第六話 野心(ambition) 獅子ヶ谷瑛、辰姫紅壱に対し、恋心が芽生える
実力を認められ、一人を除き、メンバーから生徒会加入を歓迎された紅壱
腕っぷしは確かだが、知識が足りない彼のために、瑛は自ら、教師役を買って出る
男慣れしていない瑛は緊張してしまい、一日目は半分ほどしか進まず
説明会は二日目に突入。果たして、瑛は紅壱と二人きり、この状況に適応できるのか?
「では、講義を始める」
昨日、自分で日誌に書き記した通り、程好く脱力している瑛は、きっかり五分前から椅子に腰掛けて待っていた紅壱の前まで歩いてきた。
「よろしくっす」
早速、瑛はホワイトボードに昨日と同じプレートを貼る。
「さて、『調査』については、もう説明したな。今日はコレだ」
瑛の持つ教鞭が冷たい音を発して指したのは、『保護』。
彼女は『保護』と記されているプレートの下に線を三本引き、一本の先に「能力者」、もう一本の先に「被害者」、最後の一本の先に「偶喚魔属・霊属」と書き記した所で、彼女は「質問はあるか?」と振り返った。
「偶喚ってのは? あと、魔属・霊属が」
「うむ、一つずつ説明しよう。
偶然召喚の略だ、偶喚とは。
人間界へ来てしまったものの、実体を得られなかったエネルギー体は消滅を待つしかないか、その場しのぎで人間に憑依する事は、昨日、教えたな。
しかし、時に、こちらに来た瞬間にエネルギー体が実体を得てしまうケースがある。
発生する割合としては、こちらの方がわずかだが多い」
瑛は硬い表情で、『偶喚』の二文字を示す。
「エネルギー体に、五感を持つ実体を与えてしまうのは当然、人間の感情とイメージだ。
綻びが生じた際、その付近に一定量以上の強い欲望や願望を持った人間がいた場合、エネルギー体はその者の持つ異形のイメージとなって、そこに出現してしまう」
「・・・つまり、魔術の『ま』の字も知らない素人が意図せずに異形を召喚してしまう、これが偶喚ですね」
「理解が早くて助かる。
広く知られ、特定の名が付けられている悪魔や妖怪は全て、実体を得たエネルギー体だ、と思ってくれ。
素人でも、マンガやゲームで一度か二度はそれらを目にし、すぐに忘れたとしても頭の片隅には残る。
今にも爆発しそうな感情や思念を持っている人間ほど鮮明に。
そして、そんな人間に偶喚されたエネルギー体ほど、戦闘力は高くなるんだ」
彼がノートに要点をまとめるのを待ってから、瑛は次の説明に移る。
「続いて、魔属・霊属だが、これは実体を得たエネルギー体に使う用語だ。
魔属は広義で悪魔、霊属は広義で妖怪、と大雑把に捉えてくれて構わない。
ちなみに、魔属と霊属を一括りにする際は、『怪異』と呼ぶように。」
「有名どころである、ケルベロスは」と、おもむろにメジャーな悪魔のイラストを描き出した瑛だが、出来上がったそれを見て、紅壱はコメントに窮してしまった。
数ある恐ろしい獣型のモンスターの中でも、ケルベロスと言えば、イラストレーターにより、ある程度の変化は加えられるにしろ、基本的には三つの頭に毒蛇の尾を持つ、その姿が一般的である、地獄の番犬だ。ギリシャ神話に登場するモンスターであるからか、紅壱は故郷の山中で目撃したことがない。出くわした事があるのは、せいぜい、歳を経て霊性を得た、人語を解す白い大狼くらいだ。しかし・・・
(ふ、雰囲気は辛うじて維持しているが、「さぁ、これは何だ?」と聞かれたら、素直に「バケモンです」と答えるしかないレベル!!)
