第百七十二話 浪漫(romantic) 紅壱、男にとって魔術は浪漫だ、と言い切る
魔術を使えるようになるための準備を、弧慕一が進めてくれている間、紅壱は林二ら若手の名持ち住魔が、どれほど強くなっているのか、を確認する
磊二、剛力恋、完二に続き、紅壱は炎と剣を使う骸二にも圧勝する
一撃必殺の攻撃を受けても耐えられるほど、骨をもっと硬くしろ、と骸二へアドバイスを送った紅壱へ、ふと、剛力恋は問う
今の時点で、そんなにも強いのに、魔術を使えるようになる必要性があるのか、と
彼女の言葉に、珍しく、虚を突かれたようで、紅壱は目を点にする。皮肉なもので、この時は、ほんの少しだが、彼の人相は恐ろしさが薄れていた。
しかし、すぐに、「くくっ」と苦笑すると、「いや、これとそれは別の話だな」と、剛力恋へ伸ばした人差し指を近づけていく、チョンと角の生えた額を突くべく。
傍目からすれば、紅壱は、随分と、スローな動きで剛力恋の額へ指先を近づけていくように見えた。
けれど、紅壱の指先が自分へ迫ってきている、と知覚できた瞬間に、剛力恋は自分の全身から汗が、今までにないほど勢い良く噴き出る音を耳の奥で聞いた。
触られる、と思った瞬間に、剛力恋は半ば野獣じみた動きで、紅壱の指突から逃げた。
辛うじて避けられた、のではなく、抵抗できずに逃げてしまった事に、剛力恋は先程の比ではない悔しさを覚えた。
反撃の意志を持って、後方へ回避たのであれば、それはそれで救いがある。
しかし、紅壱の指が帯びた、形容しがたい恐ろしさに怖気づき、自分の心は竦んでしまい、逃走の一択に飛びついてしまったのである。
「おいおい、剛力恋、そんな本気で退く事はないだろ。軽く傷付いちまうぞ、俺ぁ」
全く傷付いていないのは一目瞭然だ、と全員が思うほど、晴れ晴れとした笑顔で、剛力恋の額を突き損ねた指を引っ込めた紅壱。
剛力恋は本気で恐れてしまったが、実際のところ、紅壱は彼女の額に穴を穿つ気などはなかった。
しかし、彼女の集中力を確かめる為に、指ではなく、爪の先に闘気を集束していた。もしも、その状態で指が触れていたならば、剛力恋の額の骨には、亀裂が入り、今頃、彼女は血が噴き出た額を押さえ、痛みに転げ回っていたに違いない。
先程の敗北で、剛力恋は着実に強くなっていた。でなければ、紅壱の指に、言いようのない怖さを感じ取る事は出来なかった。
彼女の成長性に口元を緩め、紅壱は眼鏡を外す。
「!!」
途端に、林二らの間に緊張が走ったので、紅壱は戸惑うも、すぐにその反応の理由に思い当たる。
「あー、悪い。
けど、大丈夫だぞ」
弧慕一は警戒していたが、眼鏡を単に外しただけで、魔力の暴走は起きないはずだ。
そうでなければ、入浴時や睡眠時に、眼鏡が外せなくなってしまう。これまで、数え切れないほど、眼鏡の着脱を繰り返してきているが、トラブルが起きた事はない。
魔力の暴走、それが起きてしまった、起こしてしまった、と紅壱自身が自覚できた事態は、一度だけ。
その時は、あのカガリとの戦い以上に、血潮が闘争心で滾り、それ以上に、死に対する本能的な恐怖と生への執着で満たされた心が乱されてしまっていた。
純粋な殺戮衝動と解消されない飢餓感に支配された状態から、自分を取り戻し、髪の変色程度で済んだのは、誰でもなく、アバドンのおかげだった。
二度と、彼女に迷惑をかけたくない。そう、自分に強く言い聞かせていた、紅壱は。
その為にも、自分の中にあるはずの魔力を自在に扱えるようになりたい紅壱は、眼鏡のレンズを丁寧に拭くと、かけ直す。
剛力恋達が感じている以上に、紅壱は、強さを欲している。だが、上に立つ者が、その気持ちを悟らせてしまうのは良くない、と考え、彼は努めて、ポーカーフェイスを保っていた。
彼が気持ちの揺れを顔の筋肉へ出さないようにしている、それを見抜けるのは、彼に平常心の大切さを説いた、超一流の忍者と、世界的な大女優を含め、数人だろう。
その数人には、きっと、紅壱に骨の髄どころか、細胞の一つに到るまで惚れてしまっている、と自認できている瑛と夏煌も含まれる。
それはともかくとして、紅壱は「大丈夫だ」と繰り返す。
