第二十一話 修羅(syura) 『夏暁』のカガリ、紅壱の前に出現する
紅壱の無断退院が許されたのも束の間、学園を襲う未曽有の危機
人間を生贄にし、召喚されたゴブリンやオークと言った、下位魔属の群れ
封印されている魔王の一部が狙い、と考えた瑛は抗戦の決断を下し、メンバーに檄を飛ばす
紅壱を半ば騙すようにして、安全な位置を任せた事に対し、罪悪感を覚える瑛の前に出現したのは、高位の女吸血鬼であった
果たして、瑛はこの高飛車なバンパイアに勝つ事が出来るのか?
「太猿せんぱいっ、私、会長のとこ、行っていいですか?いや、行きます!!」
「馬鹿ヤロー、アタシだって、我慢してんだぞ!! 今はここに集中しろっっっ」
コボルド・ソーサラーが呪文を唱えながら飛ばしてくる石弾を、目にも止まらぬ、体重の乗った連打で砕きながら愛梨は叫び返す。
「ケチ!!」と先輩を罵りながら、涙ぐんでいる鳴はゴブリンの素人丸出しの棍棒による一撃を避け、ガラ空きの脇腹を擦れ違いざまに切り裂く。
傷は浅かったのか、ゴブリンは肌と同じ色の体液が噴き出た傷を押さえながら、鳴に攻撃を与えようとする。しかし、彼女は致命傷をわざと与えなかったのだ、瑛の元へ行けない鬱憤を晴らすために。
またも、ゴブリンのクラブを危なげもなく回避した鳴は、光系の魔術により浄化の効果を高めた塩を叩き付け、塗り込んだ。
文字通り、傷口を焼かれ、絶叫を放つゴブリンに同情しつつ、愛梨は距離を詰められながらも、コボルド・ソーサラーが地面から出現させた土壁をタックルで粉砕し、その勢いのまま、肩口を相手に衝突させた。
メイジやソーサラーのジョブを獲得すると、魔属は総じて、肉体の防御力が低下する。普通のコボルドでも、愛梨の体当たりを受けてダメージを小に抑えるのは難しい。防御力を魔術で高める暇も、コボルド・ソーサラーにはなかったので、その衝撃は計り知れない。
色々と混ざったモノを口から出しながら吹っ飛んでいくコボルド・ソーサラーに哀れみを覚えつつ、鳴は未だ喧しいゴブリンの首を刎ねる。
「あぁ、会長、私がピンチに颯爽と現れたら、あの馬鹿より、私の方が頼りになるって気付いてくれるかしら」
「声に出てるぞ~~~
ヒメも大変だなぁ、これから。お前に、ライバル認定されちまった」
「アイツは、私のライバルなんかじゃありませんッッッ」
愛梨の言葉が逆鱗に触れたのか、鳴は怒鳴り返す。そのついでに、飛びかかってきたゴブリンの喉を、指から放った光線で貫いた。
「うん、そうだね。相当、強いよね、アキちゃんの所に出た魔属」
「・・・・・・・・・」
重戦士のジョブを得ていると思わしきオークのハンマーを紙一重で躱すなり、夏煌はレッドオークの太い腕を足場に首元まで駆け上がる。
レッドオークは空中の小柄な人間を頭突きで落とそうとしたが、地面に落ちたのは豚の頭だった。
夏煌が手にしているのは、彼女の容姿に見合わぬ、禍々しいサイズのナイフ。誰もが、その刃ですら、オークの分厚い脂肪と逞しい筋肉に覆われている肉体に傷を付ける事は難しい、と思うだろう。
しかし、ワーウルフの牙から作成し、加えて、術で切れ味が高められているアーミーナイフはレッドオークの首、頸動脈を慈悲なく切断する。悲鳴すら上げられず、オークは自らの赤い血に溺れる。
