第百四十七話 唐揚(deep-fried chicken) 紅壱の唐揚げ、クラスメイトの女子を失神寸前まで追い込む
ゴミ拾いのノルマを楽々とクリアした紅壱たち
彼らは、良い場所を確保すると、昼食を開始する
山の中を歩くので、修一の食欲はいつも以上になるだろう、と予想していた紅壱は大量のおにぎりとおかずを重箱に詰めていた
紅壱に促され、玉子焼きを貰った巧と夏煌は、あまりの美味しさに失神してしまいそうになる
彼らの反応に、紅壱が喜んでいると、調理部に所属している一年生の女子、設楽がオカズを一つ分けて欲しい、と頼んで来たのだった
いくらもしない内に、紅壱らの元へ戻ってきた設楽は、弁当箱の蓋へサンドイッチを乗せていた。
「あたし、このサンドイッチを昼食に持ってきてたから、オカズはないの。
これで、唐揚げと交換してもらえる?」
ここで「ダメ」と言う度胸もしくは冷酷さは、紅壱も持っていない。
「あぁ、構わないよ」と笑顔で承諾し、紅壱はサンドイッチを受け取り、そこへ唐揚げを乗せた。
「いただきます」
サンドイッチの具は、ツナマヨだった。味は可もなく不可もなくで、女子受けする、そんな印象を受けた。あえて言うなら、量が足りない、だけだ。
「ありがとう、設楽さん、美味しいよ」
まさか、紅壱が自分の作ってきたサンドイッチに対し、「美味しい」と言ってくれるとは思ってもいなかったのだろう、驚いた顔の設楽は、どもりそうにながら、「どういたしまして」、そう絞り出した。
「コイツの唐揚げは美味すぎるからな、腰ぃ抜かすなよ」
シシシッ、と笑った修一からの”脅し”文句に、設楽は、「そんな大袈裟な」と苦笑しながら、唐揚げを一口、齧った。
結果、彼女はストンと膝から崩れ落ちた。けれど、あまりの美味さに、脳が情報勝利できていないのだろう、設楽は自分が腰を抜かしてしまった現実に気付いていないようだ。
目は焦点が合っていないのだが、唐揚げを挟んだ箸は口へそれを運び続け、口は唐揚げを必死に咀嚼している。
一つ噛む事に、鶏の甘味が内包された肉汁が口腔内で弾け散り、設楽はビクッビクッと痙攣してしまっている。
修一は「やっぱりな」と笑いながら、唐揚げを食べているが、まさかの事態に夏煌と巧は慌ててしまう。
「だ、大丈夫ですか!?」
「安心しろよ。単に美味すぎるだけだ、この唐揚げが」
口角を更に高く吊り上げ、修一は二つ目を口へ放り込んだ。
「失神するくれぇ美味いけど、失神しちまうと、次の一個が食えねぇから、ギリギリのとこで意識が繋ぎ止められる。
そのせいで、肉体が痙攣しちまってるだけだ。今に収まるさ」
ホントにヤベェ唐揚げだよな、と修一に言われ、紅壱は憮然とした面持ちだ。
「俺の唐揚げは、危険な材料も、物騒な作り方もしてない、普通のものだよ」
本当かな、と顔を見合わせた巧と夏煌は、疑惑ってしまう。
「でも、矢車君は何ともないんですね」
「・・・・・・」
「あ、ほんとだ、膝がちょっとだけど震えてる」
バレたか、と修一は気恥ずかしそうに後頭部を掻く、唐揚げを頬張りながら。
「昔から食べ慣れてるから、俺はもう、ここまでキマッちまわないけど、それでも、未だに膝が時たま、震えてきちまうんだよな」
そんなに美味しいのか、と夏煌は恐る恐ると、唐揚げを取り、口へ持って行く。
もしも、設楽のようになったら、どうしよう、そんな不安から、意識を強く保っていなかったら、夏煌は、この場で、高校一年生にもなってお漏らししてしまっていたに違いない。
