第三十九話 窃盗(steal) 紅壱、万引き犯を捕まえ、感謝される
恩人の名を付けた村の長と、己を慕ってくれる魔属らを統べる王となった紅壱
生活環境を良くするべく、紅壱は自腹を切って、村に必要なものを片っ端から大量に購入していく
二つの世界の連続移動で生じた空腹感を満たした彼は、時間を潰すべく、手近な書店へ入った
必要な本を買い、支払いを済ませようとした矢先、紅壱は万引きの気配を感じとる
万引きに成功した、その勘違いと先走りから、気が大きくなっていたのかも知れない。少年二人は大胆にも、新たな犯行に出た。どうやら、片方が死角を作り、もう片方が商品を鞄に入れる、そんなやり方だったようだ。間違いなく、現行犯である。
店の外で声をかけるつもりだったが、今の方が良い、と判断し、彼らの動きを注視していたバイトリーダーの女性(29)は大胆に動いた。
「君達、ちょっと」
「!?」
その瞬間、骨でも外れたんじゃ、と思うほど、少年らの肩は酷い跳ね方をした。
このリアクションは見慣れているのだろう、女性は同情する様子もなく、「君達さ」と声かけを続けようとした。
もし、紅壱が襟首を掴んで、後ろに引っ張っていなかったら、彼女の顔、もしくは左の少年に伸ばされていた手には、酷い切り傷が残ってしまう事になっていただろう。もっとも、あまりにも強い力で引っ張られたものだから、彼女はムチウチのような痛みを首に覚えてしまう。
うー、と首を押さえて蹲ってしまった彼女に胸の内で詫びつつも、紅壱は視線を目の前の少年らから外さない。
いきなり、女性店員の前に立ちはだかった紅壱に怯えているのか、それとも、捕まりたくないと言う身勝手な思いからか、少年らが握っている小さなナイフの切先と、アイスピックの先端は無様に震えていた。
「ありがとうございます」
やっと、痛みが鎮まってきた女性店員が礼を言ってきたが、紅壱は「気にするな」と「前に出るな」、その二つを込めて、ぶっきらぼうに手を無造作に振る。ただ、前半はともかく、後半は中途半端にしか受け取られなかったようで、彼女は自身の職務を果たさんと顔を顰めて、再び、少年らに叱責の声を浴びせようとした。
「ひっ」
だが、経験豊かでも、刃物を向けられた経験は、幸か不幸か、今までなかったのだろう、少年らが握る凶器を見た途端、引き攣った声を発してしまう。無類の検挙数を誇る彼女でも手こずっているのか、と不安になってバックヤードから応援に出てきたらしい、20代前半ほどの青年も「うぉ」と後ずさってしまう。
ナイフとアイスピックのみならず、少年らの顔つきにも気圧されたのだろう。切羽詰まった事で、彼らの顔は青白さを増し、目も据わってしまっている。下手に刺激すれば、何をしでかすか、予想できないほど追い詰められてしまっていた。
万引きを見つかっただけでなく、刃物まで出し、あわや傷つけかけた。捕まれば、自分の人生は終わってしまう、そんな絶望が今、少年らを支配しているのは一目瞭然だ。
混乱から刃物を振り回して、他人を害しても困るが、自殺を図られてしまっても目覚めが悪い、様子見の判断を安易に下してしまった立場としては。
荒い呼吸を繰り返しながら、二人の少年の目は忙しなく動き、自分らに近づいてこようとする者に注意している。誰かが少しでも動けば、凶器を突き刺すだろう、相手か自分に。
「・・・・・・おい」
「ッツ」
不良だって、紅壱がドスを利かせた声で呼びかければ、その身が竦む。悪い事をし慣れていない少年二人は、ビクンッ、その効果音が目視できるほど、体を硬直させる。そのまま、恐怖が振り切り、ブレーカーを落としてくれれば楽だった。だが、世の中、期待交じりで想像したように事は運んでくれない。
「今なら、まだ間に合うぞ」
一瞬で距離を詰めてぶん殴り、KOする事も紅壱には可能だ。
喧嘩のイロハも知らぬ少年らは近づかれたどころか、殴られた事にも気付かぬまま、地べたを舐める事になっていただろう。限界まで手加減したとしても、闘気どころか、格闘技の経験など皆無であろう少年らの頬骨を、紅壱の拳は修復不可能なまで、粉々にしていただろう。いや、もしかすると、顔の半分が陥没するだけじゃ済まない可能性が大だ。
