【第11話】変形手袋
今日は初めての授業である。
ここは変形魔法学教室に付属の講義室。球やキューブやピラミッド型の模型の他、粘土状のオブジェらしきものも沢山並んでいる。室内には、期待を胸に浮き足立つ新入生達の熱気が溢れていた。勉強についていけるのか心配で仕方ないミランダは、皆の熱に気圧されてカチコチに緊張していたのだった。
「大丈夫だよ、きっと。まだ最初だもん。まぁボクも心配だけどさ」
ウィズが笑いかける。
ウィズは、どちらかといえば後ろ寄りの、中途半端な位置の席を選んでミランダと座った。カラフルな学生が多い中で、真っ白なミランダは意外と目立つ。こういう中途半端な席が一番目立たないと考えてのことだ。いきなり当てられたりはしにくいだろう。
講義室に入ってきた先生は3人。入学セレモニーの時に、入口で案内をしてくれたおじいちゃん先生が中央に立ち、話し始めた。
「はぁい、新入生の皆さんね~ おはようございます~」
相変わらずふんわりした喋り方で、癒し系だ。
「わたし、魔法植物学の教員をしております、フレデリック・フォスターです~。この学校ではね~、親しみを込めて、先生も下の名前で呼びますから、フレデリック先生って呼んでね~、フレデリック先生ですよ~」
フレデリック先生は、眉毛も長いが顎ひげも長い。ひげを三つ編みした先には、可愛く結ばれたリボンが付いていた。
「これから行う授業、魔法学総論はね~、どの科目にも関わるものとか、どの科目とも言えないものとか、あとは専門科目のさわりの部分とか、そういうものを扱うよ。毎回違う先生が教えるから、先生の名前を覚えるのには良い機会だね~。それでは、ん~…」
先生は、手元の紙を見て何か考えている。
「よし、では、出席番号5番、ウィズ・イクリプス君はいるかな~」
「えぇ?! ははははい!!」
突然名前を呼ばれ、ウィズの心臓は、握りつぶされたみたいに、血液を一気に全身に送り出した。
「わたしの名前、なんだっけ~?!」
「ふぉ…… ふ… ふれでりっく…せんせい…」
「はぁい、あたり~!!! ちゃんと聞いていてくれてありがとう~! というわけで、時々当てるかもしれないので、よぉく聞いていてくださいね」
フレデリック先生はニッコニコだ。目が完全に眉毛に隠れて大変嬉しそうだが、ウィズはへなへなと背もたれに寄りかかった。目立たない席を選んだところで、名簿を使われては全くの無意味だ。完全に油断していた。たまたま聞いていたからよかったが、もし何かに気をとられていたとしたら、答えられないところだった。
ちら、と隣に目をやると、ミランダが顔面蒼白でウィズを見ていた。
「ふぅ~、びっくりしたけど、答えられて良かった… ボクすごくない?」
ミランダはびっくりしすぎて声が出ないようだったが、大きく頷いてくれた。
「フン、別にすごかねーよな、魔法に関する質問ですらねーじゃん」
「おいマーティンやめろよ」
斜め後ろから小声で笑われているのが聞こえてきた。
振り返ると、あれはセレモニーの時に校長に釘を刺されていた学生だ。あの時、ウィズ達とは席が結構離れていたので、何を言って叱られたのかは聞こえなかった。しかし、校長が突然瞬間移動を披露して、なかなか強烈だったので覚えている。
すぐに諌めてくれる同級生がいることは救いだったが、そういうことを言われて気分が良いわけがない。しかし、言われた内容は一理ある。確かに、難しい問題を解いたわけでもないし、素晴らしいアイディアを発表したわけでもない。確かに、マーティンと呼ばれた学生の言う通り、別に凄くはないのだ。
柄にもなくしょんぼりしたウィズに、小声でミランダが言った。
「ウィズくんは、すごいよ。私だったらびっくりして声が出ないと思うもの…」
まだお試し恋人期間は始まったばかりだが、ミランダの方から寄り添ってくれたのが嬉しかった。慰めだって分かっているが、それでも嬉しい。
「ミランダちゃん、ありがとう! また当てられちゃうかもしれないから、気を引き締めていこー!! 難しいこと聞かれたら、一緒に考えようね」
小さな声でそう言うと、ウィズはミランダにウインクした。
「うん…」
ミランダの頬に少し赤みがさした。次は当てられちゃうかも、という緊張のせいもあるかもしれないが、十分な反応だ。真っ白な肌に赤みがさすと、まるでほころんだ花のように可憐で、可愛い。
