第百八十一話 増翅(wing increase) 種族進化すると、妖精種は背中の翅が増える
若手らの実力を、模擬戦で確認していた紅壱
メキメキと実力を伸ばしていたゴブリン小僧を、得意とする流水属性の魔術で倒した妖精は、気合を更に高めて、紅壱へ挑む
対面した事で、彼我の差が思っていたよりも大きかった事を自覚した彼女だったが、決して怯んだりはしない
実力の差が埋められないのならば、策を用いるまで、と妖精は見事に紅壱の口と鼻を水の膜で覆う事に成功する
けれども、謎の攻撃によって、呆気なく、KOさせられてしまった妖精
意気消沈した彼女だったが、ゴブリン小僧に励まされた(?)事で闘志に火が入り直す
そんな妖精に、紅壱は唐突に、「有翅」と呼びかけた
次に挑戦むのはアタシだ、次は俺と激戦え、と火花を散らし合っていた完二らも、紅壱の言葉、正しく言うのならば、「有翅」と言う単語に反応し、静かになった。
「い、今、何て言い、いえ、呼びましたか?」
サプライズで彼女の名を呼んだ事が、少し気恥ずかしくなったのか、首筋をポリポリと掻いてから、紅壱は苦笑を浮かべながらも、その形を作っている唇から、妖精に与える名を再び、呼んだ。
「俺がお前に与える名前は、有翅だ」
名付けは、与える者と与えられる者が意識してこそ、正式に成立する、誇り高き儀式だ。
紅壱が首筋を掻いている間に、覚悟を新たにしていた妖精は、その名を自らの魂に刻み付けた。
自分は名無しの妖精ではなく、「有翅」である、と彼女が自覚した事で、それは起きた。
そう、種族進化である。
顕著であるのは、やはり、妖精族の特徴的な部位である、背中の翅だ。
形状が蝶のそれに近い翅は、左右に三枚ずつ、背から生えていた。その翅には、鮮やかなスカイブルー、エメラルドグリーン、レモンイエローが縞状の紋様として浮かんでいた。
翅の枚数が増した、それは有翅の飛行速度、飛行可能時間、また、機動力が増した事も意味しているのだろう。
もちろん、背丈は倍ほどに伸びていた。また、スタイルも色っぽいものとなっており、平たかった胸は、ほんの少しであるが膨らんでいた。彼女の魔力が作り出す、基礎的な防具と表現できる生体衣服も、変化した体型に合わせてか、デザインが大人らしい物に変化していた。
顔つきも、妖艶やセクシー、その域には達していないにしても、幼さはなく、大人びた雰囲気が漂うものになっている。
種族名が「フェアリー」から、「ハイフェアリー」に変化し、ステータスの値も、魔力が特に高い。
スキルも特に変わらず、増えてもいないが、その威力は、名無しの頃と比較になるまい。
今後、アルシエルの魔術師チームの一角を担う、強力な仲間が増えてくれた事を、紅壱は顔に出して喜ぶ。
「嘘ゴブ、まさか、妖精が、オイラたちより先に、村長から名前を貰っちまうなんて」
落ち込むゴブリン小僧を、仲間らが懸命に慰めるが、彼らも有翅の事を羨ましそうに見ている。
一方で、既に、紅壱から名を与えられている完二ら、名持ち集は、有翅の事を頼もし気に見ていた。
羨望と信頼の視線を、成長こそしたが、まだ小さい体に浴びながら、有翅は誇らしげに胸を張った。
「アタシの名は、コオイチ様がくれた、有翅よ」
破顔し、己の名を堂々と口にした有翅だが、ふと、気まずげな面持ちとなり、それを紅壱へ向けてきた。
「えっと、コオイチ様」
「ん、何だ、有翅」
紅壱に自分の名が呼んで貰える、ただ、それだけで、彼女は背骨を快感が突き抜けていくのを感じ、自分が何を言いたいのか、忘れてしまいそうになる。彼女のリアクション、それは自分達も経験があるので、影陰忍は微苦笑を噛み殺した。