受け入れがたい現実に戸惑うゴブリン達に対し、顔に飛んでいたオークの赤い血を拭った夏煌は笑いかけた。その口の形は、小鬼どもを更なる恐怖で縛るには十分すぎるほど陰惨だった。
恐れから半狂乱となったゴブリンらは、手にしている棍棒や片手剣を振り上げて夏煌へ襲い掛かろうとする。溢れ出る唾液からして、夏煌を食べる気なのだろう。しかし、彼らがゴブリン生で最期に食べる事となったのは、小娘の鮮血滴る軟肉ではなく、超小型の炸裂弾だった。
口の中にそれが入ってきた刹那、食欲に突き動かされていたゴブリンは反射的に飲み込んでしまった。彼らはそれが爆弾と分かった訳じゃなかったが、危険な物であるのは判断できたので、咄嗟に吐こうとした。だが、遅かった。
とんでもない爆音や爆炎を、夏煌特製の炸裂弾は生まない。ただ、臓腑を内側から吹っ飛ばすだけだ。
腹部を失い、倒れ込んでいくゴブリンの残骸に一瞥もくれず、夏煌は次の獲物を探す。
冷酷にゴブリン狩りを遂行しているように見える彼女だが、その実、胸の内では、紅壱の元に向かいたい、その気持ちでいっぱいだった。瑛も心配だったが、夏煌にとっては、紅壱の方が大切だった。
「大丈夫、アキちゃんは勝つよ。さ、ナッちゃん、あと少し頑張ろっ
ウェイブ・リッド・オンダ・クロイゼルング」
スケルトン・アーチャーの集団が放ってきた骨の矢を、水の壁で全て防いだ恵夢。
「えい、お返し!!
フロウ・トラン・インクレスパトゥーラ・ヴェレ・ヴォルティチェ・シエル・クラウド」
プール一杯分の水が固まっている壁から放たれた水鉄砲は、スケルトンの持っていた骨の盾など物ともせず、弓兵隊を半数以上も粉々にする。
「さぁ、どんどん倒しちゃうぞぉ」
親友の無事を祈りながら、やる気を漲らす恵夢の巨乳が、「ぽよんぽよん」とリズミカルに揺れる。
「凄いな」と瑛がいる箇所まで広げた意識の網を震わせる、二つの魔力のぶつかり合いに紅壱は思わず、感嘆の声を漏らしてしまう。
未だ、魔術の初歩の基本、基礎もロクに教わっていない彼は炎を噴いたり、雷を落としたり、魔力で武器を具現化させる事も出来ない。
唯一、呪文や術陣を知っているものは軽度の肉体強化を齎す、初歩の魔術。だが、これも手取り足とりで教わった訳じゃなく、直感タイプの愛梨に目の前で二度三度だけ見せられ、「やってみろ」と理屈やコツも伝えられていないのだ。
紅壱は彼女と同じで、頭より体が先に動くタイプだったから、習得には時間こそかからなかったが、それでも、今すぐ、瑛と同じように魔術をメインにして魔属・霊属と戦えるか、と聞かれれば、不可能だった。
今は、ゲームの中でも雑魚扱いのオークとスケルトンが相手で、なおかつ、闘気と闘氣が使えるから、自分でも何とか凌げている。だが、瑛と互角に戦っているレベルの相手が突然、出現して、相手の土俵、魔術戦に持ち込まれてしまったら歯が立たないだろう。
もちろん、喧嘩百戦百勝の自負があるので、尻尾を巻いて逃げるような無様な醜態は、他のメンバーがいなくても晒したくないが、時には相手との格の差を的確に見抜く事も必要となる。
再び、瑛の元に駆けつけたい、そんな衝動に背中を押されそうになった自分を戒めるように頬を強めに叩いた紅壱はポンプアクション式の水鉄砲に浄水を補充すべく、結界の中にバック走行で戻る。
そうして、ほんの一瞬だけ、ゴブリンやコボルドに背中を向けて、視点と意識が逸れ、すぐに振り返ろうとした刹那、全身が一気に粟立ち、毛が今までに体験したことがないほど逆立った紅壱は不自然な体勢のままで動けなくなってしまう。
