第二十三話 降伏(surrender) 生徒会、学園を守りきる
魔王、『岫にて慟哭す鬼子母神」の一部を奪うべく、大量の魔属が学園に襲撃を仕掛けてきた
それぞれの持ち場では、烈しい戦いが繰り広げられる
安全だと思われていた配置に出現した修羅・カガリに一度は敗れるも、復活を果たした紅壱は限界以上の実力を発揮し、ついに、カガリを倒す!!
けれど、ピンチはまだ、依然として去っていなかった・・・
「辰姫!!」
残心を解き、一刻も早く、窮地に陥っているであろう、後輩の下へと向かおうと、背中を向けた紅蓮の炎の中から飛び出してきた「何か」が隙だらけの瑛に襲いかかろうとした。
「シねぇェェェぇえええ」
瑛の「獅咬焼渦」の火勢を読み違えたのか、カーミラは顔の右側に痛々しい火傷を負い、先程までの麗しさなど微塵も感じられない顔を更に怒りで歪める。その所為で、傷が引き攣り、カーミラが腹の底から放っていた絶叫が罅割れる。
慌てて振り向いた瑛の焦げ茶の瞳に、漆黒の爪先が迫る。瑛ですら、反応できない距離まで、死が近づいていた。
しかし、虚空に響いた一発の銃声と共に、カーミラの鋭い爪は根元からヘシ折られる。魔力により伸びている、彼女の爪は、タングステンに匹敵するほどの硬度を誇るにも関わらず、その銃弾は意に介さなかった。
続いた二発目の銃声がこだまするよりも速く、彼女は「く」の字に折れ曲がった不自然な体勢で瑛の眼前から消え失せ、何度もバウンドしながら転がっていく。
這い蹲ったままで、やや赤い胃液を地面に撒き散らしたカーミラは自分の脇腹から薄く立ち昇っている白煙を見て、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
じわじわと広がってくる痛みを強引に抑え込んで立ち上がった彼女は、刀を構えなおそうとしていない瑛ではなく、あらぬ方向を睨む。そうして、眼光を冷たく尖らせている瑛に顔を戻して、前に踏み出そうとした瞬間、カーミラの足先に穴が穿たれ、いくらか遅れて銃声が鳴り響いた。
「・・・・・・『狙撃手』を潜ませていたのね」
今、自分は目の前の瑛、目視では確認できないほど遠くから自分をスコープ越しに見ている、紅壱がまだ会っていない生徒会役員のようだ、その二人と対峙させられている、それを認識したカーミラは足に力を溜める動作をまるで見せずに前ではなく、後ろへと軽やかに跳んだ。
火傷の痛みと、自慢の顔に傷を負わせられた怒りで沸騰していた頭が、その事実で冷やされたらしい、カーミラは潔く『撤退』を選択した。
彼女は膿むように痛む顔の右側を手で覆い隠すと、真っ直ぐに伸ばした指の先を、まるで額を射抜くかのように、瑛へと向ける。
一旦こそ、呪詛を吐くべく口を開きかけたものの、何を言っても、負け犬の遠吠えにしかならない、と判っているのだろう。唇をきつく噛み締めたカーミラは「いずれ、必ず、この傷の御礼はするわ」、この言葉を飲み下した。奪還に失敗した以上、自分には「いずれ」がない、それは、カーミラが最も分かっていた。
だから、最高の嫌がらせを土産として遺していく事にするカーミラ。それくらいしなければ、化けて出てしまいそうだった。
「この勝負、私たちの負け。『岫にて慟哭す鬼子母神』のパーツを奪う、この作戦は、大失敗ね。
でも、成果はあった」
「何?」
カーミラの意味深な発言と、その言葉を発した唇の形に、瑛の不信感は強まる。何かする気だ、と言う確信はあったが、重傷を負ったからか、カーミラに隙が無く、彼女は下手に動けずにいた。
「獅子ヶ谷瑛、貴女は強い。だけど・・・貴女より、私達がこれから警戒しなきゃいけないのは、カガリを倒した・・・かもしれない、男の子」
「!?」
彼に惚れている貴女には悪いけど、と前置いたうえで、カーミラは限界ギリギリまで魔力を消費し、召喚術を発動させた。召喚陣が、この場に現れなかった事で、聡明な瑛はカーミラがどこに兵を召喚したか、察せってしまったらしい。
「貴女に匹敵する危険分子になりかねない、その男の子は、ここで確実に仕留めさせてもらうわ」
その音が聞こえるほど、一気に青ざめた彼女を見てスカッとしたのか、高慢な女吸血鬼は可笑しそうに笑い声を虚空に溶かす。
そうして、カーミラは親指で首筋を掻き切る動作を行うと、今一度、後ろに大きく跳び、地面に軋んだ音を放ちながら開いた扉の内側に落下していった。
(しまった、仲間がいたのか!?)
一瞬こそ、カーミラを追いかけようか、と迷った瑛だったが、敵のリーダーが退いてくれた以上、紅壱の安否を確かめるのが最優先事項だ、と自分に言い聞かせる。
彼の元に行こうとする瑛だが、美しきカーミラから受けた最後の命令を達すべく、全力以上を出すべく、猛りを上げるオークやスケルトン。
彼らを切り伏せ、包囲網を突破しようとするのは、現実的に厳しかったが、ここで諦める訳にはいかなかった。今や、獅子ヶ谷瑛は恋する乙女なのだから。
一度こそ右の膝を鈍い音と共に落としてしまったものの、勝者の意地、倒したカガリへの敬意から、隅々にまで及ぶ全身の傷だらけの筋肉が上げる悲鳴に耳を塞ぎ、低い呻き声を漏らしながら膝を伸ばしていき、「ハァッッ」と気合の入った声で自分に喝を入れたのと同時に背筋を真っ直ぐに伸ばした。
満身創痍の体を見えない何かに肩を借りるようにして歩いてくる紅壱と、死の間際に生まれる瑣末なエネルギーで強引に上半身を起こしたカガリは、お互い言葉を発することなく見つめあう。
紅壱が自分の手が触れられる位置で足を止めたのを待っていたように、カガリが血が溢れてくる口を開いた。
「俺の負けだ」
その潔い言葉に、紅壱は驚くでもなく、驕るでもなく、ただの『事実』として受け止めて淡々と頷く。
「―――――――――・・・アンタがそれを、奥の手をあのタイミングで使ってくるか、寸前まで蜘蛛の糸の上を歩かされているような気分だったよ」
一つしかない命を台の上に乗せねばならないような、「違法」の域を超えている賭博から解放された男のような微笑を漏らした紅壱は、カガリのピクリとも動かない、四本の腕を見つめる。
「ふむ、俺はお前の思惑通りの攻撃を繰り出してしまった訳だ」
「それでも、一度、視ていなかったら止められなかったよ」
紅壱は微笑に苦いものを混ぜ、変化したままの手を顔の横まで上げる。
「正直、虎の手も借りたくなるくらいに追い詰められてたんだ。
もう一発でもイイのを貰ってたら、三本しか止めれなかったし、腕も振り抜けなかった」
最後に繰り出した技、『螢惑・炎陽』も、「柏」、「軽子」、「玉葉」、二つの打撃系と、一つの闘氣操作の技を下地にして、この土壇場で思いついたものであった。
「アンタのおかげで、俺はもっと強くなれそうだよ、礼を言う」
この喧嘩に勝てたのは、自分の実力を構築する、運の要素がカガリのモノより、わずかに多かったからに過ぎない。勝ちは勝ちだがギリギリすぎたな、と今更ながら、背中が寒くなった紅壱。
強かったよ、アンタは、その言葉に嬉しそうに頷き返したカガリの口から血の筋が垂れる。それまで、呼吸するたびに大きく動いていた肩の揺れも次第に幅が小さくなりだし、満面の笑みを浮かべている顔も青ざめ出している。
(会長は、まだアッチか)
ゴブリンやオークによる、命懸けの包囲網を強引に突破しようと大暴れしているのを、それまで以上に敏感かつ範囲が広がっている『網』で察知した紅壱は、三歩ほどカガリから離れる。
「・・・・・・名を聞かせてくれないか?」
辰姫紅壱だ、と静かだが威圧感が滲み出ている声に「最期にオレを倒した、強い人間の名前を聞きたかったんだ」とカガリは呟き、もう上げられていない瞼をゆっくり下ろす。
「アンタの名前は?」と紅壱は聞き返さなかった。目の前の霊属は潔く自分の敗北を認め、名も無い『敗北者』で終わる事を受け入れている。そんな男の気持ちを踏み躙るほど、紅壱は鬼畜ではない。
くっつきだしている肋骨が痛むのも気にせず、すぅぅぅ、と大きく息を吸い込んだ紅壱は、辛うじて残っていた体力の全てを咆哮に注いだ。
「啜れっ! 噛み砕けっ! 丸呑めっ! 啄ばめっ! 咬み千切れっ!」
刹那、首輪を緩めた紅壱の体内から、五匹の猛獣が解放され、灯火が消える寸前のカガリへと襲い掛かる。カガリが、どうにか、己の生を気力で繋ぎ止めていられたのは、自分に勝った紅壱に対し、敗者としてのケジメを示すためだった。
五匹の獣たちは、カガリにまだ息があっても容赦しなかった。腕に牙を突き立て、脇腹に歯を突き刺し、鋭い爪で頬を引き裂き、尖った嘴で眼球を抉り出し、まだ温かな内臓を一息に飲み込む。
紅壱はカガリが死体から、肉の塊、骨、そして、何一つ残らなくなるまで、無言の態を貫いて見続けていた。山間の村に住んでいた頃から、狸や兎、鹿が野犬の群れに食い尽くされるシーンを幾度ともなく見せられていたので、鉄臭さが漂う中で柔かい肉が咀嚼されている音を近くで聞いていても、さほど気分が悪くならなかった。
生存競争に敗れ去ったモノは、生き残った強者に食われるのが「普通」である、そんな観念を持っているからこそ、紅壱は契約している動物霊たちにカガリを生かしたまま喰わせていた。
「坊や、これ」
カガリの血で口元を真っ赤にしている大蛇が、一回りほど太くなった身で地面を擦りながら近づいてくる。
彼女から、紅壱の手へ乗せられたのは、テニスボール大の玉。その色は、稲妻を強引に封じ込めているようだ、と思うかのような美しい紫色であった。ひんやりしていそうだ、と見た目で思っていただけに、ほんのりとした温かみは紅壱をより驚かせた。
「これは?」
とてつもないエネルギーを掌の上で転がるこれから感じるだけに、紅壱は恐ろしさも覚えてしまう。見た目は固そうなのに、実際に触れてみると、餅のような柔らかさがある。それでいて、どれほど力を入れても潰せそうにない。いっぱいまで閉じていた掌を開くと、歪んでいた玉は、あっと言う間に元の形へ戻る。
「この修羅の魔力の塊、呪核よ。
ファンタジー系の文芸作品だと、魔石と言う表現もされるけど、本質は変わらないわね」
カガリの力の源だけあり、紅壱は改めて、よく勝てたな、俺、そんな安堵感で泣きそうになってしまう。
「やっぱり、あの修羅、そこそこの強さだったみたいね。
このサイズは、結構、レアよ。ゴブリンやオークみたいな雑魚じゃ、BB弾くらいしかないもの」
「・・・・・・・・・食うか」
瑛に渡すのが、生徒会の役員、下っ端としては正しい。けれど、一対一の勝負に勝ったのは自分であり、これを手に入れる権利は自分にあり、受け取る義務がある、紅壱はそう思った。
瑛は悪用などしないだろうが、この天戯堂学園とこの街の守りを任されているのだから、今回の一件を『組織』に報告する義務はある。そうなると、この呪核を証拠品として提出する可能性は高い。
『組織』がまともなら、それは問題ないだろうが、相当に腐敗が進んでしまっている以上、嫌な想像しか浮かばない。何に使われるか、分かったもんじゃない以上、気は咎めるが、瑛へ渡さないのが一番だ。
魔属の一部を食べるなんて野蛮だ、そう、鳴はドン引きで詰ってくるだろう。夏煌や愛梨あたりは理解を示してくれそうだし、恵夢は苦笑を浮かべるに留めるだろう。
(会長は全力で止めようとするだろうな)
魔王・アバドンの依代だから大丈夫、そんな確信が、呪核を食べる、その行為に踏み切れる理由でもあったが、それ以上に、自分を強くしてくれてありがとう、そんな感謝を名も知らぬ修羅に、紅壱は心から伝えたかった。
(アバドンさんの復活の足しになれば、御の字だがな)
都合の良い事を考えつつ、紅壱は何ら躊躇いなく、呪核を食らうべく、口を限界まで開ける。
呪核は紅壱の口に入るサイズでなかったが、前歯に触れたと思った瞬間、とろりと溶け、彼は反射的に飲み込んでしまう。歯応え、舌触りを楽しむ余裕すらなかった。辛うじて分かったのは、喉越しの良さで、紅壱は爽快感を覚えた。
しかし、喉を通り、食道に至った感触もあったが、呪核がそのまま、胃ではなく、他の箇所に取り込まれた、そんな直感もあった。どうやら、自分の目論み通り、呪核に凝縮されていたエネルギーは、アバドンが体を休められている「場所」に届けられたらしい、と紅壱は頷く。
(ありがとうな、名も知らない鬼さんよ)
最期の瞬間に、彼が浮かべた微笑は、やけに紅壱の記憶に強く残っていた。
ただ、カガリほど強い修羅のエネルギーを取り込んでも、アバドンが完全復活するには、依然として足りないようで、紅壱は「仕方ない」と思いながらも、つい、がくりと項垂れてしまう。
ものの数分で、手強かった霊属を平らげた五匹が大小のゲップを漏らす。
満足気な雰囲気の彼らへ、苦々しい笑みを漏らした紅壱は不意に、身体の痛みがいくらか和らでいるだけでなく、『復活』により進んでいた融合が鎮まっているのに気付き、血が固まって変色している眉毛を寄せた。
「あの修羅の呪核を取り込んだおかげか?
