第百八十話 大声(loud voice) 妖精、大きな声を出す
弧慕一の準備が済むまで、若手の実力を確認していた紅壱
次に、彼へと挑まんとするは、密かに個人特訓を積んでいた妖精と、頼りになる仲間を集めていたゴブリン小僧
成長性は中々のものであるゴブリン小僧を、得意とする流水属性の魔術で打倒した妖精は、見事、紅壱への挑戦権を獲得する
遥かに格上である紅壱を前にしても、妖精は気負い過ぎず、怯む事もなく、真っ向から立ち向かう
強烈な悪臭で、紅壱の動きを一瞬だが確実に封じた彼女は水球を飛ばし、紅壱の口と鼻を水の膜で覆う
「タツヒメ様!!」
まさか、紅壱までもが、妖精の繰り出した、口塞青膜の餌食になってしまうとは思っていなかったのか、紅壱の勝利を信じ、彼の強さを学ぶべく、熱心に観ていた磊二らはどよめいた。
紅壱は、まだ、己の魔力を完全に操る事が出来ない。しかも、彼が流水属性の魔力が適性とは限らない。
柔道で言えば裸絞め、総合格闘技で言えばチョークスリーパーが、非の打ち所がないほど、完全に極まってしまっている状態だ。もう、こうなってしまったら、失神か降参、そのどちらかしかない。
磊二らは、妖精を紅壱に仕える仲間として、心の底から認めている。
紅壱へ挑むための努力や、ゴブリン小僧相手の健闘で、皆は彼女への評価を更に高めた。
だかららこそ、真っ先に、妖精が最初に、紅壱に勝った存在となるのが、本気で悔しい、と思ってしまった。
妖精は、水のマスクを紅壱の鼻と口に密着させる事に成功し、己の勝利を確信していた。
だが、決して、注意も魔力も緩めなかった。ここまでの戦いを密かに見て、妖精はちゃんと学習していたのである。
降参、そんな生温い結果にはしない。確実に、意識を奪う。
この考えは正しく、紅壱も「間違っていない」と褒めただろう。
一つ、妖精、いや、その場にいた魔属に思い違い、これがあったとするならば、紅壱の物凄さに対する認識だろう。
確かに、この状況に陥れば、手も足も出なくなるだろうが、それは、凡人もしくは凡魔の話。
知っての通り、紅壱は凡人から程遠いのだ。当人は、普通の人扱いされたくても。
ブッ、そんな音が複雑な心境でいた磊二達の耳に届いた。
その音が、何なのか、誰も考えようとしなかった。
何故なら、空中の妖精が攻撃を受け、後方へ吹き飛ばされたのを目の当たりにして、驚いてしまっていたからだ。
「「「「!?」」」」
誰も、この戦いから目も逸らさず、意識も途切れさせていなかった。
それでも、全員は何が起こったのか、何が妖精を吹き飛ばしたのか、視認なかった。
何かがぶつかった衝撃は桁が違ったようで、何かにぶつかられた、それすらも理解らないまま、妖精は宙で失神してしまう。
今や使い慣れた瞬動術を使って、一瞬で回り込んだ紅壱が優しく、掌の中にそっと受け止めていなければ、妖精は、そのまま、放物線を描き、地面へ落下し、強かに、その小柄な体躯を打ちつけていた。
レベルは高くなっているが、基本的に、肉体は脆い妖精が、あの速度と角度で、柔らかくはない地面へ受け身もなしでぶつかれば、複雑骨折じゃ済まなかった。
「完二!!」
妖精の失神により、水のマスクが顔から剥がれた紅壱は、掌中の彼女にショックを与えない声量で、審判でありながら、狼狽えていた完二を呼ぶ。
紅壱が呼び、ハッとした完二は慌てて、駆け寄ってくる。ガタイの良い完二の体重は150kg近いが、100m走のタイムは10秒前後だ。この巨体で、足が速い、実に脅威である。
それは、さておき、紅壱の元まで来た完二は、彼が手に乗せている妖精は、完全に意識がなく、戦闘の続行は不可能、と判断する。
完二が試合終了の動作を行うと、歓声も上がれば、安堵の息も漏れた。
「お疲れさまでした」
「いや、ハラハラしたでござる」
「得る物が多い勝負だったわね」
「妖精は大丈夫ですか?」
「あぁ、ちっと、ぐったりしちまっているが、骨も折れてないし、内臓も破れちゃいない」
そう言い、紅壱が軽く、掌を揺すると、妖精は苦しげに身を捩り、しばらくしてから、ゆっくりと目を開いた。
何かが、体に当たり、吹き飛ばされたショックとダメージは抜けていないのか、妖精は紅壱の手の上で体を起こす事が出来ない。
しかし、瞬時に、己の敗北を理解したようだ。
自分の掌の上に熱い雫が零れたのを、確と感じた紅壱。
紅壱の手から起き上がらず、手は目を覆い、その小さな体が小刻みに震えている妖精に、誰も慰めや励ましの言葉がかけられない。もし、自分が敗北者の立場となれば、そんな優しい言葉で、一層に心が傷付くと分かるからだ。
しかし、どこにも、あえて空気を読まない強さを持った、メンタルの強い、つまりは、優しい奴がいる者である。この場において、それは、ゴブリン小僧だった。
「情けないゴブッ」
「!!」
いつの間にか、意識を取り戻していたのか、ゴブリン小僧は肩を貸そうとするオーク小僧を軽く押し退け、フラついた足取りで紅壱、いや、妖精に向かっていく。
