表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とある生徒会長の本音は日誌だけが知っている  作者: 『黒狗』の優樹
学園への襲撃
23/453

第二十二話 決着(fight) 紅壱、カガリと死合い、これを制す

封印され、バラバラにされた魔王の一柱、『岫にて(クライ・)慟哭す(クライム)鬼子母神クライシス」の一部を奪うべく、学園に襲撃を仕掛けてきた、女吸血鬼・カーミラ

彼女が率いる、下位魔属の群れを迎え撃った生徒会メンバー

瑛の采配により、安全なポジションに配置された紅壱の前に出現したのは、最強と名高い霊属の傭兵・カガリだった

力の差を理解した上で立ち向かった紅壱だったが、カガリの二対の腕に重傷を負わされてしまうのだった・・・・・・

 「コーイチ!?」


 「太猿センパイ、危ないっ」


 紅壱の気配が消失したのを察知し、動揺を表に出してしまった愛梨。

 そんな彼女の背後でレッドオークが手斧を振りかぶるが、愛梨よりも逸早く反応した鳴が金属性の魔術で空中に出現させた鉄板で攻撃を受け止めた。

 重い金属音で我に返ったのだろう、愛梨は戦闘中に集中を欠いた己を恥じるように舌打ちを漏らして後輩の脇を抜けると、第二撃を繰り出そうとしていたオークの弛みきった腹へ、ナックルダスターを装着した拳で中段の追い突きを叩き込み、悶絶させる。


 「今の・・・辰姫の気配でしたよね」


 「―――――――・・・アイツなら大丈夫だ。辰姫紅壱はそう簡単に死ぬような男じゃない」


 「根拠は何ですか?」


 「私が惚れた男はシブといんだ」


 って何を言わせんだ、と照れ隠しで愛梨が放った右ストレートを避ける瞬間、鳴は走馬燈を見たとか見ないとか。ちなみに、その右ストレートの拳圧は、屈んだ鳴の後ろ、不運にも、その軌道上にいて、「魔力の(マジック)アロー」を放とうとしていたゴブリン・メイジをKOした。


 (そ、走馬燈が見えた!?)


 半泣きの後輩が甲高い声でぶつけてくる抗議の声に耳を塞ぎ、愛梨は一秒でも早く、紅壱の元へ向かうべく、これまで以上に拳へと力を入れる。


 「邪魔だっ」


 赤い魔力を帯びた拳はオークの三段腹をブチ抜き、「ぶぎぃ」と耳障りな呻き声を上げさせる前に爆散させる。顔に「びちゃっ」と血を浴びるも、愛梨は構わず、次の魔属へ殴りかかっていく。その姿こそ、正に鬼であった。


 「ストリーム・バッサン・セッカ・ヴァッサーフル・ラピド・オームト・フルウィオルス」


 付加魔術により、攻撃力が爆発的に上昇した愛梨の右拳が、眩い閃光を放ち出す。

 ヤバい、と直感した鳴は魔力を足へ集めると、「ビブリア・エヴァンゲリエ!!」と呪文を叫び、全力でバックジャンプする。彼女の爪先が地面に着くと同時に、愛梨の唯一にして最大の必殺技が繰り出された。


 「正義の(ジャスティス・)鉄拳パンチ!!」


 それは、ただの右ストレート。だが、拳圧により押し出された大量の魔力は、破壊の光線となり、軌道上にいた数匹のゴブリンやスケルトンを纏めて消し飛ばす。

 一発分の魔力が尽き、愛梨が白煙が立ち昇る拳を下ろした時、地面には数十mも削れていた。魔力の属性を変化させていないからこそ、破壊力は単純に高い。攻守ともにトップクラスである瑛、水属性による防御魔術では瑛にも勝る恵夢ですら、愛梨のこの「正義の(ジャスティス・)鉄拳パンチ」は真正面から防ぐ事が出来ない。

 細かい操作が出来ない、連発できない、一発撃つのに数分の溜めが必要、と言う不便な点があるにしろ、愛梨の「正義の(ジャスティス・)鉄拳パンチ」が、生徒会メンバーが使う攻撃の中で最強であるのは、紛れもない事実だった。

 技の痕に戦慄を覚えつつ、鳴は愛梨が力を溜める間に、混乱している下位魔属へ攻撃を繰り出し、「正義の(ジャスティス・)鉄拳パンチ」の軌道へ追い込んでいく。

 そんな的確なサポートをする鳴は、「ここに、アイツがいたら、事故に見せかけて餌食にしてやるのに」、そんな不穏な黒い考えを浮かべていた。



 夏煌もまた、紅壱の生命力の減退を感知した。だが、その動揺を顔にも肉体にも微塵も出さず、突っ込んでくるスケルトンへ小さな体でぶつかっていき、しがみつくと大きく開けられた口の中に浄水入りの水風船を押し込んだ。そして、離れ際に宙で一回転した彼女はスケルトンの顎を爪先で容赦なく蹴り上げて水風船を破裂させた。

 空洞の頭蓋骨の中で水風船を割られ、内側から浄水を浴びる結果となったスケルトンが亀裂の入った悲鳴を発しながら、真っ白な灰になっていく。


 「ヒメくん・・・大丈夫だよね」


 「こー、強い。まだ、生きてる、まだ、死んでない」


 久しぶりに聞いた後輩の大きな声、長い言葉に、恵夢は目を丸々とさせるが、自分を鼓舞させるようなセリフを口にしつつも、夏煌が肩を小刻みに震わせているのに気付く。


 「うん、そうだね・・・ヒメくんはきっと無事よね」


 恵夢は後輩を安心させるように、己の豊満な胸へと顔を埋めさせ、まだ動揺で荒い鼓動を聞かせる事で逆に安心させようとする。

 肉丘の温かい柔かさを顔全体で受け止め、いくらか気分も落ち着いたのだろう、夏輝は恵夢の少し腹筋運動不足ぽにゃぽにゃな腹を押すと、仲間の残骸を踏み越えてくる骨の兵士らを、空色の瞳で睨み据える。