一周して、『ヘタうま』とも褒められない珍妙なイラストに、どんな返答と反応を返すのが、瑛を傷つけない正解なのか、彼が躊躇っているのに気付いたのだろう、両肩を大きく竦めるようにして苦々しく笑った瑛はペンのキャップを閉じる。
「あぁ、辰姫、何も言わなくてもいい。むしろ、笑ってくれ。
自分の画力の無さは既に、自覚しているからな」
「いやいや、会長が心を込めて描いてくれたモンを笑いはしませんが・・・・・・女の子はやっぱり、一つくらい隙があった方が可愛いです、大丈夫っすよ」
紅壱の下手なフォローに、瑛は「ありがとう」と照れ臭そうに首を傾けた。
「さて、このケルベロスは魔属になり、もう少し、詳しく説明をする時は、魔属・獣型とする。また、猫又は霊属・獣型になる」
瑛はケルベロス(仮)の隣に、辛うじて「猫?」と当たりを付けられるイラストを描く。
長い年月を生きた末に尾が二つに分かれた化け猫を、頭の中に思い浮かべてみた紅壱はおもむろに手を挙げた。
「ケルベロスは割りとメジャーでイメージが固まってるんで、大抵の人間は似たような想像をすると思うんですけど、猫又って言うと、猫のままだったり、美女に化けてたりしますよね。
仮に、アニメの影響でネコ耳少女の猫又のイメージが頭の中にある人間が偶喚しちゃった場合も、霊属・獣型になるんですか? それに、悪魔の中に、ワーキャットもいますけど」
紅壱のこの素朴な質問に、「良い質問だな、辰姫」と力強く頷き返した瑛は、机の上に積まれていたファイルを開く。
「これは各支部に配布されている、百年前に組織が完成させた資料を、私が簡単にまとめた物だ。
我々は、これに描かれている絵を基本にして、出現した魔属・霊属を特定する。
今、キミが言ったような姿で出た場合、多数決で決める、魔属・獣人型のワーキャットか、霊属・獣型の猫又か、を」
「アバウトなんですね、案外」
「そんなものさ、現実は」
現場の人間は、基本をしっかり修めた上で、型に嵌らない、臨機応変さを要求されるのは、どこも同じだな、と理解した紅壱はそれをノートに記す。
「暇な時に目を通して、なるべく多く頭に叩き込んでおいて欲しい。
今後、君の意見も現状で聞く事になるからな。俺も同じです、は認めないぞ、私は」
瑛は小冊子を、厳しい言葉と共に紅壱に手渡した。右端をホッチキスで止めただけの、一目で彼女の手作りと判るそれのページをパラパラと捲ってみる紅壱。
「わざわざ、作ってくれたんですか? 素人の俺の為に」
ありがたく、泣きそうになっている彼に、瑛は優しく微笑みかける。
「バカモノ、素人だからだ」
彼女は紅壱の頭頂部を、教鞭で軽く打った。鳴あたりに、こんな事をされたら、怒り狂ってしまうだろうが、瑛相手だと、わざと受けてしまうから不思議だ、と紅壱は胸の辺りが温かくなった。
「去年のデータを基に、この近辺に出現する確率の高い魔属・霊属だけをまとめた。
それでも、軽く三〇は超えてしまうからな、大変だとは思うが、よろしく頼む」
「頑張ります」
中身の入っていないスチール缶ですら軽く握り潰せる手を力強く握り、その決意を示すように前へ突き出してきた紅壱に、「我が生徒会の一員になった以上は、頑張ってもらわねば困るな」と、瑛は拳を教鞭の先で押し返し、辛辣な言葉を吐いた。それに対し、気を悪くした様子も無く、紅壱は歯茎を剥き出すようにして笑い返してみせた。
自分にも劣らないほど強い負けん気を持つ後輩の頭頂部を今一度、軽めに打った彼女は説明に戻る。
「察しの良いキミの事だ、魔術を齧った人間が任意の魔属・霊属を、俗に言う『式神』と呼ばれるポジション、いわば、パートナーとして召喚する事が可能なのは気付いているな」
「やっぱりっすか」と紅壱は嬉しそうに、口の端を吊り上げた。
健康な色の歯茎が更に露わになったのを見て、瑛は「本当にイイ笑顔だ」と、つい思ってしまう。一瞬、自分の胸の内に広がりかけた思念に気付いた彼女は真っ赤になった頬を隠すように、紅壱へ背中を向けてしまう。
やはり、彼も期待は抱いていたようだ、多くのラノベや漫画、ゲームに必ずと言って良いほど登場し、有効活用されている有名な『魔術』に対して。
「時期が来たら、キミにも召喚魔術を覚えて、契約をしてもらう事になると思う。
しばらくは我々の仕事を手伝いつつ、肉体作りと、怪異への対応を覚えつつ、呪文を噛まずに詠唱する訓練に専念して貰う事になるだろう。
それまで、その冊子をじっくり読んで、それぞれの細かい所まで覚え、自分がどんな魔属・霊属を召喚したいか、パートナーにしたいか、を決めておくといい。
日頃の寸暇を惜しまぬイメージが物を言うからな」
「・・・先輩らも式神を持っているんすか? 出来たら、参考に見せて貰えると」
「機会があったらな」と意地悪っぽく笑った瑛に、紅壱は「残念」と大袈裟に顔を手で覆い、天井を仰ぐ。
「まあ、意地悪で言っている訳じゃないんだ。
式神と言う役割を与えられていても、エネルギー体である事には変わりないからな、召喚する場合は、上に前もって許可を取らねばならない」
