第百七十三話 用足(an errand) 紅壱、吾武一らが作ってくれたトイレで用を足す
弧慕一の準備が済むのを待つ間に、若手の実力を確認していた紅壱
努力の成果が出つつある事を感じ取っていた彼に、自分との実力差を敗北の味と一緒に噛み締めていた剛力恋は、「今、これだけ強いのに魔術まで覚える必要があるのか」と聞いてしまう
当然の質問にも、紅壱は柳眉を逆立てるでもなく、自分にとって魔術の会得はロマンであり、これから、仲間を守るために必要だ、と言い切る
紅壱への忠誠心が強まる一方で、林二らは、彼が自分達を守るために無茶をするのでは、と不安を募らせてしまうのだった
「うーむ、勘が鋭いな、剛力恋は」
さすがは吾武一の愛娘、侮りがたし、と紅壱は心中で舌を巻いた。
ちゃんと、心からの反省はし、彼らと交わした約束は必ず守る気でいる紅壱。
しかし、彼は、万が一の場合は、自分が部下よりも危険な場所に赴き、戦うつもりでいた。
王様として、自分のスタンスが正しいのか、は紅壱にも判断らない。比較対象に出来る、王様が、現実にはいないからだ。
瑛は、トップに立つべくして立っている人間だが、彼女の場合は、「女王」と言うより、「女帝」と冠す方がしっくり来るタイプなので、却って、参考にしづらかった。
惚れている紅壱に、こう思われている事を知ったら、瑛は喜ぶのか、嘆くのか、それは誰にも分からないし、考えるだけ野暮だ。
それでも、紅壱は自分がなりたい王としての生き様を通したい、例え、吾武一らに渋い顔をされようとも。
彼らが進化するチャンスを潰してしまう気など、毛の先ほどもない。
だが、チャンスの裏にはピンチがいる。
自分を慕ってくれる部下を死なせたくないなら、自分が死線を踏み越えるしかない。
心底、大好きである瑛には、なるべく、危ない事はして欲しくない、と自分は願い、心配している事も棚上げする紅壱。
「磊二が、トイレも作って置いてくれて助かったぜ」
剛力恋が察した通り、あの場から離れる口実だったのだが、実際に、トイレまで近づくと、出したくなるのが人の常である。
衛生管理を軽んじない紅壱は、アルシエルの住魔に、用を足す場所の固定化、つまりは、トイレの設置と、食事前、また、狩りから帰った後、戦闘訓練を終えた後の手洗いとうがいを慣習化するように告げていた。
それもあり、磊二は修練場にも、ちゃんと、トイレを雄と雌で分けて作ってくれていた。
「思ってたより、しっかり作ってくれたんだな。
思ってたより、臭くなくて良かったぜ」
紅壱は、建設現場にある仮設トイレのイメージを、トイレ作りを担当した魔属たちに伝えていた。
さすがに、水洗の仕組みは再現するのが難しいか、と思っていたのだが、予想よりもトイレに悪臭が籠っていなかったので驚いた。
吾武一から、トイレの設置を命じられたゴブリン達は、紅壱から人間界のトイレについて説明を受けたのだが、やはり、それを作る事は出来なかった。魔術で再現してみようとしたが、自分達のレベルでは難しい事も分かった。
かと言って、出来ません、とは言えない。吾武一が怖い、それも大きかったが、何よりも、紅壱の役に立ちたい、褒められたい、その思いが勝った。
そこで、彼らはある物に注目し、十匹ばかり集めた。
彼らが村の近隣を歩いて集めてきたのは、紅壱は、名だけ聞くのみで、まだ、街のパトロールの最中にも遭遇した事がなかった粘液魔だった。
どちらの世界でも、スライムの大半は雑魚扱いである。基本的に、森の中で弱い立場であるゴブリンですら容易に狩る事が出来るモンスターだ。
粘液魔、その形態は、水まんじゅう、と表現が適している。
大抵の者がイメージする通り、スライムには素手や棍棒による打撃が通じない。弱点である核が、柔らかな粘液に守られてしまっているからだ。
柔らかい、つまり、それは、ダイヤモンドよりも破壊が難しい、と言う事。
ある程度の技量に達していれば、剣で斬る事も出来るが、核を両断できなければ、二体に分裂するだけで倒すに至らない。
矢で貫いても、さほど痛痒には感じないようで、刺さったまま平然としている。
