第四十一話 帰村(come back) 紅壱、やっと買い物を終える
自らが長を務める村・アルシエルの生活を良くすべく、紅壱は大型商業施設で買い物に勤しんでいた
そんな中、何の気なしに入った書店で、彼は万引き犯を見つけてしまう
見た目に合って曲がった事が大嫌いな彼は見事な体技で、万引きの実行犯を捕まえただけでなく、彼らが暴れていた隙に逃げようとしていた主犯も捕まえるのだった
「色々とありがとうございました。
また、お越しください」
わざわざ、店の外まで出てきただけでなく、深々と頭を下げ、見送ってくれた女性店員に、念の為、今回の事は他言無用でお願いします、と頭を長めに下げてから踵を返し、紅壱はゆったりと歩いて去る。
しばらくの間、彼女は残念そう、もしくは、悔しそうな面持ちで、握っていた手を開く。
そこには、くしゃくしゃに丸まった紙があった。
「・・・・・・よしっ」
女性店員はそれを一瞬、開きかけるも、躊躇ってからポケットの中へ突っ込むと、迷いを振り切るようにし、踵を返すと店内へ戻る。
彼女が見た目だけでも平静を装えたのは、紅壱がまた来てくれるかも知れない、そんな小さすぎる希望に縋ったからだろう。
ポケットの中へ突っ込まれた一枚のメモ、はたして、何が書かれているのだろうか。その内容は当人しか知らない事ではあるが、いつ渡せるか、それを知る者はいまい。
後日のことだ、彼が女性店員から、あの女子高校生が、ここ二カ月ほど、他の書店に被害を与えていた、万引きグループの首魁だった、と聞いたのは。
どうやら、彼女は他の店で万引きを働いた、自校や他校の学生を脅し、仲間、いや、捨て駒として増やしていたらしい。
彼女が動かしていた、この万引きグループについては、瑛の耳にも入っていたようだ。生徒会長として、学園の生徒が関与していない事に胸を撫で下ろしつつ、『組織』の一員として引っ掛かるものはあったようだ。
暇を見つけたら、書店で待ち構え、主犯を捕まえる気でいたらしく、鳴がそのニュースを持ってきた時には驚いていた。
捕まった女子高校生の記憶が二カ月ほどおぼろげで、万引きを繰り返していた自覚が微塵もないようだ、と聞けば、疑惑は確信に変わる。
この一件について調べる、と瑛が皆の前で告げた時、紅壱が焦ったのは言うまでもない。
まさか、気当たりで脳にダメージを与えちまっていたのか、と青褪めた彼がこの一件に深く関わっているとは知る由もない瑛は心配する。
異様に汗が流れている紅壱に顔を近づけ、「大丈夫か?」と不安そうに尋ねる瑛に、鳴が不機嫌になるのもいつも通りだった。
ともあれ、瑛の指示とあれば、面倒な調査も吝かではない。
聞き込みで集めた情報から、この女子高校生は小悪魔に憑りつかれていたことが判明した。
記憶の虫食いや、自宅に残っていた盗品に染みついた呪素の名残、また、彼女の容姿や性格が唐突に変わった、その周囲からの情報も根拠となった。
憑依したインプは他の怪異と違い、精神をある程度は残した状態で肉体を支配して、彼女に悪事を働かせていたようだ。
もしかすると、正気に戻らせるタイミングを図っていた可能性もある、と瑛は推測した。
何故、その小悪魔は回りくどい事をしたんですか、紅壱が尋ねると、瑛は嬉しそうに、「良い質問だ」と褒めてから、すんなりと答えを教えてくれる。瑛に優しくされている紅壱を見ていた鳴の親指の夢は、次第にボロボロとなっていく・・・
瑛によれば、一般人がデビル、デーモンと呼ぶタイプの魔属が好物とする、人間の感情の一つには絶望があるらしい。
つまり、インプは女子高校生が正気に戻り、自分の置かれている状況を把握した瞬間に押し寄せた罪悪感がスパイスとして効いた絶望を喰らって、彼女の肉体を完全に乗っ取る気だったのだろう。
魔王・アバドンを宿しているがゆえに、自覚こそしていないが、桁違いの魔力を誇る紅壱の接近に驚いた小悪魔は、女子高校生の体外へ逃げようとしたが、自分が纏っている闘気を浴び、跡形もなく吹き飛んでいたとは知らず、紅壱は彼女を救えなかったと誤解し、奥歯を噛み締めた。
なので、瑛が女子高校生の中に、インプがいない、と驚きながら告げた時には、彼自身も首を傾げてしまった。
彼以上に、瑛の方が困惑していたが、彼女の懸念は他にもあった。
理由こそ不明だが、小悪魔が精神内にいないのは間違いない。けれど、インプの唆しによる連続窃盗の事実が消えた訳じゃない。正気に戻ってしまったからこそ、女子高校生は自分の状況に混乱し、錯乱もしていた。
身辺調査で判明したのだが、彼女は一世一代の高校受験に失敗していた。そうだ、彼女が試験に合格できなかった、それが天戯堂学園の高等部だった。
