百合ソウ
「ん、んん……? えっ!?」
目が覚めるとそこは薄暗くて狭い倉庫のような場所だった。
どこ、ここ!?
何で私、こんな場所で寝てたの!?
起き掛けでぼんやりした意識のまま必死に頭の中を探ると、段々と記憶が輪郭を帯びてきた。
――そうだ。
私は部活帰りに、ちょっとだけ本屋さんに寄ろうと、一人で人気のない裏路地を歩いてたんだ。
そしたら急に後ろから、誰かにハンカチみたなもので口元を抑えられて、それから――。
……ダメだ、そこから先はテレビのスイッチを切ったみたいに、ぷっつりと映像が途切れてる。
え……、もしかしてこれって誘拐!?
私の家なんて、お父さんはバーコードハゲの冴えないサラリーマンだし、お母さんは専業主婦という名に胡坐をかいてゆるキャラみたいな体型になってるし、弟は思春期でエロ本の隠し場所をどこにするかということしか頭にないサルだし、私自身は貧乳な上大して可愛くもないくせに、自尊心だけはインターハイクラスのクソメンドクセー今時のJKな、誘拐するだけ損の地雷物件なのに!
「う……ううん……」
「っ!」
その時、私の横にもう一人誰かが寝ているのに、今更ながら気付いた。
そして私は目を見張った。
――それが同じテニス部の、香苗先輩だったからだ。
「か、香苗先輩ッ!」
私は思わず香苗先輩の身体を乱暴に揺すった。
「……え? あれ、瑠美? 何であなたがここに?」
香苗先輩もついさっきまでの私同様、状況が飲み込めてないみたいで、長いまつ毛が付いたおっとりした眼をしばしばさせている。
まあ、私も状況は毛程も理解できてないんだけど。
「私もよくわかんないんですけど、私達、誘拐されちゃったのかもしれません」
「そ、そんな!? 誘拐!?」
香苗先輩は口元に手を当ててアワアワしている。
そしてそのたびに先輩のたわわに実った乳房がたゆんたゆんと揺れている。
ぐぅ……。
こんな時だけど先輩の乳房が憎い。
先輩はいつも、胸が大きくても肩がこるだけで何も良いことなんかないわよってボヤいてるけど、私に言わせればそれは、「毎日お寿司ばっかり食べてたら飽きる」って言ってるようなものだ。
世の中にはお寿司が食べたくても食べれない子だっているんですよッ!!
貧乳の私がそれを聞いて、いつもどんな気持ちになってるか先輩にはわからないでしょッ!?
……おっと、イケナイイケナイ。
すぐ卑屈になるのは私の悪い癖だ。
今はとにかく状況を整理しないと。
「ひょっとして香苗先輩も、突然誰かに襲われたんですか?」
「え、ええ……。一人で帰ってたら、急に後ろからハンカチみたなものを口元に当てられて……。瑠美もそうなの?」
「はい」
「……そう」
香苗先輩は不安そうに俯いた。
サラサラの長い黒髪が垂れて、くせっ毛の私はそれにすら嫉妬してしまう。
でも、これで誘拐の線が俄然濃くなった。
何故なら香苗先輩の家は、この辺りでは有名な資産家だからだ。
ウソかホントかは定かじゃないけど、50LDKくらいある豪邸に住んでいるという噂まである。
身代金目的の誘拐対象としてはうってつけだ。
ただ、そうなると私も誘拐されたことが説明付かないけどね。
私の家は先述の通り地雷物件だし、香苗先輩と一緒に下校してた訳でもないのに……。
『やあ、香苗、瑠美、おはよう』
「「っ!!」」
その時、部屋の隅に置いてあるモニターがついて、そこに百合の花みたいな仮面を付けた、いかにも怪しい人物の顔が映し出された。
ボイスチェンジャーで声を変えているらしく、機械的な音声が狭い倉庫に響いている。
『私の名は百合ソウ。百合を心から愛する者だ』
「百合ソウ!?」
何そのフザけた名前!
有名なサイコスリラー映画にでもかけてるつもり!?
てか、その百合ソウとやらが何で私達を誘拐したのよ。
『百合好きな私には一目瞭然なのだが、君達二人は所謂無自覚両想いというやつなんだ』
「「っ!?」」
無自覚両想い!?
私と香苗先輩が!?
冗談じゃないわ!!
美人で巨乳でお嬢様の香苗先輩は、私にとって妬むべき対象ではあっても、恋愛対象になるなんてことは天地がひっくり返っても有り得ない!
