第九十話 故意(intentional) 恵夢、あえて、紅壱に上位の呪文を教える
生徒と封印の祠を守るために必要な、結界を張る際の補助に使うアイテムを作る為の練習、それが、今日の一年生の仕事
不可思議な記号を組み合わせる事で発動させる術に、無駄を感じ取りながらも、紅壱は自らが使う術式を洗練させるべく、文句は言わず、書き写しの練習に励む事に
恵夢から教えられた呪文が、あまりにも長く、難解である事に難色は示しながらも、つい、出来る、と意地を張ってしまった
自分の負けず嫌いさを反省しつつ、これからの為だ、と自分に言い聞かすのだった
放送部や新聞部、または、ゴシップ好きの情報通に話を聞き、30分ほどで校内の巡回を切り上げた愛梨。
不審火についての情報は、残念ながら皆無だった。だが、代わりに、川で遊ばせていた犬が溺れかけた、その時、犬を水中に引きずり込もうとする何か、不気味な手が見えた気がした、そんな話がカバディ部の副部長・山田から聞けた。
(青緑っぽい鱗と、水かきがある手っつーと半魚人か、河童っぽいな。
けど、さすがに、まだ、この時期に川へ入るのは、御免被るなぁ)
「ただいま」
一年生たちが、練習の真っ最中なので、愛梨は声を潜め、なるべく、扉の開閉音と足音も抑える。
しかし、戻ってきたはいいが、やる事はない。急ぎの書類も、急ぎじゃない書類も、紅壱と夏煌が手伝ってくれたので、手持無沙汰になってしまっていた愛梨は。
教える事は出来ないにしても、何もせず、だらけているのも気が引けるのか、それとも、かまってちゃんの虫が騒いだか、愛梨は黙々と練習している一年生らに近づき、後ろから半紙を覗きこむ。半紙は、一般人から見たら、理解不能を通り越して、恐怖を覚えかねないほど、記号でびっしりと埋められていた。
夏煌の耳に息を吹きかけ、大声を出させたい衝動を抑制えつつ、紅壱を背後からのプレッシャーでからかい、誤字させてやろう、と忍び足で近づいた愛梨。
しかし、筆を握る紅壱があまりにも真剣だったからだろう、つまらない悪戯を仕掛けようとしていた自分が急に恥ずかしくなったらしく、気迫は萎んでしまう。
反省しながら、彼を胸の中で応援し、明日はジュースの一本でも奢ってやろう、と先輩ぶれる事に胸を膨らませた愛梨。
彼女は、ふと、彼が手本にしているモノを見て、ギョッとした。
一年生らの集中を乱さないように気を付けながら、愛梨は少し離れた机で表の業務で使う書類を作っていた恵夢の下へ足早に向かう。
「メグ先輩、ちょっと」
小声ながらも、芯の通っている愛梨の声に、恵夢は作業の手を止めた。
「なぁに?」
「コウイチがアキの手本の横に置いてる、あの呪文」
「あれがどうかしたぁ?」
「アタシら、学生の術師が使う事を許されている中で、一番に頑丈な結界を発動させるもんじゃないですか?」
「・・・・・・間違えちゃった」
「そんな訳ないでしょ」
机を叩きたい衝動に駆られるが、彼らの集中が途切れてしまうし、瑛にも怒られてしまう。なので、グッと堪えた愛梨は拳を開く。
「今のアイツが、あの呪文を使ったら、一発で魔力が枯渇して死にますよ。
あれって、本来は、同じくらいの強さの三人で同時詠唱して、魔力の消費を三分割にする呪文でしょう」
詠唱に成功すれば、膂力のあるオーガの拳打ですら亀裂も入らない強度の結界が展開できるが、一人の魔力消費は非常に多い。その後の戦闘で、ろくな働きは出来なくなってしまうだろう。
「ヒメくん一人でも発動するって、エリちゃんは思うんだ」
「いや、勘ですけど・・・・・・アイツなら、使えるんじゃないですかね」
愛梨は、紅壱は少なくとも、自分より魔力量が多い、と思っていた。後輩の凄さを直感している彼女にとっては、仮に、紅壱の魔力量の数値が、一年生の平均の三倍であったとしても、何ら不思議ではなかった。
「私も、そう思うな」
「けど、教えたらマズくないっすか。
先輩だって、アイツの性格、知らない訳じゃないでしょ」
「大丈夫だよぉ、口に出して唱えないって約束してくれたもん」
ニコッと笑い、自分の小指を伸ばした恵夢に、愛梨は天井を仰ぎ見てしまう。
「・・・・・・アイツの義理堅さを、じゃあ、信じる事にしますよ」
