第三十三話 帰宅(room) 紅壱、自分の部屋に戻って来る
名を与えた魔属が集まった村の長、同時に、彼らの王となった紅壱
飲み食いに盛り上がる中、副村長を任された、ゴブリンのリーダー、吾武一は紅壱に一つの頼み事をする
それは、生まれ変わった村に、新たなる門出に相応しい名を考えて欲しい、というものだった
突然の無茶ぶりに、果たして、紅壱は良い名を思いつく事が出来るのだろうか
猪や兎の串焼きを十本ほど食べ終えた頃だった、何かを思い出した吾武一が紅壱へ声を遠慮がちにかけてきたのは。
「・・・・・・王様、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
剛力恋は、紅壱に戦いのイロハを聞きたがっていたが、また、父に拳骨を落とされたくはないのだろう、唇を尖らせながら、彼から離れた。
ぶすっとしていた剛力恋だったが、ふと何を思ったのか、盛り上がっている仲間から距離を大きく開いて、猪の骨を噛み砕いている雷汞丸に近づいていった。どうやら、雷汞丸に構ってもらう気らしい。
無謀だな、と思いつつ、アイツも本気にはなりゃしないだろ、と期待し、吾武一に紅壱は向き直る。
「ご相談と言うか、一つ、おぅ・・・タツヒメ様に決めていただきたい事が」
「俺に?」
戸惑いの色が浮かび上がった己の顔に人差し指の先を向けた紅壱に、吾武一は並みの刃は通りそうもない首を縦に振った。
「改めて、感謝の言葉をお受け取り下さい。
臆した我らの命を見逃していただいただけでなく、この集落の長、我らの王に着いていただいた事に関しては、幾度、礼を述べさせていただいても足りません」
「そんな大袈裟な。俺は、天使どもと一戦交える時の為に、戦える奴を仲間にしたかっただけだ」
「対等な仲間、その扱いをしていただけるのが、ありがたいのです」
深々と頭を下げられ、首筋を揉んだ紅壱は困ったように唇を歪めた。
「そろそろ、くすぐったくなってきたから、勘弁してくれ。
それで、俺は何を決めりゃいいんだ?」
「はい、この集落の名を決めていただきたいのです」
「ここの?」
はい、と頷く吾武一の目は真剣だ。
「いや、そのまま使っていけばいいだろ」
紅壱は軽い気持ちで言ったのだが、吾武一は「なりません」と即答する。あまりに、返事が速いものだから、紅壱は面食らってしまう。
「オーク、コボルド、スケルトン、この三種族が心機一転、紅壱様の為に身命を賭して、肉片になろうとも戦うつもりで、ここに移住してきたのです。
弱小の象徴たるゴブリンが身を寄せ、強い魔属に媚び、蹂躙、皆殺しの憂き目から逃れていた、情けない頃の名は、最早、汚点。
そんな名のままでは、士気に関わりますし、タツヒメ様の誇りにも傷が付きます。
ならば、タツヒメ様が王として君臨するに相応しい、新たな名を、この村につけるべきなのです」
半ば勢い任せにしろ、吾武一の言い分には、それなりの筋は通ってしまっている。紅壱としては、「わ、わかった」と了承するしかない。
「村の名ねぇ・・・・・・」
悩もうとした紅壱だったが、自分でもビックリするくらい、一つの候補が頭の中にポンと浮かんだ。
「アルシエル」
「え?」
「この村の名は、今日、この時から『アルシエル』にする」
紅壱には、もう、それ以外の名が思いつかなかった。
「それは、どういう意味なのでしょう、コウイチ殿」
弧慕一の質問に、紅壱は「俺の恩人の別名だ」と、自信満々に答える。
アルシエル、それはカルデア人が信仰していた、地獄の第七にして、最下層である「ゲヘナ」の支配者である暗黒神。「黒き太陽」も象徴している。
元は天使であったらしいが、イスラエル人によって、「ゲヘナ」に追い落とされたらしい。
故に、「奈落の王」であるアバドンと同一視される説があった、アルシエルには。
天使に喧嘩を吹っかけるなら、あえて、元・天使の名を付ける遊び心があってもいいだろう。紅壱は直感に任せ、この名をつけた。
もし、命名者が紅壱ではなく、吾武一らが会議で話し合って決定したのであれば、未来は変わっていたかもしれない。
魔王・アバドンを宿す紅壱に名を与えられた魔属は漏れなく、「種族進化」した。
村は発展していく、その繁栄を一個の生き物の成長、進化として捉えるのであれば、名付けによる効果が出ても不思議ではなかった。
名付けにより、即時、目に見える変化こそ起きはしなかった。
だが、紅壱がその名を口に出し、王権を以て決定した事で、この村は国と呼べる面積と力を持ち、なおかつ、各エリアの支配者らに注目される存在になる、それが確定したのだ。