今、結界の中にいる自分の背中を憎々しげに見ているのは、共闘もろくに出来ていない、雑魚と評すべき魔属だけ。その筈なのに、紅壱は明らかに、オーク、スケルトン、ゴブリン、コボルドの四種類だけでなく、瑛と戦っているカーミラ以上に強い存在が、背を向けたままの自分から少し離れた位置に立っているのを、ハッキリと感じ取っていた。
恐怖と昂奮がごちゃ混ぜになって、痛いほどに躍動する心臓を落ち着かせるように一旦、背筋を伸ばし、大きく息を吸い、細く長く吹き出した紅壱は勢い良く、後ろを振り向いた。
静か、そう表現するのがしっくり来る立ち姿で、戦闘員ポジションの魔属の中に佇んでいたのは一人の青年。
茜色の瞳、青碧色の肌、額の真ん中から生えている、触り心地が滑らかそうな白金色の長い一本角で、人間ではないのは一目で理解できた。そして、もう一つ、頭で難しく考えなくても、本能と言うよりは肉体の根幹で納得できた事実があった。
(コイツ、会長と戦闘ってる魔属より強い)
一瞬の閃光のような直感を明確な言葉にした事で、改めて相手の底知れなさを実感したのか、紅壱は長躯をブルンと、恐怖半分、興奮半分で大きく揺らした。
「っつ!?」
背中に焼き鏝を押し付けられたような感覚に襲われ、危うく回避反応が遅れかけた瑛。
カーミラの振ったレイピアが、彼女の動きが遅れた前髪をわずかだが切り散らした。魔力を帯びる紫炎に焼かれた髪からは、独特の悪臭が漂わなかった。
自分から視線こそ逸らしたりしないが、瑛が紅壱の元に出現した霊属の気配を感じ取り、焦っているのが険しい顔色から判ったのだろう、愉悦の笑みをありありとカーミラは浮かべてみせる。
「あら、気付いたぁ?」
「・・・・・・貴様は陽動役だった訳か」
焦り、怒り、怯え、悔しさ、複数の感情が混ざり合った複雑な色が、瑛の端正な顔を歪め汚すのを見て、明らかにSっ気が強烈そうなカーミラは捻れた悦びを覚え、鋭い犬歯を更に剥き出した。
もっともっと、瑛を煽りたくなったのだろう、カーミラは粘りの強い唾液で淫らに光る舌を妖しく使って舐めたレイピアの切っ先を、紅壱がいる方向へと向けた。
「連れてきたのは霊属の種族は修羅・・・名をカガリ。異名は『夏暁』
金では動かず、危険度で仕事を選び、どんな戦場にも赴く、凄腕の傭兵。
上層部が、東から流れてきた霊属風情を雇ったのは気に食わなかったんだけど、お嬢ちゃんのリアクションを見れただけでも、お釣りが来るわ」
ザァァァ、と音が見えそうなほど一気に血の気が失せた瑛の顔。危うく、柄を握っていた手から力が抜けそうになるが、辛うじて堪え、今すぐに後輩の下に向かいたい、『少女』としての自分を、思いつく限りの言葉を並べて宥めようとする。
カガリ、その修羅の噂は、天戯堂学園高等部の生徒会会長を任されている瑛の耳にも届いていた。隣の県ではあるが、『組織』と雇用契約を結んでいるプロの退魔師を何人か返り討ちにしており、当然、その首には相応の価値があった。
金に目が眩んだり、自分の名を上げたいプロが緻密な作戦や卑怯な罠を使って、生け捕りにしようと試みたが、その結果が凄惨なものになったのは、今、カガリが紅壱の前に現れた事から容易に想像できるだろう。
(いくら、喧嘩が強くても、素人の辰姫が勝てる相手じゃない!!)
