姫と女騎士と
できうる限り卑猥になるよう描写してみました。
が、この作品では一切卑猥な行為は行われておりません。
念のため、卑猥な表現が苦手な方は読まない方がいいかもしれません。
王国歴313年。
王国は帝国の進攻によって、その長い歴史の幕を閉じようとしていた。
王族が次々と虜囚の辱めを受ける中、王の一人娘である姫もまた近衛を務めていた女騎士と共に捕らえられ、その身を獄へと繋がれていた。
姫と共に捕らえられた女騎士が姫と離されて、二ヶ月が経とうとしていた。
あの王国の敗北が決定的となり、帝国の魔手が王都へと迫ろうとした日。
女騎士は姫と共に王都より脱する事を決意した。
女騎士の行動は早く、機を見るに敏という言葉を体現するが如しであった。
しかしながら、敵の魔手は彼女の思惑を超えて広かった。
王都よりの脱出を見越した敵の指揮官は、機動重視の別働隊を前もって先行させ王都の包囲を完了していたのである。
それは彼女らを狙っての事ではなく、他に脱出する者を捕らえるためのものであった。
女騎士が状況判断に優れていたのに対し、帝国の指揮官は先見の明に優れていたのである。
そして他に王都より逃げる者がなかったため、結果として女騎士は配置された多数の兵士を相手に孤軍奮闘を強いられる事となった。
それでも脱出を諦めずに奮戦した彼女であったが、疲労によってできた油断を衝かれ、姫を人質に取られた。
そうして戦意を挫かれた彼女は、虜囚の辱めを受ける事となったのである。
姫を守り切れなかった事への罪悪感と共に……。
数多の敵兵に対し、八面六臂の奮戦を見せた彼女ではあったが、今や牢の壁面へ鎖で繋がれ、地下牢のわずかな自由すら享受する事も叶わぬ身となっていた。
そんな彼女が俯けられた顔を上げたのは、地下牢に響く複数の足音をその耳にしたためである。
鉄格子の前に現れた姿を眼に映し、彼女は顔に憎悪を浮かべた。
その人物は、帝国の部隊を指揮していた総大将。
帝国の王子である。
彼は一人で牢へ足を踏み入れたが、その背後。
牢の外には二人の騎士が立っている。
恐らく護衛であろう。
「我が兵の尽くを殺しに殺した猛将が、今や籠の鳥か。無様なものだな」
「くっ……殺せ」
王子の嘲笑に羞恥し、女騎士は呻く様に吐き捨てる。
「なんとも無責任なものだ。姫の近衛を任されながら、その責任を放棄しようというのだからな」
王子の言葉に、半ば諦めに侵されつつあった彼女の瞳に力が宿る。
「……! 姫は、姫はどこにいる! 無事なのか?」
「ああ。無事だとも」
女騎士は、姫の安否を諦めていた。
自らが無事であるならば大丈夫だろうと自分に言い聞かせ心を保っていた彼女であったが、この長い虜囚の生活に彼女の心は活力を失い始めていた。
もはやその命脈は絶たれているやもしれない、とそう諦めかけていた。
しかし、王子の言葉に希望を見出すや、彼女の消えかけた闘争心は再び燃え上がった。
「これから会わせてやろう」
彼女は考える。
これは好機ではないだろうか?
