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【第10話】目覚まし兄ちゃん

挿絵(By みてみん)

 授業が始まる前に、教科書を入手しなくてはならない。今日は購買にて、今年度必要な教科書を購入する日である。


 思いのほか教科書が多く、圧縮ポシェットの容量を超えて半分以上入りきらなかったため、エイチェルは追加の圧縮バッグを家に取りに帰る羽目になった。エイチェルのポシェットには、ラナ・ハープの他、いつどんな生き物に出会ってもいいように、巻き尺リボンや虫かご、フィールドノートにねじ口のビン大小20本以上等々、確かに余計なものばかり入っていて容量を圧迫していた。


「家選びの時、巻き尺リボン持ってきてたでしょ。その時、なんて抜け目ない子かと思ったのに、なんだ、常備してたのか~!」


 と言って、セリアルには笑われた。

 セレモニーで校長にもらったハチミツも入れっぱなしだった。まぁ、自分が悪いので仕方ない。


 その点セリアルは、過不足なく、抜かりなく、ちゃんと予備の圧縮バッグを持ってきていた。しかし、さすがに他人のための予備までは持っていなかったので、エイチェルが家に引き返す運命は、残念ながら変わらなかったのだった。購買で新しいものを買うという手もあったが、家に帰ればあるんだから、無駄遣いするなとセリアルに諭されて、やめた。


 セリアルは、エイチェルを一人で行かせるとまた脱線するだろうと思い、ついてきてくれた。セリアル本人は必要無いのに、である。

 セリアルにはもう、すっかり頭が上がらない、と思うエイチェルであった。




   *




 購買の店員、シェリー・ノートンは、教科書を買いに来る新入生の観察に余念が無い。2年生以降の学生はもう知っているのでひっかからないが、新入生は予想が甘くて、教科書が入りきらないヤツが度々いるのだ。つまりそれは、営業のチャンスを意味する。


挿絵(By みてみん)


「あらまぁ大変~! ここでしか買えない学校のロゴ入り圧縮バッグ、今日は特別安くしておくよ! いかが?」


「助かった~、買います~」


「まいど~!!」


「あ、ボクも1枚ください! ミランダちゃん、何色が似合うと思う?」


「え、えっと、水色かな、グレーかな…」



 シェリーは、ゼリーのように半透明なオレンジ色の太縁メガネを、左手の人差し指でくいと上げる。

 別に新入生をいじめているわけではない。実用性バッチリの圧縮バッグだし、ロゴ入りがここでしか買えないのも、いつもより少し割引しているのも本当。1つ買っておいて損の無い品なのだ。

 ただし、ポシェット程度の容量では入りきらないということを、事前に教えてあげないのは、意地悪と言えば意地悪である。もちろんわざとだが。



 メガネの奥の瞳がまた、キラッと光った。



「あ、君! はみ出してるな!! 新しいバッグ買うかい? 色も豊富だよ、いかが?」


「いやー、これくらいなら持てると思うんで、遠慮します」


「ざんねーん、営業失敗!」


 ラスターもまた、シェリーに営業されてしまった新入生の一人である。持参の圧縮ポシェットの容量は開けておいたつもりだったが、読みが甘かった。圧縮バッグを使う前提の設定なのか、どれも教科書が重い。特に1冊、呪文学の教科書がでかくて重すぎる。

