第二十四話 名前(name) 紅壱、パートナー達に名前をつける
カガリとの一騎打ちを制しただけでなく、下位魔属の集団も圧倒的な力を見せつける事で屈服させた紅壱
他のメンバーも健闘し、見事に、生徒会は学園を守りきった
戦いでダメージを負うも、持ち前の回復力で紅壱は前回と同じく、病院を後にして帰宅する
さすがに、今夜はしっかり体を休めよう、そう決めて部屋に入ろうとした紅壱だったが、その顔色は瞬時に変えられてしまう
さほどの事では驚かぬ、十代の少年らしくない胆力を持つ紅壱を驚かせた光景とは!?
瑛の不安通り、紅壱は保健室を後にしようとしていた。とは言え、今日はアルバイトの日ではなかったので、家に帰って、しっかり寝るつもりだった。
いくら、体力馬鹿の紅壱だって、この激闘の後に、あの激務はハードすぎる。途中で倒れたら、多部にも、客にも迷惑をかけてしまっていただろう。
幸い、生徒には被害が出ず、学校の敷地も被害は最低限に抑えられた。瑛らは、明日、その損傷を術の練習がてら修復する、と言っていた。紅壱も、手伝う、と申し出たのだが、瑛は断固として、それに首を縦に振らなかった。
我の強さはお互い様だったが、今回に限っては重傷者である紅壱は体力的に不利だった。采配と予測の過失から、彼に怪我を負わせた責任を感じ過ぎているようで、いつもより押しの強い瑛に攻め切られてしまった紅壱は、渋々と、彼女の言葉に従い、明日は休む事にした。
既にカガリに刻まれた傷はほぼ完治していたが、体力までは取り戻せていない。満腹となり、爆睡すれば、本調子に戻る自信が彼にはあった。魔王の依代にして、神威玄壱の孫たる立場は伊達じゃない。
なら、家に帰らず、大人しく入院してもいいだろう、と瑛は頬を膨らませるかもしれない。だが、紅壱としては早々に、ここを立ち去りたかったのだ。
「いいの?」と杉作に聞かれ、紅壱は言葉に詰まってしまう。お仕置きを思い出すと、全身がガタガタと震えてきてしまうが、いつまでもゆっくり休んでいる訳にはいかない。部下にしたゴブリン達の事も考えねばならない。
(何より、ここにいたら、この女医さんに解剖されかねん)
生きた人間には興味がなさそうな態を、女医はしているが、先ほどから妙に艶めかしい視線を自分に向けている。美人女医とxxxする、それは男子高校生にとっちゃ、憧れの一つだろうが、この女医相手では勃つモノも勃たず、立つのは危険フラグのみだ。
(腹ん中を見られる前に、さっさと退散すんぜ)
「しょうがないわね」
麻酔で紅壱を動けなくする事も出来た杉作だが、じっくりねっとり、彼の中身を診察していこう、と決めたらしく、すんなりと退院の手続きを始めてくれた。
とは言え、女医としての本分は忘れていないようで、紅壱が一礼してから部屋を出る間際に、真剣な表情で忠告した。
「あまり無茶な戦いを続けて、この前や今日みたいな大怪我をしたら戻ってこれなくなるわよ、君」
一瞬、魔王を宿している事を勘付かれたのか、と紅壱は焦燥るも、どうやら、杉作は蘇生措置の効果がなくなる、そんな意味合いで忠告してきたらしい。
「以後、気を付けます」
「君が大怪我で運ばれてくれば、私としては大歓迎よ。
君の存在は、実に興味深いもの。
だけど、アキラちゃんが瞼を腫らしてるのを見ると、やっぱり、心が痛むのよ」
どうやら、瑛は幼いころから、この女医の世話になり、彼女は瑛の姉に近い心情であるらしい。
「君になら、アキラちゃんをあげてもいいけど、泣かせちゃ嫌よ。鳴かせるのはアリだけどね」
下品なハンドサインをかましてきた杉作に、紅壱は眉を顰めるも、却って好感が持てた。
「じゃ、また、何かやらかしたら、お願いします」
一時間前まで重傷者だったとは思えぬ、軽すぎる足取りで保健室を後にした紅壱は音桐荘へ急ぐ。
「ただいまっす!!」
腹から出した声で帰宅の挨拶をして、自室へ急ごうとした紅壱を、足音が聞こえたのだろう、談話室の掃除をしていた洲湾が、そこから顔を出して呼び止めた。
「辰姫くん」
「あ、ただいまっす」
部屋で、さっさと寝たいが、洲湾に手招きされては逆らう訳にもいかない。
「はい、お帰りなさい。荷物、受け取っておいたよ」
「荷物?」
「お婆さんからだったよ」
「バァさんっすか」
コクリと頷いた洲湾は、人差し指の先を天井に向ける。
「荷物は上に持って行かせたから、部屋の前に置いてあるんじゃないかな」
恐らく、この音桐荘を棲み処にしている、屋敷幽霊と表して良い怪異に、菓子を報酬として渡し、荷物を運ばせたのだろう。そう予想した紅壱は「怪異使いが荒いな」と、屋敷幽霊にちょっぴり同情した。
紅壱は知らないし、教えられてもいないのだが、洲湾麗子は祖母・辰姫朱音の教えを受けている。だから、妖術で自身の分身を生み出すなり、紙人形を使うなり、道具を人の姿に変えるなり、いくらでも手はあるのだ、実際は。