 「ちょっ、ナッちゃん、召喚しちゃダメだってば」


 相棒ヴォールクを召喚かつ、自分の肉体に憑依させようとしているのを、夏煌の頭部にうっすらと見え始めた犬耳を見て気付いた恵夢は慌てる。


 「ギ、ギギ・・・・ィ」


 だから、彼女がハッとした時、ネックロックをかけられていたゴブリンは完全に失神オチていた。

 一般的な男子であるなら、恵夢の腋に頭を入れられ、その軟らかさを堪能できるとあれば、喜んで技の練習台になるだろうが、このゴブリンにそんな嗜好性はない。首が上げる悲鳴に怖れ、がむしゃらに足掻き、本能が為すのか、タップのような行為もしたのだが、恵夢は気付いてくれなかった。

 仮に、ネックロックをかけられたのが紅壱であれば、強引に後ろに下がろうとはせず、逆にリスクを承知で前へ突っ込んでいき、恵夢の体勢を崩そうとしていただろう。腕を振り解こうとしたって、恵夢の拘束は緩まないのは明らかだからだ。

 ネックロックから逃れる定石、それは相手に頭部を委ねた状態で、胸を出しながら相手を押さえて、首を後ろへ反り上げるようにする。当然、これは首を鍛えていないと負荷がかかってしまうが、相手が体勢を崩したらこっちのもので、そのまま相手を抱え込んで投げ返し、今度は自分が関節技をかけてやる事が出来る。


 「あわわ、ごめんなさ~い」


 気絶しているゴブリンを脇下から解放し、申し訳なさそうに謝る恵夢へ、背後から襲い掛かろうとするコボルド。しかし、瑛の先輩である彼女に、そんな奇襲が成功するはずはなし。殺気も隠そうとしていなければ、猶更だ。


 「えいっ」


 ひょい、そんな気軽な動作でツルハシを避けた彼女は、第二撃を繰りだそうとしていたコボルドへ『逸熊宥め』を仕掛けようとする。だが、彼女は掛けの手を空中で止める。

 何故なら、恵夢がコボルドに触れる前に、その後頭部へ夏煌の投げナイフが的中していたからだ。

 単に、ナイフが頭に刺さるだけでも致命傷だと言うのに、その刃には毒蝦蟇から抽出した毒が塗られていた。

 即死したコボルドが吐いた血は空気を汚染し、周囲のゴブリンらは激しく咳き込み出してしまう。それは、致命的な隙。


 「ツウザン・アドゥ・エンダフィアズモス・・・・・・やぁっ」

 恵夢が放った水の量は、両掌で掬える程度。しかし、それだけの水滴が、ゴブリンやオークの頭や体に致命傷となる穴を穿つ。


 「ありがと、ナッちゃん」


 無問題、と言うように夏煌は恵夢へVサインを返した。


 (待ってて、こー、すぐ行く!!)



 「っつ?!」


 唐突過ぎるタイミングで、紅壱の常人より鮮明な『気配』が薄れたのに動揺してしまった瑛の左肩を、カーミラのレイピアが容赦なく突き刺す。

 その痛みですら、彼女の動揺を鎮める事はできなかった。

 だが、カーミラの火炎属性の魔力が自分の肉を貫いている刀身に集中し出しているのを、皮肉にも刺されている事でハッキリと感じた瑛は、彼女が呪文を唱え終わるよりも速く、体重を叩きつけるような前蹴りをカーミラの腹部に叩き込み、強引に距離を置く。

 ズルリ、と耳障りな音を伴って、レイピアが抜ける瞬間、更に痛みが全身へ広がる。

 しかし、苦痛の声を、鎮痛と治癒の効果を持つ回復薬と一緒に奥歯で噛み砕いた瑛は、靴跡が残っている腹に手を当てて自分を憎々しげに睨んできている相手になど目もくれず、紅壱が戦っていた方向へ顔を向ける。

 必死になって、気配を探ろうとしている瑛の瞳に、年相応の少女らしい潤みを見たカーミラは唖然とする。

 仲魔内では、瑛は常に冷静で、どんな窮地でも苦しげな表情などまるで浮かべず、万象を焼き尽くすような怒涛の攻めをしてくるタイプ、そんな評価だった。

 なのに、今の獅子ヶ谷瑛は一人の、自分の恋心に身を焦がされそうな愛らしい少女のようではないか。

 今まで、自分は偽者と戦っていたのでは、と疑念すら浮かびそうになる。


 「諦めなさい、アンタの恋人は今頃、オークやゴブリンどもの餌になってるわ。

 あぁ、でも、そんな雑魚の肉なんか食べたら、いくら胃腸が丈夫なオークや、残飯を食べ慣れてるゴブリンでも、下痢になっちゃうかもしれないわね」


 しかし、その言葉は瑛の逆鱗に触れてしまった。

 再び、紅壱の幻が出るも、今度はさすがに止まれなかった。「やれやれだぜ」と呆れながらも、肩を竦める様が、逆に前に押し出すような素振りだったように見えたのは、瑛の気の所為だったのか。

 受け継いできた姓に負けぬ、天地を轟かす咆哮を放った瑛が日本刀を音を置き去りにするような勢いで振り抜いた瞬間、橙色の炎が地面を走り、避けたカーミラの後ろにいたスケルトンの一団を飲み込み、数秒とかけずに灰と変える。

 やはり、この女、本物の獅子ヶ谷瑛、と確信させられたカーミラの頬を冷たい汗が一筋、静かに形のいい顎に向かって流れ落ちていく。


 「貴様は一撃で退帰させん・・・火加減を調節して、限界まで苦しませてやる」


 あっけなく、怒りに呑まれた瑛の理性だったが、彼女の肉体はそれまで積んできた鍛錬の通りの鋭い攻撃をカーミラに繰り出した。

 十数秒までの攻防とは段違いの力任せの一閃。だが、肩の後ろに金色の鬣を振り乱すライオンが見えてしまうほど闘争心が昂ぶっている瑛の攻撃に、カーミラはカウンターなど到底、合わせられない。

 それでも、彼女にも、今回の作戦を任されている矜持があるのだろう。右のミドルキックを脇腹に貰ってしまいながらも、足首を掴んで瑛を強引に投げ飛ばした。

 怒気、殺気、鬼気を露わにして、飛び散る鮮血も、切られる熱も気にせずに切り結ぶ瑛とカーミラ。



 三本目と四本目の腕を体内へと引っ込めたカガリは、絶命寸前の相手に一瞥すらくれず、つい今まで紅壱が守っていた結界に歩み寄る。途中、近づいてきたオークに「ブヒブヒ」と鼻を鳴らされ、彼は「好きにしろ」と面倒臭そうに左手を小刻みに振った。