自分が助っ人に行った所で、退けられるかも微妙な相手なのだ。何より、彼女の目の前には、カガリには劣るだろうが、それでも十分に厄介な強さを奮う相手がいるのだ。背中を向けられるわけがない。バッサリ袈裟懸けに斬られるか、心臓を一突きにされるか、魔性の炎で骨すら残さずに焼かれるか。万が一に、攻撃を回避できても、ここを空白部分には出来ない。
(ここを突破されたら、他の箇所も一斉に崩されてしまう)
結界の唯一の、針の穴ほどしかない『急所』だからこそ、瑛が正門を守っているのだ。
「ふぅぅぅぅぅ」
肺の下のほうまで息を細く細く、頭の中でイメージできる限界まで細くして吐いていく瑛。そうして、吐ききったのと同時に3秒だけ停止めた。
その間、瑛は無防備となる。しかし、それを隙だらけと見るのは素人だけだ。安い挑発こそ口にすれど、戦い慣れしているカーミラは攻撃できずにいた。彼女には、もし、攻めていれば、間違いなく、致命的なカウンターを入れられていた、という結果が視えていたのだ。
独特のリズムで刻んだ呼吸は焦燥感を霧散させ、精神が整った瑛を前にし、カーミラは忌々しそうに重い舌打ちを漏らした。
瑛は、ゴチャゴチャ考えるのは止めだ、と腹を決める。思考は煩雑となり、余計に体の動きが鈍る。持ち前の冷徹さを取り戻した彼女は、自分がたった一つだけ、最速で成し遂げるべき事は何だ、と問いかけ、頭の中で閃いたそれを唯一の答えとする。
(そうだ、この女吸血鬼を倒す、それが今、私がすべき事であり、私にしかできない事だ)
(・・・・・・邪鬼かねぇ・・・・・・いや、修羅って奴か)
真っ直ぐに向き合って、改めて、霊属・人型・修羅であるカガリの強さを肌にビシビシと感じ取れた紅壱。カガリの強さが感じ取れる、それは、紅壱の強さが「普通」ではない事を意味する。実力は、あまりにもレベルが違い過ぎれば、「怖い」と感じる事も出来なくなるのだから。
背丈こそ自分と同じほどだろうが、体重はあちらの方が20kg前後は重そうだ。見せ掛けなどではない、と判る胸や腕の筋肉は実に逞しい。紅壱は効率よく、長い時間、闘い続けられるように、喧嘩で不必要になってしまう筋肉はなるべく削ぎ落とすよう、毎日のトレーニングを組んでいる。
(そう言う意味じゃ、あっちは鈍重そうな筋肉だが・・・・・・)
当たれば大きいだろう。例え、急所に当たらずとも、肉を潰せ、骨を砕けるパワーを隠そうともしていなかった。
彼は、血に餓えた大型肉食獣に近い陰惨な光を秘めた、鋭すぎる視線を紅壱へ向けてきている。値踏みされている、と肌のザワつきで察した紅壱。ガンをつけられるのは気に食わない話だが、俺の値を正しく計れるならやってみろ、と祖母から贈られた、あの眼鏡を外して睨み返す。
(ジジィ以外で、これを外して喧嘩するのは、いつぶりだ・・・・・・虎の時は、喧嘩って呼べる代物じゃあなかったからな・・・ロボ学の鉄人と闘った時、いや、修一の告白を手伝った時か)
かつて、修一は意中の相手に告白すべく、親友の紅壱に助けを求めた。この頃、紅壱は輝愛子に童貞を奪われていた。女性不審に陥りかけていた本人としては不本意だったが、周りからすると、自分らおより先に大人の階段を上ったのが丸分かりだったらしい。
修一の作戦と言うのは、ベタもベタ。紅壱が女の子に絡む不良を演じ、修一が颯爽と助けに入って追い払い、好意を持たれたところで交際をお願いする、だ。
そんな成功の確率が低すぎる作戦に手など貸したくなかったが、修一が放つ気迫は凄まじく、さすがの紅壱も首を縦に振るしかなかった。
結果だけ言えば、大失敗だった。作戦にあった大きな穴は、紅壱の大根役者っぷりなどではなく、修一当人だった。
一応の決着こそ付いてこそいるが、修一は喧嘩師として、その強さが紅壱に、ある程度の緊張、本気を出さないと死ぬ、そんな本能的な危機感を強いるレベルに到っている。