しかし、ものぐさな彼女は、それらの手段を取る事も厭い、アパート内をうろちょろしている、人間のイメージに憑りつけず、下位魔属・霊属の姿も取れないエネルギー体を顎で使っている。
現に、談話室の床に掃除機をかけているのは、数匹が集められた事で辛うじて、人の形を保ち、物に触れられるようになった「何か」だ。素体にされているエネルギー体は、名も持たず、器も得られず、どの種族にも分類されぬ、怪異の残滓が、現世に漂う人の念でより濁った、微弱な存在。
掃除機を巧みに扱っているそれが、一瞥しただけで種族が分かる、確固とした実体を得られていないのは、反逆された際にお仕置きするのも、洲湾は面倒に思い、命令する際にわざとイメージをぼんやりとさせたからだろう。
人間界で行動するための器を、人間のイメージに憑依できず、手に入れ損なったエネルギー体は、より強固な人間の肉体を奪おうとするはずだが、それも叶っていないのは、洲湾に勝てないからだろう。
のほほんとし、人畜無害に見えても、辰姫朱音が三人しか取らなかった弟子の一人だけはある。
朱音は洲湾が、紅壱をダシにし、姉と妹弟子二人に差をつけ、自分の後釜に収まろうとする下心に当然、気付いている。ここぞと言うチャンスを逃すようでは、自分の教え子失格と考えてもいるので、その点に関しては洲湾を窘めるつもりもなかった。もっとも、後を継がせるかは別問題で、そもそも、今、彼女が白羽の矢を立てているのは、孫が手紙で「イイ女」と単純な言葉ゆえに真剣だと伝わった、孫の惚れている少女、そう、獅子ヶ谷瑛であった。
洲湾にコキ使われている「名も無き何か」に同情しつつ、彼は感謝の言葉を頭を下げながら述べ、自室へ足早に向かう。
紅壱を笑顔で見送ると、洲湾は二人用のソファに寝転ぶ。すると、彼女の意を汲んだのか、従者が台所から菓子と飲み物を持ってきた。
その従者は、拭き掃除を始めた「何か」と違い、うすらぼんやりとした人の形状ではなく、このアパート内だけではあるが、自由に動き回る事が可能なボディを得ていた。もっとも、それは座敷童子やリャナンシーのようなものではない。
強引にくっつけられ、自我と意志を作りだされたエネルギー集合体が憑依させられていたのは、洲湾が蚤の市で手に入れた、熊のぬいぐるみ。
プロの呪具制作師の作品ではなく、玩具屋がワゴンセールで販売していた大量生産品。
安くもないが、高くもない。喋るギミックもついていなかったが、持ち主の娘にとっては宝物だった。
けれども、その女子小学生はちょっとした病気を拗らせて亡くなっていた。つまり、この熊の人形は遺品であるのだが、不幸な事に、ある空き巣に盗まれたのだ、娘へのプレゼントとして。
父から盗品を誕生日にプレゼントされたとは露も知らず、その少女も熊のぬいぐるみを可愛がった。四六時中、寝る時も一緒だった。
だが、その父娘はある日、交通事故で一緒に命を落とした。
公にはされなかったが、父親は殺される三日前に、とある家から指輪を盗んでいた。もし、この父親が綿密な情報収集を欠かさないタイプの空き巣であれば、その家に住む女子大学生が、とある暴力団の幹部の姪と分かり、仕事はしなかっただろう。仮に、この指輪ではなく、他の金品を盗んでいたなら、娘と一緒に轢かれる事もなかったに違いない。
実は、姪に贈った指輪に、その幹部はある取引の情報を保存したチップを隠していたのだ。質屋に売られた指輪は、すぐに取り戻したが、盗まれたと上にバレたら、自分も殺される、と恐れた幹部は空き巣の口を塞ぐよう、部下に命じた。その部下も自分の手は汚したくなかったので、ドラッグ漬けにしていた高校生に餌をチラつかせ、車のハンドルを握らせた。要するに、そんな胸糞悪い話に、何の罪もない娘は巻き込まれたのだ。
暴走車が迫ってきた中、娘を抱きかかえて庇って背中から車のフロントガラスに直撃した父親と、何が起こったのかも分からぬままに頭を地面に強打して即死した娘、二つの体に挟まれた熊のぬいぐるみは衝撃で、そのまま、あらぬ方向に飛んでいった。そうして、この露店を出している、半ホームレスの老婆に拾われ、500円で売り物としてブルーシートの上に、他の広い物と一緒に並べられていた。
自我を持つには、作られてから時が短すぎたが、音桐荘に溜まっている澱を詰め込む入れ物を見繕っていた洲湾の眼鏡には適った。負の念を帯びている器物の方が、古い家屋に蓄積している淀みを、動力として籠めて動かすには都合が良かったのだ。
無機物を術で動かす事に長ける洲湾であれば、この熊のぬいぐるみに、実行犯と命令者へ復讐を果たすだけの意志を与え、能力も埋め込む事ができた。
しかし、彼女はしなかった。小間使いにするために、音桐荘の空気を濁らせているモノを集め、それを押し込める物を探していたのに、復讐、その目的を果たさせたら、エネルギー体は消え、熊のぬいぐるみに染みついている死の気配も消えてしまう。それは、実にもったいない、と彼女は惜しみ、チャンスから遠ざけた。
