第五話 説明(explanation) 獅子ヶ谷瑛、辰姫紅壱にマンツーマン講義を行う
リザードマンを単身で倒した紅壱
彼の勇気と戦闘力、潜在能力を高く買った生徒会長・獅子ヶ谷瑛は彼をスカウト
一度は迷うも、町の平和を守り、なおかつ、自分を救ってくれた魔王を救う手立てを見つけるべく、紅壱は悪魔退治を任務とする組織に入る事を決断する
果たして、彼は秘密を守り通す事が出来るのか?
「さて、メモの準備はいいか、辰姫」
メモとボールペンを小さく掲げて頷いたものの、紅壱はやけに気合の入っている瑛に戸惑いを隠せずにいた。
「・・・・・・・・・うっす」
(えっと、何のコスプレだ?)
厳格な生徒会長と言うよりは、Sっ気の強い(だが、実は隠れドMな)女教師を連想させる細い銀縁のフレームの眼鏡をかけ、伸縮自在の教鞭を手にしている。しかも、常に凛々しい制服にはいつも以上に糊が効かされているのが、遠目でも判る。
(裏の活動内容についての説明をするから筆記用具を持って来い、とは言われたが)
まさか、生徒会室に瑛しかいないとは思っていなかったので、紅壱は必要以上に緊張してしまっていた。
もちろん、やる気満々の彼女が怖い訳ではない。正直に言っていいなら、リザードマンと対峙した時よりは、いくらか大きい恐れは抱いていたが。
見た目も内面も硬派寄りの紅壱ではあるが、瑛ほどの美人と二人きりとなれば、背中に汗が滲むほどの緊張は感じるし、ほのかな嬉しさで胸も高まると言うものだ。しかも、相手から、深い意味はないにしろ、「キミに好意を抱いた」と公言されれば、甘酸っぱい雰囲気になるのでは、と期待もしてしまう。
(やべぇ、シャキッとしろ、俺)
頬をだらしなく下げてしまいそうな自分を戒めるように、紅壱は髪が頬を打つほど激しく頭を横に振ると、緊張感を抜くように息を深く吐きながら、部屋に入る前に締め直したネクタイを軽く緩めた。
「む・・・だらしないな、その格好は」
しかし、眉を顰めた瑛は彼のネクタイを締めなおすべく、首元に手を伸ばしてきてしまう、紅壱の緊張に気付かず。
瑛の顔が迫り、鼻腔をくすぐるレモンの香りに、思わずクラクラ来てしまう紅壱だが、あからさまに身も引けず、ただただ身を硬くして、彼女が離れてくれるのを待つしか出来ない。
「これでいい。普段はいいが、この生徒会室では、キチンとした身なりでいて貰うぞ」
ぎこちなく頷いた彼は感じた気まずさを誤魔化すように、衝動的に「会長、イイ香りがしますね」と口走ってしまった。スッと目を大きく見開いた彼女の頬に赤みが走ったのを見て、「しまった」と失言を後悔した紅壱だったが、一度口に出してしまった以上、撤回するのも逆に失礼だと思い、またもや深く考えないで発言してしまう。
「割と好きな香りです」
「あ、ありがとう」
異性に褒められる事に慣れていないのが丸判りの、瑛のくすぐったそうに体を揺らす動作に紅壱の方が頬まで赤くなりかけてしまう。
(うわっ、可愛すぎっすわ、獅子ヶ谷会長。
ホント、豹堂が外に出てて助かったわぁ。
あー、いや、いてくれた方が良かったかもしれねぇな・・・あんま、無自覚で誘惑されたら、プツンと行っちまうかもしんねぇわ、理性が)
今、彼等以外の生徒会メンバーは陸上部に混じって、校外に走りこみに出ていた。表の活動だけでなく、人外を相手取る夜の活動にも並のスタミナではいられない為、定期的に他の体育会系の部に参加し、体力増強に励んでいるらしかった。
今、机に向かわされている紅壱もまた、昨日、1万m走をこなしていた。鳴だけでなく、愛梨にまで挑発され、思わず全力で走ってしまった彼は長距離専門のエース・森月時雨に匹敵するタイムを出してしまった。
未踏の三連覇を狙う、女子陸上部の部員らに正式に入部してくれなくても構わないから、三日に一回は一緒に走ってくれないか、とグラウンドで大の字になって荒々しい呼吸を整えようとしている時に頼み込まれてしまった。だが、彼女ら以上に紅壱へ期待を抱いている瑛はそれをやんわりと笑い、それでいて、有無を言わせない獅子の眼で一蹴した。
押しの強いメンバーが集まっている陸上部だが、全生徒のカリスマ、しかも、いつになく、ピリピリとした空気を纏っている瑛の態度に難癖をつけ、紅壱を勧誘し続ける事など出来るはず、潔く諦めるしかなかった。
無事に新メンバーを守った瑛だったが、彼女は知らない、紅壱との仲を他の生徒から疑われ、好奇心丸出しの視線をそこら中から向けられるようになり、紅壱がファンから苛烈な嫌がらせを受けるハメになる事を。