「・・・・・・実戦ってのは、前触れもなく起きるもんすけど」
修羅場慣れしている紅壱の言葉には、ぐうの音も出ない説得力があり、瑛としては「耳が痛いな」と苦笑を返すしかない。
「実際、年に何人か、『組織』の構成員は召喚の許可が間に合わず、命を奪われている。
上層部にもまともな者はいるが、大半は現場を知らぬ、己の利益を優先する老害ばかりだ。
私は必ず、十年後には『組織』の幹部クラスに食い込む、その時にいる誰かを蹴落としてな。そして、組織の抜本的な改編を幹部権限で推し進め、二十年後にはトップになる」
瑛ほどの実力者が、それを口にすると虚言の類に聞こえない。言霊の力も宿り、本当に実現させてしまいそうだ。
上昇志向が強い女性が嫌いではない紅壱は、本気の光が宿る瞳に己のギラついた笑みを映している美少女に、ドスの効いた声で問うた。
「いいんですか、新人で、しかも、男の俺に、そんな壮大な計画を語って」
「これは、今まで胸に秘めていた。誰にも言っていない。何せ、口にすれば、運が良ければ不穏分子と厳しく監視され、悪ければ即処理だからな。
不思議なものだ、君を前にしたら、秘密にしておくのがアホらしくなった。
もちろん、君を私の野望に巻き込むつもりで語った。聞かせてしまった以上は、十年で、君を私の右腕にするつもりで、これから鍛えていくから覚悟しておくように」
こっちの都合は完全無視か、と瑛の自分本位さに呆れてしまうが、面白さを人生で優先する主義なのが辰姫紅壱だ。
好きな事も得意な事もあるが、それを仕事にするつもりはない。魔王をその身に宿している時点で、まともな職に就けるとは思ってもいなかった。かと言って、専門職に籍を置くつもりもなかった。祖母は気にしていなかったが、他の同業者が無視してくれるとは限らない。露見たら、どんな目に遭わされるか、想像しただけでも恐ろしい。
紅壱は、そこそこの高校を卒業して、並みの大学に入る、もしくは、ぼちぼちの規模の会社に入って、目立たぬように生活しつつ、魔王を復活させる手立てを慎重に探す気だった。だが、この天戯堂学園への入学が決定してしまった事で、彼は人生プランの大きな見直しを迫られた。
乗ってしまった軍船が、海神を屠る事を目的として荒海の中に出発してしまったのなら、もう降りる事は叶うまい。ならば、腹を括るしかない。この状況で、最も安全な場所は、自分から海龍の巣に突っ込んでいこうとする船長の近くだ。人間、死地に飛び込むと、勘は鋭さを増し、好運を引き寄せるものだ。
死中に活在り、死ぬ気で戦えば、時には生き残る、そんな祖父に育てられた紅壱の、生と死を分ける判断力は、獣じみた鋭い勘に支えられていた。
彼の心の声は楽しそうに言う、トップを目指す瑛を支える、ある意味、彼女より命の危機に曝される機会が多くなる人生、それも面白く、むしろ、魔王の契約者らしい生き様だ、と。
時には杖に、時にはコンパスに、時には得物となる、紅壱の傷が増える度に強さを増すモノサシは、常に彼自身が最高の人生の終わり方を迎えるための選択肢へ、先端を向ける。
今回、彼が進むことを決めた道、過程で何が起こるかは誰も知らない。けれど、その先に待ち構えている称号は「獄皇」、それだけが確かな事だった。
「十年と言わず、五年で会長の腹心になって、一日でも早く、席を一つ奪えるように仕事をしますよ。
だから、一つだけ約束しておいてくれますか?」
「約束?」
「えぇ、目的の為に自分を蔑ろにしないでください。
俺は、会長に安い女になって欲しくない。
会長に『抱かれろ』、『俺の女になれ』なんて、フザけた事を言うような奴がいたら、俺がぶっ飛ばしますし、もし、その誘いに会長が応じたなら、そん時は会長もぶっ飛ばします。
俺は会長を、つまんねぇ男に渡したくない。そうなっちまうなら、俺が彼氏に立候補します」
「!!」
対物理・耐魔力の効果が付加されている窓に、紅壱が抑えずに放った殺気が空気を通じてぶつかり、カタカタと小刻みに振動える。
(これは・・・)
この年齢で、瑛は幾度も凶悪な魔属・霊属と渡り合い、今日まで命を落とさずに来ている。同年代の中で頭一つ抜け出ており、総合的な戦闘能力を数値化すれば、間違いなく、彼女は十代の戦闘員の中でも五本の指に入るだろう。剥き出しの殺意の波動を身に浴びるなど、日常茶飯事だ。そんな彼女ですら、紅壱のそれは口の中が一気に渇くほどの厚味があった。
だが、自分に劣らぬ、曇りない本気の決意を示した後輩に、瑛は破顔してしまう。彼女も一皮剥けば、恋したいお年頃。好意的な相手に、こんな魅力的な事を言われてしまったら、いくら、自制心が強固な彼女にも、頬の蕩けは押さえられない。
ぐふふふ、そんな不気味な笑い声、ノートで隠せねばならなくなるほど、だらしない顔となった瑛から、紅壱は目を逸らさない、内心では竦みながらも。
幾度か、紅壱の力ある言葉を舌上と脳内、下腹部で反芻して満足したのか、顎を伝ってスカートに落ちそうだった涎を拭った瑛は、凛々しい顔つきに戻り、紅壱に誓いを立てる。