もっとも、娘に関しては憐みは覚えたようで、事故現場に出向き、比較的に優しい手段で成仏させてやった。それだけでなく、洲湾は娘が、なるべく、早めに、かつ、前世より恵まれた環境の家族の一員として生まれ変われるように手配はしてやったらしい。
基本的に人は良いのだが、やはり、洲湾麗子は『組織』の上層部からも危険視されている、魔女の教え子だけあった。ちなみに、痛い目に遭わされた『組織』の上層部が紅壱の祖母につけたコードネームは、『平々凡々な完全無欠』、洲湾麗子のコードネームは『白鳥ノ湖』だった。
地上最強の生物と人間最恐の魔女、そんなライトノベルなら珍しくもない設定を持った孫が自分とは知る由もなく、紅壱はクタクタの体を根性で動かし、自室を目指していた。
「お、これか」
洲湾が指示した訳ではないだろうが、どうやら、彼女の使い魔は荷物をちゃんと扉の前に置いてくれたようだ。これは、普段、紅壱が彼らに労わりの言葉をかけ、好印象を持たれているからだろう。情けは人の為ならず、怪異にも心があり、人を見る目があると言う事だろう。
「バァさん、何を送ってくれたんだ?」
段ボール箱は随分と大きく、見るからに重そうだ。いきなり持ち上げようとして、腰を痛めてしまったらマズイな、と紅壱はまず、中身を確認する事にした。
箱を閉じている配送ラベルをテープごと強引に剥がし、「拝見しますよぉ」と彼は蓋を開ける。
祖母が送ってきてくれたモノ、それは大量の野菜であった。
「ジャガイモに、サツマイモ、キャベツと大根、玉葱、人参まであるぞ。
おいおい、種芋と野菜の種まで入ってるよ」
しかし、手紙の類などは入っていないようだった。
察しの良い紅壱でも、さすがにこれは祖母の意図を理解できず、困惑に眉間へ皺を寄せてしまう。しっかりしているようで、どこか抜けている祖母の事だから、入れ忘れたのだろうな、紅壱は「ふぅ」と肩を竦めた。
「ま、野菜はあっても困るもんじゃねぇし、助かるな」
基本的に買い物はオマケをしてもらいやすい商店街で済ませつつ、近所のスーパーマーケットの安売り情報も見逃さないようにしている紅壱。野菜の高騰は、このアパートで料理番を任され、同時に飲食店でアルバイトをしている彼にとっても、悩みの種だった。ここ最近は、特にモヤシの値上がりが地味にショックであった。
「あとで、バァさんにお礼の電話、一本入れるか」
ついでに問い質したい事もあるしな、と箱を抱え上げた紅壱は自室のドアを開ける、足で。瑛に見られたら、お説教もんだな、と紅壱は苦笑する。
この音桐荘に入居した当初は、ドアに施錠していたのだが、どうせ、輝愛子は洲湾に合鍵で開けさせるのだから、と開き直って、鍵をかけないようにしていた紅壱。
「とりあえず、一時間くれぇは寝るか」
紅壱は荷物を床に置いたら、すぐさま、ベッドにダイブするつもりだった。
(できりゃ、明日、手伝いに行きてぇしな)
しかし、伏せていた顔を上げたと同時に、紅壱は絶句を強いられていた。
また、義姉が部屋の中で自分を慰めていた、その程度なら、もう、紅壱は驚かない。けれど、そんな慣れちゃいけない事に慣れてしまった紅壱でも、この展開と光景には言葉が出なくなってしまう。
「・・・・・・うん」
妙に凛々しい顔になったかと思いきや、紅壱は大きなモーションで頷くと、扉を閉めた。
どんな障害が目の前に出現しようと、臆さずにトップスピードで突っ込んでいき、華麗なアクションで回避できる彼にだって、反射的に現実逃避してしまう瞬間くらいはあるのだ。
廊下に出た彼は、まず、箱を置く。
頭が真っ白にしてしまったが、足の甲に野菜がたっぷりと入った箱を落とさなかった自分を褒めてやりたい気分だ。いくら、紅壱だって、足の甲に総重量30kgの箱が落下すれば痛い。当たり所が良くなければ、亀裂も入ってしまっていただろう。
だが、それ以上に、まだ驚きの方が勝ってしまっている。
ここ一か月で、自分は驚いてばかりだ。リザードマンとの遭遇に、瑛ら生徒会の正体、式神との契約儀式、カガリとの一対一、と心臓に悪い事ばかりだ。しかし、今、自分が体験したモノは、それらを容易く凌駕してしまった。
これだけ、超常現象を体験し、何より、己自身が常識と非常識から外れている立場にも関わらず、まだ、口から「ありえねぇ」が零れてしまう。そんな自分がアホらしくなった事で、緊張が自然に緩んだのだろう、紅壱は目を背けた現実と向き合う事にする。
再び、彼はドアを開ける。今度は、膝の裏で器用に挟むのではなく、ちゃんと手でノブを捻って。
けれど、やはり、それは一回、扉を閉めた程度では覆ったりはしない、紛うことなき現実だったようで、紅壱の目は丸くなってしまう。
