第百七十五話 毒虫(poisonous bug) 毒虫を狩りまくって成長した妖精は、紅壱に挑戦する
自身の魔力を使えるようにする準備が済むまで、若手の実力をスパーリングで確認する事にした紅壱
彼は磊二、剛力恋、完二、骸二の四匹に、全力を出させた上で圧勝する
しかし、魔術を使えるようになったら、自分達を同行させずに、敵地へ単身で特攻を仕掛けるんじゃないか、と指摘され、紅壱は珍しく狼狽えてしまう
半ば逃げるようにして、トイレへ向かった彼は、そこにスライムがいるとも知らず、用を足す
そうして戻った彼に続いて挑むは、まさかの魔属であった
もしも、広い視野を有し、気配の察知能力も優れている林二が襟を掴んで引っ張っていなかったら、再戦を懲りずに申し込もうとしていた剛力恋の側頭部へ、妖精は激突していたに違いない。
ホブゴブリナとフェアリー、二種には体格差が、相当にある。
もし、激突していたら、妖精だけが大ダメージを負い、剛力恋の方は大して痛くもなかっただろう。
ただし、それは、かつての話、この妖精が紅壱に餌付けされた頃の話、今はちょっと違う。
今、もしも、あの速度で激突していたら、妖精が怪我をするのは変わらなかっただろうが、剛力恋の側頭部にも、10針は縫わねばならない裂傷が出来ていた可能性は否めない。
目の前まで迫ってきて、積極的に手を上げ、参戦のアピールをしてくる妖精から一歩ばかり引き、彼女のステータスを解析して見た紅壱は、息を一つ、大きく吸う。
(ほぉ・・・コイツ、レベルが結構、上がってるじゃないか)
吾武一達も、日々、欠かさぬ自己鍛錬や狩猟、また、仲間や紅壱との模擬試合で、着実に経験値を蓄積させ、レベルを日々、高めている。
さすがに、次の種族進化には遠い、または、条件を満たせていないようだが、これまで通りに努力し続ける、もしくは、大きな戦いがあれば、チャンスが確実に来る、と確信が持てる数字である。
それ故に、紅壱は妖精が、いつ、種族進化できても不思議ではないレベルに達している事に驚きが隠せなかった。
体のサイズや、背中の小さな翅で飛行する事から、他の魔属との合同トレーニングには参加できなかった分、一匹で黙々と努力していたのかもしれない。
それは、例え、紅壱のように、他者のステータスを見る目が無くとも察せるだろう。
何せ、妖精はサイズこそ大きくなっていないにしても、その肌には、薄くなってはいるが重なって残る、大小の、様々な要因の傷が残っていた。
自身が所持する治癒魔術で、負った傷をある程度まで塞いだ状態で、努力を続けたのだろうか。
人間界から持ち込んだ栄養ドリンクを飲めば、傷もスタミナも回復するはずなので、傷痕が残っているのは、飲みに戻る時間も惜しんだようだ。
また、鍛錬だけでなく、実戦も重ねたのも、レベルが上がっている理由だろう。
体躯が小さい分、妖精にとっては、実戦は他の魔属よりも命懸けとなる。だからこそ、勝利し、生き永らえる事が叶えば、得られる経験値も大きい。
この短期間でレベルをここまで上げた妖精に感心すると同時に、紅壱は、一体、何を相手にしたのか、と疑問に思う。
このアルシエルに住む魔属と模擬戦も行っていただろうが、それだけでは、説明が付かないレベルだ、今の妖精は。
間違いなく、命と一緒に奪った経験値が重なって、レベルが上がっている。
しかし、アルシエルの住魔は、誰一匹として欠けていない。もしも、命を落とした魔属がいたのなら、吾武一が報告してきているはずだ。
気になったら聞いてみる、紅壱は妖精に尋ねる、何を倒していたんだ、と。
妖精の答えは、兎や狸と言った小型の魔獣や、蜂、百足などの魔虫を倒していた、と言うものだった。
「なるほど」
紅壱が納得したのは、この辺りに棲息しているラビットが、人間界のそれとは、全く異なっているのを知っているからである。
さすがに、両耳がブレードになっていたり、電撃を放つ一角が額から生えていたりする訳じゃなく、見た目は人間界の山野にいる兎と変わらない。基本的に臆病で、逃げ足が速く、草食性である点も同じだ。