 許可が出るなり、下位の魔属らは紅壱を囲み出す。当然、喰べるためだ。

 仲間を殺された怒りは、特に感じていなかった。これほどの魔属を倒した人間を喰えば、自分達も強くなれる、レベルアップ、運が良ければ、種族ランク進化アップできる可能性がある、と期待を目の前の半死体に寄せていたのだ。

 割と大きな餌を、どう切り分けようか、と興奮を隠さずに、戦闘中とは違い、仲良く相談しあっている、食い意地の張った雑魚らに呆れつつ、彼はカーミラから預かっていた霊符を懐から取り出す。

 全体的に黄ばみ、四方はボロボロ、文字も薄れてしまっている。しかし、この長方形の札はあらゆる結界を貼り付けただけで、容易に無効化する、世界中の『その手』の代物を扱う商人が私財の半分を投げ打ってでも手に入れようとするであろう、超一級のアイテムだった。

 このアイテムで結界を砕いても、カガリは『岫にて(クライ・)慟哭す(クライム・)鬼子母神クライシス』の肉体の一部が封印されている祠とやらに足を運ぶつもりはなかった。そもそも、彼はカーミラの部下と言う訳でなく、単に金で雇われただけの傭兵なのだ。カーミラ達が血眼になって復活させようとしている、魔王にも興味はなかった。

 いや、無興味だと語弊があった。

 カガリが今回、二つ返事で仕事を引き受けたのは、全ての封印を破壊し、全てのパーツが揃った際に復活するであろう、最上位に君臨する一柱と一戦交えたいからだった。つまり、彼は金目的で動く傭兵でなく、危険とスリルの中でしか暮らせない喧嘩中毒者であり、『結界の破壊』と言う指示だけクリアしたなら、後の面倒事はゴブリン達に任せて、自分は他の箇所にいる強者に喧嘩を吹っ掛けに行く気が満々であった。

 小刻みに揺らめいている結界に札を貼り付けようと伸ばした手に痛みが走り、カガリは思わず呻いてしまった。既に火傷は治り出していたが、恵夢が作った浄水だからだろう、まだダメージが残っているようだった。

 まさか、ただの人間に、文字通りの『奥の手』を出させられるとは思っていなかったカガリ。咄嗟に奥の手を使ってしまうほど、反射神経には相当な自信があったカガリの意識の死角を突いていたのだ、紅壱のピッチングは。

 豚頭人や小角鬼どもの餌にするのはもったいないかもしれないな、そんな考えを頭の隅を過るカガリ。

 しかし、札を更に結界へ近づけようとした刹那、強烈な殺気がカガリの肌を一気に粟立たせ、彼は思わず、「うおっ」と引っ繰り返った声を上げて結界から遠ざかってしまう。

 先程の男の絶命を察知して援軍が贈られてきたのか、と思い、今頃は意地汚いオークらの黄ばんだ歯牙に体中の肉を噛み千切られているであろう死体へ視線を移したカガリは、自分が思い浮かべていたモノとは違う光景に言葉を失った。

 胴に刻まれたV字の傷から未だに血を流しながらも、紅壱は立っていた、右にも左にも体を揺らさずにしっかりと。

 だが、カガリが驚いたのは彼が立っていたからではない。

 当然、致命傷を負わせた相手の息の根があったのにも顔色を変えたが、戦場を渡り歩いていれば、自分の予想を超える生命力の持ち主など何度も出会う。

 カガリの心を波立たせていた要因は、わずか数十秒の間に、その男の足首まで髪が伸びていた事でもない。

 根元から尖端まで地獄の奈落そこ暴行あばれる焔を連想させるような、真紅に変わったその髪が、逃げ惑うオークやスケルトンの体にまるで大蛇のように巻きつき、捕らえた獲物を凄まじい力で骨も肉も嫌な音を上げて潰れるまで絞め上げている事でもなく、髪が胸の傷の中へ潜り込み、止血と縫合を施している事でもなかった。


 「ひぎぃぃぃ」


 「ぐわぅ」


 ゴブリン・ソルジャーやコボルド・ソルジャーが纏わりついてくる紅髪を切ろうと、己らの得物を本気で振る。しかし、鈍らの片手剣と使い古されているツルハシは、紅髪にぶつかり、金属音を発した直後、ボロボロに崩れ落ちた。彼らは狼狽える間もなく、紅髪に頸骨を鈍い音を上げてヘシ折られる。

 淡くも生気の光が戻り出している虚ろな瞳を、恐怖が混じらざるを得ない焦燥感が出てしまっているであろう、自分の顔へ向けている紅壱の長躯から、自分を雇った一団が既に入手していた『岫にて(クライ・))慟哭す(クライム)鬼子母神クライシス』の一部分《左腿》だけでなく、遠き日、研究熱心な主と共に侵入した古城の影に潜んで盗み見た魔王の一柱、『心臓を射貫く(アンスキルド・)目配せ(ウィンク)』のサマエルに等しいランクの魔力が漂っている、それにカガリは驚いていたのだ。

 最初に目にした際、若干量の妙な魔力は紅壱から感じ取れていたが、この学園を守る組織の一員なのだから当たり前だ、と半ばスルーしていた。しかし、今はどうだ、その魔力は人間ではなく、むしろ、自分たち魔属に近しいのではないか、信じられない思いに駆られるカガリ。

 肉を潰され、血を吸い尽くされただけでなく、魔力も奪い取られたのか、原形をまるで留めていない残骸を投げ捨てた紅壱は、おもむろに髪の根元を掴むと、手刀で異様に伸びてしまった紅髪を惜しげもなく切った。そうして、手を離すと彼の髪はものの数秒で朱色の灰燼と化し、風に舞ってしまう。


 「さすがに、三途の川を渡りかけた・・・三度目ともなると戻るのも慣れたが」


 次第に焦燥感が鎮まっていったカガリは、大きなガッツポーズを決めたくなった。ついさっきまでは頭の片隅で、ハズレを引いたか、と思っていたのだが、今の彼を見て、落胆など一気に吹っ飛んだ。

 カーミラと戦っているであろう、この学園を守る組織の長に匹敵する、いや、潜在能力は遥かに上を行く、実力の持ち主だ、と紅壱への認識を改めたカガリの目前から、いきなり彼の姿が消え失せた。