またも、ドアを閉めてしまった彼は腰に手を当てると、「う~~~」と唸る。そうして、動揺を鎮めたいのか、背中をキツく仰け反り、不気味な形の足跡が浮かび上がっている天井に向かって、勢いよく息を吐き出す。
(どうも、ライトノベル的なイベントが起きたようだな、俺の身に)
「ありえない」なんてありえない、この世に偶然などなく、全ては必然の上。自分の五感だけでなく、第六感と第七感までもが、これを現実と認めてしまった以上、どんな反論をブチ上げても時間の無駄だ。
現実を素直に受け入れ、体を動かした方が建設的だな、いつも通り、冷静かつ冷淡に割り切り、自分がすべき事を冷静に考えた紅壱は、とりあえず、ドアを潜ってしまう事にする。いつまでも、廊下にいたって詮無きこと、時をいたずらに浪費しても仕方ない。
決断を下した紅壱は、踵を返すと玄関へ戻る。
五分で準備を済ませ、自室の前に戻ってきた彼の手には、ついさっきまで履いていた靴が持たれていた。
そして、紅壱は鞄を背負い、箱を持ち上げると、勢いよくドアを押し開ける。
三度目にかも関わらず、衝突の威力が落ちぬ現実に気合を根元から揺らがされないよう、奥歯をギシっと噛み締める紅壱。けれども、扉はもう閉めず、靴を履いて最初の一歩を踏み出す。
輝愛子が愛弟の為に用意した高級家具は、そこに存在せず、紅壱の眼鏡越しの両目に映るは緑が茂る森。深呼吸をすれば、草の香りが胸に満たされる。
(靴の底に感じる草の感触も、本物だ)
祖父の友人に、幻術をかけられた経験が、何回かある紅壱。レベルの高い幻術なら視覚だけでなく、嗅覚や触覚すら騙す、それも経験済みだったので、紅壱は目の前の光景は幻でない、ここは部屋の中ではない、本物の森である、と確信していた。その根拠の一つには、自身の中で眠る、魔王・アバドンの起こす揺らぎがあった。
少し躊躇った後、彼は自らの推測を自認するために、あえて、その結論を口にハッキリと出した。
「俺の部屋の扉と、この森が繋がっちまったか・・・・」
繋げられたか、と言葉を続けた紅壱は一度、ドアを閉めると、数mばかり進んでみた。そうして、足を止め、扉をイメージしてから瞼を下ろし、前を見ると、そこには自室のドアが出現していた。疑うことなく、扉を開ければ、眼前にあったのは音桐荘、自室の前の廊下だった。その証拠に、自分が置いておいたキーホルダーがある。
「扉は俺の意志一つで出現自在で、いつでも、どこでも、音桐荘に戻れるのか」
助かるな、ホッと胸を撫で下ろした紅壱に、彼の体、いや、精神内にいる大蛇が驚きを声に滲ませ、彼に警戒を促してくる。
『助かるな、じゃないわよ。
人間界に戻れるなら、ここをさっさと出るべきよ!!』
大蛇の言う事は尤もなのだが、紅壱は眉を八の字にしてしまう。
「けどよぉ、人間界に戻れても、部屋に入れないのは困る」
紅壱はドアの開閉、行き来を幾度か試すのだが、扉の外にあるのは廊下のみ。一度だけ、出る先のイメージをお手洗いにしてみて、ドアを開けてみたところ、個室の便器がそこにあった。誰かが入っているタイミングじゃなくて良かった、そうホッとし、彼は扉を閉める。ジッと見ている内は消えなかったが、ふと一瞬、意識が逸れると、あっという間に無くなっている。
「どうにも、俺の部屋にだけは戻れんらしい」
『この森で、目的を達しないと、部屋には繋げてもらえないんすかね?』
「だろうなぁ」と、流暢に喋れるようになった鷹の推測に呑気に同意する主に、大蛇は溜息を漏らしてしまう。ちなみに、彼女の吐く息には、催涙ガスと同じ毒性があるらしい。
「何をすりゃいいか、は分からんが、こんな真似をした、できる奴は思い当たる」
間違いなく、自分とカガリが激闘を繰り広げていた時に、ぶつかる魔力が外に漏れ出ないように結界を張っていた者。自分の部下になる事を宣誓した下位魔属らを人間界から何処かへ転送してくれた者。そして、天戯堂学園に展開されている強固な外層結界を通過し、中庭まで侵入を果たし、自分と一緒に、『岫にて慟哭す鬼子母神』の一部が封印されている、あの祠を発見した少女だろう。
(あの娘が魔王だったのかね。少なくとも、魔王の右腕ではあるだろうな)
しかし、何故、あの少女が自室の扉を、どこかの森と繋がる不思議なドアにしてしまったのか、その理由も不明だ。会う事が叶うなら尋ねてみたいが、煙に巻かされる予感しかしない。
「そもそも、この森、どこだ?」
天戯堂学園の中庭でない事は、儀式の折に散々、走り回ったので、一見すれば明らかだ。日本ならまだしも、外国だとさすがに困る。英語は片言程度しか話せないし、他の国の言語などサッパリだ。現地民に出会ってしまったら、自分が何者か、何故、ここにいるか、を言葉で説明できない。
(まぁ、人の気配は感知できるから、すぐに扉で音桐荘に戻っちまえばいいんだけどな)
無事に危機を脱せる手段があるためか、紅壱は気持ちに余裕があるようだった。
