第三十話 空腹(hunger) 紅壱、腹が減る
異世界にて再会した下位魔属へ、紅壱は名を与えた
種族進化したゴブリン、オーク、コボルド、スケルトンのリーダーたちは、彼に感謝し、自分たちの王となり、導いて欲しい、と懇願する
彼らの気持ちを汲み、紅壱は王となり、建国に尽力する事を決断する
苦心の末に、幹部らに名を与え終わった時だった、それがやってきたのは
戦慄を覚える、紅壱の部下たち。一体、何が!?
王になる事を受け入れたとは言え、基本的に、人の上に立ちたい、そんな野心に欠けている紅壱は、つい、王様っぽい言動を意識してしまい、それが緊張に拍車をかけていた。
そんな慣れぬ緊張が緩めば、自然と腹の虫が鳴く。魔王・アバドンを宿していると言っても、体の構造と、心の繋がりは普通の人間であるのだから、これは仕方のない話だ。
けれど、紅壱の腹の虫の鳴き声は、常人の比ではなかった。
人間であれば、戦闘機か、と瞬間的に空を見上げてしまうほどの轟きが、人数もいる事から広いとは言い難くなった小屋の中に満ちれば、吾武一らがギョッとして、接近してきたワイバーンが吼えたのか、と勘違いするのも無理からぬ話だ。
その翼持つ蜥蜴は、近場の山を寝床とし、このエリアのゴブリンと言った下位魔属を餌としている。
成長と脱皮により、ブレスが使えるレッサードラゴンですら、時には群れで狩り、貪るワイバーンだ。翼も牙もなく、しかも、武器も魔術も得ておらぬ小鬼や豚頭魔に敵う筈がなく、羽音が聞こえたら、すぐに森の奥へ逃げ込んでいた。
非常に凶暴ではあるが、木々の間を自在に飛翔するほどの機動力は、ワイバーンの翼では発揮できぬ事を、弱者なりの知識と経験で、彼らは自己防衛の手段として知っていた。
ゴブリンらは運が悪く、その鋭い爪に捕まった仲間を食って、ワイバーンが小腹を満たすまで、ずっと息も気配も殺し、危険が去るまで待ち続けた。
オエステの主と呼べるほどの強さではないにしろ、このまま、成長を続ければ、間違いなく、今の主の取り巻きを倒すほどになる、と臆病なゴブリンらは緑色の鳥肌を立てていた。
しかし、臆病の虫が肌の上を這いずるのを良しとしていたのは、辰姫紅壱、この王に出会う前の話だ。
名付けにより、自分は強くなった、その無根拠な自信に、紅壱への忠誠心が最も強いのは己、とアピールできるチャンス、そんな衝動に駆られた吾武一らは小屋の出入り口に向かう時間も惜しみ、壁を破壊して外に飛び出た。
出入り口を使わずに外へ出た、その行動が全くの無駄であったと知るのは、どこを見回しても、翼持つ蜥蜴の巨大な影など、どこにも見えず、皆が狼狽えた時であった。
「悪い、お前ら、今のは俺の腹の音だ」
「そ、そうでしたか。いや、醜態を晒してしまいましたな」
気まずそうに後頭部を掻いた吾武一と苦笑を見合わせた紅壱は、ふと、周囲の空気に緊張が漂っているのを感じた。
周囲を見回すと、名を持っていない下位魔属が仰天し、固まってしまっている。中には、腰まで抜かしてしまっている個体までいた。
何故だ、と思った紅壱は、すぐに彼らが怯えている理由に思い至った。
「あー、お前ら、コイツらは敵じゃないから、安心しろ」
小屋の中から、見知らぬ、しかも、力の強い魔属が得物を構えて飛び出してきたのだ、戦う力が乏しい個体らが恐怖で竦んでしまうのも無理からぬ話だ。
紅壱の言葉に、ゴブリンらは戸惑いの表情を浮かべ、吾武一らを見る。
面影こそ薄まってしまったが、「思念伝達」により、彼らが仲間だと分かり、安堵する小鬼たち。続いて、彼らが進化している事に、新たな驚きを覚えたようで、ザワつきだす。
「落ち着け、お前たち」
吾武一の重厚な声は、そわそわしていた下位魔属らを静かにさせる。もし、自分が同じ事を言っていたら、静かにはなっていただろうが、跪かせてしまっていただろうな、と紅壱はその光景を思い浮かべ、溜息を飲み込む。
「皆、タツヒメ様の前である。整列せよ」
その言葉に、ゴブリン族だけでなく、オーク、コボルド、スケルトンらも素直に従い、紅壱の前で各々の部族で列を作った。
一糸乱れぬ動きに、紅壱は感心しつつ、「おいおい」と困惑する。王になったのは、まだ隠しておくべき時期なのに、畏まらせてどうするんだ、と吾武一に小言をぶつけたくなる。
「我らは、このタツヒメ様より、固有の名を賜り、種族進化を果たしたのだ」
その発表に、一同は歓声を上げる。種族進化は、そう簡単に発生する事ではない。ホブゴブリンとなれば、自動的にリーダーの役に就けるほどなのだ。しかも、名持ちなど滅多に現れるものでもない。自分らを配下として受け入れてくれた人間から、名を与えられたとなれば、皆の喜びも一入のようだ。
「もう一つ、朗報がある」
(え、言っちゃうの!?)