鳴は彼が愛しの瑛と生徒会室で二人きりとなる、と知るや、怒髪天を衝き、「冗談じゃないわよ!! こんなケダモノと一緒の空気を吸わせるもんか!!」と、彼の髪を毟ろうと襲い掛かってきた。
この歳でマダラ禿になってたまるか、と必死に頭を抱えて逃げる紅壱を鬼気迫る形相で追いかける後輩に、温厚さが売りの恵夢も怒ったのだろう、柔和な笑みを保ったままで額に浮かんだ太い青筋を痙攣させた。
警告を発するべく開きかけた口をゆっくりと閉じた彼女は、砂埃が頭の上まで舞い上がるほど地面を強く蹴りつけると、束ねられた彼の後ろ髪に爪をかけようとした鳴の背後を取った。そうして、わずかに遅れて上がった「パンっっ!」と言う音と同時に、ほんの軽く手刀が鳴の無防備な首筋に無音で打ち込まれた。
たったの一撃で意識を閉ざされた鳴を地面に倒れる前に、恵夢にも劣らない速度で近づき、優しく受け止めた愛梨は肩の上に担ぎ上げる。
なるほど、あの日、俺の懐に入った時にコレを使ったのか、と髪を守れた事に安堵の息を漏らしながら、白煙が薄く上がる靴の裏を心配そうに確かめている恵夢を見て納得した紅壱。
背中を向けていたから、スタートダッシュを見られた訳ではないが、音が遅れたほどだ、相当な力で地面を蹴ったのだろう。しかも、そのエネルギーを無駄にしないで。
(漫画的な考え方をするなら、魔力によるダッシュ力の強化か、魔術による高速移動法だな)
改めて、生徒会メンバーの身体能力の高さと、魔術の汎用性に舌を巻かされる。怖い、とは不思議に感じなかった。素直に感心した。
「凄いですね」
憧れの色を隠さないで呟いた彼に、愛梨はニヤリと笑い、「練習さえすれば、お前にも出来るさ。何せ、アキの蹴りを躱したんだからな」と胸を強めに叩いた。メキリ、そんな音が胸骨に沁み、紅壱は咳き込んでしまう。
こうして、鳴の魔手から無事に逃れた紅壱は、瑛とのマンツーマンの講義を受ける為に、つい先程、生徒会室を訪れた。
「・・・お茶を淹れてきますね」
お互いに湯を沸かせるのでは、と第三者が思うほど顔を赤くし、ぎくしゃくとしてしまった空気に耐えられなくなってしまった紅壱が先に腰を上げた。
先手を取られてしまった瑛は唇を噛むも、「私が淹れる」とゴリ押しするのも先輩としての沽券に関わるな、と思ったのだろう、一旦は上げかけた腰を椅子へとゆっくり戻す。
何より、彼女には、一抹なんて表現じゃ済まないレベルの不安があった、お茶を淹れる事に関して。折角、入会の決意を固めてくれた男子の後輩を、他のメンバーに、あの鳴からすらも、やんわりと禁止されている、自分が手ずから淹れたお茶を飲ませて、入院などさせてしまったら、土下座じゃ済まなくなってしまう。
「うむ、頼む」と凛々しく腕組みをし、貫禄に溢れる首の振り方をしてきた瑛に対し、鼓動が更に速まってしまう紅壱は恐れ混じりの緊張を表情に出してしまわないように注意を払いながら、生徒会に備え付けられている小さなキッチンに足を踏み入れた。
普段、ここを使っているのは副会長である恵夢だけらしいが、新人で下っ端である彼は自分から彼女に、ここに用意されている茶葉の種類、愛用のマグカップの位置、各人が好きな菓子について尋ねて、彼女等の好みをマスターしようとしていた。
まだ詳しい仕事の内容は聞いていないが、ギクシャクとした関係性では支障を来たすことは、まず間違いない。その所為で生命が危機に晒される事が回避できるなら、メンバーと友好的な関係性をいち早く築き上げ、雑用を覚える事も厭うまい、と考えていた紅壱。
紅壱は澱みのない動作で、棚からアールグレイの高級茶葉が入った缶を取り出し、小型の冷蔵庫の中で冷やされていた霊山の湧き水を注いだやかんをコンロにかける。
数分後、盆に乗せたアイスティーを運んできた紅壱の慣れた歩き方に、瑛は「ほぉ」と思わず、感嘆の息を出す。まだまだ、達人はもちろん、師範の域には及ばないものの、人外との荒事を制する為に日々の鍛錬を欠かさない彼女の目は、「紙の折り方」や「階段を上るリズム」と言った何気ない一挙一動からでも、その者の強さを見抜く事が可能だった。
「なかなか、鍛えているな、体幹を。
もっとも、他人に飲食物を優雅かつ円滑に運ぶ、この動作が体に染み付いているようではあるが」
口の端を吊り上げた瑛の言葉に、苦笑いを返しながら、紅壱は彼女の前にグラスと恵夢が用意してくれていた一箱5000円のチョコクッキー、バイト先で休憩室に置くため作った自作のカップケーキを置く。