そんな彼の不安なき心の波長は、契約している霊属にも伝わるのだろう、大蛇もいくらか、平静を取り戻せたようだ。
『本当に、私たちはとんでもない人間と契約しちゃったのね』
「これからもよろしく頼むぜ」
四匹は、「もちろん」と言葉、波動で紅壱に同調する。返事をしなかったのが誰か、それは言わずもがなであろう。
その一匹、虎は紅壱の脱力と、その上での周囲に対する最大警戒に感心していたが、褒めるのも癪なので押し黙っていた。その代わりに、彼は全身の気を逆立て、紅壱より優位に立てる情報を一つでも得ようとしていた。そうして、彼は一帯の呪素の濃さに気付き、この場所がどこなのか、を察した。だが、その事実は彼にとっても受け入れがたいモノであったようで、紅壱に偉そうな態度を取る事すら出来なくなってしまったようだ。
紅壱の心の機微がパートナー達に伝心わるのなら逆も然り、虎の動揺を感じ、紅壱は頭の芯に鈍い痛みを覚えてしまう。
「どうした、虎」
虎は紅壱の問いかけに応えず、他の霊属に呪素の感知を促した。すぐに、他の本体もここが何処か理解したようだった。動揺していないのは、長く生きて、タフな蜘蛛と鰐の弐体だけのようで、蛇と鷹は動転してしまっている。その感情の乱れは、紅壱の頭痛をより酷くし、つい、彼が呻いてしまった事で、やっと我に返ったようだった。
『ご、ごめんなさい』
『す、すまんっす』
「いや、大丈夫だ。
とりあえず、お前ら、外に出ろ」
精神内で、これ以上、騒がれると痛みに耐えきれない、そう判断し、誰かに見られるリスクも承知で、紅壱は五匹を召喚する。その際、彼は妙に負担が軽い事に違和感を覚えた。
倒した下位魔属の後片付けをした時に、彼らを召喚した時は、「ズドンッ」と何かが圧し掛かってくるような負荷を全身に覚えたのだが、今、体にあったのは「ズンッ」だった。
どうしてなんだろう、と疑問に覚えつつ、鼻の奥に広がったツンとした痛みから滲んで来た涙を袖で拭い、彼は周囲を見回した。自分にもノーヒントで、ここが何処か、当てられないか、と目論んだのだが、視界に広がっているのは草木ばかり。それらも、故郷で山野を駆けまわり、ある程度は種類が分かる紅壱ですら知らないものばかりだ。
己が驕っていた事を反省しつつ、匂いはどうだろうか、と紅壱は鼻をひくつかせ、空気を胸一杯に吸い込んだ。けれど、鼻腔に感じるのは、心がより鎮静つく森の薫りのみ。ヒントになりそうなモノを、紅壱の形が良い鼻はキャッチできなかった。
(あえて言うなら、ここの空気っつーか、雰囲気は落ちつくって事か)
中庭も、どこか懐かしさを覚える気配があったのだけど、この森はその比ではない。故郷に帰ってきた、そんな感覚すら覚えるほどだ。
「!!」
そこで、やっと、紅壱の頭の上で白熱電球が発光った。
「ここ、もしかして」
「そうだ、“狭間”の向こう側だ」
どこか興奮した様子で、虎は紅壱の予想を肯定した。
「本当はあったんだな、ゲームやライトノベルみてぇな異界が」
どうやら、思っていた通り、瑛らは『組織』に誤情報を与えられていたらしい。理由こそ分からないが、真剣かつ無垢な瑛を騙している『組織』に、彼は怒りが生じる。ただ、ここで怒気を放出ても仕方のない話なので、紅壱は己を宥めると、今一度、周りを見渡し、人間界とさほど差がない事に感慨を覚える。
「大昔前に、お前らは、ここから人間界に来てたんだな」
「いいえ、私達は呪素の状態で、あっちへ侵入して、動物の死骸に憑依したから、初めてなのよ、こっち側に来るのは」
呪素?と紅壱が首を横に倒すと、鷹がすかさず、君らの言うトコのエネルギー体っす、と説明を入れる。
「『呪素』は、私達にとっては空気そのものなのよ。
人間界の大気にも呪素は含まれているけれど、私達が本調子で活動できるほどは濃くないの。
私達が人間界に行った時、まず、生きた人間の体を奪おうとするのは、呪素不足による消滅を避けるためなの。生きた人間の体は、ここほどじゃないけど、十分な呪素を溜め込んでいて、なおかつ、体内で様々な感情から呪素も作れるから、楽なのよ。
まぁ、大抵、そう巧い具合に人間の体を乗っ取れる訳じゃないから、その人間の持っているイメージを仮の肉体にするの」
「なるほど。だから、俺も妙に心地よさを感じてるのか」
厳密に言えば、紅壱のアバドンが、だろう。寝ていても、人間界より呪素の含有率が高い、ここの空気は、回復を要する休息中の体に癒しとなるようだ。
「だから、正直、こっちの事は全然、わからないっすよ、オイラたち。
何せ、こっちにいた時は、自我も意志もなく、フワフワ漂ってるようなもんすから」
鷹の申し訳なさそうな言葉に、紅壱は「いいさ」と朗らかな笑みを溢す。
(さっき、こいつらを召喚した時に、体力、いや、精神力が削られるような感覚が薄かったのは、呪素が濃いからか?)