止めようか、と紅壱は思ったが、先に周囲のリーダーの方が動きそうだったので、一応は様子見する事にする。
幸い、吾武一は紅壱の考えを覚えていたようで、王については言及しなかった。
「タツヒメ様は、今後、結果を出した者に名を与えてくださる。
皆、タツヒメ様の期待を裏切らず、それぞれが割り振られる仕事に励み、種族進化のチャンスを掴んでほしい」
チラリ、と吾武一に視線を向けられたら、紅壱は頷き返し、前に出るしかない。
途端に、歓声が上がる。怒号や悲鳴を浴びせられるのは慣れっこだが、こんなアイドルのようなリアクションをされた事など皆無に等しいので、紅壱はぎこちない笑みを浮かべてしまう。けれど、魔属にとっては、頼もしい笑みに見えたようで、その音量は増してしまう。
三十秒ほど経過しても、ゴブリンらは紅壱の登場と、長の就任に興奮していたが、いよいよ、耐え切れなくなった彼がおもむろに手を挙げた途端、水を打った様に鎮まった。
自分のちょっとした動きで、急に静かになられてしまったものだから、紅壱は余計に気まずくなる。ただ、無言でいても仕方がないので、「コホン」と咳払いで、全員の集中を集めてから口を開く。
「ゴブリンらには、この村へ来る道中に言っていたが、オーク、コボルド、スケルトンにも機会を与える」
喜びの声を上げ、下位魔属らはやる気に目を光らせ、鼻息を荒いものにする。
「近い内に、いくつかテストをして、お前らの適性を確認して、仕事を割り振らせる。その仕事で、まず、頑張ってみてくれ。
もちろん、結果を出すってのは、戦いだけじゃない。村興しに貢献したり、新たな食材や鉱物を発見したり、便利な道具の開発なども含まれるので、励んでほしい」
体格が小さかったり、魔力の量が少ない、と言った理由などで、自らは戦闘面で活躍できない、と落胆していた個体は、紅壱の言葉に表情を明るい物とする。
「人間界から帰ってきた仲間から聞いた者もいるだろうが、俺はお前らの主になる事を宣言した。
その関係で、この集落の長も任された。
俺が長になる事に、反対する者がいるなら、気後れせずに挙手してくれ」
一抹の期待を胸に抱いて、紅壱は魔属らを視線で左から右へ撫でたのだが、誰一人として、その手は上に挙げなかった。後ろで、吾武一らが睨みを利かせているのもあるのだろうが、やはり、強い者に従う、その本能が働いているようだ。
肩を落としたいのを堪え、紅壱は再び、咳払いをして、「ありがとう」と自分を受け入れてくれた彼らに礼を告げ、頭を真摯に下げる。
「頑張らせてもらう。
しかし、先に言っておくが、俺は長って立場に就任くだけで、一から十まで、お前らに命令をして、従わせるつもりは一切ない。そこは覚えておいてくれ。
この集落を広げ、群れとしての強さを高める為の計画は、基本的に幹部衆が会議で話し合って、お前らに指示を出す事になる。
この村は、お前ら魔属の国の雛型だ。だから、お前らが、自分達の未来を自分達の意志で考えて、実現の為の努力をすべきだ」
戸惑いこそあったが、強者の作ったルールに従わず、自分達だけの未来を掴める、その現実が不安以上に、希望を胸の中に光を灯らせたようで、魔属らの表情は自然と引き締まっていた。瞬時に起こった、彼らの心の成長に悦びを覚えつつ、紅壱は話を続けた。
「俺が、この集落で、長としてする仕事は、大まかに二つだ」
紅壱が立てた指二本に、ゴブリン、オーク、コボルド、スケルトン、全員の注目が集まる。
「一つは、助言だ。
俺に、リーダーとしての才覚があるかは分からない。けれど、お前らが村の為にする話し合いに参加して、一緒に悩んで、アドバイスをしてやるくらいは出来るぞ。
あえて言うなら、こっちの仕事には、お前らの失敗の尻拭いも含まれてる。
お前らは、それぞれに優れている能力はあるが、村を発展させる事に関しちゃ、まだ素人だ。だが、素人だからこそ、多くのチャレンジをすべきだ、と俺は思う。
当然、最初の内は失敗を繰り返す事になるだろう。だが、一度や二度の失敗にへこたれるな。素人なんだからポカしても仕方ない、そう開き直れ」
