第四十六話 餌付(feeding) 妖精、ビスケットをくれた紅壱に懐く
魔属らの家を建てるためのスペース確保と、村の周囲を囲むバリケードを作る素材の確保のため、森に入り、紅壱らは伐採を開始する
皆が汗をかいて、懸命に働いてくれる事に満足しつつ、紅壱は彼らに休憩の指示を出す
率先して、自らも体を休める彼は、こっそりと近づいてきていた妖精に気付く
彼の事を妖精が好物の悪魔だと勘違いした彼女は、パニックになりながら、紅壱へ攻撃を繰り出した
王を守るべく、妖精を叩き落とそうとした彼女を、紅壱は目線で制す。
「ッッ」
彼に「待て」をかけられてしまったら、幹部として、動く訳にはいかない。剛力恋は口元で光っていた涎を拭き、腰を下ろし直す。
いっそ、故意と当たって、妖精を冷静にさせた方がいいだろうか、と思った矢先だった、急に攻撃が止んだ。
どうした、と小首を傾げた紅壱の視線は、ひょろひょろと落ちていく妖精の姿を追う。
どうやら、魔力切れを起こしたようだ、この妖精は。あれほど膨らんでいた腹も、胸と同じ平たさになっているので、間違いないだろう。
可笑しさから、ふっ、と気の抜けた息を吐くと、紅壱は栄養ドリンクを蓋にちょっとだけ注ぐ。そのまま飲ませたら、中身を顔に浴びるのが明らかだからだ。肌から摂取しても回復効果が見込めるか、ハッキリしない以上は避けるのが賢明だ。
おもむろに差し出されたそれに、妖精は警戒心を剥き出しにする。だが、魔力が尽きた状態では、攻撃魔術は放てない。寿命を消費すれば戦えるタイプもいるが、どうやら、この妖精は当てはまらないらしい。
紅壱は「毒じゃないぞ」と、自らも蓋から栄養ドリンクを飲み(と言っても、その量では唇を湿らせたようなものだが)、危険ではない、とアピールする。
まだ、険しい表情だった妖精だが、小さな鼻を葡萄の匂いがくすぐった途端に、理性が消失したらしい。紅壱の指からコップを奪うなり、妖精はそれに残っていた栄養ドリンクを飲み干してしまう。
たった、それだけの量でも、このサイズの妖精には、魔力が全回復するには十分だったようだ。一瞬にして、魔力の数値が元に戻った。
小さな手をグーパーグーパーと開閉し、妖精は動ける状態になった事に驚きを露わにする。
やっと、錯乱状態を脱し、目の前の悪魔が、自分を喰おうとしている悪魔じゃない、と理解したのだろう、妖精はしゅんと肩を落とした。ついには、その肩が小刻みに震え出し、地面に雫が一つ二つと描かれていく。
泣き咽ぶ美少女を前にしたら、年頃の少年が出来る事と言えば、無様におたつくくらいだ。
どうしたらいいか、と落ち着きを失いながら、紅壱はポケットに入れていたビスケットの袋を取り出す。ゴン、と拳を落としてから、袋を開けると、ビスケットは良い感じに粉々になっていた。その中から、小さな欠片を選び、彼は「ほら」と妖精に差し出す。
その欠片は、人間の子供の口ですら一口大ではないが、妖精にとっては大きい欠片らしい。決して、嘘泣きではなかったのだろうが、妖精はビスケットの芳香に、たちまち、笑顔となる。
だが、見た目で誤解し、衝動的に攻撃してしまった負い目もあるからか、ビスケットを取ろうと伸ばした手を下ろしてしまう。
妙な遠慮をする彼女に、紅壱は肩を竦め、「食べないなら、俺が」と欠片を自らの口へ運ぼうとする。それを目の当りにした妖精の浮かべた絶望顔と言ったら、演技をした方の良心が痛むほどだ。
紅壱の目だからこそ、その動きが見えたが、ビスケットに迫ってきた妖精の直線スピードは、弾丸に匹敵していただろう。
紅壱の指から、ビスケットの欠片を掠め取っていった妖精は、空中で留まったまま、一心不乱の態で、初めて体験する甘味の塊を齧っていく。
「喉に詰まらせるなよ」