紅壱としては、何ら心が痛まないが、万引き犯に対して、重すぎる罰ではある、その重傷は。しかし、あえて、紅壱は先制攻撃はしなかった。
この状況で、瑛ならばどうするだろうか、と考えた彼は、まず、説得を試みる事にした。高潔で正義感に燃える彼女であれば、いきなり、暴力に訴えたりはせず、言葉で良心に訴え、誰も傷付かずに済む選択肢を取る、と紅壱は瑛の発想と行動を推測していた。
正直、生温い、拳で自分の罪の重さを理解させた方が楽、と思ってしまう。だが、それでは、瑛の右腕を目指す者としては失格だ。
瑛を公私で支えたいと思うのなら、万引き犯くらい、力は使わず、無血で無力化せねばならない。
しかし、世の中、そう簡単には、俺の思い通りになってくれないもんだ、と紅壱は知ってしまっている。
案の定、紅壱に軽く睨みを効かされただけで、ナイフを持っている少年の恐怖は縁から溢れてしまったようだ。
アハッ、と笑うなり、彼は奇声を発しながら、紅壱の脇腹へ突っ込んでいく、ナイフの切先を真っ直ぐに向けたままで。
「危ない!!」
血生臭い展開が、その場にいた全員の脳裏に過ったらしい、叫ぶ者、咄嗟に目を逸らしてしまう者、気が遠くなってしまう者、とリアクションは様々だった。
そんな中、紅壱の口から洩れた「はぁ」と、ナイフの刃が折れた「ポキン」と言う音が重なった。
「へ?」
少年は自らが、柄を力一杯に握っていたナイフを見て、間抜けな声を発してしまう。
あまりに信じがたい光景で、少年の混乱状態は解け、冷静になってしまったようだ。落ち着いてしまった事が、彼にとって良かったか、そこは微妙だが。むしろ、紅壱への怖れが膨張してしまったのだから、半狂乱状態でいた方がマシだったのかもしれない。
「安いナイフ、使ってるなあ。研いでもねぇのか」
呆れた紅壱は指に挟んでいた、ナイフの刃の部分を床に棄てる。尖端が地面に当たり、「カツンっ」と音が上がった瞬間に、紅壱は折った面を踏みつけ、床へ刃を沈めてしまう。この脆弱な少年に、柄がなくなったナイフを拾い、なおも攻撃してくる根性がないのは分かり切っていたが、どんな相手でも油断しないのが紅壱だ。
本屋の床は、バターやスポンジで出来ている訳じゃない。しかし、石を切ろうとすれば、呆気なく欠けてしまう強度のナイフの刃は、無音で床に沈んだ。
その光景で、最も近くで見てしまった少年の顔は、真っ青だ、可哀想なくらいに。
紅壱ほど、日頃から鍛えている者なら、一万円以下で闘氣にも覆われていない鈍らの刃物であれば、闘気で強化せずとも、単純な指の力だけで根元から折れる。何せ、彼の指は中身の入ったスチール缶を縦に潰すだけでなく、ココナッツや人肉を容赦なく削り取るほどだ。少年が脅し目的で持っていたナイフなど、HBの鉛筆より脆い。
それ以前に、自分を本気で突き刺す気の相手に怯まぬ胆力、スピードこそなくとも遅くはないナイフを指で挟む反射神経、それらも超人級なのだが、バケモノ級の大人を相手にしてきた紅壱は、「刺されたら痛いだろうな」、その程度の恐怖しか覚えない。
やれやれ、と面倒くさそうに肩を小さく竦めた紅壱は、ナイフを離した二本の指を少年に迫らせる。
紅壱の「チョキ」は、本当にゆっくりと近づいてきていたのだが、少年は床に埋まったナイフ、そんな有り得ない事態で、脳が停止してしまっているらしく、自分のピンチにも気付いていないようだった。
ハッとした時には、もう遅い。紅壱の二指は少年の首に触れてしまっていた。仮に、触れられる前だったとしても、この少年では動くに動けなかっただろうが。
首筋に紅壱の指の感触を覚えた直後に、少年の意識は一瞬にしてブラックアウトしていた。
紅壱は少年の頸動脈に、そっと指を添えただけ。安物とは言え、ナイフを一息で折れる指で、鍛えていない首を挟んだら、冗談でも何でもなく、少年の頸部は瓢箪のようになっていただろう。
気を失い、その場に崩れ落ちる少年を支えてやる事などせず、紅壱は身をもう一人の少年へ向ける。
「で?」
これは、紅壱も聞き方が悪かった。