それとも、ある程度の強さを持ってるヤツの血肉を魔力ごと、パートナーに食べさせると、肉体の変化が止まるのか・・・」
両方か、と考える裏で、やはり、実戦の中で知り得た情報の方が役に立つな、と口の両端を吊り上げて、握り拳を堅くした紅壱。だが、不意に膝から力が唐突に抜け、体勢が崩れてしまう。さすがの紅壱の肉体も、限界を迎えそうになったらしい。
しかし、このタイミングで疲れが足へ出たのが吉と出た。やはり、この漢、持っている。
もし、一瞬でも膝が地面に落ちるのが間に合っていなかったら、レッドオークが振り抜いた棍棒が無防備な頭部へ直撃していただろう。
とは言え、カガリ戦の熱りが収まり切らず、まだ、闘気が全身に巡ったままでいる紅壱に当てられたところで、砕けていたのは彼の頭ではなく、ゴブリン・メイジにより耐久性と攻撃力が高められている棍棒の方だったろうが。
「ブヒッ!?」
頭上を通り抜けていった棍棒の風切り音に驚かされながらも、紅壱の体を染みついている経験が動かす。
足を刈り払われ、無様に尻もちをつくレッドオーク。慌てて、レッドオークは棍棒を杖にして立ち上がろうとしたが、それより先に、紅壱は体重を乗せた肘を鳩尾へ落とした。
「ビギュィ!?」
いくら、レッドオークの腹が厚くて固い脂肪に守られていると言っても、高さと鋭さを併せたエルボードロップはダメージが大きかった。
体がくの字に折れ曲がったレッドオークの高々と上がった足は、しばらく、そのまま痙攣を繰り返していたが、意識が激痛に耐えかねて途絶えると同時に、鈍い音を発して地面に落ちる。
半開きとなった口から赤いモノが混じった胃の中身をブチ撒けているレッドオークの腹から肘を抜いて起き上がった紅壱は、ぐるりと周りを見渡す。
カガリに勝ちこそしたが、既に疲労困憊だったはずの人間が、自分達より速い動きを見せた事実に戸惑っているのか、集まっていた下級の魔属らは紅壱に近づいてこない。
何匹ばかりか、目元の傷や装備などで見覚えのある個体が集団の中にあった。
(さっき、あの霊属に脅かされて、先輩らの元へ行った奴らが戻ってきたのか)
リーダーの仇を取りに戻ってくるとは感心な奴らだ、と呟きながらも、数が合わない事に気付いていた紅壱。
「光栄だな、これだけの増援に囲まれるとは」
数瞬ばかり思考し、他のメンバーには勝てない、そんな英断を下した他の下位魔属がこちらに回ってきたのだろう、と推測した紅壱は皮肉っぽく笑う。
「ギ!?」
その口元の歪みが、ゴブリンらを余計に竦ませ、彼らはジリッと後ろに引いてしまう。全員が一斉に同じ動きをしたからか、足音は重なり、大きさを増す。
「数で囲むのも、敵が激闘の後で弱っているトコを突くってのも、定石だよな。
卑怯、カッコ悪いなんて温い事を言う奴は、喧嘩のイロハを知らねぇだけだ」
不意打ちを責められるほど、お利口な喧嘩をしない紅壱。それなりの美学は持ち合わせてはいるが、手段を選んで勝ちを逃していたら本末転倒だ。激しい抗争で勝者と呼ばれるのは、多くの敵を倒した者ではない。十分な数の首を取って、なおかつ、最後まで立っていた者だ。
紅壱は高校生離れした身体能力、祖父仕込みの実戦格闘術、加えて、正々堂々と卑怯な手段を躊躇わすに選択、実行するからこそ、不良として名が売れているのだ。本人は、有名になる事など、全く求めていなかったが。
「しかしだ、いくらボロボロっつたって、お前らに喰われてやるほど、俺は」
いよいよ、恐怖の限界を迎えたのか、一匹のゴブリンが紅壱が喋っている最中に、棍棒を頭上で振り回しがら突っ込んで来た。他の魔属はそのゴブリンの行動で我に返ったのか、数秒ばかり遅れ、後に続く。
「諦めが良い訳じゃなんだよ、申し訳ねぇけどな」
間合いに入られると同時に繰り出された、目にも止まらぬ回し蹴りを受け、ゴブリンの小学生高学年程度の体躯は、突っ込んで来ようとしていた魔属らの中に落ちる。仲間意識などないような集まりだが、蹴りの圧で勢いに任せた前進を止められてしまったところに、ゴブリンが降ってきたものだから、同じゴブリンは咄嗟に受け止めようとしてしまい、他の魔属も、その行動に動き出しを潰されてしまう。
紅壱に蹴り飛ばされたゴブリンは、何体かのゴブリンやオークの上に落ち、纏めて転倒ばせる。オークはゴブリンより体重と腕力で勝っているし、足腰もしっかりしているが、さすがに、この勢いでは踏ん張り切れなかったようだ。
集団の中央あたりにゴブリンが落ちてきた事で、後ろ側にいた魔属らは転倒した仲間に躓かされ、次々と倒れ込んでいく。
前側にいた魔属らは、衝突や転倒こそ免れたので構わずに紅壱への突進を再開できたのだが、つい、彼らは大きな音を起こしたモノが気になり、後ろを振り返ってしまう。彼らは蹴りの威力がとんでもない、と一目で察せるダメージをゴブリンの顔に見た。
蹴られた顔の右半分は衝撃で潰され、首はダメージに耐えきれなかったのか、ありえない捻じれ方をしていた。即死ないしは宙を飛んでいる間に絶命していたのは、まぎれもない事実だろう。
ゴブリンと言えば、スライムと並べられても文句を言えないほど、雑魚扱いを受けているモンスターだ。 しかし、強くないだけで弱くもない。『組織』に所属する新人だけでなく、時には三年以下の経験者も驕りが過ぎて、ゴブリンの集団に囲まれ、死にそうな目に遭う洗礼を受けるほどだ。実際、並みの人間よりは力が強いし、魔力の通っていない、闘氣に覆われていない木刀による一撃やゴム弾程度では動きを鈍らせるのが精一杯だ。
打たれ強さに定評がある訳じゃないにしろ、斬撃や魔力による攻撃に比べれば、打撃は割と耐えられる。 そんなゴブリンの小柄さに合わぬ太い首は、蹴りの一発で折られた。このゴブリンの躯は、数が増えた事で他の魔属の心から取り除かれそうだった恐怖を膨らませるには十分だったようだ。
恐れの感情が膨らんで、勇気が心の片隅に押されると、そこに隙間が生じる。
その瞬間を逃さないか否かで、不良の器は決まると言っても過言じゃない。
群れから飛び出てきた、割と度胸の有りそうな一つ目の集団が怯んだ一瞬に合わせ、紅壱は虎に吼えさせた。
「GAOOOOOOOOOOoooooooooo」
覇気を帯びた咆哮は、進むか退くか迷いあぐねていた第一集団だけでなく、レッドオークが倒されたショックから脱しきっていなかった大群まで響く。物理的に震えた空気に打たれた体は、数秒の麻痺状態に陥る。中には、精神的な負荷の限界値が越えたのか、泡を噴いて崩れ落ちる個体もあった。
十分すぎる先制で有利に立った紅壱だが、この程度で彼は驕らない。カガリに胴を「奥の手」で刺し貫かれた際は無意識で体力を回復させたが、そのコツはちゃんと掴んでいた。
彼は咆哮により目を覚ましかけていた、足元のレッドオークの腹を手刀で貫き、魔力を根こそぎ奪う。
魔属にとって、魔力は生命力に通じる。例え、物理かつ魔力的な攻撃で受けた傷が深くなくとも、そこから魔力が溢れ出て、限界を超えれば、人間界で実体を保てなくなる、つまり、死んでしまうのだ。
瑛の作ってくれた資料によれば、オークの中でも、レッドオークは複数で相手にすべき強さらしいが、この程度の魔力量では全快には及ばない。
硬い舌打ちを漏らしつつも、直線的な瞬動法を使えるだけの体力は回復できた紅壱は、まず、狙いを第一集団の前方に定めた。
ドォン!!
紅壱の踏み出した左足が、砲撃に劣らぬ音を地面から発した事で、集団の前側にいたオークやコボルドの全身を支配していた麻痺が緩和される。だからと言って、時速80/kmで迫ってくる、死の権化に対し、迎撃が叶うかと言ったらNOだ。
棍棒やツルハシを構える間もなく接近を許してしまった魔属を、紅壱は速度を緩めずに撥ね飛ばした。
ラグビー、アメフトのプロ選手、もしくは力士が魔属に対し、普通にぶちかまししたのでは、逆に大ダメージを受けてしまうが、紅壱は全身を薄く、闘氣で覆っている上に、体外へ闘気を球状に放出し、防御力を高めると同時に、衝突の威力も強めていたので、宙を舞う羽目になったのは、体重で勝っているオークらであった。
タフなオークは地面に落ちた際に首を折ったり、打ち所が悪かったりして絶命したが、貧弱なコボルドらは人間と言うより、魔力の大玉が体にぶつかってきた時点で絶命していたようだった。
「ひぃぃぃ」
集団の後方にいたゴブリン達は、助けを求めるように手を伸ばしてきたオークたちに背を向け、大群の元へ大急ぎで戻る。
彼らの恐怖が感染して、ガタガタと震えている他の魔属から警戒を解かぬまま、紅壱は動かなくなったコボルド、まだ動いているオークから、顔面を鷲掴みにして魔力を奪っていく。
先にも言ったが、魔属の魔力は生命力である。つまり、魔力を吸収すれば、単純に魔力だけでなく、体力も回復できる。もちろん、それは、他の魔術士を縛る常識がない上に、「自分ならできる」と紅壱が微塵も疑っていないからだ。魔術の行使と、その成功は、明確なイメージと確信に左右される。
(もうちょい慣れりゃ、ちょっと触れるだけでも、半分くらいは吸い取れそうだな)
完成形としては、網のように広げた魔力に捉えた魔属から、手で直接に触れずとも魔力を奪い取る事だな、と理想の物を思い浮かべている間に、体当たりで倒した数匹から魔力を全て奪い尽くす紅壱。
「まぁ、半分も回復できりゃ上等だな・・・残りは戦いながら、随時でいいか」
好戦的な光が宿った目に自分達の姿を映され、下級魔属らは逃げられない事を悟る。
仮に、この人間の男から逃げる事に成功しても、他の人間もいる。幸運が重なって、戦場から離脱が叶っても、『組織』の放つハンターに狩られる日々に怯えなくてはならない。何より、召喚された身である自分らには、自力で元いた場所に戻る術がない。
腹を括って戦うしかない、と覚悟が出来れば、目に光が戻るのは人間も人外も変わらんな、と笑いを堪える紅壱。
烏合の衆、それは雑魚の集まりを指す言葉。しかし、喧嘩に強い不良ほど、頭数が揃っている下っ端を侮らない。一人で挑まれれば圧勝できる、複数で一度に来られても相手が出来る。けれど、立て続けに休む間もなく攻めの姿勢を崩さず、倒れた仲間を踏み越えてでも、自分の首を取りに来る、本気の雑魚は危険だ。 タイマンの時よりも、一瞬の隙が致命的になる、と経験から知っている紅壱は気を引き締め直す。
まだ自分を怖がっているからか、いきなり飛び込んでくるような事はないが、どいつもこいつも目が血走り、逃げそうもない。一匹たりとも逃がす気はないわけだが。
自分から先制攻撃を仕掛け直さないのは、強者の驕りや誇りなどではない。一対多数の基本は、待ちの姿勢。体力に余裕があるなら、紅壱だって自分から攻撃したいが、今は体力的に分が悪い。
ゴブリンのパンチの一発二発なら受けられるが、オークが持っている棍棒の攻撃力はそれ以上だろうし、コボルドのツルハシなんて受けたくない。スケルトンは脆そうではあるが剣を持っている。なまじ、折れて断面がギザついている剣に切られる方が痛く、肌はくっつきにくい。ならば、下手に動かず、体力の自動回復に頼りつつ、相手の出方を窺うのが正しい。血の気の多さだけでは、不良はやっていられない。
予想通り、真っ先に動いたのは、魔術に長けたジョブを獲得している魔属だった。
木の枝を削っただけの貧相な杖から放たれる、魔力の矢を最低限の動きだけで避け、紅壱は観察に徹する。
集団の前に出てきている、ゴブリンやコボルドは頭に「魔術が得意な個体」と見て分かる形状の帽子を被っており、中には薄汚れていたり、穴の開いているローブを羽織っている者もいた。ローブを纏っている個体の方が能力的に勝っているらしく、魔力の矢が地面に着弾した際の陥没が大きい。
(ふむ、石や鉄の矢として実体化しているわけじゃねぇな。
空気が固まっている訳でもねぇな、道路の削れ方からして)
いけるか、と直感した紅壱は迷うことなく、飛んできた魔力の矢を掴んだ。少しぐらいは熱いか、と警戒していたが、手の皮が焼ける事はなかった。掴む事は出来たが、触感は頼りない。目で見ていなければ、掴んだ事を実感できないだろう。
本来、新人が計画的に受けるべき研修をすっ飛ばしている紅壱は、魔力を訓練なしに掴む事が難しいとは露も知らぬ。この程度か、と気楽に考えた彼は、折角なので、魔力の矢を齧ってエネルギー補給に使わせてもらう。
薄味だが気にならないし、気にしている場合でもなかったから、紅壱は次から次に発射されてくる魔力の矢を、目にも止まらぬ速さで手を動かして掴み、口に運んでいく。魔力を齧って体内に取り込み、循環させて変質させ、自身の体力と魔力を回復させるなど、生徒会役員の誰にも、あの瑛だって出来ないのだが、やはり、彼は知らず、基本だと勘違いする。
一個体につき放てる「魔力の矢」は十数本が限界なのか、魔力が半分を切ったゴブリン・メイジやコボルド・メイジが膝を落としていく。
ローブを羽織っている、個体はまだ魔力に余裕があるようだった。だが、「魔力の矢」では紅壱相手では埒が明かない、と判断したようで、術のレベルを上げてくる。呪文を唱え、体内の魔力を高めているのか、圧迫感がわずかに増す。
(ゴブリン、コボルド、各3か・・・何をしてくるかね)
とりあえず、紅壱は待ってみる。その横柄にも見える態度で、魔属らは怒りではなく、恐れを感じたようだったが、ますます、紅壱を倒さなければ、と危機感を強めたらしい。
追い込まれた獲物の怖さは承知しているが、可能なら、手札は全てオープンにさせたい、そんな余裕が紅壱にはある。緊張を保ちつつ、彼は上唇を舌で軽く湿らせ、出方を静かに窺う。
先に呪文を唱え終わったのは、3匹のゴブリン・メイジだった。
一匹が紅壱に向けている杖の先端に集まっている魔力は、矢よりも太く鋭い形を成している。投げ槍だろうか、紅壱のその推測は当たっており、「魔力の矢」よりも威力、射程範囲が倍となる「魔力の短槍」だった。
もう二匹は、と目を向ければ、どちらも魔力を球状に集めていた。破壊できる範囲が「魔力の球」よりも広がる「魔力の大玉」を、二匹のゴブリン・メイジは杖を握る手を小刻みに震わせながら保っているようだった。
「ギィ!!」
肌が茶色いゴブリン・ウォーリアーが「撃て!!」とでも命令したのか、三匹のゴブリン・メイジが気合を入れて杖を押し出す。直後、その場に留められていた魔力は自由となり、標的、つまりは紅壱に向かって一直線に迫っていった。
(槍の方はともかく、大玉の方は両手で抱え込まないと止められないか)
一つを止めれば、もう一つが直撃してしまいそうだ。当たっても大したダメージにはならないだろうが、わざわざ、痛みを負わなくとも、生きている実感は覚えられるので、紅壱は少し惜しみながらも、魔力の大玉を迎撃する事にした。
大玉のスピードも中々だったが、先に間合いに突っ込んで来たのは、回転しているのか、空気を裂きながら前進していた槍の方だった。なので、槍を掴む。螺旋運動をしていたので掴んだ瞬間に掌の皮が剥がれそうになるも、グッと力を入れて、強引に回転エネルギーを押さえ込む。
「!!」
そうして、紅壱は槍を右の大玉に投げつける。女子陸上部を手伝った際、視界の片隅に入っていた槍投げの選手の見様見真似だったのだが、ゴブリン・メイジが発射した時にも劣らぬ速度で大玉へ迫り、呆気なく破裂させてしまう。
しかも、勢いは何ら殺されず、そのまま直進した「魔力の槍」は軌道上にいたゴブリンやスケルトン、コボルドを貫いていき、ようやく、止まったのは七匹目のゴブリン・ソルジャーの心臓を貫いてからだった。
たったの一発で七匹も魔属を倒せた事に喜ぶでもなく、紅壱はもう一発の大玉に対応する。と言っても、そんな大した事はする必要はない。あえて、胸板で衝撃を上手く逸らすように受け、軽く弾ませると、そのまま、残っている大群に向かって蹴り返すだけで十分だった。
「ギュッ!?」
「魔力の矢」を撃ち尽くしたメイジらは、とっくに限界だった。しかし、ピンチとは壁を越えられる時にしか訪れない。彼らはありったけの魔力を杖に籠めると、大群の前面に「魔力の盾」を展開させる。
種族が異なるゆえ、意図したわけではなかっただろうが、ゴブリンとコボルドの魔力が混ざった事で、「魔力の盾」は個で生み出すより分厚くなった。
「魔力の大玉」はカウンター気味に蹴り返された事で、破壊力が増していたのだが、それにも「魔力の盾」は耐えきった。しかし、破裂した際の衝撃は完全に無効化しきれず、魔力を練り出した術者に及んだようで、メイジらは後ろへ吹っ飛んでしまう。もし、咄嗟にオークらが、肥えた腹をクッションとして受け止めなかったら、怪我は免れなかっただろう。
「魔力の短槍」と「魔力の大玉」を放ったゴブリン・メイジは顔面蒼白、と言っても、肌の色は緑なので判りにくいが、となり、肩で息をしてしまっている。しばらくは、戦線復帰できそうもないな、そう判断を下し、紅壱はゴブリン・メイジらが攻撃している間も、集中を乱していなかったコボルド・メイジらに顔を向ける。
(さて、コボルドと言えば、土に関わる魔術を得意とするって、会長の作ってくれたノートにゃ書いてあったが、どう攻撃してくるかね?)