アルシエル、後にアルシエル共生皇国と呼ばれる、超大国は今、この瞬間に産声を上げた。それに気付いた者は、まだいない。それでも、遠くない内に、この森全体を支配下に敷こうとする実力者らは知り、無視が出来なくなる事になる、この村と紅壱の存在を。
「アルシエル・・・・・良いですな」
「そう言ってくれると、安心するぜ」
「皆の者、食事中に悪いが、集まってくれ」
立ち上がった奥一が、「集合!!」と叫べば、全員が一斉に食事の手を止め、紅壱が腰かけている王座の前に集まってきた。
「たった今、タツヒメ様により、この村の新たな名が決定した。
これより、コンチャ村は、アルシエルと名を変える。
皆、今後の戦いでは、タツヒメ様もといアルシエルの兵となって戦うように!!」
「オオオオオオオオ」
吾武一の発表に、全員の雄叫びが重なる。ゴブリンやスケルトンは剣や棍棒、オークは斧やハンマー、コボルドはワンドやスコップを振り上げ、新たな村の誕生を祝福し、その村に住め、発展させていく責任を背負えることに歓喜しているようだ。
「アルシエル!! アルシエル!!」
一頻り喜ばせてから、紅壱は村人を手の動きで落ち着かせる。
「皆、このアルシエルを、どこにも負けない居場所にしていくぞ!!」
紅壱が拳を突き上げた刹那、これまではセーブしていたのか、と思うほどの轟音が森の西側を揺らす。数多くの魔力が一つとなり、増幅した際の波動は、森の西側に住まう有力部族や、侵略の拠点を置く北と南の猛者にも届いたかもしれない。
「む、食べ物が終わってしまいましたな」
自ら、猪を再び、狩りに行こうとした吾武一を、紅壱は止める。
「いや、もう、皆、腹一杯みたいだぞ」
名持ちの魔属は体が大きくなり、魔力も増した事で、食欲旺盛になった。彼らと同じく、紅壱もまだ、腹六分目ほどだ。
だが、まだ名を持っていないゴブリンらは、宴の空気も手伝ってか、ついつい食べすぎてしまったようで、膨らんだ腹を押さえて寝転び、苦しそうに呻いていた。もし、集落の長となった紅壱がまだ食べ続けるのであれば、彼らは無理をして、食事を続けようとするだろう。
「この辺りで、お開きとしよう」
そうですな、と幹部らは紅壱の提案に頷く。
「泊まっていく、と言いたいが、そうもいかない。俺は人間界に戻らせてもらうぜ」
そうして、紅壱は魔属らに給仕されているパートナーらに声をかけた。
「俺、帰るけど、お前ら、こっちに残るか?」
例え、自身の中に戻さなくとも、有事の際は、この森からでも彼らを召喚できるだろう。なので、翠玉丸らを無理に連れ帰る気も、紅壱にはなかった。
思った通り、彼らは「こっちにいる方が、呪素を取り込めるから」と、紅壱の中に宿るのを、柔らかい態度で断った。それに気を悪くした風でもなく、紅壱は「あんま、コイツらをコキ使うなよ」と、注意だけはしておいた。
「長々と引き留めてしまい、申し訳ありません」
「いや、この森の情報について聞きたがったのは、俺の方だ」
「それも、あまり役に立てず、情けない限りですが」
シュンとし、耳が垂れた弧慕一の肩に、紅壱は手を乗せ、元気づける。
「気にすんな。分からない事が多い方が、森の中を歩き回る時の楽しみは増すだろう?」
彼からの温かい言葉に涙ぐんでしまった弧慕一に苦笑し、彼の面倒を輔一に任せて、紅壱は食々菜に声をかける。
「じゃあ、食々菜、種の管理を頼むな」
「はい、責任を持って、お預かりします」
やる気が目に満ちている彼女に頼もしさを覚え、紅壱はニカッと笑う。
「よし、じゃあ、また来るぜ」
紅壱が意識した途端、ドアがそこに何の気配もなく、出現したので、吾武一らは絶句する。
彼らも、それなりに強さが上がっている。魔術に長けている、と言えるほどではないにしろ、呪素の漂う空気に生じた違和感ならば感じ取れる、その自負が彼らにはあった。
実際、彼らの魔力を察知する能力は、個魔差はあるにしろ高くなっていた。特に、弧慕一の成長は著しい。
しかし、そんな彼でも、ドアが出現する気配を感じとる事ができなかった。出現したらしたで、そのドアから何も感じとる事が出来ず、彼は驚きと恐れから腰が抜けそうになってしまう。魔力を感じ取れない、それは自分と、そのドアを生み出した者の間に、大きすぎる差がある事を意味していた。
もし、紅壱に弐つの世界を行き来する権利と手段を与えた何者かが、この事態に発狂せず、みっともなく慄きながらも、現実を毅然と受け入れようとしている弧慕一を見たら、ちょっとだけ感心しただろう。
「いってらっしゃいませ!!」
その挨拶は違うんじゃねぇかな、と胸の中で思いつつ、紅壱はドアを開き、人間界へ戻った。
