第七話 発見(discovery) 辰姫紅壱、秘密の場所を見つける
生徒会の裏仕事について説明をマンツーマンで受ける中で、瑛から野望を聞かされた紅壱
自身の目的を叶えるためにも、生涯、彼女を傍でサポートする事を彼は決断する
瑛との絆も深まり、紅壱は生徒会役員として働き始めるも、魔王の契約者には平穏な時間など与えられないのか、彼の運命の分岐点は、もう、すぐそこにまで近づいていた
「どう? ヒメ君、慣れてきた?」
「あ、ありがとうございます、メグ副会長。
いや、豹堂に怒鳴られてばかりです。
てめぇが不甲斐なくて、泣けてきますわ」
苦笑いを浮かべた紅壱は、恵夢が淹れてくれたコーヒーを啜る。一瞬、眉根を寄せた彼は恵夢が瑛に呼ばれ、顔をそちらへと向けた隙を見逃さずに、角砂糖を三つも入れて素早く掻き混ぜてしまう。
自分好みの甘さになったコーヒーを満足気に、舐めるようにして飲む紅壱。
「メグ先輩、表の業務はともかく、夜の巡回は始めて三日目かそこらじゃないっすか。いきなり、何でも完璧にやれって方が無理っすよ。
けど、男手が増えたのは助かるな。高いトコにあるもんを、魔力でジャンプ力アップさせなくても取れるようになったぜ」
「補助魔術を、日常的、しかも、雑事に使うな、と私は言っているハズだがな」
ギロリ、その効果音が見え、並みの人間ならば数mは吹っ飛ぶ、もしくは、気絶しかねない圧が籠った瑛の睨み。慣れている愛梨はよろめきもしないが、虎の尾を踏むのはマズいと思ったのか、わざとらしく、話題を変えた。
「だけど、ナルの奴は、どうして、あぁもコーイチを毛嫌いするかねぇ」
愛梨は不思議そうな面持ちを浮かべ、紅壱が作ってきたマドレーヌを豪快に齧る。市販のそれより遥かに美味い、紅壱の菓子に愛梨は幸せそうに二つ目へ手を伸ばす。
「多分、アキちゃんを横取りされたみたいで、気に入らないんでしょうねぇ。
ヒメくんも頑張ってるのは確かだし、認めてあげて欲しいわねぇ」
「・・・・・・」
夏煌は、恵夢の間延びした声に同意するように、小さく頷いた。ちなみに、彼女は紅壱の左側の席を確保し、小さな左手は紅壱の制服の裾をわずかに、しかし、力強く抓んでいた。本当なら、夏煌としては紅壱の膝に座りたいのだが、そうすると、瑛に睨まれるので我慢しているようだ。
握られている面積はほんのちょっとなのだが、夏煌の握力は見た目から想像がつかぬほど強いらしく、距離を取ろうとすると制服の方が千切られてしまいそうなので、紅壱は夏煌の気が済むまで抓ませておく事にしていた。
「――――――・・・何度か場数を踏んだら、試験的に豹堂とペアを組ませよう」
最後の書類に判を押した瑛は、ぐいーっと、胸を突き出すようにして、背伸びをする。しかし、悲しいかな、恵夢とは異なり、彼女の制服のボタンは、抗議の悲鳴を上げ、弾け飛ばない。
「お疲れ様」と優しく微笑んだ恵夢は、彼女の空になっていたカップに熱々の紅茶を注ぎいれる。礼を言いつつ、瑛は「もし、先輩に『私とヒメくん、どっちが淹れるお茶、美味しい?』と聞かれたら、どうしよう」と不安を覚えていた。
「いや、そりゃ、ダメだろ、アキ。結果が目に見えてる。降水確率100%越えるぞ」
「ちょっと、止めた方がいいんじゃないかしらぁ。どっちも怪我をしちゃうわ」