不安や恐れはあったが、紅壱の口から「大丈夫」の言葉が出た以上は、慌てふためく事は出来ない。
どうにか、落ち着き、林二は「醜態を晒しました。申し訳ありません」と、首を垂れる。他の者も、彼に倣った。
「気にするな。俺も、軽はずみだった。
で、話を戻すが、剛力恋」
「はいっす」
「確かに、俺は強い。
格闘戦だけなら、有体に言って、お前らを圧倒できる」
そこまで、ハッキリと言われてしまっては、剛力恋らは、苦笑顔ではなく、真顔で首を縦に、かなり強めに振るしかない。
「だがな、俺は魔術を覚えたい」
「どうしてっすか。そこまで、必要とは思えないっすけど、タツヒメ様の化物じみた戦闘力を考えたら」
剛力恋の戸惑いが濃く出ている言葉に、他のメンバーも首や目の動きで同意してしまう。
「これから激しくなる、このアルシエルやお前ら、俺にとって、大事な何かを守るための戦いに必要不可欠だってのもあるが、それ以上に、ロマンだろ」
「ロ、浪漫でござるか」
「そう、ロマンだ。憧れと言っても良い」
紅壱は出せないのも承知、出さないように意識しながら、掌を天へ向けた。
「口から豪火を吐き、絶対零度の息を吹いて、己の体躯を鋼鉄に変える。
竜巻を招き、一踏みで大地を揺らし、雷を敵へ落とす。
木花と意思疎通を図り、大波を起こして、閃光で敵を貫通き、深い闇で敵を絶望に陥落す。
これは、男なら誰だって、夢観る。
それが掴めるチャンスに、自分が恵まれたとなりゃ、俺は飛びつくさ」
魔属の王、そう表現するに相応しい、覇気に満ちた笑顔の紅壱に、林二らは自分達の幸福に感謝した。
本当に、彼と敵対する道、未来を選択しなくて、正解だったな、と彼らは目で語り合い、これからも、この御方の為に粉骨砕身しよう、と決意を共有する。
「それとも、俺が魔力を自在に使えるようになっちまたら、余計に勝てなくなるから、困るのか?」
「ちょ、それは聞き捨てならないっす」
「見縊られては困ります」
紅壱の挑発に、一同はざわめく。
「俺達は、確かに、魔術を使っていないタツヒメ様にも勝てない。
魔術が使えるようになられたら、今よりも差が開いてしまうかもしれない。
けど、その程度の差で、俺達は貴方に勝つ事を諦めたりしません!!」
林二の放つ威圧感は、仲鬼のものとは思えぬほどに強烈く、紅壱が人界で圧倒した大鬼の存在感にも負けていない。
彼の言葉に、完二らも頷き、目をギラつかせていた。
高い成長性を、彼らの双眸に見た紅壱は、自然と口元が緩んでしまう。
「ちょっと、煽りが過ぎたな。悪かった」
軽く、だが、真剣に頭を下げた紅壱は唇を真一文字に引き結ぶと、彼らを一匹ずつ見つめていき、「お互い、もっと、もっと、強くなろう」と決意表明を口に出す。
力強く頷き返しつつも、剛力恋は、ここで気難しい表情となる。
「けど、正直、アタシはタツヒメ様、王様に魔術を使えるようになられたくないっすね」
「何を言っているんだ」
訝し気な表情の林二に、剛力恋は眉を寄せた紅壱をチラチラと見ながら、言葉を続ける。
「いや、だって、王様、魔術が使えるようになったら、自分一人で敵陣に突っ込んで行きそうじゃないっすか」
彼女の言葉に、紅壱が魔術を発動しながら、敵陣に向かって単騎の先駆けをする姿が容易に想像できてしまったのか、林二らも「あー」と同意に近い唸りを漏らす。
「絶対にしないって、アタシ達の目ぇ見て、言えるっすか、王様」
「約束はできねぇな」
苦笑いで、紅壱は首筋を掻く。
「一番に強い奴が、真っ先に突っ込んで、敵の陣を崩壊させる兆しを作るってのは、戦いの定石じゃねぇか。
それに、勝つ為の先駆けをしてこそ、戦の華だろうよ」
「全ては否定しませんが、それは、私たちのような兵士や戦士の理屈です。
良いですか、貴方は我らが王なのです。
一番に強くとも、最前線には出陣せず、我らが守れる、安全な場所にいていただかねば困ります」
聞いてはくれないだろう、と解かりきっていても、言っておかねばならない事がある。
コボルド種の磊二は心を鬼にして、紅壱に厳しい事を言う。
「お前らにも、立場があるのは、重々承知してる。
けどな、俺は守られる王じゃなく、守るために攻める王でいたいんだ。