そもそも私は百合じゃないし!
……まあ、まだ初恋もしたことはないけど。
それに先輩が私を好きだっていうのはもっと有り得ないわ。
私なんてチビで貧乳の皮肉屋で、可愛いところなんて欠片もないもの。
「ど、どういうことなんですか!? 私と瑠美が、その……無自覚両想いというのは……」
香苗先輩は頬を赤く染めながら、モニターの百合ソウに向かって問いかけた。
え?
何で先輩、そんな顔してるんですか?
違いますよね?
先輩はノーマルですよね?
百万歩譲って百合だったとしても、私なんかのことを好きなはずありませんよね、先輩!?
『よって今から君達には、自分の気持ちに正直になってもらうために、私から課題を与える』
「課題……!?」
が、百合ソウは香苗先輩の言葉をガン無視して話を進めてしまう。
そもそもこの映像自体、あらかじめ録画されたものを流しているだけなのかもしれない。
『その課題は――恋人繋ぎだ。頑張ってくれたまえ』
「「っ!」」
それだけ言うと、モニターの映像はプツリと切れた。
恋人繋ぎ……。
恋人繋ぎっていうと、指と指を絡ませて手を繋ぐ、その名の通り恋人同士がする、あの恋人繋ぎ!?
えー、無理無理無理!
そんなの女同士でするなんて、恥ずかしくで絶対無理だよ!
しかもそんな……両想いとか言われた後にさ。
「あの……瑠美、どうしよっか?」
「えっ!?」
香苗先輩が若干上目遣い気味で、私を見つめてくる。
おおう……、美人はどんな仕草をしても美人だなオイ。
「いや、ど、どうと言われましても……」
「恋人繋ぎをしなきゃ、ここからは出さないって言われちゃったよね?」
「あ、ええ……そうですね」
「……」
「……」
何でそこで黙るんですか!?
え?
もしかして先輩は、満更でもない感じなんですか!?
いやいやいや勘弁してくださいよ!
私はノーマルなんですってば!
「え、えーっと、そもそもここ、どこなんですかね」
「え?……ええ、そうね」
私は気まずい空気を誤魔化すために、適当に話題を変えた。
でも、確かにここがどこなのかは気になる。
ポケットのスマホを確認すると、私達が拉致されてから、まだ一時間も経っていない。
それならそんなに遠くまでは運ばれてないと思うんだけど……。
私は立ち上がってこの部屋に一つしかない、物々しいドアのノブを捻ろうとしてみた。
が、予想通りビクともしなかった。
ま、そりゃそうだよね。
参ったな……。
これマジで、先輩と恋人繋ぎするまでここから出られない感じなの……?
「ねえ、瑠美」
「え? は、はい、何でしょう」
「瑠美は私と恋人繋ぎするのは……嫌?」
「っ!」
先輩は潤んだ瞳で私を見上げてくる。
くっはー!
可愛いいい!!
あああ、私が男だったらなあ!!
絶対先輩と付き合ってただろうなあ!
「い、嫌じゃないですよ、別に……」
そうだ。
どの道恋人繋ぎをするまでは出られないんだ。
だったら別に、恋人繋ぎするくらい何でもないじゃない。
何も先輩と付き合えって言われてる訳じゃないんだし。
「ホントに? じゃ、じゃあ……」
香苗先輩も立ち上がって、おずおずと右手を差し出してきた。
先輩の方が私より背が高いので、私が少し先輩を見上げる形になる。
「よ、よろしくお願いします……、瑠美」
先輩は耳まで真っ赤にしながら、私に差し出した手をプルプルさせている。
何だかこれ、交際を申し込まれたみたいな絵面になってない!?
大丈夫だよね!?
これはただ、ここから出るために、致し方なく恋人繋ぎをしようとしてるだけなんだよね!?
これを既成事実にされて、後からアレコレ言われたりしないよね!?
……とはいえ、ここで先輩の手を払いのける訳にもいかない。
「……こちらこそ」
社交辞令的にそう言って、私は先輩の手を左手でそっと握った。
――恋人繋ぎで。
……おお。
何だこれ。
恋人繋ぎなんて初めてしたけど、何だかちょっとだけ心がポカポカしてくる。
それに、香苗先輩の手がとても温かい。
先輩の体温が、繋いだ手を通して私に伝わってくる気がして、私は先輩と心と心までが一つに繋がったような錯覚に陥った。
――そっか、だから恋人同士は恋人繋ぎをするのか。
今わかった。
恋人同士はこうやって、お互いの体温を交換し合って、愛情を育んでいるんだ。
「……瑠美」
「っ!……先輩」
香苗先輩の顔を見ると、先輩は照れくさそうにはにかんで、私に微笑みかけてきた。
ああ!