そんな彼だ、芝居だとばれないように本気で来い、と言われたから、紅壱が遠慮なしで出したパンチを顔面に受けて、痛みに堪え、美少女を身を挺して守る好青年を演じ続けるなど不可能だった。
スイッチが入ってしまった修一は、本気の蹴りを繰り出した。紅壱も最初こそ、随分と迫真の演技だ、と思ったのだが、次第に彼がマヂギレしていると気付き、引っ張られるようにして血が熱くなってしまった。
その際、眼鏡をかけたままじゃ、修一に負ける、と本能が警鐘を激しく鳴らした為、紅壱は迷わなかった。眼鏡を外したからと言って、魔王の力が解放され、戦闘能力が爆発的に上昇する訳じゃない。彼にとって、眼鏡を外すと言うのは、本気以上を出す、心のリミッターを外すためのルーチンだったのだ。
眼鏡を横に放り投げ、彼は修一の腹部へ足刀を打ち込んだ。並みの不良なら、これ一発でノックダウンできるのだが、やはり、喰らい慣れているからだろう、胃が潰されるような鈍痛でも意識を手放さず、数歩ばかり、腹を押さえて下がりながらも、すぐに反撃に転じてきた。
修一のアッパーカットを喰らうと、三カ月は飯が食べられなくなる。それが、界隈の常識だった。砕かれるほど脆い骨ではないと紅壱は自負していたが、それでも、顎が揺らされれば足に影響する。
地面で擦られて発火するんじゃ、と思うほどの軌道と速度で顎に迫ってきたアッパーカットを横から叩いて強引に逸らした紅壱は、体勢が崩れた修一に左ストレート、右ストレート、左フック、右アッパーのコンビネーションを一息の内へ打ち込んだ。全弾が命中し、彼はダメージを相手の芯まで届かせた感覚を得たのだが、修一は倒れなかった。
次の攻撃を繰りだそうと体勢を整えようとしていた紅壱へ、修一はレッグラリアットを繰り出す。普段であれば、こんなモーションの大きい技など避けている。しかし、先に入れた連撃のダメージでは、修一と言えども、しばらくは攻撃に転じられない、そんな驕りがあったのだろう、紅壱に。
「!?」
両腕を素早く上げ、喉元へ蹴りをブチ込まれ、逆転KOなんて無様な展開は防いだあたりはさすが、と言うべきだが、それでも、稲妻がぶつかってきたような衝撃までは完全に流しきれず、紅壱は吹き飛び、地面を一、二回転してしまう。
腕の痺れですぐに起き上がれなかった紅壱へ、連続打撃のダメージが完全に抜けきっていないだろうに、修一は追い打ちを仕掛けてきた。
彼は近場にあったベンチを足場にして跳び上がると、そのまま、仰向けの状態から起き上がろうとしていた紅壱に跳び下りてきたのだ。いわゆる、フライング・ボディ・アタックだ。本式に高さこそ足りていないが、それでも、十分な衝撃となる。
紅壱はプロレスラーではないので、相手の技を丸ごと受けきって勝つ、そんなカッコいい男の美学は持ち合わせていない。だが、レッグラリアットの衝撃は腕から体まで通っていたために、反応速度は半分にまで落ちてしまっていた。
修一のボディ、全体重が腹に落ちてきた瞬間、「ゲボォ!?」と耳障りな音が内臓と一緒に出てしまったか、と紅壱は思った。幸い、どの臓器も口から飛び出てくる事はなかった。
苦悶の声を食い縛る口から漏らす紅壱は、どうにか起き上がろうとした、修一にマウントポジションを取られてしまう前に。
当時、ある事件で髪の色が変わった頃で総合的に強くなっていた紅壱だが、永遠のライバルを自称するだけでなく、周りからもそう見られていた修一の、打たれ強さは彼に劣っていなかった。魔王でないにしろ、それに準ずる怪物の類でも宿しているんじゃないだろうな、と半分本気で訝しんでいたほどだ。
自身も続けた大技による反動が大きかったはずだが、修一はそれで却ってハイになっていたのだろう、獣じみた俊敏さで紅壱へ馬乗りとなるなり、「しまった」と歪んだライバルの顔面に拳を落とす。咄嗟に直撃は避けたが、ガツンと鈍い音が頬の骨から上がる。