勉強不足だった訳でも、当日に体調が崩れた訳でもない、面接で緊張して大ポカをやらかしてしまった訳でもない。努力の差が出てしまった、それだけだ。
明確な理由があって、不合格となってしまったなら、まだ諦めもついただろう。けれど、自分が落ちた理由がハッキリとしなかった事で、彼女の精神は相当に摩耗したらしい。
同年代の男子より、いくらか魔力の量が多い、それだけの理由で合格してしまった紅壱としては、彼女の事情を知ると、同情してしまう。もし、自分が友人の懇願を断って、記念受験をしていなければ、その席に彼女が座れた可能性はあった。
結果がこうして出てしまっている以上、もう、言っても仕方のない話ではあったが、見た目に因らず、人の好い紅壱としては彼女に胸の内で詫びるしかなかった。
このダメージでも、十分に小悪魔が潜り込むには十分な亀裂が、心に入っていたようだが、世の中、泣きっ面に蜂という諺もある。彼女にとってのショックは、憧れの学校に入れなかった、これだけで終わってはくれなかった。
どうも、義理の父親に襲われそうになったらしい。
多感な時期の女子中学生にとって、それまで優しかった義理の父親がケダモノとなり、自分に対して性欲をぶつけようとしたのは、大きすぎるショックだ。
瑛曰く、小悪魔の精神汚染により、フェロモンが過剰に分泌され、義理の父親に良からぬ影響を与えてしまった、との事だ。つまり、彼女も、義理の父親も悪くはなかった。
けれど、それは彼女に分からない。厭世感で頭が一杯になり、心の器からも絶望の毒が溢れてしまったら、小悪魔にとってはチャンスだった。
さすがに、一気には支配されなかったようだが、着実に心身の自由はインプのものとなっていく。その間、彼女の意志は深層心理に沈んでいた。つまり、現実逃避の状態になっていたらしい。
幸いとは言えないだろうが、無意識化で行っていた小悪魔の精神支配への抵抗を放棄した事で、男を誘うエロさは鎮静化したようで、義理の父親は彼女への興味を完全に失った。
もっとも、自分が義理の娘を襲いかけた記憶は残っていたようで、彼は己を恥じ、ネットで購入した大量の睡眠薬で自殺を図った。異変に気付いた妻が、すぐに吐かせ、最悪の事態こそ免れたが、意識不明に陥ってしまった。
外見こそ、元のままだが、中身は次第に小悪魔に取って代わられつつあった彼女は、自らの学力に見合った近場の高校に入学した。しかし、まともには通学などせず、街を昼間からブラつき、悪い友達を増やし、盗みを働かせる駒も確保していった。
もし、調査の最中に、彼女に金をせびりに来た柄の悪い落ちこぼれ学生と、瑛が遭遇していたら一悶着があっただろう。
だが、運よく、その時、彼女の様子を撮りに来ていたのが紅壱だったので、揉め事は起こらなかった。
彼らは紅壱が穏便に頼むと、素直に受け入れてくれ、二度と彼女に接触しないと誓ってくれた。
理由は不明だが、彼女の中からは小悪魔がいなくなっていたので、追い出して退帰させる必要もなくなった。瑛らに出来るアフターフォローと言えば、その間の記憶を消してやる事だけだった。
もちろん、これで全てが丸く収まる訳じゃないのは、女子高校生に術をかけた瑛も承知していた。しかし、罪の意識を芽生えさせ、膨張を促す忌まわしき記憶が抹消れば、心に入っているキズが広げられる事もない。
小悪魔に体と心を奪われている間に作ってしまった知り合いが近づいて、良からぬ事を吹き込む危険性もあったが、その辺りは、既に周囲の不良に顔が売れ、畏怖されるようになっていた紅壱が釘を念入りに刺した事で解決した。この手腕に、瑛が感心し、誉めちぎった事で、紅壱への殺意が鳴の中で強まったのは言うまでもないだろう。
それはともかく、瑛らができる事、すべき事はなくなった。丸投げ、そう言ってしまうと、些か、乱暴ではあるが、あとは彼女の気力に期待するしかない。
悪い事が立て続けに起きるように、良い事も連鎖する。
瑛が自分の持っている権利を最大限に行使し、『組織』に回復系の魔術が使える者を招んで、彼女の父親の体を蝕んでいた残留毒素を除去してもらった事で、状態は改善されたようだ。意識が戻る日も、近いかも知れない。
紅壱は、自分の事が瑛の耳に入りやしないか、と瑛が女子高校生を警察に引き渡した書店へ話を単身で聞きに行ったと聞いて、冷や汗がドッと噴き出し、帰ってくるまで気が気じゃなかった。
しかし、あの女性店員は、紅壱に頼まれた通り、彼の事を決して喋らずにいてくれたらしい。瑛のプレッシャーも相当だったはずだ。
