第百八十八話 休息(break) 吾武一、アルシエルの住魔が休憩を上手く取れない事を悩む
若手らの成長を、スパーリングを通して実感した紅壱
彼らが強くなっている以上、自分ももっと強くならねばならない、と気合が入る紅壱は、ついに、自分の魔力が使えるようになる事にワクワクしていた
食々菜が腕を振るった食事に舌鼓を打ちつつ、彼は吾武一からの報告を受ける
実は、先日、アルシエルに、他所の集落のゴブリンが侵入しようとしていた。しかし、住魔のオークとスケルトンが発見し、生け捕りにしたことで事なきを得たようだった
手柄を上げた住魔を褒めつつ、紅壱は無茶だけはしないように釘を刺しておく
「それで、その小鬼どもは、殺しちまったのか」
「いえ、下手に始末しますと、そのゴブリンの群れが復讐に来る可能性もありましたので、適度に痛めつけた上で追い返しました」
そうか、と紅壱は吾武一の冷静な判断と行動に感心し、ニタっと笑った。
「この村に振りかかる火の粉は遠慮なく払うにしても、わざわざ、敵を増やすような真似をしても仕方がないからな。
このアルシエルの基本スタンスは、共存と共生だ」
「もちろん、心得ています。
こちらから、喧嘩を売るような愚行はしません」
「頼むぞ、副村長」
恭しく頭を下げた吾武一の右肩に、ポンと置かれる紅壱の手。
ただ、それだけの感触で、吾武一は副村長としての仕事で蓄積していた心労、その合間に行っているトレーニングや翠玉丸らの手を借りて行っている疑似戦闘で溜まった痛みや疲れも、呆気なく吹き飛んだ。
「ウルフの方は、どうだ?」
「今のところ、大きな動きはありません。
一匹もしくは二匹ほど、斥候をこの村に差し向けているようですが」
「・・・・・・やはり、慎重だな」
「頭の方も、悪くはないようです。
影陰忍のトラップにかかりません」
「他所の頭が悪いゴブリンとは、違うってことか」
影陰忍の罠や隠し方がお粗末と言う訳ではなく、隠蔽を見破る危険察知能力がウルフの方が優れているようだ。
ウルフも気付かないトラップ、それを考える事で、影陰忍のスキルは経験値が溜まっている様なので、悪い事ばかりではないだろう。
「可能なら、ウルフとの争いも回避したいがなぁ」
「あちらはあちらで、食べなければ生きていけません。
群れの命、これからの繁栄、それらを預かるリーダーが、餌で溢れるこの村に目を付けるのは当然かと。
力と数に任せ、狩りを仕掛けてこず、こちらの戦力を冷静に把握している点に、私は恐怖以上に敬意を感じます」
本心であるのは、吾武一の目を見れば理解できた。
「その心持ちは、お前を強くするぞ」
「はい、これからも無くさぬようにします。
しかし、ウルフが襲撃てこないのは、私達ではなく、やはり、雷汞丸様たちを危険視しているからだ、と私は思っているんですが、どうでしょうか」
吾武一の正確すぎる分析に、紅壱は微苦笑を浮かべ、大きめに頷く。
心優しく、正直で、公平な彼は、ここで「お前らも警戒されているんじゃないか」なんて、安っぽい慰めなど言えやしない。
「だろうな。
ウルフは、この村が五匹の縄張りだ、と考えているんだろう」
紅壱の言葉に、ふと考え込んだ吾武一。
「裏を返せば、何かの拍子に、アルシエルの周囲から、皆さま全てが一斉にいなくなったら、またとない好機だ、と判断するでしょうか」
紅壱もバカではない、その発言で、吾武一の意図を察する。
吾武一は、ウルフと戦い、自身の強さを上げたい訳ではない。もちろん、紅壱の為に、一日でも早く、強さを得たい、その願いは確かにあるので、力強く否定はしない、出来ないだろう。
だが、吾武一が最優先とするのは、あくまで、紅壱の野望成就だ。
彼は紅壱の為に、村の戦力を増強したい、と考えている。
その計画を前に進めるには、まず、ウルフの群れを殲滅するのではなく、支配下に置きたかった。