転移酔い、とでも呼ぶべきなのか、刹那にも満たぬ眩暈を振り切った紅壱は期待通り、自室に戻って来られた事に、安堵の息を自然と吐いてしまう。
(一体、何だったのかね、あっちでクリアすべきだった事だったのは)
魔属に名を与える事だったのか、ゴブリンの村に行くことだったのか、それとも、魔属の王になるのを自分で決める事だったのか。しかし、今、こうして、無事に帰還できたのなら、その理由を考えても仕方ない、と紅壱は頭を切り替える。
途端に、今日一日の疲労がドッと戻ってくる。
カガリ戦で負った重傷こそ、時間の経過で完全に治癒した。だが、肉体かつ精神に溜まった疲労は、そう簡単に取り除く事はできない。
(ゲームや漫画だと、治癒や回復系の魔術でHPのゲージはフルに戻ってるけど、あれは怪我が全快してるのか、それとも、疲労も含めて回復しているのか、どっちなのかね)
そんな疑問を頭の中で巡らせながら、紅壱はおぼつかない足取りで、ベッドへ向かう。そうして、残り数歩のところで、彼は前に跳び、掛け布団に顔からダイブする。
このまま眠ってしまいたいが、眼鏡くらいは外したい。
一秒でも長い睡眠を求める体に鞭打ち、紅壱は外した眼鏡をベッド脇の棚へ、いつも通り、置こうとする。そこには、目覚まし時計も置いてある。明日は、瑛に言われ、学校は休むつもりではあるが、一応、アラームはかけよう、ぼんやりと思いながら、紅壱は目覚まし時計を掴み、スイッチを入れ、戻す。
鼾が室内に響き出したのは、わずか一分後。しかし、輝愛子が録音しているそれは、ものの三十秒で止まった。そうして、バネ人形よろしく、唐突に起き上がった紅壱はついさっき、手にした目覚まし時計を乱暴に掴む。
「・・・・・・・・・おいおい」
マジか、と青褪めた表情で、紅壱は呟く。肉体的な疲労すら凌駕する、精神的なショックが押し迫ってきたら、人間はこんなリアクションをするのが精一杯だな、そう、他人事のように思いながら、紅壱は再び、目覚まし時計を見詰める、一回目が見間違いである事を心の片隅で祈りながら。
だが、紅壱の目は、時を刻み、時を知らせる二本の長さが異なる針の位置を見誤ってはいなかった。
(30分しか経過してねぇよ)
目覚まし時計の長針と短針が示す時刻は、紅壱が異世界に行って、すぐ確認した時から30分後であった。
「あっちには、3時間以上はいたよな」
セオリー通り、人間界と異世界では時間の流れが違う、その推測が頭に浮かびはした。だけれど、紅壱の直感は「違う」と確信していた。時間の流れが異なっている、それもあるのだろうな、と考えながらも、紅壱の勘は、もう一つの推測が正しい、と言っていた。
(・・・・・・・・過去に戻ってきたのか、俺は)
異世界から帰る際に出現させた扉は、自分が音桐荘に帰ってきたから、約30分後の自室に繋がったのだ。つまり、扉は次元だけでなく、時間すら自由に移動できる代物らしい。
今更になって、何者から、とてつもない、己の手に余りかねない能力を与えられてしまったな、と紅壱は背筋が冷たく強張るのを感じた。
今日一日に限らず、ここ最近、驚く事ばかりが自分の身に起こってばかりだが、この時間跳躍は、トドメと言ってもいいくらいに、衝撃が大きかった。
五分間かけて、じっくりと呼吸と脈拍のペースを通常時の値まで戻した紅壱は、自室の扉をジッと見つめる。
恐ろしい、その感覚は拭いきれていなかったが、興奮も生じ始めていた、彼の心中に。
(ゆっくり、扉について調べていかないとな・・・・・・)
何が出来るのか、何が出来ないのか、それを把握しておけば、様々な面でプラスに働くのは間違いない。
「とりあえず、寝るか」
すぐにでも、扉の力を確認したかったが、もう、体は動かせそうもない。無理をすれば、どうにでもなるが、今はその時ではない。
紅壱は潔く諦め、両瞼を下ろす。ほんの数秒で、再び、大鼾は室内に響き出す。
結局、彼は翌朝、目覚まし時計が棚の上で暴れるまで、一度も目を覚まさなかった。
多くの種族が暮らす事となる村に、紅壱は己の身に宿す魔王・アバドンの別名を与えた
アルシエル、その村名に魔属らは歓喜の雄叫びを上げ、紅壱のために戦う決意を強める
宴もたけなわとなり、紅壱は人間界に戻る事に
何らかの条件をクリアしたらしく、彼はやっと、自室に入る事が出来る
疲れ果てていた紅壱だったが、過去に戻ってきた事に驚かされてしまう
扉の凄さに絶句しつつ、彼は村を繁栄させる英気を存分に養うべく、深き眠りに身を委ねるのだった
こうして、王としての初日は無事に終わるのだった
しかし、王道はまだ長い。これから、どのような波乱を、紅壱が桁外れの実力で突破するのか、乞うご期待