「それは心強いな。
あぁ、約束しよう、私はこの体、心、魂を夢の犠牲にしない。辰姫、君が証人だ。
だが、今はまず、足元を固めるとしよう、お互いにな」
そうしましょう、と自分に劣らぬブラックな笑顔で紅壱が頷き返したのを機に、喉を潤してから、瑛は中断してしまっていた講義を再開した。今の今まで、溜まった膿を洗い流して『組織』を乗っ取る、そんな危険思想を口にしていたとは思えぬほど、自然な舵の修正であった。
「各系統の魔術もイメージを練っておく事が大切だが、召喚魔術を実戦で使いたいのなら、日々の精神鍛錬を怠ってはならない。
どんなに優れた才能を持ち、人並み外れた魔力量があっても、想像力が貧困では召喚できる魔属・霊属の強さはタカが知れてしまうからな」
瑛は再び、ホワイトボードに昨日と同じ二重丸を描くと、その近くに人間と思わしきイラストを描く。そうして、隙間を作った二重丸から人間に向かって太い矢印を引く。
「私たちのパートナーを見せる事は出来ないが、一応、召喚の仕方は教えておこうか。
術者はまず、境界に自然に塞がるか、もしくは自分で閉じる事の出来る程度の穴を開けて、エネルギー体をこちらへ引き込む。
そうして、完成に至らせたイメージと融合させ、実体化させる。
この方法は、召喚だけでなく、攻撃や防御系統の魔術にも通じるので、頭に置いておくといい。術者の中には、自分を一つの器とし、エネルギーを予め溜めておき、発動時間を短縮する者もいるが、自分に適した属性やスタイルは追々、自分で見極めていくしかない」
「・・・・・・会長が、得意とする属性って、もしかしなくても、火でしょ」
「なぜ、わかった!?」
忍び足で近づき、背後から驚かせようとしたが、振り向きざまに怪物の仮面を被った兄に驚かされた妹のようなリアクションをした瑛に、紅壱は「してやったり」とばかりに唇の両端を吊り上げる。
いつもは、高潔な理性で手綱を取ってはいるが、いざ、地雷を踏まれたら、良いも悪いも構わずに焼き払う「正義」の持ち主であろう瑛が、火以外の魔術を扱う姿は想像できなかった、紅壱には。
「ちなみに、私はナラシンハと『契約』している。
知っているかな、あまりメジャーな魔属でないんだが」
威厳を取り戻すような咳払いをし、「私」と記した簡素な人物画の右横に、自分のパートナーを描いた瑛。
(ホント、珍味っぽい絵を描くな。
会長の方は、人間か猿の中間点っぽいが、ナラシンハの方は・・・福を招かない呪われた血まみれの招き猫だな、完全に。
自分が、主にこんな風に描かれてるって知ったら、泣くんじゃないか、そのナラシンハ)
心に抱いた、まだ見ぬ瑛のパートナーに対する同情の念を表情にはおくびも出さず、しきりに紅壱は頷いてみせる。
「確か、インドの神様で、調和を司ってるヴィシュヌの姿の一つで、獅子の頭を持つ武人でしたよね」
思っていたよりも、紅壱がナラシンハについて詳しかったのが驚きだったのだろう、瑛は大きく見開いた目を、すぐに嬉しそうに緩ませた。
「イメージがしっかりしていれば、思い描いたとおりの強さを発揮してくれる。だが、定まりきっていないと実力を十分に発揮できない上に、自分の存在を保ち続ける為に術者に襲い掛かってくる事もある」
「エネルギー体を多く引き込めるからって、強い使い魔を作れるとは限らないんすね。
図体はデカいが針で突かれただけで破裂しちまうような風船みたいな使い魔にしちまうか、形は小さくても簡単には壊れないボーリング球のような使い魔を作れるか、は日頃のイメトレが物を言う、と」
納得したようにノートに要点をまとめていた紅壱だったが、不意にペンを持つ手を止め、イラストを名残惜しそうな面持ちで消していた瑛に質問した。
「そうすっと、俺とこの前、戦りあったリザードマンは誰かが偶喚しちまったか、召喚に失敗しちまったんですか? まさか、元・人間だったってことは」
リザードマンを倒した時の、ほんのわずかな苦味が混じった高揚感を思い出し、握り拳を硬く作ってしまう紅壱。
「安心しろ、辰姫、あのリザードマンは前者で、人間の成れの果てではない。
また、仮に人を核にした魔属だったとしても、それを倒した君に罪はない」
そう答えた瑛の声が少しざらついたのを聞き逃さなかった彼は一つ断ってから腰を上げ、冷蔵庫から烏龍茶のペットボトルを二つのグラスと一緒に持ってくる。
「・・・・・・キミは本当に気が利く男だな。やはり、アルバイトの恩恵か?」
彼にお茶をグラスに注いでもらいながら、瑛は苦笑いを浮かべる。昨日に続き、異性にお茶を淹れてもらってしまい、少し戸惑っているようだ。
「多分、そうですね。あと、俺の住んでるアパートはなるべく、住人全員が揃って飯を食うルールになってるもんで、自然と身に付いたと言うか」
「一人暮しではあるが、独り暮らしでは無い訳だな」
気恥ずかしそうに目を細めて微笑んだ紅壱は、瑛へ話の続きを視線で促す。