「・・・・・・・・・」(コクリ)
「皆、心配性だな。やってみねば分からんぞ、何事も。
しかし、皆が、そこまで言うならば一考するとしようか。
昨夜はエリが辰姫の引率だったな。どうだった?」
「素人にしちゃ、まぁまぁの動きだったかな。
アタシの指示したポイントまで、ワーキャットをちゃんと追い込んでくれたしな」
まぁまぁ、とエリに褒められ、紅壱は「あざっす」と返しつつ、昨夜、初めて目にしたワーキャットを思い出す。
故郷では、山中と言う事もあってか、歳を経て尾が二股に別れ、人語を解すようになった猫又の類がいた。その猫又は、川魚を獲ってきて、(盗んで来た)日本酒の肴を拵えてくれ、と紅壱に猫なで声で頼んで来た。稀に、勉強の邪魔をしてくる事もあったが、基本的には自由気ままで無害だった。
紅壱が追い込んだワーキャットは、人に近しい姿をしていた。もし、乳房の下半分や股間など丸見えになったらマズい部分が、撫で心地が実に良さそうな毛で隠されておらず、今時のデザインの衣服に袖を通していたのなら、猫耳をつけたカチューシャを被っているだけのコスプレ美少女と勘違いしただろう。
子供時代は外で遊んでばかりだった紅壱は詳しくなかったが、夜の住人が雌雄を決す、とある格闘アクションゲームのキャラクターが、実体化の下地になっていたらしく、俊敏性は当然として、攻撃力が彼の予想より低くなかった。
猫そのものの丸っこい手と指先から、恐れを抱かせる音を上げて飛び出た爪の一振りで、電柱へ易々と引っ掻き傷を付けたのを目の当りにした時は、キュッと睾丸が縮まってしまったほどだ。
猫又とは異なり、妖術の類が使えず、また、猫としての特性も色濃く残っていた事も幸いし、そのワーキャットは魚やキャットフードで簡単に気を惹く事が出来た。
噛みつきと引っ掻きにさえ注意していれば、真正面からも組み伏せる事が紅壱なら出来たが、その夜のリーダーは愛梨だったので、彼は補助に徹した。
攻撃に臆したフリをし、ワーキャットに手頃なオモチャだ、そう錯覚させた上で逃げる、罠を設置した箇所まで。全速力で路地を駆けながら、時折、ワーキャットが自分に飽きぬよう、スピードを落として肉薄させたり、食べ物を落としたりする。
紅壱が捕まらない苛立ちが一周して、ハイテンションになったワーキャットが壁を駆けあがり、頭上から飛びかかってきた時は、反射的に上段回し蹴りで迎撃してしまう所だった。
そうして、追いつかれたら大怪我じゃ済まない、死に物狂いの鬼ごっこを十五分近く続け、紅壱は見事、ワーキャットを罠に追い込んだ。
丼へ盛られた、猫まんまに我を忘れていたワーキャットがハッとした時には、もう遅く、檻状の結界が発動していた。
紅壱は閉じ込めたワーキャットを、愛梨がそのまま『退帰』させると思って、ここに追い込んだつもりだったのだが、結界の中に狼狽えているワーキャットだけでなく、愛梨までいるのを見た時には、「まさか」と思ってしまったほどだ。
(闘うな、と俺に言っていたのは、自分が戦いたかったからか)
