東の森
セナティス王国の東西南北に位置する森は、僅だが魔力を帯びている。
というのも、森の中の空間が歪み時折別空間に繋がるのだそうだ。
精霊は魔力を帯びた森を好む為自然と森に住み着くのだが、魔獣はというと、空間の歪みが生じた際、別空間からこちらに移動してくるらしい。
元々別次元の住人である魔獣の力は、人や精霊以上のものなのだが、それでも個体差があり、上下関係は一生変わらないのだそうだ。
しかも、上位にいけばいくほど自我が強く、馴れ合う事を嫌うため、人に干渉してくる事はほぼ無いに等しいという。
黒い狼も少女が亡くなった後は姿を消した為、現在セナティス王国で魔獣と契約できている者の人数は5人程で、その魔獣一頭の暴走を抑えるには、力のある精霊が5体は必要なのだそうだ。
魔獣と比べれば、精霊は相性が合い自分が気に入った人間であれば、比較的契約してくれるらしいが、やはり力のある精霊ほど気難しくもあるらしい。
昨日フィリシアの部屋までついてきたルルーシュが、恐らくフィリシアは知らないだろうからと、親切にもそんな話をしてくれたのだ。
確かに初めて聞く話で、とてもためにはなったのだが、どういった心境の変化なのかと尋ねてみたものの、明確な返事は貰えなかった。
代わりに『フィリシアは伯爵令嬢なんだから、無理して魔獣や精霊と契約しなくても良いんじゃないか?』と、優しく進言され、つい流されて頷きかけたのは誰にも内緒にしておこうと思う。
今日も朝から渋るルルーシュをどうにか言いくるめ東の森の入り口に立っまでに至ったフィリシアは、目の前に広がる青々と繁った木々を眺め、笑みが溢れた。
「嬉しそうだね。フィリシア」
隣に立つルルーシュに苦笑いを向けられても、その笑顔は晴れやかで、喜びしか伝わらないだろう。
「向かう場所は、決まってるんだよね?」
ルルーシュには困ったように肩を竦められたが、フィリシアは「もちろん」とだけ答えると、迷うことなく歩き出した。
木々が育っているせいか、足元の草の高さは以外にも低く、フィリシアでも躓く事なく歩みを進める事が出来る。
気持ちの逸りに会わせるように、歩みも早くなっている事にも気付かないでいると、意外だと言わんばかりにルルーシュから驚かれた。
「フィリシアは伯爵令嬢なのに、草が険しいとか虫がいるとか気にならないんだね」
ルルーシュの驚きの方が、フィリシアにとっては驚きでしかなく、笑いが込み上げてくる。
「森に草があるのも、虫がいるのも当たり前でしょ?わたし、この日の為にリナリアと屋敷の裏にある森を探索して草も虫も平気になるよう頑張ったの。だから、歩くのも上手でしょ?」
自慢話だと披露すれば、ルルーシュも楽しげに笑いを溢した。
「フィリシアそれは、余り自慢にならない事だから、僕以外には話さない方が良いよ」
軽く頭を撫でられ、少し迷ったものの、ルルーシュが言うのであればそうなのだろうと納得するしかない。
何せ相手は、完璧な王子様を地で行く相手なのだ。
「わたしが完璧な令嬢になる道程は、黒い狼を目付る以上の努力が必要と言うわけね…」
道程は険しいと、大きく肩を落としていると、優しく撫でられていた掌が不自然に止まっている。
どうしたのかと、掌の隙間から見上げれば、ルルーシュの深い湖のような色をした瞳に、困惑した表情で見下ろされていた。
「フィリシア、まさかこの東の森に黒い狼を探しに来たとかいうんじゃないよね」
昨日初対面の時に放たれた言葉で、ルルーシュが察しの良い事に気付いてはいたものの、こんな他愛もない会話からでも他方向に予想が出来る頭の柔らかさと回転の速さは、優秀の一言では流せないと思う。
フィリシア自身は、多少前世の記憶があり普通の5歳児以上に思考回路がしっかりしているのは当たり前なのだが、7歳の少年でしかないルルーシュにこうも先読みされるとは思ってもいなかったのだ。
フィリシアの予定では、東の森に入り暫くたった後、ルルーシュとはぐれた振りを装おって、黒い狼の元に行くつもりだった。
何せフィリシアは5歳の少女で相手は7歳の少年なのだ、少し目を離した隙に見失ってもおかしくは無い。
無い筈なのだが、そんな事態すら起こせないのでは無いだろうか…。
だとしたら、目的地に向かう事を諦めるか、それともルルーシュに本当の事を話すかの二択しかなかった。
「フィリシアは、この東の森に400年も前に姿を消した伝説の魔獣がいると思っているんだ」
フィリシアの返答が無いせいで、独自に思考を巡らせているルルーシュの様子を伺ってはいたものの、やはり誤魔化すのは難しく観念するしかなさそうだ。
「そうなの。わたしこの森に黒い狼を迎えに来たの」
深い湖のような色をした瞳を真っ直ぐに見詰め、フィリシアが真相はとばかりに伝えると、ルルーシュは微かに眉間を寄せ、口を閉ざした。
「夢で見たと言ったでしょ?だから彼のいる場所も分かるの」
はしゃいで見せる訳でもなく、戸惑いを見せるわけでもなく、ただ静かに伝えると、「そうか」とだけ返された。
先ほどまで浮かべていた戸惑いや困惑といった表情までも拭い去ったルルーシュは、やはり見惚れる程美しいと思う。
「その場にはフィリシアだけで行った方が良いのかな?」
何か考えを過らせつつも、そんな事を尋ねてくるルルーシュに、改めてどうなのかを問われると、1人に拘らなくても良いような気もしてくるのだ。
フィリシアが1人に拘っていたのは、黒い狼の事を語っても信じて貰えないだろうという思いが大半を占めていて、こんなにすんなりと信じてくれたルルーシュであれば、何が起きてもありのままの現実を受け止めてくれるだろう。
「道程が解っていても、危ない事には代わりないからね。フィリシアが問題を感じなければせめて近くまで一緒に行っても良いかい?」
優しい眼差しで尋ねられ、頷きかけた瞬間に、ルルーシュとフィリシアの間を割裂くような強い風が通りすぎた。
今まではそよ風程度にしか吹いていなかったせいで、突風に煽られるように体制を崩したフィリシアだったが、地面にお尻を打ち付ける前に、柔らかな感触が背中を支える形で伝わってくる。
その感触は忘れる筈も無いもので、とても懐かしいものでもあった。
「ヴォル!」
喜びの余り、見上げるまでもなく振り返って黒くて毛並みの良い狼へとしがみつく。
4歳のフィリシアでは、大きな狼の体には届かなかったらしく、伝わってきたのはふさふさとしたしっぽの感触だった。
『遅っせぇ、どんだけ待たせんだよ!ってか、フィンお前小さすぎだろ』