「何か、言い方に棘があるなぁ」
「この程度の棘くらい、先輩のおっぱいに跳ね返されちゃうっすよ」
恵夢の巨乳は、愛梨の指先を「ぽよん」と押し返す。
やんっ、と胸を隠し、頬を赤らめた恵夢のエロさに、愛梨は指先だけでなく、掌全体で、その弾力を楽しみたくなる。
けれども、会長席で仕事をしていた瑛が、苺味の飴玉を噛み砕いた音が鼓膜を打った為に、人肌の肉饅頭を掴もうとしていた手は虚空で止まった。
(アイツ、何、カリカリしてんだ)
愛梨は首を傾げるも、恵夢は「タハハハ」と苦笑いする。
(ヒメくん、何故か、さっきから、私にだけ見せに来てるからなぁ)
確実に、苛立ちは紅壱と恵夢だけではなく、紅壱を疑い、恵夢を羨んでいる、矮小な己に向いているんだろう、と呆れた恵夢が吐いた息は、彼女自身の胸にぶつかった。
(メイちゃんに遠慮しているとも思えないし、まぁ、単にメイちゃんにイチャモンを付けられるのが面倒なだけかな)
それにしても、困る。今はまだ大丈夫なのだろうが、もし、次も紅壱が書いたものを自分に見せに来たら、瑛は脊髄反射で、火炎属性の魔術を発動させてしまうかもしれない。
さすがに、机や書類が燃える事にはならないだろうが、室温くらいは軽く、50℃以上になるだろう。
(部屋の中が暑くなって、汗かいちゃったら、また、胸の谷間に汗疹が出来ちゃうよぉ)
この生徒会では共感してもらう事が難しそうな悩みに、恵夢は溜息を吐く。
(ほんと、ヒメくんが小学生くらいなら、胸を拭いてもらうんだけど)
ショタ化した紅壱に汗を舐めさせる事を妄想したのか、恵夢は違う所に染みが出来てしまったようで、ぎこちなく微笑むや、「ちょっと、お花摘みに行ってくるね」と席を立つ。
まさか、恵夢が尿意ではなく、自慰衝動に駆られているとは露も思わなかった愛梨なのだが、「ごゆっくり」と、妙にマッチした言葉を出入り口に向かっていた彼女へかけた。その時、恵夢は驚きのあまり、危うく、達してしまう所であった。
どうにか耐えた恵夢が慌てて出て行くのに疑問を抱きつつも、ふと、紅壱に目を向けた愛梨の心中に芽生えた感情の名は、焦燥。
(アイツ、頑張るよなぁ)
紅壱の努力を支えている大元までは、さすがに勘が鋭い愛梨でも察せなかったが、基盤の上に立てられ、揺るがない柱の一本が、「瑛の右腕として相応しくなりたい」、そんな真っ直ぐな願望である事は明らかだった。
鳴が知れば、身の程を知りなさい、と怒髪天を衝くだろうが、愛梨は「無理じゃない」と思っていた。紅壱の実力なら、十分だ。しかも、彼は調子に乗らず、努力をしている。
その努力が、愛梨を焦らせていた。
紅壱が瑛に背中を預けられる男になってくれるなら、それは大歓迎だ。親友として、気分よく、瑛の事を任せられる。
だからと言って、後輩に追い抜かれて気分が良いか、そこは別の話だ。
愛梨としては、紅壱に先輩として慕われたかった。実力で追い越しても、紅壱は自分を嘲り笑うような事はないだろうし、そんな器が小さい男でないのも分かっている。
しかし、愛梨としては、そんな気の遣われ方をされるのは勘弁ならなかった。許せないのは、紅壱じゃない、自分自身だ。
それが嫌だ、と思うなら、どうすべきか。愛梨は、それがちゃんと分かっていた。
後輩に追い抜かれてたまるか、そんな焦りで「もっと、強くなりたい」そんな向上心が昂ぶっている分、愛梨は勢い良く立ち上がったりはせず、静かに椅子から腰を上げる。
「アキ」
「どうした。トイレなら、行ってくれても構わないぞ」
「いや、トイレじゃない。
ちょっと、部活冷やかしに行ってきてもいいか?」
私に許可を取る事じゃないし、その聞き方で許可が下りると思っているのか、コイツは、そう言いたげな表情になった瑛だったが、「ダメ」と言っても素直に聞くようなユウジンじゃないのは知っていたので、諦めたようにかたを小さく竦めた。
「あまり、イジめるなよ」
「合点承知だ」
グッと拳を握った愛梨に不安が過るも、彼女の良心を信じる事にした瑛は「程ほどにな」と念押ししする。
「じゃ、暴れてくるぜ」