そこで一旦、言葉を止め、紅壱は緊張しているゴブリンらに指を向ける。
「失敗を恐れるな、だが、その失敗から一つでもいいから学べ。
俺が許さないのは、同じ失敗を何度も繰り返して、改善の兆しが見えない時だけだ。
成功には、失敗を繰り返す事でしか迫れない。お前らが諦めず、失敗を反省し、やりたい事に挑み続ける限り、俺はフォロー役に徹する。
大船に乗ったつもりで挑戦してくれ」
またしても湧き上がりかけた歓声を、素早く、手で止めた紅壱は釘を刺すのも忘れない。
「ただし、新しい事をしようとする時は、何でも一人で決めるな。まず、幹部に相談しろ。
名持ちの魔物になったからと言って、緊張する必要はない。性格は、大きく変わってないからな。
吾武一、これから、お前らも忙しくなるだろうけど、コイツらの相談に乗ってやってくれ。
お前らにGOかSTOPか、その判断は任せるが、自分たちの手にも負えない、と思ったら、すぐに俺へ連絡しろ」
「御意」
幹部に頷き返した紅壱は再び、下位魔属らに目を戻す。
「まぁ、こんな偉そうな事を言っちゃいるが、俺もリーダーとして、まだまだ、未熟だ。
慣れない仕事で困っちまう時もあると思う、そんな時は俺も素直に、ヘルプを求める。
そん時は、『仕方ねぇなぁ』って笑って、俺を助けてくれ」
その言葉に、ゴブリンらは「そ、そんな恐れ多い」と言いたげな、顔をくしゃくしゃと歪めた。しかし、紅壱から「助けてくれないのか?」と聞かれてしまったら、「助けます!!」と答えるしかない。
ありがとう、と礼を言ってから、紅壱は「で、二つ目だが」と指を立て直す。
「自分で言うのもアレだが、こっちの方が俺には向いている、と断言できる。
俺が長としてする、二つ目の仕事は、お前らを守る事だ」
紅壱が動かした指を追った魔属らの目に映るのは、周囲の森。
「ゴブリン、オーク、コボルド、スケルトン、この四部族が一か所に集まって、共同生活、しかも、村を大きくするための活動に精力的となれば、他の魔属の注目を集めると思う」
それに、彼らは少なからず動揺し、ザワつきだす。
「さっきも言ったが、ここはお前らの村だ。だから、自分達で頑張って、この居場所を守れ、戦え、抗ってみろ。
しかしだ、どんだけ全力を出しても、太刀打ちできない相手がいる。残念だが、今のお前らの場合、勝てない相手の方が多いだろう」
自身の言葉で、ゴブリンらが「シュン」と落ち込んでしまったので、紅壱は言葉を切らないで続ける。
「俺は、この森について、ほとんど知らないから、後で幹部に教えてもらうが、お前らが敵わない怪異や魔獣の類は、俺が相手を引き受ける。
お前らの生活を守るのが、長として、俺がすべき、したい仕事だ。
もちろん、基本的には他の魔属と友好的にやっていきたいから、こっちからは手は出さないし、あちらから来たのなら、まず、会話で平和的な交渉に徹する」
そこで一度、言葉を切った紅壱は清聴してくれている仲間を見渡してから、「ただし」と話を再開する。
「初っ端から、この村を奪う気だったり、警告もなしにお前らを傷つけたりするような輩だった場合は、俺も温厚な対応をするつもりはない」
この時、紅壱は女子を骨抜きにするような優しい笑みを口元に携えていた。しかし、彼らは強烈な恐怖から、経験した事のない寒気と強張りを覚えた。
紅壱の笑顔が「怖い」と、その本質を見抜く事が出来たのは、彼らが雑魚扱いされる下位魔属ゆえだ。
怖い、と震える反面、ゴブリンやオークらの心中には安堵と歓喜の感情もあった。
この人の敵に回らなくて良かった、この人に仕えられる自分は幸せだ、目の前の魔属らが同じ想いを抱いているとは知らぬまま、紅壱はニコニコしている。
「俺は仲間に手を上げる奴には、容赦しない。
それは、もちろん、身内でもそうだ。さっきも言ったが、この集落では、ゴブリン、オーク、コボルド、スケルトン、この四つの種族が共に暮らす事になる。