短いながら、これまでの会話と交流で、愛梨の性質を把握していた紅壱は、「シャアアアアアアア」と甲高い鳴き声を食べかすがたっぷりとついた口より発しながら、活路を求めて飛びかかってきたワーキャットを愛梨が、紅壱より10kgばかり少ない体重を乗せたハンマーパンチ一発―見えたのは一瞬だったが、恐らく、愛梨は肉体強化と拳の硬化の魔術を使っているようだった―でKOし、道路にメリこませたのを目の当たりにしたら、乾いた笑い声を乱れる呼吸の隙間で漏らすしかなかった。
「ふむ、それは何よりだ。
ご苦労だったな、二人共。
これで、あの付近で連発していた切り裂き事件は解決だ」
「しかし、何でまた、あのワーキャット、四〇代のオバはんばかり襲ってたんだか。召喚主の趣味か?」
そこで、愛梨はポンと膝を打つ。
「そういや、アキ、コーイチの奴、もう瞬動法を物にし始めてるぞ。
飲み込みが凄ぇわ。まぁ、天才のアタシには劣るけどなッ」
「へぇ、凄いねぇ」
「ま、このアタシが教えてるんだから、当然っちゃ当然の結果だけどな」
鼻を高くする愛梨を「よいしょ」するかのように、紅壱は「ホント、その通りです。太猿先輩が手取り足取り教えてくれているおかげです」と頭を下げる。
「でも、マスターって言うには、まだまだですよ。
先輩みたいに連続して使えませんし、まだ直線的な動きをするのが精一杯です」
「当たり前だろうが」と、愛梨は彼の脇腹を小突いた。ドスン、そんな鈍い音が上がるも、愛梨が加減している事に加え、紅壱も防御力が上がってきているので、足はもうガクつかない・・・はずだったが
「入会してまだ一週間、術の初歩を教わり出してから、まだ三日のお前に追いつかれたら、アタシは本気で泣くぜ」
いつもより強いそれに紅壱は思わず、その場に膝を落としかけてしまう。毎日、筋トレをしているとは言え、脇腹はなかなかに鍛えにくい場所であるし、打撃に関しては愛梨は生徒会の中でも随一である。そんな彼女の肘打ちは、「小突いた」と言うには若干、重く鋭すぎた。
「だけど、練習を積めば、ヒメくんも、ちゃんと使いこなせるようになるよ、きっと。
もう教えられた? 瞬動法を極めると、壁や天井も歩けるようになるんだよ」
「そんなの序の口っしょ、メグ先輩。
コーイチ、こいつなんか、空気の壁を蹴って空中を走るからな」
瑛を親指で指した愛梨の言葉に目を見開いた紅壱は「マジですか、会長」と思わず、彼女へ詰め寄ってしまう。突然、顔を近づけられた瑛はパクパクと口を開閉させたが、「あぁ、まだ数m進むのがやっとだがな」と首を縦に振った。
「今度、暇な時にでも教えてくださ、熱ぃっ?!」
瑛の手を握って数秒後、紅壱は唐突に表情を顰め、その手を急いで離した。
「す、すまん、大丈夫か?!」
「あ、はい・・・火傷とかはしてないっすね」と、紅壱は掌を驚いたように見つめた。あの熱さだ、皮一枚は爛れてしまったが、瑛の手を離し、見て確認するまでの間に再生したらしい。さすがに、この程度では、髪の変色は起こらないはずだが、あとでトイレに行って確認しておこう、と紅壱は口の中だけで呟く。
「珍しいな、アキが魔力をコントロールできなくなるなんて」と、唇についていたマドレーヌの欠片を取った指をしゃぶりながら、愛梨も目を丸めた。
「ほ、本当にすまない」
友人の言葉で体をますます縮めた瑛は深々と頭を下げ、声を震わせながら詫びた。
「いや、いきなり手を握った俺も悪いんすから。
セクハラって訴えられちまいますよね」
「私は、君を訴えなどしないぞ!!