残りを切り株の上に広げた鼻紙の上に乗せ、紅壱は作業の最中に見つけた果実を食べる事にした。
それの見た目は、蜜柑に近かった。軽く揉んでから、皮を剥いた紅壱は一房を口の中に放り込んで、「ほぉ」と驚きと喜びの声を漏らす。
単純に甘酸っぱくて美味しいのもあるが、何より、その味は桃に近かった。予想と異なっていた甘味と酸味が、口の中一杯に広がれば、料理の心得があるからこそ、紅壱の心に波を起こす。
この果実で、何を作ろうか、肉料理用のソースか、それとも、ケーキを作ろうか、そんな想像を口に涎を溜めながら考えていた時だった、「あいてっ」、そんな小さい悲鳴が聞こえたのは。
「どうした?」
紅壱が近づいてくると、髪色が赤と橙の縞々となっている、そのゴブリンの牡は「何でもないゴブ」と答える、左手を後ろに隠して。
「見せてみろ」
渋っていたゴブリンだったが、紅壱が優しい声色を意識して、同じ言葉を繰り返すと、申し訳なさそうに左手を前に出す。
「鉈で切ったか」
「すいませんゴブ」
紅壱が人間界で買ってきて、各自に支給された鉈は、村で使っていた共有の物より切れ味が良く、その使い心地に酔っていた小鬼は、刀身を布で磨いていた際、指を切ってしまったようだ。
ちなみに、ゴブリンやオークが装備していた武器や防具の類は、森で拾った物らしい。
確認した所、それらは人の手により作られた大量生産品だった。
考えられる可能性は、大まかに二つ。
一つは、何らかの理由で、この異世界に迷い込んだ、または、自らの意志で渡ってきた人間の遺品。デザインや素材から鑑みるに、武器や防具が作られたのは、人間界で言う所の中世のようだった。人間の屍は、魔属や獣に食べられ、所持品だけ残ったのかもしれない。
もう一つは、中世に、人間界で起こった戦いで負けて死んだ兵士の大量の死体が、何かのきっかけで、こちらへ転送されてきたパターン。こちらの可能性でも、食べられなかった武器や防具が残り、それを食べ物にありつけなかったゴブリンらが回収したのだろう。
(まぁ、拾ってきても、使いこなせてる奴は、一握りだったけどな)
やはり、最初は棍棒や鉈、手斧など、力任せにぶん殴れば、相手にダメージを与えられる、技能の習得が困難ではない打撃系の武器をゴブリンらには与えた方がいいか、と思い悩む紅壱は、もう一つ、考え込んでいる事があった。
しかし、その答えを知るには、パーツが足りず、検証する機会も、しばらくはなさそうなので、その時が来るまでは頭の片隅で寝かせておく事にしている紅壱は、ゴブリンの指の傷から溢れている緑色の血に、顔を顰める。
「そんな深くねぇな。とりあえず、これ当てて、ギュッと押さえとけ」
コクリ、と肯いたゴブリンは切り傷特有の痛みに耐え、紅壱から渡されたガーゼを傷口に当て、圧迫する。白いガーゼは、すぐさま、濃緑に染まっていく。
消毒液と絆創膏を取りに戻ろうと、紅壱が振り返ると、口の中いっぱいにビスケットの欠片を詰め込んだ妖精がゆっくり飛んで来たので、思わず、噴きだしてしまいそうになった。
どうした、と問うた紅壱に彼女は「パチン」とウィンクし、顔の横を通り過ぎた。そうして、指を押さえている小鬼の傍らに止まると、小さな手を傷へ近づけた。
数秒間ほどで、ゴブリンの指を覆っていた、淡い白の光は消えてしまう。小鬼が、そろそろとガーゼを外すと、出血は止まり、傷口も塞がりつつあった。
どうやら、この妖精は治癒系の魔術も扱えるらしい。ステータスを見ると、スキル欄には、「水刃発射」と「治癒促進」が存在していた。意外、と言ってしまえば、失礼だろうが、この妖精、レベルが36と何気に高く、魔力の量も多い。
感心しつつ、紅壱は「貼っておけ」と、ゴブリンに絆創膏を渡す。
「ありがとうな」
紅壱に礼を言われ、妖精はくすぐったそうに、小さな体をくねらせ、背中の翅を高速で震動わせた。ビィィィン、と甲高い羽音に、紅壱は蜂や蚊を連想してしまう。