人間界より呪素が濃いのなら、魔術も使いやすいのかもしれない。
あくまで推測の域は出ないので、検証したいところではあるが、そこまでの時間の余裕はないな、自分の中の「知的好奇心」を落ち着かせ、紅壱は取るべき行動を思案する。
ライトノベル的な思考をするのであれば、この森でクエストをクリアすれば、自分の部屋に戻れるのだろう。寝るだけなら、リビングでも構わないが、ずっと、自室が森に繋がったままでは少し困る。さすがに、誰が扉を開けても、ここに繋がってしまう事はないにしても、だ。
(教科書やら、制服の替えは部屋にあるからな)
何より、箪笥に隠している男子高校生の必需品は大切だ。
「まぁ、ここでジッとしていても、しゃあない。移動するか」
紅壱の提案に、四匹も同意する。虎は相変わらずの無視であったが、拒否もしなかった。
鰐の好意に甘え、紅壱は抱えていた箱を鰐の背へ乗せると、腕時計に目を落とす。
輝愛子からプレゼントされた物の一つである、腕時計は問題なく動いている。続けて、携帯電話の電源を入れてみるが、こちらもちゃんと起動し、画面にも乱れは生じていない。さすがに、電波は入っておらず、圏外の二文字が表記されてしまっている。
(通話やメールは無理なのは当然としても、機械の基本的な働きは、呪素の影響を受けないみてぇだな)
ここに来た、来られた記念とばかりに、紅壱は自画撮りをする。写真もトラブルなく撮影できたようで、画面にはサムズアップし、イイ笑顔を見せている自分の顔があり、紅壱はニッと口の両端を上げる。ただ、背景は普通の森なので、異界がある証拠としては弱いな、と彼は肩を落とす。
貴を持ちなおし、紅壱がゴソゴソと漁った鞄の中から取り出したのは、コンパス。何故だが、二つの盤が縦に並んでいたが。
「こっちが北か・・・」
上の盤、赤く塗られた針の先端は北を向き、磁場の乱れにより狂っていない事を示す。
何故、コンパスが不調を来たしていないか、それが紅壱に分かるのは、このコンパスの針だけではなく、腕時計の針で行う方角確認でも北がどちらか、分かっていたからだ。もちろん、異界の太陽(のように見える巨大な光源)が、人間界のそれと同じ軌道で動くかが分からない、そんな前提もあるが、そこまで気にしていたら行動できないので、同じと紅壱は仮定していた。
紅壱が視線を落として見た、下の盤に仕込まれている針の赤い先端は、東を指していた。
二度三度と頭を掻いてから、とりあえず、紅壱は東に向かってみる事にした。
横を行く大蛇は、紅壱が鞄へ戻さず、針の動きを注視しているそれを長い身をぐっと伸ばし、覗き込んで来た。
「坊や、それ、風水羅盤みたいなものかしら?」
「まぁ、あれを簡略化したような、バァさんオリジナルの道具だってよ」
祖母の朱音が、トラブルに巻き込まれやすい、かつ、自分から跳び込んでいく孫に使い方を教えておいたのが、この道具だ。
これは、中国系の術を修めた道士が占いに使う風水羅盤ほど、詳細な未来を使い手に教えてくれない。この道具の針が示すのは、使い手にとって、ある程度、安全が保障される方角。なので、赤く塗られている針の先端とは逆、黒く塗られている針先の方向に進むと、安全は保障されない。
シンプルに作られている分、死か生還か、その二択では相当な確率で当たる。
ただ、針の先端が向いている方角に進んだから、絶対に安全だ、そう油断していると痛い目に遭う。あくまで、この道具で回避ができるのは、死である。なので、向かった先には死ぬほどではないにしろ、それなりのトラブルが待っている事もある。なので、大金を拾える、良縁に恵まれる、そんな幸運は拾えない。
むしろ、一発逆転の幸運を欲するのであれば、針先が黒い方向に進む方が良い。
確かに、そちらは死ぬ確率が一番に高い。けれど、裏を返せば、その運命を覆せば、反動で好運が傾く。危険度に見合った力が、困難を乗り越えた事で手に入れられるのだ。
目に見えるラッキーは稀にしろ、強くなりたい紅壱にとってはその結果も些細な事で、確固な実力を得るべく、わざと黒を選ぶことも頻繁だ。彼の、控えめに言ってもバケモノじみた実力は、この道具で事前に知っていたピンチを幾度も乗り越えてきたからに他ならない。
とは言え、今回は、さすがの紅壱も自制した。何せ、右も左も分からぬ異世界なのだ、ここは。自分は強い、その自負は持ち合わせていても、自分より強い魔属・霊属がいても不思議ではない以上、勝ち目のない戦いはなるべく避けたかった。
(あのカガリって鬼以上に強い奴が出て来たら、俺じゃ勝てない)
死闘を制した事で実力は高まったし、魔王の力を解放すれば、敵はないだろう。しかし、また、彼女に無理をさせたくなかった紅壱。自他共に認める喧嘩中毒者だが、優先事項は誤らない。強い、それは危険に対して嗅覚が効く事、そんな考えも持ち合わせていた彼は今回、なるべく、危険度が低い方角を目指す、と決断を下していた。当然、地形を把握し、ある程度、周囲に棲息するであろう魔属、霊属の強さが調査で判明したら、片っ端から挑む気でいたが。
(危険度が低いと言ったって、何かしらは起こるからな・・・気は抜けん)