つい、嬉しくなって、魔力がコントロールできなくなってしまっただけなんだ!!」
逆に罰が悪そうな表情を浮かべた紅壱は、必死に弁解する瑛の視線から隠すかのように腰の後ろへ回していた両掌を指で突かれ、思わず引き攣った声を放ちかけた。
振り返ったのと同時に、驚いてしまった醜態を誤魔化すべく、怒りも露わに叫ぼうとした彼だったが、妙に迫力が小さな体から滲み出ている夏煌が立っているのを見て、思わず言葉を飲み込んでしまう。
彼女は再び、紅壱が後ろに回しかけた両手首を掴むと、少し赤くなっている掌をじっと見つめる。そうして、ウエストポーチから取り出したチューブを搾り、掌に軟膏をそっと塗りこんだ。ミントの香りに鼻をくすぐられ、紅壱は眉間に皺を寄せてしまう。
「大人しく塗られとけ、コーイチ。そいつの薬は良く効く」
恐らくは、生徒会の中で一番に世話になっているのだろう、太鼓判を押した愛梨は力強く笑う。
「ありがとな」と手首を離された紅壱が礼を告げると、夏煌は小さく頷いてから、すぐにそっぽを向き、自分の席に戻ってしまう。
かと思ったら、小走りで戻ってきて、先ほど、愛梨が小突いた箇所を小さな掌で擦り始めた。注視すると、唇がモゴモゴと動いており、何かを呟いているのが分かった紅壱。くすぐったさはないが、夏煌が真剣な面持ちだったので、させたいようにさせておく。何より、今は瑛と向き合うべきだ、と彼は思った。
「本当にすまなかった、辰姫」
「・・・じゃ、お詫び代わりに、今度、ちゃんと空中を走るテクニックを教えて下さいよ、会長」
彼の悪戯っぽい微笑で肩から力が抜けたのか、安堵の息を漏らした瑛は「私は厳しいぞ」と黒く微笑み返す。彼女が放った威圧感に肌を刺され、一抹の恐怖すら覚えてしまう紅壱。
いつまでも、自分が引き摺っていれば、紅壱は居心地を悪く感じてしまうだろう、そう判断したのか、小さく咳払いを漏らした瑛は組み合わせた指の上に顎を乗せると、顔を引き締めた。
「それで、辰姫、キミはどうだった、初のミッションは?」
少し言葉を選ぶ素振りを見せてから、「正直、キツかったです」と真面目顔となる紅壱。
「幻想世界にしかいないと今まで思ってきていた存在が実際にいるんだ、って頭じゃ理解してるんですけど、いざ目の前に『本物』が現れるとなると、興奮と嬉しさでテンパっちゃいますね」
田舎で、散々、『本物』を見ていた自分が白々しいよな、と思いつつ、素人として入会したので、ここは嘘も方便で勘弁してもらおう、と頭の内で詫びる紅壱。
「それが普通だ。なるべく多くの経験を積み、できるだけ早く慣れるように」
紅壱は淡々とはしているが、瑛の真摯なアドバイスに力強く頷き返した。
「・・・では、今日の巡回は私と共に行こう。現場でこそ出来る助言もある」
「ちょ、それはマズくねぇかよ、アキ」と愛梨は顔を顰めた。
「今夜の当番は、お前とナルだろ? いきなり変えたら、アイツ、怒らないか?」
「私から話す。それに、豹堂は最近、辰姫の事を意識しているのか、働き過ぎだ。
そんな状態では、危険の多い巡回は任せ難い」
憂い顔の瑛に、視線を交差させて面々は密かに溜息を漏らす。
鳴が紅壱を嫌っているのは判りきっているのに、自分と彼が行動を共にするとなれば、鳴がどれだけ苛立ち、紅壱に後でキツく当たるか、を解かっていないのだ。しかも、素人同然にも関わらず、瑛に可愛がられている男に、待ちに待っていた彼女との共同作業を奪われたら、鳴が怒り狂うのは火を見るより明らかだ。
(コイツは人の行動を先読みするのは長けてるが、自分に向けられる好意にはホント、鈍感だからな。
まあ、それに輪を懸けて、自分のキモチにも鈍いってんだからなぁ)