 でもこの程度のはみ出し冊数なら持てるはず。遠めの家を選んだので、ちょっと疲れそうだが。


「さてと」


 はみ出した教科書を持ち上げようと、屈んだ時だった。



「これ、使いますか?」


 穏やかな声と共に、ひら、と目の前にココア色の布袋が差し出された。

 見上げると、ゆるくまとめた長めの黒髪に、尖った耳。明るめの茶色の瞳がこちらを見ている。

 この利発そうな男子学生のことは、見たことがある。


「えっ いいの?」


「ええ、図書館で本を借りるために沢山持ってきていたので」


「じゃあ遠慮なく! ありがとう、オレ、ラスターって言うんだけど、よろしくな!」


「僕は…」


「あ、待って、覚えてる覚えてる! 入学セレモニーで宣誓してたよな! えっと、スプ… ん? ス… あれ?」


「覚えてないじゃないですか」


 エルフ耳の青年は、くすくすと笑い出した。


「スから始まるのは合ってますよ。スペリオルネスですけど、長いのでスペルでいいです。みんなそう呼びます」


「そっか、スペル、よろしく! スペルは優等生で親切って、最強だな~」


「そ、そんなことないですよ!」


 そう言って謙遜しつつ、褒められるのはまんざらでもないといった感じ。妙に嬉しそうである。

 入学するまでは、成績上位で入学するような学生は、取っ付きにくい人達だろうと思いこんでいたが、エイチェルもセリアルも、今目の前にいるスペルも、意外と気さくだ。優等生も普通の学生なんだな、とラスターは思った。


「スペルは家の方角どっち?」


「学校からだと… んー、南東ですね、うちは」


「マジか! オレの家も方角同じだから、途中まで一緒に帰ろうぜ! あ、でも図書館に寄るんだっけ?」


「図書館は先に寄ってきました。いいですよ、帰りましょう」


 スペルはほくほくとした顔で、肩から下げた3つの圧縮バッグを軽く叩いた。


「早く読みたいので、まっすぐ帰りますからね」





 購買を出て校舎の出口を目指して歩き出す。広い廊下の片面は大きなアーチ型の窓がずらりと並び、午後の穏やかな光が射し込んでいた。


「そういえば、僕は家まで結構距離があるので絨毯で帰るつもりだったんですが、ラスターは徒歩ですか?」


「あ、オレも家遠いから、ホウキのつもりだった。貸してくれたバッグのお陰で両手が空くし、乗りやすくて助かる。大丈夫、ゆっくり飛ぶよ」



 魔法界において、ホウキと並んでメジャーな乗り物が、絨毯である。ホウキと比較して乗り心地が良く、優雅な乗り物だ。跨がってバランスを取る必要が無く、座っていればいいので操縦も難しくない。

 織模様も沢山種類があるから、コレクションしてしまう人もいるくらいである。


 ただし、ホウキに比べて「スピードが出ない」という欠点がある。競技用の絨毯にはそこそこスピードが出るものもあるが、それでもホウキには負ける。通常、徒歩よりは速いが、せいぜいランニング程度である。

 大抵、一人暮らしの学生というのは、よく寝坊して慌てる生物である。徒歩で間に合わない時に絨毯に乗ってもあまり意味が無い。必然的に、ホウキを使う学生の方が多いようだ。


 スペルは、家が遠いらしいのに、乗るのは絨毯だという。

 苦もなく早起きして、家を出る時間まで勉強でもしてそう、とラスターは思った。授業もまだ始まっていないのに、圧縮バッグ1つでは入りきらないほど本を借りているようだし、勤勉なのは間違いなさそうだ。




 建物を出て正門まで来ると、スペルがポシェットから絨毯を取り出して広げる。茶系の色合いで一見すると地味だが、植物と鳥が描かれた細かな模様が見事な絨毯だ。思わずラスターが覗き込むと、スペルが言った。


「おとなしい柄の絨毯でしょう」


「まー確かにオレ達くらいの年齢が乗るには渋いデザインだけど、よく見ると柄が凝ってるんだな」


「いいところを見てますね、僕の祖父から譲り受けたものです」


「へぇ」


 スペルはちょっと誇らしげだ。きっと良い品なのだろう。さっき褒めた時の反応といい、素直に嬉しそうにする姿は親近感がわく。


 日の光の元で見ると、スペルの髪は真っ黒ではなく、少し緑がかっていて透明感がある。落ち着いた若草色の服や、渋い色合いの絨毯がよく似合う、とラスターは思った。


一方で、ラスターの髪は、青とも金色ともつかない偏光色。ホウキも同様の色を基調としている。スペルは、ラスターが取り出したホウキと、偏光色の髪の毛を交互に見比べて言った。