どうにか、頬を強めに張って、気合を入れ直した有翅は一つ、息を大きく吸うと、疑問を口から出す。
「どうして、アタシに名を与えてくれたんですか?」
「どうして?」
「だって、アタシはコオイチ様に勝てませんでした。
なのに、ご褒美で名前を貰ってしまっていいんでしょうか」
悲しそうに、悔しそうに、有翅はスカートの裾を強く掴んだ。
「確かに、お前は俺に勝てなかった。負けた身だ。
しかし、善戦はしたよな」
紅壱に同意を求められ、完二らは首を縦に振り返した。ゴブリン小僧だけは、先ほど、悪態を吐いた事に負い目があるのか、それとも、有翅が紅壱相手に善戦できた、それを認めるのが癪なのか、そっぽを向いていた。
そんな素直になれないリーダーの本音を代弁するかのように、オーク、コボルド、スケルトンは全員が右手を挙げた。
「「「はい(ブー)(コボ)(ホネ)っ」」」
「ほらな、皆、お前が善戦した、と言っている。
つまり、お前は俺に、日々の努力、その密度が、いかに濃厚であるか、自分の才能を研鑽する事を怠らなかった、それを戦いで示せた。
ならば、お前らの事を守って戦うのが仕事である俺には、善戦した事に対して、敢闘賞を贈る権利があるよな」
再びの確認に、全員が頷く。
「だから、俺はお前へ、『有翅』の名を授けた。
今回、名前のリクエストを聞かなかったのは、善戦止まりだったからだ」
紅壱の言葉に、有翅は納得した。
リクエストを聞いて貰えなかった、それは残念ではあるが、この名前に不服はない、あるはずがない。
なので、問題は一つもなかった。
不安が解消された事で、有翅は安堵できたが、却って、自分が与えられた責任感が、どれだけ重いか、を感じ取る事が出来た。
元より、尊敬させてくれる紅壱の為に、楽しくて心強い仲間の為に、美味しい食事と安心できる寝場所を提供る村の為に、いざとなったら、戦う事は覚悟していた。
名前が、紅壱から、直接、授けられた、それは自分が守られる側から、守る立場になったのを意味している。
この大きくない体は潰れてしまわないだろうか、不安は芽生えた。けれど、有翅は、その芽が摘まれるのを感じた、自然と振り向いた自分へ、仲間らが親指を立ててくれて。
「コオイチ様!」
有翅が、腹からしっかり出した、芯のある声で己の名を、振り向きざまに叫んだので、紅壱は内心では面食らったが、顔には動揺を微塵も出さないで、「おう」と、なるべく、威厳のある態度を意識する。
「アタシ、もっと強くなって、進化して、皆と、ずっと一緒にいたいです」
「そりゃ、皆、思ってる事だな。
けど、期待してるぜ、有翅」
「ハイッ」
有翅は右手を高々と挙げ、背中の翅も大きく広げた。
「村長、俺らも頑張りますゴブ。
だから、いつか、俺らにも名をくれますゴブか?」
悲痛な表情で見上げてくるゴブリン小僧の頭に、紅壱は大きく逞しい、けれど、優しさも宿る手を乗せた。
「前も言ったぜ、俺は。
強さを示した奴には、名を付けるってな。
別に、腕っ節だけじゃない、強さは。頭の良さでも、道具作りでも、俺に『強い』と感じさせたなら、俺は名を考えてやる。
まぁ、正直なとこ、ネーミングセンスは自分でも微妙と思っているから、期待はしないでくれ」
照れ臭そうな顔で、紅壱は後頭部に手をやった。
頑張り続ければ、アルシエルのトップである紅壱は、それを正当評価し、魔属にとって名誉でもある名を与えてくれる。彼が、言葉に出して、それを確約してくれ、ゴブリン小僧らは視線を交わらせ、頷き合った。