「あ、そうだ、会長、一つ報告と言うか、ご相談が」
重くなりかけた場の空気を変えるかのように、ポンと一つ手を叩いた紅壱。
「何か、クラスメイトから嫌がらせを受けてる先輩に、昼飯時に裏庭で会いまして」
「ほぉ、詳しく聞かせてくれ」
途端、凛々しさを増した瑛に促された紅壱は頷くと、自分は今日の昼飯を、裏庭で食べていたんですが、と話を切り出した。
「はぁ・・・・・・」
この学園で唯一と言ってもいい、同性の友人である修一が居眠りをしていた事で担任に呼ばれてしまい、紅壱は仕方なく、裏庭に向かい、一人で寂しくおにぎりを齧っていた。ちなみに、今日の具は自家製の梅干しと、じゃこの佃煮である。
(生徒会に入ってから余計に、教室に居づらくなっちまったなぁ)
一人でいると、決して敵意だけではないのだが、少なくとも「友好的」とは言い難い、刺々しい色の視線を注がれる。鳴のそれに比べれば、可愛げはあるが、気にはなる。いくら、太い神経を持つ紅壱も、さすがに居心地の悪さを覚えてしまうのだ。
意図せず、努力もせず、高嶺の花でもある瑛たち生徒会メンバーと懇意になった自分に対し、敵対心や嫉妬心を剥き出しにする女子達へ逆に歩み寄れるほど異性馴れしていない紅壱。
これを機に、他の男子生徒と懇意になろうか、と思いはしたのだが、彼らは相当、女生徒にイビられているらしく、被害者同士だけで集まってしまっている。そんなボロボロの人間が集まったグループに、ある意味、ハーレムに身を置いている自分が近づけば、勘繰られるのは容易に想像がつく。
何より、紅壱は見た目が、猛獣同然だ。ビビらせるのは忍びない、そう思ってしまうと、根は良い紅壱は声をかける事を尻込みしてしまうのだった。
紅壱は女子に嫌われている、その勘違いから、半ば避難するかのように教室を後にした。もちろん、彼は知らない、自分に声をかけようとしていた女子たちが残念そうに溜息を吐いた事を。
色々と迷った挙句、紅壱は裏庭にやってきていた。
広い裏庭に繁茂する草花は最低限しか手を入れていないからだろう、幼い頃に住んでいた場所を思い出させてくれ、何だかんだで紅壱は、生徒会室と図書棟を除けば、ここにいる時が学園の中で一番に落ち着いた。
最後の一口を口の中に押し込んだ彼は、特大のおにぎりを包んでいたアルミホイルをピンポン玉大まで握って丸め、鞄の中に放り込むとベンチに寝転んだ。
そよ風にゆったりと運ばれていく、千切れた雲を細めた目で追いかける紅壱。
(あぁ、ホント、眠ぃ)
昨夜の巡回に加え、満腹感から来る眠気に身を任せて、瞼を下ろしかけた時だった、啜り泣きに耳を打たれた彼はバネ仕掛けの人形のような動きで素早く、身を起こした。
しかし、険しい顔で周囲を見回しても、泣いている者は見受けられない。
「幻聴か?」と小首を傾げつつ再び、寝転ぼうとしたが、またもや啜り泣きが届き、聞き間違いじゃないようだ、と紅壱はベンチから腰を上げる。
聴覚を尖らせていないと聞こえないほどの嗚咽がする方向へ、慎重に足を進めていく紅壱。昔からの経験で、こう言う時は大概、不浄霊か狐狸の類が自分を騙そうとしている確立が高い、と頭では判っているのだが、これを無視できるほど紅壱は冷徹にはなりきれなかった。結局、いくら、悪ぶっても「いいひと」を脱しきれないのが、彼の甘イイ所だ。
先日、素人である紅壱に「いろは」を教える為、全員で巡回していた最中にも、電柱の脇で肩を震わせながら蹲っている女子小学生に気付いた彼は「大丈夫か?」と声をかけてしまった。だが、それは人間を驚かす事を至上の喜びにしている魔属・妖精型・パックであった。
「食っちまうぞぉっぉ」