「ラスターは、何て言うか… 全体的に派手ですね」


「ひでぇな、そんな言い方するなよ!」


 自分が褒めるのは下手なんかい! と思わず心の中で突っ込みを入れつつ、ラスターは笑った。5つ下の弟も似たような髪の色だし、ラスターの出身地ではそれほど珍しい髪色でもない。しかし、まぁ、確かにスペルに比べると、ずいぶん派手な色だ。


「うーん、今みたいに明るいところで見ると、更にひときわ眩しくてチカチカしますね」


「それ褒めてんの?」


「褒めてるんでしょうか」


「質問を質問で返すんじゃありません!」


他愛もないやりとりを交わしながら、二人はそれぞれ絨毯とホウキに乗り、南東に向かって飛び始めた。




   *




「あ、ラスター!」


 少し飛んだところで下から呼ばれ、一時停止する。

 見下ろすと、エイチェルがこちらに手を振っていた。セリアルも一緒だ。


「よう! これからどこか出かけんの? あ、スペルごめん、ちょっと高度下げていい?」


「いいですけど…」


 さっきまでニコニコだったのに、ちょっと不服そうである。そういえば、借りた本が早く読みたいと言っていた。ささっと切り上げるからさ、と言い、背の高さくらいまで高度を下げた。

 エイチェルとセリアルの背景には、ちょうど二人と似たような、ピンクの家と水色の家が並んでいる。


 エイチェルが先ほどの質問に答えた。


「出かけるは出かけるんだけど、さっき教科書がポシェットに全然入りきらなかったから、また購買に戻るんだよ~」


「相変わらずうっかりしてんな!」


 何を隠そう、ラスターは、エイチェルのうっかりの被害者である。脇腹はもう痛くないが、肩に落ちてきたホウキは骨に当たったので、実はアザになっていたりする。そんな散々な初対面だったが、こうしてわざわざ声をかけてくれるエイチェルの人懐こさは、嫌いじゃない。