「偶喚してしまったのは、キミがリザードマンと戦った通りから500mばかり東にあるアパートに住んでいたOLだった。
原因は、些細な口喧嘩が発端で、付き合っていた男性が結婚詐欺師であるのに気付いてしまったから。かなりの金額を貢いでいたようだ。金額が・・・むっ」
一旦、そこでメモを見る瑛は呆れ顔だ。同じ女として、そんな舌先三寸の男に騙されてしまう理由がまるで理解できない、と言わんばかりの同情よりも侮蔑が濃い表情をありありと浮かべた瑛に、紅壱は少し緊張しながら尋ねる。
「その女性の怒りにエネルギー体が引き寄せられたのは察しが付くんですけど、どうして、またリザードマンだったんですかね?」
「どうやら、その女性がペットのイグアナを溺愛していたのと、結婚詐欺師が胸にトカゲの刺青を入れていた事で、リザードマンのイメージに結びついたらしい。
しかし、イメージが固まりきっていなかったせいで、偶喚されたリザードマンは凶暴性丸出し、その場にいた二人を襲い、共に全治二ヵ月半の重傷を負わせて逃走・・・男の方に、もう少し、怪我を負わせても良かったと思うがな」
物騒な事を口に出す瑛に、笑いを噛み殺しつつ、紅壱は言葉を引き受ける。
「だけど、別件で巡回中だった先輩らに見つかり、どうにか逃げた途中で俺と鉢合わせ」
「そして、キミに倒された。ちなみに、そのリザードマン・・・の半死体は我々が適切な処理を施した。今更だが、安心してくれて構わない」
メモ帳を閉じた瑛は今一度、ホワイトボードの『保護』のプレートを教鞭で指す。
「被害者と言うのは文字通り、偶喚された魔属・霊属に襲われた人間だ。
怪我を負わされていたら、組織が経営している病院へ搬送し、そこで記憶も消す。
能力者とは、我々のように魔力を持ちながらも、使い方を知らずに周囲に被害を出してしまい、疎まれている人間。こちらは『保護』と言うよりは、『勧誘』の方が正しい」
つまり、勧誘された自分は瑛たちに『保護』された形になるのだろうか、と紅壱は心の内だけで小首を傾げた。
「生徒会が『保護』した事になっている能力者は今のところ、大神と辰姫の二人だ。
彼女は隣市の中学校に通っていたんだが、いじめグループの標的にされかけてな、憎悪と恐怖で無意識に肉体変化の術を使ってしまい、大怪我を負わせてしまった。両親は彼女を庇おうとしたんだが、学校側や他の親は彼女等を激しく責め立てた。
大神はストレスが溜まってしまうと、人狼に変貌した状態でビルとビルの間を駆け回り、時には酔っ払いや不良少年らを驚かしていた。
騒ぎが大きくなりだしていた頃に、私とあるビルの屋上で出逢ってな、それの所為で進路が決まっていないと知り、私がこの学校に誘った。不登校ぎみだったが、幸い、彼女の学力はさほど低くはなかったからな」
「じゃあ、他の皆さんは昔から、コッチの世界に関わってたんですか?」
「うむ、私と鯱淵先輩はそういう家系だ。君の祖母と同じだな・・・まぁ、私の家は金と権力を持っている客しか救わないから、雲泥の差だな、祓い屋としての信念が」
腐敗した『組織』を刷新したい、その強い気持ちも家業に対する、矜持と嫌悪、相反する意識があるのだろう、と紅壱は察する。
「先にも言ったが、元々、経験を積み、なおかつ、『組織』の上層部との繋がりを作るつもりで、ここに入学した。
エリは前会長にスカウトされ、こちらに引っ越してきた。本来なら、スポーツ推薦枠で、他の有名校に進学が決まっていたんだが、怪物を倒して強くなる方が面白い、そんな理由で勧誘を受けたそうだ。
豹堂は私が昔、魔属に襲われた所を助けたんだが、何を思ってか、エスカレーター式の進学校に在籍していたにも関わらず、わざわざ、この学園の入試試験を受けたようだ。初日に、この生徒会に乗り込んできた」
恐らく、鳴は『理想のヒロイン』と表現しても過言ではない瑛に憧れて追いかけてきたのだろうが、彼女はまるでそれに気付いていないらしい。改めて、紅壱はわずかながら、鳴に同情の念を覚えてしまう。
(難儀な奴だな、豹堂も・・・会長への尊敬が、男嫌いに拍車をかけてたのか)
「普通、生徒会役員ってのは選挙だったり、役員からの推薦で決めるんじゃ」
「私達と魔属の戦闘を近くで見ていたからか、元々あったと思われる才能が芽を出しかけていたし、入会を断る理由も思い当たらなかった」
有望な戦力は手元に置いておきたいからな、と微笑んでいた瑛だったが、次のプレートを指す際に表情が不意に翳りを強めたので、紅壱は「おや?」と思った。
「さて、『保護』の最後の対象になるのは、これだ」
「・・・偶喚魔属・霊属」
「気分が胸糞、おっと、失礼、非常に悪くなる話だが、世の中には『フシギな生物』を買い、飼い、いたぶり弄るのを好むゲスが少なくない。
そんな外道の穢れた手から、まだ、何の悪さもしていない魔属・霊属を救い出すのも我々の仕事なんだ・・・・・・正直、人間不信に陥りかけそうになるがな」
これまで、何度も人間の汚らしい一面を見てきたのだろう、瑛はそれを思い出してか、重々しい溜息を吐きながら、ホワイトボードを一旦、まっさらな状態に戻す。