相手は弱くとも、自分の知らない攻撃手段を有しているのだから、油断はない。けど、ワクワクはしてしまう。エリ先輩をバトル脳だって笑えないな、と苦笑を浮かべている間に、どうやら、コボルド・メイジらは攻撃の準備を完了したようだ。
三匹の内、二匹は杖の先端を紅壱ではなく、地面に突き刺していた。残る一匹は、音とテンポからして、他の二匹とは違う呪文を唱えているようで、杖は手にしておらず、両手を前に立つ二匹の肩へ乗せている。
(感じからして、仲間の攻撃魔術の威力をパワーアップさせてるな)
メイジと言っても、得意とする系統は様々らしい。どうやら、後ろの一匹は、支援や補助系統の魔術を得手としているようだ。となると、前二匹の放ってくる魔術の威力は須郷そうだな、と紅壱は表情を引き締める。
「グァン!!」
右の一匹が吠えると、杖を中心に地面へ渦状の亀裂が走った。衝撃波を走らせてくるのか、と足元を警戒したが、ヒビは彼の足元に届かない。何だ、と訝しんだ矢先に浮かび上がった大小の石片が宙で結合し合い、50cm角の立方体が10個ばかり形成される。
魔力ではなく、石そのものが直撃したら、さすがに激痛そうだな、と表情を顰めた紅壱は右足を後ろへ下げ、わずかに半身となる構えを取った。肘は軽く脇腹へと接し、両拳を握る事で、どの位置の攻撃も受け、捌ける体勢となった紅壱だが、右のコボルドは石のキューブを作った時点で、魔力枯渇寸前らしく、攻撃のバトンを仲間に手渡すと、その場に伏してしまう。
全力以上を絞り出した仲間から石のキューブの操作権を譲渡され、もう一匹は気合を入れるかのように甲高い鳴き声を発し、地面から抜いた杖の先を、迎撃の体勢を保っている強敵へ突き出す。
すると、石のキューブは魔力により連結を果たし、一本の太い石柱となった。
「ほぉ」と感心する紅壱に対し、コボルド・メイジは不敵に嗤う。ただ、これだけのサイズの石柱を維持するのは辛いようで、よくよく見れば、表面がボロボロと崩れかけている。奥歯を噛み締め、コボルド・メイジは崩壊を防いでいるようだ。
「・・・・・・・・・」
頑張ろうとしているとこ悪いが、と罪悪感を胸中に芽生えさせながら、紅壱は構えたままで前に飛び出す。あえて、瞬動法は使わず、100m10秒の俊足で距離を詰めていく。
ギョッとこそしたが、敵の方から間合いに入ってきてくれるならばこれ幸い、とコボルド・メイジは石柱を突き出そうとした。
低い雄叫びと共に石柱は動き出す。もし、距離があって、十分な速度に達していれば、そこそこのダメージは喰らっていたかもな、と他人事のように考えながら、紅壱は最高速度に石柱が達する前に、手刀を振り下ろす。
魔力で一から作りだしたのではなく、コンクリートを土属性の魔術で操作して形成した石柱の硬度はコンクリートと同等だ。しかし、紅壱の闘氣に包まれている手刀の前では、ロールケーキも同然だった。彼に当たる前に石柱が縦に割られてしまったからだろう、石柱を保っていた魔力が逆流し、コボルド・メイジは反動で後ろではなく、上に吹っ飛んだ。
放物線を描いたコボルド・メイジが落ちたのは、道路に渦状の亀裂を入れた、もう一匹の背中の上だった。「ぎゃぁん!?」、そんな憐れな悲鳴を上げ、下敷きにされた一匹は目を回す。上のコボルド・メイジは衝撃を浴びた時点で失神してしまっていたのか、だらりと舌を出したまま、脱力していた。
補助魔術を使っていたコボルド・メイジはどうするかな、と手についた砂埃を祓いながら目をやれば、気絶こそしていなかったが、魔力を消費しすぎたのか、顔色が悪い。と言っても、やはり、元が土気色なので分かり辛い。尻尾が垂れているから、しばらくは魔術を使えないな、と見極めた紅壱は、下級魔属らの遠距離攻撃の手段の片方を潰した事になる。
残るはあっちか、と顔を戻した矢先に、ゴブリン・アーチャーとスケルトン・アーチャーが矢を射てきた。
弓兵ジョブの射る矢は、魔力で形成されている。ぼんやりと光るものではなく、物質として存在しているようだった。どうやら、弓兵のジョブを獲得できると、魂の一部が弓として実体化し、細胞を矢に変えられるようになるらしい。
物質化した事で「魔力の矢」のようにコントロールは出来ないが、威力は段違いだし、戦闘前にある程度の量を作りだしても、消える事はないので番えてから射るまでが速いのが利点だ。
(スケルトンの方は、骨を削り出して作った感じだな)
冷静に観察しながら、紅壱は足元に落ちている石柱を持ち上げる。これもまた、コンクリートを媒体として実体化しているので、重量はサイズ通りだ。当然、大人が軽々と持ち上げられるような物ではない。しかし、紅壱は並みの男じゃない。
半分に割れている石柱を、まるでバットのように振り抜く、しかも、プロも真っ青のスイングフォームとスピードで。
とんでもなく重いモノが、とんでもない速度で振り抜かれたら、発生する風はとんでもない強さとなる。人間が、そんなアクセル全開で突っ込んでくるトラックの正面衝突に匹敵する圧の風を、真正面から受けたら、とてもじゃないが、二本の足で踏ん張る事は叶わなかっただろう。
当然、向かってきていた矢は風に阻まれる。何本かは乱れた空気を回転運動で裂こうと根性を見せようとしたが、無駄な徒労と終わる。バラバラと地面に落ちてきた矢を見て、弓兵隊は愕然とするも、すぐさま我に返り、次の矢を射ようとする。
しかし、そんな彼らの視界に飛び込んで来たのは、紅壱が投げてきた石柱だった。
慌てて、矢を放つも、エルフやケンタウロスであれば兎も角、ゴブリンやスケルトンの非力な弓撃では石柱を粉々に砕くどころか、突き刺す事すら難しい。
カンッ、と虚しく矢が弾かれた音を聞いた時には、もう体が竦んでしまっており、横一列に並んでいたゴブリンやスケルトンらは石柱に押し潰されてしまう。
ゴブリンはどうにか生きているようだったが、スケルトンの脆い骨の実体では、石の重さに耐えられなかったようで粉々となっていた。また、ゴブリン・アーチャーらも腕や肋骨を折ったようで、弓は引けまい。
よし、と頷きつつも、紅壱は風切り音を聞き逃さず、首をわずかに逸らして、迫っていた矢を難なく避ける。まさか、避けられるとは思ってもいなかったのだろう、左耳が欠けた、弩兵のジョブを獲得しているゴブリンは悔しそうな舌打ちを漏らす。
(なるほど、魂から作りだせるのは、弓だけじゃなくボウガンもか)
この場にはいないようだが、もしかすると、銃士や砲兵もいるかもしれない、と紅壱は予測を立てる。
ゴブリン・ボウガンナーの第二射を指で挟んで止める紅壱は、その矢を手首のスナップ効かせて投げ返す。矢は紅壱に向かっていた時と同じ軌道を通過し、第三射を放とうとしていたゴブリン・ボウガンナーの額に突き刺さる。
もし、そこそこの値段がする兜を被っていれば、このゴブリンはお陀仏にならずに済んだのかもしれない。カウンター気味に投げ返された矢だ、それは薄っぺらい兜など呆気なく貫く。後頭部から矢じりが生えたゴブリン・ボウガンナーは尻もちを突き、二度と起き上がれなくなる。
まだまだ、弓兵は多いのを見て、紅壱の胸に、ちょっとした期待が生じる。
試してみようか、と舌なめずりをした紅壱は矢を瞬動法で俊敏に避けながら、弓兵らに掌を向けて、そこに意識を集中する。だがしかし、彼の期待通りの攻撃は叶わなかった。
(ありゃ、駄目か)
紅壱は少なからず、落胆する。メイジのように、「魔力の玉」を撃てれば、遠距離にいる相手も攻撃できるのだが、そう簡単には魔力を球状とし、敵を倒すには十分な威力として飛ばすのは難しいようだ。
(イメージが不足しているからか、攻撃の媒体がないからか、それとも、俺に放出系の攻撃魔術の才覚がないのか)
魔王を宿している以上、二番目と三番目はないな、と根拠がないゆえに確固とした自信を持つ紅壱は頭の中で、その二つを赤線で消す。
魔力を飛ばすイメージは、ゴブリン・メイジを思い浮かべていたのだが、どうやら、それでは足りない、もしくは、適してないらしい。
(魔力の回路が、俺とあいつらじゃ違うのか・・・まあ、今、できない事にこだわってもしかたない)
「あとで、瓶持さんにお勧めでも聞くか」
アニメ鑑賞が趣味である瓶持なら、条件を挙げればピッタリの作品を教えてくれるだろう、と紅壱は軽く考える。
ちなみに、夏祭りに向けて原稿中だった瓶持が、その際、紅壱に喜色を隠さずに貸し出したのは、某国民的な少年アクション漫画を原作とするもので、戦闘力を自在に変える事の出来るキャラクターらは、気力を光弾として放ち、敵を攻撃していた。
特に、兇悪な相手に仲間を殺された純粋な怒りを発端とし、眩い黄金のオーラを放つ伝説の超戦士に覚醒し、その後もパワーアップし続ける、バトルジャンキーな主人公の必殺技のポーズは、世界中のファンが真似しているほどだ。
その主人公の真似をしている所を知り合い又は家族に見られると、「いっそ、殺せ!」、そう言いたくなるほどの恥ずかしさに襲われるらしいのだが、この手の羞恥心とは、一切無縁の紅壱。
音桐荘の裏庭で光弾を出さないよう気を付けながら―イメージが出来て、魔力の光弾を放てるようになったはいいが、魔王の恩恵で魔力量が尋常じゃないからか、如何せん、公園の公衆トイレ程度なら一発で瓦礫に出来る威力を調節できないのだー、型の練習をしていた彼は、「どっか違いますかね?」、そう、たまたま見てしまい、驚いていいか、笑おうか、迷っている住人らに助言を求める胆力を見せ、一同から感心される事となる。
伸ばしていた手をこのまま下ろすのも情けないな、と考えた紅壱は高さはそのままに、肩を捩じり込みながら、更に掌を前に突き出す。次の瞬間だった、掌の先にいたゴブリンやコボルドがまとめて、後ろへ突き飛ばされたのは。
魔術のイロハもろくに知らない紅壱に、風系の魔術で空気の壁を作って、それを拳が届かない距離にいる魔属にぶつける事は出来ない。しかし、祖父にどんな状況でも戦う術を叩き込まれている紅壱には、弓矢や鉄砲に頼らない、素手による遠距離攻撃があった。
とは言え、紅壱自身は、今、魔属らを触れずに転倒させたこれは攻撃と呼べるものじゃないよな、と思っていた。
視界に入った者を目力で圧倒する事により、意識に一拍の空白を挟み込む事で、軽い催眠状態に陥らせる。その状態で、突き出された手を見ると、術にかけられた者の体は強い力で押された、と錯覚し、自らを吹き飛ばしてしまうのだ。無自覚の思い込みは、肉体にも影響を及ぼし、吹き飛んだ者の胸や腹にはくっきりと手形が付き、時には骨に亀裂が入る事もある。
有効だ、と分かってはいるのだが、どうにも、紅壱は手に殴った感触もないのに、敵が勝手にダメージを負う、この技、『貝寄』を多用する気にはならなかった。
触れられてもいないのに、魔力による攻撃の気配もなかったのに、押し倒された、その現実は、下位の魔属の小さな脳味噌に混乱と言う過負荷をかけ、取るべき反応を鈍らせた。
「よっこいせ」
安い事にこだわる自分のちっぽけさに感じる自己嫌悪を払うように気楽な掛け声で、半分残っていた石柱を持ち上げた紅壱。だが、今度はそれごと投げつけなかった。
先の隊が一度に倒されたからだろう、残っていた数匹のアーチャーは分散し、バラバラに紅壱を射撃っていた。しかし、大した問題ではない。一斉に倒せないなら、各個撃破すればいいだけだ。
石の立方体を魔力で接合していただけだからか、紅壱が少し力を入れると、石柱は簡単に分割できた。投げるには良い具合の大きさとなった石片を、彼はもう一匹の小鬼の弩兵に投げた。アーチャーと比べれば、機敏に動けるボウガンナーだが、150km/h近い速度で石が飛んで来たら、そんな長所など呆気なく意味を成さなくなる。
「ギャッ!?」
この個体も兜を被っていたが、石の砲弾から頭を守るには些か、強度が不足していたようだ。ボゴンッ、不快な鈍い音を発し、兜ごと頭蓋は陥没し、ゴブリン・ボウガンナーは膝から崩れ落ち、痙攣すら起こさない。
奪った命に対して一瞥もくれず、紅壱は次の的へ石を投げる。球速と球威だけでなく、制球性も長けている紅壱は投げるモノが硬球から手より大きい石に変わったくらいでは問題を感じない。
頭や胴に石片をメリこまされ、弓兵らも全滅させられてしまった。
残るは棍棒や剣を持っている個体のみ。数はメイジやアーチャーの倍ほどいるが、昂揚している今の紅壱にとっては、数の戦力差は却って燃える。
魔王を目の前の人間が宿しているなど、ゴブリン達は露も知らぬ事だが、紅壱の笑みは魔属の本能にこそ恐怖を抱かせるものらしい。思わず、後ずさってしまいそうになる魔属ら。しかし、そんな中にも勇ましい個体はいたようで、他の魔属らを押し退けるようにして、一体のオークが出てきた。
中々の巨漢ぶりに、紅壱は「へぇ」と驚きの声を歪めた唇から漏らす。
普通のオークも、それなりに逞しい体つきだが、このオークのガタイの良さは一線を画す。一年生と思えぬほどの背丈である紅壱ですら、わずかに首を後ろへ傾け、特徴的な鼻を見上げねばならぬほどだ。また、どこで手に入れたのか、ゴツゴツとした手でしっかり柄を握っているのは鉄の斧だ。
(体のサイズと得物からして、コイツがオークのサブリーダー格か?)
魔属の上下関係を何で決めるか、それも紅壱は知らないが、さほど頭が良くなさそうなオークは腕っ節の強さを優先しそうだ。体の大きさだけで強さが決まる訳じゃないにしろ、サブリーダーとして認められてもおかしくはない要因であるのも確かだ。
手入れをさぼっているのか、斧は刃が欠け、錆も浮き出している。しかし、大きさが相当だ。この重さを活かした斧撃は脅威だ。切れ味に乏しかろうとも、受け損なったら、人の胴など呆気なく両断されてしまうだろう。
実際、このオークが振り下ろした斧は、紅壱の頭をカチ割り、胴を縦に裂き、股間まで至った。
瞬動法で後ろへ退いていた紅壱は自分の残像が真っ二つになるのを目の当りにし、汗が頬を伝うのを感じる。
「危っぶねぇ」
斧による一撃を危惧していただけに、まさか、あの図体でこれほど迅速く動くのは予想外だった、紅壱にとっても。
デカい奴が遅い、それは素人の勘違いだ。事実、ボクシングのヘビー級ボクサーの詰め寄りは目にも止まらぬ。鈍そうな奴が一気に距離を詰めてくる、その怖さを痛みとして知っているからこそ、紅壱は不可解さを覚える。
確かに、このオークは速かった。咄嗟に瞬動法で下がらなかったらーと、紅壱は気楽に考え、実行したが、実は瞬動法で最も難しいのはバックだ。愛梨ですら、五回に一回は後ろに下がれたものの、体勢を崩してしまい、後頭部を打つ始末だ―、一刀両断されていたのは生身の方だっただろう。
しかし、オークの前に出てくる速さは、自分の知っている重量級の選手のそれとは質が異なっていた。人間と魔属・霊属では筋肉の作りが根本的に違うのだから、それを妙だと感じるアンタがおかしい、と鳴なら詰ってくるだろう。けれど、紅壱には分かる、あれは体や技によるダッシュ力じゃない。
(となると、他の理由か)
この場で最も適した答えは、魔術だろうな、と紅壱は思考を高速回転させ、視線を巡らす。すると、先ほどよりも、コボルド・メイジの顔色が悪くなっている。土精と言う事もあってか、元から顔は土気色だが、より生気が薄まっているようだ。
弓兵らの相手をしていた際、視線の片隅で、そのメイジが他のコボルドから貰った木の実を咀嚼しているのが見えていた。
体力ないしは魔力を回復させる木の実を持っていてもおかしくないな、と認めた紅壱は、このオークは、コボルド・メイジがどうにか回復させた魔力を自分の速度を上昇させるのに使わせたのだろう、と推測を立てる。正解の確かめようもないが、現状からして、それ以外はなさそうだった。
一撃で倒せたと思っていた人間の死体が目前から虚空に溶け、しかも、視線の先で悠々と汗を拭っているのを見て、オークリーダーの鼻息は荒々しさを増す。
やっぱ、素早い、と肝を冷やされながらも、紅壱はオーク・アックスの斧を見事なフットワークで後退しながら躱す。
自分達じゃ、あんな簡単に避けられない、と思っているのか、紅壱の回避に目を奪われているゴブリンらの口はあんぐりと開いてしまっている。ゴブリンらの魔属の間抜け面に笑いを噛み殺しながらも、彼はオークの目線や手から意識を外さない。恐ろしい斧を見ていたって、その軌道は予測できない。敵の目の揺れは次にどこを狙っているかを教えてくれ、手の力みはスピードと角度を教えてくれる。
もちろん、敵の攻撃を完全に予測するのは、言うほど容易な事ではない。これは魔王云々と言うより、紅壱の経験値の高さに因るものだ。動体視力や反射神経も必要になってくるが、攻撃パターンを多く知るには実戦を積むのが一番だ。彼には、こいつ等よりも俺の方が喧嘩慣れしている、と言う自負があった。それが、彼の回避をより滑らかにし、大胆さに美しさを上乗せしていた。
(力に任せて、攻撃が単純だ。フェイントも何もねぇなら、避けるのは楽勝だわな)
そう胸の内で呆れつつも、決して、目を瞑るなど慢心を起こさないのが、紅壱の怖い所だ。喧嘩は油断した奴が負ける、と知っている紅壱に隙はない。
(さて、まずは斧をどうにかするか)
ガラ空きのボディに連撃を叩き込む事も出来るだろうが、このオークの体は大きく、固い脂肪も厚そうだ。生半可なラッシュでは内部まで届くまい。下手をすると、斧で打撃を防がれ、逆に打撃を喰らってしまいそうだ。あのサイズの斧を振れるとなると、パワーもかなりある。そんな腕力で殴られたら、斧による一撃と大して変わらないダメージを負いそうだ。
