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6月9日  夏目陽奈 2

6月9日  夏目陽奈 2



 間違いなくあのウィンドブレーカーを着た男はクロだ。「()()()」が物語っている。男はすぐ前に立っている青陵の子に対して痴漢するつもりだ。そして影山は、この車両でただ一人だけ今の状況を理解していたのだ。


 私は影山に視線を移した。影山はまるで困難な数学の問題を解いている時のようなしかめっ面とも困惑顔ともとれる表情をしていた。影山の頬を伝った汗が顎の先端で雫を作りかけていた。


 私は影山の事を、初めて意識的に見ている。クラスで話したこともないし、声を聞いたこともない。飯田と菊地原――確か太っている方のメガネが飯田で、小さいニキビ面の方のメガネが菊地原、だったと思う――のオタク二人組と一緒にいるから、影山もそういうグループの冴えない奴、という印象しか私は抱いていなかった。しかし、いざ影山を単体で見ると、意外と普通、というか悪くないような気もする。


 ガタンゴトンと線路の継ぎ目を列車が通過するたび、私の体は僅かながら上下に振動する。


 ついに影山が動いた。ウィンドブレーカーの男と青陵の子の元へ歩みを進める影山は、難題の答えが出たのだろうか。私は無意識のうちに手は握りこぶしを作り、手の中は汗をかいていた。


 「あの……」


 声が車両内に響き渡る。ついに影山は青陵の子に向けて話しかけたのだ。

 車両内の乗客が一斉に影山に注目した。


 影山じゃん、と、エリカが小声で囁く。ミカとエリカの二人も影山を認識したようだ。

 影山の次の言葉を、乗客全員が待っていた。



 「あの……ぼ、僕とお、お茶でもどうですか」



 ……あのウィンドブレーカーの男を青陵の子から離すことには成功したみたいだ。

 しかし、予想外の影山のセリフに私は唖然とした。

 もっとこう、上手い言い方が絶対にあったはずだ。

 なぜ影山はナンパのパターンを選んだのだ、しかもご丁寧に断られている。


 やがて、電車は新大都宮駅に到着した。


 「サイッテー」


 ミカをはじめ、エリカや他の乗客は影山の真意を理解していない。

 しかし、ミカが影山に降り際に放った言葉を訂正させることは私にはできない。一本でも切る線を間違えると爆発してしまう爆弾は、私の高校生活に常につきまとっている。


 新大都宮駅の改札を過ぎ、ミカとエリカがトイレに寄ったので、私は女子トイレの前で二人を待つことにした。すると先ほど影山に助けられ、影山にナンパをされた青陵の子が私たちが通ってきた改札から出てくるのが見えた。さらりとした黒髪が肩まで伸びており、くっきりと二重の目と少し厚みのある柔らかそうな唇が特徴的な小柄な女の子だ。


 「ねえ、ちょっと」

 私は思いがけずその子に話しかけていた。

 彼女は少し驚いていたが、私が歩み寄ると立ち止まって話を聞く体勢になった。

 「さっきの……見てたんだけど……だいじょうぶだった? 」

 私がこう聞くと、彼女は答えた。

 「すごく……怖かったです。」

 彼女は続けて

 「私の右の耳元に生暖かい風が当たってるのを感じて、おそるおそる、目だけを動かしてそちら側を見たんです。」

 ごくり、と彼女は生唾を飲み込んだ。私も、ごくり、とした。

 「そうしたら、私の右肩のすぐ横に男の人の顔があったんです。」

 「私はもう、怖くて体が固まってしまい、逃げることも助けを呼ぶことも出来なかったんです。」

 「ただ、手にしていたスマホの画面を見ながら、たすけて、たすけて、誰か気づいて、と心の中で叫んでいました。」

 「その時、作星の人がやってきたんです。そして声をかけてもらって……」

 「見ててくれた人がいたんだ、と思って、安心して、涙が出てきて……」

 「でも私、すぐにでも電車を降りたいと思ってしまって」


 「それは仕方ないよ、怖かったもんね。」

 影山、やったじゃん。あんたのこと、この子は分かってたよ。

 そう思っていたら彼女が私に質問をした。

 「作星の生徒さんですよね?私を助けてくれた男の人を知ってたりしますか? 」


 「うん、クラスメイト。影山って言うの。」


 私は少しだけ、ほんの少しだけ誇らしさを感じた。彼女は私と影山に繋がりがあることを聞いて目を輝かせた。

 「私、その人――影山さんにまだちゃんとお礼を言っていなかったので、ぜひ今度お会いしてお礼をさせてほしい、と伝えて頂けますか? 」

 ミカの発言を咎めなかった罪悪感からなのか、いや、そもそも彼女に話しかけた時点で私は罪悪感を感じていたのだろう。私は影山に伝えると約束し、連絡先を交換した。



 彼女は青陵高校1年生の睦光(むつみひかる)という名前だった。



 お礼を言って立ち去ろうとする光を私は引き留めて、あのことを聞いた。

 「ねえ、影山、ヒカルちゃんをナンパしたみたいになってたけど」

 すると光は笑顔でこう答えた。

 「あんな泣きそうな顔でナンパする人なんかいませんよ。しかも、お茶でもどうですか? って」

 「だよね」

 私と光は笑い合って別れた。



 女子トイレの方を見ると、既に入口にミカとエリカが立っていた。まずい、と思い早足で彼女達の元へ戻った。ミカが非難がましく

 「ヒナどこ行ってたの、いなくなってんじゃん。」

 と言うので私は慌てて

 「ごめん、ちょっとコンビニの方に行ってた。」

 と、取り繕った。

 「影山みたいな奴にナンパされてんじゃないかと思った。」

 とミカ。

 「それ最悪」

 とエリカが合わせる。

 「てかさ、あの時ウチらの事、同じ作星だ、みたいな目で見てたやついたじゃん」

 「いたいた、マジふざけんなって感じだよね」

 「明日シュウ達に報告しとこうよ」

 「ウチらモロ被害者だもんね、ヒナもそうだよね」

 「そうだね」

 私がそう答えると胸がざらり、とした。


 そんな事を話しながら私達は「ソナチネシティー」に向かった。

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