部族としての慣習、個人の生活サイクルもあるから、上手く足並みを、いきなりそろえる事は、まぁ、難しいと思う。その辺りは、お互い、ちゃんと話し合って、納得しあえるルールを作っていこう。
だが、体の小ささ、魔力の少なさなどを理由にして、他の種族の奴を迫害する事は許さん。もちろん、お前らの中には、そんなくだらねぇ真似をするような奴はいない、と信じている・・・・・・信じていいよな?」
「はい!!」
そう、全員が緊張した面持ちで、腹から大声を出して返答し、自分の考え方を受け入れてくれたので、紅壱は満足げに笑う。
「ちょっと脅かしちまった感じだが、基本的に俺は上に立つだけだ。
ルールの制定、他の魔属との交流と言った、この村を発展させる計画は、幹部を中心にして進めさせる。
とりあえず、吾武一、お前が全体的な指示出し、総務の長だ。いいな?」
「拝命いたします」
重要なポストを任され、吾武一は感極まりそうになるも、どうにか涙を堪えると、紅壱へ首を垂れる。
「任したぞ」と、紅壱は震えてはいるが、重荷に耐えるだけの強さがある、と期待している肩に手を置く。
「ついつい、熱く、長く、偉そうで大層な事を語っちまって、恥ずかしいな。
まぁ、俺は、この村を良い物にしていきてぇ。
種族で優劣を付けず、お互いに助け合って、この村を栄えさせていきてぇ。
力がある奴、知恵のある奴、手先が器用な奴、武の才がある奴、色んな長所がある奴が揃って、協力し合えば、きっと、他のどこにも負けない、最高の村に出来る。
お前ら、俺に力を貸してくれ!!」
拳を突き上げた紅壱の興奮に引っ張られ、村魔らもテンションが高まり、「おぉ」と雄叫びを発し、「辰姫様、バンザイゴブ!!」、「どこまでもついてくブゥ」と歓声を轟かす。
容姿はおっかなく、声は野太くとも、自身に向けられる心が純粋な好意であれば、気分がいい。紅壱も、しっかりと仲間の気持ちを掴めた事にホッとし、下がろうとしたが、ふと、手を打って、まだ盛り上がっている皆に向き直る。
「おっと、よくよく考えると、俺の仕事は、もう一つあったな」
「え?」と魔属らが思う前に、紅壱は柔和な笑顔で言い放つ。
「お前らが弱いままでいないで済むように、きっちり鍛えてやるから、覚悟だけはしておいてくれ」
その瞬間に、全員を襲った戦慄は先程の比ではなかった。果たして、自分達は紅壱からのシゴキに生き残れるのか、とてつもない不安で青褪めた彼らから視線を外し、紅壱は血抜きが済んだ大猪に興味を移す。
「体つくりの基本は、食べる事だ、と俺は思う。
食べて動く、動いて食べる、その繰り返しで、キツいトレーニングで音を上げない体が出来上がっていくんだ。
さぁ、飯の準備をするぞ」
祖父が素手で、彼の友人が得意とする得物で仕留めてきた野生動物の血抜き、解体を頻繁に手伝っていた紅壱にとっては、サイズが違おうが、その手付きに迷いはない。
「お手伝いします」
食々菜と、彼女の友人と思わしき、オークナが何匹か、包丁と呼ぶには、些か、切れ味の良くなさそうな刃物を持って近づいてきた。
豚頭魔族が刃物を持って近づいてくる、それだけでも、瑛らの表情はキツく引き攣ってしまうのだろうが、紅壱は何ら気にしない。
「半分は肉を適当な大きさ、一口で食べられる程度に切ってくれ。
ぶつ切りにした肉は、スケルトンが作っておいてくれた串に数個ずつ刺すんだ」
「残りは?」
「野菜の下処理を頼む」
紅壱は祖母が送ってきてくれた段ボール箱から、野菜を取り出す。それらを見た食々菜の目が丸くなっているのに気付き、紅壱は小首を傾げた。
「どうした?」
「タツヒメ様、これは食べられる物なのですか?」
多少の事では怯まない、そんな貫禄がある食々菜だが、ジャガイモに伸ばされた手は恐々と言った風であった。
轟音の正体は、安堵した紅壱の腹の虫の鳴き声であった
羞恥心に悶える間もなく、紅壱は村の長に就任した挨拶を、住人らへする事になってしまう
鼓動が早まり、口の中が乾き、汗だくになるほどの緊張を押し退け、なんとか、紅壱はスピーチを終える
一仕事を終えた彼は早速、食事の準備に取りかかるのだった