勝利を俺へ捧げられても、お前らがボロボロになってるんじゃ、俺にとっちゃ、大惨敗なんだよ。
解かっちゃいるだろうが、戦となったら、怪我する奴だけじゃなく、死者も出ちまうだろう。
だから、俺が真っ先に突っ込んで、誰も死ななくなるなら、俺はお前らに怒られても良いから、敵陣へ単騎で強襲する」
紅壱が、自分達の事を大切に思ってくれるのは嬉しく、心には温かいモノが満ちる。
しかし、自然と、林二達は同じ表情が浮かんでいる顔を見合わせてしまう。
この王は、自分達の説得じゃ止まらない、吾武一達が言っても同じ結果になる、と数回のアイコンタクトだけで結論を出した面々。
「わかりました」と、代表で、林二が紅壱へ最後の釘を刺す。
「では、これだけは約束してください」
「何だ?」
「一人では突っ込んでいかず、せめて、我ら、いえ、吾武一様達を傍に置いたうえで、敵陣へ攻め込んでください」
本音を言えば、自分達が紅壱の傍で戦いたい。
しかし、現状では、それが厳しい。プライドもあるので、絶対に無理、とは言いたくないが。
情けない話だが、今の自分達の個の実力、また、連携では、紅壱の足を引っ張ってしまう。守るため、傍にいるのに、逆に守られてしまっては世話がない。
実際の戦いを想定し、林二達もチームを組んで、狩りを行い、時には翠玉丸らに協力を仰いで、集団戦の訓練も行っていた。
狩りは、どうにか、役割分担も出来始めて、若い熊であれば苦戦せずに狩れるようになった。
けれど、翠玉丸達には、その連携が十全で通じなかった。
今、このアルシエルで、手加減していると言っても、林二らを寄せ付けない強さを発揮する翠玉丸らと、ペアもしくはチームで渡り合えているのは吾武一、奥一、弧慕一、輔一だけだ。
知らなかったからこそ、紅壱より、己の名に入っている「壱」に近い「一」の字を授けられた効果で、上位の種に進化し、村を拡張し、住みやすくなるよう試行錯誤を繰り返す毎日の中でも、吾武一らは慢心せず、密かに努力している。
誰もが認めている、彼らがアルシエルの四天王だ、と。
ならば、自分達よりも強い吾武一達に、紅壱と共に戦う役割を譲るしかない。
もちろん、林二達だって、完全に諦めている訳ではない。
紅壱に最も近い場所は、今、吾武一らに任せるしかないにしても、その一つ外は自分らが守る、と決意していたし、これから、もっと強くなって、吾武一達の場所を実力で勝ち取る、と先も見据えていた。
「―――・・・そうだな、確かに、王として格に欠ける行動だな」
まだまだ、王になるには未熟であり、無知な部分がある、と己の至らなさを、紅壱は反省した。
「約束する。
敵陣へ攻め込むって時は、一人じゃ行かない」
「・・・・・・着いて来られなかった方が悪いって理屈もなしですよ」
彗慧骨の鋭い警告に、紅壱は目線を分かりやすく逸らし、下手な口笛を鳴らす。
「その顔は、考えてたっすね」
「あ、やばい。小便してぇ」
図星を突かれてしまった気まずさを下手に誤魔化し、紅壱は催した尿意を堪えるような足取りで、用を足しに行く。
「逃げたでござる」
「戦に巻き込まれないようにするのが一番だけど、タツヒメ様が魔力を自在にコントロールできるようになったら、しっかり、全員で目を光らせ続けましょう」
「地道に実力を上げていくしかないが、王様に無茶をやらせない為にも、頑張ろう」
彗慧骨と完二の意見に、誰も「反対」とは言わなかった。
魔術会得の必要について、剛力恋から確認された紅壱は、目を点にしてしまう
しかし、彼は剛力恋の失言を責めはしなかった
自分の体術が、このアルシエルの住魔を圧倒できるほどのレベルである事は自覚している紅壱
だからこそ、これからの戦いで、自分と仲間の命を守るためには、魔術も使えるようにならなければならない事を紅壱は理解していた
守れる王として、どこまでも強くなろうとする紅壱への尊敬を深めつつ、林二らは、紅壱が魔術も使えるようになったら、自分一人で敵陣へ突っ込んでいきそうだ、と不安も覚えてしまう
分の悪さを感じた紅壱は、用を足してくる、と半ば逃げるようにして、その場を後にするのだった