おっ、いいものがあった、と後ろにステップを踏みながら右に切り返した紅壱は落ちていた片手剣を爪先で蹴り上げ、難なくキャッチする。それは、最初に倒した集団の中にいたゴブリン・ソルジャーが持っていたものだった。
やはり、手入れが行き届いていないのを見て、紅壱は渋い顔をする。何らかの方法で武器を確保しても、メンテナンスを怠れば、武器の性能は落ちていく一方だ。
(その手の知識がないのか、道具が無いのか、どっちかね)
多少、ボロいが、一閃でも持ってくれれば十分か、と自分を諭し、紅壱は斧を無駄のない動きで躱しながら、タイミングを窺う。
やはり、強さが頭一つ分ばかり抜け出していると言っても、オツムは一兵卒と変わらないのか、オーク・アックスは紅壱が誘ってみると、簡単に乗ってきた。
単純さと浅慮さに呆れ返りながらも、紅壱の体は流れるように動く。オーク・アックスの上段からの全力振り下ろしに合わせ、懐へと飛び込んだ彼は半回転し、片手剣を振る。紅壱なりに速さを加減したつもりだったが、それすらもゴブリンの持つ剣には耐え切れなかったようで、呆気なく折れてしまった。それでも、紅壱の繰り出した斬撃は、オーク・アックスに傷を負わせる事に成功する。
オーク・アックスは彼に接近を許してしまった際、ガードが間に合わず、胴体を切られる事を恐れて、防具の下の腹筋に力を籠めていた。だが、紅壱が振った片手剣が傷つけたのは、豚頭魔の手首の内側。しかも、浅く、出血量も少なかった。
拍子抜けだったのか、「グブブブ」と鼻を鳴らしながら笑った豚頭魔が己の不調に気付かされたのは、折れてしまった剣をバツが悪そうな顔で放り投げた紅壱に斧を振り上げようとした時だった。
「ブギゥ!?」
柄を握った瞬間に手首に激痛が走り、オーク・アックスは斧を握っていられなくなる。
紅壱が擦れ違いざまに鈍ら刀で傷を付けたのは、浅指屈筋だ。これは物を握る際に強く働く筋肉で、損傷すると親指以外の四本が十分に曲がらなくなる。
ゴブリンのメンテナンス不足の片手剣では、あの程度の深さまでしか切れなかったが、オーク・アックスが柄を強く握ろうとすれば、その力みで勝手に浅指屈筋は断裂する。
柄を握る事が出来なくなる、つまり、斧は地面に落ちていく。運が悪い事に、落下地点にオーク・アックスは足を置いてしまっていた。常人男性ですら、顔を真っ赤にするほど力を振り絞って、ようやく持ち上げる事が出来るモノが足の甲に落ちる、しかも、安全靴など履いていない剥き出しの足に。想像しただけで、幻の痛みが貴方を動けなくしただろう。
幸いと言うべきか、刃は下を向いていなかったので、オーク・アックスの足の甲は切れずに済んだ。しかし、「ザクンッ」の代わりに、足の甲から上がった音は「グシャン」だった。
この音が何を意味するか、深く考えるまでもない。オーク・アックスは生来初めての激痛に、悲鳴すら上げられず、呻くので精一杯のようだ。それは鼻の歪み様を見れば、一目瞭然だろう。
足の甲に物が落ち、骨にダメージを負った際に取ってしまう反射的な行動は、人間も魔属も変わらないな、と他人事のように思いながら、紅壱は豚頭魔が地面に落としてしまった膝を踏み台にし、シャイニングウィザードを繰り出した。
あの天才プロレスラーですら息を飲むであろう、美しいキレに満ちた光の牙は、オーク・アックスの側頭部を見事に貫いた。
衝撃が反対側に到達する前に、オーク・アックスは昏倒した。図体がデカいだけあり、倒れた際の音は実に重々しかった。小さな轟きは、紅壱に爽快感を与えてくれる。
いけ好かないが、やってくれそうなオーク族の猛者が善戦すら出来ず、呆気なく倒された事は、残っていた魔属らにとっては、かなり大きなショックだったらしい。恐怖はまたしても伝播し、動揺は体を縛り、闘争心を削ぐ。
度胸のある奴が出てこない事に溜息を溢す紅壱。
「はぁ」
自分たちの常識では、強さが計り知れない人間が息を吐く音が耳に届いた時、姿が消えただけでなく、何の前触れもなく、集団の中に出現したものだから、ゴブリン達は頭が真っ白になった。咄嗟に、紅壱を囲んでいたゴブリンやコボルドは攻撃を繰りだせたが、武器が当たる感触を得た、と思った当時に、ゴブリンらの視界は上下が逆転する。
集団の外にいて、紅壱の動きを注視していれば、辛うじて、彼が合気道の類でゴブリンらを投げた、と推測できただろう。だが、人間が研鑽し、バトンを繋ぐ事で精度を増してきた武術を侮るどころか、存在すら知らぬゴブリンらにとっては自分の攻撃の流れを利用された、その思いに到れるわけがなく、魔術を使われた、と誤解するのは自然だった。
地面に落ちた仲間がピクピクと小刻みに身を震わせ、起き上がれないのを見て、魔属らの恐怖はピークに達す。半狂乱となったゴブリンらは、次から次へ紅壱へと襲い掛かり、投げられ、地面に叩き付けられ、殴り返される。
あえて、紅壱は乱戦に持ち込んだ、展開を。見る限り、ゴブリン、オーク、コボルド、スケルトンには連携攻撃が無い。一種族ですら、まともにタイミングを合わせる事が出来ておらず、戦闘の素人(素魔?)なのは明らかだ。そんな格下の相手を一方的に倒していく事に気が咎めないでもなかったが、気にしている余裕が紅壱にもある訳じゃない。
技そのもので勝っていても、実際問題、ゴブリンやオークは力が並みの不良よりあるし、コボルドは武器が脅威だ。スケルトンは力にこそ欠け、打撃に脆いも、スピードは他の魔属よりある。また、剣技も油断ならない。
気を抜き過ぎるとまずい、紅壱は調子に乗りそうな自分を制し、向かってきたゴブリンをミドルキックで蹴り飛ばし、背後にいたコボルドへぶつける。振り向きざまに、オークへ地獄突きを繰り出し、手から落ちた石槌を受け取り、スケルトンの胴への一閃を防ぎ、剥き出しの肋骨へ順突をブチ当てた。
「おっと」
木の実を食べて再回復したのか、ゴブリン・メイジやコボルド・メイジが「魔力の矢」による攻撃を放ってきた。しかし、威力には欠ける。速度も遅いし、味も薄くなっている。
(あいつらの魔力を奪うか、食うなりすれば、魔術のコツが掴めるかね)
三本纏めて齧りながら、そんな事を考えるも、素手や近接武器を持ってる奴らの頭数を減らすのが先だな、と優先順位を見失わないようにする。
捥ぎ取ったスケルトンの頭蓋骨を、「魔力の矢」を白歯取りしながら投げた紅壱。白いそれはまず、コボルド・メイジの頭にぶつかり、続けて、ゴブリン・メイジにぶつかったかと思ったら、他のコボルド・メイジにぶつかる。ピンボールよろしく、一個の頭蓋骨はメイジ全てに当たり、失神させた。
本来であれば、軌道の計算にハイテク機器を用意し、膨大な時間を割かねばならぬのに、直感と身体能力でどうにか出来てしまうのだから、つくづく末恐ろしい少年よ、と言うより他ない。
自分が数学者や物理学者を歯軋りさせる事をしたとは露も思わぬ紅壱は、向かってきたゴブリン・ファイターが繰り出してきた顔面狙いのパンチを掌底で押して逸らし、そのまま手を腕に当てたままで体を入れ、首元へチョップを叩き込む。この時点で、ゴブリン・ファイターは戦闘不能だったが、紅壱は構わず、空いた胴へ中段突きをメリこませた。
ゴブリン・ソルジャーは片手剣をメチャクチャに振り回しながら、紅壱へ迫ってきた。しかし、彼は慌てず、コボルド・ソルジャーの手首だけを見て動きを見切り、直線的な刺突が繰り出されたタイミングに合わせ、片手剣を上半身を屈ませて避け、その体勢のまま、蹴りを繰り出す。彼の鉄芯が入った靴先は、コボルド・ソルジャーの股間に吸い込まれた。
キャンタマを潰す感触は慣れんな、と股間を押さえて悶絶し、蹲ってしまうコボルド・ソルジャーを素通りし、紅壱は後ろにいたレッドオークへ下段蹴りを繰りだそうとする。彼の足の動きから、自分も睾丸を潰される、と予想したのだろう、レッドオークは持っていた円盾で股間を守る。しかし、蹴りの軌道は不気味に変わり、踵がメリこんだのはレッドオークの右のこめかみだった。
息の根を断ったレッドオークの屍を跳び越え、次の相手に向かおうとした紅壱へ背後から切りかかってきた一体のゴブリン。小柄な体躯や黒ずくめの衣装からして、幼体のゴブリンではなく、ゴブリン・アサシンだろう、と紅壱は判断した。
何故、振り向いていない彼が背後の敵の姿を視認できているのか、それは能力「蜘蛛の目」による効果だった。
この能力は、視界を広げ、死角を埋める事が出来る。常に使用し、熟練度を上げれば、330度に広がった視界に入れた者を邪視で麻痺させ、五感を奪う事も出来るようになるらしい。また、相手を催眠状態にし、操る事も可能になるとも言っていた。そして、極めれば、即死効果も発動できる、とも。
彼だって、昨日一日、「会長に怒られたくねぇな」と不安に苛まされながら、無駄に費やしていた訳ではない。
手に入れた力を把握しておくのは、常住戦陣の気構えを祖父から実地で叩き込まれている紅壱にとっては当然の事だ。ものぐさな面こそあるが、生き残る確率を上げる努力には手を抜かない、それが獅子ヶ谷瑛を筆頭に多くの美少女に惚れられている、辰姫紅壱だ。
彼は座禅を組み、精神統一をしながら、己の中にいる獣らとの対話を試みた。もっとも、人語を解せるのは蛇と鷹、虎だけ。虎は紅壱に協力する気など、毛の一本ほども持ち合わせていなかったので、彼の質問に快く応じてくれたのは蛇だった。鷹も好意的ではあるが、話がすぐに逸れてしまうのがネックだった。
彼女のおかげで、今の自分が使える能力を知った紅壱。実際、彼がこうも、次から次へ迫ってくる敵の動きに遅れないのも、俯瞰で戦場を見渡し、なおかつ、反射神経を向上させる「鷹の眼」を使わせてもらっているからだ。こちらも、熟練してくると、敵を動けなくさせたり、同志討ちさせられたりするようになるらしい。また、空気の流れも視認できるので、風を用いた攻撃魔術に対応するのにも重宝する。
「蜘蛛の目」の能力と同じく、鳴に卑怯と罵られそうではあるが、紅壱は気にしない。魔術を現時点で使えないという事もあるが、生き残るためなら、彼は何でも使う。まともに戦っても強い彼だからこそ、正々堂々と卑怯なスタイルも使う。
「蜘蛛の目」と同時に長く使用していると頭が割れそうになったが、しばらくすると慣れてきた。これは、恐らく、魔王の恩恵だろう、と紅壱は推測していた。
まだ、背後の敵を目力だけで緊縛する事は、今の自分にできない、と理解しているので、紅壱は不甲斐なさから吐きたくなる嘆息を奥歯で噛み潰しながら、左の人差し指をアイスピックのような得物を突き出してきているゴブリン・アサシンへ向ける。
ピュッ、と指先から発射された紫色の雫。暗殺者らしく、そのゴブリンは黒頭巾で顔をすっぽりと覆っていたが関係ない、「蛇の毒」にとっては。
口元を覆っている布に沁み込んだ紫色の雫は瞬く間に揮発し、ゴブリン・アサシンに吸い込まれる。ゴブリン・アサシンの毒耐性は他の個体より高い。けれど、「蛇の毒」は、このゴブリン・アサシンが備えている耐性を上回っていた。
まだまだ、熟練度が低いので、瞬時に命を奪ったり、死に至らないにしても臓腑を腐らせたりする物騒な毒は生成できず、量もたかが知れているが、それでも、動きを鈍らせるには十分。
眩暈を起こし、四肢にもわずかな痺れが出たゴブリン・アサシンに、紅壱の上段回し蹴りが決まる。敵に気付かれぬよう背後から迫る事に長け、不意打ちを得意とするのが暗殺者だ。裏を返すと、打たれ弱い。体の自由が効かない状態で蹴りを受ければ、即お陀仏となるのは決まり切っていた。
ゴム毬よりも派手に弾んでいくゴブリン・アサシンだったモノには目もくれず、紅壱は固まっている集団へ駆ける。
ここで待っていてもチャンスはない、と思ったようで、ゴブリン・ソルジャーとオークが一体ずつ飛び出てきた。ゴブリン・ソルジャーは片手剣、オークの方は素手だ。
(先にゴブリンだな)
攻撃の範囲内に入ると、紅壱はオークに拳を突き出す。殴られる、とオークは身を強張らせた。しかし、オークの顔面に直撃したのはパンチではなく、蜘蛛の糸だった。空中では丸まっていたが、それはオークの顔に近づいた瞬間に広がり、目元へ貼りつく。
オークであっても、顔に蜘蛛の巣が貼りついた時のリアクションは、人間と同じのようだ。慌てふためく様は可笑しかったが、紅壱の攻撃標的はゴブリンから外れていない。
ゴブリン・ソルジャーは突きを繰りだしてきたが、紅壱は臆さない。剣の切先をギリギリで避け、懐へ相手の呼吸に合わせるような足運びで滑り込み、チョップを袈裟懸けに放つ。ゴブリンの肌は人のそれより固いし、ソルジャーは革の鎧を装備している。にも関わらず、紅壱のチョップは鎧どころか肉までも断つ。
ゴブリン・ソルジャーの傷から噴き出た抹茶色の血に、紅壱の顔が顰められる。故郷で、祖父が仕留めてきた鹿や猪を解体していたので、血の咽る匂いは鼻が知っているも、ゴブリンの血の臭さはその比ではなかった。
食っているモノが良くないな、と毒づきつつ、紅壱はオークに意識を向ける。
やっと、蜘蛛の巣を顔から取ったオークは頭に血が上っているらしい、実に鼻息が荒かった。ジョブは得ていないようだが、オークの腕力は強いので、紅壱は油断しない。しかし、彼はあえて、オークが繰り出したパンチを腕で受けた。
「ブギャアア」
案の定、オークの方が砕けた拳を押さえ、悲鳴を発した。
「使えるな、『鰐の鱗』」
オークの血が付いてしまった彼の腕を覆っているのは、焦げ茶けた鱗。硬い上に、一つ一つが尖っている上に、殴った方がダメージを負う羽目になる。当然ながら、攻撃にもこれは有効だ。
「うっさい」
拳から骨が飛び出て痛みに喚くオークを、紅壱は殴り飛ばした、鱗がびっしり生えた拳で。パンチの衝撃は骨まで届き、鱗は頬肉を抉る。二種類の痛みに耐えきれず、オークは意識を手放す事を、地面に落ちる前に選んだ。
「オオオオオ」
オークを紅壱が倒して気を緩ませる瞬間を窺っていたのか、一匹のコボルドが石の槌で殴りかかってきた。しかし、粉々に砕けたのは彼の腕ではなく、やはり、石の槌だった。素材の品質が悪いのもあるが、石で殴られても痛くないのは凄い。
柄だけになってしまった自分の得物にオロオロとするコボルドに、紅壱は優しく微笑みかける。彼の笑顔にコボルドは却って動けなくなってしまい、内股で呆気なく一本を取られ、失神してしまう。
攻めにも守りにも使える『鰐の鱗』だが、見た目が禍々しいのが問題か、と感想を呟いていた紅壱に体、いや、心の底から虎が怒鳴ってくる。
(おい、いい加減に俺様も暴れさせやがれ!!)
歯応えがありそうなカガリを倒したので、紅壱に力を貸す気はなくなっていた虎。だが、仲間は力の一部を紅壱に貸して、戦いの興奮を共有しているのに、自分はそれを味わえず、イライラとしていたらしい。紅壱もピンチになれば泣き付いてくるだろう、と思っていたが、意外に能力を使いこなし出している。このままでは、自分の分がなくなる、と危惧した虎はついに、痺れを切らしたようだ。
無視してもいいが、それだと、更に大声で吼えてくるだろう、この虎は。先程は、自分がどれほど、これだけの数を相手に戦えるか、を試したかったから、覇気を抑えたが、本来であれば、下位魔属をショック死させられる威力がある、「虎の咆哮」は。そんなモノを轟かされたら、脳漿がパァーンと弾け散ってしまっていただろう。
「――――――・・・しょうがねぇなあ」
紅壱は目元を手で覆って、『鷹の眼』と『蜘蛛の目』、次いで、左腕を覆っていた『鰐の鱗』をオフにする。今の彼の実力で同時に借りる事が出来るのは、最高でも三つまで。しかも、各々のレベルを最も弱く押さえて、だ。それだけでも、十分に高位の技術なのだが、この手の常識に欠け、蛇も教えていないので、紅壱は知らない。
何故、紅壱は一旦、全ての能力をリセットしたのか、それは虎が強いからだ。蜘蛛、鰐、蛇、鷹は彼に好意的な態度だ。なので、自分達の能力を紅壱が戦闘で使う事に抵抗を覚えず、使い慣れていく事で彼が強くなる事を望んでいる。
けれど、虎は違う。紅壱が食べ甲斐のある男になる事こそ希望しているが、自分の爪牙を貸すとなると、気に喰わないらしい。しかも、紅壱が自分の力を使ったら使ったで、ここぞとばかりに彼の肉体を奪おうとしてくるのだ。他の能力を使っていると、そんな油断ならない虎の手綱を握っていられないのだ。
「うっし、虎、力を貸してくれッッ」
(貸してやる!!)
本音では「貸せ!」と言いたいのだが、下手に命令口調を使うと、虎がへそを曲げかねない。相手によっては、下手に出た方が上手くコントロールできる、と紅壱は経験から学び、それを活かせていた。
紅壱と虎の間に、一応の力の借用が適用された事で、紅壱の右肘から先までが虎の手と変化する。カガリの身を斬り裂いた際は気付かなかったが、本来の虎の前脚ではなく、どこか、人に近い。
(やっぱ、重いな)
『鰐の鱗』は、元々、肌があのような形状だった、と錯覚できるほど、自然に腕は動かせたのだが、発動させた『虎の爪』には妙な抵抗感が付きまとう。水、いや、寒天に腕を突っ込んでいるようだ。
とは言え、戦うのに問題はないな、と掌を開閉する紅壱。
肉球の弾力も気になるところだが、それを堪能するのは後として、今は雑兵共を片付けてしまおうか。
そう決め、紅壱は瞬動法でゴブリンらとの距離を詰めた。頑丈な盾を自在に扱う、盾兵ジョブがいれば良かったけれど、残念ながら、どの魔属にもいなかった。
「シッ!!」と、紅壱が鋭利な息吹を発し、腕を振り抜くと、運悪く、目の前にいたレッドオークの巨体が引き裂かれ、肉片となる。
カガリよりレッドオークの方が肉体耐久の値が低いので、爪から感じる肉独特の抵抗感に違いがあるのは当たり前なのだが、紅壱は驚いてしまう。
(やっぱ、コイツの爪、とんでもなく切れる!!)