憎まれ役がいる方が、恋というのは燃えるのだ。開き直ろう、とウィズは思った。
「じゃあね~ あと2人の先生にも自己紹介してもらおうね~」
「はいはーい! じゃあ私から!! セレモニーで写真撮ってた人だよ! みんな覚えてるかな? フィービー・シュードブルームです!! よろしくゥー!!」
ぺこりとお辞儀をしたあと、えっへんと胸を張って立っているフィービー先生を、フレデリック先生がツンツンつつく。
「…ほら、フィービー先生、ほら、アレ、担当教科言わないと~」
「あ、そうだった、魔法動物学を担当していまーす! よろしくゥー!!」
テンション高めのフィービー先生に、目をキラキラさせているのはエイチェルだ。その瞳を、セリアルは微笑ましく見守る。合格発表の日に出会ってから今日に至るまでの間に、エイチェルが生き物狂いであることは、十分過ぎるほどよく分かった。
実は、今朝も例外ではなかった。朝から庭にしゃがみこんで何をしているのかと思ったら、石という石をひっくり返し、嬉々としてダンゴムシを集めていた。虫探しに夢中になっていて、身支度がおろそかだったので、ちょっと慌てるはめになったのはご愛嬌だ。エイチェルといると、身の回りにこんなに沢山生き物が潜んでいたのかと驚く。
フィービー先生の衣装は、全体的に明るいアースカラーでまとまっているが、マントの裏側だけ、異様に派手な色柄をしていて目を引く。はつらつとしていて、小麦色の肌がとても綺麗な先生だ。
「わたしの担当する魔法植物学と、フィービー先生が担当する魔法動物学は、合わせて魔法生物学とくくられるからね~。普段、わたし達は生物棟にいるんだよ~」
「生き物好きな学生さんは特に、よろしくねーィ!!」
「はぁい、ではお次ね~」
フレデリック先生は、隣に立つ、若い男の先生に紹介を促す。
「変形魔法学を担当しています、エルトン・サミュエルです。新入生の皆さん、一緒に頑張りましょうね」
そう言って、エルトン先生はにっこりと微笑んだ。くるくるの赤毛に、背中には鳥の羽。柔らかい笑顔と相まって、宗教画から抜け出してきた天使みたいだった。天使っぽくないところと言えば、眼鏡をかけているところだろうか。
「変形魔法は、今や皆さんの生活になくてはならないものですね。そんな変形魔法の一端をお見せします」
そう言って、エルトン先生が右手をすっと挙げる。
すると、みるみるうちに、2mほどの高さしかなかった平坦な天井が持ち上がり、ドーム状に変形した。学生達の歓声が上がる。
「うっわ、ずるい! めっちゃ格好良いじゃん!! 私も何かやれば良かった~」
フィービー先生が悔しそうに文句を言っている。エルトン先生はちょっと嬉しそうだ。
「エルトン先生はね~、まだ若いけど、変形魔法の達人だからね~。この学校の設備のメンテナンスにも大活躍なんだよ~」
「ちょっとフレデリック先生、エルトン先生「は」って、私は若くないみたいな言い方して!!」
「いやぁ、まぁまぁ、フィービー先生も十分若いよぉ~、ダイジョブダイジョブ~」
「ほら、時間は限られてるんだから、始めますよ!!」
そう言って、エルトン先生が割って入る。
「ん、ん、そうだね~、ではエルトン先生、今日の授業の目的とデモンストレーションをお願いしますね~」
「はい、今日は皆さんに「変形手袋」をマスターしてもらいます。説明が終わったら皆さんにも配りますから、今はこちらをよく見て」
エルトン先生は、直径1cmくらいの乳白色の球体を人差し指と親指でつまんで持ち、高く掲げて皆に見えるようにした。
「ニトフィットっていう商品名で売られています。家庭ではあまり使わないと思いますが、お医者さんや歯医者さんで多く使われているので、おそらく皆さん見たことがありますね。この球体を変形させて、ぴったりと手にはめて手袋にします。
ちなみに、科学界では最初から手袋の形になっている「ニトリル手袋」というものが使われていますし、それは魔法界でも手に入ります。変形が苦手な人は、それを使うのも手です。物理的な遮断にはそれでも十分」
隣で、フィービー先生が「ニトリル手袋」のサンプルを取り出してひらひらさせている。
「でも、できればニトフィットに慣れてもらいたい。それは、魔法使い故の理由があるんですよね」
