第三十四話 買物(shopping) 紅壱、ショッピングに行く
名を与えた魔属に願われ、彼らの王となった紅壱
森で狩った野生動物と、持ってきた野菜を調理し、彼は更に魔属からの尊敬を集める
その最中、紅壱は恩人である魔王の別名を、己が導く村の名と決定した
宴も終わり、自室へ戻ってきた紅壱は布団の上で泥に沈むようにして眠る、その胸に野心を滾らせて
「・・・・・・もうちょい、体が痛むかと思ったが、そうでもねぇな」
暴れる目覚まし時計を止め、紅壱は自身の体に不調が出ているか、を丹念に確認する。何せ、あれほどの戦闘をしたのだ。魔王のおかげで、傷が再生し、体力は回復したとは言え、後遺症がない、とは断定できない。
だが、彼の不安は無意味だったらしく、彼の体は筋肉痛すら訴えてこない。しかも、疲労など、微塵も感じないため、紅壱は喜ぶ前に、空恐ろしさすら覚えてしまった。
扉のおかげで、いつもより長く、体を休める時間を確保できたのは確かだが、この凄まじい回復は、質の良い睡眠のおかげ、と一言で済ませてしまう訳にもいかない。けれど、いくら考えても、それが正解だ、と言ってくれる者がいない以上は、時間を無駄にしちまうだけだな、と悩むのを中断した。
「ッツ」
思考を停止した途端に、紅壱は頬に微かな痛みを覚えた。
まさか、虫歯だろうか、と訝しみながら、机の上に置いていた小さな手鏡に、紅壱は己の頬を映す。しかし、確かに頬は少しだけ腫れているように見えたが、虫歯のそれではない。口腔内も見るが、自慢の歯は菌に蝕まれていないようだった。
(口内炎とも違う・・・・・・
ぶん殴られた傷の痛みが、ぶりかえしたか?)
それっぽい理由に思い至り、そこを納得どころにした紅壱は、日課の柔軟を行う。
じっくりと筋肉をほぐし、体の調子を整えた紅壱は悩む。もちろん、体の異変について、てではない。
彼は、ヒントが足りなくて答えが出せない問題は、意味なく蒸し返したりしない性質だ。並列思考の一番端に置き、解明させようとはしているが、歯車の動きは遅い。それは、彼がその問題について、真剣に考えてない事実を意味している。
「さて、どうするか」
ただでさえ、人を怯ませる顔が険しくなっている理由、問題は登校するか、否か、だった。
このコンディションであれば、登校は可能だ。それどころか、業務、昨日の後始末も手伝えるだろう。
しかし、瑛は自分に「休め」と言った。瑛は、命令、と言うより、半ば懇願するよう表情だっただけに、紅壱は強く出られなかったのだ、あの時。
魔力はともかく、男手があれば、片付けが楽になるのは間違いない。瑛を覗くメンバーは、自分を歓迎してくれるだろう。
(いや、豹堂は「帰れ」と言わねぇにしろ、がっつり無視してきそうだな)
その態度を、瑛が咎め、鳴が本気で落ち込む展開も予想でき、紅壱は口の端が吊り上がる。
「・・・・・・会長は、俺を何としてでも帰そうとするだろうな」
しばらく、天井のシミを睨んでいた紅壱だったが、唐突に噛み締めていた奥歯から力みを抜く。
「会長にも言われたし、お言葉に甘えて休むか」
紅壱は、瑛に言う事を聞かなかったのを怒られるのは、嫌だった。だが、最も心に痛みを与えるのは、瑛の悲しそうな顔だ、と分かっていた。彼女は、まだ自分自身を許せていない、紅壱が死にそうになるほどの大怪我を負ってしまったのは、自分の判断ミスだ、と強く責めている。
もし、自分が登校し、顔を見せたら、瑛は怒るより先に、自己嫌悪が心の器から溢れ、それが涙となって、大量に流れる。
惚れた女は泣かせたくない、泣き顔なんて拝みたくない、と考えられる、見た目に因らぬ優しい心を持った紅壱。しかし、そんな彼でも思い至らない、紅壱の顔を見られなかったら見られなかったで、瑛の心の隙間から寂しい風が吹き込んでくる事になる、孤独感交じりの寂しさに目が潤む、と。
「ただ、休むにしても、何するか」
とりあえず、腹が減ったままでは、良いプランも思いつかないな、と紅壱は台所に向かう事にする。扉を開けた際、そこに廊下があるのを見て、つい、安堵してしまったのはご愛敬だ、と見ないフリ、聞こえていないフリをしてあげてほしい。
「おはようございます」
「おはようございます、紅壱さん」
居間のソファでは絹川が朝刊に目を通していたが、紅壱が挨拶をすると、きりっとしながらも、軟らかな笑みを、まだ口紅を塗っていない唇に浮かべる。