名無しの魔属が、自分達を追いかけてくる、この事態に、完二らは焦燥よりも期待が疼く。そのような一面を持っているからこそ、紅壱の眼鏡に適い、名を与えられた訳だが、彼らは。
「けど、言っておくぞ」
名が欲しい彼らが無茶をしないよう、紅壱は威圧感を発して、釘を刺しておく。
「俺は、林二達より審査が厳しい。
だが、焦らなくていい。チャンスは一回しか与えないなんて言わない。
何度も挑んできていいから、着実に強くなって来い、腕っ節を示したいならな」
明日と言わず、今日から、訓練の量を倍にする、そう決めかけていたゴブリン小僧らはビクッとする。
いいな、無理は禁物だぞ、そう念押しされ、過度のトレーニングを強行できるほどの胆力は、ゴブリン小僧らにはなかった。
焦燥と強欲で、上に向かう階段を踏み外しかけそうになっていた、と紅壱の注意で、いくらか、視界が晴れたゴブリン小僧らは「頑張ります」と言葉を重ねた。
「磊二たち、悪いが、コイツら、無茶しないよう、無理しない程度で見守ってやってくれな」
「お任せください」
「やり過ぎてたら、止めるぜ」
「完二、それはお前にも言える事だろ」
「まったくでござるな」
「アタシ達は、自分達のペースで、次の種族進化を目指しましょうね、カカシさん、スケコさん」
「そうね、千里の道も一歩からよ」
有翅の言葉に同意した彗慧骨だったが、ふと、気になっていた事を思い出す。
彼女は、ある程度までならば、自分の頭で考えて答えを出そうとするし、他魔に質問する事もプライドは邪魔しない。
それでも、今から、紅壱に聞く事は、自分の足りない頭では、いくら考えても、正解に到達する事が難しいものだ。
だからこそ、今、ここで紅壱に聞いてみたい。
「タツヒメ様、聞きたい事があるんですけど、いいですか」
「どうした、彗慧骨、そんな畏まってよ」
戸惑いながらも、拒む理由はないので、紅壱は朗らかに笑み、質問の続きを手で促した。
「紅壱様は、まだ、魔力の使い方を教わっていませんよね、弧慕一様に」
「あぁ。自己流でやろうとしないでください、って言われてるからな、アイツに」
「魔弾は撃てませんよね」
「一応、人間の術師が、魔弾を撃つ時に唱える呪文は覚えたんだがな、俺の場合、暴発する可能性もあるから、実戦じゃ出してない」
「さっき、妖精、いえ、有翅と戦った時、口元を水で塞がれましたよね。
けど、有翅は、タツヒメ様が息が出来ずに倒れる前に、何かが当たって、逆に倒されました。
魔弾は撃てないのに、どうやって、離れた所に浮いていた有翅を倒した、いえ、何を当てたんですか?」
自身の得物がボウガンで、これから、弓兵や弩兵の隊を率いる為にも、射撃能力を向上させよう、と考えている彗慧骨としては、紅壱が、遠距離用の武器や攻撃手段を持っていなかったにも関わらず、有翅をダウンさせたか、気になってしまうのだろう。
いきなり、紅壱が「有翅」と呼んだので、事態が呑み込めず、フリーズしてしまう妖精
彼女のリアクションに苦笑しつつ、紅壱は再び、彼女に与えた名、「有翅」を口にする
自分は「有翅」の名を持つ者、それを自覚した時、妖精は上位妖精への種族進化を果たす
種族進化によって、有翅は背中の翅が増え、魔力量も倍となった
新たな姿を得て、より強くなった彼女は唐突な名付けに戸惑っていたが、紅壱から、その理由を聞き、これからも努力を続け、紅壱と仲間の為に強くなる、と決意を新たとする
一方で、彗慧骨は、あの状態から、紅壱が、どうやって、妖精をノックアウトしたのか、が気になっていた