紅壱の心で発した声は、彼の中にいる虎にも当然、届く。不意に、自慢の爪を褒められ、虎は気を好くしたようで、「こんなもんじゃないぞ、俺の爪は!!」と叫び返してきた。
紅壱は虎のイメージを受け取り、腕を振った、爪が届く範囲から魔属が逃げていたのに。
あの爪が届かない位置にいれば安心、そう、魔属は考えた。けれど、そんな油断した者の命を、虎の爪は無慈悲に刈る。
ザンッ、そんな音が虚空とゴブリン達の体から上がった。
爪に切り裂かれた空間は、即座に傷を閉じる。断面がぶつかりあって生まれた衝撃波は指向性を持って飛ばされ、離れて安心していたゴブリンやオークらを襲う。
いきなり、仲間たちが見えない爪にダメージを負わされ、悲鳴を発す下位魔属。直で切り裂くよりも傷は深くないようだが、命には十分に届いているようだ。地面に倒れた魔属の体から溢れ出て、地面を汚している体液の量は、人に照らし合わせれば致命的だ。
魔力を消費していないので、厳密には魔術ではないのだろう。しかし、鳴が自分に使おうとして愛梨に止められ、不発に終わった「風の刃」に等しい、遠距離用の攻撃を得た紅壱の笑みはドス黒さを増す。
「!!」
彼の顔を見て、ゴブリンらが表情を引き攣らせる。しかも、グァッ、と毛が逆立った腕を紅壱が膨張させたものだから、余計に命の危険を覚えたらしい、魔属らは紅壱に突っ込んで来た。どれだけ離れても逃げられない、そう判断し、腕が振り抜かれるのを攻撃して止めよう、と選んだ点は勇気がある、とも評価できたが、哀しいかな、実力が足りない。
人より動体視力が優れた魔属の目でも、紅壱の腕が斬撃を飛ばした瞬間が見えなかった。
手の位置が動いている、そう思った時には前列にいたコボルドは盾にしようとしていたスコップの柄ごと切られる、あの音を発して。また、隣にいたスケルトンにも爪は届いていたようで、こちらは切られこそしなかったが、左側の肋骨が吹っ飛んでしまう。
コボルドの血を浴び、スケルトンの骨片が顔にぶつかった事で、無理に鼓舞していた闘争心は瞬く間に冷え切る。その感情の鎮静は、肉体にも影響を及ぼす。
思い通り、魔属の足止めをした紅壱は距離を狭め、今度は間近で頭上まで上げた爪を振り下ろす。
やはり、接近した際の切れ味は段違いで、オークの体は手の動き通り、切り裂かれた。扇状に広がっていくオークの屍を跳び越え、続けて、紅壱はコボルド・ソルジャーの体を貫く。
限界以上に開かれたコボルド・ソルジャーの口から血と言うよりは腐葉土のような匂いのする体液が吐き出されるより先に、紅壱は爪を抜き、その骸でオークのハンマーを防ぐ。
膂力に長けたオークの槌撃は中々に重かったようだ。『鰐の鱗』を発動させていたならまだしも、この腕では骨を折られていたかもしれないな、とコボルド・ソルジャーの背骨が砕ける音を聞きながら、紅壱はオークに迫り、がら空きの脇腹を引き裂く。
臓物が傷口から溢れ、オークはそれを必死に中に戻そうとするも、その抵抗も数秒ほどで終わる。
スケルトン・ランサーの骨槍を跳んで避け、紅壱は握った左拳を落とす。スケルトン・ランサーは兜を被っていた。だが、紅壱のゲンコツの破壊力は、この品質では防がなかったようだ。頭蓋骨は粉々となり、拳は腰骨まで一気に砕いていく。
「シギャアア」
一匹のゴブリン・ソルジャーは半泣きで、片手剣を振り上げながら突っ込んで来た。
やり辛い、と良心が痛む音を聞きながらも、紅壱の攻撃は緩まない。
手を蹴って片手剣を飛ばした彼は、勢いに踏ん張り切れずに尻もちを突いたゴブリン・ソルジャーにジャイアントスイングをかける。小鬼と表記される種族とは言え、その体重は50kgを超えている。だが、そんな事など感じさせない速度と回転数でブン回され、ゴブリン・ソルジャーには凄まじいGがかかり、気絶してしまう。
悲鳴が聞こえなくなった事で、それを察した紅壱は仲間を救おうと怯んでいる集団から飛び出てきたゴブリン・ソルジャーに向け、投げつけた。その一匹は咄嗟に剣を捨て、仲間を受け止めようとする。ただ、体重は近くとも、スピードが乗っていれば、ぶつかってくる衝撃は段違いだ。ぶつかった方も、ぶつかられた方も大惨事となる。
団子状となったゴブリン・ソルジャーには一瞥もくれず、紅壱はオーク・ウォーリアーの斧を紙一重で躱す。ポケットに入ったままだった一握りの聖灰を第二撃を繰りだそうとしていたオーク・ウォーリアーの面へ投げつけ、目を潰す。
「っしゃ!!」
焼けるように痛む目を押さえたオーク・ウォーリアーの背後へ回り込むなり、紅壱は羽交い絞めとする。 先に灰で目潰しを仕掛けたのは、オーク・ウォーリアーに羽交い絞めへの対応をさせないためだった。そうして、紅壱は反り投げを仕掛ける。腕と肩を固定し、頭から地面へ落とす、いわゆる、ドラゴン・スープレックスであった。
紅壱は背後から、スケルトン・ソルジャーが近づいてきているのを察知していた為、わざとスケルトン・ソルジャーが近づいてくるのを待ってから、技を仕掛けた。まさか、人間が自分の倍はあろうかと言うオークにこんな投げ技を仕掛けるなんて、中身の入ってない空っぽの頭では分からなかったのだろう、スケルトン・ソルジャーの体はオーク・ウォーリアーによって潰されてしまった。しかも、オーク・ウォーリアーもスケルトン・ソルジャーの尖った骨片が突き刺さり、ダメージが増す。
ドラゴン・スープレックスを極めたと言う事は、当然、起き上がらなければならない。魔属もこのタイミングは逃せない、と直感したようで、一匹のコボルドが駆けてきて、ツルハシを振り下ろす、
紅壱の顔面めがけて。相手が殺す気で戦っている以上、情けをかけている余裕などない、その通りだ。なので、紅壱も躊躇わない。ツルハシを紙一重で避けた彼はコボルドの足を払い、転倒させると、足4の地固めを極める。顔が犬っぽかろうが、体は人に近く、手も足も二本ずつなれば、人間用の関節技は勿論、有効だ。
魔属らに実戦経験が乏しい事は、自分に気迫負けしてしまっている、ツルハシの武器としての使い方が今イチ、などから容易に察しがついていた。
普段から肉体を鍛えず、技の研鑽もしたことのないコボルドにとって、関節を極められるなど魔生で初めて。これなら、殴られるか切られた方がマシだったと思うほどの激痛に襲われ、絶叫が口から出て、自分でも驚いたが、その感情もすぐさま消え失せる。当然、降参表明も知らぬコボルドは脛が折れた音を聞いたのを最後に、意識を閉ざしたからだ。
人間はコボルドに自分の足を絡めていた、それだけなのに、コボルドは痛みに悶え、暴れ、ついには気絶した。その流れが、格闘テクニックとは無縁の魔属にとっては恐怖。寝ている紅壱に襲い掛かれるものは誰一匹としていなかった。
「さーて、お次はどいつだ? それとも、終わりか?」
逃がす気もないけどな、と紅壱が指の骨を鳴らした時だった、それらがこの場に召喚されたのは。
空気の不穏な揺らぎを首筋で感じ取り、彼が視線を動かすと、地面に倒れ伏していたゴブリンが不気味な動作で起き上がる。
仕留め損なっていたか、と舌打ちを放ちたくなるも、自分のチョップにより、そのゴブリンの頭部は真っ二つに割れ、脳漿が零れている。いくら、人より生命力が強いからと言って、ゴブリンにとっても、あれは致命傷だ。生きていたとしても、立ち上がれるはずはない。
(ゾンビ化したか?)
ぼんやりと、そんな事を紅壱が考えている間に、オークの屍も立ち上がる。それの胸部にも、足跡がくっきりとついている。衝撃は背骨にまで及び、脊椎を損傷させた足応えもあったから、やはり、生きているのは異常だ。
「ゴブリンとオークのゾンビにも、念仏は効果あるのか?」
彼にしては的を外した呟きだったが、直後、彼は瞠目する。よろよろとしている二体のゾンビへ、地面を埋め尽くしている下位魔属の死体から残留していた魔力が集まっていったのだ。残り滓とはいえ、量も集まれば、それなりには色も濃くなるらしい。ゾンビはあっと言う間に、漆黒に覆い潰される。
そうして、黒い靄が晴れた時、そこに立っていたのは、ゴブリンでありゴブリンではなく、オークにあってオークでないもの。
「何だ、ありゃ」
瑛が渡した資料には、この付近に偶喚された事があるレベルの魔属、霊属のみ。レッドオークなどの亜種や、メイジと言ったジョブ持ちも可能性の一つとして付記されていた。しかし、その資料には、中位の魔属の情報が欠けていた。瑛だって、全てを見通せる訳ではない、今の紅壱がそれに出くわす、その考えに到らずとも責められない。
目の前に召喚された魔属を見て、紅壱が漏らした疑問に答えを与えてくれたのは、博識で人語での会話を可能とする大蛇だった。
『あれは、左がホブゴブリン・ウォーリアー、右がブラックオークよ』
なるほど、と頷いた紅壱が視るオークは、確かに表皮が黒い。体躯も他のオークより大きく、膂力も高そうだ。かと言って、本能任せに暴れるようなタイプでないのは、理智的な光が目に宿っている事から察せる。
「ブフルルルル」と、鼻息は荒く、敵意も漲っているブラックオークから、紅壱は視線を横に動かす。
ホブゴブリン・ウォーリアーは、他のゴブリンと同じく、肌は緑色ながらも、体つきは人間に近い。それは、背中を軽く丸めず、しゃんと伸ばしているからか。また、額から生えている角も、他のゴブリンより立派だ。ゴブリンを小鬼と表記するならば、ホブゴブリンは中鬼と書けそうだ、と紅壱は考える。
ウォーリアーのジョブに就いているからか、得物も、他のゴブリンより上等だった。祖父母の家の書庫には、悪魔や妖怪関連の書籍だけでなく、東西の武器を集めたものもあり、紅壱はそれらにも目を通していたから、そのホブゴブリンが腰のベルトから抜いたそれを一瞥しただけで、カトラスか、と判断できた。
(多少、ボロいにしろ、鎧も付けてるのか)
「キキキキ」と甲高い笑い声を漏らしながら、己の使い込んでいる片手剣を光らすホブゴブリンは、他のゴブリンとは異なり、コンポジット・アーマーと呼べる防具で己の身を守っていた。盾の類を装備していていないのは、カトラスのみで攻防を熟す自信があるからなのか、もしくは、手に入れる機会がないのか。
この二体は、カーミラが満身創痍の状態で、辛うじて召喚できる下僕であった。もう少し、瑛に与えられたダメージが軽ければ、乱戦の序盤からの参戦も叶っただろう。しかし、カーミラは相当に深手で、紅壱に屠られた他の下僕を生贄にしなければ、彼らを召喚する事が出来なかった。
そんな彼女の事情など知った事ではないにしろ、ホブゴブリン・ウォーリアー、ブラックオーク、どちらも先程の鬼より大きく劣るにしろ、他の雑魚よりは強いな、と測った紅壱は少し考え、出した結論を実行に移す。
「来い」
紅壱が呟くと同時に、彼の横に虎が出現する。
「おいおい、あの強気な嬢ちゃんは、召喚はしちゃならないって言ってたぞ」
今更ではあるが、戦いの場に実体を与えられて喜んでいるのが丸分かりの声で、大虎は紅壱をからかう。
「仕方ない。さすがに、あの二匹を同時に相手取るのは少しキツい。
だから、お前の手を貸してくれ」
半分は本気である。その気になれば、中位の魔属なら二体同時に戦える。しかし、長引いてしまう。あまり追い詰められると、折角、強い鬼を吸収して、魔王との融合を食い止めたのに、それが無駄になってしまう。魔王に自分の体を譲る事に、全く躊躇いはないが、今のタイミングは適していない。
紅壱は瑛がここに来る前に、決着をつけたいから、大虎に頼む事も厭わなかった。
「ふん、俺様を猫扱いか・・・気に喰わんが、主様のお願いは聞かねば、な」
「助かる。黒豚の方を任せていいか?」
大虎の返答を聞く前に、紅壱はホブゴブリン・ウォーリアーへ迫っていた。
「あ、お前!?」
実力が勝っている方を先取りされ、大虎は文句を吼えるも、紅壱はあえて気付かないフリをする。
やはり、ゴブリンより強い魔属だからか、ホブゴブリンは紅壱の接近にも落ち着いた対応をする。ウォーリアーのジョブの効果により、能力も高まっていたのだろう。
ホブゴブリンの動きに感心しつつ、紅壱は鋭い振り抜きを跳躍んで躱す。ホブゴブリン・ウォーリアーの頭上を身を捻らせながら通過していく紅壱は、自身の強さをアピールする様に、凹んだ跡を修復してあるケットル・ハットを「ポン」と軽く叩く。
華麗な着地を決めた紅壱に、ホブゴブリンは切りかかろうとするも、彼はその場で止まらず、側転して安全な距離まですぐさま離れてしまう。
グルルル、と忌々し気に唸りながらも、無理に追ってこなかったホブゴブリンへの評価を一つ上げ、紅壱は目的地に落ちていたモノを拾う。
それは、ゴブリン・ソルジャーが使っていた一振りのグラディウス。カトラスを受ければ、呆気なく折られてしまいそうだ。しかし、落ちている武器の中では、これが比較的にマシなのだから文句も言えない。
「ま、アイツをぶった切るなら、これくらいでも十分だろ」
ホブゴブリンにも、人間の言葉は理解できない。だが、目の前の男の表情が、己をバカにしているモノ、その程度は理解できるらしい。
ホブゴブリンが頭に血を上らせたのを見た紅壱は、怯んだ・・・フリをする。経験値を積むためにも、ここはなるべく、相手に手の内を晒させたい所なのだが、その時間は残念な事にない。
口惜しい、と感じつつも、目の前の中鬼より、角の生えた瑛の方が、紅壱にとっては、よっぽど、おっかない。
紅壱の誘いにまんまと乗ってしまったにしろ、ホブゴブリンの上段切りは迫力と威力が両立していた。喧嘩の腕は立つも、剣の技術では準達人級どころか、師範クラスにも届いていない紅壱でも、頭から股間まで真っ二つ、そんな事態は回避できても、腕くらいは切り飛ばされていたかもしれない。
もちろん、自分のレベルを紅壱は把握していた。そうでなければ、格上の相手を挑発するなんて真似はしない。勝てる確信があったからこそ、紅壱は勝率の高い素手ではなく、剣を持ったのだ。
ホブゴブリンのカトラスが、紅壱の脳天めがけて振り下ろされた。
もし、「コンッ」と兜に小石がぶつかっていなければ、紅壱の胴には縦線が走っていただろう。
兜に当たった小石は、せいぜいがサイコロ大。兜を被っていれば、頭へのダメージなど皆無だ。
紅壱を切る事で一杯になっていたホブゴブリンの頭に過った、軽すぎる音と衝撃に対する驚きも、一瞬にすら満たなかった。
けれども、強さのレベルが上がれば上がるほど、あるかないかの細波が勝敗を分けてしまう。
カトラスの勢いに乱れが生じるタイミングが分かっていれば、紅壱はそこに反撃の一閃を重ねればいい。
「シッ」
懐に臆する事なく飛び込んだ紅壱は、体をわずかに左へと捌き、ホブゴブリンのカトラスを躱しながら、鋭い斬撃を胴に見舞う。ホブゴブリンの体は、コンポジット・アーマーに守られていたし、紅壱が手にしたグラディウスも鈍らで、名刀とは言えない。
それでも、テクニックとスピードで十分な斬撃を繰り出してしまえるのだから、紅壱の才能は底知れない。
踏み込んだ勢いを利用し、すぐさま、紅壱は後ろへ退いたが、それはあくまで保険。腹を裂かれ、内臓が傷口からハミ出てしまっているホブゴブリンに追撃は不可能だった。
「意外に頑丈だったな」
大量生産品だから耐久性には目を瞑ったのだが、紅壱の一閃にグラディウスは耐えきっていた。
もう一回くらいなら切れるか、一秒以下の滞空時間で冷静に判断した紅壱。足が地面の堅さを感じとると同時に、彼は再び、前に飛び出す。
紅壱の気配を、瀕死ゆえに敏感となっている察知能力で捉えたのだろう、ホブゴブリンは最後の力を振り絞る。相討ち上等、その精神は時に奇跡を引き込む。
けれども、紅壱はその奇跡すら捻じ伏せるのだ。
カトラスが切れたのは、紅壱の薄皮一枚で、その感触をホブゴブリンが掴む前に、自壊寸前だったグラディウスは最後にして最高の働きをした。
宙に跳ね上がったホブゴブリンの頭部へ、念には念を入れる主義の紅壱は折れてしまい、切る事が出来なくなってしまったグラディウスの成れの果てを投げつけた。一直線に虚空を翔んでいった、半ばから折れているグラディウスの刀身は、ホブゴブリンの眉間に深々と刺さる。
古都を震え上がらせた鬼の王であれば、首だけになっても敵に噛みつくだけの根性を見せたのだろうが、ホブゴブリン・ウォーリアーと言っても、紅壱にとっては少し厄介な雑魚でしかない。首を刎ねられた時点で、とっくにホブゴブリンは絶命していたから、紅壱が投げつけたそれはオーバーキルに他ならなかった。
「――――――・・・玄壱の孫、お前、それは汚いだろ」
呆れ果てたような声で、大虎は主の勝ちを讃える。ブラックオークは見た目以上の俊敏さで善戦したが、地力の差は引っ繰り返す事が叶わず。大虎の爪に腹を裂かれ、ホブゴブリンと同じく、腸を外気に晒してしまっていた。
ゲフッ、と鉄臭い息を吐きながら、大虎が目をやったのは眉間へグラディウスがささった拍子に脱げた兜。それには、小石がくっついていた。一体、誰が、この紅壱を勝たせたモノをホブゴブリンへぶつけたのか。
誰も投げていない。もちろん、意思なき小石が紅壱を助けるため、飛んで来た訳でもない。土系の魔術も会得していないので、彼には小石一つも魔力による命令で動かす事ができない。
その鍵は、紅壱がホブゴブリンと剣先を向け合って構える前に取った行動にあった。
紅壱がホブゴブリンの斬撃を跳んで避けた際、兜に触れたのを覚えているだろうか。その際、紅壱は細い蜘蛛糸を指先から出し、先端を兜に接着つけていた。そうして、もう一方を砕けた石柱の破片へ貼りつけておいた。
魔術は扱えずとも、自身の魔力から作りだしたモノになら、単純な動きをさせられる。
兜と小石を繋ぐ蜘蛛糸に組み込んだ魔力に組まれた命令式は、「30秒後に縮む」だった。
ホブゴブリンが迅速に動くと同時に、蜘蛛糸に組み込まれた命令は発動する。あまり大きく、重い物体は引っ張る事が出来ないが、子供の拳大までならば糸は縮む勢いを殺さない。予想通りの速さで、糸に引き寄せられた小石はホブゴブリンの兜に当たってくれた。
「殺すか殺されるかの場で、手段を選り好みするほど、俺はお調子者でも、高慢ちきでもない。
正々堂々な戦い方で、観客を気持ちよく沸かす試合なら、会長にでも任せるさ。
俺は死にたくも、負けたくもねぇから、汚くてみっともない手段は何でも使う。
惨めだろうが、泥に塗れようが、最後に息がある者が、この場で唯一、強く、正しく、そして、最高の気分を味わう権利がある者だ」
「――――――・・・・・・それは、極悪人の理屈だぞ」
「魔王の依代が、善人じゃやってられねぇよ」
魔王を復活するまで宿し続ける、そんな宿命を己の生き様にしているからか、偽悪的なスタンスを保つ紅壱。そんな不器用な彼に、大虎は「フンッ」と鼻息を漏らす。そこに混じっている感情が、侮蔑ではなかったので、紅壱は戸惑う。だけれど、彼が心情を問う前に、大虎はブラックオークを一心不乱に食べ始めてしまう。
食事の邪魔をする、それは紅壱にとって、己の流儀に反する。当然、食事の邪魔をされるのも許せない。ゆえに、疑念をグッと飲み込んだ彼はホブゴブリンの屍からカトラスを奪う。
「さぁ、次の奴、出て来い。こっちの都合で悪いが、さっさと片付けたいんだ。
大人しく切られてくれ・・・それとも、俺から行くか?」
漫画の中にしか登場しないであろう、不良の笑い方をした紅壱の足が前に出る。それと、ほぼ同時に、一匹のゴブリンが怖気づいてしまっている軍勢の中から転がるようにして出てきた。
その度胸に感心しつつも、即座に切ろうとした紅壱だったが、ふと、その老ゴブリンの様子に異変を覚え、一先ず、攻撃を中止する事にした。
一か八かの命懸けが一つ目の実を結んだことに安堵せず、老ゴブリンは更に前に歩み出てきた。
手の振り、足運び、また、他のゴブリンよりも小さい、と言うより、弱々しい肉の突き方をしている体に纏う魔力の脆弱さから、強さは下の下の下と判断する。それでも、まったく油断せず、いつでも命を奪えるぞ、と気迫でアピールすることを怠らないのだから、一体、どれだけの修羅場を潜ってきているのか、と魔属らは絶望を深めた。
しかし、他種族は元より、同じゴブリンも、この老いた小鬼が、何故、一人で紅壱に立ち向おうとしているのか、意図を知らされていないようで、集団から漂っている気配には、紅壱への根源的な恐れだけではなく、混乱も滲んでいる。
老ゴブリンを止めたいけど、足が動いてくれない自分に対する嫌悪も混じっているのに気付き、紅壱はつい、口の端を釣り上げてしまう。途端、恐れの色が濃さを増し、紅壱は反射的に口元を引き締める。
よたよたと恐れから重い足取りで近づいてくる老いた小鬼は杖こそ手にしているが、メイジではないようだ。見る影こそないが、恐らくはソルジャーだったのだろう。衰えた筋肉では、もう、剣は持てないようだ。
(このゴブリンのジジィ、何のつもりだ?)