以前、音桐荘の中で確かめた際、赤い針が指した方へ歩いた紅壱は普段、気を付けているはずの柱の角に小指をぶつけて、悶絶させられた。球磨にも試してもらったところ、彼女は洲湾に水をぶっかけられていた。
危険の確率は、屋内だろうと屋外だろうと変わらない。それでも、森の中であると、どんなトラブルが降りかかってくるか、想像しづらい。紅壱は子供時代に森と山を遊び場にしていたが、ここは人間界の森ではないので、その経験則もどこまで活かせるか、微妙だ。
紅壱の緊迫に引っ張られているのか、パートナーらも周囲への警戒を怠っていない。
十五分が経過した事を、携帯電話のアラームが知らせてくれる。
紅壱は小休止を取る事とし、少し拓けた場所に入り、切り株へ腰かけた。
森の中は暑くもなく寒くもなく、ゆったりとしたペースで2kmばかり歩いたが、紅壱はさほど汗も垂らしていなかった。ただ、景色が変わらないので、気は滅入りそうになってくる。何らかの魔属、霊属が攻撃を仕掛けてきてくれれば、緊張の緩みも防げるのだが、そのトラブルも怒らない。
面倒事ってのは「来い、来い」って手招きしてる時ほど来ないな、とボヤきつつ、紅壱は持参していたペットボトルを煽り、少し温い麦茶で喉を潤した。疲れてはいなかったが、水分はしっかりと体に浸透し、探索へのやる気が削げるのを防いでくれた。
五分経過のアラームが鳴り、小休憩を終えた紅壱らは再び歩き出す。
彼が望んでいた、現状を変えてくれる出来事は二回目の小休憩に入ろうとした時に起こった。
「おい、玄壱の孫」
「紅壱だっての。いつになったら、お前は俺の名をちゃんと呼ぶんだよ。
立場は対等って言ったって、一応、形としては俺の方が上なんだからよ、様付けしろとは言わんが、せめて、名前くらいはよぉ」
罠もない、襲撃もない、平穏な森の中を歩くのに飽きてきたからか、紅壱は少しイライラしていた。だが、そんなボヤきにも耳を貸さない大虎が発した、次の言葉ですぐに目が輝く。
「魔属の匂いがしたぞ」
「ホントか!!」
勢いよく立ち上がった紅壱は鼻先を小刻みに動かしたが、彼の鼻は異変を感じ取れない。
「って、魔属の体臭って、どんなんだよ」
「体臭って言うか、魂の気配っすかね。
これは、さすがに、オイラたち、人外でなきゃわからないっすよ」
また一つ、生きた知識を手に入れた紅壱は楽しそうに笑い、針の動きを確かめる。やはり、先端は大虎が見ている方向を示したままだ。
このまま進むのが良い、と確信できた紅壱は早速、厄介事が待ってくれている場所を目指し、ペースを上げて進む。
「おっ」
一回目に休んだスペースより開けた空き地にいたのは、見知った顔であった。
あちらは、近づいてくる紅壱らの気配に気付いていたらしく、自分達に情けをかけてくれた男の顔を見た途端、怯えは消え去り、安堵と喜びに代わった。
その広場に集まっていたのは、紅壱に忠誠を誓い、部下になった直後、何者かの強烈な魔力により、何処かへ転送されてしまった下位魔属たちだった。
「良かった、お前ら、生きてたか」
ゴブリンやオークである事は、百mほど近づいた時点で空気中に漂っている魔力から予想はしていた紅壱だが、彼らと再会できるとは思ってもいなかったので、自然と破顔してしまう。紅壱の笑みを見て、ゴブリンらも泣きそうになっている。
それはそうだろう、紅壱は比較対象もないので自覚してないが、とてつもない魔力を垂れ流しにして歩いているのだ。しかも、その側には彼と契約している、蜘蛛、鰐、鷹、蛇、虎までいるのだ。その存在感は大きすぎる。
野生動物と同じく、魔属、霊属も下位にいる種族の方が強敵の危険に敏い。あまりにも桁違いの魔力の持ち主が自分らに向かって、一直線に向かってくるものだから、ゴブリンらは腰も抜け、逃げる事すら出来なかったのだろう。その状態で、主と決めた紅壱が目の前に姿を見せたのだ、気が緩んだ彼らを誰も責められない。
「よもや、こんなにも早々に再会が叶うとは思っていませんでしたゴブ」
(言葉が、蛇さんに通訳してもらってないのに、理解が出来る)
扉を出現させてくれた何者かが、気を利かせてくれたのか、それとも、外見に変化が出ていないだけで魔王との融合が少し進んでいるからか。大蛇らが、魔力の扱いに長けているメイジを食べた事も関係しているんだろうか。
あえて、紅壱はその要因を考察しない事にし、跪く各々のリーダーらや、彼らに倣っている者に畏まらなくていい、と声をかける紅壱。しかし、無理もない。紅壱当人は「楽にしろ」と言ってくれても、蛇は適した態度と姿勢でいろ、とプレッシャーをかけてくるし、虎は舌なめずりをしているのだから。
困ったように頬を揉みつつ、彼は切り株へ腰を下ろし、視線をサッと走らせる。
「誰も欠けちゃいねぇな」
「はいブヒ」
「・・・・・・今、ここに召還されたのか?」
そうボル、とコボルドのリーダーが首を縦に振った。
どうやら、彼らを人間界から異界に転移させ、同時に、紅壱の部屋の扉をここに繋げてくれた魔王級の何者かは、紅壱が近くに来るタイミングに召還をわざわざ合わせてくれたようだ。まだ見ぬ魔王に心中で感謝しつつ、紅壱はスケルトンのリーダーに問うた。