妖精なりの謝罪と、お菓子に対するお礼なのだろう、ゴブリンの傷を治したのは。
頬を桃色に染めた妖精は、紅壱から逃げるようにして、切り株へ戻っていく。そうして、気恥ずかしさを誤魔化すように、再び、ビスケットを頬に溜め込んでいた。
紅壱が、リスみてぇだな、と朗らかな気持ちになるのと同時に、休憩時間の終了を告げるベルが鳴った。
「!!!!!」
人の耳からすれば、ごく普通の音量だが、妖精にとっては雷鳴に近かったのだろう。背後で鳴れば、尚更だ。
もし、ビスケットを食べている時だったら、欠片が喉に詰まってしまっていただろう。幸い、その事態は免れたが、気絶はしてしまったようで、彼女は白目を剥き、その小さすぎる体は左にコテンと倒れてしまった。
「――――――・・・・・・すまん」
両手を合わせた紅壱は真摯な態度で妖精に詫び、時計のアラームを止め、「よし、作業を再開するぞ。怪我だけは気ぃつけろ」と、大声で注意の再喚起を行う。
気絶状態から脱したら、この場から逃げ去り、二度と近づいてはこないだろう、一抹の寂しさを胸に抱きながら、紅壱も斧を肩に担ぎ、大木へ向かう。
だが、彼の予想に反し、二回目の休憩で戻ってくると、妖精はまだ、そこにいた。
意識も取り戻していたのに、逃げていなかったのだ。しかも、紅壱に対し、ビスケットのお代わりを要求してくる始末だ。声は相変わらず、聞こえなかったが、ビスケットの粉がついている口の動きと、身振り手振りで理解できた。
彼女が指した先を見れば、何匹かのゴブリンやオークが指を見せる。彼らの指には、絆創膏が貼られている。刺さった棘や木屑を、妖精が抜き、治癒呪文を唱えてくれたのだ、と言う。つまり、働いた報酬として、お菓子を求めているらしい。
小柄な体に宿った図太さに、紅壱は項垂れるしかない。けれど、剛力恋が下から覗き込んだら、その口元は緩んでいたとか、いなかったとか。
「よし、昼飯にするぞ!!」
途端、魔属らは歓声を上げる。道具の性能は良く、紅壱も体の動かし方、道具の巧い使い方を都度、指導してくれると言っても、体力は消費していた。途中で、しっかりと休憩を挟んでいたからこそ、この時間まで、自分達でも驚くほど働けたが、その分、腹も減ってきていた。
「・・・・・・抜かないでくれよ?」
妖精は当然とばかりに、紅壱の頭の上に乗っていた。どうせ、頭から下ろしても、また乗るか、飛んで村に同行しようとするだけか、と半ば諦めた紅壱は髪の毛が引っ張られる痛みに小さく呻く。
(しかし、ただ、木を伐って、運んでいただけだってのに、レベルは上がるんだな)
前をぞろぞろと歩くゴブリンやオークらのステータスを見ると、作業を始めるよりもレベルの数字が上がっている。
奥一と剛力恋は名があり、種族進化も果たしているからか、上がったレベルは2だったが、他の個体のレベルは少なくとも10、多い者では30も上がっていた。その個体は、例のゴブリン小僧であった。
剛力恋が叱咤し、切り株を一人で担いで村と作業場の往復を繰り返していたからか、それとも、他の小鬼に指示を出し、作業の効率を良くしていたからか、それとも、体力が尽きた際に栄養ドリンクで復活を果たしたからか、思い当たる理由はいくつもあった。
(これだけの作業で、レベルが上がるとなると、訓練や狩りをしても、可能性はあるな)
だが、やはり、レベルを確実に上げ、実力も培うとなれば、実戦経験を積ませるのが一番だろう。
(問題は、どう、場数を踏ませるか、だな)
今後のトレーニングについて、悶々と考えている間に、紅壱は村に帰ってきていた。
そろそろ、昼休憩で戻る事を風巻丸に伝えさせていたからだろう、食々菜は広場に、村の外へ出ていた者らの昼食を用意してくれていた。と言っても、さほど豪勢な品揃えではない。