 どこへ消えた、と考えるよりも先に、カガリは右腕を顔の脇まで素早く上げ、紅壱のハイキックを見事に防いだ。常人なら腕ごと首を折られ、格闘技経験者でも積んでいる練習や経験が半端なら蹴りを受けた腕がくの字にされていた威力だったのが、虚空に響いた心地良い破裂音で判った。

 足でそのままカガリの腕を突き押すようにして、無音で遠ざかった紅壱を痺れる腕を擦りながらカガリは睨み、興奮を隠そうともせずに怒鳴るようにして尋ねた。


 「何の力・・・いや、誰をその身に宿している?」


 魔王が力を貸しているのではなく、魔王そのものが、目の前の少年に封印されており、その魔王が自ら協力の意志を見せている、それはカガリの直感に過ぎなかった。しかし、彼は己の荒唐無稽な発想が、完全に間違っているとも思えなかった。

 その質問をぶつけるカガリの心中には、正体に対する不安と共に、目の前の人間に対しての敬意も生じていた。

 これほどまでの強烈な魔力と気迫を放ってくる・・・事に対しての敬意ではない。むしろ、逆。魔王の一柱を宿しているのは確定事項であるにも関わらず、威圧感プレッシャーをこの程度に抑圧おさえている一点だ。

 もし、魔王の持つ覇気を制御せずに放たれていたら、自分も無傷では済まなかっただろう。だが、より深刻なダメージを負っていたのは、戦場にいる仲間と、校内で瑛の指示通りに待機している、何も知らない生徒達だったはずだ。

 魔の王、それが纏う覇気は実力が無く、耐性も備えていない格下、戦力外の存在には害、毒、体を蝕むものにしかならない。

 仲間思いなのか、戦えぬ者は巻き込まないと言う信条の持ち主なのか、それはカガリでも判断を下せなかったが、紅壱が魔王の覇気を0にするのは無理であったにしろ、一般人に悪影響を与えない値まで下げるために積んだ努力に対しては、素直な賛辞が送れた。


 (バラバラになっている『岫にて(クライ・)慟哭す(クライム・)鬼子母神クライシス』の一部では、ここまでのプレッシャーにはならない。

 『心臓射貫く(アンスキルド・)目配せ(ウィンク)』の気配でもない、これは。

 『敬虔な背教者が(レックレス・)数える偽銀貨(ダウンヒル)』や『海の(シンク・)見える(レイテスト)一坪の家(サブマリン)』が、人間に力を貸すのも、絶対にありえない。

 となると、人間狩りは制限を設けるべきだと言っている、『有限なる(インフィニティ・)無色魔術スペル』か・・・・・・いや、そうなら、こんな好戦的な圧力は放たないな。

 となれば、所在の分かっていない残りか・・・最も、可能性が高いのは)


 挙がって欲しくない名を相手が悪気なく告げる、それは、大して珍しくない事だった、この世の中。

 「――――――・・・アバドン。『こうして、(フィナーレ)世界は(オブ・)齧り尽くされた(バンクウェット)』のアバドンだ」



 アバドン、またの名をアポリュオンと言う。

 奈落を棲み処とする王だが、立ち位置としては堕天使となるようだ。

 司るは死、破壊、冥府などネガティブなものが多い。

 部下が奇怪な形態の蝗だけあって、アバドンの姿も、魔王と称されるに相応しい。17世紀に、イギリスの聖職者、ジョン・バニヤンは自著の『天路歴程』で、アバドンを全身が魚の鱗に覆われ、翼は竜、足は熊、顔を獅子とする、腹からは火と煙を出す、実に怪物らしい姿で描いた。

 自分の知っているアバドンの美しさとは、あまりに懸け離れていたので、これが本当の姿だったらショックだな、紅壱は初めて、アバドンの事を調べた際に、この挿絵を見て思った。

 アバドンの見せ場は、『天路歴程』よりも、むしろ、新約聖書『ヨハネの黙示録』にある、と言える。そこでは、七人の天使たちがラッパを吹き、世界に滅亡を齎す。五番目の天使のラッパが高らかになった時、天より星が大地に落ち、底なしの穴が開き、溢れだす黒煙が空を塗り潰す。その後、アバドンの部下である蝗の群れが人々を苦しめだす。

 その蝗は、金の冠、人の面、女性の髪、獅子を思わせる歯を持っている。また、胸には鉄の防具を付けている。しかも、尾は蠍のようで、毒針に刺された者は5か月間も苦痛でのたうち回る。蝗は食べる事も人を殺す事も出来ない分、毒で人を苦しめる事に励んだ。

 蝗の害、その恐怖を回避せんとする人々によって神格化されたのが、魔王・アバドンなのだろう、と紅壱は感じた。恐らく、アバドンはわざと自分を嫌悪の対象とし、人に怖い物と印象付けさせた。崇める者からの念も力になるが、魔属にとっては「恐れ」こそが最上のエネルギーとなるのだろうから。

 “こうして、(フィナーレ・)世界は(オブ・)齧り尽くされた(バンクエット)”、その異名は、もしかすると、それを起因とするのかもしれない。

 また、アバドンの名は悪魔ではなく、地名を示している、そんな説もあった。その単語はヘブライ語で、「破壊する」と言う意味の「abad」であり、これには「破壊の地」や「奈落の底」、そんな意味も含まれていた。

 旧約聖書でも、「アバドン」はあの世、墓場、冥土の意味合いで使用されているし、当時のユダヤ人も地獄と同義である「ゲヘナ」の一地域に「アバドン」を使用していたらしい。

 かつて、自分と彼女が出逢ったのは、狭間。偶然とは思えなかった。

 とは言え、この仮定が正しいのか否か、そこは紅壱にとって重要な問題ではなかった。彼女に対しての知識が深まり、知る事が出来た、その満足感が大事だったのだから。



 紅壱が恩人の名を言い終えたのと同時に、準備を済ませたカガリが氷の上を滑るよりも滑らかに、紅壱へと高速移動で迫った。彼の強烈なストレートに頬を打ち抜かれ、紅壱の首が嫌な音を上げて反れ、血で満ちた口の中で歯が割れる音が頭蓋の内側でこだまする。