「洲湾さん、おはようございます。手伝いますよ」
「おはよう。今朝もありがとうねぇ」
お安い御用ですよ、と微笑み返しながら、紅壱は卵焼き作りに着手する。もちろん、味は甘いものと、あっさりしたものを用意する。
十五分ほどで、朝食は完成する。しかし、今朝、居間に集まったのは紅壱、洲湾、絹河だけであった。
「あれ、瓶持さんと球磨さんは?」
「葵は仕事で、もう出たの・・・・・・美味しっ」
紅壱の作った、プレーンオムレツで、自然と頬が蕩けてしまった絹河は大人としての威厳を取り繕うように、強めの咳払いをした。絹河の努力に噴き出しそうになるも、彼女のプライドを慮り、紅壱はどうにか、味噌汁をテーブルへ撒く事に耐える。
「球磨さんは、きっと、まだ寝てるわ。
でも、ちょっと、水ぶっかけてこようかしら」
いきなり、絹河が不穏当な発言をしたもんだから、紅壱はギョッとする。表情が歪んだ時だった、頬にちょっとした痛みが走ったのは。
「ほっぺ、大丈夫?」
「あ、ええ、虫歯とかじゃないと思うんですけどね、朝、起きたら、変に痛むんすよ」
紅壱がそう返すと、絹河と洲湾は微妙な表情になる。
「球磨さんの所為ですよ、その頬の痛みは」
「え?」
眉間に出来た皺を揉み、絹河は冷静さを保ったらしく、噤みかけた口を開き直す。
「昨日の夜、紅壱さん、帰ってくるなり、部屋で熟睡していたでしょう。
私、夕ご飯の時間になっても、君がここに来ないから不安になって、部屋に来たんです。
呼びかけて、ドアをちょっとだけ開けたら、紅壱さんの鼾が聞こえた。だから、寝てるんだと思って、そのままドアを閉めようとしたんです・・・でも」
そこに、酔っている球磨がやってきて、ドアを蹴破るようにして開けると、ベッドの上の紅壱を乱暴に起こそうとしたらしい。半開きの口から涎を垂らす自分の首根っこを掴んだ球磨が往復ビンタを頬にくれた、と聞いた瞬間に、つい、紅壱は己の頬に手をやってしまう。
「ごめんなさい、すぐに止められなくて」
「いや、ベロンベロンの球磨さんは止められませんって」
絹河は起きない紅壱に苛立ちを露わにする球磨を、あの手この手で落ち着かせ、秘蔵の日本酒を餌にして、なんとか、紅壱の部屋から出す事に成功したらしい。それだけでも、紅壱は彼女に礼を言いたくなる。
「球磨さん、君が作る酒の肴を楽しみにしてたとは言え、ビンタはやりすぎですよ。
でも、ビックリしましたよ、あんなに強い平手打ちを喰らったのに、紅壱さん、まるで起きなかったものですから」
悪い病気だろうか、もしかして、意識が無いのでは、と絹河は相当に焦ったらしい。紅壱の様子を確認した瓶持が、「問題ない」と判断していなかったら、救急車と輝愛子を呼んでしまっていただろう。
(救急車も困るが、輝愛子さんは、もっとマズかったな)
もし、自分が意識不明に陥ったと連絡を受けたら、さすがの紅壱も、輝愛子がどんな行動に出るか、予想が出来ないし、予想もしたくなかった、心が汚染されるようで。
普段、落ち着き払っている分、意外と動転しやすい面のある絹河を冷静にしてくれた瓶持に、胸の内で感謝しつつ、紅壱は己の頬に手をやる。
睡眠中、ほとんどの生物は無防備になる。食事中と同じほどに、隙だらけとなる。
そんな状況だったにも関わらず、球磨のビンタを連続して浴びても、頬が腫れるだけで済み、ホッとすべきだな、と紅壱は胸を撫で下ろす。自分では、まだ確認していないので、判断できないが、地の耐久力が上がっているか、打撃の痛みに対し、強くなっている可能性があった。
「あんなに深く寝ちゃうなんて、かなり疲れが溜まっているんじゃないですか?」
「まあ、そうかもしれませんね」
「天戯堂学園の高等部、そこの生徒会に紅一点ならぬ黒一点で所属して、毎日、女子らにコキ使われているんだもん、そりゃ、熟睡もしちゃうわよね」
洲湾に「ねぇ」と問われ、「まぁ」と頷くも、親しい者が見れば、些細なぎこちなさに気付いて、不審に思っただろう。
「大変ねぇ、生徒会は」
心配そうに微笑む洲湾に、紅壱は笑みを顔の下側に貼りつけたまま、「まぁ、楽しいですけどね」と返す、声が上擦らせもせずに。
(この人、生徒会の仕事を知ってるな・・・・・・)
祖母の弟子である事は知らないにしても、この音桐荘を根城にしているモノへ、自分の片付けるべき家事を押しつけているなら、洲湾はアチラ側なのだろう、と紅壱は察していた。
(昨日の襲撃も気付いてたのか?)