数発ばかり殴られたあたりで、何とか腹の鈍痛が収まってきた紅壱は修一の打撃を寝たままで上手く逸らしながら、ボディコントロールで彼に座る位置を移動させていく。そうして、下半身に下がってきた刹那、一気に腰を突き上げ、修一を体の上から浮かせると、素早く体を抜く。
理想としてはマウントポジションを取り返したかったが、そこは修一も警戒していたのだろう、紅壱の横たわった状態から牽制に近いサイドキックをあえて受け、彼から距離を置く。
頭に血が上りながらも、この冷静さは失っていない修一に歯軋りしながらも、その時の彼は楽しそうに笑っていた。
どちらの頭からも、とっくにこの喧嘩が芝居でなければいけない、その前提が消し飛んでいた。ここ最近はお互い、他の不良を纏める立場に流れでなってしまっていたから、タイマンを表立って張る訳には行かなくなっていた。下手に内輪で揉めると、疲弊した隙を外の奴らが突いてくる、とナンバー3に釘を刺されていたのだ。
しかし、その釘も紅壱と修一の胸から抜けてしまっている。
起き上がるなり、二人は同タイミングで相手に突っ込んでいく。
額と額を真正面からぶつける、鮮血が虚空を濡らすほど、躊躇いもせずに。
工事用のハンマーで鉛を殴っても、こんな轟音は上がらないだろう、と思うほどの音が発せば、当然、首の筋肉だけでは威力を緩和しきれない。頸骨がミシリと嫌な音を発し、脳が叩き付けられたからか、視界が混濁しただけでなく、鼻の奥から熱く粘り気のあるモノが噴き出る。
どちらも、頭突き合いにより、一瞬だけ意識が飛んだ。なのに、二人とも同じタイミングで右フックを繰り出す。お互い、意識が飛んだ状態でパンチが出たので、防御まではできない。なので、通常であれば中間点で激突する二つの拳は、彼らの頬へ吸い込まれるようにしてメリこんだ。
その痛みは、紅壱と修一を覚醒させる目覚ましとしては十分だったようで、我に返るなり、二人は腕を振り抜いた。どうにか、カウンターの衝撃に耐えていた奥歯は、これで折れたらしく、彼らの口から濁った血と一緒に飛び出ていった。
二人は互いの顔を歪ませたままで嗤いあうと、素早く距離を取り、すぐさま詰め直し、攻撃を繰り出し合う。
紅壱は回避と防御をし、修一の体勢が崩れた一瞬に合わせ、鋭い一撃を繰り出して確実に当てる。これは、紅壱が修一より喧嘩力で勝っているからではない。あくまで、紅壱が優勢に見えるのは祖父仕込みの技術があるからに過ぎない。
不良としての純度が高いのは、むしろ、身体能力だけで紅壱と渡り合えている修一の方だ。紅壱の技術により軌道をズラされてこそいるが、当たればデカいのは修一の、一発一発を全力で、スタミナ配分など考えもせずに繰り出してくる大振りなパンチやキックの方だった。実際、当たらずとも軌道を逸らしているだけでも疲れは心のそれも併せて蓄積し、時に紅壱はイイのを貰ってしまい、ダメージ値を一瞬で五分にされてしまっていた。
その一進一退の攻防は、怒りや苛立ちを次第に、愉しさへ性質をアドレナリンで塗り替えていく。
勝ちたい、負けたくない、も沸騰した脳内からは消え失せ、「もっと長く戦いたい」、「自分の限界を超えてやる」、そのキモチが心臓から闘争心で赤味を増した血液に混じって全身を巡り、四肢を動かし、いつも以上の威力を打撃に乗せる。
今更であるが、こんな怪獣大決戦を目の当りにして、まともな女子がその場に残っている訳がない。
修一が意中の相手がいつの間にかいなくなっている、と気付いたのは、たまたま通りかかった後輩からの連絡を受けた、チームの四番手から十番手に押さえ込まれた時だった。
こうして、修一の告白は大失敗に終わり、彼は更に女子から遠巻きにされるようになる。
その際、邪魔をするな、と修一の反撃を受けた五番、七番、九番は不良として生きられなくなり、その欠番を埋めるために、名うての不良が争いになる事になるのだが、それは別の話だ。
(あの喧嘩の後、立ち寄った屋台でラーメンを食ってる時の、シュウの面は傑作だったな)