追い詰められると、捕食者に対して牙を剥く点も同様だが、その攻撃力が比べ物にならない、異世界のラビットは。
それまでの温厚さや暢気さは、どこへ行った、と思うほどに狂暴となったラビットは、逃げる際に使っていた、100mを5秒で走る脚力を突進に用いてくる。そのロケットスタートは銃弾に匹敵する。つまり、ラビットの頭突きを受ければ、大怪我は必至だ。
紅壱が来て、罠の設置を指導してからは起きていないが、これまで、何度か、ラビットの逆襲により、ゴブリンが何匹か、命を落とす事態があったそうだ。
また、後足によるキックや、頸動脈への噛み付きも脅威で、ナメてはいけない獲物だ。
異世界の存在は、人間界に転移した際、呪素の薄さが原因で理性を失い、自身の存在を保つ為に、呪素の代替となる、生命エネルギーの塊である現地の生物を襲う。
仮に、異世界の兎が一匹でも、人間界に偶喚されてしまったら、半径100m圏内に飼育れている中型以下の犬は惨殺されるだろう。
大人であっても、金属バットを持っているくらいでは敵いはしない。つまり、子供が真っ先に、前歯の犠牲になる可能性が高い。
とは言え、瑛や彼女達が持っている資料によれば、異世界の兎が人間界で事件を起こした記録はないようである。
これは、怪異を人間界に召喚してしまう、人間の無意識に、兎が危険だ、と刷り込まれていないからだろう、と紅壱は推測していた。
兎に指を噛まれた経験がある者は、確かに少なくない。しかし、その程度では、兎が苦手になっても、人間に死を齎す存在だ、そんなイメージは生じない。
恐怖が核となっているイメージでなければ、怪異が偶喚される確率は低い。
万が一はあるだろうから、警戒しておいた方がイイにしろ、生徒会総出で、ラビットを追いかけるような事はないだろう、と考えていた紅壱。
吾武一も十数年の小鬼生で、一度か二度、その姿をほんの一瞬だけ見た程度だが、どうやら、ワーラビットと称すべき獣人も、この森には生息しているそうだ。
そもそも、獣人の類は、この大森林の南エリアに多く、ゴブリン達が多い西エリアには、縄張り争いに敗れた、もしくは、逆に縄張りを拡張げるべく、先遣として侵略の拠点作りを命じられている者が、それなりの数でいるらしい。
姿形こそ定かではないが、戦闘力は決して、低くないようだ。
魔術を使うか、その辺りも、弧慕一すら知らないが、若い熊であれば、一撃で首の骨を折る蹴りが、かなり危険であるそうだ。ホブゴブリンですら、単体で行動していれば、逆に倒される事もあるらしい。
それを聞いたら、平和主義者と自称しつつも、血気盛んすぎる紅壱が気にならないはずがない。
いきなり、喧嘩を売ろうと言う気はないが、このアルシエルに牙を剥くのであれば、容赦するつもりはなかった。
また、現在の問題がある程度まで片付き、住魔の生活が落ち着いたのであれば、他の種族も仲間として迎え入れたかった、紅壱としては。
魔兎人であれば、美味いニンジンで友好的な関係を築けるのでは、と考えていた彼が、己の読みはある意味、甘かった、と思い知らされるのは、もう少し先の話である。
ラビットに劣らず、ラクーンドッグも中々に危険である存在であるようだ。
ゴブリンが持つ、基本的な武器は、そこらに落ちている木の枝、つまりは、棒だ。太さによっては、棍棒と言っても差し支えはない。
しかし、ラクーンドッグは、ゴブリンが武器を持った程度では、簡単に狩れない。
さすがに、この辺りの個体は化けはしないそうだが、ラビットとは異なり、ラクーンドッグはゴブリンを発見したら、逃げはせず、逆に自ら襲ってくる。当然、その理由は、小鬼を食う為である。雑食性とは言え、こちらの狸はゴブリンも喰うのか、と紅壱は吾武一から聞かされて呆れたものだ。
時には、コボルドにも襲い掛かってくる事もあるようだが、さすがに、オークやスケルトンは襲わないらしい。
分厚い脂肪に守られ、牙が通りにくいオークは返り討ちとなる可能性があるからだろうが、スケルトンの方は食べる肉がないから、ラクーンドッグも積極的に襲わないのかも知れない。