 だが、カガリの体内でも、彼に負けず劣らずの鈍重な音が響き渡っていた。カガリのボディへ手首まで捻りこむようにして、彼の視界外の低い位置からブチ込んだ右フックは肋骨を三本まとめて真っ二つに折っていた。

 やってくれる、と笑おうとしたが、鈍痛が全身に波打つようにして広がったカガリが浮かべようとした笑みはひどく歪んでしまう。

 お互いに追撃は加えられず、潔く距離を置いた。紅壱は割れた歯の欠片を血と一緒に吐き捨て、カガリも赤いものが混じった胃液をブチ撒ける。

 さきほど、瀕死状態まで追い込まれてアバドンとの融合が否応もなく進行し、『バケモノ』と称されてもおかしくないレベルまで高まった紅壱の動体視力、反射神経、そして、それに澱みなく従える剛と柔が非常識に同居している肉体ならば、カガリの打撃がどれほど速くても容易く回避できたはずである。にも関わらず、1mmも顔を動かさず、カウンターをブチ込むあたりが、彼の『喧嘩魔』としてのブレないプライドを確かに示していた。


 「お前ら」


 カガリが口を開くと、手に汗握って観戦していた彼らは直立不動の体勢に移る。


 「コイツはオレ一人で十分だ。お前らは他の班と合流しろ」


 ビィビィと鼻を鳴らし、カタカタと顎を揺らして、ギャアギャアと喚き、バフバフと吠え、上司の命令を拒否する彼らをカガリは肉食獣のそれに似た眼で睨む。


 「俺の命令が聞けないって事は、俺に殺されたいんだな?」


 カガリの言葉に純粋な殺意が滲んだ途端に回れ右し、オーク、スケルトン、ゴブリン、コボルドは三つの小軍団に分かれて、この場から駆け足で離れていった。


 「いいのか? 別にタイマン希望じゃないぜ」


 「盾にされても困るんでな」


 「されたらされたで、容赦なく俺ごと殺そうとするタイプだろ、アンタ」


 無言は肯定だろう。「まぁ、いいさ」と肩を大袈裟に竦めてみせた紅壱。


 「名残惜しいが、喧しい観衆もいなくなったんだ」


 互いに邪悪な笑みを顔全体に浮かべ、彼らは汚した口許を乱暴に拭いながら、緩慢な足取りで真っ直ぐ相手へと近づいていき、目と目がバッチリ合った瞬間に、お互いの顔を全力で殴っていた。

 数m近くも後ろへ滑っていくが、踏ん張ってブレーキをかけるなり、再び、前に何の考えもなしに突っ込んでいき、目の前の相手を本気の殺意を十二分に込めた拳で殴り、足で蹴る。もう、二人ともお互いの攻撃を貰っても軽く仰け反るだけで、まるで退かない。

 肉を潰し、骨を打つ、鼓膜を痛くするほど鈍く重い音が響くたびに、宙を舞った赤が地面を点々と汚していく。



 瑛の怒涛の斬撃を熟練の防御で捌きつつも、カーミラは戸惑っていた。


 (アイツ、何をしてるのよ、さっさと結界を壊しなさいよ!!)


 取るにも足らぬ相手の息の根を完全に絶ったにも関わらず、カガリが段取り通り、渡しておいたアイテムで忌々しい結界を無効化しないものだから、カーミラは苛立ち出し、自然と剣にも感情が出てしまう。

 甘い軌道の刺突を無駄のない、アウトサイドのダッキングで避けた瑛はカーミラの脇腹に左フックを見舞う。油断が過ぎ、筋肉の硬直が遅れたカーミラの足が地面からわずかに浮き上がる。そうして、瑛は窄めた唇から青い炎を噴き出す。


 「緑の(グリーン・)盾兵シールダー!!」


 さすがに、痛みで目も覚めたのだろう、カーミラは短縮した詠唱で旋風を起こし、青い炎を巻き散らす。

火傷一つも負わせられなかったが、悔しそうな顔一つも浮かべぬ瑛は、カーミラに攻撃のチャンスを与えないよう、さりげなく紅壱の気配を探る。

 やはり、紅壱の気配は小さいままだった。だが、瑛はそれ以上に、彼の命を絶った霊属の気配までも小さく、いや、集中せねば感じられない事に戸惑いを覚えていた。

 認めたくはないが、邪魔な紅壱がいなくなったのなら、既に結界を破壊されているはずだ。なのに、結界に穴が開けられた気配は微塵も感じられない。


 (何かがアチラで起こっているのか?)


 瀕死状態の紅壱の気配を察するのが難しいのは納得がいくが、ダメージの少ない敵の気配を彼と同じくらいにしか感じられないのは妙すぎる。

 まるで、この戦場で命を張っている誰よりも強い「チカラ」の持ち主が、彼らのいる一帯を封鎖しているようだ、そんな事を考えた瑛の間合いに一歩で踏み込んできたカーミラの鋭い回し蹴りがバックステップした彼女の前髪の先を、軽い音を上げて切り飛ばした。

 危なかった、と伝い落ちていく汗を拭った瑛は気の逸れを戒めるように頬を打つと、強張っている筋肉を緩ませるように意識し、刀を包み込んでいる魔力の厚みを更に上げる。

 こうやって、魔力でガードしていなければ、カーミラのレイピアにいくつも小さな孔を刀身に刻まれ、とっくに刃物として使えなくなっていたに違いない。もっとも、並みの術者では、いくら魔力で覆っていても、高位の魔属たるヴァンパイアのカーミラの剣撃を防ぐのは容易くない。

 厚みを均一にした上で、密度を高めている魔力を攻撃に転じる際は、切れ味を上げるのに使う。高校二年生にしてそのスイッチが出来る、獅子ヶ谷瑛は『並み』以上だ。

 しかし、カーミラもまた、レベルが違う。

 彼女の右ストレートにボディを貫かれ、思わず、呼吸が出来なくなってしまう瑛。

 内出血を起こした箇所を押さえ、後ろへ飛びずさった瑛は続けてラッシュを繰り出そうとしたカーミラの前進を、真っ直ぐに伸ばした人差し指の先から撃ち出したピンポン玉大の火球で止める。

 予想以上に手こずらされ、カーミラは苛立ちつつも、自分の中にあった慢心を踏み躙りたくなった。

 この学園に奇襲をかける作戦を任された以上、最も手強い相手となるのは獅子ヶ谷瑛である事は判りきっていた。だからこそ、自分が彼女の相手を引き受けている内に、雇ったカガリに結界の破壊を命じていた。