疑問を膨らませながらも、あえて、老ゴブリンが自分の間合いの一歩外に近づいてくるまで、紅壱は直立不動を保った。
ここが限界、と感じ取ったようで、老ゴブリンは紅壱の攻撃が自分の命に届く地点で足を止めた。そして、紅壱が真意を問うべく、真一文字にしていた唇を割る前に、その場へ跪いた。
その体勢は、どう見ても、土下座だ。命乞い、見逃してくれる事を真摯に求める姿勢だ。
ゴブリンにも、土下座の文化があるのか、と虚を突かれる紅壱。ホブゴブリンを前にしていたら、致命的な隙となっていたが、この老いた小鬼にはそれを突けるだけの実力がなかったようだ。老ゴブリンは、チャンスに気付いた様子もなく、依然として、額を地面に押し当てている。
顔を下にしているから、と言う理由だけではないだろう、紅壱が老ゴブリンの必死な様子が覗える呟きが聞き取れないのは。土下座をしている以上、その内容の察しはつくが、適当に返事をするわけにもいかない。そもそも、自分の言葉が相手に伝わるのかも微妙な所だ。
(オークやコボルドも、どよめいてるとこ見ると、ゴブリンの言葉が理解できるのか)
もしくは、魔属の言語は統一されているのだろう。他の国の言葉を苦労して、頭に詰め込まないで済むのは楽だな、つい、くだらない事を考えてしまう紅壱。
今、思い返してみると、修羅は普通に喋っていたが、ゴブリンやオークは奇声しか発していない。俺の脅し文句に反応している、と思っていたが、あれも台詞の中身ではなく、表情や威圧感に対するリアクションだったのではないか、と紅壱は気付く。
(うわっちゃー、恥ずかしすぎるぞ、俺)
頬が音を上げて熱くなるのを感じるが、この場で顔を覆う訳にも行かないので、表情だけは取り繕い、更に額を強く擦りつけている老いた小鬼を見下ろす。
ふっ、と息を吐いた紅壱は、大蛇をその場に召喚する。大虎に続き、大蛇まで目の当たりにし、魔属らの絶望は底を貫いたらしい。次々に、膝が落ちる。
無駄に脅かしてしまっている事に胸が痛まないでもないが、この場は大蛇の手を借りねば、どうにもならなかった。
「大蛇さん」
「おい、玄壱の孫!! 何で、俺は『虎』って呼び捨てなのに、そのオカマには、さん付けしてるんだ!?」
「黙れ!!このドラ猫がッッ」
俺の名前を呼ばないお前に言われたくねぇよ、と不満を返す前に、大虎は大蛇の眼光が起こした衝撃を、まともに受け、その巨体を動かせなくなる。
(オカマは禁句か)
「ん、何かしら?」
「通訳をお願いしたい」
お安い御用よ、と長い舌を出し入れした大蛇は、失神しそうな老ゴブリンに蛇行して近づき、優しい声で語り掛ける。
「さて、用件を聞こうか?」
『は、はいゴブ!!どうか、お慈悲を持って、我らの助命を嘆願したいゴブッッ』
語尾まで丁寧に通訳してくれる大蛇に眉間を揉みたくなるも、紅壱はスルーしよう、と決め、冷静に話を続ける。その意志を示すべく、彼も地面に腰を降ろし、胡坐を掻く。しかし、その威圧感は立っている時と、さほど変わらない事を本人は気付いていない。
「つまり、降伏するって事か?」
『そうゴブ。我らゴブリンは、降伏するゴブ』
その言葉を聞き、オーク、コボルド、スケルトンの中からも、残っていた内で最も立場が上である個体が飛び出てきて、気まずそうにしている紅壱の前に跪く。
『おらたち、オークも降伏するブヒッ』
『拙者たちも、白旗を振るボル』
『私達もホネ』
コボルドとスケルトンの、キャラ付けにも程がある語尾に吹き出しそうになるのをぐっと堪え、紅壱は顎を撫でる。チラリと視線をやれば、他の魔属もそれぞれのリーダーに倣っていた。
「降伏するって事は、お前ら、俺の手駒になるって事だぞ」
その辺りを分かった上で跪いているのか、そう尋ねると、各リーダーは当然と言わんばかりに首肯する。
『はいゴブ』
『はいブヒッ』
『はいボル』
『はいホネ』
重なったイイ返事に、やや軽く気圧されてしまう紅壱。
「今更だけどよ、俺、お前らの仲間、かなり殺してるぞ。
その俺の部下になるってのは、お前ら的にOKなのか?」
紅壱が指さしたのは、地面に伏す魔属の屍。
彼は心のリミッターを外して、この場にいる魔属と闘い、人を殺せる技を惜しまずに使っていた。魔属の体は、人間より頑丈にできている。しかし、紅壱の躯は魔属・霊属より強靭だ。つまり、彼の技は人だけでなく人外すら殺せる。
覚悟をそれぞれに持っていたからこそ、この戦いの場にいる。殺さなければ、殺される。紅壱は、ゴブリンらの命を奪った事に対する罪悪感をさほど覚えていない。恨まれ、憎まれる筋合いはあるにしろ、責任を取るつもりもなかった。
それだけに、ある意味、仇である自分の部下に抵抗なくなろうとする魔属の感覚に、ピンと来ないようだ。
仲間の屍に、ゴブリンらは悲痛そうな面持ちとなる。しかし、それも一瞬。すぐに、真剣な表情が、紅壱に向く。
『この世は弱肉強食ゴブ』
『力なき者は生き残れないブヒッ』
『貴方様ほど強き者に討たれたのであれば、彼奴らも恨みはないボル』
『我ら弱き種族は、強い者に従って、これまで種を保ってきたホネ』
なおも、紅壱が苦い表情でいるからだろう、老いた小鬼は言葉を続ける。
『また、貴方様は、カガリ様に勝った御方ゴブ。
カガリ様の部下である我々が、勝者の所有物になるのは自然の道理ゴブ』
名も無き敗者として堂々と自らを食わせた鬼の戦士の名を、不意に知ってしまい、紅壱は胃に痛みを覚える。勿論、これは気の所為であろう。
不可抗力、と割り切った彼は咳払いを一つする。その動作で、魔属らの懇願がピタリと止む。
静寂の中で注目されてしまい、紅壱はげんなりとするも、意を決して口が開かれる。
「正直なトコ、俺はお前らを皆殺しにする気はない」
『『『『!!』』』』
「降伏宣言してくれるなら、それは本当にありがたい。
俺も無暗に、命を奪いたい訳じゃない。
お前らの降伏を受け入れるのは、吝かじゃない」
瞬く間に、魔属らを取り囲んでいた恐怖の念は薄まり、一転して、生が繋がった安堵や歓喜が広がっていく。
『では、我々を部下として迎え入れて下さるゴブか!?』
『何でもやるブヒ!!』
『二心無き忠義を持ってお仕えする所存ボル』
『この身が痩せ細っても、働かせてもらうホネ』
「そこなんだよなぁ、問題は」
魔属らの熱意に彼が返答に窮していると、おもむろに大蛇が寄ってきた。
「坊や、私はこの降伏を受け入れるべきだと思うわよ」
「・・・・・・」
「坊やは今後、天使と戦う気なのでしょう?もちろん、勝つつもりでもいる。
なら、数がいるわ。あいつらは軍勢を率いているハズだもの。
手下を増やせるチャンスは、そうそう巡ってくる訳じゃない。
ここは、首を縦に振るべきよ」
「そら、俺も分かってるさ」
困ったように頭を掻いた紅壱は、とりあえず、自身の考えを述べる。
「降伏を受け入れる、そこまではいい。
お前らが部下になってくれりゃ、俺としちゃ渡りに船で助かる。それも、事実だ。
しかしだ、部下にしたお前らを、こっちに残す訳にはいかないんだよ」
紅壱が言わんとする事が理解できたのだろう、魔属らはどよめく。こちらに来てしまった以上、自分達は人間に害を成す存在と扱われる。つまり、人間界に残れば、常に身を隠し、いつ討たれるか、その恐怖に縛られる事になる。
『組織』の者と契約を結べた個体であれば、そんなプレッシャーと無縁でいられるだろう。けれど、ゴブリン達は紅壱の部下になった、そう、ハンターに告げても聞く耳を持って貰えないだろう。何故なら、紅壱には、何の功績もないからだ。
この世は、結果第一主義。いくら、紅壱が百人力、一騎当千、十万馬力の猛者であろうとも、『組織』に高い評価を受けていなければ、そこらの有象無象と大差はなく、部下となった下位魔属も狩られる対象のままでしかない。また、紅壱には彼らを殺されても、抗議を出来る立場にもない、今はまだ。
(会長らを巻き込むのも、マズい、絶対ぇだ)
瑛であれば、事情を真摯に説明すれば、力を貸してくれるだろう。恵夢らもそうだ。鳴に関しては不安だが、瑛が頼めば、手の平を返すのは目に見えている。
しかし、それが紅壱にとっては困る。
自身の都合で、惚れた女の野望に枷をはめさせる訳にはいかなかった。『組織』のトップを目指しているのは、瑛だけではない。そんなライバルに、瑛の弱みを握らわせる訳にはいかない。大量の魔属を匿うなど、致命的すぎる。
(退帰させちまうのが、一番かつ唯一の解決策だ。
もう一回、コイツらを召喚できるか、そこは考えない方が良い)
ただ、解決策と言うのは、最善のものほど実行が難しいのは世の常だ。
これだけの数を、一斉に退帰させる方法を知らない、紅壱は。瑛なら知っているだろうが、彼女に聞けば勘付かれてしまう。問い詰められたら、きっと、自分はゲロってしまうだろう、と紅壱には分かっていた。
また、退帰は相応の体力、魔力を消耗する行為だ。一匹二匹なら、翌日に引きずるような疲労に至らないが、この魔数は途中で意識を失うのは明らかだ。しかも、カガリと闘い、その後、下位魔属とは言えども、相当数を倒している紅壱は自覚できない、と言うより、自覚しないようにしているほど、疲れを抱えている。そんな状態では、半分どころか四分の一も達せない。
だからと言って、自分に真面目に仕える気でいる彼らを、乱暴な手段でエネルギー体に帰してしまうのも気が引けてしまう。倫理観を無視した楽な手段が選べないあたり、とことん、紅壱は悪に徹しきれないようだ。
このまま無返答を貫ける状況でもない。とりあえず、紅壱は現状確認をしてみる。
「お前ら、自力であっちに帰れないのか?」
その質問に、魔属らは気まずそうにし、老ゴブリンが代表して、皺だらけの首を横に振った。
『無理ゴブ。
我らは、カーミラ様に召喚された身ゴブ。
カーミラ様が負けて、先に帰ってしまったから、我らは戻る手段を持たないゴブ』
高位の魔属に召喚された、下位の魔属はその個体に召還して貰わねばならないようだ。一向に、その気配がないところを見ると、ゴブリンどもを召喚した高位の魔属、カーミラって奴は、こいつらを切ったのか、と紅壱は推測する。
(それとも、会長から受けたダメージが重くて、それどころじゃないか)
いずれにしても、結界を壊すまで、瑛らを足止めするための戦力として集められたゴブリン、オーク、コボルド、スケルトンは上司に見捨てられた。それが判っているからこそ、彼らも必死で命乞いし、これからの平穏を保つ努力を惜しまないのだろう。その姿勢には、素直な好感が持てる。
『・・・・・・人間様』
その呼び方はどうなんだ、と思うが、「部下にする」、そう、ハッキリと言葉にされていない以上、主従を連想させる呼び方はできない、と老いた小鬼の気遣いを察し、紅壱は「何だ?」と、静かな声で返す。
『あちらに帰る手立てさえあれば、人間様は後ろの者らを部下に迎えていただけるゴブか?』
「――――――・・・そうだな。お前らが、自由に行き来とは言えんが、一旦、この場は帰る手立てが見つかれば、俺はお前らを部下にする」
『その言葉を聞ければ、安心ゴブ』
その老ゴブリンは見た目からは思いもよらぬ素早さで、己の喉笛を懐に隠し持っていた短剣で掻っ切ろうとした。
『アッッ』
だが、紅壱の指により弾かれた空気弾に手首は打たれ、衝撃で老ゴブリンは短剣を落としてしまう。素早く拾い上げようとするも、紅壱のぬっと伸びてきた手に先を越されてしまう。
「一応、自決しようとした理由を聞いておこうか。
いや、先に、この短刀が何か、を聞いた方が手っ取り早そうだな」
自身に向けられている、紅壱の目が怒りを宿していない事が却って、老ゴブリンにプレッシャーを与えるのだろう、彼は手首の痛みも忘れ、土下座の体勢に戻る。
『それは、我ら氏族に、かつて、名持ちの魔族様が兵糧の報酬として与えて下さった魔術道具ゴブ。
ドワーフが打った短剣に、ダークエルフがとある呪術をかけたそうゴブ』
「とある術?」
『命を捧げる事で、あらゆる願いを叶えてくれるらしいゴブ。
強い、もしくは、年経た個体の死ほど、力が強まる、と伝えられているゴブ』
ベタな代物だな、と口中で呟き、紅壱は手にしている短剣を注視する。老いた小鬼はその効果を信じているようだが、眉唾だな、と彼は感じた。
故郷の家には、その方面の本物が蔵いっぱいにあり、祖母にはそれらの整理やメンテナンスを手伝わされていたので、価値までは判断できずとも、本物か偽物か、その程度は見抜ける。
確かに、短剣はゴブリンのそれよりは上等な魔力を纏っている。しかし、命を捧げられても、願いを叶えてはくれないだろう。仮に、その力が短剣に籠められていても、ゴブリン一匹が死ぬ事で発生するエネルギー量はたかが知れている。後に鑑定して判明したが、叶えてくれる願いも、せいぜいが切り傷の再生か、三日ばかりの食費を棚ぼたで得る、その程度だそうだ。
あらゆる願いが叶えられる、と言うのは、受け継がれていく間に誇張されていったに違いない。だが、代々、大切に受け継いできた逸品の力を疑うことなく、自らの命を捧げんとした老ゴブリンの決死の覚悟を、「これ、ガラクタだぞ」、そんな言葉で砕けるほど、紅壱も鬼畜ではない。
「これで、お前はどんな願いを叶えようとしたんだ?」
『人間様の心労を減らすべく、我ら全員をあちらの世界へ還してくれ、そう願おうとしたゴブ』
なるほど、と老ゴブリンの言葉に頷き返した紅壱は再び、短剣を見る。
(無駄死になるトコだったな、じいさん)
溜息を一つ漏らし、紅壱は短剣を老いた小鬼へ返還する。いいゴブ? そう聞かれ、紅壱は「構わないさ」と告げる。また、自決を図らんとしても、紅壱に阻止されるのが目に見えているからだろう、老いた小鬼は短剣を懐へと戻した。
しばしの間、虚空に睨みを効かせていた紅壱。それは、ほんの十秒ばかりだったが、下位の魔属にとっては、自分達が棲む森の主に年に一度の供物を捧げに行く時に匹敵する緊張感を覚える、永劫にも等しい十秒だった。
「俺の、お前らを部下にするって決定は翻らない」
その発言に、彼らは再び、安堵するも、紅壱が言葉を続けそうだったので、歓喜の声を発したいのを堪え、ジッと聞き入る。
「部下になるってコトは、お前らの命を俺が預かるってコトだ。