彼の方に振り向いた瞬間、そいつは眼球が百以上も並ぶ異形に化け、そう叫びながら両手を大きく広げ、勢いも良く飛びかかってきた。驚きのあまり、指先まで固まってしまった紅壱を馬鹿にするような笑い声だけを残して、あっという間に消えてしまったのだ。
人影を見かける度、泣き声を聞く度に驚かされ、頬を伝う季節外れの冷たい汗を拭う羽目になる紅壱。
そんな彼に対し、瑛は「もう少し、危機感を持て」と嗜め、恵夢は「優しいのは良い事だよぉ」と間延び気味に褒めた。「学習しろよぉ」と愛梨は呆れて笑い、夏輝はいつも通り、無言だったが可笑しそうだった。鳴もこれまた普段どおりで、思いつくだけの罵詈雑言を、自嘲気味に薄ら笑いを浮かべる紅壱にぶつけてきた。
(甘ちゃんと言われても、この癖ばかりは簡単に抜けねぇなぁ)
紅壱は、いじめられていた頃の『自分』の弱々しい後姿を無意識に重ねてしまっていた。故に、聞こえなかったフリを貫けずにいた。どうしても、「自分に何か、訴えたい事があるんじゃ」と考えてしまい、声をかけずにはいられなかった。
(ただ驚かすだけなら、大した害もないからな。
アイツらのストレス発散に貢献してやってる、と思えばいいさ)
お気楽に考える紅壱に釘を刺しつつも、瑛は彼の仄暗い過去を抱えるがゆえ、前向きに考えられる強さを頼もしく感じ、更なる期待をかけ、異形のそれと対等に接するための知識を厳しくも、親身になって教えた。
それが、鳴は気に入らず、紅壱が小さなミスをすると、必要以上に責め立てるのであった。傍目から見れば、滑稽さすら感じさせる鳴の空回り加減に、瑛と紅壱を除くメンバーは呆れ返っていた。
四方八方を見回しながら、欠伸を噛み殺す紅壱が裏庭の奥へ進んでいくと、草むらの中で影が揺れた。
少し警戒心を強めながら窺うと、苛立ちで唇をキツく噛み締めている少女が四つ這いになって、熱心に何かを探しているではないか。
艶のある髪に引っ掛かった木の葉も取らないほど、必死さが滲み出ている彼女にどう声をかけるべきか、迷ってしまった紅壱に気がついたのか、草の根を割るように動かしていた手をおもむろに止めた彼女は素早く振り返り、驚きに顔の筋肉を固めた。
その刹那、少女が発した威嚇の波動は剣呑で、他の男子生徒であれば、後ろへ三回転して吹っ飛んでいただろう。修一ですら、数mは反射的に後ろへ跳び退いたに違いない。稀にいるのだ、睨むだけで物理的な衝撃を起こし、人間を攻撃できる武道の達人が。
しかし、驚いている少女は、格闘的な意味で隙だらけで、達人どころか、師範級にすら達していないようだ、と紅壱は見抜いた。しかし、一般人でもあるまい、とブチ開いた毛穴が徐々に閉じていくのを感じながら不安を乾いた口の中だけに押さえる。
ともあれ、驚かせてしまったのは事実だ。罪悪感を覚えつつ、極力、柔かく微笑みかけた紅壱。同級生なら即座に逃げるであろう、彼のぎこちない笑い方で、逆に警戒心が緩んだのか、無意識に胸の前で握られていた拳が緩くなる。
「何か用?」
頬についた土埃を乱暴に拭い、半ば威嚇してくるような問い方に、紅壱は口許に浮かべていたものを微苦笑に変えてしまう。
「探し物ですか、先輩」
初見で、背丈こそ夏輝と大差は無さそうだが、彼女は年上であろう、やけに熟した雰囲気を感じた紅壱は使い慣れていないエセ敬語で話しかけた。彼のそんな態度に、いくらか怒気も削がれたのか、彼女は目を不意に逸らすと、探索を再開してしまう。
「あー、先輩?」
「・・・見て解からないの? 探し物をしてるのよ」
「じゃ、手伝いますよ」