姫がここへ来るというのなら、何とか拘束を解いて脱出できないだろうか、と。
そう思うや否や、彼女はその考えを実行に移す事を決めた。
この即決こそが彼女の長所であり、あらゆる可能性を考慮しない短慮さという点から見れば短所でもある。
「だが、もはやお前の知る姫ではないかもしれないがな」
「どういう意味だ……?」
不敵な王子の言葉に一抹の不安を覚えつつ、女騎士は訊ね返した。
王子は背を向け「連れて来い」と牢の外へ声をかけた。
通路から二つの足音が聞こえ、そして女騎士は二ヶ月ぶりに自らの主の姿を拝謁する事が叶った。
しかしながらその姿に絶句した事は言うまでもない。
二ヶ月という期間は、人が変わるには十分な時間だったのだ。
ただし、そのためには過酷な環境下に置かれればという条件はあるが。
過酷な状況下は、聖人を悪漢へ変え、乙女を淫婦へ変えるだけの変質性を持っていた。
姫もまた例外ではなく、その変わり果てた姿に女騎士は思わず目を見張った。
最後に見た姫は上質な絹のドレスを着ており、それはもう華やかで美しい姿をしていた。
両親から守られ、慈しまれながら育った彼女は世間知らずさが目立っていたが、だからこそ女性としての美しさと少女としての可愛らしさを併せ持つ可憐な姫であった。
だが今の姫は違う。
その可憐な顔は紛う事なく姫の物である。
しかしその身を飾っていた物はドレスではなく、申し訳程度に局部を隠す下着だけだった。
いや、下着と言うのもはばかられるような紐の如き布地だ。
しかし、女騎士の目を見張らせたのは姫のそのあられもない姿ではなく…。
姫の纏う、鋼のように鍛え上げられた肉体に対してだった。
剣すらもまともに持てなかった姫のその上腕たるや、炭鉱夫ですら及ばぬほどの太さ、力強さを有していた。
もとより起伏の少なかった胴体の前面部には、著しいバルクアップを見せる胸筋の緩やかな丘陵と引き締まった腹筋の凹凸が形成され、十分な起伏を有していた。
それらの配置は見事な左右対称であり、姫の上半身というカンバスに神が描いたもうた芸術を思わせる完璧な体つきをしていた。
「ひ、姫……。私が不甲斐無いばかりに、なんとたくましいお姿に……」
女騎士は、姫の有様に困惑を隠せなかった。
自らの口走る言葉の不条理さにも、その時は気付かないほどに……。
「お願い、こんな姿の私を見ないでください……」
「姫! 見ないでというわりに何故ポージングをしているのですか?」
「……」
女騎士の問いに姫は沈痛な面持ちで俯くばかりであったが、常に上腕三頭筋を意識したポージングを心がけていた。
サイド・トライセップスである!
姫は、己のもっとも自信のある部位を誇示する事で、羞恥を回避しようと試みたのだ。
しかし、その乙女としての繊細な心の機微は女騎士に伝わらず、二人の間にある認識の溝に落胆した。
この溝が、二人の信頼関係にささやかながらも亀裂を生んだ事は言うまでもない。
「やい王子!」
女騎士が王子を怒鳴りつける。
「言葉に気をつけろ」
「そうしろとは言わないが、姫にもっとこう……別にするべき事があったんじゃないのか?」
「陵辱でもしろと? 残念ながら私はホモだ。女に興味は無い」
「貴様、素直だな……」
「どちらかと言えば、姫よりも牢番のむさい男の方が魅力的に感じる」
「そんな情報はいらねぇ!」
視界には入らなかったが、牢の外でかすかに人の身じろぎする音が聞こえたのを女騎士は聞き逃さなかった。
恐らく、今の話を聞いた牢番が戦慄に身を震わせたのだろう。
「少しでも、身体つきが男性に近付けばその気も起きるかと思い、鍛えさせてみたが……。結局まったく食指が動かなかった」
結果、哀れにも筋肉に憑りつかれた一人の女が残ったのである。
「なんて奴だ……」
女騎士は呻く様に言葉を漏らした。
「しかし、こうして見るとなんとも……」
王子は姫と女騎士を視界に捉え、顎を撫でた。
その表情には嗜虐に彩られた笑みが浮かべられている。
「な、何だ?」
「今の貴様では、脱出は叶わぬな。もはやここの牢番一人にすら負けよう」
長い虜囚の生活は、女騎士の体から戦士としてのたくましさを奪い去っていた。
男性と見紛うばかりのたくましい体つきをしていた彼女だったが、今やその体は女性的な柔らかさを纏っている。
「くっ……」
女騎士は悔しさに呻く。
「長い囚われの生活でなんともだらしのない体になったものだ。それに比べ、姫のたくましさよ……。女とは思えぬ程の力強さだ」