可能性は、決して低くないだろう。気付いていたなら、手くらいは貸してほしかったもんだぜ、と心中で愚痴りつつ、「まぁ、あれは俺らの仕事だったし、横から助けが入っても、断ってたな」と紅壱は肩を竦める。
(・・・・・・ん、そうなると、扉にも)
気付いていたんだろうか、と新たな疑問が浮かんだ紅壱は、こっそりと洲湾の表情を確認する。
紅壱の直感が、その疑問に対して、一瞬すらかけずに出した答えは「NO」である。
当たり前と言えば当たり前だが、魔王の作った扉もしくは転移魔術の気配は、洲湾ですら気付けないほど微量なのだろう。逆に、強すぎるゆえに、魔力から対象の強さを計測する感覚が、圧倒的な恐怖で心が潰されないように、あえて気付かないフリを貫くのだろう。
(後者だとすると、洲湾さんも、相当な術者ってことになるな。
少なくとも、学生の会長たちより上か)
洲湾に魔力の扱いについて、教えを請うのも選択肢としてはアリかもな、と考えつつ、紅壱は球磨を起こしに行こうとする絹河に「いいですよ」と声をかける。
被害を受けた彼が許してしまっている以上、いくら、同じアパートに住み、雇用主から監視を頼まれている身であっても、怒りの矛は下ろすしかない。ちなみに、球磨が紅壱に往復ビンタをした事について、絹河は己の胸に秘めておくつもりでいた。紅壱の部屋に、雇用主に言われて仕掛けた監視カメラの録画映像も、既に改竄済みだ。
体に合わない酒で脱がし魔になった球磨に幾度も剥かれている恨みはあれども、絹河は彼女を親友だ、と思っていた。そんな友情ゆえに秘密を貫き通すのだ、と言えば聞こえはいいのだが、実際には少し違う。
もし、輝愛子が刺客など差し向けたら、球磨は喜々として迎え撃つだろう。それだけで済めばいいが、一人二人を倒した程度で満足しなかった場合、球磨が会社に乗り込んでくる可能性しかない。
裏社会じゃ、「直進する災害」、そんな物騒すぎる二つ名が与えられ、しかも、喜んでいる球磨が会社に体力が尽きるまで暴れるつもりで乗り込んでくる、それは、社屋が全壊する未来が確定する、と言う事だ。素手の球磨素子は、ダイナマイトや大型車よりも危険だった。
無職になどなりたくない、だから、絹河は球磨を庇うのだ。もちろん、それを球磨に対し、恩着せがましくするつもりもなかった。
「けど、一言くらいは、釘を刺させてね」
「えぇ、思いっきり、ブスッと刺してやってください」
朝食を平らげた紅壱は自室へ戻り、制服の袖へ腕を通す。
瑛の悲しむ顔が見たくない、その理由で学校に行かない、その意志は変わっていない。だが、下手に「今日は休む」と言ってしまうと、何かの拍子でそれが輝愛子の耳に入った際、面倒臭い事にしかならない。それならば、行くフリだけして、途中で制服から私服に着替え、夕方まで時間を潰す方がいい。
尾行者はいるだろうが、その目を誤魔化すは容易い。輝愛子も、追跡を振り切られた、そんな報告程度では取り乱したりしないだろう。むしろ、自分が雇った一流の部下から逃げるなんて、さすがだね、と喜ぶだろう。
(あの人を喜ばしたくはないが、しゃあねぇ)
結局、音桐荘を出るまで、球磨は起きてこなかったが、紅壱は大して気にしない。
「じゃ、行ってきます」
愛車に跨った彼は学校の方向にしばらく走り、半分ほど来たところで裏の路地に入り、尾行車を振り切った。
「さて、今日はどう、時間を潰すかな」
そう呟きながらも、紅壱はペダルを高速回転させている間に、今日の予定を決めていた。
最優先事項は、自らの能力の考証。次が、環境の整備と部下の育成だ。
公園のトイレで制服から、黒を基調にした私服に着替えた紅壱が向かったのは、ATMのあるコンビニだった。