美味さが脳天に突き抜けた瞬間に、夏煌の膀胱にも、また、衝撃が到った。
美味さに屈してしまいたい自分を叱咤し、股間に力を入れていなければ、この場にいる男子に自分の尿の匂いを嗅がれてしまう所だった。
何とか耐えきった夏煌は、自分が齧った唐揚げを見る。
危険、これ以上は、頭では理解できているのに、口は無意識に唐揚げへ近づいていた。
弁当に入っていた唐揚げだ、火傷する事はなく、冷めている。
にも関わらず、肉汁が溢れ出る、ジューシーな唐揚げなのであった、それは。
料理に疎い夏煌では、どうやったら、こんなにも美味しい唐揚げを作れるのか、想像もつかなかった。
しかし、そんな事すら、どうでもよくなるくらい、唐揚げは美味かった。
狼のごとく、唐揚げを食べる夏煌に、巧は腰が引けてしまったのだろう。彼は、欲求に耐え、唐揚げへは箸を伸ばさなかった。
修一が言った通り、設楽は唐揚げを食べて終えてから、しばらくは、恍惚の表情で天を仰いでいたが、ふと、意識が戻ったようだ。
ハッと我に返った設楽は、まず、自分の視線がいつもと異なる事に気付いた。
続いて、ベンチに腰かけている紅壱らを見上げた。次に、周囲を見回した。
そうしてから、彼女は自分が気付かない内に、へたりこんでいる、その現実を直視できた。
「わっ」
急いで立ち上がろうとする設楽だが、唐揚げの美味さによる衝撃は、まだ、足に響いたままらしい。いつも通りに立ち上がれず、よろけてしまった設楽を、巧は咄嗟に支えた。
「ありがとう」
設楽から礼を言われた巧ではあるものの、彼女の油で照かっている唇に目が釘付けになってしまっており、何の言葉も返せなかった。
「美味しかったわ、物凄くッッ。
一体、どうやったら、ここまで、鶏の美味しさが暴力的なレベルまで引き出された唐揚げに出来るの!?」
「そりゃ、企業秘密だぜ」
「お前が言うなっての、だから。
これは、ごくごく普通の唐揚げだよ。高い鶏肉も、希少なスパイスもタレに使ってない」
そんなハズはない、と声を荒げそうになった設楽だったが、そうすると、口の中に残っていた唐揚げの美味しさがトんでしまう、それに気付き、彼女はキュッと唇を真一文字に硬く閉じる。端から、涎が一筋、ゆっくりと垂れたのは言うまでもない。
「・・・ごちそうさま」
まだ、恍惚とした表情の設楽は踵を返すと、友人たちが待つ席へ、すごすごとした足取りで戻っていくだが、千鳥足で危なっかしい。しかも、時折、躓きそうになっていた。
「大丈夫ですかね」
「唇に残ってた油でも、舐めちまったんだろ」
気にもせず、修一は唐揚げから、ミートボールへ箸を動かしていた。
「この肉団子も旨ぇな!!」
肉そのものもジューシーだが、歯応えが非常に良い。歯を跳ね返しそうなほどの弾力と、その中に隠れながらも、存在感はしっかりと顕示してくるシャキシャキとした食感が楽しい。
「こんだけ小さく刻んでありゃ、椎茸や筍がダメなガキでも食べられるよな」
「・・・・・・」
「俺は食えるよ」
「・・・・・・」
「ちょ、お前、俺の事を何だと思ってんだ。
ドクテングダケなんか食える訳ねぇだろ!!」
(いや、コイツなら食っても、腹が痛い、くらいで済みそうだけどな)
親友に対して、大分、失礼な事を考えながら、紅壱はツナマヨのサンドイッチを平らげる。
「しっかし、久しぶりに見たぜ、お前の唐揚げで、あんな風になる奴。