生徒会に入ったので、女子ばかりで安息の場所にはなりそうもない、部活に所属せずに済んだが、学費と家賃以外の生活費を稼ぐ為、上の階の住人のツテで雇ってもらえた喫茶店でアルバイトに励んでいた紅壱。
自分で望んで生徒会に入ったとは言え、働かなければ食うのにも困ってしまう彼は素直にそれを打ち明けた。
ここぞとばかりに紅壱へ鳴は退会を迫ったが、入会の勧誘をした時点で紅壱の事情を調査していたのだろう、瑛は二つ返事で彼のアルバイトを了承し、「巡回のローテーションも考慮する」と約束してくれ、彼は安堵の息を漏らすよりも前に、彼女に何度も礼を述べた。真剣に頭を下げる彼への好感度が、鳴以外は上がった事は言うまでもないだろう。
「うむっ、実に美味い。紅茶のほのかな甘みを殺さないために、ただの氷ではなく、紅茶を凍らせたものを使っているのもポイントが高い。
これは、辰姫、キミが自分で考えたのか?」
「まさか」と手を小さく横に振る紅壱。
「母がよくやっていたんで。氷は昨日の内に、冷凍庫に入れといたんで」
「なるほど、お母様が」
納得したように頷いた瑛は、カップケーキを齧り、満面の笑みを浮かべる。質実剛健そうな雰囲気を醸してはいるが、やはり、中身は年頃の女の子、甘いものが好きなのだろう。
慌てて、取り繕われた表情を見ないフリをし、紅壱は皿からクッキーを一枚だけ摘み、口の中に指で弾きいれる。自作のカップケーキの味に自信はあったが、やはり、高い菓子は味の質が高く、学ぶべき点が多い、と頷く紅壱。
「今度、暇があったら、俺がバイトしてる店に来てください。サービスさせてもらいます。
ちなみに、今は苺のショートケーキがお勧めですよ、会長」
笑い、紅壱は10%オフのクーポン券をつけた地図を、戸惑っている瑛に手渡す。
「・・・・・・キミの言葉に甘え、今度、恵夢たちを誘って、君の働き振りを確かめに行かせてもらおうか」
背筋を伸ばしなおし、威厳を正した瑛。
「是非」と、紅壱は笑みを深めると、早々に無くなってしまった茶菓子を、再び、台所へ取りに向かう。
紅壱が戻り、椅子に腰を下ろしたところで、瑛は咳払いを一つ漏らす。
「では、改めて、講義を始めよう」
緊張で乾いていた口の中を、アイスティーで十分に潤した彼女は、シルクのハンカチで口許をそっと拭い、ホワイトボードの前に立つ。
「我々、天戯堂学園生徒会は、とある世界規模の組織の日本支部に属しており、そこの末端に位置している。
この組織には特定の名前は付けられていない。『例の』や『あそこ』と言われる。
我が生徒会では、『組織』と呼ぶ事にしているので、辰姫、君もそうしてくれ。
名が大々的に広まるようでは、二流であるコトを自分たちで晒しているのと同義である、と言うのがトップの考えらしい」
それもまた厨二脳くさいな、と思いつつも、紅壱は余計な口は挟まない。
「末端の実働部隊である我々の仕事は三つだ」
瑛はホワイトボードへ、『調査』、『保護』と記された長方形のシートを貼りつける。
「調査に保護っすか」
すると、何かに思い当たったか、紅壱は少し、罰の悪そうな表情を色濃く浮かべた。そんな彼が、おずおずと右手を上げたので、瑛は小首を傾げながら、「何だ?」と尋ねる。
「もしかして、この前、俺、リザードマンを殴り倒しちゃったんですけど、マズかったんですかね?」
「いや、あの時、既に命令は変更になっていた」
「こっちにな」と瑛は『退帰』と記されたシートを、『保護』の右に貼りつけた。
「あれは人間界に来た時点で、26歳の女性に全治二ヶ月の重傷を負わせている。
辰姫、キミの取った行動はまったく間違っていない。仮に、『保護』の命令が撤回されていなかったとしても、私が守っていた、荒っぽい手段を取ってもな」
一組織のトップに相応しい寛大さが溢れる笑顔の瑛に、紅壱は改めて尊敬の念を抱く。
「だが、正直、あの時は驚いた」
「鉢合わせしちゃったからっすか?」
自らも食欲に理性を奪われかけていたので、あの時の事を蒸し返されると、紅壱もバツが悪かった。
「まぁ、それもだが・・・我々の感覚では、リザードマンはあまり強いと感じない。もちろん、油断や慢心をすると、危険なのは百も承知の上だが。
辰姫、改めて詫びさせてくれ、私の脇の甘さで、君を危ない目に遭わせた」
『組織』から、この学園のトップを任されている者としての薄っぺらいポーズではなく、紅壱の生命を危険に晒してしまった事を、メンバーの命を預かっている生徒会長として、本当に悔いているのが、肌に伝わってくる頭の下げ方に、紅壱は内心、慌ててしまう。
