第百四十八話 交換(barter) 紅壱、女生徒とオカズを物々交換する
ゴミ拾いを早々に終わらせ、昼食を摂っていた紅壱、修一、巧、そして、夏煌
紅壱が作って持ってきた弁当は、どれも美味しく、修一らは大満足でいた。そんな友人らの笑顔に、紅壱も喜んでいた
そんな折、修一らの反応が気になった一年女子が近づいてきて、唐揚げを食べさせてほしい、と願う
サンドイッチと交換して手に入れた唐揚げを食べた一年女子・設楽は、想像の斜め上をマッハで突き抜けた旨味に腰は抜け、自失状態に陥ってしまうのだった
どうにか、我に返った彼女が自分が昼食を食べていた場所へ戻っていくのを見送り、いくらも経たぬ内に、他の女子が彼らの所へやってくる。彼女は、弁当箱の蓋に焼売を乗せていた
「何と交換すればいいんですか?」
「え!?」
紅壱の方から、まさか、物々交換を言い出してくれるとは思ってもいなかったのだろう、細身の少女は驚き、その体を伸ばす。
「じゃ、じゃあ、設楽が食べた唐揚げを!!」
見た目通り、食べる事が好きなのだろう、ふっくらとした女生徒はハムカツを差し出してきた。
「私は玉子焼きでお願いしますっ」
紅壱の目配せを受け、夏煌は焼売と玉子焼きを交換してやる。
「藍本さんは?」
どうやら、この細身の女生徒は、巧と同じクラスらしい。
「み、ミートボールでお願い」
紅壱と修一と一緒に昼食を平然と共に食べられている巧へ尊敬だけでなく、感謝の気持ちも声に含め、彼女が差し出してきたのは、焼き海老。
「ナンプラーか」
「分かるんですか!?」
食べてもいないのに、紅壱が海老をナンプラーに漬けこんで焼いた事を言い当てられ、彼女は仰天する。
「もしかして、ナンプラー、苦手ですか?」
「いや、大丈夫だ」
「だから、なんで、お前が答えるんだよ」
修一にツッコミを入れつつ、紅壱は巧へミートボールを渡すよう、頼んだ。
「けど、全国大会に、何度も出場している調理部に所属している人の舌に合うか、分からないぜ、俺のオカズ」
「設楽は、まだ、一年生で、入部から一カ月くらいしか経っていないのに、もう、副部長の補佐メンバーの末席候補に入っているんです」
そのポジションが、どれほど魅力的なのか、ピンと来ない四人だが、彼女らの雰囲気から察するに、本来ならば、一年生で就ける立場ではないのだろう。
「その設楽が、『美味しい』しか言えなくなっているんです。
だから、私達も気になったんです」
いただきます、と声を揃えた三人は、同時に、それぞれのオカズを口に入れた。
当然、設楽と同じく、あまりの美味さに腰を抜かしてしまっていた。
ジャージじゃなくて、スカートだったら、下着が見えたのによ、と修一が内心で悔しがるような体勢になっており、巧は目を逸らし、夏煌の手は紅壱の両目を塞いでいた。
「やっぱり、私と同じになっちゃってますね」
足音で、設楽が近付いてきているのに気付いていた紅壱は、夏煌の手を除け、設楽が視線の先にいても、さほど驚かなかった。
「概念を覆されました」
「んな大袈裟な」
「いやー、同意るぜ、、そう言いたくなるのも」
「・・・・・・」
「はい、今まで食べた唐揚げの中で、一番でした」
力強く断言した設楽の表情が、ふと翳った。その顔色の変化を、修一以外は知っていた。
それは、高くなっていた鼻が圧倒的な力でヘシ折られ、その事実を強い心で受け止めよう、と奮闘っている者にしか出来ない顔であった。
「あの、本当に、不躾だと思うんですけど、もう一個だけ、このピクルスサンドと交換してもらってもいいですか」
「構わねぇよ」
例によって、修一がその頼みに首を縦に振り、設楽が差し出してきたピクルスサンドを受け取り、唐揚げをくれてやる。
呆れ顔の友人らを他所に、修一はピクルスサンドを一口で、半分ばかり齧ってしまう。
シャクッシャクッと小気味良い咀嚼音を立て、ゴクンッと飲み込んだ修一は、一つ頷いた。
「ハッキリ言って、コイツが作るピクルスを使ったサンドイッチの方が美味いな。
酸味がくどい。
パンが合ってないんじゃないか?」
あまりにも、ハッキリと味の評価を下した修一の側頭部を、夏煌はブッ叩く。しかし、オークは無理にしろ、ゴブリンであれば、十分なダメージを与えられる平手打ちも、修一には効かない。
残りも口へ押し込んだ修一は、「うん、67点」と言い切った。
調理部のメンバー以外の一般生徒、しかも、不良に、そんな言い方をされたら、普段の設楽であれば、激昂ていたはずだ。
けれども、紅壱の唐揚げによって、膨張していたプライドが破裂した事で、自分をしっかりと客観視が出来るようになっていた設楽は、人に対しても正しい見方が出来るようになっていた。
修一は、自分が食べて、醜態を晒した唐揚げを何個も食べている。ただ、それだけで、修一の味覚が本物を見抜ける物だ、と判断できる。その彼に、ピクルスサンドが「67点」と屈辱的な点数をつけられた事で、設楽は一層に身が引き締まる思いだった。
「・・・・・・」
「大丈夫。気にしてないわ」
夏煌の慰めに礼を言うと、設楽はジッと唐揚げを直視する。