鞄を足下に置き、自分の傍らにしゃがみこんだ紅壱を、彼女は「ギロリ」と言う擬音が聞こえてきそうな光が灯った目で睨む。またしても、空気が揺れ、紅壱は唇を緊張から引き結んでしまう。猫科の肉食獣と言うよりは、食事と生殖、それを満たす本能のみで生きているカマキリやハチを思い出させる獰猛な虫のような眼だ、と紅壱は背中に寒いものを感じた。
「あ、あの、そんな睨まれると怖いんすけど・・・」
不安げに頬を拭った紅壱の質問にも答えない少女は、唐突に息の熱さを感じられるほどの距離までフランス人形のように整った顔を近づけてきた。あまりの速さと勢いで、動く事も出来なかった紅壱は、一瞬だが鼻腔の奥をくすぐった覚えのある匂いで、ある事に気付いた。
(この人、生きてる人間じゃないな・・・とは言え、悪意の類は今の所、感じない)
今にも噛み付いてきそうな相手から逸らした目で周囲を見回す紅壱。
(この森から動けなくなったエネルギー体ってトコか。入っていた人間が、この森で命を落としたか、死にたくなる、もしくは、殺したいほどショックを受けたか)
紅壱は不意に身を引いた相手から、田舎で自分に散々、愚痴を垂れてくれた女幽霊と似通ったそれを感じた。
「・・・・・・変わった何かが憑いているのか、変わった誰かと付き合いがあるのか、少なくとも、他の男の子には無いモノを持ってるみたいね」
「っつ!?」
自分の全てを見透かしてくるような迫力に満ちた瞳に気圧され、思わず唾を飲み込んでしまった紅壱は恐怖を押し隠すように、「それで、探し物は何ですか?」と尋ねた。
「どんな形をしているのかも、どこにあるのかも判らないけど、私の親友の大事なモノ」
優しさか、嘲りか、もしくは、無関心、彼の身の隠しきれていない震えを見て見ぬ振りした彼女は、視線を軽く上げて細い顎に指を当てながら答えた。
あやふやな答え方に、紅壱は困惑したが、少なくとも彼女にとっても大事なモノである事はしっかりと伝わったので、彼は昼休みの残りを返上して真面目に草の根を分けるようにして、探し物に付き合った。
「ふむ、感心だな。それで、探し物は?」
「それが見つけられなかったんすよね。
結局、チャイムが鳴った時には、その地縛霊は消えちゃってて」
コーヒーを注いでくれた恵夢に小さく頭を下げつつ、役に立てなかった自分の未熟さを悔しがるような面持ちで話を続けた。
「その『先輩』の話じゃ、裏庭の端の祠の辺りらしいんで、その辺を重点的に探したんですけど、何故だか、その祠に触れるどころか近づけなくて」
実際は、その気になれば、見えない壁を壊せそうだったのだが、何やら、それをすると自分に不利になるような気がして、止めておいたのだ。根拠はない、だからこそ、行動を自制するには十分だった。
「待て・・・・・・今、何と言った、辰姫。キミ、裏庭で何を見つけたんだ?」
突然、上級生全員の顔が険しくなり、瑛から放たれる雰囲気が肌を切るようなものになったので、今の話のどこが逆鱗に触れてしまったのが分からない紅壱は戸惑いつつ、「いや、見つけられてないんです、祠に近づけなかったんで」と声を震わさないようにしながら続ける。
「まぁ、祠自体を見つけられたのが、チャイムが鳴る五分くらい前で、まともに探せな」
最後まで言い切る前に、瑛は紅壱の腕を掴むと、強引に立ち上がらせた。
そして、彼の首筋に牙を突き立てるような勢いで距離を詰める瑛。
「辰姫、そこへ案内しろ!!」
瑛は紅壱が返事をするのも待たず、彼の体が半ば浮き上がるほどの速度で腕を引っ張り、部屋を飛び出した。一拍ほど遅れて、他のメンバーも彼女等を追いかけた。
わずかに荒れてしまった息を整える暇すら与えてくれず、瑛は目の前を指す。
「これが君の見つけた祠だな?」
不可視で、手を伸ばすとゴムの板のような触感がある壁に阻まれ、歩を前に出せなくなった紅壱をそこへ残し、瑛は重々しい足取りでそれに近づく。