 強敵、と認めていたにも関わらず、深手どころか戦闘の支障になるような大きさの傷も負わせていられないのは、瑛を侮る気持ちが自分の中にどこか潜んでいたからだ、とカーミラは唇をきつく噛み締めた。

 血が滲み出た痛みで、いくらか苛立ちも鎮まったのだろう、カーミラの眼光が鋭さを増し、それを見た瑛は「ついに本気になったか」と更に気持ちを引き締めた。

 顎が外れんばかりに開き、大きく息を吸い込んだ二人が炎の息を繰り出そうとした瞬間だった、魔力の察知を邪魔していた「何か」が消え失せ、カガリの魔力が微塵も感じられなくなったのは。

 驚きの度合いは、瑛もカーミラも大差なかったものの、やはり、復活が速かったのは瑛の方だった。

 満面の笑みを浮かべた彼女よりも瞬き一つ分ほど遅れ、カーミラも驚きを振り捨てたが、満足な防御は間に合わなかった。

 瑛が軸足を十分に踏み込んで放ったローキックが直撃したカーミラの膝上から、五回の破裂音が上がる。 ほぼ一瞬で、五回のローキックを当てられたカーミラの左足が痛みと痺れで、途端に動かなくなってしまった。

 この好機を逃さない、とばかりに、技の有効範囲まで滑るようにして下がった瑛は刀身を指でなぞりながら、渾身で練った魔力を注ぎこんでいく。


 「プロフェト・ヴォワイアント・エゾルチスタ・マーギーアー・ブルホ・ジリッツァ・ワーテース・マゴス・サーヘラ・シュウダオリユイ」


 鮮やかな赤の、文字にも見える不可思議な記号が刀身に次々と浮かび上がっては消え、彼女が魔力を込めて呪文を早口で慎重に紡ぐ度に日本刀が発する雰囲気は鋭さを増していく。


 「プロン・キュイーヴル・オール・ラピラズリ・ピエールドゥリュヌ・ジャッド!!」


 そして、瑛が最後の呪文を唱え終え、開眼した刹那、紅蓮の焔が鍔元から切っ先まで渦を巻いて駆け上がっていった。

 柄を痛くなるほど力を入れて両手で握った瑛は、焔の刀を全力でフルスイングした、恵夢や愛梨にイイ顔はされていないが、個人的には数ある技の中でも五指に入れるほど気に入っている技のイカした名前を腹の底から叫んで。


 「獅咬ブルチャーレ焼渦ヴォルティチェっっっ!!」


 振り抜かれた事で新鮮な空気を取り込み、鉄すら溶解させる温度を得た焔の渦が日本刀から解き放たれ、所持スキルの「自動オート回復ヒール」が仇となって、その場から動けないでいたカーミラを喰らうべく襲い掛かった。



 紅壱は全く、何も考えていなかった。

 いや、「全く、何も」と断言は出来なかった。彼は「こんな風に動かしたら当たるんじゃねぇのか?」や「こうしたら効くんじゃねぇかな」、そんな漠然とした朧げな直感だけを頭の中に漂わせていた。

 人間の不良相手に蓄積つんでいた、百など軽く越えた喧嘩の場数と、その経験値で丹念に研いできた、野生的な嗅覚と言い換えても過言ではない『勘』だけに身を任せ、一切の力みを生み出さずに無駄を極限まで省ききった攻撃を、目の前の強敵カガリに対して繰り出していたのだ。

 そもそも、彼の祖父・神威玄壱と彼の友人が、孫の身にほぼ実戦の練習で叩き込み、芯に刻みつけたのは「喧嘩で勝つ方法」などと言う甘っちょろいものではなかった。「相手の命を確実に奪える戦い方」を、玄壱は孫に教えていたのだ。

 紅壱が、それを悪用しなかったのは、アバドンから本物の強さを教えられていたからに他ならない。魔王の存在が、一人の少年が驕りで道を踏み外すのを食い止めたのだから、世にも奇妙な話もあったものだ。

 紅壱は祖父達の「普通」じゃない教えを、素直な子供ゆえに疑わず、物心ついてからも積極的に教えを請い、まるで乾ききった砂が真水を奪いつくすかのような純粋さで戦闘のイロハを覚えていった。

 彼がこの一瞬の判断の誤りが即死に繋がる超実戦で実行しているのは、最短時間・最少過程で相手の息の根を止める攻撃。普段こそ、人間の不良相手を一撃で倒しているが、これは教えの逆を行い、相手を不用意に殺さないための戦い方だったのだ。

 しかも、今の紅壱は刺されたショックと出血で半ば意識が跳んでいて、常時よりも肉体がスムーズに最善手を選択している。

 そんな『無我』状態の攻撃は捌きづらく、避けにくい。熟練の防御技術で防いではいたが、何発かは隙間を上手く抜け、重くないにしろ「効かない」とは言えないレベルの衝撃が肉の内側に届いてしまっていた。

 「だらぁっ」肝臓を捻り上げられるような激痛に顔色もさすがに変わったカガリ。彼は殴られた腹部を押さえ、派手に砂塵を巻き上げながら数mも後ろへ滑っていった。

 だが、強引に止まることが出来たのと同時に、彼はそれまで目の前にいた紅壱の姿を見失ってしまう。

 あの長身、ダメージ、何よりも、波に乗り切っていた以上、ここからの戦線離脱はありえない、そう素早く判断を下したカガリが後ろを振り向くよりも一秒、いや、〇・〇五秒は速く、彼の背後に回り込んでいた紅壱は肘を柔かく密着させる。


 「五百重波いおえなみ!!」


 猛虎を戦闘不能まで追い込んだ必倒の一撃が、カガリに叩き込まれた。

 背中から皮膚を波打たせながら指先まで一気に広がった衝撃。予想以上の反撃に、血を勢い良く吐いたカガリの体は再び、今度は先程とは逆方向へ一直線に吹き飛んでいく。

 右半身をコンクリートの壁に、思いきり叩きつけてしまったカガリ。体重と速度の掛け算は、破壊力を答えとして導き出す。

 壁に出来た人型の陥没から、咆哮と共に体を引き抜いたカガリは、口の端から垂れ落ちていく真っ赤な血を乱暴に拭い、肩で息をしつつも、心身ともに直立不動の体勢を揺るがさない若い敵を睨む、尊敬の光すら灯る瞳で。