凶器を使い慣れているのが察せる、危ない雰囲気が漂っている相手なら、気を込めた恫喝で問題解決だ。 しかし、目の前の少年は、手にしているアイスピックで誰かを傷つけた経験が皆無であるのは明らかである。だから、紅壱は精神に影響が出ないよう、穏やかな問いかけをしたのだが、それは逆に少年を崖から突き落とす結果に繋がってしまった。
「わあああああ」
パニックになった少年は、よりにもよって、近くにいた幼女にアイスピックを向けたまま、突進していく。
「まやちゃん!!」
少し離れていた場所にいた母親は、持っていた雑誌を放り投げ、娘を己の体で庇おうとしたが、いかんせん、距離がありすぎた。
誰もが間に合わない、と思ってしまう。けれど、母親が自分の名を呼んだ大声に反応し、読んでいた絵本から上げた目に映ったのは、自身の眼球を貫通し、脳まで達していたであろう凶器の光ではなく、兄や父よりも大きな背中だった。
ぽかんとしている娘の元に、転びそうになりながらも辿り着けた母親は宝物を守ってくれた紅壱にお礼の言葉を、安心感が溢れさせた涙でグシャグシャになった顔で何度も繰り返す。
幾度も頭を下げている母親は気付いていなかったが、周囲にいた店員らは、またしても、自分らの常識を超える光景に言葉を発せずにいた。
紅壱は、指でアイスピックを止めていた。ナイフのように二本の指で、アイスピックを挟んで止めていた訳ではない。尖端を人差し指の腹で受け止めていた。当たり前の話だが、アイスピックが指の腹に刺されば、貫通する。
だが、闘気で覆われてもない大量生産品のアイスピックでは、闘氣が一点に凝縮されている指の腹に穴を開ける事など出来ない。今の紅壱の指は、鉄より固くなっていた。
「いいっすよ」
照れ臭そうな笑顔を母親の感謝に浮かべ、紅壱は母娘の方に振り返ると、事態が飲み込めていない様子の幼女に、優しく微笑みかける。
年頃の少女が向けられたら、失禁するか失神するほどの恐ろしいものだが、肝が据わっているのか、それとも、まだ「怖い」を知らぬのか、幼女は紅壱の微笑を目の当りにして、逆に「キャッ、キャッ」と可笑しそうに手を叩く。
新鮮なリアクションに驚きつつも、どこか嬉しくなった紅壱は自由になっている左手でズボンの後ろポケットを弄る。そうして、取り出した一口チョコを幼女に贈る。
一口チョコを頬張った幼女の破顔に、紅壱の心も温まる。だが、一方で、少年は氷水に肩まで浸かっているかのような錯覚に囚われていた。
無理もない、アイスピックを指で受け止められただけでも、精神が破綻しそうだと言うのに、そのアイスピックが波状に縮んでしまっていたのだから。あまりに硬い物に尖端をぶつけ、曲がったり、折れたりするなら、まだ理解だって追いつかせられる。けれど、30cmはあったそれが、5cm近くになったのを見て、冷静でいろ、とはさすがに酷だろう、暴力慣れしていない少年には。
「さ、危ないですから、離れて」
「は、はい」と母親は頷くと、動けないでいる少年の横を通りすぎ、娘を抱えて店の外へ逃げ去る。その間、幼女は美味しいものをくれた鬼いさんに手を笑顔で振り続けていた。紅壱も、母親が角を曲がって見えなくなるまで、幼女の手の動きに付き合っていた。
「・・・・・さて」
紅壱は幼女の手が視界から消えると、ようやく、意識を少年に戻す。
自分らに万引きを命じた相手には、本当に恐ろしく、全く逆らえなかった。だが、今更になって、少年は死に物狂いで逆らえばよかった、と後悔する。刃向かえば、数発くらいは殴られていたかも知れないし、親や教師に叱られていただろうが、今のこの状況に比べたら、はるかにマシだったはずだ。
少年は、人生で初めて、死神に肩を叩かれている、と確信した。
万引きなんかするんじゃなかった、少なくとも、この店は止めるべきだった、と悔いても遅い。
気付いたら、少年の視界は上下逆転していた。それに驚く間もなく、背中が床に当たり、鈍痛で息も出来なくなる少年。
自分の理解が到底、及ばない技術で投げられた、もしくは、足を払われた、少年の頭が理解したと同時に、彼は「くきんっ」と奇妙な音を聞いた。
それは、紅壱が少年の手首を脱臼させた音だった。