ウルフが自分達に従順となってくれれば、アルシエルの防衛力は増し、移動手段も手に入る。このアルシエルを狙っている、他の魔属への脅しにもなる。そして、吾武一は、紅壱が半分冗談で言った、「モフリたい」をしっかりと覚えていた。
自分のジョークを吾武一が真に受け、奥一らも同様である事に、紅壱は気まずくなった。
しかし、言うべきことは言っておかねばならない。
「それは、俺がアイツらを自分の中に戻す事で、わざと、あからさまな隙を作って、ウルフの群れを誘き寄せ、一網打尽にするってことか?」
「もちろん、今すぐ、やる訳ではありません。
今は、戦える者は個の力を高め、その高めた力を合致せる訓練を行います。
戦えない者は、戦える者をしっかりとサポートできるよう、罠の作成や設置、装備の準備をして貰おうと考えています。
何より、こちらは、まだまだ、ウルフの勢力が把握しきれていません」
どうやら、吾武一はウルフの頭数、群れの序列や戦闘力、リーダーの気質、また、食糧事情の調査も、既に開始めているようだ。
彼の抜かりなさに、紅壱は「だな」と頷き返し、握った拳を、吾武一の目で辛うじて追える程度の速さで突き出す。
「もし、お前が、すぐにでも、そのリスキーな作戦を実行するって言ったら、コレだったぞ」
ハハハハハ、と吾武一は乾いた笑い声を漏らしてしまう。
自分が強くなってきている、その自信は、彼の中に生まれつつあった。だからこそ、半端に頑丈になった今、紅壱から殴られたら、気絶すら出来ず、痛みに苦しむ己、その無様な姿が容易に思い浮かべられた。
「あくまで、戦闘は最終的な手段です。
餌や安全な場所などで、ウルフがこのアルシエルの番狼となることを快諾してくれるのが一番でしょう」
「だな、戦って、勝って、滅ぼして、は不毛すぎる」
魔王を宿している者にしては、随分と闘争に対して消極的な意見を、隠しもしないで口にした紅壱に、吾武一が向ける目。そこに、侮蔑の色はない。
「ですが、ウルフがこちらと友好的に暮らす気がなく、殺意と爪牙を向けるようであれば、我らも容赦しません。
牡は当然として、牝、仔狼に到るまで、皆殺しにいたします」
吾武一の血生臭い決意表明に、紅壱は「しろ」と首を縦に振る。
天使に介入されない、異種族が争わず、協力できる国を建てたい、そんな青臭い事を夢見ている紅壱だが、頬を叩かれてニヤニヤしていられるほどお人好しではない。
相手が、自分を殴ろうとしていると察すれば、こちらから首の骨を折る勢いで、先にぶん殴るタイプだ。
好戦的な平穏主義者である紅壱が、自分達の王で良かった、と胸が至福で満たされるのを感じながら、吾武一は次の報告に移った。
「村を囲む防護壁に使用する木、石などは順調に集められています。
作業する魔属全員が、肉体強化の魔術を1時間、維持できるようになりしだい、防護壁の設置に取り掛かります」
紅壱は知らぬ事だが、人間の術師の常識からすると、肉体を二倍まで強化できる魔術の効果を1時間も維持する、下位魔属など有り得なかった。
戦闘でこそ、ゴブリン小僧に劣るも、肉体強化の術を、30分以上は維持できるゴブリンが、もしも、人間界に出現すれば、学生術師でも、瑛たちレベルが緊急招集される、間違いなく。
「無理はさせるなよ」
「もちろんです。しっかり、休憩時間や休日は取らせ、順番に休ませています。ただ」
吾武一の歯切れが良くなくなったので、紅壱は片眉を上げた。
「どうした?」
「休んでいい、と言われても、皆、どう過ごして良いのか、判らないようで。
結局、自己トレーニングや、他の班の作業を手伝っていまして」
「なるほど」
その報告に、紅壱は苦笑し、首筋を掻いた。
これまで、ゴブリンらは、他の強い魔属や魔獣に食べられぬよう、自分が生き残るのに必死だった。
それが、毎日三食しっかりと、しかも、美味しい物を食べられるようになり、夜襲を警戒して精神が摩耗することなく、安心して朝まで寝ていられる場所で、いきなり、暮らせるようになった。