「うん、なかなかうっかりやだよね」


「あ、セリアルまで! 否定はできないけど…」


「まぁ、そういうオレもはみ出したんだけどね、スペルが予備の袋貸してくれたから、それで事なきを得て帰るところ」



 名前が出たと同時に、エイチェルの視線がスペルの方へ移動した。


「セリアルと一緒に宣誓してた人ね! エイチェルです、はじめまして、よろしくね!」


「え、ええ、よろしくお願いします。スペルです」


 一瞬だけ顔が引きつったように見えたが、すぐに穏やかな笑顔になって答えた。その答えに、エイチェルが首をかしげる。


「もっと長い名前じゃなかった? んーと…」


「呼びやすいように、ニックネームなんだって」


 エイチェルの疑問には、セリアルが答えた。

 そうか二人はもう自己紹介が済んでるんだねー、なんてエイチェルが納得したが、スペルは特にそれに反応することなく、ちょっとの沈黙のあと、口を開いた。



「…ラスター、僕、絨毯なので時間かかりますし、そろそろ先に帰りますけど」


「あ? あぁ、寄り道しないで帰るって言ったのに、悪かったな! じゃあ、オレ達帰るから、またな!」


「う、うん、じゃあまたね!」



 エイチェルが手を振ると、ラスターとスペルは高度を上げ、南東方向へ帰って行った。

 二人を見送ったあと、ふぅ、とセリアルはため息をついた。


「しかし、よくラスターに気づいたね」


「飛行物体が視界に入ると、とりあえず見ちゃうからかな。虫かな鳥かなーと」


「あ、なーるほどね」


「そういえば、あの、一緒にいたスペル君だっけ? なんかセリアルのこと睨んでなかった?」


「うーん、やっぱりそう思う?」


「なになに? どうしたの? セレモニーの時?」


「いや、セレモニーの時も軽く挨拶した程度なんだけど… ま、歩きながら話すよ」


「あ、そうだ、購買戻らなくちゃ」


「ほら~、忘れないでよ、残ってるのはエイチェルの教科書なんだから!」


 セリアルは相変わらず忘れっぽいエイチェルを冗談ぽく責めたが、無条件に友好的でいてくれるこの女の子に、内心すがりつきたい気分だった。平静を装ってはいるが、スペルの理不尽な態度には戸惑うし、悪い方向に考えすぎてしまいそうだった。



   *



 まろやかな太陽の光が、二人の陰を地面に落とす。

 さっきスペルが話を切り上げる時、若干空気が不穏だった気もしなくはなかったが、それだけ本が読みたかったということか。ラスターは質問した。


「なぁ、そんなに急いで帰って読みたいって、何の本借りたの?」


「半分は趣味みたいな本ですけど、半分は、もうすぐ始まる授業の予習になりそうな、関連する本ですね。教科書も手に入りましたし、照らし合わせてみたいです」


「うわぁ、授業始まる前から勉強かよ!」


「僕みたいな凡人が天才に勝つには、泥臭くやるしかないんですよ!」


 ちょっと鼻息を荒くして、闘志に燃えてるんです、と付け加えた。


「オレにはそのやる気自体、凡人には見えねーよ。スゲーなぁ。オレも見習うべきか」


「そういえば、ラスターの家はまだですか?」


「うん、もうちょっと先。スペルは?」


「僕もまだ先です」


「ふうん。なぁ、借りた残りの半分の趣味の本て、どんなやつ?」


「ひみつです」


「えっ そんな気になる返答して、問いただされないと思ってんの?」


「ラスターは家選びは何が決め手だったんですか?」


「あっ 話逸らしたな?!」


「僕の質問に答えてくれたら、内容によっては教えてあげないこともないです」


「んだよそれ~」


「まぁまぁ」


「…自炊したいからキッチンが広めで」


「えっ」


「ん?」


「物凄く意外です。料理とか、かけらもしなさそうなのに」


「スペルお前ほんと失礼だな!」


 失礼だな、と言いながら笑ってしまう自分がいる。自分と正反対に思える優等生君と、話が止まらないのが不思議だ。


「まぁまぁ、それで?」


「かつ、家自体が広いと掃除が面倒くさいからアパートで、学校に近いと通学がつまんないと思ったから、遠めのところ。で条件の合った家にしたんだ」


「アパートタイプなんですね」


「アパートでキッチン広いところがなかなかなくて、結構探したんだよな。スペルは一軒家タイプなの?」


「ええ、僕はできるだけ広いところがよくて」


「そういえば、うちの隣が普通の家より倍くらいありそうな一軒家なんだよな。あれ掃除めちゃくちゃ大変そうだけど、住んでる人どうしてんだろ」


「あ、そろそろ僕の家見えます」


「おう、オレの家ももうすぐ。もしかしてかなり近いんじゃないか?」


「あれです」


「…おいマジかよ。こんなことってある?」


 ラスターは、スペルの趣味の本は何なのか、問いただそうとしていたことなどすっかり忘れていた。

 たどり着いたお互いの我が家が、なんと隣同士だったからである。




   *




 ピリピリ ピリピリ…



 朝だ。ラスターはモビリンのアラームを止めて起き上がる。


 寝起きはわりと良い方である。実家では、寝起きの悪い弟を起こすのはラスターの役目で、時には寝過ごしかけた共働きの両親を起こすこともあった。

 昨晩作ったスープの残りを加温機にかけ、トースターにパンをセットする。



 昨日帰宅したあと、スペルからモビリンで連絡があった。朝起きるのが苦手だから一緒に登校したい、というものだ。しかも、もし起きてなかったら電話で起こして欲しい、と言う。