王子の言に姫は困惑した様子だったが、どことなくまんざらでもないようでもあった。
「これでは、どちらが姫かわからぬなぁ」
「くっ……」
ふと、女騎士はそこで気付いた。
姫へ向けて声を上げる。
「姫、王子を人質にして逃げてください! 今のあなたならそれもできる」
「いえ、私の筋肉は魅せるためのものですから見た目より強くないのです」
「十分です……!」
「でも……」
この時、姫が脱出への意欲を示さなかったのは、先ほど生じた女騎士との溝が起因していた。
彼女の言葉を信じ切る事ができなかったのである。
「ふっふっふ。残念だが、姫の変わった部分はこの見た目だけではないという事だ。心すらも囚われてしまった姫は、もはや自分の意思でこの城から出ようすらせぬだろうさ。ふっふっふ」
「たまには、外でのトレーニングもしたいのですけどね」
姫の言に、王子は黙り込んだ。
「おい、姫は外に出たがっているぞ」
女騎士の言葉に王子は沈黙で以って応えた。
次いで、姫へ答える。
「外に出たい、か。なら丁度よかったではないか。明後日には、広場に民衆を集めてその恥ずかしい姿を見てもらう予定だ」
王子としては、今の変わり果てた姫の姿を衆目に晒す事で王国民達の間で未だ燻る反抗心を摘んでおく目的があった。
「そんな……」
姫の表情が絶望に歪む。
「調整もしていないのに……。せめて……せめて外で肌を焼かせてください。日に焼けた肌は、筋肉のカットをより鮮明に魅せる事ができるのです。あと、てかりを出すためのオリーブオイルもください」
「筋肉の魅せ方に詳しいな、姫。……いいだろう。あとで着色料とオイルを用意してやる」
「でしたら、品評の前に食パンを一斤いただけると……。筋肉に張りが出るので」
「品評……? そこまでは面倒見切れない。この卑しい女め」
「そんな……酷い……」
姫は己に待つ過酷な運命を知り、絶望と悲しみの入り交じり合った表情を作った。
「さて、では少し手伝ってやろうか。貴様の初舞台が成功するように」
そう告げる王子の目は、これから目にするであろう光景への期待であふれていた。
自らの課す苦痛に、姫は見る者の愉悦を満たすだけの醜態を晒す事が容易に想像できたからである。
不安と期待の入り混じる表情で自分を見やる姫に対し、王子は瞳に嗜虐的な光を宿らせた。
「あっ、ひぃ、いっ、いっ……」
姫の苦悶に歪む声が、牢屋内に響いた。
その悲鳴じみた声は、帝国の王子の科す責め苦が出さしめたものであった。
その責め苦に、姫は息も絶え絶えとなり、その吐息にどこか嬌声にも似た声が混じっていた。
顔は上気し、薄紅色に頬を染めていた。
「やめろ、姫に酷い事をするな!」
女騎士が王子の非道に声を荒らげる。
「勘違いするな。姫はむしろ望んでいるのだ」
「そ、そんな事……」
姫は否定の言葉を口にし……。
「嫌だと言うのか?」
しかし王子のその問いに口を噤む。
「わかっているぞ。今更、やめろといっても収まりがつかんのだろう」
続く王子の言葉は、まさに姫の心中を射ていた。
「ほら、さっさと腰を深く落とせ! もっと速く上下に動くんだ!」
王子は、さながら嬲る様に姫へ言葉をぶつける。
「だが落としすぎるなよ。その方が負荷は大きいからな」
「は、はい」
姫は胸の前で腕をクロスさせ、両足の屈伸運動を何度も行なっていた。
主に下半身、大腿四頭筋へ負荷をかけるポピュラーにして代表的な自重トレーニング。
スクワットである!
「貴様は上半身に自信を持っているようだが、その反面下半身には自信がないようだな」
「そ、そんな事は……」
「知らぬと思ったか? 俺は知っている。貴様が、夜の牢屋で一人悦に耽っている事もな」
「や、やめて……! それ以上言わないで!」
羞恥から、扇情的な屈伸運動によって桃色に染まった姫の顔が赤へと転じた。
姫が女騎士との対面の際、ポージングにサイド・トライセップスを選んだという事実に、劣等感を隠す意図がある事は明白だった。
王子の指摘は的を射ていたのである。
「だから、今ここで鍛えてやっているのだ。貴様の大腿四頭筋を、な。さぁ、そんな部位を意識しない動きでは筋肉が鍛えられないぞ」
「うう……もう、限界です。休ませて……」
「嘘を吐くな。まだまだだ。お前は、その身の奥に隠したいやらしい本性をこの女騎士に見せたくないのだろう?」
「!」
心の奥底に秘した本心を見抜かれ、姫の表情が驚愕に歪む。