ちなみに、吾武一や弧慕一も、狸の獣人がいるとは断言できないようだ。
妖怪となれば、隠神形部と言った有名どころがいるので、恐らく、霊属が集まる東部には、化け狸の一族がいるのだろう、と紅壱は推測し、改めて、霊属と接する時への期待が膨らむのだった。
毒虫も、死ぬ危険性の高さを考えれば、ラビットやラクーンドッグよりも遥かに危険だ。
紅壱は、羅綾丸の影響で、さほど驚きはしないが、当然のように、異世界の虫はサイズが違う。小さい物でも、男子高校生の手と同じくらいか。
現在は、まだ、この大森林の正確な地図を歩き回りながら製作しており、未開のエリアの方が多いため、紅壱も遭遇した事はないが、女子高校生くらいならば軽々と持ち上げて飛行できる雀蜂、その蜂すら一瞬の油断を見逃さずに狩る蟷螂、その蟷螂も太刀打ちできない蚯蚓すらいるそうだ。
人間界に多生する虫と大きさが等しい種もいるが、凶暴であるのは変わらない。
特に恐ろしいのが蟻の群れで、オークすら、たった一秒で骨にし、その骨すらも咀嚼してしまうそうだ。幸い、その蟻は行動範囲が広くないので、判明しているテリトリーへ、不用意に足を踏み込まねば、安全は確保できるようだ。
美しい蝶も、油断は出来ない。鱗粉に麻痺や催眠、発狂を齎す毒があるのは言わずもがなだが、小さな翅を一打ちしただけで、軽トラックすら横転させる風や、人間ならば木端微塵に出来る爆発を起こす蝶もいるそうだ。
いくら、何でも、妖精は、自分より大きかったり、数の利を存分に活かしてくる虫に挑んではいないだろう。
しかし、噛まれたら即死、少なくとも、数日は高熱に魘される毒を牙や鉤爪に持つ、自分と同サイズ、少し大きいサイズの毒虫へ、積極的に喧嘩を売っていたのは、まず、間違いあるまい。
今でこそ、紅壱に鍛えられて成長した、名無しのゴブリン達でも複数体で囲む事により狩猟に成功し、食卓に安定して出るようになったラビットやラクーンドッグに、または、遭遇を回避する毒虫へ、この妖精は単体かつ小さな体で挑み、ボロボロにされながらも勝ってきた。
様々な工夫を重ねただけでなく、正しい勇気も発揮したに違いない、と紅壱はレベルが上がった事に納得し、彼女の無茶に眉を顰めたと同時に、妖精への評価を高めた。
「アタシらに隠れて、そんな努力をしてたんすか」
「時々、姿が見えないな、とは思っていたが」
「何だ、お前ら、知らなかったのか」
紅壱に聞かれ、剛力恋らは気まずそうに頷く。自分達も努力している自負はあったが、その分、どこかで、体格で大きく劣る妖精の事を侮っていた、と気付いたからか。
「あー、だから、昨日の夜、アタシに、タツヒメ様と戦っても良いのか、聞きに来たのね」
どうやら、妖精に手合わせの許可を出したのは、彗慧骨らしい。
「タツヒメ様、この子の強さは基準を満たしている、とアタシは判断しました。
どうか、戦ってあげて下さい」
彗慧骨の言葉に、妖精は目を潤ませ、すぐさま、自らも頭を下げる。
「しかし、倒した獲物はどうしていたんでござるか?」
妖精は小柄ながら、体を作る食事の重要性を紅壱から説かれているので、無理しない程度に、たくさん食べている。
けれど、夜間の警備役を除く全員が集まる食事の場には、狩り担当の者が獲ってきた肉しか並んでいなかった。
いくら、何でも、妖精が自分一匹で食べた、と言う可能性は低い。ラビットやラクーンドッグは量が多いし、毒虫は食べれば危険だ。
影陰忍からの、当然な質問に、妖精は「翠玉丸さん達に、全て、食べてもらっていた」と、気まずげにするでもなく、しれっと明かした。
花の蜜や果実とは比べ物にならないほど美味しい菓子を自分にくれた紅壱の為に、妖精も剛力恋らと同じくらい、役立ちたかった
体格で劣る彼女は、アルシエルに住む魔属らの合同練習に参加できなかったので、一匹で小動物や毒虫を相手に実戦を重ね、着実な努力を続けていた
その結果、妖精は種族進化を果たせるほど、レベルが上がっていたのである
果たして、妖精は紅壱に、その実力をアピールする事が出来るのか