美少女は人を惹き寄せるが、一方で無自覚に委縮させてしまう、特有の雰囲気が出ている。瑛のような、凛然かつ果敢とした女傑タイプとなれば、一般人に与えるそれは桁が違ってくる。
しかしながら、女性店員は寿命が縮んでいく思いをしながらも、紅壱への恩を返すべく、勇気を限界まで絞り出したようだ。今度、店を訪れたら、真摯に感謝しよう、と硬く誓う紅壱だった。
内容こそ分からずとも、何かを決意している彼の横顔に見惚れていた瑛が、恵夢のほくほくした笑顔に気付き、真っ赤になった湯気が噴き出るのだが、それまでは、しばらく優しく見守って上げて欲しい。
こうして、紅壱が関わってしまった万引き事件は、静かに一応の解決を迎えたのだった。
もう一度、アルシエルに戻ろうか、と迷う紅壱。しかし、本は多く買った訳でないから、大して重くない。持っていても、荷物にはならないな、と判断した彼は、ついに最初の目的地へ向かった。
やっと入店った、手ごろな値段と高品質が自慢の服飾店で、シャツやズボン、上着、下着を様々なサイズで百着近くは購入し、布もmではなく、店頭に置かれているロールごと買い取る荒業を見せた紅壱。
ついでに、革も防具に使えそうだ、と判断して、同様の買い方をする。開業して以来、例のない客に店長らが目を剥き、絶句したのは言うまでもない。
電気が必要なミシンやアイロンは諦めつつ、紅壱は針や糸も数種類ばかり買っておく。
「これも買っていくか」と、彼が頁をパラパラとめくり、籠に入れたのは服の作り方が図解で説明されている本。
魔属の感覚からすれば、大事な部分を隠せば十分なのだろうが、人間の文化を取り入れる事で国力強化を図るのなら、飲食だけでなく、衣服も充実させたかった、紅壱としては。
隣の靴屋からも、店頭に出されていた子供靴、運動靴、サンダル、長靴の半数以上が買われ、丸々残ったのはハイヒールやロングブーツ、そんなシュールを通り越して、不気味さもある状況になってしまう。
もちろん、紅壱は店員らの狼狽えには動揺もせず、店を後にする。
「いらっしゃいませ!!」
再来店した紅壱の顔を見て、表情が引き攣り、声が上擦り、抑揚が狂った彼女を誰が責められる。
何で、私がレジに入ったタイミングで来ちゃうのよ、この人、泣きたい気持ちを必死に抑え、彼女はマニュアル通りに笑顔で応対する。
「出来てます?」
「はい、出来上がっております!!」
「すいませんね、予約もしてないのに、大量注文なんかしちゃって」
「とんでもございません。
お客様のハッピースマイル、それが当店の信条ですのでッッ」
半ば自棄になってきている彼女の接客に、やや気圧されながらも、紅壱は「ありがとう」と真摯に礼を告げる。
その一瞬、彼女は「あれ、意外に良い人なのかも?」と思ったが、紅壱の笑顔を見た途端に、恐怖が起こした波は、そんな安心感を容赦なく押し流してしまう。
ひぐっ、と身が竦んだ彼女に、紅壱は眉を寄せるも、疲労の色が濃い副店長が店奥から、パンパンに膨らんだ数個の大きな紙袋を持ってきたので、意識は自然と、そちらへ傾けられた。
「お待たせいたしました」
「ギガスサンド、美味しかったです。ペロリといけました」
一人で食ったのか、ギョッとしそうになった副店長だが、辛うじて、頬が動くのをプロ根性で阻止する。
「お褒めの御言葉、ありがとうございます」
「また来ます」
「・・・・・・またのご来店、心よりお待ちしております」
果たして、深々と頭を下げた事で見えなくなっていた副店長の顔には、どんな感情が浮かんでいたのだろうか。
そんな些末な事など露にも止めず、紅壱は100個のサンドイッチが入った大きな紙袋を抱え、店の扉を押し開けた。
全ての材料を午前中に使いきってしまい、店は早仕舞いするしかなかった。その後、この出来事は開店以来、最大の仕事として長く語り継がれる事となった。
トラブルは人を壊す事もあれば、逆に成長を促す事もある。
彼らにとって、紅壱の存在が、吉と出たのか、凶と出るのか、それはまだ決まっていない。
アイツらは喜ぶかな、彼らの笑顔を想像し、自らも頬を緩め、紅壱は意気揚々と異世界へ移動、つまりは、村に帰ってきた。
ひとまず、買い揃えるべき物は確保できたので、今日はもう、人間界へ戻らず、アルシエルでの作業に没頭する、そう決めていた、紅壱は。
出力を間違え、危うく、主犯の女子高校生を殺しかけてしまった紅壱
最悪の事態を免れた事にホッとしつつ、彼は当初の目的であった服飾品も大量に購入し、部下の待つアルシエルへ帰還する
そんな彼は知らない、己が捕まえた女子高校生に小悪魔が憑りついていた事、そして、己が知らぬ内に小悪魔を撃退していた事も・・・