醤油スープが口の中の傷に沁みやがるぜ、と泣きじゃくりながら手打ち麺を啜っていた修一を思い出し、紅壱はつい可笑しくなり、「ブッ」と噴き出してしまう。
不意のタイミングで笑ってしまった事で、紅壱の緊張は呆気なく解ける。
自分が思っていた以上に、目の前の鬼に委縮していた事に気付いた紅壱は、肩が小刻みに震えるほど笑えてきてしまう。
この修羅が絶対に勝てない相手と理解っているはずなのに、いきなり、爽快な笑顔となった紅壱を見て、ゴブリンたちは恐怖で気が狂ったか、と見下す。
「ほぉ」
しかし、カガリは上位の霊属だけあり、下位の魔属とは異なった印象を、紅壱に対し感じた。この状況下、自力で自身の緊張を緩めるなど、並みの男にはできない、と知っているのだ。
(うっし、いくか)
グッと力強く、汗ばんできている前髪を撫でつけ、紅壱は結界から力強い足取りで出た。
これだけ距離が空いていれば、そう簡単には間合いに入り込まれない。瞬間移動に近い魔術を使われたらアウトだが、そんな事を思いつつ、彼は胸の内ポケットへと手を伸ばす。戦闘員は妙な動きをしようとしている紅壱を牽制しようと喚くも、カガリは逆に、紅壱が何をするつもりか、少し愉しそうに表情を緩めて、その動きを待った。
わざとらしく、ゆったりとした動作で、彼が胸の内ポケットから取り出したのは、折り畳み式の携帯電話。
爆弾か、それに殺傷力で匹敵するものを出してくるのでは、と危惧していたのだろう、下位の魔属らの顔に安堵が浮かぶ。辛うじて、人にパーツが近いゴブリン以外は判りにくかったが。
コチラへ向かう間際、瑛が「何かあったら3コールしろ」と、握らせるように手渡してきた生徒会の備品だった。
ここに疾走って向かう最中、簡単にいじってみた所、電話帳には瑛の携帯電話の番号しか入っていなかった。ほんの数秒だけ、歩調を緩めた紅壱はすぐにスピードを元に戻しつつ、その番号を自分の携帯電話に登録したのであった。
紅壱は「ふぅ」と短く息を吹いたと同時に、携帯電話を摘んでいた二本の指を開いた。そうして、地面に一直線へと落ちていき、ワンバウンドした直後に、携帯電話を全力でカガリに向かって蹴り飛ばした。
一切の後悔、一片の逡巡、一瞬の躊躇なく、自身の退路を自らの足で踏み落とした紅壱は、携帯電話を蹴ると同時に、踵に凝縮させた闘氣を一気に後方へ放出するようにして、ロケットスタートを切った。
「フハッ」
名を知るつもりもなかった少年が馬鹿正直なほど、一直線に自分へ半ば特攻のような形で駆けてくるのを目の当たりにし、カガリは愉悦に口許を歪め、顔に剛速球よろしく向かってくる携帯電話を少し首を捻って避けた。
カガリの顔に当たらなかった携帯電話は、そのまま空中を直進み、背後にいたスケルトンの口の中に突っ込んでいった。
術で清めているならまだしも、ただの無機物では、スケルトンを倒すに至らないはずだった。だが、紅壱は携帯電話を蹴る際に闘気を籠めていたらしく、スケルトンの頭部の上半分は吹っ飛んでしまう。
カガリは腰のベルトからぶら下げていた、人間の頭蓋骨などココナッツよりも簡単に割れそうな刃が異様に分厚い鉈、しかも二本、を勇ましく抜き放ち、紅壱が左右どちらに回り込んでも攻撃できるよう、両腕をゆったりと広げた構えをとる。
飛び蹴りの有効範囲ギリギリの線を紅壱が踏んだ刹那、カガリから動いた。しかし、先に攻撃を届かせたのは紅壱だった。もっとも、拳打を浴びせたわけではなかったが。
背中に隠し持たれていた浄水入りの水風船をぶつけられたカガリの両手は「ジュッ」と嫌な音を上げて瞬く間に焼け爛れ、骨まで届いた高熱に彼は耐え切れずに、二本の鉈を落としてしまった。
だが、鬼の上位種たるカガリは、焼け爛れている手を強引に拳へ変え、突き出してきた。
(やっぱりな)