「この森に、お前らの棲み処はあるのか?」
「多分、そうホネ」と、そのスケルトンは自信なさげに応える。スケルトン曰く、自分たちは基本的に洞窟や地下道で生活するので、森の地形は詳しくないらしい。
なので、紅壱は確認の対象を他の魔属らに移す。だが、彼らも頷きはするが、その動きには戸惑いが見える。
「今しがた、こちらへ戻ってきたばかりなので、断言はできないゴブが、あの赤い実は私たちの集落の近くにもあったゴブ。ですから、私たちの集落も、そうは遠くないはずゴブ」
「オーク、お前らの集落はどうだ?」
「オラたちの集落は、ゴブリンたちの近くにあるから、そうだと思うブヒ」
次に、視線を向けられたコボルドは辛そうな表情で俯く。残りのコボルドも、シュンとしてしまっている。
その動作で、何かあるな、と察した紅壱は言わなくても構わないぞ、そう気を使ったが、コボルドは首を横に振り、己らの現在について語る。と言っても、それは一言で済んでしまう。
「僕達の集落は、他の魔属が素直に兵を出すよう、見せしめで今回の作戦を任されていた女吸血鬼に燃やされてしまったボル」
「すまん、辛い事を思い出させた」
紅壱が切り株から立ち上がり、自身らに頭を下げたからだろう、コボルドらは大慌てする。コボルドらに同情していたゴブリンたちも、これには仰天したようだ。
魔属、霊属にとって、強さとは絶対であり、力を持つ個体は弱い種族に高圧的な態度を取る。ゴブリン達にとって、それは普通の事であり、仕方がない、と諦めきっていた。なので、自分らどころか、サハギンやデビルすら瞬殺できる実力の紅壱が、上位魔属に酷い目に遭わされたコボルドの身上に憐憫の念を抱き、その傷を開いてしまった事に詫びる、紅壱にとっては当然の謝罪だったが、その行為に驚きを禁じ得なかったようだ。
やはり、この人間はこれまで自分達を駒扱いし、酷使してきた上位魔属とは違う、と確信した下位魔属らは改めて、紅壱に忠誠を誓い、同時に彼の部下になれた事に無上の歓喜を覚えるのだった。
「お願いしますから、頭を上げてくださいボル、人間様」
コボルドのリーダーの三回目の懇願で、やっと、紅壱は面を上げる。
「おいおい、人間様って、他人行儀だな、お前ら。
俺の名は、辰姫紅壱だ。まぁ、好きなように呼んでくれ。
たっさん、こーちゃん、いっくんでもいいぞ」
さすがに、この冗談には苦笑いすら起きず、皆は一同に烈しく、首を横に振る。
「まぁ、俺の呼び方は各自で勝手にしてもいいし、話し合いで統一してくれてもいい。
じゃあ、次はお前らの名を聞かせてくれ。まず、ゴブリンのリーダーからな」
すると、ゴブリンのリーダーだけでなく、オーク、コボルド、スケルトンらも気まずそうに口ごもる。
「ん?」と首を傾げた紅壱に、蛇が事情を教える。
「魔属、霊属は生まれた子に名を与えないの。
そういう、人間的な基本はないのよ、私たちに」
「なら、お前らもないのか」
「あるにはあるわ・・・大暴れしてた頃に、人間から呼ばれていたのが。
けど、坊やのパートナーになったんだから、今更、それで呼ばれるのも嫌だから、教えないわ」
「じゃあ、あの凄ぇ強かった鬼、カガリってのは自分で自分に名を付けたのか?」
「それなりに強い個体はそうね。
それか、召喚者に与えられたか。後者なら、相当な術者に召還されていたに違いないだろうけど。
ゴブリンやオークみたいな下位魔属じゃ、名前持ちなんていないわ。名を与える、奇特な上位魔属もいないでしょうし」
パートナーは勿論、部下にするってのに名無しのゴンベエばかりじゃ困るな、と考えた紅壱の思案は当然、一つの結論に達する。今、名前を俺がつけてしまえばいいのだ、と。
「なら、蜘蛛は羅綾丸、鰐は奔湍丸、蛇は翠玉丸、鷹は風巻丸、そんで、虎は・・・雷汞丸、これから、俺はお前らをそう呼ぶと今、決めた」
雰囲気からして、霊属らは名に対し、強い思い入れやこだわりも持ち合わせて無いのだろう、と判断し、紅壱はパッと思いついた単語を名に当てる。これだけでも、彼が外見に似合わず、相応量の本を読み込み、語彙を蓄積している事が覗える。
その刹那、五匹は紅壱の体外から光球となって飛び出した時と同じ色の光を、その大きな体から発す。
あまりの強さに目が眩んでしまう紅壱は、「グッ」と呻いてしまう。もし、すぐさま、キツく目を閉じていなかったら、脳に光が突き刺さり、痛みでもんどり打っていただろう、現に今、地面の上で呻いているゴブリンらのように。
第三の魔王により、異界と繋がれた紅壱の部屋の扉
相手の意図が読めないながらも、紅壱は臆することなく、異世界の森を進む
戸惑いながらも足を前に動かす彼は、自身に忠誠を誓ってくれた下位魔属の氏族と再会できた
そんな折、契約したパートナーや魔属には名前が無いと知った紅壱は軽はずみに、相棒らへ名を付けていく
次の瞬間に爆ぜた光、一体、何が起こったと言うのだろうか!?
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