第八十九話 見栄(vanity) 紅壱、つい、恵夢に見栄を張ってしまう
前日に磨いたスケルトンの骨、それは、結界を張る際に補助となる物だった
それに、結界を強化する効果を持つ呪紋を彫る必要があるが、一年生が、いきなり、それは難しい
なので、まずは、紙に書いて練習する事に
その練習でも、自分に対して敵対心を剥き出しにしてくる鳴に、紅壱はほとほと呆れるのであった
かと言って、告げ口をして、先輩らに注意して貰うのも、さすがに女々しすぎる。
普通の生徒会であるなら、この程度の折衝は大した問題ではないのだろうけど、ここは違う。
裏の業務は、少しでも選択を間違えれば、自分だけじゃなく、仲間の命まで失う事になる。
鳴の方は、紅壱が亡き者になってくれれば万々歳だが、紅壱の方は面倒臭いと思っていても、さすがにわざと危ない目に遭わせたいほど憎んじゃいない。
反りが合わない、と確信していても、鳴の努力までは否定しない。
中学生時代に救われた恩を返したい、一緒に戦いたい、一生涯のパートナーになってほしい、その気持ちだけで実力を培ったのだ、豹堂鳴と言う少女は。
自身も、世間一般的かつ、術者の観点からしても、「常識外れ」な鍛錬を重ねて、やっと、ここまで強くなれたと自負しているからこそ、鳴の努力量が異常なのが察せた。
元からの才があったにしても、瑛に出逢った時から、試験を受ける日まで、その間に、『組織』の定めたラインをクリアし、瑛から認められるだけの才能を引き出すには、並大抵の努力じゃ、どうにもならないはずだ。
そこを素直に賞賛しても、鳴は厭味としか捉えない。
早くも、放棄したくなっている紅壱なのだが、そうにもいかない。
日常で、ある程度の友好関係を築いておかねば、非日常の戦いになった時に、フォローに入れない。
鳴が自分を手助けするとは、露も思っていないからこそ、紅壱は万が一を危惧していた。
鳴は、優秀過ぎるゆえに、自滅するタイプだ。恐らく、十人中七人は、彼女の日頃の態度や、怪異との闘いを見て、そのイメージを持つだろう。
有体に言って、鳴が自分の実力を過信して、自滅しようが構わないのだ。彼女が、そのタイプである事が確信できた以上は、その自滅に巻き込まれないように、その時が来る前に離れておけばいい。
問題なのは、鳴が自滅した原因は、リーダーシップを発揮できず、彼女の行動を制御できなかった自分にある、と瑛が自己嫌悪に心を蝕まれてしまうタイプである事だ。
紅壱が嫌気が差しながらも、どうにか、鳴とある程度の友好関係を築こうと努力しているのは、瑛に悲しそうな顔をさせたくないから。
いざと言う時に、鳴が状況判断を誤って、押すも引くも出来なくなる前に止められるように、また、なってしまったら助けに行けるようにするためだ。
それを、瑛の事を言えば、鳴はもう少し、大人しくなるのではないか、と思った方もいるだろう。間違ってはいないが、その人はまだ、豹堂鳴を知らない。
紅壱が瑛の事を想って、自分と仲良くなろうとしていた、と知ったら、彼女は憧れの人への気配りが微塵も出来なかった己に気付いた上で、その罪を紅壱へと恥ずかしげもなく擦り付け、更に反感を募らせるのは目に見えていた。
紅壱に助けられなくても済むように、止められそうになっても振り払えるように、もっともっと強くなる。
実力が紅壱以上になれば、瑛の好意と期待は、自分だけに向く、と妄信し、限界以上の努力をする。それが原因で壊れれば、瑛を悲しませる事になると、やはり気付かずに。
鳴が瑛への気持ちを暴走させているからこそ、紅壱は自制も出来ていた。そこに関しても、彼は鳴に対し、一握りの感謝を持っていた。鳴に挑発されると、開いた掌から呆気なく吹っ飛んでしまうほどの感謝だが。
(今後、アイツと一緒に戦わなきゃいけない状況が、絶対に来ない訳ねぇだろうしな)
仮に、そのような状況で戦わなければならないのなら、躊躇ったりなどはしないだろうが、10秒間がリミットだろう、手を貸してやることに我慢が出来るのは。
(まぁ、些末な事じゃないにしろ、今は、この程度の事で心を乱しても仕方ない)
右肩の後ろにある、荒ぶった気持ちを鎮めるツボを、いつの間にか、押している自分に気付いた紅壱は自嘲から目を細めた。
(見て貰うのは、メグ副会長の方にしよう)
並以上の男なら、ここで鳴と勝負する姿勢になっているのだろうが、紅壱は自分の惚れたイイ女は、そんな醜悪い泥仕合をみっともない、と感じるのを知っていた。
鳴に勝負から逃げるような臆病者と見下されるより、紅壱にとっては、瑛の中で自分の評価が下がる方が耐えられなかった。
唸り声を上げて、しつこい挑発を繰り返してくる鳴を心の中から追いやった紅壱は、瑛がくれた手本を、まず、じっくりと観察し、形そのものを叩き込む。
どの系統の魔術も、人間の術師は呪文を唱えて発動させる、つまり、重要になってくるのは発音なのだろう、と紅壱は考察していた。
魔術の威力が強めようとすれば、自然と呪文は長くなり、発音の正確さはよりシビアに要求められる。
経験により、術師としてのレベルが上がり、発動に必要な呪文が短くなっても、発音が重要さは決して、軽んじられる事はない。
人間の術師相手への必勝パターンに気付きつつ、紅壱は「これも同じだ」と判断する。