「無駄な事だ。貴様の事は全てお見通しだ。いやらしい今の貴様を作ったのは誰だと思っている?」
「は、はい。トレーナーです」
姫は王子を見ながら答えた。
「トレーナーとか言うな」
王子は姫を鍛え上げるため、その身体的な特徴から性格まで全てを知り尽くし、それらのデータを元に効果的なトレーニングと食事メニューを考案してきた。
食事や睡眠の時間までを綿密に調整した完璧なスケジュールだった。
その言葉通り、姫の心身の至る所までを知り尽くしていなければ成しえない物である。
「……さぁ、見せてやれ。貴様の恥ずかしい本性を、な!」
激しい屈伸運動を消化していく内に、姫の表情は次第に締りを無くし蕩け始めた。
目の焦点は合わず、だらしなく開かれた口からは熱い吐息が休む暇もなく吐き出され続ける。
その表情に理性が宿らない事は、誰の目にも明らかであった。
「くくくっ、何が限界だ。やはり、止まる気配がないではないか」
「スクワットォ〜……スクワットいいの〜。負荷がいいのぉ〜〜」
もはや、姫は自分が何を口走っているかもわからないだろう。
言葉の良し悪し、羞恥という概念、それらを著しく欠如した言動である。
「らめぇ〜〜筋肉繊維がブチブチ千切れる感覚好きぃ〜〜」
筋肉トレーニングでそんなにあからさまに筋肉が千切れる事は無い。
まして、すでに鍛え上げられた筋肉がそれほど脆いわけもない。
彼女の発言は錯覚以外の何物でもなかった。
「くっ、貴様。姫をどこまで辱めれば気が済むんだ!」
「勘違いするな。姫は何も強制されているわけではない」
女騎士の激昂に、王子は冷ややかな冷笑すら浮かべて応じた。
「何だと?」
「自ら、この苦痛を望んでいるのだ。ほれ、見ろ。エンドルフィンの分泌で気持ちよくなってしまっている姫の顔を。もはや姫は苦痛すらも快楽に変える変態だ」
「そんな事は……」
女騎士はそれ以上の言葉を口から出せなかった。
否定する気持ちこそあったが、今彼女が目にする光景には言葉以上の説得力があり、王子の指摘に反論する気力を打ち砕いた。
彼女にできる事は、ただ悔しげに口を噤む事のみである。
そんな女騎士の反応をかすかな一笑を以って捉えると、さらなる愉悦を求めてか王子は姫へ声をかける。
「どれ、姫も一辺倒では刺激に欠けよう。そろそろ姫の大好きな物をくれてやろうか」
「わ、私の大好きな物?」
朦朧とした表情で聞き返す姫。
その声は隠し様のないあからさまな期待に満ちていた。
王子は、ある物を牢屋外にいる騎士から受け取った。
それを姫に渡す。
「これしゅごい! 負荷がしゅごいのぉぉ〜〜っ! ダンベル! ダンベルだいしゅきぃ!」
姫は、渡されたのは一個五十キロのダンベルが二つ。
この計百キロのダンベルは彼女の心を溶かす要因となったものの一つである。
無機質に黒光りを発するこれらは、何も知らぬ無垢な少女へと未知の快楽を教え込んだ言わば元凶と呼べる代物であった。
姫はお気に入りのダンベルを両手に持ったままスクワットに耽る。
最初、ただ手に持って下げられるだけだったダンベルだが、次第にそれを持つ手が上下運動を始め、徐々に激しさを増していった。
「ふふふ。強要してもいないのに、ダンベル運動を始めたな。この変態め」
「手がぁ! 手が勝手に動いちゃうのぉっ! 止まらないのぉ、んひぃぃ!」
「この欲しがり屋め。しかしいいのか? このまま続ければ、膝に爆弾ができてしまうかもしれないぞ」
膝とは非常にデリケートな部位である。
常より体の体重を支える部分だという事もあり、過剰に鍛えると膝に故障を負うリスクが高い。
それも筋肉によって常人よりも重量のある人間が行なえば、そのリスクは多大なものとなるだろう。
当の姫に関しては、自重に加えて計百キロのダンベルの負荷に膝は攻められ続けている。
それも今回限りではなく、常よりこの行為は行われていた。
姫の膝は、いつ故障してもおかしくはなかった。
「爆弾!? 爆弾いやぁ!」
「ならここでやめたらどうだ?」
「でも、止められないぃ! 止まられないのぉぉぉ! できちゃってもいいっ! 爆弾できちゃってもいいのぉぉぉ!」
「ふん。この意地汚い変態め。そのまま果ててしまえ!」
王子の言葉と共に、姫は一際強く脚に力を込め……。
力の限りに伸ばされた足と共に、背中を仰け反らせた。
そしてそのまま、仰向けに倒れた。
失神したのである。