なおかつ、働く、その充実感も得られるようになったのだ。
そんな満足できる毎日に、休め、と上から言われても、休み方が自分では思いつかないのだろう、アルシエルの住魔らは。
自己鍛錬、それくらいなら看過も出来るが、他の班の仕事を手伝う、これは目を瞑れない。
休みの者が手伝っては、その日の仕事の者が、自分の仕事が奪われるのでは、と心配して張り切ってしまう。
頑張りすぎれば、疲れる。疲労が溜まれば、注意力もひどく、散漫となり、怪我をしかねない。
最悪の事態が起きてからは手遅れなので、休みを与えられた者が、ちゃんと休むよう、その方法を考える事は急務だな、と紅壱は頷く。
色々と、まだまだ、ではあるが、幾分かの余裕もアルシエルに生じてきたのは事実だ。
その余裕を更に増やす為にも、休める時は休む、その感覚を魔属らに刻み込む、その為に必要なのは、やはり、娯楽だろうか、と紅壱は考えた。
なので、食料品や工具、衣服だけでなく、人間の言語が分からずとも、彼らが遊べる物も持ってきてあるのだが、数や種類が足りないか、と結論を自分の中で出すと、紅壱は吾武一へ次の報告を促した。
「畑は、順調に耕せており、予定よりも早く、第一目標の広さに達する見込みです。
鍬を使う事で体力は増し、足腰と体幹は強くなる。地土属性の適正がある者は、土を操る魔術を使用する事で、修練度が上がっていく。
これまで、自分達が食べる物を栽培する、その発想はありませんでしたが、これは素晴らしいです」
発展には、安定した食糧が必要だ。
輝愛子のおかげで、資産が充分にある紅壱。なので、自らが大量の食品を用意する事も可能だ。
だが、吾武一らには自主性も確立してほしいので、農耕も指導していた。
紅壱も、故郷で近くの農家を手伝っていただけなので、知識や経験は素人に毛が何本か生えている程度。それでも、彼は吾武一達の為に、資料を調べ、このアルシエルで何を育てるか、を考えていた。
高等部の図書室、いや、図書館、いやいや、図書島は蔵書が膨大なので、知りたい事は根気さえあれば、いくらでも、知る事が可能であった。
不良ではないが、見た目が剣呑である己が施設内に入れば、他の生徒や職員を怖がらせてしまうのは、紅壱も承知の上で、吾武一らを自立させるべく、農業関連の分厚い本を漁っていた。
地土属性の適正がある者は魔力を流し込むことで、土壌を良く出来るらしい。
しかし、魔術に頼り過ぎてはならないので、紅壱は堆肥作りも並行して、吾武一らに進めさせていた。
自分らの糞尿が、野菜をより良く成長させる、と言われた際は、かなり驚いていた吾武一ら。だが、紅壱の言う事なら間違いはないだろう、と皆で話し合って結論を出し、堆肥作りに励んでいた。
「水路の方は、残り半分ほどです。
しかし、井戸の方は、どうも、固い岩盤に当たってしまったようです。
今、その岩盤を貫通するか、違う箇所を新たに掘り出すか、話し合っております」
「いずれにしても、作業員の安全は確保しろ」
とことん、自分らを第一に慮ってくれる紅壱に心中で感謝し、吾武一は報告を終えた。
アルシエルへ忍び込もうとした、他所のゴブリンは殺さず、適度に脅して、追い返した、と紅壱へ、吾武一は報告する
誰も傷付けられず、何も盗まれず、どこも壊されていないのなら、その程度で十分だ、と紅壱は吾武一の判断を肯定した
紅壱に「よくやった」と褒められた吾武一は、気持ちが浮つかないように気を引き締めながら、ウルフはまだ、こちらを様子見しているようです、と報告を続ける
ウルフがアルシエルの害になる、と確定するまでは、こちらから動いて、ウルフを全滅させるようなことはしないでいい
紅壱の指針に従い、吾武一は、あえて、斥候役のウルフを見逃し、機を待っていた
そんな吾武一は、アルシエルの住魔が、仕事の合間に設けた休み時間や、割り与えた休日に、体を休めず、ついつい、他の者の仕事を手伝ってしまっている事を悩んでいた