つまり、お前らの生殺与奪を決めるのは俺、お前らの命は俺の私物だ」
人間相手では暴論の極致だが、先に彼ら自身も言っていた通り、魔属・霊属にとっては「弱肉強食」が常識の基盤となるので、彼らは紅壱の言葉へ、一斉に頷く。壱分の乱れもなく縦に首が振られる光景は、中々に壮観だな、と感心しつつ、紅壱は語る。
「俺が許可を出さない限り、お前らに死ぬ権利はない。
自決は当然だし、戦いの中で犬死する事も許さない。
無許可で死ぬってんなら、勝って死ね。
そんで、俺が『死ね』と命令したなら、何が何でも、生き残るために必死になって戦え」
あまりのメチャクチャな命令に、一同の口はポカンと開いてしまう。けど、すぐに、これは紅壱の不器用さから来る優しさだ、と気付いたらしい。
「お前らの一つしかない命を預かった以上、俺もお前らが生き残れる可能性を少しでも上げられるよう、全力の努力をする。
お前らの命は俺の物だが、俺もお前らの働きに命を預ける。俺は、お前らとお前らの家族の為に戦ってやる。
俺を死なせたくなかったら、お前らは限界以上の本気で、俺と自分達の誇りを害さんとする敵と戦え。
死ぬ事が、俺への恩返しになると思うなッ。
俺に礼をしてぇってんなら、絶対に死ぬ戦いから生きて帰ってくるぐらいしてみせろ!!」
一気に捲し立て、凄まじい勢いで「やっちゃった感」に襲われたのだろう、紅壱は見実まで熱くなるのを感じられた。
紅壱が穴があったら入りたい衝動に駆られているとは知らず、老ゴブリンだけでなく、オークやコボルド、スケルトンの仮リーダーらも感涙に咽んでいた。
よもや、一日に二度も、人生・・・いや、魔生で「この人に会えてよかった」と思えるとは露も思っていなかったのだろう。
彼らの魔生観に衝撃を与えた二人目が、目の前で悶えたいのを耐えている紅壱であるのは言わずもがな。では、一人目は何者か。それは、紅壱と死闘を繰り広げ、全力を上回れ、惜敗を喫した誇り高き敗者、カガリだった。
人間界に来る前、カーミラは一帯の集落から、下位魔属の牡のほとんどを招集した。集落に残されたのは、戦うには力が不足となる幼体と老体だった。
人間に照らし合わせるなら、20代から50代程度の体力を持つ個体が、天戯堂学園に殴り込みをかける隊の指揮権を一任されたカーミラの前に並ぶ。そんな下位魔属を見やるカーミラの目には期待も失望もなく、捨て駒にする気なのが丸分かりだった。一方で、ゴブリンらの目にも、諦めしかなかった。
人間界の、ある施設を襲撃するため、と聞かされた下位魔族らは反対意見を口にしなかった。言っても無駄だと分かっていたし、上位魔属に逆らうほど、彼らも愚かではなかった。知能など皆無で、食欲と性欲しかない種族、それは人間の勝手なイメージだ。しかし、そのイメージに引っ張られ、種の誇りを失い、本能で暴れてしまうのも事実だった。
そんな下位魔属らは、いくつかの集団に分けられた。
老いた小鬼が率いるゴブリン達が向かった先にいたのが、カガリであった。
彼は下位の魔属の目や体臭に沁み込んでいる「負け犬根性」に、深い溜息を溢したくなった。
彼が誕生したのが、約30年前。その頃のゴブリンやオークは、もっと、目をギラつかせ、大きな戦いに臨む際は、もっと鼻息を荒くしていた。
彼だって、最初から羅刹だった訳ではない。生まれた時は、目の前で死んだ目をしている者らと同じく、一匹のゴブリンだった。
しかし、彼は同時期に生まれたゴブリンよりも、強さ、と言うより、生きる事に貪欲だった。
餌や牝を目当てとして縄張りに入ってきた他所のゴブリンや、オークを棍棒で撃退し、時にはコボルド・メイジに魔力の使い方、スケルトン・ソルジャーに剣相手の戦い方を教わり、己を研ぐ事を日課とした。
単騎でリザードマンを討ち、仲間と共にワイバーンを狩った彼は集落の大人や、山賊かつ自衛団のようなポジションにいたワードックらの頭目からも一目を置かれていた。
一度、この一帯にある数十の集落を治めていた下級魔族が護衛としてスカウトに来た。だが、横柄な態度が気に入らなかった、彼はそのインキュバスを返り討ちにしてしまう。
いくら、肉弾戦が不得手とは言えども、インキュバスがゴブリンに負けたなど恥にも程がある。この事実は、棍棒で自慢の顔をメチャクチャにされたインキュバスの胸だけに秘められたので、このゴブリンや故郷が謂れのない迫害を受ける事はなかった。
その強靭な精神ゆえに、彼はとある魔女に下僕として召喚されても、自我を保っていた。普通の魔術師なら、自身の命令を素直に聞かぬのであれば、ゴブリン程度ならば、また召喚すればいい、そう考え、殺してしまっていただろう。けれど、彼を召喚だ魔女は変わり者で、そのゴブリンを術で傀儡とはせず、雑務をこなさせる傍ら、個の成長を促した。
魔女の特訓や、怪しい薬のおかげで、彼はゴブリンからホブゴブリン、オーガへと種族進化を順調に果たし、ついには使用できる魔術に制限が生じるも、近接戦では比類なき強さを誇る、霊属・亜人型・修羅に到達った。
自身の理論が正しかったことを証明でき、一つの満足感を覚え、その修羅に己の名を送ると、そのまま、行方を晦ました。
与えられた「カガリ」の名を、魔女からの退職金と考えた彼は、傭兵として身を立てる事にし、今日に至った。
そうして、ある程度は名も売れ始めた時、人間界にある封印の場所を襲撃する計画の要として、ある魔族に雇われたのだ。それまでも、幾度か、人間界に助太刀として出向いていたカガリだが、ここまでデカい仕事は初めてだったので、胸が高まった。
なのに、どうだ、強引に与えられた部下は、ろくに戦った事がないのも丸分かり、その上、これから暴れられると言うのに、歓喜も興奮もしていない。
強くなりたい、強い奴と闘いたい、常に上を目指し、今でも、修羅からの種族進化を目論んでいるカガリにとっては、ゴブリンやオークのような雑魚魔属として生まれてしまった以上、自分以外の意志に死を強要されても仕方ない、現実を受け入れるのではなく、諦めている彼らも、魔属や霊属を遊戯目的で惨殺する人間のクズと大差がなかった。
この場で、下位魔属を殴殺する事は容易かったが、それでは意味がない、とカガリは己の怒りを宥めた。 自分も成長したのだな、と感じ入りつつ、カガリは彼らから、どうしたら、根付いてしまっている弱気を吹き飛ばせるか、を考えた。
そして、カガリは魔力を派手に放出しながら、喝を入れ直すための激励を発すべく、鋭き牙が並ぶ口から息を強く吸った。
(カガリ様は、我らに『雄々しく戦い、華々しく散れる戦場を用意してやる』、『嫁を惚れ直させ、子に憧れを抱かれたければ、血も汗も、一滴残さずに燃やして戦えッッ』、『全力で戦い、死力を尽くしたお前らの生き様を、俺はこの胸に焼き付けよう』と仰って下さった)
修羅は夜叉や羅刹と比べれば、魔術がからっきしな霊属ではあるが、カガリは亜種のゴブリンとして生まれた事、実力で種族進化を果たしている事、また、魔女に祝福を与えられていたために、「軍勢鼓舞」の特殊能力を持っていた。
「軍勢鼓舞」の効果は、文字の通りで、闘争心を煽り、全体的な能力を底上げ、死や痛みに対する恐怖心も薄れさせるものだ。これは、レベルが低い個体ほど強く影響するので、カガリが結界を破壊するまで、守護者を食い止める、生きた意思なき捨て駒としてカーミラが集めた下位魔属には、効果覿面であった。
ゴブリン、オーク、コボルド、スケルトン、それぞれの誇りをカガリの姿を見て取り戻した彼らは、カガリの為に戦い、カガリの為に死のう、と結束を強めた。
そんなカガリを、目の前の人間は倒した。カガリにこの場から遠のけられはしたが、彼らは命令に背き、他の場所に行かず、その戦いを観ていた、カガリが勝つ事を微塵も疑わず。正々堂々の決戦の末、カガリが敗れ、掟に従って勝者の糧となったのを見た時は、全員が、唐突に足場を失い、底なしの奈落へ落とされる錯覚を覚えたほどだ。
限界を超えて戦い、誇りを汚すことなく負けたカガリが敵討ちを喜ばないのは百も承知だった。だが、己の誇りをゴブリンらは止められなかった。
結局、力は及ばず、個の誇りを捨て、種を残す選択に走ってしまった。けれど、今になっては、それが正解だった、と気付ける。
目の前の人間もまた、自分達に矜持を与えてくれたのだから。ちなみに、これは紅壱が、契約している霊獣がカガリを食べたことで、間接的に「軍勢鼓舞」を獲得している事実を意味していた。
『に、人間様、お願いがあるゴブ』
「何だ?」
『お名前を教えて欲しいゴブ』
老ゴブリンの言葉に他の魔属も頷き、『教えて欲しいブヒ』、『お願いしますボル』、『何卒ホネ』と額が地面に擦りつけられる。
名乗っていなかった事に気付き、失念に頬がまた熱くなるのを感じながら、紅壱は一つ咳払いをしてから、ジッと待ち構えている下位の魔属らに堂々と名乗る。
「俺の名は、辰姫紅壱。
お前らの主となる男の名を、魂の芯に刻みつけろッッ」
その途端、雄叫びが轟く。あまりの熱狂に、紅壱もつい、引っ張られてしまい、右の拳を高々と衝き上げる。それを見て、ゴブリン達も拳を幾度も突き上げ、更に腹から声を出す。
さすがに、咆哮の呼応を十回も繰り返すと、頭に上った血も下がったらしく、紅壱は巧いタイミングで拳で天を衝くのを止める。
「さて、どうしたものか」
いっその事、祠がある裏庭に匿い、少しずつ退帰させるのが、時間はかかるにしろ確実だろうか、そんなリスクがまだ高い手段を彼が取らざるを得ないほど追い詰められた時だった、「仕方ないわね」、そんな声が紅壱にだけ聞こえたのは。
驚いて、「誰だ!?」と紅壱が右耳を手で押さえたのを見て、大虎と大蛇も異変に察知いたのだろう、臨戦態勢に入る。しかし、大蛇のピット器官も、大虎の目と鼻も敵の魔力を感じ取れない。
「先程の観戦料よ。それなりには、楽しませてもらったわ」
またも、声が頭、いや、心に響き、紅壱は鋭い視線を周囲に巡らせる。彼は上空に、とてつもない魔力を感じ取った。彼が感じたのは、力の一端に過ぎないようだったが、それだけに力の差が否応なしに分かってしまうほどだ。
意識をどうにか繋ぎ止めようと、紅壱は足を踏ん張る。
「・・・・・・ん?」
刹那、彼の影が揺らめく。自身の体勢が崩れたからか、と彼は思ったが、すぐにそれが思い違いであると知る。紅壱の影は不気味に波打ち、徐々に、その形を変えていく。
もし、影の輪郭が自分のそれから、アバドンを連想させる形状に変化したのであれば、彼も呆気には取られなかっただろう。だが、自分や恩人に背丈が届かぬ、女子小学生ほどの大きさに影が変わってしまったから、紅壱も目を点にしてしまい、我に返るまでの時間がいつもの倍はかかってしまった。
ハッとした時には、もう、少女の影は急激に伸びて、現状の把握が出来ず、狼狽えてしまっている下位魔属に向かって、地面を無音かつ、砂埃も立てることなく駆けていた
ゴブリン達は本能的に危険を察し、影に捕まらないようにするも、皮肉な事に、彼らの体を動けなくしたのも本能だった。
紐状に分散した影が、その場に残っていた魔属全てに触れた。その瞬間に魔力は膨張し、紅壱は顎を打ち抜かれたような衝撃を覚え、片膝を落としてしまう。
頭を左右に振って朦朧とした意識を清涼とさせた彼が目線を上げた時には、もう、自分に忠誠を誓ってくれたゴブリン、オーク、コボルド、スケルトン、計41匹は残らず消失していた。その場に残っていたのは、紅壱に倒された者らの骸だけだった。
「・・・・・・・・・」
この事態には、紅壱も、大蛇も、大虎も唖然とするしかない。
「あいつら、全員、消されちまったのか」
大虎の唸りには、ぶつけようのない怒りが籠る。しかし、大虎の言葉を紅壱が戸惑いながらも、ハッキリと否定する。
「いや、全員、ハンターに狙われない、安全な場所に転送されただけらしい」
「何!?」
「今、誰かが俺にそう言った」
「そんな戯言を信じるってのか、玄壱の孫!?
いや、どこだ、そいつは!!俺が噛み殺してやるッッ」
大虎は勇むも、その魔力に気付けなかった自分では一歯すら報えない、と体が気付いてしまっているのだろう、大地を踏み締めている四肢は小刻みに震え、息遣いにも抑制しきれない恐れの念が滲んでしまっていた。
「もう、ここにはいない。いや、元々、近くにはいなかったのかもな。
とりあえず、俺はこの言葉を信じるよ」
「根拠は何?坊や」
「勘だ、ジジィ譲りのな」
「それは信じられるわね。
でも、いくら、ゴブリンやオークみたいな下位の魔属とは言え、数が多かったのに、一瞬でどこかへ実体を持たせたままで転送するなんて、俄かに信じがたいわね」
まだ魔術方面には明るくない紅壱は、大蛇が覚えている戦慄の念に同調と来ないらしい、その太い首が傾げられる。
「凄いとは思うが、そこまでの事なのか?」
「多分、いいえ、あのお嬢さん達でも、万全の準備をし、全員の力を揃えても無理ね。根性論でも、どうにかなるレベルの術じゃないわ。
私達は、坊の影を入り口にして、坊やの心の中から、坊やの視界に入っている地点、もしくはハッキリとイメージが思い描ける場所へ移動できる。けど、それとは次元が違うのよ。
自分じゃなくて、坊やの影を術の媒体にした転移術。しかも、影を門扉にして、あの数を遠距離転送するなんて、人間で出来るのはせいぜいが五人よ」
その説明でも、紅壱が今イチ驚き切れていないのを見て、大蛇は少し考えた後に、「魔力の総量で言えば、アバドン級。魔力を操作する精密性で言ったら、アバドンを上回るわ」と補足した。その途端、ズァッと紅壱が目を見開いたので、大蛇は呆れる。
「そうか、そんな凄いのか・・・
魔王クラスってコトは、あの祠に封印されてる『岫にて慟哭する鬼子母神』が力を貸してくれたのか?」
多分、違うわね、と大蛇は頭を横に振る。
「あの封印術は相当に高度。
他のパーツが近くにあるならいざ知らず、一部分だけじゃ、こんな高等魔術は行使できないはずよ」
つまり、紅壱が宿す『そして、世界は齧り尽くされた』、人間界のあらゆる教育施設に分散されて封印されている『岫にて慟哭す鬼子母神』以外の、受肉した実体を持つ魔王が人間界にいる事になる。
(生徒会に入ったばかりだってのに、俺、これからの人間界の行く末を左右する状況に巻き込まれてないか?)