食々菜らの調理技術も、まだ拙いので、おにぎり、焼いた肉と野菜、サラダ、野菜の味噌汁、シンプルなメニューだ。しかし、量だけは十二分にあった。
「おかえりなさいませ」
留守を任されていた吾武一の出迎えに、紅壱は手を挙げ返す。
「おう。俺らが、最後か」
「はい、他の班は少し前に戻ってまいりました」
「なら、全員、しっかりと手を洗ってから、飯にしよう」
はい、と頷いた吾武一は皆に手を洗うよう、言って回る。
「どうだ、食々菜、米は上手く炊けたか」
「どうにかこうにか」
食々菜の顔には、少し疲労の色が出ていた。しかし、その色味は、未知の食材を調理する事に挑戦したからではなく、つまみ食いを我慢するために神経を消耗したからだろう、と一目で分かる。
「初めて作った分には、形も綺麗に出来たじゃないか」
球体のおにぎりを見て、紅壱は満足げな表情だ。けれど、食々菜は悔しそうにしている。
「おにぎりは、本来、三角形にせねばならないのですよね」
食々菜は、本に掲載されているおにぎりの写真を見せる。確かに、そのおにぎりは三角形だ。
「んー、まぁ、別に、絶対、この形じゃなきゃダメって訳じゃない。
これから、三角形に握れるよう、練習すればいいさ。俺だって、最初は歪な形にしか握れなかったぞ」
紅壱の励ましに、食々菜は気落ちするも、嘆息を一つ吐く事で、頭を切り替えたらしい、「精進あるのみですね」と、自分を鼓舞した。
「さて、皆の舌に、米の味は合うかね」
紅壱の声には、どうしても、不安と焦りが滲んでしまう。
だが、それは杞憂に終わる。
確かに、魔属らは初見のおにぎりに、戸惑いを隠せず、手を出しあぐねていた。しかし、紅壱が両手に、それを持って食べているのを見て、不安を押さえ込んだ。真っ先に食べたのは、剛力恋だった、やはり。
彼女が「美味―――い」と叫んだものだから、たちまち、おにぎりの争奪戦が始まる。
食々菜らが作ったのは、単なる塩おにぎり。けれど、各々に仕事をし、汗を掻いていたから、丁度いい塩分を帯びた食べ物を体が欲する。しかも、炊いた米特有の甘味は、人間だけでなく、魔属らにもクリティカルヒットだったらしい。
全員が口元に米粒をつけながら、おにぎりを大絶賛してくれるのを聞き、紅壱は胸を撫で下ろす。しかし、おにぎりが減ってきているのを目の当りにし、「おい、俺の分!!」と怒鳴り、自らの手もおにぎりへ伸ばす。
魔属とおにぎりをやや真剣に獲り合っている主に呆れつつ、翠玉丸らも料理を堪能する。
おにぎりだけでなく、煮干しで出汁を取った野菜の味噌汁も大人気で、食々菜の指示の元、それを作った牝オークらは嬉しそうな笑顔で、空になった椀へお代わりを注ぐ。
剛力恋がやってきたのは、昼飯も終わり、紅壱がそれぞれの班のリーダーから途中経過の報告を受けている時だった。
「コウイチ様!!」
「な、何だ、そんなやる気出して。もう少し、休んでてもいいぞ」
紅壱は、剛力恋の発す気合で怯える妖精を落ち着かせながら、鼻息荒い彼女を見上げる。
「どうしたんだ、剛力恋」
「食後の運動に付き合ってほしいっす!!」と、剛力恋は強く握りしめた右拳をドンッと突き出してきた。
攻撃の乱発により消耗した魔力を回復してくれただけでなく、食べた事もない美味しいものをくれた紅壱が、すっかり気に入ってしまった妖精
彼女は、紅壱が伐採作業を一時中断しても、彼から離れようとせず、アルシエルにまで同行してしまう
困り果てながらも、無碍に追いかえしたりはせず、紅壱は妖精がしたいようにさせておく
初めて食べた米の美味さに仲間が感動する一方で、剛力恋は自らがどれほど強くなっているのか、それを知るべく、腕試しの相手に、よりにもよって、紅壱を選ぶのだった・・・