「ふん。オーバーワークだな。本当にスクワットだけで気をやったか。もはや、王族の気品の欠片もあったものではないな。所詮、姫と言っても一人の卑しい女だったという事か」
「いや、その感想はおかしい」
そう反論しながらも、女騎士は王子の意図を察した。
この快楽に負けた姫の淫蕩さを見せつけ、自分の心を折りに来たのだと。
「トレーニング後のタンパク質補給に用意した物だが、これは無駄になったな」
そう言うと、王子はひとつのビンをどこからか取り出した。
失神した姫の体にビンの中身をかけていく。
それはヨーグルトだった。
意識を失った姫は、おびただしい量の汗と白濁に塗れ、満足げな表情で笑っていた。
果たして自分の目にしている物が淫蕩な何かであるかは甚だ疑問を拭えぬ事柄であったが、確かに心を折られたのは確かだった。
もう、あの頃の姫はいないのだ。
その事実は、確かに女騎士の心を折る事に成功したのだから。
女騎士は力なく頭を垂れた。
「どうやら、姫との再会は楽しめたようだな。俺も多少楽しかった。続きは次の機会に取っておくとしようか。クックック……ハーハッハッハ!」
王子が牢を出て、外で待機していた騎士二人が姫を二人がかりで牢屋から運び出す。
「重いなぁ……」
「まるで鉛の塊を持ってるみたいだぜ」
「ていうか、俺達は何を見せられたんだろうな?」
「王族ってわけわかんねぇな」
姫と王子の去った牢獄で、女騎士は一人涙した。
王都の占領から二ヶ月の後、王子は捕らえられた姫を広場にて公開する意を示した。
王都陥落を以って王国の命運は完全に絶たれたかに思われたが、その人心を完全に掌握したとは言い難かった。
国民達の王家に対する信頼は強く、未だに反発が見受けられたのだ。
幾人かの武将は捕らえられる事を良しとせず、姿を隠したままでもあった。
敗れたばかりの今でこそ主だった行動を見せる事はないが、いずれ王国の人間が反乱を企てる可能性は十分にあった。
王子がその気運を挫くために、辱めによって変わり果てた姫の姿を民衆へ晒す事は当然の事と言えた。
しかしながら、それは帝国にとって思わぬ結果をもたらす事となる。
広場へと現れた姫は、民衆達の見知り及んでいる物とはその姿を異にしていた。
もはや可憐だった頃の面影はそこになく、その変わり果てた姿に民衆達は息を呑んだ。
複雑な胸中を持て余す民衆達。
彼らの見る前で、しかし姫は訴えかけた。
それは言葉ではなく、数度の仕草のみである。
一挙手一投足において姫の体はその力強さを誇示した。
虜囚の身にあり辛い生活を強いられながらも姫の態度は毅然としており、民衆達の視線に負い目も羞恥も感じさせず、ひたすらに堂々とした立ち居振る舞いはさながら戦勝国の王者のようであった。
『その輝かしい姿に、私は王国が未だ潰えていない事を実感した。
王国はまだ滅びていない。衰えてすらいないのだ。
そう思い、帝国に対して反骨と迎合の合間を漂っていた我が精神は反骨へと傾いた』
その場に居合わせた歴史的な文士は、後にその姿をそう評した。
そしてその認識は彼だけのものでなくそれを見た民衆達、その大多数の総意でもあった。
その凛々しくも勇ましい彼女の力強い姿は、国民達の心に希望の火を灯した。
この時に生まれた心の火は、反旗の火種となり、後に反乱の炎へと繋がるのである。
しかし、心に火を灯されたのは何も民衆だけでは無い。
おりしもこの時、広場には帝国の魔手を逃れた王国の将がいた。
民衆に紛れて王都の様子を探っていた彼は、姫の様子をうかがうために民衆に紛れていたのである。
姫の姿を見た彼は、彼女を早期に助け出す事こそが王国再興の道であると決心し、各地に落ち延びた他の将達との接触を試みた。
来るべき反攻のために力を蓄える事、そしてその時の旗頭として姫を奪還するべきであると諸侯へ熱く訴えた。
かくして、王国歴313年。
帝国の侵略から半年の月日を経て、姫の救出作戦が行なわれた。
作戦は成功し、姫は無事に救出された。
救出の際、姫は同じく捕らえられていた近衛の女騎士を両腕で抱き上げ、堂々とした様子で城を出たという。
その時の姿は勇ましく、歴戦の将達を以ってしてもその偉容に感嘆を禁じえなかったとされる。
そして後の王国歴316年。
反攻勢力を纏め上げた姫は見事に帝国の兵を退け、王国王都を奪還。
王国を取り戻したのである。
八月の暑い日の事だった。
姫が脱出した際の女騎士を抱き上げる姫の姿は銅像として広場に残され、百年経った今でなおその勇姿は語り継がれている。