エルトン先生が、フィービー先生に話を振る。
「そのとおり! 私達魔法使いの体表からは、微量な魔力が常に出ているから、魔力が関わる実験とか、細かい計測の時、素手だと影響しちゃうことがあるのよね。ニトリル手袋でもある程度は遮断できるけど、微妙に隙間ができるから、目には見えないけど、わずかに回り込んで来るの。緻密な実験をしていると、色んな分野でとにかく必要不可欠なアイテムってわけ!! 魔法動物学の研究でも、頻繁に使うんだよ」
「だから、わたしたち魔法生物学の教員二人も、この授業に参加してるんだよね~。生物学の授業が始まるまでに、ぜひマスターしてね~」
「慣れれば簡単なんだけど、最初は均一に広げるのにコツがいります。まずはやってみるので、ちょっと見ていてね」
エルトン先生は、持っていた球体を、軽くひょいっと投げる。球体は空中で滑らかに広がり、極薄の円盤状に変形。その中央にさっと手を差し込むと、ぴっちりと手に吸い付き、手袋になった。投げてから手袋になるまで、3秒くらいだろうか。熟練のピザ職人のように鮮やかな手つきだ。
「今はゆっくりやったけれど、慣れたらもっと速くできるようになるよ。既製品のニトリル手袋をはめるより、ずっと速く作業に入れます」
「これね、モタモタしてるとフィールドで生き物捕り逃がすからね。魔法動物学を専攻したい人ほど完璧にマスターしてね!!」
フィービー先生の追加説明を聞いて、エイチェルが前のめりになる。
だが次の瞬間。
「あとね、注意点。ニトフィットはよく伸びるけど、摩擦にはあまり強くないので、代替品として使わないように」
突然フィービー先生がこんなことを言い出し、教室が氷りついた。
正確には、氷りついたのは多くの男子学生と一部の女子学生。何の代替品なのか、意味の分からない学生は、一瞬の空気の変わりようにぽかんとしている。
「ちょっとフィービー先生!!」
エルトン先生が血相を変えてフィービー先生に詰め寄る。
「やめてください1年生の初授業ですよ?! 何いきなり下ネタ披露してるんですか!! 」
詰め寄ってたしなめているのはいいのだが、フィービー先生の発言が「下ネタ」だと明言したせいで、ぽかんとしていた学生のうち、更に半分くらいは意味が分かってしまった。墓穴である。
「下ネタとは失礼な! 繁殖学だよ!! 繁・殖・学!! 絶対こういうこと考えて試すやつがいるんだから!! 思春期なめんなよ!」
「あああ あああ ちょっと二人とも~」
「だとしても今! 言うことですか?!」
「今じゃなかったらいつ言うっていうのよ?! いつ?!」
「あぁ、もう、フィービー先生はデリカシーが無さすぎです。そんなだからいつまでも独身貴族なんですよ」
「あぁ?! 言ったなこのやろう、この、自分が新婚だからって!! 卒業生と結婚したやつがよく言うわ!!」
「ちょっと、僕の個人情報を暴露しないでください!」
「先に暴露したのはそっちだろー!!」
もはやケンカである。初めての授業でいきなり、先生達のケンカ劇である。フレデリック先生は止めようと右往左往してはいるが、なかなか止められない。
ラスターは、ちらりと左隣のスペルを見た。平静を装ってはいるが、面倒くさそうな、さっさと授業をやってくれ、と言いたげな顔が隠せていない。
ふと気になって、今度は右前に座っているエイチェルを見た。ほんのり赤くなってうつむいているその横顔を見た瞬間、自分の顔まで紅潮してきてしまったことに気付き、慌ててラスターもうつむく。
スペルの方から、ちょっと冷たい視線を感じた気がした。
「ちょっと、ちょっと、ダメですよ、授業中ですよぉ~!!」
フィービー先生とエルトン先生は、今にも何かの魔術を繰り出しそうになっていたが、『授業中』の言葉にハッとして、ようやく動きが止まった。
「もう! 二人とも子供みたいなケンカしないの~!!」
「すみません…」
「ごめんなさい…」
「みんな~ ごめんね~、この先生たち、ちいとばかし仲が悪いけど、みんなには優しいし、腕は確かだから心配しないでね~」
オロオロしながらフォローしてくれるフレデリック先生を見て、フィービー先生とエルトン先生は、バツが悪そうに離れた。
フレデリック先生は、ケンカが無事に中断したことにほっと胸を撫で下ろし、続けた。