自身が災いの種の一つである事を自覚もせず、紅壱は困り果てたように、溜息を盛大に漏らす。
「まぁ、エネルギー体に戻ってないなら、あいつらを再召喚も出来るだろう。
死んでなきゃ、また会える。もしかすっと、誰かに偶喚されるかもしれねぇしな」
楽観的に考える紅壱に、大虎は呆れたのだろう、「ふんっ」と鼻で笑う。
「とりあえず、あの爺さんゴブリンの面は覚えてるから、召喚する時のイメージもどうにかなる。
それより、まず、目先の問題をどうにかしないとならんな」
憂い顔の紅壱が見るのは、戦闘の後。
仮に、『組織』に属する狩人が、この状況を目の当りにしても、新人が一人でやった、とは信じないだろう。下位魔属と言っても、これだけの数が集まっていれば、狩人として十、いや、二十年は第一線で活躍していなければ対応できなくなる。複数の種類の魔属が出現したなら、猶更だ。
「ちっと、やりすぎたか」
大量の魔属の死体を前に、紅壱は溜息を漏らす。罪悪感や後悔の念と言ったモノは、彼の心中にない。これは、互いの生存を懸けた、恨みっこなしの闘争だったのだから。しかし、後始末をしないとならない、それは別問題だ。
退帰、エネルギー体に還してしまうのが一番なのだけれど、連戦の疲れは随分と溜まっている。とてもじゃないが、自分一人で片付けるのは無理だ。かと言って、瑛らにこの様を見せる訳にはいかない。
キャリアがあるのだ、この程度の惨劇で気を失うようなヤワい精神ではないのは、紅壱も承知している。 だが、彼女らの自分へ向ける目には、これまでと違うモノになるだろう。
恐れられ、さりげなく距離を取られたら立ち直れなくなる。もちろん、彼女達がそんな人間でないのは、紅壱にだって判っている。けれども、人間は無意識の怖れほど抑えられないものだ。つい出てしまう動作にこそ、人は最も傷つけられる。
仮に瑛らの自分に対する態度が一変しなかったとしても、紅壱の憂いが消える訳ではない。
封印されている魔王の一部を狙って、魔属の徒党が襲撃を仕掛け、それを撃退した。
c瑛はこの高等部の生徒会長ではあるが、『組織』に籍を置いている以上、今回の一件を上に報告するだろう。それは、彼女の義務なので、責める点はない。
ただ、ありのままを報告されてしまっては、大いに困る。
(あのカガリって修羅は、恐らく、いや、確実にコッチサイドじゃ有名人・・・有名鬼だろう)
そのカガリを倒しただけでなく、五〇近い魔属を単身で倒した新人が、天戯堂学園にはいる。それが『組織』中に知れ渡ってしまうのは、紅壱としては都合が悪すぎた。
『組織』のトップになる、そんな野望を持つ瑛に力を貸す、それを誓った部下である自分が強い、と知れば、瑛に劣らぬ野心家どもが警戒するかも、と言った懸念もあった。何より、自分は魔王の依代なのだ。そんじょそこらの術者に見抜かれるとは思えないが、わざわざ、リスクを高める事もない。
注目されたい、そんな欲がない訳じゃないが、何が自分や大切な人を躓かせる小石になるか、判断できない以上は余計な事はしない方が良い。
生き残った、それで十分なので、この戦果はなかった事にしてしまうのが一番だ。
問題は、どうやって無かった事にするか、と考えた挙句、紅壱はシンプルな手段を選んだ。
「―――――――――・・・・・・まだ、結界は働いてるのかな?」
意識を集中すると、この一帯を隔離しているかのような気配は残っている。なら、問題はないな、と頷き、紅壱は蜘蛛、鰐、鷹も召喚する。
「お前ら、この死体、食べられるか、綺麗に?」
二匹と一羽は、紅壱の不安げな問いに、力強く首肯する。
「雑魚ハ不味イカラ、食ベタクナイッスケドネー」
明け透けな鷹に「悪ぃな」と苦笑混じりで詫び、紅壱は蛇に向く。
「蛇さんは、どうっすか?」
「お姉さんに任せなさいッ」
チロチロと舌を出し入れする蛇に頼もしさを感じた紅壱は、ブラックオークをがっついている虎に目をやる。
「虎は・・・あんま無理しなくていいぞ」
煽る気はなかったのだが、虎は紅壱のそれを挑発として受け取ってしまったらしい。
「何ぃ!? なめるな、俺が一番、喰える!!」
いきなり、やる気になっている虎に戸惑うが、それならそれでありがたい話なので、「じゃ、頼む」と紅壱は首を垂れる。
「あー、でも、お前ら、二匹か三体は残しておいてくれ」
この五体なら、本当に下位魔属の死体を完食できるだろうが、一体も倒してないとなると、これも怪しまれる要因になりかねない。
紅壱の意図を察してくれたらしく、蛇は「OK」と頷きながら、コボルドを丸呑みにする。
「じゃ、ちっと俺、休むな」
紅壱はへなへなと腰を落とし、門扉に背中を預けた。
眠って体力を回復したいのが本音だったが、意識が途切れると、虎らを召還してしまう可能性もあったので、どうにか耐えた。
幸い、耳に、蜘蛛がオークの内臓を毒で溶かして啜る音、鰐がスケルトンの頭蓋骨を三つ纏めて噛み砕く音、鷹がゴブリンから目玉を穿りだす音が飛び込んできて、不快感が睡魔を追い払ってくれる。
「バールト・コッロ・ゴルジュ・ボディ、双頭の赤き蛇よ、己の眼前に立つ敵を縛り上げよ!!」
瑛の呪文詠唱の方が、ホブゴブリン・アーチャーよりも速かった。
ホブゴブリン・アーチャーの足下に出現した魔術陣は、詠唱が結ばれると同時に赤い光を発す。咄嗟に、瑛へ向けていた空気の矢を、ダメージ覚悟で射ようとするホブゴブリン・アーチャーだったが、魔術陣から立ち上った瑛の魔力は、頭を二つ持つ異形の蛇の形を取るなり、中鬼を拘束する。
幻術や蛇に具現化しただけの魔力であれば、弓兵とは言え、ゴブリンよりパワーがあるホブゴブリンであれば、力任せに引き千切れただろう。しかし、その蛇は火によって身を得ていた。つまり、巻きつかれた者は火傷を負う事になる。
「ぐぎゃああああ」
動きを封じ、大ダメージを与える事に成功した中鬼へ背を向け、瑛は最後の一体である、ブラックオーク・ウォーリアーへ、全身にかかる負荷が大きい分、加速度が通常より高い瞬動・疾で迫る。
先ほど、ゴブリン・シャーマンは瑛の放った、十連発の火の矢により、穴だらけの炭にされてしまったが、そのゴブリン・シャーマンがブラックオーク・ウォーリアーにかけた、反射速度上昇の補助魔術は、効果を維持していた。
「ぶぐぁ!?」
ブラックオーク・ウォーリアーは、瑛の放った横切りに反応し、盾で斬撃を防いだ。この盾は、アイアンゴーレムの外装甲を素材に作った代物で、耐久性も魔術で上昇していた。ブラックオーク・ウォーリアーには、瑛の斬撃を防ぐ100%の自信があった。
けれど、その過信ごと、瑛は豚頭魔の胴を薙ぎ切った。オークよりも丈夫な皮膚ですら、瑛の魔術により強化されている武器の前では、意味を成さなかった。しかも、刀を覆っている魔力は赤い、つまり、火の属性。ブラックオーク・ウォーリアーは両断と同時に、上半身が猛火に包まれてしまい、断末魔は火に咀嚼されてしまった。
「はぁはぁ」
肩で息をする瑛。その息遣いに、色っぽさなどなく、瀕死とまでは行かずとも、既に戦える状態でないのは明らかだった。しかし、彼女はやり遂げた。紅壱を救いに行くべく、カーミラが召喚した下位魔属を全て倒した。
当人は自分自身を未熟者と称し、驕らぬように心がけているが、その実力は十分に新人の域を出て、一人前と呼べるものであった。
「今、行くぞ」
落ちかけた膝を根性で伸ばし、瑛は紅壱の元へ走る。とっくに、瞬動法を使う気力も残っていなかったが、それでも、瑛は必死に足を動かす。
蛇足ではあるが、赤い蛇に抱擁されていたホブゴブリン・アーチャーは、瑛がこの場を離脱した時点で、とっくに消し炭と化していた。焼かれたのは外ではなく、内であったが。
「!」
首筋に痺れを覚え、勢いよく立ち上がった紅壱。その反動で、関節に痛みが走るも、少し休めた事で、いくらかはマシになっていた。
自分の名を呼ぶ声に気付き、周囲を見回す。そうして、ズタズタになっている制服の隙間から淡いピンク色の下着が見えてしまっている状態なのも気にせず、こちらに向かってくる瑛を、『鷹の眼』で見た紅壱は、今の今まで下位とは言え、魔属を一方的に倒していた存在とは俄かに信じがたい動揺を見せる。
「ヤバい、お前ら、戻れ!!」
この距離なら、まだ、自分がこれだけ大暴れし、魔属の屍の後処理を、パートナーらにさせていた、と気付かれないはずだが、石橋は叩いておくべきだった。
まだ食べ足りない五匹だったが、紅壱に「頼む」と必死に拝まれてしまっては「嫌だ」とも言えない。虎だけは、ここぞとばかりに嫌がらせをしようとしたが、蛇が首筋に噛みついて麻痺させる。虎は恨みがましそうな眼を、蛇に向けるも、彼女はどこ吹く風で、そっぽを向いている。
(やっぱ、本家は毒の強さが段違いだな)
筋肉も弛緩してしまい、四肢を踏ん張れなくなった虎を、鷹が爪で掴んで持ち上げると、鰐の背に乗せる。虎の体重は500kgはありそうだが、鰐は苦でもなさそうで、ノシッノシッと鈍重な足音をあげながら、紅壱の影に歩いていき、そこへ潜っていく。
「じゃあ、また後で」と、蛇も影へ飛び込み、鷹も続く。
影に沈んでいきながら、ゴブリンの脳味噌を啜っていた蜘蛛の足がズルンと音を漏らして、完全に意識の底に引っ込んだ瞬間、全身に広がっていった安堵の念が、彼の肉体を辛うじて動かしていた緊張感の糸を簡単に切り離してしまい、途端にひどい立ち眩みに襲われた紅壱は真っ直ぐ立っていられなくなる。
ソンッ、と一気に体が芯から冷たくなったのを感じ、疲労と激痛に抗えないまま、顔面からゆっくりと倒れこんでいく紅壱と、彼やカガリの血で真っ黒に汚れている地面の間へ、見事なスライディングで滑り込んだ瑛は、半分ほど露わになってしまっている小振りだが柔かさには自信がある双丘を緩衝材にするようにして、彼の頭を受け止めた。
「す、すんません、今すぐどきます」
しかし、ケンカの最中は興奮していて自覚できなかったが、カガリの拳打を何十回と受けた腕は痛々しい痣だらけで、微力すら込められない。
「づぅ」
苦痛に呻きながら地面を押し、強引に身体を起こそうとしている紅壱に微苦笑をこぼした瑛は、彼の頭を更に抱き寄せる。
腫れ上がっている頬でも、十分に感じられる柔かさに、目を白黒させる紅壱。
「無理をしなくて良い・・・・・・敵は、ここに来た修羅はどうした?」
一瞬、言葉に迷った紅壱は「すんません」と瑛の胸に顔を埋めたままで嘘を吐いた。瑛は彼の言葉尻が震えた事で、何らかの隠し事がある事には気付いた。だが、彼女は、その謝罪は結果を出せなかった事に対する罰の悪さ、「修羅は追い払ったのではなく、見逃されたのだな」と勘違いした。
普段なら、聡明な瑛はそんな思い違いなどしないのだろうが、紅壱が自分に対して、小さな嘘を吐いたのは心がわずかに痛んだものの、それ以上に、彼がカーミラよりも手強い霊属を前にして生きていてくれた事にホッとしてしまったのだろう。
「なるほど、その修羅も、君の底知れぬ才能に気付き、ここで命を奪うのは惜しい男だ、と判断したようだな。
いつ覚えたんだ、下位魔属を一斉退帰させる魔術を。君が勉強熱心であるのは知っていたが、まさか、そこまで予習しているとは。
だが、一斉退帰の魔術は熟練者でも失敗する可能性がある、高等な術だ。今回は成功したから褒めておくが、次はやってはいけないぞ」
「・・・・・・え?」
聡い紅壱は、すぐに瑛が勘違いした事に気付いて、すぐさま否定しようとした。だが、全部を素直に言えるはずもなく、つい言い淀んだ隙に、瑛は彼の口を指で押さえて開けなくしてしまう。
「あの『夏暁』を、ここで討てなかったのは口惜しい。
けど、君が無事で何よりだ・・・まぁ、無傷ではないが・・・痛むか?」
「少し」と答えた彼が、男の子らしい痩せ我慢をしているのは、勘違いが激しい彼女でも容易に見抜けたのだろう、「今すぐ、鯱淵先輩に薬草を持ってきてもらう」と、携帯電話をスカートのポケットから取り出す瑛。
だが、最後の数字を押そうとした刹那、瑛は頭の天辺から足の爪先まで硬直してしまう。もっとも、紅壱の傷一つない背中から硬い毛に覆われている蜘蛛の脚が、ニュッと伸びたのだから、これが大の苦手な彼女が動けなくなってしまうのは至極、当然の結果だったが。
真っ青な顔のまま、瑛は蜘蛛を引っ込めてくれるよう、紅壱に小声で頼むも、彼は既に多すぎる失血に加えて人肌がもたらした安堵感で、瑛の胸に顔面を埋めたままで意識を手離しており、呼びかけに微塵も反応してくれなかった。
今すぐにでも逃げ出したいが、ここまで傷だらけになって結界を守ってくれた紅壱を突き飛ばすなんて無理だ、そんな葛藤に苛まされている間にも、脚はますます、外に出てきてしまっている。
そして、ついに、蜘蛛の足の一本が自分に、しかも、太腿の内側に触れた瞬間、「ヒィッ」と息を呑んだ瑛は白目を剥いてしまい、そのまま顔を引き攣らせ、無意識の世界に全力逃避を図ってしまった。
十五分後、ようやく、召喚された全ての魔属の撃破に成功したメンバーは退帰も後回しにして、密な連絡を取り合ったわけでもなかったのに、紅壱の元に真っ先に向かった。
最後に、生傷だらけ、呼吸も絶え絶えの態で辿り着いた愛梨は、既に目が覚め、夏輝に軟膏を塗ってもらっていた紅壱の顔を見て、発そうとしていたジョークを引っ込めて呟く。
「随分と色男になっちまってるな」
あまり手入れしていない眉をキツく寄せた彼女は、夏輝が抱えていた小壷に入っていたハーブ臭が強すぎる軟膏を左手でタップリと掬い上げると、まるでラブコメ漫画に登場するタイミングが良すぎる主人公のように腫れ上がっている頬に塗りたくる。
鼻の奥を突き刺す匂いと、骨にまで染み込んでくるような熱さに、思わず身を引いてしまいそうになった紅壱の肩を押さえつけ、愛梨はSっ気丸出しの笑顔で、更に軟膏を頬に塗りこむ。
「オラ、ジッとしてろ。ちゃんと塗っとかないと、明日、もっと酷い面になるぞ」
「えっと、ところで、アキちゃんはどうして、ヒメくんのシャツを腰に巻いてるの?」
だが、恵夢はそれを聞いてから、耳まで真っ赤にして立ち尽くしている瑛が、紅壱から半ば強引に奪ったシャツを腰に巻いていなければならない理由、同時に、スカートの破れ目から見えていなければならないモノを彼女が履いていないのに気がついた。
「す、すぐにジャージのズボンを持ってくるね」
涼しいはずの股間が熱くなるほどの羞恥心に襲われている瑛は返事をすることも出来ず、ただただ、首を縦に振るしか出来なかった。
二度とシルク製の下着など身に付けんぞ!! そう、心に固く決意し、硬い拳を作ろうとした瑛はシャツを危うく落としかけ、慌てるのであった。
四月二十二日〈月〉 天候 晴れ
色々あり過ぎた一日だった・・・・・・本当に疲れた
『組織』に報告書を送信せねばならないのだが、今日はもう、指の一本すら動かしたくない
一瞬でも判断を間違えば、きっと、私たちだけではなく、生徒も魔属らの腹を満たすことになっていただろう
けれど、紅壱は私のミスで、大怪我を再び、負ってしまった
何らかの幸運が働いて、『夏暁』のカガリが戦線離脱してくれたから、大事には至らなかったものの、下手をすれば殺されていただろう
いくら、彼が強くても、『夏暁』のカガリに勝てる訳がない
何故、あの『夏暁』のカガリが去ったか、は分からない。もしかすると、必死に自分へ挑んでくる辰姫へ、私同様に可能性を感じたのかも知れない。彼が今後、強くなってから再戦しよう、そう考えても不思議じゃない
カーミラは撤退間際に、下位魔属を辰姫の元へ召喚したようだったが、その痕跡はなかった。あのダメージだ。失敗したか、座標がズレていたのだろう。できれば、前者であってほしいが
けれど、本当に、辰姫が大怪我を負ったけれど、生きていてくれて良かった
彼に何かあったら、私は・・・・・・きっと、この世界を滅ぼしてしまう
本当に、彼が死ななくて良かった・・・・・・今回こそは、大人しく、入院してくれているといいのだが。この嫌な予感が的中しない事を祈る
あぁ、本当に、私は辰姫紅壱が大好きだ。きっと、私以上に、彼に惚れている女はいまい
もし、いたのなら、見る目がある、と賞賛したい。もちろん、辰姫の事を譲るつもりは、一切、毛頭、微塵もない!!
・・・・・・けれども、辰姫へ「好きだ」も「私と付き合ってくれ」も、フラれてしまう可能性に怯えて、ぶつけられずにいる臆病な私は勝てるだろうか
勇敢の象徴たる、獅子が姓に入っていると言うのに、何故、私はこんなにもヘタレなのか。こんな私じゃ、辰姫は好いてくれないんじゃないだろうか
けど、やっぱり、辰姫が好きだ。彼が好いてくれなくても、私は彼が大好きなんだ
敗者としての矜持を最期まで貫いたカガリに、尊敬の念を抱く紅壱
そんな疲れ切った紅壱を、ゴブリンらは背後から襲うも、そう簡単にやられる男ではない
まだ戦える、その興奮と歓喜が体力と気力を回復させてしまい、紅壱にゴブリンらは本当の恐怖を知る事となる
このまま全滅か、と絶望する中、一匹の老いた小鬼が紅壱に降伏し、配下にして欲しい、と願う
帰れなくなった魔属を受け入れた矢先、紅壱は新たな魔王の存在を知る
無事とは言えないが、どうにかこうにか、学び舎と生徒を守りきった生徒会
今、メンバーが思うのは一つだけ、ゆっくり休みたい、だった




