科書を取り出した。表紙は深い縹色。金の箔押し印刷で元素や分子の模式図が描かれている。
ハードカバーの表紙を開くと、すぐ裏は元素の周期表になっていた。思いきり、化学の本みたいである。
「昔、まだ魔法も科学も研究が進んでいなかったころ、魔法は、水・炎・雷の3つのエレメントからなると信じられていたの~ね。その歴史が長かったから、今でもこの3つの魔法はそれぞれ教科として扱われている~ね。
研究が進んで来て、そのエレメントって一体何なのかが分かってきた。それがこれ、物質の元である、元素なの~ね。元素には、実は3種類どころではなくて色んな種類があって、それぞれ原子と呼ぶ~ね」
教科書に描いてある模式図を指し示しつつ、オンディーヌ先生は大きな模型を出してきた。
「これは、一般的な炭素原子の模型~ね。6つの陽子と6つの中性子が核となって、周りを6つの電子が回ってる」
オンディーヌ先生が模型に向かって手をかざすと、電子が元気よく核の周りを回り始めた。更に別の模型も出してくる。
「そして、こちらは酸素原子と水素原子。それぞれ構成する陽子、中性子、電子の数が違う~ね。酸素1つと水素2つで、水魔法の元である水分子ができている」
先生が人差し指を、下から上に向けて振ると、水分子の模型が学生達の頭上へ浮かび上がった。
「私たちが魔法を使う時、物体の一体どこに作用して発動しているのか、知識として知っていなくては研究は進まな~いし、特にこの電子の動きには……」
突然、オンディーヌ先生が黙った。
エイチェルが気づいて視線をたどると、その先にいたのはマーティンである。入学セレモニーの時から、科学をバカにする発言をしていた彼は、この元素の授業もまた、隠しもせずに大あくびして、周囲に聞こえる声のボリュームで悪態をついていたのだった。
あの日、校長に釘をさされたのに、全く懲りていない奴だ。
注目されていることに気づいてマーティンが黙ると、今度はせせらぎのような水音がやたらと大きく感じられ、講義室に響く。
「よっと~!」
いきなり、オンディーヌ先生が圧縮ポシェットから、仰々しい水鉄砲を取り出した。水鉄砲というか、もはや大砲を担いでいる感じである。
天井に向かって手を伸ばすと、天井の水が渦潮のように回転しながら、どんどん水鉄砲に充填されていく。
「真面目に聞かな~い学生には、こうです!」
と言ったかと思うと、容赦なくマーティンに向かってぶっぱなした。
ぶしゃああああああぁぁぁぁあああ!!!!!!
それはそれは凄まじい水の量で、教室中の隅々までしぶきに包まれる。何というとばっちり。
本好きなスペルは、思わず教科書が濡れないように抱えるが、この水しぶきの量では無駄な抵抗だ。買ったばかりなのに。
「……ん、あれ?」
思わずつぶっていた目を開くと、全く濡れていない。周りを見渡すと、周りの反応も似たような感じで、戸惑いの声が上がっている。隣のラスターも、両手で頭を抱えたポーズのままで、キョロキョロしていた。
「…んだよコレ…」
マーティンがイライラした口調で、吐き捨てるように言った。
マーティンは、ものの見事にずぶ濡れである。しかし、ずぶ濡れなのは、本当に一人だけ。隣の学生にも、教科書にもノートにも、1滴の水も付いていなかった。
「皆さんの新品の教科書を濡らすような真似はしませんよ。魔法の水鉄砲、格好良い~でしょ」
オンディーヌ先生が、したり顔で胸を張る。
「風邪ひくといけないから、あとで乾かしてあげるけど、しばらくそれ~で反省なさい」
オンディーヌ先生はさっさと水鉄砲をしまうと、それでは授業に戻りますよ、と教科書のページをめくった。
「す、すごい…」
一瞬の出来事だった。エイチェルはまだびっくりした表情のまま、服が本当に濡れていないのか確認してしまう。
「うーん、あの一瞬で一体どうやったんだろ… 水鉄砲に仕込んである呪文か… でもそれで、標的以外に1滴も付けないコントロールが… それと、あの天井の水!! もう1回見たいなぁ…」
これまでは、何かに夢中になるエイチェルを、セリアルが微笑ましく見守るパターンが多かったが、今回は逆だ。
涼やかで形の良い瞳が、いつもより熱っぽい。エイチェルの顔も思わずほころぶのだった。
*