「う~ん、言い方とタイミングが適切だったかどうかは賛否あるかもしれないし、みんなの前であんなケンカするのはもちろん『論外』なんだけれど、いつか何らかのタイミングで伝えた方がいいことではあるんだよね~。ニトフィットは、手袋の用途だけに使うこと。いいですね。
若い君たちにとって、取り返しのつかない後悔をしてからじゃ、遅いからねぇ…」
しみじみと噛み締めるように、言葉を選んでいるのが伝わってくる。
「皆さんの学生生活が、不必要なトラブル無きものであることを、先生達は祈っているんだよ」
フレデリック先生に、穏やかな表情でそんな風に言われてしまうと、なんだか納得してしまうのである。
一度、氷点下まで冷えきったように思われた講義室には、暖かさが戻ってきているように感じられた。
「さぁさ、授業を再開しましょう~。それじゃあ先生達、教材をみんなに配って~」
乳白色の小さな球体が10個ずつと、同じく乳白色で、グレープフルーツくらいの大きさの球体が1個ずつ配布された。
「予備は沢山あるから、失敗を恐れずに試してみてね~。最初はどうやって変形するかの基本と原理のところからだね~」
「はい、では僕から説明します」
配布を終えたエルトン先生が壇上に戻り、説明を始めた。
エルトン先生の説明によると、小さな球体が手袋になる手順はこうだ。
まず、球状になっているニトフィットを柔らかくする。次に円盤状に広げる。そして、手に触れたところで変形を止める。この3種類の呪文の作用で手袋として使えるようにできている。
「商品は、いちいち呪文を唱えなくても変形するようにプログラムされているんだけど、原理を学ぶには、単純でちょうど良いでしょう。ニトフィットに使われている呪文を使って、まずは変化が分かりやすいように、その大きい球体を変形させてみましょう。同じ素材でできていますよ」
セリアルは、配られた大きな球体を手に取った。すべすべしていて、爪を立てたら軽く跡が付く程度の弾力はあるが、硬く、中身が詰まった感じだ。投げたらよく弾みそうである。
フィービー先生が、黒板に向かってスティックを振ると、3種類の呪文が浮かび上がった。後ろの学生にも見えるように、大きな字だ。
「では、まず「プローミオ・エンモーリオ」と詠唱して、球体に魔力を加えてみてください。球状のまま柔らかくなれば成功です。少ししたら、できたかどうか教員が確認に回りますからね」
「プローミオ・エンモーリオ!」
口々に呪文を呟く声が聞こえる。セリアルも、両手で球体に魔力をかけながら唱えると、ポヨポヨとした感触に変化した。
「おおぉ、これは。この触り心地は…!!」
隣のエイチェルが、ポヨポヨになった球体を撫でまわしながら、何やら興奮した様子だ。
「この触り心地は、どうしたの?」
「セリアル殿! これは! これは芋虫ですな!! 芋虫!! 大きな芋虫を触っているような感じですな!! 目を瞑ればもはや芋虫…」
恍惚の表情で球体をこねくりまわす挙動がおかしくて、セリアルは思わず笑ってしまう。授業を楽しみ過ぎだ。
エイチェルは、背格好も華奢で、顔つきも女の子らしい。初対面時はお互い入試に落ちたと思い込んで凹んでいたからというのもあるが、おしとやかな女の子という印象だった。しかし、知れば知るほどボロが出る。でも、そこが面白い。だって、いつも心底楽しそうなのだ。
セリアルは、芋虫を撫でまわしたことはないのだが、ふーん、こんな感じなのか… と思った。本物は何だか潰してしまいそうで怖くて、今後もおそらく撫でまわす気にはなれないが、すべすべでポヨポヨで、少ししっとり。なるほど、触っていたくなる感触である。
そうこうしていると、今度は誰かが「おっぱいみたい」と言い出し、再び講義室の空気が微妙になり始めた。
「ほら! ほら見ろ! 別に私が何も言わなくたってこうなんだよ!」
フィービー先生が、ここぞとばかりにエルトン先生に抗議している。
「いや、まぁ、うーん、これは毎年大抵誰かが言い出すんですけど… メーカーが教材用に作ってくれる大きさがこれくらいなんで、どうしても… うーん…」
「何か対策考えなよ。メーカーの社長、変形魔法学教室出身でしょ? 私このコマ担当するのは今年からだけど、やだよ、毎年あんたとバカみたいなケンカしながら授業するの」
「いや、まぁ、うーん、そうですね… 聞いてみますけど…」
