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6月10日 月島千春 2

6月10日 月島千春 2



「影山君と少し話がしたいんだ」

 私が(かえで)とかおりにそう言うと、

 私たちも残る、と言われたので私たち三人は作星高校の構内にある学食施設「メイカスタ」に行き、時間を潰した。「メイカスタ」は授業終わりの作星生でごった返していた。私たちは各々が購入した飲み物を片手に、窓際のカウンター席でお喋りを始めた。


「楓もかおりも待ってなくていいのに」

 と私が言うと、かおりがパックのレモンティーを飲みながら

「まあいいじゃん、付き合いってことで」

 ふふん、と鼻で笑う。

「それにしても千春ってなんでそんなに良い子なのよ。千春って絶対いい嫁になるじゃん」

 楓が身振り手振りでオーバーリアクションを取る。そのたび、手に持っているペットボトルのウーロン茶の泡立ちがよくなっていく。

「ああ、もしかして千春」

 かおりがにやっとして私を見る。

「違う違う、そんなんじゃないよ」

「まあ、影山君だもんね」

 楓とかおりが失笑する。影山君には他のクラスの男子とは違ったベクトルのかっこ良さがある事を二人は知らないのだ。しかしそれを今ここで主張すると話がこじれそうなのでやめておく。

「じゃあさ、千春は誰が気になってんの?」

 かおりのこういう不躾(ぶしつけ)な所を私は気に入っている。

「うーん、かおりかな」

 私がそう言うと楓が

「何でかおりなの、私という人がありながら!」

 とドラマ仕立てでおどける。

 楓は佐伯さんと篠原さんと一緒にいた時よりもずっと生き生きとしているように見える。


 「メイカスタ」の中央にある大きなアナログ時計に目をやると、午後の四時近くを指していた。授業が終わって30分以上経過していた。私が、じゃあ行ってくるね、と言うと二人は

「教室のそばまで一緒に行くよ」

と言ってくれたので、素直に受け入れた。


「じゃあ楓とかおりは教室の入口あたりで待ってて」

 と言い残し、私は教室へと入っていった。

 そこには案の定、影山君が一人でいた。影山君は放課後になると机に向かって勉強している事がある。私も私で、読んでいる本の続きが気になって中々席を立てないまま、気がつくと教室には影山君と二人きり、という状況になったことがしばしばあった。



「影山君」



 さも、何事もなかったかのように影山君に私は話しかけた、つもりだ。

 数学の問題集「青チャート」を解いていた影山君は顔を上げ、「ああ、月島か」と言って答えた。


「影山君に教えてもらった『CUBE(キューブ)』、こないだ観たよ。『SAW(ソウ)』よりも私はこっちの方が好きだな」

「ソリッドシチュエーションって言うのかな、お金をかけなくてもアイディア次第で面白くなっちゃうような映画。私は好きだな」

「『キサラギ』は香川照之が良かったよね。ていうか香川照之が出てる映画ってアタリが多いよね。例えば『鍵泥棒のメソッド』とか『クリーピー』とかさ」

 私は手当たり次第にべらべらと喋った。影山君は控えめに相槌を打つだけであった。


しばらくすると、

「なあ、月島」

 と、影山君は私の独り言にも近いお喋りを制してこう言った。


「気持ちはありがたいんだ。けどさ、月島がわざわざこっち側に来る必要ないよ。鈴木や前田が心配そうに見てる」


 私が振り向くと、確かに楓とかおりが不安げな表情を浮かべて私たちを見ている。

「今朝の事もあったし、夏目たちに目をつけられているんじゃないのか」

「そんな事は関係ないよ。私、みんながみんなと仲良くして欲しいだけ」

 言った、言ってしまった。実際に言ってみて私は思った、ズルい言い方だな、と。影山君の反応が気になった。

 しかし影山君は、「月島は優しいな」と予定調和としてのお世辞を述べるでもなく、少し考えて、短く、端的に私の目を見てこう述べた。


 「なあ月島、(けが)れるのが怖いんだろう」


 この言葉は、私の心臓ではなく、心に刺さった、

 ひと突きで私の心に到達した槍は、勢いそのまま全身を貫いた。

 貫かれた事を私が自覚したのは、血液の代わりに涙が溢れ出てきたあとである。


 影山君にこう言われて、私は初めて自分自身の気持ちに気がついた。

 私が平和を願う理由は、私自身を(けが)れたものにしたくないからだ。私は潔白でありたいのだ。誰からも後ろ指をさされることなく生きてきた、と自負したいのだ。一人ぼっちになっている影山君に声をかける事で、私の心は潔白を維持することが出来るのだ――こんな私の独りよがりな思想を私自身よりも早く影山君は見抜いていたのだ。

 そしてなし崩し的に、私は私の心を奥深くまで覗き込む事になる。そこには潔白とは似ても似つかない、どす黒い塊が鎮座している。そう、私は心のどこかで、このクラスで私だけが(けが)れていない、という密かな優越感を感じていたのだ。 


 私の尋常ではない様子を見て、楓とかおりは慌てて私の元へ駆け寄った。私の傷口を塞ぐ応急処置のため、私に慰めの言葉を、影山君には罵声を投げかけていたが、どうにもこの胸の風穴は開きっぱなしで、元に戻ることはない。ならば……

 私の秘密の扉を開いた張本人に対し、

「小説、書いたら見せてよね。絶対だからね」

 破れかぶれになりながらこう言い残し、楓とかおりに抱きかかえられるようにして教室を後にした。


 教室の出口から伸びる廊下に、夏目さんが立っていた。こんなところを彼女に見られるとは。

 私は笑いたければ笑え、と言わんばかりに彼女に向かって


「なんかおかしい?」


と、今朝彼女からもらった言葉をそっくりそのまま返した。楓とかおりに抱きかかえられながら、涙でぐしゃぐしゃの顔をした私。彼女から見れば、明らかに異常な光景として目に映ったはずだが、彼女が発した言葉は


「べつに、おかしくないよ」


だった。彼女は、私の事に興味がないとか、私をあざ笑うとか、そんなものではなく、影山君と同じく私に対して真摯(しんし)な眼差しをしていた。

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