「さぁ、後半はお待ちかね、実技の時間ですよ! くま『ごろう』先生を召喚しましょう~ね」
勢いよくドアを開けて、バーナード先生が入ってくる。
「おォ!! くま『ごろう』先生だぞォ!」
先生達は二人とも、先ほどのラスターの言い間違いを容赦なくいじってくる。というか、すっかり気に入ってしまっているようだ。
笑いをこらえながら、スペルが何かをノートに書いている。ラスターが覗き込むと、先ほどの先生達の名前のメモに追記をしており、こう書いてあった。
新ニックネーム くまごろう先生(ラスターのせい)
「あ! おい、そんなことまで記録しなくてもいいだろ!!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
こんなくだらない内容なのに、書の先生かと思うくらい美しい字なのがまた腹立たしい。
「おォ!? 今年はびしょ濡れは1人か! 優秀じゃねェか!! がァっははは!!」
オンディーヌ先生が水鉄砲をぶっぱなすのは、どうやら毎年のことらしい。バーナード先生はドライヤーを取り出すと、スイッチを入れる。マーティンの衣服に染み込んでいた水分が体から離れ、ドライヤーに吸い込まれていくのが見えた。
マーティンは、あんな風に晒し者にされても、全く悪びれている様子がない。エイチェルはそれを遠巻きに見ながら、すごい根性してるなぁと、ある意味感心した。
「さてさて、でははじめます~よ」
1人1本ずつのボトルに入った水と、四角いトレーが配られた。
「今まではあまり意識していなかったかもしれないけど、この水の、分子と分子の間、ひいては、電子の流れの中に、いか~に魔力が込められるか。水という塊ではなく、見えない粒の集まりなんだって意識を持って。これは、他の3元素魔法学でも共通する『エレメント意識』になるので、練習しま~しょう」
オンディーヌ先生が、学生達の頭上を指差しながら話す。指の先には、今も浮かんでいる水分子の模型がある。
「じゃあ、教科書4ページの呪文からかけていきましょう。バットにいくらか水を入れたら、その水を球状にキープしてみて! できたら空中に浮かべたり応用していいわ~よ!」
「失敗して周りを濡らしちゃっても、ドライヤーあるから気にすんなァ! 俺が駆けつけてやっから!」
ドライヤー2機を両手に1機ずつ持ち、拳銃のように構えると、バーナード先生はニカッと笑った。
教科書の最初の方に載っている呪文は、中級学校でも習うものが多く、そんなに難しくない。
エイチェルは、水を球状にまとめると、目の高さあたりまで持ってきた。ゆらゆらと揺れる水面に、歪んだ自分が映りこむ。
一方で、セリアルの前には、揺らぎ一つない完璧な水晶玉が浮かんでいた。
「ねぇ、セリアル、それって、水? だよね?」
「え、うん、そうだよ」
「はえ~ 完璧につるんつるん。水晶玉みたい」
「いや、これがなかなか。どこかしら歪んでるから、どこまでいけるかなと思って、さっきからやってるんだけど」
基礎的な魔法であっても、セリアルには妥協がないらしい。感心しつつ、エイチェルはまじまじとセリアルの水を眺める。
「どこが歪んでるのか、全く見えないよセリアル…」
「アクアフェンシングの準備体操で、よくこれやるんだよね。じっと見てると、なんか細かい歪みが見えてきてしまってどつぼにハマるというか…」
「おォ! なんだ、君、アクアフェンシングやってんのか!!」
「ぅわあ!」
いつの間にか近くに来ていたバーナード先生の大声に、二人とも驚いて飛び上がった。
魔法が途絶えて二人の水の玉がバットに落ちて、水しぶきをあげる。
「だぁっはっはァ!! 悪い悪い! 今乾かすからな!!」
すごくでかい声で豪快に笑う。ドライヤーで跳ねた水を乾かしながら、バーナード先生は、オンディーヌ先生に向かって叫んだ。
「なァ、オンちゃーん!! アクアフェンシングやってる子、いるぜ!! ちょっと遊んでもいいかァ!?」
「えぇ! 見つけるの早いなぁ、しょうがないです~ね」
「と、言うわけで、お手合わせ頼む!! 水魔法の面白さと華麗さを、同級生に見せてやろうぜェ!!」
「は、はい…」
かくして、セリアルとバーナード先生の、模擬試合が決まった。笑顔で送り出すエイチェルに、セリアルがぽつりと言った。
「あの先生との手合わせは… ヤバいな…」