五分もしない内に、コンビニから出てきた紅壱は、最も近くの大型ショッピングモールを目的地に定める。ちなみに、駐輪場の愛車が無事だった事に、紅壱が安堵した事に関しては見ないフリをしてあげてほしい。
普段の買い物は商店街で十分だが、今日は、その規模のショッピングモールでないと必要な物は揃えられそうもなかった。
「さて、なるべく安く買えればいいけどな」
信号が青に変わるや、彼は急加速し、前を法定速度より少し出して走行していた車を難なく追い抜いていった。
愛車を駐輪て、紅壱は店内図を確認し、ある程度の計画を立てた。
最初に向かったのは、農業や工業関係の用具を販売している店。
彼は、入り口に置かれていた最も大きなカートを押しながら、店内を歩き回っていく。
スコップに鍬、鎌、斧に鉈、枝切鋏、釘と金槌、鉋、ハンマー、バール、ついにはチェーンソーまで買い込む。しかも、個数が10前後だ。チェーンソーは、さすがに二機だったが、両手にそれを持つ紅壱、スプラッタ映画の悪役そのものだ。
(もちろん、正しい使い方はするが、いざって時は武器にも使えるな)
商品が乗らなくなったカートに、紅壱が困っていると、一人の店員が恐る恐ると言った風に、「レジへお運びしますか?」と声をかけてきてくれたので、その親切に甘えさせてもらう事にした。
堆肥や液肥、ホース、電動ドライバー、電動釘打ち機を購入したかと思ったら、今度は小型のソーラー充電機も吟味する。BBQ用の鉄板や網、炭、ガスボンベも、新たなカートへ積んでいく。ワイヤーとロープ、ペンチやニッパー、ドライバーも大量購入である。
ヘルメットや軍手も大量に買い込み、安全靴は各サイズをあるだけ、カートへ放り込んでいく。
木材は、あちらの森で調達できるので、鉄板やアルミ板、ステンレスの板を数十枚も、店員に頼み、レジへ持って行ってもらう。
テントや寝袋、組み立て式のコンロと言ったキャンプ用品も一揃いさせる。
内容もそうだが、金額的にも高校生の買い物ではない。当然だが、店員らは怪しむ。しかし、紅壱が恐ろしくて、誰も彼に使用用途を尋ねられず、遠巻きに不安そうな表情を浮かべるのがやっとだ。
「ご自宅へ配送しますか?」
レジで支払いをカードではなく、現金一括払いした紅壱に、20代の女性フリーターは半泣き、声を震わせながら尋ねた。
彼女の反応に痛々しい気持ちになりつつ、紅壱は「いや、持ち帰りますんで」と返した。
「よ、よろしいんですか?
この金額でしたら、配送料が無料になりますが」
「あぁ、大丈夫だ。気を遣ってくれて、ありがとう」
紅壱本人としては優しく微笑みかけたつもりだったのが、これまで、不良と関わりの無い、平穏な青春を送って来られた彼女にとっては、紅壱の笑顔は、抵抗も出来ずに貪り食われる側の恐怖を持つに十分だった。
接客業としてはアウトではあるが、店長以下、誰も立ったまま気絶した彼女を罵る者はいなかった。
幸い、この経験は、彼女にとってプラスに働いたらしく、あらゆるクレーマーを平然、毅然と捌く実力のある店員に成長する事になる。
そんな彼女が最年少の店長になるのは五年後なのだが、これは、紅壱とも、それなりに長い付き合いになる始まりも意味していたので、良い事なのか、良くない事なのか、それは誰にも判断できない。
翌朝、紅壱は戦いの痛みや疲れが、すっかり、体から抜けている事に驚きを禁じ得なかった
唯一、やけに痛む頬を疑問に思いつつ、彼は居間に向かい、そこで答えを知る
朝食後、紅壱は瑛を傷つけないために、今日は学校に行かない事を決断するが、輝愛子に勘繰られたくもなかったので、一度、アパートを出てから、適当な場所で時間を潰す事に
彼が自転車を漕いで向かったのは、近隣で最も大規模な商業施設
村を発展させ、魔属らの生活を楽にさせるべく、紅壱は買い物をスタートさせるのだった