「さて、我らが生徒会の最後にして、最もこなす回数が多い任務はこれだ」
気を取り直したように、振舞って明るい声で瑛は『退帰』と記されたプレートをホワイトボードの中央に勢い良く張り付けた。
「『組織』の造語だから、ピンとは来ないかもしれないな。
文字通り、魔属・霊属を〝退かせ、元の場所に帰す〟業務だ。まぁ、大半は、穏便じゃない手段になってしまうが。
当然、危険は多い。しかし、たった一つしかない命を懸けるだけの意義がある」
瑛は『退帰』の仕事に最もやりがいを感じているのだろう、強い誇りの念を持っている事が華やかな表情から容易に読み取れた。
(化け物を退かせる、しかも、シンプルな方法を用いて、か・・・俺向きだな)
彼女ほどではないが、自分も『退帰』に関しては余計な事を考えずに打ち込めそうだ、と確信した紅壱。
「そして、厳密に言えば、学生である我々の任務ではないが、人間界に居着いた魔属・霊属の集団と一戦を交える事もある」
「魔属・霊属も、組織を作ってるんですか!?」
群れを成したり、家族を持っている霊属には、故郷で遭遇したことがあるだけに、紅壱は目的を同じとして、異なる怪異が手を組んでいる事実に驚きを禁じ得なかった。
「小説や漫画のような話だが、奴らにも食欲以外の欲もあるようでな。
金銭や美術品に興味を示し、人間から強奪して蓄える魔属もいれば、女性型でしか実体化できない故に子を孕むために男を攫う霊属もいる。中には、人間界の征服、そんな大それた、しかし、賞賛に値する、今時、見上げた野心の持ち主もいる。
度が過ぎた犯罪行為を起こす、実力のある魔属・霊属には報奨金すらかけられている」
「やっぱり、大層な二つ名が付いてる奴もいるんでしょうね」
(あの魔王にも、その手の異名があるなら、俺が受け継ぐことになるのかねぇ)
無論だ、と頷いた瑛の瞳には強い光が宿っている。それを見て、紅壱は彼女が賞金首を片っ端から捕まえる凄腕狩人になりたい、と決意しているのを察した。
「そうある事じゃないが、私達、学生も大規模な討伐作戦に駆り出される事もあるので、覚悟だけは決めておいてほしい」
「うっす」と頷いた紅壱に、「うむ、頼もしいな」と瑛は笑う。
「さぁ、これで生徒会の仕事についての基本的な説明は終わりだ。
何か、気になる事があるなら、責任を持って答えよう。しかし、『組織』が緘口令を強いている事案もある。その場合は、済まないが、ノーコメントとなってしまう。
さあ、何でも聞いてくれ」
頼ってほしい、辰姫に「凄い」と思われたい、そう思っているのが、瑛の光が瞬く目を見れば丸分かりで、紅壱は気まずくなってしまう。この手のアピールは嫌いじゃないが、瑛が無自覚に垂れ流している威圧感も相まって、息苦しさすら覚えてしまう。
だが、「いや、特にないです」と答えようなら、あからさまにガッカリするのは目に見えている。こんな自分に好感を抱いてくれている異性を傷つけるのは、些か、気分も悪い。それに、紅壱は実際、気になる事が一つあったので、丁度よかった。
「じゃあ、一つだけ」
「うむ、何だ?」
「獅子ヶ谷会長は、天使を見た事がありますか?」
一般生徒に聞かれたら、毒電波でも浴びているのか、と疑われかねない質問である事は、口にした紅壱が最も自覚している。しかし、天使と因縁がある身としては、チャンスが転がってきた以上、少しでも情報を集めておきたかった。
問われた瑛は、しばらく、呆けた表情をしていた。やはり、この世界に関わっている人間にも正気を疑われるものだったか、罰の悪さを覚えた紅壱は笑って誤魔化し、質問を撤回しようとした。だが、瑛が「あるとも」と自然な口調で認めたものだから、逆に紅壱は唖然としてしまう。
「どうした、辰姫、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔になって」
紅壱の表情を可笑し気に見つめ返す瑛は、ファンタジーな存在の代表格たる天使が存在している事を知って驚いたのだろう、と誤解しているようだった。
「い、いるんですね、天使」
「天使と言ったって、世間一般的なイメージを、人間界で活動する器として得ているだけのエネルギー体だからな、確かに見目麗しいが、そこまで大袈裟な荘厳さはないぞ。
君も機会があれば、天使を見る事になるぞ」
「え?」
まさか、会長の召喚する魔属はナラシンハだけでなく、天使もいるのか、その考えが顔に出ていたのだろう、「違うぞ」と瑛は鈴が転がるような笑い声を発し、手を左右に振る、紅壱の不安を払い飛ばしてくれるように。
「先程も言ったが、私のパートナーはナラシンハだ。彼女以外とは契約していない。
私が、天使を召喚すると言うのは、何と説明すべきか・・・そう、ガラじゃないだろう」
肯定して良いのか、否定して良いのか、いずれにしても失礼なので、紅壱が狼狽しているのを見て、瑛は満足そうにしている。Sっ気もあるのか、紅壱の心の声に気付いたのか、「む」と唇を尖らせた彼女は紅壱の頬をグリグリと教鞭の先で押してくる。
