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6月10日 月島千春 1

6月10日 月島千春 1



「なんかおかしい?」


 夏目さんが私に怒りをぶつけてきた事はかなり意外だった。本来なら佐伯さんと篠原さんが

「何あいつ、なんかウチらの事睨んでんだけど」

と、私に聞こえるように(ささや)く筈だ。(かえで)の時と同じように。


 楓と彼女たちにはこんな経緯があった。

 2年生に昇級する際クラス替えが行われ、まだ(かえで)にはクラスに親しい友達がいなかった。たまたま佐伯さんと篠原さんと楓は席が近かったため、しばらく彼女たちと一緒に行動していた。一緒に行動すると言うよりは、楓が彼女たちのあとを追ってついていく、と言った方が正しいかもしれない。そんなある日、楓が教室に入ってくるタイミングで彼女たちは

「何であの子、ウチらのグループに入ってんの」

と、楓に聞こえるように(ささや)いていたのだ。


 一部始終を見ていた私に対し、楓は何も言わないが、きっとその時の心境は「落ち込んだ」という言葉では抱えきれる重量ではないだろう。思い出すと胸が締め付けられる。


 人の非難をひとつ聞き流すたび、ひとつ何かを諦めているような自己嫌悪に陥る。私は「みんながみんなと仲良く暮らす世界」を願っている。しかし、それを言葉に出すのは、とても恥ずかしい事のように思える自分がいる。今回の影山君の件は私にとって恥ずかしさの殻を破るチャンスだったのだ。佐伯さんと篠原さんが何か私に言ってきたら、

「影山君の非難なんかやめて、みんなで仲良くしようよ」

と、私は自身の理想を主張できた筈なのだ。


 しかし私の目論見(もくろみ)は外れ、代わりにやって来たのは夏目さんの「なんかおかしい?」という怒りが込められた問いである。完全に面食らった状態の私が答えに選んだ言葉は


「ごめん、なんでもない」


だった。

 周りから見たらとても不甲斐ない言葉のように聞こえるが、私は自分の本音をさらけ出さなかったことに実は安堵していた。


 梅雨が近づき、湿気を帯びた重たい空気は教室に留まり、不快指数は上昇する。

 朝の出来事があってから、私は気持ちをずっと引きずったまま影山君を目で追っている。


 私は、初めて影山君と喋った時のことを思い出していた。

 『失われた時を求めて』をついに読破した高揚感から私はつい先程まで使用していた栞を教室の床に落としてしまったのだ。気がついた時には行方が分からず、本腰を入れて教室中を探し回ろうか、と私が考えていた時だった。


 「これ、月島のだよね?栞、落ちてたよ」

 「影山君、ど、どうしてそれを?」

 私は驚きを隠せなかった。


 「尻尾の所がツマミになってるのか、よく出来てるね。月島の家の猫がモデル?」

 「そうだけど、そんなことより影山君、なんで私の栞だって分かったの?」

 褒められたのは嬉しいけれど、それよりも謎が深まった私は、影山君に食い入るように質問したのを覚えている。


 「だって月島、一週間前の自己紹介で猫が好きって言ってたから。僕も猫が好きだから覚えてた」

 「それだけ? たったそれだけ?」

 影山君は苦笑いをしてこう答えた。

 「それだけじゃなくてさ、読書した本が月島の机に置いてあるのをよく見るんだ。かけてあるブックカバーも栞と同じく手作りだよね、布生地にワッペンで。」

 私はうんうんと頷く。影山君は続けてこう話した。

 「落ちてるのを拾った時にさ、手作りの栞で猫で読書、と言ったら月島だなあって思った」

 「すごいね、影山君! 名探偵だね、ポアロだね!ありがとう」

 「ポアロの方がホームズより好きだな、僕は」

 「影山君も小説、読むんだね。どんなジャンルが好き?」

 影山君の苦笑いの苦味が更に増していったのを私は感じた。


 一呼吸を置いて、影山君は意を決したかのような表情で私に

 「書いてるんだ、小説」

 と小さな声で話した。

 私の質問の答えにはなっていなかったが、それが逆に影山君がジャンルを問わず、小説を読み漁っているという事を私は容易に想像できた。今度読ませてよ、ともし私が言ったら、影山君の顔がますます険しくなるに違いないと思ったので、それは言わないでおいた。

 校庭から雲雀(ひばり)の声が聞こえた。


 きっと、影山君が小説を書いている事を知っているのは私一人だけだ。あの様子だと、飯田君や菊地原君にも自分からは言わないと思う。ついでに言う事でもないが、影山君が意外とかっこいい事も、クラスで私一人だけが知っている、かもしれない。なんて。


 今の影山君は、まるでドーナツの穴のような、ぽっかりとした(たたず)まいのようだと私は思った。うん、我ながら変な例えだ。私にはきっと、小説は無理だろうな。

 事実だけを述べるならば、もう今日の授業が終わる時間だというのに、影山君はクラスメイトの誰とも話していない。いつも一緒にいる飯田君と菊地原君でさえ、影山君に近づこうとしない。

 

 私は強い憤りを感じ、放課後、影山君に話しかけることにした。

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