文字に込められた意味は、この場合は関係ない。そうなると、これは文字ではなく、記号だ、と受け止めた方が良さそうだった。
いかに、その記号を美しく書けるか、彫れるか、それが大事なのだろう、『組織』が長い期間かけて構築してきた術の仕組みでは。
(いかにも、頭でっかちな、現場が理解できてない奴が作った、無駄の方が多い術式だな)
こんな術ばかりで、よくも、術師は全滅しないもんだ、と紅壱は妙な驚きすら覚えてしまう。
しかし、今、ここを指摘しても意味がない。
何が無駄か、自分はどう効率的に術を使うか、それを知る事にも役立つ、この作業は。
せめて、役に立ってもらおう、と自分に言い聞かせた紅壱。
「メグ副会長」
「なぁに、ヒメくん」
「一応、結界を張る呪文を教えて貰っていいですか。一番、低級の術でいいんで」
「どうして?」
「知っておけば、いざって時に時間稼ぎできますし、心の中で唱えながら書いたら、少しは上手くなりそうなんで」
紅壱の考えに、ふむ、と顎に手を当てた恵夢は彼の目をジッと見つめたまま、何かを考えていたようだが、「まぁ、いいか」と頷いた。良からぬ事を考えていなかったとは言え、恵夢と目を合わせていると、緊張してしまう。もっとも、瑛と見つめ合う時は、もっと、ドキドキしてしまうが。
「けど、心の中だけで詠唱してね。
なんか、ヒメくんが唱えたら、一番、簡単な結界でも凄い事になっちゃいそうだから」
紅壱に期待し、彼の潜在能力の高さを察しているからこそ、恵夢は漠然とした不安を覚えるのだろう。やっぱり、この先輩、鋭いな、と唸りながら、紅壱は「大丈夫っす」と握った拳を胸の前にやる。
それでも、不安は拭えないのか、恵夢は頬に手を当てる。
チラッと、彼女が目線を向けたのは、夏煌に筆の正しい持ち方から、優しく指南している瑛の横顔。目は夏煌の手元を見ていたが、意識は間違いなく、自分達に向いていた。
「唱えないって約束してね」
恵夢が小指を出してきた理由が察せぬほど、紅壱も鈍感ではない。瑛がコチラを気にしているのは、紅壱も感じていたので、自らも小指を出す事に躊躇してしまう。しかし、いくら、瑛に骨の髄まで惚れこんでいると言ったって、ギュッと谷間を寄せた上に、上目遣いまでしてきた恵夢の「だめ?」には抗えない。
「約束します」
満足気に頷いた恵夢は、おずおずと微かな怯えを醸しながら伸ばしてきた彼の小指に、己の小指を絡めた。
刹那、紅壱は首筋に煙草を押しつけられた際の痛みを思い出してしまう。さすがに、首筋に火傷こそ生じなかったが、幻の痛みに彼は眉をひそめてしまっていた。誰が、彼の首筋に烈しい怒気を叩き付けたか、それは言うまでもないだろう。
お決まりの文言は唱えず、「約束だよ」と微笑んでから、恵夢は気まずげな紅壱の小指を離すと、筆を取る。
詠唱するとなったら、意識せずに出来るのだろうが、紙にカタカナで書くとなると勝手が違うのか、恵夢は「えっとね」と考えながら、その呪文を半紙にサラサラと書いていく。
『バタフライ・コキシネル・リベッルラ・フリーゲ・アーベ・ソートレル・ファイアフライ・セルパン・ヴィーペラ・アイデクセ・ラーナ・クロコディル』
「長ぇ!?」
「あれ、覚えられないかな?」
「・・・・・・そんな訳ないじゃないっすか」
引き攣り笑いを浮かべた紅壱の肩へ、恵夢は「そうだよねぇ」と軟らかな手をそっと置いた。
「じゃあ、頑張って」
逞しい肩の弾力を丹念に味わうように、紅壱の肩をポンポンと叩いた恵夢は額に手を当てた彼へ背を向け、夏煌の様子を見に行く。
(これで、一番、簡単な結界の呪文なのかよ。
実戦向きじゃなさすぎだろ、絶対ぇ)
こんな長い呪文を激しい戦いの中で詠唱していたら、間違いなく、結界が完成する前に被弾してしまうだろう。
元より、結界と言う術は、戦いの中で使うような術ではないにしろ、使える場面が皆無と言う訳でもない。誰が、この呪文で魔術を作ったのか、そこは解からない。だが、きっと、いや、間違いなく、命を落とすレベルで危険な戦いに出向かない、もしくは、現場に出ても、しっかりと安全な場所で守られる、魔術の研究か開発が専門の者だろう。
(この結界で、どのくらいの強度があるのか、後で聞いてみないとな)
愚痴っていても仕方ないので、紅壱は恵夢が書いてくれた、カタカナ表記の呪文を瑛のそれの横に置いて、筆を取ると真っ新な半紙に向かい合う。
(えっと、最初は逆コの字か・・・初っ端から、間違えやすいっつーか、書き難いものから来たな)
心中で呪文を噛み砕くように唱えながら、紅壱は結界を張るための呪形を書き始めた。
鳴が飛ばしてくる敵意は、ひとまず、無視する事にして、紅壱は練習に身を入れる
『組織』が構築し、学生の術師に使わせている呪文と呪紋が、無駄だらけなのでは、と感じ取った紅壱
実戦向きの魔術を習得するためにも、この欠陥だらけのシステムから学ばせてもらうか、そう、紅壱は割りきり、恵夢に結界を張る際に詠唱する呪文を教えてもらおうとするのだが、それは、異様に長かった
あまりの長さに唖然としてしまった紅壱だったが、恵夢に煽られ、思わず、「出来る」と言ってしまう
吐いた唾は飲めず、紅壱は自省しながら、呪文の暗記と、呪紋の書写に励むのであった