聞き逃すには行かない発言をかました愛梨は、瑛に止められる前に、生徒会室を出て行ってしまった。その際、愛梨は二人のやりとりを苦笑いを浮かべた顔で聞いていた紅壱の肩をポーンと叩いていった。
並みの男なら、肩を木槌で殴られたような痛みを覚え、「ギャッ」と叫んでしまっていただろうが、修一にナンバーワンの座は譲るにしても、頑丈さは桁違いの紅壱は軽く眉を顰めた程度だった。その反応にしても、痛かったからではなく、愛梨が何故、肩を叩いていったのかが理解できず、戸惑ったからだ。
「さーて、まずは、どこで汗流すかな」
潜在能力が高い後輩に追いかけられる、そんな嬉しいプレッシャーを嬉しく感じてか、足取りも軽い愛梨が最初に向かった部活は、インターハイ出場常連でもあるボクシング部だった。
男子は入部禁止としている訳ではないのだが、今のところ、部に男子のボクサーは独りもいなかった。どうやら、腹筋がバキバキに割れていたり、パンチ力がとんでもない女子に萌える猛者は入学していないようだ。
「頼もー」
「!!」
愛梨が底抜けに明るい笑顔で、ドアを勢いよく開けて入ると、部内がざわめく。
柔軟や縄跳びをしていた一年生らは、いきなり、生徒会役員がやってきた事に驚き、戸惑っている。中には、彼女の武勇伝を噂程度で知っている者もいるのか、頬を赤らめ、そわそわしていた。
一方で、愛梨と同じ二年生は、彼女へ敵意と戦意が綯い交ぜになった鋭く、高熱を帯びた視線を向けてきている。そして、三年生は「また、来たのか」と困ったような面持ちだ。
「何か用か?」
本来なら、面倒な客の応対は、顧問の三葉に押しつけてしまいたい。
だが、生憎、郊外試合の調整で席を外してしまっていた。仕方なく、愛梨に近づいてきた、三年生で、ボクシング部の部長の三竿魚見はそう尋ねたのだが、訪問の理由は察しがついていた。
「軽く運動に」
「・・・・・・そうか。
おい、誰か、太猿と一戦交えたい奴はいるか?
いないなら、私がやるぞ」
断ったら、面倒な事になるのは目に見えていた。愛梨は、駄々を捏ねたり、暴れたりはしない。ダメだ、と言えば、素直に諦めてくれる。しかし、そうなると、他の運動部に向かうだろう、愛梨は。
ボクシング部が、愛梨のお願いを断ったと、迷惑を被った他の部にバレたら、どれほど厭味を言われるか、想像もしたくない。
実際、前の部長はそのストレスで一時、スランプに陥ってしまったほどなのだ。もっとも、そのスランプを脱出するキッカケになったのも、愛梨なのだが。
ボクシングの素人、しかも、生徒会役員が、道場破りめいた登場をしたのだ、先輩たちは誰も手を挙げないだろう、一年生はそう思った。
ところがどっこい、ほとんどの部員がやる気満々で面で挙手したではないか。手が上がってないのは、練習中や試合で負傷した者だけで、彼女らにしても、愛梨とスパーリングが出来るチャンスを逃すのが悔しいのか、ギリギリと聞こえるほどの歯軋りをしていた。
憧憬れていた先輩らが、まさか、素人相手に、こんなギラギラとした、闘争心を通り越して、殺意すら滲む目をするとは思っていなかった一年生は軽く狼狽しているのだが、二、三年生は全く気にしていなかった。
「おー、アタシ、人気者だな」
破顔した愛梨が手を挙げた全員と戦りかねない雰囲気になったものだから、魚見は慌てて、彼女に「待て」と告げ、積極的にアピールしている部員を諫め、「じゃんけんしろ、じゃんけん」と提案する。
このままでは、部員同士で殴り合いが始まってしまいそうだったので、部員らは素直に従った。
そして、動体視力と勘を総動員した真剣勝負の末、勝ち残った一人がリングの中央で両拳にはめた赤グローブをガツンッとぶつけた。
パトロールから戻ってきた愛梨は、あまりにも、一年生たちが真剣に練習をしていたので、悪戯するのを我慢する
しかし、意外に大人な彼女ですら、安易に見逃せない事態が
実は、恵夢が紅壱に教えた呪文、それは、一年生が使えないほど、レベルの高い術のものだった
では、何故、恵夢は紅壱にそれを教えたのか、彼女は信じていたのだ、この後輩なら使える、と
真相は知らぬとは言え、本気で取り組んでいる紅壱の姿に刺激された愛梨は疼きを鎮めるべく、ボクシング部に出向き、真っ向から喧嘩を売る!!