あそこまでの状態になるってことは、よっぽど、味覚が冴えてて、食が理解ってるな、アイツ」
「調理部の部員だからな、当然っちゃ当然だろ」
お嬢様学校の調理部だけあって、各自で持ち込む食材も、それなりの値段がするものらしい。大半は、自宅の冷蔵庫から持ってきており、部費に負担はかけていないようだ。
お嬢様だからと言って、料理をしない訳ではない。むしろ、将来の伴侶の胃袋をしっかりと掴むためにも、炊事は準プロレベルにならねばならないのだろう。
なので、普段から、高級レストランで舌を研鑽し、自らの調理技術も高めている設楽なら、紅壱の唐揚げに絶頂しても、何ら不思議ではなかった。
「しっかし、どのおにぎりも、オカズも美味ぇよな。
本当に、普通の食材しか使ってねぇのか?」
肉団子にかけられている、甘酸っぱ辛さが絶妙な、オレンジ色の餡にも笑顔となる修一の言葉に、紅壱は「あぁ」と頷く。
「どれも、商店街で買ったもんだ」
「ふぅん。普通の食材でも、ここまで美味く出来るってのは、やっぱ、お前の腕がいいんだろうな」
「・・・・・・」
自慢気に(平べったい)胸を張る夏煌の言葉に、修一は眉を顰めた。
「男子高校生、しかも、ヤンキーの愛情ってのは、あんまり込められても困るスパイスだな」
その言葉に、紅壱にベタ惚れな夏煌がカチンと来るのは当然。もしも、瑛がこの場にいたら、修一の首へ刃が迫っていただろう。斬れたか、は別にしても。
「・・・・・・」
彼女が自分から弁当箱を遠ざけようとしたものだから、修一は大慌てだ。
「おいおい、さすがに、それで落っことしたら、俺も本気で怒るぞ」
すぐさま、小競り合いを止めた修一と夏煌。
経験豊かなこの二人だからこそ、紅壱が一瞬にも満たない刹那、冷たい笑みと共に放った、本気の殺気に気付け、彼を怒らせない事を優先できた。
どういう訳か、急に友人たちが大人しくなったので、巧はキョトン顔となる。
気まずいまでにはいかないにしても、微妙な空気が一帯に漂うのを見計らった訳ではないのだろうが、そのタイミングで、彼女達はやってきた。
「あの~」と声をかけてきたのは、細身の少女。
「何すか?」
紅壱だけならまだしも、修一までもが自分達に顔を向けたものだから、近づいてきていた女生徒らは、「ひっ」と引き攣った声を喉の奥から漏らし、互いに身を寄せた。
「アタシ達、設楽の友達なんですけど」
ふっくらとした顔の女生徒は、声を恐怖で震わせながら切り出す、話を。
「はぁ」
彼女達が、自分に何の用があって来たのか、それは紅壱は既に察せていた。
何故なら、先の二人に挟まれている、夏煌より頭一つほど高い女生徒が、焼売を弁当箱の蓋へ乗せていたからだ。
紅壱のおかずはタダじゃやれない、修一の言葉は尤もだ、と納得した設楽
一度、自分が食事を摂っていた場所へ戻った彼女は、自分で作ってきたツナマヨのサンドイッチを持ってくる
元より、唐揚げを設楽に渡す気だった紅壱は拒絶せず、交換に快く応じるのだった
紅壱に、サンドッチを「美味しい」と言って貰えた事に戸惑いながら、設楽は唐揚げを食す
玉子焼きと同じく、唐揚げの美味さも凄まじく、彼女は腰を抜かしてしまう
経験した事のない美味しさに、設楽は、その秘密を知りたがるも、紅壱は希少な鶏肉や、高級スパイスも使っていなかった
その言葉に内心では首を傾げつつ、設楽が再び、席へ戻ると、いくらも経たぬうちに、彼女の友人がやってくる