可愛い!
香苗先輩可愛い!
私は心臓のバクバクいってる音が、繋いだ手を通して先輩に伝わらないか、それだけが心配だった。
『よろしい。第一の課題はクリアしたようだね』
「「っ!!」」
その時、再度モニターに百合ソウの顔が映し出され、信じられない言葉を言い放った。
第一の!?
第一のって言った今!?
そんなの聞いてないよ!
恋人繋ぎをしたら、ここから出してくれるんじゃなかったの!?
『続いての課題はハグだ。精々励みたまえ』
「なっ!? ちょっ、待っ――」
私の制止も無慈悲に無視して、またもや映像はプツリと途切れた。
……えぇ。
ハグはマズいよ。
ハグはマズい。
何だろう……、恋人繋ぎは私的にギリ許容できたんだけど、ハグは少しばかり一線を超えてちゃってる気がするんだよね。
だってハグだよ?
普通好きでもない人と、ハグなんてしないよね?
……まあ、恋人繋ぎもしないと思うけど。
それにこれは私達の体格的な問題なんだけど、私はチビだから、普通にハグしたら、私の顔が香苗先輩の豊満な乳房に埋もれそうなんですけど!?
それだけは絶対ダメだよ!
巨乳は私にとって、不倶戴天の敵なんだから!
それに今の私は恋人繋ぎで、ちょっとだけ心が動揺してるから、こんな状態で先輩の乳房に顔を埋めたら、どんな精神状態になるのか自分でもわからなくて怖いよ!
「……ねえ、瑠美」
「ひゃっ!? ひゃい!」
ヤバい。
先輩のことを意識し過ぎて、もうろれつも回らなくなってきてる。
「私ね、マロンっていうシャム猫を飼ってるって、前に言ったじゃない?」
「え? ああ、はい」
確かに何度か聞いた。
先輩はマロンっていう、毛並みの良い丸々としたシャム猫を溺愛してるらしくて、スマホで撮ったマロンの画像を、部活の後に見せられたこともある。
でも、何故今その話題を?
「いつもならね、そろそろマロンにご飯をあげてる時間なの……」
「っ!」
「早く帰らないと、マロンがお腹を空かせちゃうわ……」
「そ、そうですか……」
それは大変ですね……。
そんなこと言われちゃったら、さっさとハグして、ここから出るしかなくなっちゃったじゃないですか。
い、いや! 別に私も本当は先輩とハグしたかったから、マロンを口実にしてる訳じゃないよ!?
ホントだよ!
ホントだからね!?
……誰に言い訳してるんだろう私。
「……わかりました。しましょう、ハグ」
「!……瑠美」
香苗先輩は投稿動画のサムネに使われそうなくらい、魅惑的な蕩けた顔を向けてきた。
ひゃわわわわ!?
天使じゃない!?
私の先輩天使過ぎじゃない!?
今から私、こんな人とハグするの!?
ハグした上で、母なる海みたいな乳房に、顔を埋めさせてくれるの!?
そんなの絶対無理ッ!
そんなの絶対自分を抑えられなくなっちゃうよッ!
「じゃあ、いくね?」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいせんぱ――むぐっ!?」
が、香苗先輩は私の心の準備が終わる前に、私を優しく抱きしめて、強制的に母なる海にダイブさせた。
や、柔らけえええええええ!!!
ふにゅんふにゅんやああああ!!!
何これ何これ!?
これはアレだ! 例の人をダメにするソファだ!
何時間でも無限に身体を預けていたくなっちゃうやつだよこれ!
ああ~、凄い~。
どんどん理性が溶けてくよ~。
「ひゃうっ。る、瑠美、くすぐったいよ」
「あ! す、すいません!」
私は無意識のうちに、先輩に抱きつきながら乳房に顔をぐりぐりと押し付けていたらしい。
こんなの完全に変態だよ私!?
私は慌てて先輩から離れた。
「う、ううん……。いいよ? 瑠美なら」
「え?」
それって……、どういう……。
『よくやった。これで第二の課題もクリアだ』
「「っ!」」
そんな私達に百合ソウが水を差してきた。
……いや、水を差してきたってどういうこと!?
その言い方だとまるで私達が、イイ雰囲気になってたみたいに誤解されちゃわない!?