エルトン先生は、決まりが悪そうに目を逸らしている。
ラスターは、女性の胸など触ったことが無いが、こんな感じなのか…? と手の中の球体を神妙な顔で見ていた。
ぽてっ
ラスターの視界の左端で、球体が机の上に落ちた。柔らかくなって弾力性が弱まった球体は、力なく弾んで机の上に乗っている。
本日2度目の下ネタ騒ぎにうんざりして、スペルが遂に放り出したか。さっきの時点で相当面倒くさそうな顔になっていたが、今はどれほどの顔になっているだろうか。
「あ…」
ラスターの予想は外れた。
振り向いてみると、左隣にいたのは耳まで真っ赤なスペルだった。凄く困った顔で、手は空中で広げたまま。少し震えている。
ラスターは笑いをこらえながら、スペルを肘でつつく。
「おい、なんて顔してんだよ」
「うわぁ! いやっ、別に何でもないですよ!」
スペルは、落としたおっぱいもどきを急いで拾うと、顔を背けた。
スペルはそんなに背が高くないし、線も細め。髪も長くて、少し中性的な印象だし、ついさっきまで「下ネタとか興味ありません」みたいな顔をしていた。
真面目なやつはそういうこと考えないのかな、と思ったが、どうやらそんなことはない。意外と中身は歳相応の男子のようだ。
何だ、さっきまで人のことを冷やかな目で見ていたくせに。寝起きの悪さといい、今の反応といい、ラスターは、またスペルの弱みを握ったような気分になった。
「いーや、これは、芋虫。絶対におっぱいより芋虫だと思う。芋虫!!」
真剣な顔でエイチェルが言い放ち、セリアル含め、周囲の学生数人がクスクス笑っている。
「お、誰だ? 今、芋虫って言ったの!!」
確認のため、学生達の間を歩いていたフィービー先生が立ち止まり、エイチェル達の方を見て言った。エイチェルは一瞬ドキッとしたが、おずおずと手を挙げる。
「わ… 私です…」
「君かー!! 君ーー!!」
目をキラキラさせて、フィービー先生が駆け寄ってきた。あの目は、誰かさんとそっくりだな、とセリアルは思う。
「芋虫っぽいと思う?」
「思います、特に、アゲハ系の幼虫のような大ぶりの…」
「わかる。めっちゃわかる。スズメガほど張りがなくて、アゲハだよね」
「で、ですよね! この、芯のない感じが!!」
「わっはは! 芯!!! 確かにね、おっぱいには乳腺が入ってるからな!!」
「そう! そう!! 乳腺!!」
セリアルが慌てて「こらこら男子もいるんだから!」と言いながらエイチェルの口を塞ぐのと、フィービー先生の背後にエルトン先生が、ぬっ と現れるのは、ほぼ同時だった。
「もおおおお!! あなたはーーーー!!!」
「イデデッ こら、引っ張るなよ~」
「仕事しろーーーー!!!」
エルトン先生に引きずられて行きながら、フィービー先生はエイチェルに叫んだ。
「君ー! 5月の研究教室勧誘会は、必ずうちのブースに来てよねー!!」
「は、はい! 必ず行きます! ……って、もう聞こえないか…」
フィービー先生が去った後の、エイチェルの周囲の学生達の反応は様々。
セリアルは、これ以上エイチェルにおっぱい的発言をさせないように、具体的に何の幼虫に似ているのかと話題を逸らし、ラスターは止まらない妄想に緩む口元を手で隠し、スペルは平静を装いながら、ラスターを冷ややかに一瞥する、といった具合であった。
フレデリック・フォスター先生。
しばらく「眉毛の長いおじいちゃん先生」と呼ばれていたあの人。
フィービー・シュードブルーム先生。
カタカナにしちゃうと気付きにくいですが、実はイニシャルはP・P。
繁殖学って言っておけば下ネタが許されると思っている系先生。
実際のところ、生物学をやっていると性の話とうんこの話と内臓の話を日常的にするものだから、
それらに免疫のない人と話していると、うっかりドン引きされてしまうという事故が発生しがち。
獣医師(作者)も残念ながらその類です。こっちは真面目なんです。反省はしていない。
エルトン・サミュエル先生。
先生になって5年くらい。
若めの先生と学生にビジュアル的差が無いじゃん、と思われた方もいるかもしれませんが、実際特に差を付けてません。大学くらいだと、先生なんだか、研究生なんだか、院生なんだか、学生なんだか、区別がつかない人もいたなぁと思ったので。学生でも大人びてる人もいるしね。