だが、ここで取り乱すと、瑛はより申し訳なく感じ、身を委縮させてしまう、と気付き、グッと気合を入れ直すと、「会長が悪ぃ訳じゃないっすから、気にしてないっす」と謝罪を受け入れた上で、瑛を許す。
「会長らが、あのリザードマンに手傷を負わせてくれていたから、俺でもどうにかなったんですよ。
やっぱり、プロは違いますね」
「――――――・・・確かに、リザードマン程度、私たちのように訓練を積んだ者であれば、十分に相手できる、と言ってもいい。
だからと言って、一介の高校生が互角どころか、倒せる存在でもない。キミは随分と場数を踏んでいるようだな、少なくとも、手負いで手強さを増しているリザードマンが太刀打ちできないほどの」
「中学時代はプチ不良でしたから」と、瑛の皮肉に苦笑いを漏らし、自分の黒歴史を隠す紅壱を追求せず、瑛は自分の額をトントンと指先で叩く。
「その上、記憶も完全に消せなかったんだ。これで、驚くな、と言う方が無理だろう」
自分の力不足を嘆くように、小さく肩を竦めた瑛。紅壱は更に気まずく、面はゆい表情で後頭部を掻き、「ハハハ」と乾いた笑い声を発する。
「調べて納得したが・・・・・・キミのご祖母は土着の巫女らしいな」
瑛の言葉に、紅壱は首を小さく縦に振り返した、胸の内では安堵で、盛大に息を吐き出して。
(バアさんの事が先に話題となると、あの人の事は知られてないか。
探偵を使ったか、オカルトじみた手段を使ったか、は知らんが、あの人が俺との関係を周りに気取られるようなマネはしねぇだろ。
まぁ、会長はあの人と俺の関係を知ったからって、態度を変えたりしねぇよな)
それは、一縷の期待と一分の希望が詰まっている、紅壱の願望。
「えぇ、子供の頃は、家に危険ドラッグがマズイ方向に決まっちまったみたいに暴れるご近所さんが担架に縛り付けられて運ばれてくるんで、ホント怖かったっすよ。夢にも見ましたし。
やっぱり、アレは狐憑きって奴ですか?」
「恐らく、そのように呼ばれるものだろうな。
だが、女学生の間で、昔から薄暗い人気が衰えない、『コックリさん』や『エンジェル様』で突然、異常を来たす者が出るが、それのほとんどは強い思い込みによるものだ。
もしかしたら、今、来ているのかも知れない、と場の雰囲気に高く同調した末、精神が異常に昂ぶってしまうのだ。これは感受性が豊かな者が陥り易いが、本人の思い込みで奇行に走っているだけだから、元に戻すのも容易い」
「どうするんすか?」と紅壱に聞かれた瑛は、「一喝してトランス状態を強制的に解除してしまうか、懇々かつ地道に語り続けて神経を落ち着かせればいい」と答える。指を折り曲げた瑛の言葉を聞き、紅壱は「そうなると、うちのバァさんは前者か」と思い出す。
瑛は表情を引き締め、掌を教鞭で叩く。
「しかし、時には、精神医学の範疇外に成り得る事態が起こる」
「・・・・・・本当に、狐の霊が憑いちまうんすね」
「いや、狐とは限らん。たまたま、憑依したモノが体外に出た際、動物のように見えた為、そう思われるようになり、イメージが固定されたに過ぎない」
「狐や狸が人を化かす生物である、と昔から信じられてたからですね」
実際に、狐狸の妖怪の類に騙された経験がある紅壱は、今更ながら、悔しさが湧いてくる。一度、本気で捕まえて、鍋の具にでもしてやろうか、と頭に血が上ったほどだ。さすがに、魔王を宿し、なおかつ、祓い屋の祖母を持つ紅壱は本気で怒らせたらマズい、と妖怪たちも気付いたのか、しばらくは悪戯を控えるようになった。
「あぁ、確固とした事態を得られないまま、こちらに来てしまった意識体が、発生点のたまたま近くにいた人間の意識に重なった際に起こる、本物は」
おもむろに、紅壱にペンを手渡した瑛。
「キミは、私たち人間が住むこの世界と、人ならざるモノが棲まう世界、どのように存在していると思う?」
腰を上げ、ホワイトボードの前で渋い表情を浮かべていた彼は、外周が触れ合っている二つの円を書き殴った。一方の円に『人間界』、もう一方の円に『異世界』と書き足し、わずかに触れている箇所は濃くする。その接地面を、彼は自分が迷い込み、魔王と契約した『狭間』のイメージとして持ち続けていた。
「こんな感じですかね」
「なるほど、大きく離れているでもなく、完全に重なり合っているでもない、か」
「重なっている部分が、二つの世界を繋ぐ『扉』みたいな感じになっている、と俺は思うんすけど」