 ちょうどラスターからも、朝一緒に行こうと誘うつもりだったから別にいいのだが、スペルが朝起きるのが苦手というのは意外だった。急ぐ時はホウキも乗るんだろうか。


 ラスターは、弟のことを思い出していた。

 起きる時間だぞ、と何度呼んでも聞こえないふりをするし、くすぐりに負けて笑っているくせに、手を止めたとたんに二度寝をキメようとする。ベッドから引きずり出しても床で寝る。そして隙あらば、またベッドに吸い込まれる。甘ったれでしょうがないやつだ。

 ある時、弟に「目覚まし兄ちゃん」とかいうあだ名を付けられたことがある。そもそも自力で起きる気が無いことが透けて見える発言であり、人を目覚まし扱いして! と、初めの頃は怒ったものだが、残念ながら弟には甘い。結局目覚まし兄ちゃんになってあげてしまう、自分が一番しょうがないやつなんだよな、と思う。

 ラスターがいなくてちゃんと学校に行けるのか、若干心配ではあるが、兄ちゃんはいつまでもお守りをしてやれない。あとは両親に頑張ってもらうしかないだろう。

 そんなラスターの家族事情について、スペルは知るはずもないのだが、一人暮らしを始めて早々に起こしてくれと頼まれるとは。何だか笑えた。


 パンをほお張り終え、身支度を進めた。



 徒歩でも充分間に合うくらいの時間に家を出た。

 ラスターの部屋は2階である。アパートの外廊下は、スペルの家の2階の部屋のベランダに跳び移れそうなくらい近い。カーテンの隙間から明かりが漏れているようなので、何だ、ちゃんと起きてるじゃないか、と思った。階段を降りて、スペルの家のドアへ向かう。


「…」


 呼び鈴を押すが、返事が無い。

 もう一度押す。家の中からかすかに鳴っている音がするから、壊れているわけではなさそうだ。


 読書に夢中で気づかないのか?

 仕方がないので、今度はモビリンをかけてみるが、出ない。他に手立てが無いか考えながら、とりあえずもう一度かける。


「…何」


 出た!

 しかし、ずいぶんぶっきらぼうな声だし、自分で起こしてと頼んでおいて「何」とは何ごとだ。


「おいスペル、起きてんのか? もう行かないと間に合わないぜ」


「…何に? キノコですか」


「何にって、学校だよ! 今日から授業だろ!! キノコって何だよ」


「キノコに維管束があるわけないだろ!!」


「はい?!」


 全く会話が噛み合わない。

 間違えて別の人に繋がっているのかと思ってモビリンを確認するが、間違いなくスペルにかけている。電話越しなので少し自信が無いが、声もまぁ、スペルの声だと思う。


「ガゴッ!!」


「おい、今の何の音? おーい、スペル!」


「…」


「スペル~! お~い」


「…」


 寝ぼけているのか? それにしても、本当にあの、穏やかな優等生君なのか? にわかには信じがたい。昨日は何度か失礼なことを言われたものの、物腰は始終穏やかで利発そうだった。何回呼んでも返事は無く、だんだん不安になってくる。

 一度通話を切ってかけ直してみたら、今度はもう、一向に呼び出しに出ない。試しに玄関のドアノブに手をかけるが、やはり鍵がかかっていて開かない。

 どうしたものか。


「うーん、ダメ元で試してみるか」


 あの2階の部屋である。

 鍵はかかっているかもしれないが、明かりがついていたし、もしあの部屋にいるなら窓を叩けば気づくかもしれない。階段を戻り、2階のベランダの手前まで来た。


「よっ と」


 ベランダに跳び移り、窓をコンコン叩いてみたが、反応は無い。明かりが漏れているカーテンの隙間から中が見えないか、背伸びをして覗き込んでみるが、ちょっと幅が狭すぎる。