桁違いの痛みは、光の速さすら超えて、脳味噌にぶつかってきた。慣れている人間でも意識が遠のくのだから、少年が「ぎゃっ」と叫べずに気絶したのも、何ら不思議ではない。
やれやれ、と肩を竦めた紅壱は外した手首を戻してやる。当然だが、少年は目を覚まさない。
(あー、やっぱ、俺、まだまだだなぁ)
結局、瑛のようには穏便には解決できず、恐怖と痛みで少年二人を屈服させた己が情けなくて、紅壱からの口からは重苦しい溜息が漏れ出てしまう。
会長の右腕になるには、スマートさが足りん、と反省する紅壱だったが、彼は知らない。瑛は、万引き犯や痴漢を現行犯で見つけたら、口より先に手が出る事を。これまで、何人もの男の睾丸が、瑛の爪先の餌食になって来たのだ。
自分より瑛の方が容赦ないとは露も知らぬ紅壱は、吐きかけた溜息を戸惑いながら近づいてきた店員の気配を察し、飲み込んだ。
「店の中で、荒っぽい真似しちゃってすいません」
「こちらこそ助けてもらって、ありがとうございました」
紅壱に深々と首を垂れ、感謝を示したのは、先ほど、彼に引っ張られたバイトの女性だった。
「・・・・・・ちょっと後ろ、向いてください」
首の痛みに顔を顰めて頭を上げた彼女は、紅壱の言葉に従う、素直に。怖いから逆らえない、と言うより、疑う必要がない、と紅壱の凄まじいアクションを見て感じたのだろう。
自分に背を向けた彼女の首筋へ、紅壱の手が伸びる。周囲から見れば、紅壱は女性の細首を背後からヘシ折ろうとしている、兇悪な殺人鬼に思えただろう。
指先が首に触れた瞬間こそ、彼女は指先の熱さに身が強張った。だが、手が離れるや、首の芯にこびりついていた痛みだけでなく、本屋の店員特有の肩凝りまで、きれいさっぱり消えたものだから、驚きで無表情になってしまう。
「どうですか、痛み、楽になりました?」
「凄いです!! 整体の心得があるんですか?」
浮かれながら、彼女は軽快に肩をグルングルンと回す。
「まぁ、似たようなもんです」
壊す専門、見た目と努力が裏付けする実力から思われがちである紅壱。間違ってはいないが、正しくもない。
人間の徹底的な壊し方は、壊れていない状況と、壊さないやり方、そして、直す方法を熟知しているからこそ修められる。
紅壱は祖母の朱音から、応急処置や簡単な外科手術、また、森の野草から鎮痛剤、解毒剤を作る術を、しっかり叩き込まれていた。祖父らの指導も厳しかったが、祖母の教え方も相当だったので、紅壱は必死にならざるを得なかった。
祖父らの修行で壊されるのも痛いが、祖母に治されるのはもっと痛かった、と思いだし、紅壱はぶるんと震えてしまう。
「凄い、肩が楽になってる」
嬉しそうに肩を回した女性店員は、「ありがとうございます!!」と、紅壱に頭を下げる。
紅壱が気の流れを改善した事で、彼女は体勢を戻しても、顔を顰めない。
上手く行って良かった、と紅壱は安堵する。
普段から、球磨へ闘気を用いた回復法でマッサージをしているとは言え、それは球磨が自身を限界以上まで鍛え、なおかつ、闘氣が使えるからこそ、十全の効果が出ている。
鍛えていない素人に、過剰な気を流し込んでしまうと、逆に体調不良を引き起こしてしまう。下手をすると、多臓器不全を引き起す事もある。
ちなみに、カカシは時に、そのやり方でターゲットを死に至らしめていたし、朱音は自らの気を送り込むのではなく、相手の気を吸って、マナーのなっていない客をミイラ寸前まで衰弱させていた。さすがの紅壱も、その域には達せていない。
「本屋さんってのは、色々と大変なんですねぇ。
・・・・・・なぁ、お嬢さん、アンタもそう思うだろ」
「え?!」
半ば不意打ち気味に、紅壱から問いかけられた一人の少女は、つい、その場で足を止めてしまう。
書店の店員に声をかけられたことで追い詰められた万引き犯の少年らは、自棄を起こし、凶器を抜いてしまう
だが、その程度で怯む紅壱ではない
間一髪で、書店員を助けた彼は圧倒的な力の差を見せつけ、あっと言う間に少年らを鎮圧してしまうのだった
瑛のように穏便な解決ができなかった、と落ちこみながらも、紅壱は書店員からの感謝の言葉に悦びを覚える
そんな彼は何故、急に一人の少女へ声をかけたのか?