「少し違うな」と瑛は紅壱が描いた図形をサッと消し、まずは大きな円を描く。続いて、その中に一回り小さな円を描く。そうして、彼女は円と円の間に斜線を素早く引く。
「この斜線を引いた箇所が、人間界だ。そして、内側には大きなエネルギーだけが蠢いている」
彼女は小さい円の中を大きさの異なる水玉模様で埋める。
「・・・・・エネルギーだけっすか」
「意地の悪い聞き方をしてしまったが、漫画やライトノベルに登場するような、どの国の図鑑にも載っていないような動植物が混在するような、『フシギ世界』はない」
気まずそうな表情を浮かべつつも、紅壱の固定観念を無慈悲に砕いた瑛は、内円の線の所々をわずかに消す。
「不定期、しかし、確実に、境界に綻びが生じ、善にも悪にも分類されない純粋なエネルギーが漏れ出し、人間界に染み込んで来てしまう。
このエネルギーには意志どころか、原生生物が持つような生存本能もない、と言うのが研究班の見解だ」
瑛は空けた隙間からエネルギーが噴き出てくるような効果線を書き殴る。
「境界に亀裂が入る理由は何だと思う? 辰姫」
教鞭の先端を向けられた紅壱は、顎に手を当てて推理る。
「・・・まぁ、ベタな予想なんですけど、人間の感情の昂ぶりですかね。
この斜線部分は地球って意味じゃなく、全人類の精神って意味の『人間界』っすよね」
一瞬、ポカンとした瑛だったが、「キミは本当に私を高揚させるな」と負けん気の強さが滲み出ている笑みを唇の上に転がし、紅壱の厚い胸板を教鞭の先で打つ。
「そうだ、この世界は無限に広がる人の精神で構築されている。
人が希望に胸を膨らませられているのなら世界は栄え、人が絶望で打ちひしがれて歩みを止めてしまったなら荒む。
組織のトップは、情報操作で人類が不安を感じすぎ、子供が夢を見なくなってしまうのを防いでいるようだ」
随分とスケールの大きな話になったな、と少し引いてしまう紅壱。
「もっとも、これは研究室を戦場にしている人間の予想で、真相は分からない。
ただ、我々は『一般人の平和な生活を脅かす存在がいる』と言う真実だけ頭に置き、秘密裏に処理するだけだ」
「さて、話が脱線してしまったな」と瑛はホワイトボードを、教鞭の先で打つ。
「動物霊、怨霊とも呼ばれるエネルギーに侵入を許してしまうと、話は簡単ではなくなる。
こちらに来る前は意志も本能も持ち合わせていなかったにも関わらず、境界を越えた途端、とてつもない飢餓感に襲われてしまう。
しかし、肉体を得られず、人間に憑依するしか叶わなかったエネルギーは己の食欲を制御しきれず、その人間の肉体を内側から侵食し、変貌させてしまう・・・完全に、人でなくなってしまうと、最早、救う手立てはない、エネルギーごと吹きとばす以外にな」
全力以上を尽くしても、人命を救えなかった経験が一度や二度はあるのだろう、紅壱ですら皮膚が痛くなるほどの圧迫感を瑛は押し殺そうともせず全身から放ち、室内の空気を小刻みに震わせた。またもや、ネクタイを緩めたくなる衝動をどうにか堪えた紅壱はメモを取る。
「つまり、手遅れになる前に、何らかの手段でエネルギーを人体から追い出さなきゃならないんすね?」
小さく頷いた瑛は、ホワイトボードに書き殴った棒人間を、教鞭の先で示す。
「排出法は流派、能力者の得手不得手で変わってくる。
ちなみに、私は魔術で浄化作用を付加させた冷水を頭から浴びせている」
見掛けに似合って厳しいな、と口の中で呟いた紅壱は今一度、祖母の仕事風景を思い出してみる。
幾度か手伝わされただけだったが、錯乱している女子小学生が運び込まれた時に一度だけ、どこからともなく取り出した白い縄で、彼女を激しく打った。
女子小学生が「痛い、痛い」と火が点いたように泣き叫んだので、さすがに止めようと飛び出しかけた紅壱だったが、祖母の一睨みで身動きが封じられてしまった。まるで、足首まで泥濘に突っ込んでしまったようで、足を数cm浮かせるだけでも、かなりの体力を要した。
打つ回数が五十を越えた辺りで、彼女は一際に甲高い悲鳴を上げた直後に気を失い、その場に倒れこんでしまった。祖母もそんな彼女を打ち据えるほど非道ではなかったのか、疲労を吐き出すように息を吐くと、鞭を袖の中に引っ込めた。
そうして、ようやく足が呪縛から解放された、汗だくの孫に彼女を起こすように告げた。
ぐったりとしている女子小学生を起こした紅壱は驚いた。あれだけ打たれたはずなのに、服がまるで破れておらず、ミミズ腫れの一本すらも、その白い肌には刻まれていなかったのだ。
(結構、派手な音してたのに・・・・・・)