「オイラに勝って、村長に挑んでおいて、この様ゴブか。
しかも、一回、負けたくらいで、悔し泣きして動けなくなるって、笑えるゴブ。
そんな泣き虫に負けた記憶なんて、さっぱり消しちまいたいゴブ」
「ちょっと、アンタね」
あまりに度が過ぎた悪態に、彗慧骨が柳眉を逆立てる。けれど、彼女を諫めたのは、骸二だった。もし、彼が彗慧骨がゴブリン小僧へボウガンを向けるのを止めていなければ、磊二は石の壁を出し、完二は己の巨体を盾として、ゴブリン小僧を庇っていたかもしれない。
彼らには、ゴブリン小僧の不器用な気遣いが感じ取れたようだ。
紅壱が、「あそこまで言われちまってるが、いいのか?」と確かめる前に、妖精は頭に血が上ったようだ。
翅の震えが止まったかと思ったら、妖精はその翅を大きく広げるなり、紅壱の掌を蹴って、ゴブリン小僧に殴りかかっていた。
紅壱の手の上から、カマイタチや水球で攻撃しなかったのは、まだ、魔力が回復しきっていないからだろう。
妖精のスピードは疲弊もあり、戦闘時よりも遥かに遅かった。なので、ゴブリン小僧に、彼女のパンチを避ける事は容易かった。
当たらない、と頭では分かっていても、負けた事よりも再挑戦を諦めかけた事を、ゴブリン小僧から指摘された事への悔しさで心が満ちていた妖精は、パンチが外れると舌打ちを放つ。
間髪入れずに、彼女は二発目を繰り出す。魔力を使い過ぎ、しかも、紅壱から攻撃を受けている妖精のどこに、ここまで動ける体力があったのか、止めるべきか、静観すべきなのか、迷っていた一同は唖然とする。
一発目よりも速さ、キレ、威力が落ちている、そのパンチとも呼べぬ動きの、小さな拳をゴブリン小僧は避けず、手で止めた。
「所詮、お前は、その程度だゴブ。
そんで、そんなお前に負けた俺は、もっと、情けないゴブ。
だけどな、次は俺が勝って、村長に挑むゴブ。
きっと、まだまだなオイラは、こっぴどく、負けるだろうゴブ。
けど、オイラは勝てるまで努力するし、チャレンジするゴブよ。
体も鍛えて、頭も使うようにして、あいつ等との連携も磨くゴブ。
だから、俺に勝ったお前が、これくらいで諦めるなゴブッ。
俺がクリアすべき、第一の目標はお前に勝つ事になってるんだゴブッ。
村長に俺が挑むのが許せないってんなら、お前が俺をまた、倒してみるゴブ。
絶対に、負けないゴブけどな、二度と!!」
いきなり、ゴブリン小僧から発奮と再起を促され、妖精は唖然とする。
しかし、我に返った妖精はポニーテールを激しく、左右に振り乱すと、ゴブリン小僧が引きもしない掌へ、三発目を打ちつけた。
残っていた体力のほとんどを乗せたのか、ゴブリン小僧の掌からは、妖精の小さな拳が当たったとは、聞いた者が誰も思わないほどに、乾きながらも気持ちの良い音が上がった。
「アタシは、コオイチ様に勝って見せる、絶対ッィ」
怒り、いや、ライバルへの闘志剥き出しな宣戦布告は、今までにないほどの大声だった。
突然の大声に、ゴブリン小僧は仰天したようだったが、それも一瞬に満たず、「いや、勝つのはオイラゴブッ」と、親指で自身の顔を指す。
「おいおい、二匹で盛り上がっているとこに水を差すようだが」
「俺らがいる事も忘れるなよ」
「そうですよ。我らが主に、最初の土を付けるのは、君らではなく、この私です」
「拙者は忍者であるゆえ、殿を陰から支えられれば満足、と考えていたでござるが、それではいかんでござるな」
「影陰忍の言う通りね。アタシも弩兵だから勝ち目はないって諦めてたけど、闘い方を工夫すれば、紅壱様に勝てるかもしれない、ってあのおチビちゃんに教えて貰っちゃったもんね」
盛り上がり出した仲間の中から飛び出すと、妖精は体力も魔力も空っぽ間近の体をどうにか動かし、紅壱に近づいた。
「今度は、もっと工夫して、勝ちます」
「出せたんだな、そんなに大きな声が」
「これまでは、自分に自信が持てなかったから、つい、声も小さくなっちゃってたけど、皆がアタシを強いって言ってくれて、こんなアタシに優しい言葉をかけてくれる、ムカつくけど嫌いになれない奴がいる。
だから、自分が嫌いなままじゃいられない。だから、まずは、ちゃんと、お腹から声を出して、皆と喋るようにします、これからは」
「あぁ、これからもよろしくな、有翅」
「はい・・・・・・え?」
妖精の奇襲が成功し、呼吸を水の膜によって封じられてしまう紅壱
必勝パターンに入った妖精だが、紅壱の強さを理解している彼女は決して、油断などはしない
しかし、紅壱は、そんな妖精の集中すら凌駕する
謎の攻撃によって完敗を喫してしまい、酷く落ち込んだ妖精に喝を入れたのは、ゴブリン小僧であった
彼の不器用な優しさによって、気合が入り直した妖精は、今までにないほどの大声で、紅壱に、もっと強くなる事を誓ったのだった
そんな妖精の決意を前にして、紅壱は驚きの対応をしたのだった