 「なるほど。かつて、国三つを焦土に変えた一柱を身に宿しているだけはある。

 ・・・・・・いや、そんな事は関係なしに強いな、お前は。

 何十年ぶりだ、こんなに追い詰められているのは・・・滾ってきたぞ」


 破れてしまった服を乱暴に引き千切り、足元へ打ち捨てたカガリの筋肉が興奮で烈しく隆起しだし、肌の色も赤銅に染まり出す。チラリ、と視線をわずかに下ろせば、股間が大きく膨らんでいる。

 本気にさせることができたらしい、思わず笑みがこぼれるのを抑え切れずに、血だらけのワイシャツを強引に脱ぎ、背後へ投げた紅壱の黒棒にもまた、熱が宿り出す。

 そのシャツが地面に大きく広がりながら落ちたのと同時に、お互いの間合いへ臆することなく踏み込んだ二人。カガリのスイングフックが紅壱の頬にメリ込むも、倒れるに至らずに体勢をすぐさま戻した紅壱はカガリの脇腹を抉り取るつもりのミドルキックをクリーンヒットさせた。

 カガリのアッパーが顎を跳ね上げさせれば、紅壱の左ストレート+ボディ狙いの左フックのコンビネーションがカガリの長身をくの字に折り曲げさせる。

 紅壱が両脚タックルからサイドポジションからのV1アームロックを決めようとすれば、カガリは定石通りの防御方法、掴まれている左手首を自分の肩より上へと上げて、極められるのを阻む。紅壱が他の技に移行しようと体を浮かせた半瞬を逃さず、カガリはエビで逃げに成功してしまう。

 立ち上がるなり、腿の外側を蹴ったローキックから片足タックルをカガリが仕掛けてくれば、紅壱は慌てずに彼の頭を下へ押し付け、タイミングよく後ろを向いて足をスルリと抜き、そのまま、もう半回転してカガリの側頭部を容赦なく蹴り飛ばそうとするも、後ろへ逃げられてしまい、空振りに終わった。


 (かせを避けるか!?)


 「・・・なぁ、アンタ、愉しいなぁ」


 「ふん、人間と同じ気持ちを抱くなんて悔しいがな」


 このケンカに、心から真っ直ぐに興じていなければ、浮かばないであろう無邪気で狂気を孕んだ満面の笑顔を紅壱もカガリも見せ合っていた。

 大声で笑いながら、彼らは相手を壊すべく、潰すべく、意識を断ち切るべく、攻撃を繰り出してヒットさせる。最早、防御の「ぼ」の字すら頭から追い出したような攻め合い。

 「防御は最大の攻撃」なんて金言も、今の彼らは忘れてしまっているようだ。

 肩口へ指を根元まで突き刺されれば、振り上げた肘で胸をバックリ切り裂く。鼻っ面の膝蹴りをブチ込まれたら、浮いている相手の腰へ腕を回して背中をそのまま地面へ叩きつける。

 マウントポジションを幾度ともなく奪い合い、クロスカウンターを叩き込む二人。

 これがロープで四角に囲まれているリングの中での、大雑把なルールが存在する「試合」なら既にレフェリーストップがかけられているのだろう。殺し合いなら、カガリが既に、紅壱の首に胴へのお別れを言わせていただろう。

 しかし、これは単純な意地の張り合い、「喧嘩」だ。止める人間もいなければ、咎められる反則すら存在しない。突き出す一手にこそ、殺意を込めているが、殺そう、とは微塵も思っていないのは二人とも同じだった。あくまで、結果的に殺しちゃうかも知れないけど恨むなよ、程度だ。

 紅壱はまだ、生徒会に入って日が浅いので役員として「学園を是が非でも守る」と言う自覚が今イチ欠けている。カガリもまた、金で雇われているだけの傭兵。二人とも、上役から任されている仕事など意識の果てに捨て去り、この意地の張り合いを制する事だけしか頭になかった。

 右ストレートを避けた紅壱はカガリの頭部を掴むと、そのまま頭突き、『玄翁げんのう』を見舞う。 衝撃は頭蓋に響き、嫌な音を上げて陥没した鼻から鮮血が飛び散るが、アドレナリンが出まくっているカガリは痛みで更に闘争心が膨らんだらしい。丁度、いい距離にいる紅壱の脇腹に膝をメリこませた。

 予想もしていなかった衝撃と痛みで頭から手を離してしまい、左方向へ吹っ飛んでいく自分を追ってくるカガリを視界の端に捉えた紅壱は人間とは思えない柔軟さと反射速度で体勢を立て直すと、繰り出されてきた左のストレートを捌き、ステップの勢いを利用するようにして左足で中段蹴りを放つ。

 『松籟しょうらい』を叩き込んだ胸骨へ亀裂を入れた感触を得て、ほんの一瞬だけ緩んだ紅壱の緊張。そこを見逃さなかったカガリに刻み突きと中段の逆突きのコンビネーションを決められてしまった紅壱。一発目に惑わされ、視界から消えるようにして繰り出された二発目で内臓を痛めてしまった紅壱の顔がキツく歪んだ。

 真っ赤な唾液を地面に吐き捨てた二人は、自分の体力が底を尽きかけ、精神力もそろそろ消耗しそうなのを悟っていた。

 再生する一瞬も隙になる、とばかりに自分の治癒能力を抑え込んでいる二人の血塗れの顔は殴られすぎて変形し始めていたし、露わになっている上半身もズボンで隠れている下半身も痣だらけだ。筋肉も小さな断裂を何箇所も起こしていたし、骨にも亀裂が大きいのも小さいのも入ってしまっている。臓腑も今すぐ、救急車に乗らないとならないほど激しいダメージを蒙っていた。