一仕事を終えて、のんびりと番茶を啜っている、温厚な面持ちの祖母を見た彼は思わず、唾を飲み込んでしまった、言いようの無い恐怖で広がった口腔内の渇きを除くように。もしかすると、その感情は、彼のモノではなかったかもしれない。
瑛の説明を聞き、今更になって、ようやく得心が行った紅壱。
(なるほど、あん時、悲鳴を上げてたのは女の子じゃなく、中にいたエネルギー体だった訳か)
「む、辰姫、キミは今、見かけに似合ってキツいな、と思ったな」
その指摘に思わず、紅壱はギクリと肩を揺らしてしまう。声にも顔にも出さないようしていたはずだが、鋭い観察力である。
瑛はそれを咎めはしなかったが、「私なんか、まだ優しい方なんだぞ」と少し不機嫌そうに、頬を膨らませた。あまりの可愛らしさに和んでしまった紅壱を、誰が責められようか。
「エリなど、憑かれてしまった対象が男ならエネルギー体が出てくるまで、遠慮なく何度もボディーを叩くのだぞ」
嬉々として、助けるべき相手をサンドバックにする愛梨を想像してしまった紅壱は、体が大きく震えてしまうのを止められなかった。
「・・・・・・会長、穏便な手段じゃ取り除けないほど、そのエネルギー体ってのは悪質なんすか?」
「ケースバイケースだな。
魔力を持つ私達が前に立っただけで、あっさり消滅してしまうモノもいる。人間の体に入った事で、会話による意思の疎通も叶い、要求が通れば自分から消えてくれる時もあるから、必ずしも、手荒い方法でなければならない訳じゃない。まぁ、後者はレアケースだがな。
今度、キミにもやってもらうが、最初は経を唱えるにしても、幾らか数をこなして、自分なりの方法を見つけるといい」
なるべく、穏便な手段にしよう、俺が殴る打つ系の手段を使ったら、見た目的にヤバすぎる、誰かに見られたら通報されるのは間違いない、と頷き返しながら決意する紅壱。
「さて、仕事の説明に移ろうか」
瑛は教鞭の先で、最初に『調査』を指す。
「これは俗に言う心霊スポットに、足を運んで行う。
元は、いたって“普通”の場所でも、人々が聞きかじった噂で各々で勝手な想像を巡らせ、それを他人に伝え、縦横無尽に広がり続けていく事で、その場所に境界の綻びが生じてしまい、エネルギーが漏れ出し易くなる」
ホワイトボードに貼りつけた、教会を思わせる建物のイラストを多くの細かい矢印で囲む瑛。イラストに尖端が向けられた矢印は噂、それを何となく信じてしまっている人たちの思念だな、と紅壱は察する。
「しかも、心霊スポットには、遊び半分で一般人が近づく事が多い。
我々は憑依や偶喚を未然に防ぐ為に、月に一度、近場の心霊スポットを廻って、綻びの有無や大小を確かめているんだ。
しばらくしたら、キミにも同行してもらう」
瑛は目的地に、紅壱でも耳にした事のある廃病院を例に挙げた。
痴情のもつれから、付き合っていた医者の首をメスで掻っ切って殺害した看護婦が、屋上から飛び降りて自殺した。頭が潰れた看護婦は即死だったが、その所為で、自分が死んだ事に気付かなかった彼女は、医師を殺害した時分になると、頭部がひしゃげた状態で院内を歩き回り、廊下で運悪く出会ってしまった男の医師や患者を両腕で抱えねばならぬほどに巨大いメスで斬殺するようになり、ついに病院は閉鎖してしまった。だが、看護婦は未だに、獲物を求めて、寂れた建物の中を徘徊しているらしい。
そんな定番の噂がある心霊スポットなんですよ、と紅壱は住んでいるアパートの管理人から聞いていた。
医師と看護婦のトラブルからなる事件は実際にあったのだろうが、悪霊そのものは無自覚の悪意で拡散った噂により実体化したのだろう。
瑛の理屈で言うと、峠を攻める走り屋を次から次へ襲っている首なし騎士や、町外れに建っている豪邸に飾られている人食いモナリザ、寂れた寺の庭に生えている首吊らせ桜も、噂を聞いた多くの人が「怖い」と想像したモノを核とし、エネルギー体が実体化した、本物なのだろう、と紅壱は納得する。
(人間ってのは、見えないモノを怖がり過ぎる節がある割に、それを面白がる。
その手の番組だけじゃなく、パフォーマー気取りの素人が撮影して投稿する、ネットの動画も性質の悪さに拍車をかけちまってるな)
どちらかと言えば、後者の方が規制し辛い分、面倒臭そうだ。その動画を持て囃し、高く評価し、考えなしに実際の現場に出向いて怪我をする者が出る事で、余計に寓話は恐怖を貪り、成長していく。最初の一、二回の怪我は偶然の域を出ていなかったかも知れないが、エネルギーが噂話の住人として実体化すれば、真実となったとは知らずに近づいてきた獲物に襲い掛かっても、何ら不思議じゃない。