『いよいよ次が最後の課題だ』
「「!!」」
もう終わりなの……?
――えっ!?
今私何を思った!?
物憂げに、『もう終わりなの……?』って思わなかった!?
……いやいや思ってない思ってない。
私は一刻も早くここを出たいんだから、さっさとこんな茶番は終わらせたいはずだもんね。
もっと香苗先輩とここでイチャイチャしていたいなんて、微塵も思ってないはずだもんね!
『最後の課題は――キスだ』
「「!!!」」
キスッッ!?!?
キスってあのキスッッ!?!?
スズキ目スズキ亜目キス科に分類される魚の名前じゃなくて、愛し合う二人が互いの気持ちを確かめ合うためにする、あのキス!?
『キスとは愛のスタート地点であり、また同時にゴール地点でもある』とかいう名言風の何かを、古代ギリシャだかその辺りの哲学者的な人物が、言ったとか言わないとかいう逸話が残ってたり残ってなかったりする、あのキス!?
いやいやいやいやいや、それは流石に無理よ!
それはもう完全に言い逃れできないやつだもん!
それをしちゃったら、もう完全に先輩と付き合うしかなくなっちゃうじゃない!?
『健闘を祈る』
そんな私の心情なんてどこ吹く風で、百合ソウは捨て台詞を吐いて映像を閉じた。
ホントもう……、こいつメチャメチャだ……。
「……瑠美」
「え?」
その時、香苗先輩が虚ろな眼で私を見下ろしながら、こう言った。
「私……、瑠美とキス…………したい」
「っ!!!」
えーーー!?!?!?!?!?
せせせせせ先輩ーーー!?!?!?!?!?
今、私とキスしたいって言いましたーーー!?!?!?!?!?
「私やっと今気付いたの……。私は瑠美が――好き」
「!!」
香苗先輩……。
「だからお願い。これっきりにするから、一度だけ瑠美と――キスをさせて?」
「せ、先輩」
香苗先輩は胸の前で手を組み、今にも泣き出しそうな顔で、祈るように懇願してきた。
そんな顔で請われては、私の喉からはもう、それを断る言葉は出てこなかった。
「……はい」
私は呟くようにそう答えると、目をつぶって唇をそっと突き出した。
「っ!る、瑠美……」
香苗先輩が戸惑いながらも、じりじりと近付いてくるのが気配でわかる。
そして震える手で、ゆっくりと私の肩を掴んだ。
先輩の甘い吐息が、私の顔にかかる。
こっそりと薄目を開けると、同じく薄目を開けていた先輩と、まつ毛とまつ毛が付きそうな程の距離で目が合った。
その瞬間、私には世界が止まって見えた。
「ふふふ、瑠美」
「せんぱ――んふっ」
私の唇は、香苗先輩の唇で塞がれた。
ファーストキスは、レモンの味なんかじゃなかった。
無味無臭だけど、確かな人の質感だけが、そこにはあった。
けれどもそれが、私には無性に愛おしかった。
一秒にも、一時間にも感じる、短くて長い間、私達は唇を重ね続けた。
そしてどちらからともなく唇を離すと、私と香苗先輩は互いの眼を見つめ合った。
「先輩……、私も香苗先輩が――好きです」
「っ!!」
私もやっと今気付いた。
百合ソウの言う通りになったのは少しだけ癪だけど、私は香苗先輩が好きだったんだ――。
「る、瑠美……」
先輩は顔をくしゃくしゃにして、おでことおでこをくっつけてきた。
「私も……私も瑠美が好きだよおおおおぉ」
「ふふ、さっきも聞きましたよ、それ」
年上で私より背も高い人が子供みたいに泣きじゃくる姿は、言葉にできない程可愛らしくて、私はよしよしと先輩の頭を撫でてあげた。
『おめでとう。これで君達は自由だ』
「「……!」」
モニターに映った百合ソウがそう言うと同時に、ガチャッという音がドアの方から聞こえた。
どうやら鍵が開いたみたいだ。
最初こんなところに閉じ込められた時は、本気で腹が立ったけど、まあ、結果的には私も自分の気持ちに気付けたし、一応ありがとうって言っておいてあげるよ、百合ソウ。
「さあ、帰りましょう、香苗先輩」
「……うん」
私と香苗先輩は、恋人繋ぎで歩き出した。
――でも、百合ソウの正体って、いったい誰だったんだろう?
ふとモニターに目を向けると、百合ソウの後ろを毛並みの良い丸々としたシャム猫が横切ったような気がした。
おわり