そうして、深呼吸を行い、腹を括った彼女は唐揚げを齧った。
本人としては耐えたかったのだろうが、またしても、彼女は腰が抜けてしまった。それでも、モザイクが必要か、と逡巡するほどの顔とはなっていないだけ、この短時間で、料理人として成長の兆しは掴めている事が覗えた。
かなり限界のようだが、彼女は必死に、美味の奔流に耐え、唐揚げの秘密を探ろうとしているようだ。
二度目の設楽は、三分ほどで戻って来られたが、他の三人は五分弱ばかり必要とした。
「ごちそうさまでした」
「美味しかったです」
「ありがとう。
だけど、俺ら、タメなんだし、敬語はいいぞ」
「す、すいません」
またもや、タメ口を使えず、慌てる女生徒ら。
「まぁ、話しやすい方でいいじゃないですか、辰姫くん」
「まぁ、君らが構わないなら、俺は気にしないが」
「・・・・・・」
「顔の事は言うんじゃねぇよ。
俺ら、地味に気にしてるんだぞ。女子に怖がられるの」
(いや、藍本さん達が、つい、敬語で話しちゃうのは、顔が怖くて、体も大きいからだと思うけど)
しかし、その心の声をそのまま、修一に言うほど、巧も酷な性格はしていない。友人を好んで傷つける趣味はなかった。
「あの、辰姫さんと矢車さん、お願いがあるんですけど、聞くだけ聞いて貰っても構いませんか?」
不意に、設楽が真剣な面持ちとなった為、紅壱と修一も表情を引き締め、話に耳を貸す意志を示した。
「お二人には、調理部に来て貰いたいんです」
「!! ・・・・・・・」
設楽からの頼みに、過剰とも言えるリアクションを見せたのは夏煌。
小柄な夏煌が、ここまでの圧を放ってくるなんて、想定外だったのだろう。設楽らは怯え、半泣きになりそうだ。
「落ち着けよ、ナツ」
紅壱に、手を肩に置かれた、たった、それだけで夏煌の威圧は薄まった。
巧は夏煌の背後に、銀色の毛並みが麗しく輝く狼でも視えたのか、しきりに目を擦っていた。
一方で、夏煌の戦闘力が高いのは、初対面で見抜いていた修一は、さほど驚いていなかったが、少し困っているようだった。
夏煌が強いのは、改めて、理解できた。
戦闘狂、ステゴロジャンキーの自覚がある彼としては、強い者に挑みたい。
しかし、相手がいくら強かろうと、容姿が女子小学生のようだと、闘志も鈍る。
容姿程度で、戦う事に躊躇しているようでは、球磨や紅壱の祖父が到っている「最強」に届かない。それは、頭では理解しているが、心が女子小学生を殴るのは、男らしくない、と思ってしまう。
もっとも、それは、今、そういう空気ではなく、また、修一にとって、夏煌が敵ではないからだ。
万が一にもありえない話としてするが、仮に、夏煌が己と紅壱と対立する立場となり、拳でしか事態の解決が成らないとなれば、修一は全く、一切、ちっとも悩まずに、夏煌の小さな体を更にコンパクトにするだろう、容赦のない連打で。
「君らも知ってるだろうが、俺は生徒会に所属してる。
だから、その手の引き抜きには、応じられない」
「俺も軽音部の居心地がいいからな、無理だ」
夏煌の威圧から解放され、気持ちを立て直した設楽は「違うんです」と、手を横に振る。
「言い方が悪かったですよね。すいません。
辰姫さんには、講師をお願いしたいんです」
なるほど、と頷いた修一は、「いや、俺は料理できねぇぞ」と渋面となった。
「矢車さんには、私達の作った料理を味見して、忌憚のない意見を仰っていただきたいんです」
「それなら、引き受けても良いな。味はともかく、腹は膨れる」
「いや、コイツ、お世辞なんか、絶対に言わないぞ。
相手が、先輩だろうが、美人だろうが、口に合わなかったら、ハッキリ、『不味ぃ』、『下に木工用ボンドでも塗ってるのか』、『将来、旦那にこんなもん食わせたら、離婚されるぞ』って言うぞ、マヂに」
中学生時代の家政科の調理実習では、料理こそ苦労などなかったが、心労だったのは、実食する時だ。
嘘を吐くのが嫌いな、正確に言えば、嘘や隠し事は下手糞なだけ、修一が、女子に対して言った感想のフォローは、紅壱がするしかなかったのだから。
まぁ、泣いてしまった女子は、申し訳なさと修一への怒りが綯い交ぜになり、表情がいつもより険しく、雰囲気も剣呑な紅壱が近付いた事で、精神的な限界を迎えてしまい、失神してしまうのだが。
調理部に所属している彼女らは、友人が、見た事が無いほど興奮して、紅壱の唐揚げが、どれほど美味しいのか、絶賛したため、確かめに来たようだった
自分の食べる分が減るのは辛い、しかし、売られた喧嘩を買わぬのは男が廃る
修一が物々交換を了承してしまったので、紅壱も、嫌だ、とは言えず、彼女らのリクエストに応え、オカズを分ける
自分と同じように、桁違いの美味しさに腰を抜かしてしまった友人たちを尻目に、設楽はピクルスサンドと唐揚げを交換してもらう
彼女の作ったピクルスサンドを食した修一は、自分が思った事を素直に口にする
とんでもなくズバ抜けた調理技術を持つ紅壱と、味の感想を歯に衣着せずハッキリ言ってくれる修一に、突然、設楽は調理部に来て欲しい、と懇願しはじめた