結局、大元の原因は、生きた人間だな、と紅壱は呆れるも、その想像力と信仰心が自分の中に宿る魔王のパワーにも繋がっているんだから、感謝はしないとならんな、と思い改める。
「その場で綻びを修復したりするんですか?」と彼が尋ねると、「いや、それは専門職に任せている」と瑛は答えた。
「何事もそうだが、完全に塞いでしまうと、逆に危険なんだ。
空気穴と言うか、ガス抜きに必要な最低限の隙間は開けておかねばならない」
「・・・・・・そうしないと、押さえ込まれすぎて、臨界点を迎えたエネルギーが一気にこっちへ溢れ出てきちまうんですね」
「そうだ」と、瑛は真剣な面持ちで、首を縦にゆったりとした動作で振った。
「未曾有の大噴火、未知の病原菌、特撮番組内でしか暴威を振るわないハズの大怪獣、どんな形を取って顕れるか、それは定かではないが、人間界の根底を引っ繰り返せる程度の状況にはなるだろうな、間違いなく」
まぁ、そうなったらそうなったで、どうにかするしかないんだがな、と言わんばかりな瑛の淡々とした物言いにゾッとする紅壱。
(・・・・・・この人には、すぐ諦めちまう人間の弱さが理解できないんだろうな。
侮蔑するとかならまだしも、多分、親切のつもりで懇々と解決法を教えて、そいつの傷口を無慈悲に抉っちまうタイプだよ、絶対ぇ)
正しすぎるってのは弱い人間にとっちゃ残酷だな、と思わず呟いてしまった紅壱は咄嗟に口許を押さえたが、彼女は欠伸を噛み殺したものだ、と勘違いしたようで、わずかに小首を傾げただけだった。吐き出しかけた安堵の息を前歯の辺りで止めた彼は背筋を伸ばし、再開された説明に耳を傾けた。
「次は『保護』だが、対象は・・・」
瑛がプレートの下に傘状の線を引こうとした時、午後五時四十五分になった事を鐘が告げた。
「しまった」と瑛は顔を顰めた。
「もう少し、要点をまとめて話せばよかったな」
「いや、十分、理解かり易かったすよ、会長。俺が途中で、いらん事を何度も聞いちゃったし」
「いいや、聞くキミは素人なのだ。教える私がしっかりしていなければならなかった」
確固とした態度で、瑛は自分の非を認める。
「確か、キミは今日、アルバイトだったな?」と問われ、「えぇ」と紅壱は肯き返す。
「なら、すまないが、明日、もう一度、同じ時間に来てくれるだろうか?
明日は最後まで説明できるよう、今夜のうちに話をノートにまとめてくる」
「こちらこそ、お手数をかけちまって申し訳ないです」
自分の至らなさに対して苦笑いを浮かべた瑛へ、紅壱は「明日もよろしくお願いします」と深々と首を垂れる。
「では、また明日」
入り口の所で振り返り、今一度、感謝と退室の意を示して頭を下げ、紅壱は生徒会室を後にした。
「おっ、終わったのか?」
シャワーで汗をサッパリ流してきたのだろう、まだ湿っている髪を乱暴に拭きながら廊下を歩いていた愛梨が紅壱に気付き、小さく手を挙げて声をかけた。
「一応、今日は」
不意に、紅壱は鳴に視線を移した。汗臭い状態では顔を合わせられないと思ったのだろう、シャワーを浴びるだけでは足りず、一分の隙も漏れ出さないように着固めた制服からバラの香りを漂わせている彼女は、自分をいやに険しい表情で見てくる紅壱に訝しげな表情を浮かべ返す。
「何よ?」
「豹堂」
「だ、だから、何よ?」
刺突細剣を連想させる眼光に怯んだ鳴は、無意識に左足を半歩だけ下げてしまう。
「キュッ」と言う音でそれに気がついたのか、彼女は忌々しげに奥歯を噛み締めた。鳴の足から顔へ再び、視線を戻した紅壱は自分でも「今、悪ぃ面してるんだろうなぁ」と判る黒い嗤みをわざとらしく浮かべた顔を、身体に力を入れた目の前の相手の鼻先まで近づけた。
「・・・・・・楽しかったぜ、会長との二人きりの時間は」
「!?」
一旦、下りた上瞼が戻るよりも速く、頭へ血が登りきった鳴は臓物を破裂させるつもりで中段回し蹴りを繰り出した。しかし、彼女は踵は今の今まで前に立っていた筈の紅壱の胴を何の感触もなく擦り抜けていった。
トンッ
そんな軽い音に驚いた鳴が後ろを振り向けば、ズレ落ちた鞄を肩に持ち上げなおしている憎い相手の背中があった。まるで、空間跳躍でもしたか、と思わせるほどハイレベルな回避に鳴は唖然とし、彼の動きをしっかりと目で追えていた愛梨は賞賛の口笛を吹いた。
「じゃ、エリ先輩、お先に失礼しますっ」
「お疲れさん」