だが、生徒会の中で最も優れている獅子ヶ谷瑛ですら、濃い緑色の苔に覆われた、小さくみずぼらしい祠には触れる事が出来ないようだった。30cm前後ほどの距離まで近づいた彼女は不自然さを感じるほど、祠にそれ以上は近づこうとしない。
祠を指し示した彼女の顔はいつになく、強張っていた。表情の険しさが怒りではなく焦りによるものだと、紅壱は読み取り、「そうです」と首を弱々しく縦に振る。
自分達に追いついてきた恵夢や愛梨の厳しい表情を振り返って見た紅壱は、一抹の不安を覚えてしまう。
肩で息をする夏輝は小首を傾げている。目の動きから察するに、祠の輪郭をぼんやりとしか捉えられていないようだった。先輩である恵夢と愛梨は祠を視認でき、自分より間隔を狭められるようだが、瑛ほどは近づけないようだ。
「獅子ヶ谷会長・・・念の為に確認したいんですが、俺がこれを見つけたのはマズいんですかね、やっぱり」
唇を噛み締めていた瑛は頬に血色が戻り出した頃、静かに首を左右に振る。
「最悪の展開、ではない。私の予想の範疇外であるコトは否めないが、挽回できる展開と範囲で助かる」
どこか開き直ったように胸を張り、口の両端をわずかに上げた瑛に対し、紅壱は心の中に不安の波が広がっていくのを感じた。
(こんな笑い方、どっかで見覚えがあるな・・・・・・)
無理ではないが無茶な頼みごとをしてくる時に祖母が浮かべる柔和過ぎる微笑にそっくりなのだ、と紅壱が思い出したのと同時に、瑛は口を開いた。
「夏、七月まで時間をかけて、君のイメージを固めるつもりだったんだが、そんな悠長な事を言っていられないようだ。
辰姫、申し訳ないが、今日から三日間、入れている予定を全てキャンセルしてくれ」
唐突な命令に、紅壱は絶句してしまうが、瑛が自分を見上げてくる瞳の光に否定も反論も許さない輝きを見た彼は心の内で大人しく白旗を振る。
「・・・了解っす」
幸い、明日のバイトは貸しのある同僚に強気にお願いすれば変わって貰えるだろうし、夕食を作る当番が回ってくるのも四日後だから問題は無さそうだった。
「・・・厳しく行くぞ」
「望むところですよ、会長」と半ば強がるように口の右端を吊り上げた紅壱。他の面々は彼がこれから与えられる課題の過酷さを想像し、彼を見る目に同情の色を込めてしまうのだった。
四月十六日〈月〉 天候 曇りのち晴れ
今日、まさかの事態が起こってしまう。辰姫が裏庭の封印を見つけてしまった。
そもそも、隠すつもりはなく、機を見て連れて行くつもりだったのだが・・・決して、彼の能力を低く見積もっていた訳ではない。
しかしだ、祠に施していた私の『視遮白壁』を破るなんて、誰が想像できる。
もちろん、私がまだまだ未熟なのもあるのだろうが、こうもあっさり、無効化されると、ショックだ。
ただ、こうやって冷静になってくると、不思議なもので、彼に対して猜疑心や恐怖心はあまり感じていないようだ、私は。
この事を上層部に報告しないつもりである事を豹堂に知られたら、また「会長はあの男を簡単に信じすぎです」と怒鳴り散らされてしまうな。まぁ、なるようになるだろう・・・・・・いや、違う、生徒会長として、どうにかせねばなるまい。
クラスでは針の筵状態の紅壱は出てきた裏庭で、何かを熱心に探している少女の幽霊を見つける
見かけによらぬ人の好さを発揮し、彼女の探し物を手伝った紅壱だったが、彼はその最中、とんでもない物を見つけてしまう
自身の結界が、素人である紅壱に通用しなかった事実にショックを覚えながらも、瑛は彼に式神と契約する儀式に挑ませる
果たして、彼は強い式神をパートナーに選べるのか?乞うご期待