倒したいのであれば、魔力を使った攻撃が最適である。スライムにもよるが、基本的に効果が高いのは、雷電属性か、凍氷属性の攻撃魔術だ。
しかし、このスライムを、小鬼や豚頭魔も滅多な事では狩らない。それは、何故か。
最大の理由は後で語るが、次点は、喉ごしは悪くなく、腹持ちも良い方なのだが、大して美味くない、と言う致命的な点にある。正確に言えば、無味なのだ。
また、雑魚ゆえに、倒しても、経験値としての旨味が無いに等しい。
スライムを狩るくらいならば、朽ち木や石の下にいる、良い具合に肥えた芋虫を捕まえるゴブリン達がほとんどだ。
当然、彼らが今回、スライムを多く集めたのは、食べる為ではない。
粘液魔の特徴が、トイレの問題を解決する事に役立つからだ。
その特徴とは、スライムの雑食性である。
スライムは、自発的に餌を取りに動く事はないが、自分の体に触れた物は、何であろうと取り込み、消化できてしまう、木であろうと、石であろうと、野生動物や怪異の死体であろうとも。つまり、排泄物も抵抗なく食べてくれる。
森に住まう、魔力を孕んだ野生動物や、ゴブリンやオークと言った下級魔属がスライムを積極的に狩らないのは、先ほどの理由以外にも、迂闊、スライムに触れてしまった時が危険だからだ。
大半のスライムは動かず、そこにいるだけの存在だ。その分、触れた物は瞬間的かつ自動的に飲み込んでしまう。その俊敏性は、ゴブリンでは反応できないほどだ。
美味くない上に、下手をすれば、自分の方が喰われる危険性が少なからずあるので、多少の知性がある生物は、スライムを見れば、手を出さないし、なるべく離れて歩く。
彼らは、臆病者と謗られる事も厭わない。と言うより、誰も謗らない。全員が、同じ行動を取るからである。危険とは言え、スライムをわざわざ戦うべき存在である、そんな事を考えている者は、森にいない。
躓くと判りきっている小石を避ける、これは、当たり前の行動であるのだから、そのように動いた者を謗れば、己の矮小さを露見するようなものだ。
また、どれほどの量を取り込もうとも、満腹になる事がない。
魔属には、スライムに餌付けをする、そんな奇特な者はいない。
だが、かつて、人間界に、野球ボール大のスライムが、公園内に設置されている小型の動物園に偶喚された事があった。
その地域の保安維持を担当していた学生術師らは、すぐさま、駆け付けた。だが、既に、子供らのアイドルである兎や小鳥、ポニーは姿形もいなくなっていた。
とあるアパートの駐車場に停められていた、様々なサイズの乗用車、計10台が消えてしまった事があるそうだ。悪意ある悪戯や交通事故であれば、入っていた保険も適用されるが、さすがに、スライムに吸収・消化される事態など想定されていないから、車の持ち主らは、突然に愛車が消えた事に混乱させられただけでなく、泣き寝入りするしかなったようだ。
時には、ゲームなどの影響で、スライムだから、と油断した学生術師が、危うく、溶かされ、喰われかける事もあるそうだ。
当然、服だけ器用に溶かし、バカな男を喜ばすようなラッキースケベをスライムが発生させてくれる事など有り得ない。むしろ、濃い目のモザイクが必要な光景となり、男女や年齢関係なく、吐く羽目になる。
スライムに好き嫌いはなく、何でも食べ、しかも、どれほど食べようとも、リバースする事がない。
そして、トイレの設置を一任された魔属らが、スライムに白羽の矢を立てたのは、スライムが何を食べても、有害物質を発さないからである。
スライムだって生きているので、時には、攻撃もしてくる。
基本的な攻撃手段は、体当たりである。これは、ハッキリ言って、弱攻撃、そう表現するのも迷うほどに、破壊力が無い。
ゴブリンですら、「え、当たった?」と思うほどである。
触れた物は、全て取り込んでしまう特性があるはずなのだが、何故か、スライムが攻撃もしくは自衛の意思から対象に触れた場合、その特性は発揮されないらしい。
実に、残念なモンスターであるスライムだが、何度も言うように、油断してはならない。
そもそも、何か食べずとも平気であるスライムは、常に動かない、狩りをしない。