おどけて敬礼をし、その場を後にしようとした紅壱の背中に、怒りと恥ずかしさで首筋まで真っ赤になってしまった鳴は罵声をぶつけた。
「二度と来るんじゃないわよ!!」
その言葉に足を止めた紅壱は半回転すると、「そら、無理だな」と黒く嗤う。
「明日も来てくれ、って会長に言われちまったからなぁ。
明日も、マンツーマンで初心者講習さ。悪いな」
鳴の理性の紐が切れ出している音が聞こえたのだろう、言いようの無い危険を察知した紅壱はすぐさま、その場を離脱した。そんな状況に似合った効果線が見えた退避っぷりに、愛梨は二回目の口笛を吹いた。
怒りをぶつける相手をむざむざ逃してしまった鳴は、激しい歯軋りを漏らしながら地団太を踏むしかないのだった。魔力を帯びていた足が石畳に亀裂を入れ、悔しがる鳴の頭に愛梨の拳骨が落ちるまで、あと五回・・・・・・
四月十一日〈水〉 天候 晴れ
辰姫に任務の説明をするが、半分も進められなかった
やはり、異性と向かい合って話をした事など今まで一度も無いからだろう、ひどく緊張してしまった。途中、自分の激しくなっている心音が、彼に聞こえてしまっているのではないか、緊張を悟られてしまうのではないか、と不安に駆られてしまうほどだった。
家族や門弟、男性の先生方とは、いたって普通に会話が出来ると言うのに、辰姫と個室に二人きりと意識した途端、声の上擦りを抑えるのに必死になってしまい、不覚にも説明を滞らせてしまった。アルバイトの時間をわざわざ遅らせて残ってくれた彼には申し訳ないことをしてしまった。
明日は、体から余計な力みを抜いて挑もう。
だが、何故か、走りこみから戻ってきた豹堂が部屋に入ってきた途端、「明日は私も同席しますから!!」と噛み付いてくるような勢いで迫ってきた。どうして、彼女は辰姫をそこまで毛嫌いするのか。あんな気持ちのイイ青年は、そういないと私は思うんだが。
(獅子ヶ谷会長は、「異世界は存在しない」と言った・・・・・・コッチに来ていないエネルギー体は確固とした形を持っていなくて、意志と呼べるものは持ち合わせていない、とも言ってた。
後で知ったが、あの裏山は自殺の『名所』で、〝生ごみ〟を埋めるにゃうってつけの場所だった。周囲の人間の暗いイメージ、訪れる奴等の屈折した念で、綻びが出来やすくなっていても、何ら不思議じゃねぇって事だ、
それに、俺は確かに触れられた。血の熱さも、未だにこの掌に染み付いてる
つまり、どう言う事になるんだ?
俺は人間界に肉体だけ残して、意識もしくは魂だけがアッチに踏み込んじまった? それなら、同じエネルギー体に触れられてもおかしくはない。
だが、そうなると、会長の「意志を持っていない」って話が嘘になるな。
獅子ヶ谷会長が俺をわざわざ騙すとは思えないし、メリットもないだろう。そんな器用な性格ともも、思えないしな・・・って事は、その仮説自体が間違っているか、誤情報を教えられているのか・・・・・・
あの魔王、『こうして、世界は齧り尽くされた』は、その理すら越えた高位の存在、うん、こっちの方がしっくり来るな)
こんな考えをグルグルと頭の中で巡らせたままで仕事をしていたものだから、その日、紅壱は洗っていたグラスを立て続けに割ってしまうわ、オーダーミスを繰り返してしまうわ、皮を剥き過ぎてニンジンを鉛筆の細さにまでしてしまうわ、いつもはしない失敗を繰り返してしまった。果てには、サラリーマン同士の喧嘩の仲裁に入った際、思案に耽り過ぎ、手加減をし損なって救急車を呼ぶ羽目になってしまった。
「珍しいわねぇ、壱、アンタがチョイミスを繰り返すなんて」
「すんません、多辺オーナー」
営業を終えた喫茶店「うみねこ」の店主、多辺瑠華と一緒に、まかないのチキンライスを食べていた紅壱は気まずそうに頭を掻いた。
「悩み事?」と多辺はマティーニを色っぽい動作で傾ける。
「悩み事っつーか、色々と思う所があって、最終的には、やっぱり、木の葉を隠すなら森の中だなって結論に達しました」
「誰から何を隠したいの? 誰に何を見つけられたくないの?」
しかし、可笑しそうな彼女の問いに、紅壱は意味深な微笑を浮かべ返しただけで、何も答えなかった。
瑛が、まず、紅壱に対して行ったコト、それは任務に対しての説明だった
女教師のコスプレと言う、形から入った彼女の講義は分かりやすく、紅壱にとっても手応えを感じられるものであった
講義は一回では終わらず、マンツーマンは翌日にも行われることに
紅壱は嫉妬する鳴から逃げおおせ、甘い期待に胸を膨らませるのだった