 ラスターの隣の部屋に住んでいる先輩学生が登校のために出てきて、怪訝そうな顔でこちらを見ている。確かに、これでは不法侵入を企てているように見えてしまうかもしれない。


「お、おはようございます~! ここの住人も新入生なんスけど、寝坊してるみたいで、起こしたいんスよ~」


 窓の中を指差し、冷や汗をかきながら、挨拶と言い訳をした。


「そ、そうか、頑張れよ…?」


 怪しさは拭いきれないが、先輩はとりあえず登校していった。ここの窓がダメなら他に開いているところが無いかホウキに乗って回ろうと思っていたが、そろそろ登校する学生も増えてくる。怪しすぎる。


 明かりは消し忘れただけで、もう家にいなかったりして。モビリンの返答も、わざと変なことを言ってラスターをからかったのかも。だとしたら酷いな、昨日はいいやつだと思ったのに。


 最悪の場合を想像して落胆しながら、ラスターが窓の取っ手にとりあえず手をかけた。


「お、開いてる…!」


 無用心だな、と思ったが不幸中の幸いだ。キョロキョロ周りを見渡し誰も見ていないことを確認して、中に侵入した。




 スペルは、その部屋にいた。


 うつぶせで部屋の真ん中あたりにスペル本体が落ちており、モビリンは窓の近くに落ちていた。さっき電話口で聞こえた音は、モビリンを投げて壁に当たった音だったようだ。

 机には本が山積み。毛布がメチャクチャのベッドの上と、枕元にも本が山積みである。いくつかの本は読みかけらしく、開いたままだ。部屋の明かりは、起きてからつけたというより、つけっぱなしで寝落ちしたと考える方が自然に思えた。

 ベッドの向かい側の壁には作り付けの本棚があり、半分くらいが本で埋まっている。作り付けの本棚がある家なんかあるんだな、とラスターは思った。


 とりあえずスペルに近づき様子を確認すると、スースーと寝息特有の呼吸音がする。多分、寝ているだけだと思うが、大丈夫だろうか。

 読んでいた本のせいで何か起きたとか? 呪いの魔導書の映画があったなぁ、タイトルは何だっけ。そんな危険な本が学校の図書館にあるとは考えにくいが。


「おーい、スペル、大丈夫か?」


「…」


 呼び掛けても返事が無いので、試しに脇腹をつついてみる。


 ピクッ


 反応がある。やっぱり寝ているだけか。さては本読むのに夢中で夜更かしでもしたな。

 ならば思い切りくすぐってやるまでである。悲しいかな、弟に鍛えられた「目覚まし兄ちゃん」の血が騒ぐ。

 くすぐり始めるとすぐにスペルは身をよじり、叫んだ。


「…ぎゃっ! ゃ! やめて! もう起きてるでしょう!!」


「いーや起きてないね! 目つぶったままで何言ってんだ!!」


「やめてよお父さん!!」



 やめてよお父さん、である。

 これには耐えられず、ラスターが噴き出す。


「お、お父さんて! ブフッ お父さんじゃねーよ!!」


「…そうしてお父さんは、闇の中をさ迷う運命となったのでした…」


 突然の物語の朗読。お父さんは闇の中に投獄されてしまったらしい。

 また寝息が聞こえてきてしまったので、今度は両手の人差し指と親指で、スペルの目を無理やり開けさせる。


「おーい、起きろ、見えるか?」


「見えてる見えてる。見えてますよ、維管束が」


「はぁ?!」


 目は開いているが、別のものが見えているらしい。

 維管束は、さっきモビリンをかけた時にも出てきたフレーズだ。維管束とは、植物の体に水分と栄養を巡らせている、動物で言う血管のような組織である。一体何の夢を見ているのだ。直前まで植物学の勉強でもしていたのだろうか。


 頬を引っ張って伸ばしてもダメ。せっかくスペルの髪が長いので、毛の束をつまんで鼻に突っ込んでみたが、これもダメ。仰向けにしたり、うつぶせにしたり、転がしたり、無理やり起き上がらせてみたり、色々やったがてんでダメ。