「天使をパートナーとして召喚し、契約しているのは豹堂だ」
その事実に、紅壱は自分の中で、何かがストンと自然に穴へ落ちはまる音を聞いた。
(道理で、俺に無駄に噛みついてくる訳だ)
鳴自身は、紅壱が魔王を宿しているなど露も気付いていないだろうが、天使をイメージするような性格ならば、馬が合わないのは当たり前だ。もし、天使に確固たる自我があるのとするならば、その天使が鳴の精神に働きかけ、自分と仲違いする様に仕向けている可能性もあるな、と思考を深める。
(自我の有無は置いといても、天使と関わりがあるってんなら、豹堂とは、いつか、ガチで戦う事になるかもなぁ)
まさか、意中の対象に成りつつある異性が、物騒で血生臭い未来予想図を思い浮かべ、魔王の恩に報いるべく、天使全滅の覚悟を固くしているとは、まるで気付いていない瑛は、「もう少し、辰姫と豹堂は仲良くできないのか」と呆れ、会長かつ先輩として、どう一肌脱げばいいだろうか、と悩み耽りそうになる。
「細かい点については、口で説明するよりも身体で体験する方が早いし、どの仕事もすぐに覚えられるからな、明日から巡回に同行しろ、辰姫。
私は信じているぞ、君は私の期待を裏切らない、と」
立ち上がった紅壱は力強く、太い首を縦に振った。
わずかではあるが、生徒会役員としての自覚を抱き出した彼を満足気に見つめていた瑛だったが、唐突に人差し指を遠慮しつつ立てた。
「辰姫、最後でなんだが、私からも一つ、聞かせて貰ってもイイだろうか?」
躊躇いがちだが、退く気が感じられない瑛に紅壱は戸惑ってしまうも、「答えられる範囲の質問なら」、そうおどけた動作で、彼女に安心感を与える。
「その、なんだ、私が・・・」
「私が?」
「教師役で良かったか?」
真剣すぎる面持ちの瑛からの思いがけない質問に、紅壱は目を丸めてしまうが、「もちろん」と首を縦に力強く振り、指で肯定の意を示す丸を作る。すると、安心したように瑛が頬を緩めたので、紅壱は訳が分からず、小首を傾げてしまう。
「いや、すまない、変な質問をした。
豹堂が、キミと私が二人きりになるのを妙に反対するし、キミもキミで私が説明している最中、どこか身を硬くしていたから・・・つい、気になってしまったんだ。すまない」
(いやいや、謝りたいのはコッチですよ!! 会長!!)
瑛に申し訳なさそうに頭を小さく下げられたものだから、紅壱は軽くパニックを起こしかけるも、どうにか自前の根性で顔の筋肉に表れかけた動揺を押し殺すと、一つ二つ咳払いをしてから言葉を切り出した。
「素直な気持ちを言いますが、俺は会長に、教えて貰って嬉しかったっすよ。
説明も噛み砕いてくれて分かり易かったですし、イラストも可愛かった。その上、俺の為に冊子まで用意してくれた。
大体、会長ほど綺麗な人と密室で二人きりになって、緊張しない奴は男にも女にもいませんって。
ずっと、ドキドキしてましたよ、俺ぁ」
紅壱の歯に衣着せない褒め言葉で、瑛は瞬く間に耳まで真っ赤に染め上がり、目を白黒させてしまう。そんな慌てふためく姿がやけに可愛くて、紅壱はついつい、柔かく微笑んでしまうのだった。だから、無意識に照れた事で上半身が前に倒れ、丁度いい位置にあった瑛の頭を撫でてしまったのも不可抗力の内だ。
四月十二日〈木〉 天候 晴れ
辰姫への「初心者講習」が終わる。
私の説明は満点でなかったにも関わらず、彼はすんなりとこの事態を受け入れ、その上、自分なりの解釈で理解を深めてくれた。彼は運動能力だけでなく、洞察力、推理力にも長けているようだ。
彼のような秀でた生徒が、我が生徒会に入ってくれ、実に頼もしい限りである。これなら、スケジュール通りに、召喚術を教えられそうだ。夏休みは、その特訓に費やそう。
彼は一体、何と契約する事になるだろうか。私としては、動物型と相性がいいのでは、と思う。鬼やオーガのような亜人も好さそうだ。
・・・・・・一つだけ問題を挙げるとするなら、豹堂が彼を妙に敵対視している事か。
彼女が男嫌いである事は知っていたが、辰姫への当り散らし方は度を越えているように思える。あまり、目に余るようなら厳しく注意をせねば成らないだろう。
今日は本当に緊張してしまった。辰姫は異性を褒めるのに慣れているのだろうか? 彼の言葉はまるでお世辞に聞こえなかった。自分でも驚いてしまうくらい、鼓動が速まった。何か悪いものを食べた覚えはないのだが。彼と二人きりになるのは決して不快ではないが、生徒会長として、年長者としての威厳が崩れてしまいそうで怖い。
しかし、明日は、もう一度、ちゃんと謝らねばならない、辰姫に。
何年ぶりかに異性の大きな手に、頭を撫でられたからと言って、顎にアッパーカットを入れてしまったのは、さすがにやりすぎた。紅壱が咄嗟に避け、入り方が浅かったとは言え、脳を揺らし、その場に片膝をつかせてしまった。