自分でも同じ状況であるなら、攻撃をする、と判っていた紅壱は驚かず、カガリの拳打に自らの拳をぶつけた、聖灰をたっぷりとつけた拳を。体重差とスピードで、紅壱の右拳の骨は折れてしまうも、聖灰の効果により与えたダメージは対等となり、カガリの指も妙な方向を向いた。
鉈の刃が地面に刺さる、残る拳による攻撃が繰り出されるよりも速く、カガリの背面へと回り込んだ紅壱。その時点で、彼の手は既に回復しきっていた。魔力が肉体により浸食するだろうが、それは生きているから後悔できる事だ、今、躊躇っている場合ではなかった。
霊属を網羅している訳ではない紅壱は、カガリが修羅と言う戦闘に長けた種族である事を知らない。しかし、「何となく」レベルの直感で、彼は自分ほどの治癒能力は持っていない、と見抜いた上での奇襲攻撃だった。
豹堂のヤツがこの場にいたら、卑怯だ、と声を大にして、語彙をフル活用して、自分を罵倒してたかもな、と苦笑いが込み上げてきた紅壱。しかし、卑怯と判っている上での攻撃だった。むしろ、そんな風に言われても、痛痒も感じなかっただろう。せいぜい、「あぁ、そうだよ、卑怯だよ。それがどうしたよ」と飄々とした態度で、鳴の罵詈雑言を馬耳東風よろしく、流していただろう。
相当、レベルが違うのだ、真っ向勝負など挑める訳が無い。
喧嘩百戦で、かなり我が強い彼は、真正面からの殴り合いで、自分が負けるとは露も思っていなかったが、今、彼は自分の仕事はこの場所を死守することだ、と自分をすんなり納得させている。
(格上のコイツに逆転勝利してぇ、なんて思ってる場合じゃねぇ)
完全にカガリの背後を奪った紅壱は、鞭のようにしならせた両腕を、女子高生の胴回りよりも太そうな首へ素早く伸ばす。
|頚動脈一択狙いの裸絞め《スリーパーホールド》、なんて甘ちょろい攻撃などする気は微塵もなかった。絞め落とす、では足りない、回すと同時に一気にヘシ折るつもりだった。しかも、紅壱は腕よりも力が強い腕で、腹部をキツく締め上げ、ダメージ値の加算を試みるつもりだった。首と胴、常人であれば耐えられぬ痛みみが同時にかかる攻撃だ。いくら、修羅と言えども、広く知られている『夏暁」の異名を冠していようと、成功すれば顔色に濃い陰りが生じるだろう。
首の骨を折って、この霊属が退帰するか、など分からない。だが、人に近い姿をしている以上は、首も一つの急所であるはず、頚骨にダメージがあれば、退帰はさせられなくても、その後の動きには十分な支障が出てくるはず、そんな都合の良い希望を抱いた上で、組み立てた攻撃だった。
わずかに見える、カガリの両手からは胸を衝く匂いを漂わせる白煙がまだ上がっていたし、五本の指も不自然な方向を向いている。まだ、再生には時間がかかる、と判断した紅壱の指、いや、爪の先がカガリの首に触れた。この距離まで来れば、もう、技は成功したも同然であった。
その瞬間だ、無音で臍の辺りから両肩まで一秒もかけずに走ったV字の切り傷から、鮮血が勢いも良すぎるほどに噴き出し、カガリの背中、そして、その背中から生えているナイフを力強く握っていた三本目と四本目の腕を真っ赤に汚したのは。
知っているモノを凌駕する、その痛みや熱を感じるよりも前に、その場に力なく膝から崩れ落ちていった紅壱。常人よりも赤い血溜まりに顔を突っ込んだまま、身動ぎしなくなった彼の両目から生気が急速に失せていく・・・・・・・・・
瑛と対峙する、女吸血鬼・カーミラは囮に過ぎなかった
彼女が所属する組織は万全を期し、何人もの有名ハンターを返り討ちにしている、強力な霊属の傭兵を、今回の襲撃を成功させるために雇っていた
その修羅・カガリが召喚された場所は、よりにもよって、紅壱が任された一角であった
カガリが己より強く、正攻法で歯が立たないと判断した紅壱は迷うことなく、背後からの奇襲を仕掛ける。しかし、喧嘩師である彼の予想すら凌駕する、奥の手がカガリにはあった
果たして、凶刃に倒れた紅壱の運命や如何に。このまま、形になることなく終わってしまうのか、反英雄の伝説録は!?