 いつまでもコイツと殴り合っていたい、と切に願う二人だったが、ダメージ的にそれは実現不可だな、淡々と悲しい現実を受け入れる。

 残り少なくなった体力を全て振り絞ってやる、とばかりに同じタイミングで相手へ迫った彼らだったが、攻撃を先に当てたのは紅壱だった。

 肩の動きによるフェイント、呼吸によるフェイント、そして、視線によるフェイントを三つずつ入れた彼は柔軟な下半身をフルに活かした右のハイキックを繰り出す。しかし、彼のフェイントを読みきっていたカガリはスウェーで危なげなく避けてしまう・・・が、逆にそのスウェーを誘った紅壱は振り抜く寸前、筋力で強引に脚を宙で止めると、逆方向に振り返し、ガラ空きの後頭部に鉛入りに改造をしている安全靴の踵を叩き込んだ。

 見えない位置から叩き込まれた、変則軌道の蹴りに、カガリは視界が一瞬、白濁してしまう。攻撃した側も、攻撃された側も常人ならここで終わりだったろうが、紅壱は更にワン・ツーを繰り出そうとし、カガリも視界が歪んだままで前に更に踏み出てきた。

 予想こそしていたが、今の蹴りを喰らって本当に前へ出てこられるとは思っていなかった紅壱の驚嘆へ迫るようにして、カガリが繰り出したのは連打。

 左の拳を突き出そうとしていた紅壱の胴体に拳の痕がいくつも刻まれ、彼が二歩三歩と後退せざるをえなかった直後、破裂音がこだました。

 アバドンが天使に使った技?! そう錯覚してしまうほど連打の威力は高かった。血を勢い良く吐き出した紅壱の体の傷が、今の連打で開いてしまい、口から出たモノ以上の量の血が傷口から噴き出す。

 トドメを刺すにはこのタイミングしかない、と表情を引き締めたカガリの背中からもう一対の腕が飛び出す。

 実は、この腕を増やす術、かなりの体力と魔力の消耗を強いられる。紅壱との烈しい殴り合いの最中、使えば手数が倍となって有利となるにも関わらず、使う素振りを全く見せなかったのはそれが原因である。

 胴を切り裂いたところで、この人間はまた立ち上がってくる、そう考えたカガリは狙いを首と心臓に定め、ベルトから抜いたアーミーナイフを握る四つの手に力を注いだ。

 下げた左足を辛うじて踏ん張った紅壱へ、回避不能な速度で迫る凶刃。

 己の勝利を確信したカガリの力ある瞳と、死の淵まで追い込まれているにも関わらず諦めなど微塵もない紅壱の『生きた』眼がバッチリと直撃した。

 紅壱の瞳の奥に宿る烈しい光にカガリの脳内で警鐘が鳴り響いた一瞬後、ズブリ、と鈍く濁った音が連なって響いた・・・・・・しかし、それはカガリの持つ刃が紅壱の肉に埋まった音ではなかった。


 「んだとっ!!」


 驚愕と激痛に顔を歪めるカガリの二対の腕を、紅壱の背中を突き破るようにして生えた、毛むくじゃらの八本脚の尖端が貫き通していた。反対側から突き出ている蜘蛛の足の先を、カガリの血が汚し、地面にいくつも滴が落ちていく。

 過日、契約を果たしたばかりの紅壱は当然、仲間の全身を自在に出し入れできるようにはなっていなかった。実戦で召喚するのも、これが初めてである。魔術を寸分の狂いなく発動させる秘訣が、細部まで明確に術の全容を想像することだ、と瑛から口頭で教えられていただけ。

 だが、辰姫紅壱と言う男は、頭でなく肉体で本質を把握する。殴り、殴られながら、彼は自分がカガリに勝つ為にはどうすべきか、を必死になって考え、V1アームロックを極めようとしていた時点で、相手の決め玉を蜘蛛で封じる事、そして、トドメの手段をしっかりと思い浮かべていた。

 紅壱は描いていた鮮明なイメージ通り、蜘蛛の脚を八本ちゃんと出せたばかりか、カガリの四本の腕をしっかりと止められた事に満足気に笑ったが、それもすぐに引っ込め、左腕に血管が太々と浮かび上がるほど力を入れながら、天をも轟かせ、雷を呼ぶような咆哮を腹の奥底から放った。

 そして、凶暴な爪が突出した虎の右前脚に変化した紅壱の左腕が勢い良く振り抜かれた。

 すぐに、カガリの腰から肩に向かって三本の線が、絹の布を乱暴に引き裂くような音を発しながら走った。

 この瞬間に愉しい喧嘩が終わってしまったことを直感した彼の憂いが漂う横顔を、真っ赤で湯気が立ち昇るほどに熱い鮮血がべったりと汚した。

 それでも、彼は最後まで気を緩めない。もし、紅壱が勝ちを確信していたなら、カガリは彼を道連れに出来ただろう。

 手を虎のそれから己の手に戻していくと同時に、しっかりと右の拳を固め、氣を凝縮させる。まだ金と黒の毛が生えたままの左手も淡い光を発し、紅壱は掌上に火球を作りだした。

 魔力を炎に変換するやり方を、彼はまだ、誰からも教わっていない。直感で魔力の属性を変えるコツを掴んだ、恐るべきセンスである。

 そして、広背筋が膨張させた紅壱が火球を握り潰した刹那に、右拳から発せられていた光は赤く破れ、爆音が轟いた。もしも、間近で、この死闘を目の当りにしていた者がいたとしても、打撃音とは信じる事が出来ないほど、その音は凄まじいものであった。


 「螢惑けいこく炎陽えんよう


 数mほど宙を舞っていたカガリが背中から落ち、地面にゆっくりと血溜まりが広がっていく。

 二つずつ風穴を開けられた四本の腕を大きく投げ出しているカガリの腹の肉は大量の血と共に臓腑が零れるほどに抉り取られた上に、心臓部には拳型の陥没根がくっきりと刻まれていた。そして、真っ赤に焦げている傷は高熱を帯びており、黒煙が立ち昇っていた。

 カガリへ紅壱が与えた一撃は、並み以上の再生能力を有している魔属をしても致命傷だった。

主人公死亡、誰もが思い込み、冒険の書を閉じかけただろう

だが、辰姫紅壱、忘れてはいけない、この雄は魔王をその身に宿しているのだ、と

ゴブリンやオークの魔力を吸収し、復活を果たした紅壱は、狼狽を押さえ込んでいるカガリに、己の秘密を打ち明ける

どちらも上役からの命令など忘れ、目の前の相手に勝つ事だけを求め、全力を超えた戦いを展開する

そして、ついに楽しかった短かな時間はあっという間に終わりを迎え、紅壱はカガリに勝利したのだった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