これから、彼と触れ合う機会が多くなる以上、慣れていかなければ。だが、正直、彼に触れられた時に、早さと熱さを増す心臓をコントロールできる自信が湧いてこない。
よく、世の女性は異性と、あんな躊躇なく、照れもせず、触れ合えるものだ。どうやって、自分の感情を表に出さないようにしているか、指南してほしいくらいだ。
「おぅ、お帰り」
「あ、ただいまです」
花壇を飾る色とりどりのパンジーに、象の形をした如雨露で水をやっていたジャージ姿の女性は、肩から食材で膨らんだ鞄をかけて駐輪場から歩いてくる紅壱に気付いて、腰をゆっくりと上げた。紅壱は彼女がポケットから出した手に、己の手を打ち合わせる。
「どうよ、女子に囲まれたハーレム生活には慣れたかぃ?」
栗色の髪をツーブロックにしている男っぽい口調の女性、紅壱と同じく音桐荘の住人である球磨素歌は唇の端に煙草を咥えており、その立ち姿は絵になっている。
本業はトラックの運転手なのだが、稀に金を借りている友人のお願いを断り切れず、読者モデルもやっている事もあってか、スタイルは実に良い。女性のシンボルが大きく出ている訳ではないが、全体的に引き締まっており、アスリート《競技者》もしくは闘技者と職業を偽っても疑われないだろう。もっとも、後者については正しい事を、紅壱は知っているし、教えられていた、体に。
球磨素歌、彼女は孫の紅壱を除けば、世界でも五人しかいない祖父の教え子だった。つまり、紅壱の姉弟子に当たる。球磨曰く、自分は世界で二番目に強い女らしい。
球磨が筋肉質な肢体に纏う、少しキツめの甘い香りに鼻をくすぐられ、少し眉間に皺を寄せた紅壱はぎこちなく、首を左右に小さく振った。
「いや、毎日、ドキドキしっ放しですよ。
何っつーか、学校全体に漂ってる空気が独特なんですよね。中学校とは違うって事を差し引いても、異質で緊張しちゃいますよ」
「まぁ、こればかりは順応するしかないわな。
そう言やぁ、管理人さんから聞いたけど、生徒会にも入ったんだって?」
鼻を小刻みに動かした紅壱から、荷物を半ば乱暴に奪った素歌。
「生徒会長から、直に勧誘されまして。メリットもありそうでしたし、役員の人たちも優しそうなんで、どうにか続きそうです・・・でも」
表情を翳らせた紅壱に、彼女は「どうしたよ?」と心配そうに尋ねた。
ノーメイクな上に服装も隙だらけで、口調も荒っぽいが、その実は面倒見が良く頼り甲斐のある女性だ。生粋の姉御肌なのだろう。
「会長が少し、世間知らずっぽいと言うか、少し男慣れが足りないっぽいんですよね。
今日もちょっと褒めただけなんですけど、耳まで真っ赤になっちまって。俺が心配する義理なんか無いんでしょうけど、不安ですよ、社会に出てから悪い野郎に騙されないか」
アタシにゃアンタが一等に悪い男に見えるがね、と間髪いれずに言われてしまった紅壱は、ほんの少しだけ口の左端を吊り上げるのだった。
「で? その会長さんに惚れたのかい?」
「・・・・・・惚れたまではいきませんかね、まだ」
少し考えてから、まだ痛んでいる顎を掻きつつ、素歌の問いに飄々と答えた紅壱。
「ただ、まぁ、人間的に好きなタイプではあります。
少なくとも、一緒に飯を食ってて不味くは感じないと思いますね、多分」
「アンタがそこまで言うってことは、中々に出来たお嬢さんみたいだね」
「一度、会って、じっくり話してみたいねぇ」と真っ赤な唇を舐めた、両刀の素歌。
(やっべぇ)
紅壱は先ほど、瑛に対して示した覚悟に己の首を絞められ、唇を苦々し気に歪めざるを得なかった。
そんな彼の苦心を知ってか知らずか、球磨は買い物袋の中身を覗きこんでいた。
「ちなみに、タツ、今日の晩飯は?」
「豚肉と白菜の重ね蒸しにするつもりですけど」
献立を聞かれて、我に返る紅壱。
「そりゃ、いい。あれは、酒の肴にももってこいだからな。
ちょうど、旨い麦焼酎が手に入ったんだ」
球磨が嬉しそうに口にした銘柄は、未成年だが、飲食店で働いているだけあって、それなりには詳しい紅壱でも高級だと知っているモノだった。美味さに見合って、値段も相当で、本数も希少な筈だ。
三食食べるのもキツい安月給ではないが、借金が多い彼女じゃ、買う事は難しいはずだ、と思ったのが顔に出ていたのだろう、紅壱の不審そうな顔にハッとした球磨は慌て、「じゃ、これ、運んでおくな、台所に」と、紅壱が購入経路を尋ねようと開いた口が言葉を発すより先に、アパート内へ逃げていってしまう。
どうしたんだ、と不信感は強まるが、追及しても口を割る者じゃない、と紅壱は推理能力に蓋をして、自らもアパートの中に入っていく。後に、彼は悔いる、「あの時、ちゃんと確かめておけばよかった」と。
紅壱へ業務を説明している最中、瑛はこれまで秘めていた、『組織』のトップに立つ、その野心を明かす
彼女は自分が、紅壱に対し恋をし始めている事に気付いていなかったが、その心地よさに幸せを覚えていた
一方、紅壱は鳴のパートナーが天使である事を知り、一抹の危惧感を抱いていた
これから、紅壱が加わった生徒会は、どんな活躍を見せるのか、乞うご期待です