 なかなか手強い。弟以上かもしれない。時計を見て、ふと冷静になる。


「はぁ、オレ、何やってんだろ…」


 もう時間的に絨毯じゃ間に合わないと思う。うかうかしているとラスターまで遅刻する。困り果てながら、スペルの長い耳を引っ張った時だった。


 パシッ


 手の甲で勢いよく弾かれた。


「やめろ」


 ずいぶん怒った声だ。耳、苦手だったのか。でもこれなら起きるかもしれない。

 床に横向きに寝そべったままのスペルの右耳を軽く引っ張り、耳元で叫んだ。


「起きないと、マジで遅刻するぞ!! 残念でしたー!! 予習の意味なーし!!」


「ぅるさーーーい!!」


「ゴフッ!!」


 勢いよく起き上がったスペルの頭が、ラスターの顎に直撃した。


「い… いてぇ…」


 顎を押さえてうずくまるラスター。舌もちょっと噛んだ。鉄の味がする。ほんとに痛い。



「痛ッ… えっ あれ、何でラスターがいるんですか?」


「…よぉ、おはよう… ハハ… 起こすの苦労したぜ…」


 ようやく正気に戻ったらしいスペルを見て、もう怒る気も失せて笑えてくる。


「うわぁああ!!! 何ですかこの時間!!」


「自業自得だ、ホウキならまだ間に合うだろ。早く準備して!!」


「僕、ホウキ持ってません!」


「うっそ、何でだよ! もう、とにかく早くしなさーい!!」


 仕方がないので、その日はロープを使ってラスターがスペルの絨毯を牽引して登校し、何とか間に合った。ホウキですいすい抜かしていく学生達の視線が痛かった。


 スペルが起きられなかった理由は、ほぼ予想通りであった。昨晩は本を読んでいたら時間を忘れ、夜更かししてしまったとのこと。事件性が無いのは良かったが、はた迷惑な話である。


「今日は11時になったら、もう寝ろって電話するからな!!」


「ホントすみません… そんな、親みたいなことさせて…」


「ははは、そういえばスペル、寝ぼけてオレのことお父さん! って呼んでたぜ」


「えぇ、嘘でしょ…」


 スペルは心底恥ずかしそうに顔を覆った。


「ホントホント。次に寝ぼけてたら録画するからな!!」


「気をつけたいです… でも早く寝てもあんまり変わらないんですよねぇ…」



 スペルの横頭も、ラスターの顎が刺さって相当痛かったと思うが、あっちは髪の毛で隠れている場所だ。たんこぶが出来ても目立たなくて羨ましい。ラスターは、まだズキズキ痛む顎をさすりながら、アザになるかな、と心配した。


 ラスターが抱くスペルの印象は、颯爽と圧縮バッグを貸してくれた昨日の時点から、わずか1日で180°変わってしまった。

 こんな欠点を抱えたやつだったとは。しかも迷惑。なのに、親近感と好奇心の方が勝ってしまうのがちょっと悲しかった。


「スペルには圧縮バッグの借りがあったけど、オレ、借りを返しすぎたよなぁ?」


「うーん、確かにそうですねぇ…」


「あはは、今度は逆に、借りを返してもらえるの待ってるからな!」


「ラスター、もう先生来たから静かにしなくちゃだめ!」


 斜め前の席に座っていたエイチェルが、振り返って小声でラスターを責めた。口元で人差し指を立てて、しー、と言う。


「お、ごめんごめん」


 怒ったような顔がちょっと可愛かったので、思わずにやけながら黙る。

 1コマ目の授業は「魔法学総論」である。


挿絵(By みてみん)

背景塗りつぶしただけで同じ絵ですが、シェリーさん。

明るく気さくで学生にも人気がありますが、ちゃっかりしっかり。商売っ気があります。

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