なので、戦闘によってレベルアップしない。
戦わないスライムは強くなっていかないが、何事にも例外はある。
十体に一体の割合で、溶解性の液や催涙効果、呼吸困難に陥る毒気を、その丸っこいフォルムから噴出するスライムもいるようだ。
しかし、それほどの攻撃能力を有するスライムは、本当に稀にしか出現しない。
そのスライムを拾ってきていない自信が、担当の魔属にはあった。何故かと言ったら、そのようなスライムは変色しているからだ。
無害なスライムは、葛餅のように透明感がある。一方で、危険なスライムは、毒を持っている事をアピールするかのように、緑や紫になっている。
トイレ用に掘った、深さ2m強の穴の底に置かれたスライムは、無色の個体。なので、どれほど、糞尿を食べようとも、毒ガスは発生させない。
また、悪臭も放たないので、常に、トイレ内は無臭が保たれている。
美味しくはない上に、地味に危険なスライムだが、トイレやゴミ置き場に一体はいてほしい存在だ。
「さて、さっさと出すもん出して、戻んねぇとな」
山中を遊び場かつ修行場にしていた紅壱は、野外でする事に抵抗はない。
とは言え、彼はしっかりとしたモラルを持っているので、トイレで用を足すし、入ったそこに不安を覚えないのであれば、安心して、出せる。
住魔は、四方を木で囲み、堀った穴の上に、紅壱が描いたデザイン画を参考にして作った、洋式トイレを模した木箱を乗せていただけなのだが、悪臭がしないだけで十分だった。
まさか、穴の底にスライムがいるとは思いもしない、住魔らからも聞かされていなかった紅壱は満足気に頷き、作った者らに感謝しながら、ジーパンのチャックを下ろす。そうして、トランクスの前開き部分から、己の逞しい肉棍を出す。
彼のそれは、決して、臨戦態勢ではなかったが、控え目に計測っても、高校生男子の平均サイズを大幅に上回っているのは明らかだった。
もしも、これが怒張し、責任を取る覚悟を持って、心の底から惚れ込んだ相手の、しっかりと閉じられた肉の扉を抉じ開けるとなった時、その突貫力がどれほどになるか、どこまで先端が届いてしまうのか、想像するだけで頬は高熱を帯び、相手の肉蔵は甘い蜜液を垂らし、その愛を受け入れる準備を万端にするであろう。
ふぅ、と一つ、息を紅壱が吐き出すと、広くはないトイレの中に、水音が響く。
木で囲んであるだけで遮音性が低いとは言え、付近にいた小動物が逃げ出したほどだった。
水音は十秒ほど続き、次第に静まっていき、三十秒後には完全に止んだ。
そうして、紅壱はしなやかになった己の分身を軽く上下に振って、残っていたものを出してから、下着の中へと戻す。
「ふゥ、すっきりしたぜ」
扉を押し開いて、外へ出た紅壱は周囲を何度か見回した後に、軽く眉を寄せた。
「やっぱり、水路はなるべく敷かないとマズいな」
トイレは、どういう理屈か、分からないが、水洗でなくても問題はない。
だが、手を洗う場所がないのは困る。
紅壱は、トイレから出たら、しっかりと手を洗え、と言っているので、住魔らは守っているだろう。
流水属性の魔術が使える住魔は、自らが出した水で手が洗えているだろうが、使えない者は近くの川まで手を洗いに行っているのかも知れない。
手洗いの習慣が備わってきているのは嬉しいが、そんな面倒臭い事は、いつまでも、住魔らに科してはいられない。
どうすればいいのか、と考えながら、紅壱はポケットから出した除菌ティッシュで両手を丹念に拭いながら、皆の元へ戻っていく、スライムに小便を思いっきり、ぶっかけていた事など露すら知らず・・・・・
魔術を覚えても、一人で敵陣へ突っ込んでいかず、せめて、吾武一らを供にする事を約束させられた紅壱
これ以上の追及はやばい、と感じた彼は、トイレに行ってくる、と告げ、すたこらさっさと逃げていく
剛力恋の勘が鋭すぎる事に感心しつつも、紅壱は、約束は守らなきゃいけない、同時に、いざと言う時は破らねばならない、と思うのだった
自分が求めた通りのトイレを、磊二たちが作ってくれた事に感謝しながら、用を足す紅壱は知らない、そのトイレには、何でも食べるスライムが設置されている事を