第百四十六話 仰天(be astounded) 巧、紅壱があの音桐荘に下宿していると知って、仰天する
人並み外れたパワーとスタミナを活かし、本来であれば、男子生徒がクリアできないノルマが課されていたゴミ拾いの試練を突破した紅壱たち
堂々と昼食を食べられる事となった彼らは、快適なポジションを確保し、紅壱が作ってきた弁当を食べ始める
あまりの美味しさに、巧と夏煌は意識を失ってしまいそうになるのだった
その最中、巧は紅壱が幼い頃に、両親を喪っている事を知ってしまう
気まずさを感じつつ、紅壱の、男子高校生と思えぬ威風堂々っぷりは、その生い立ちがあるからか、と巧は納得するのだった
そして、立て続けに、巧は紅壱が町内でも有名な音桐荘に住んでいる事を知って、仰天させられる
「た、辰姫くん、あそこに住んでるんですか、一人で!?」
訝し気な表情で「あぁ、住んでる」と頷いた紅壱は、巧がますます青褪めているのを見て、夏煌に視線を動かす。
夏煌は顔色こそ変化させていないが、心底、驚いているようだった。
「あの『音桐荘』に下宿してるなんて、尊敬するなあ」
「いや、そこまで尊敬されるような事はしてねぇだろ、俺」
「だって、音桐荘って言ったら、霊が出るって、もっぱらの噂ですよ。
しかも、最近、何故か、いきなり、リフォームされたって。
一体、誰が、何の理由で、あんな不気味なアパートを建て替えたのか、って皆、怪しがってましたよ」
どうやら、予想通り、音桐荘と言うのは、中々に有名な場所らしい、怪奇的な意味で。
まさか、自分の姉が桁違いの金を出し、綺麗に建て替えた理由が、俺だ、とは言えないので、紅壱は「そんな事、言われてるのか」と驚いた態を装った。
「俺も、そこで一人暮らししたかったんだけどよ、ババァが浮かれて、こっちにマンションの一部屋買っちまった上に、自分も引っ越してきちまったんだよな」
「お前の場合、一人を満喫したいんじゃなくて、綺麗な年上の女性に囲まれて、浮かれたいだけだろ」
「健全な男子高校生だぞ、俺は!!
綺麗なお姉さんに囲まれる毎日に憧れて、何が悪いッッ」
「シュウ、お前はな、あの人達の本性を知らないから、音桐荘に越してきたい、なんて言えるんだよ」
やけに苦み走った溜息を溢した紅壱は、辛子明太子のおにぎりを食べきり、筑前煮に入っていた椎茸を口へ運んだ。
「なぁ、今度、また、お前の部屋に泊まっていいだろ」
「勘弁してくれ。
お前、自分の寝相の悪さ、自覚してねぇのか」
紅壱が、「簀巻きにしていいなら、泊まっても良いぞ」と言ったからか、夏煌は修一のそんな姿を想像したらしく、可笑しそうにしていた。
「もしかして、音桐荘って、辰姫くん以外にも、人が住んでるんですか?」
「そんな驚く事か?
今のとこ、俺以外に、三人いる。あ、大家っつーか、管理人さんもいる」
「しかも、全員、別嬪なんだよ。
まぁ、一人は凄ぇおっかないっつーか、熊かよ、って思うくらい、強い上に凶暴で、酒癖も悪いんだけどな」
「・・・・・・それ、球磨さんに密告とくな」
「ば、バカ、お前!!
それは、絶対に止めろ!!」
他の不良どころか、ヤクザにも喧嘩を売りそうな修一が、全力で焦っているのを見た巧は、紅壱へ「遊びに行っていいですか」、そんな興味本位からの頼みをするのを、即座に中止た。
一方で、紅壱が多くの年上女性が住むアパートで一人暮らししていると知り、青褪めていた。
恐らく、これは瑛も知らないのかもしれない、と感じた夏煌は明後日に登校したら、ライバルにこの事をすぐ報告しよう、と決断めた。
瑛にリードされるのは嫌だが、紅壱が年上女性の毒牙にかかるのは、もっと困る。
ここは、ライバルと協力してでも、紅壱を守るべき、そう判断したようだ。
「まぁ、球磨さんに密告するか、しないか、はともかくにしても、本当に引っ越してきたいなら、自分で小春さんを説得しろよ。
俺、あの人に泣きつかれるのは御免だぞ」
「いい加減、子離れしてほしいんだけどよぉ」
「・・・・・・」
「ナツ、お前、言うなぁ」
夏煌の辛辣な意見に、紅壱は苦笑する。
「ぶっちゃけすぎだろ。
けど、コウ、マヂに、うちのババァが『良い』って言ったら、俺、音桐荘に引っ越して良いのか?」
「部屋はまだ、余っちゃいるし、お前っつーか、小春さんが家賃の払いを滞らせる事はねぇだろうから、洲湾さんも歓迎してくれるんじゃねぇか。
それに、球磨さんも喜ぶだろ」
「あー、そうか。
音桐荘に引っ越すと、球磨さんと共同生活になるのか」
つまり、それだけ、球磨から手を出される機会が増える、と言う事だ。
頭の中には、エロしかない、と周りから、その言動で思われがちな修一であるが、その本質は戦闘狂だ。
彼にとっては、ラッキースケベなハプニングよりも、球磨とじゃれ合える方が、音桐荘へ引っ越しを考えさせる魅力なのかもしれない。
(コイツなら、音桐荘にいる、弱い怪異にも、さほど抵抗ないだろうしな)
見える、聞こえる、触れる、会話が出来る、その気配は遊びに来ている修一には無いようだが、少なくとも、これまで遊びに来て、体調が悪化した事はない。
確固とした形が取りきれていない、光の球と表現してもいい存在も、修一の生命力の眩さに圧されている感はあるにしろ、恐れてはいない。中には、ギリギリまで近づき、修一のオーラを浴び、心地よさげにしているオーブもあった。
口では鬱陶し気な事は言いつつも、修一が音桐荘へ越してきてくれれば、それはそれで楽しい日々になるだろうな、と紅壱も期待していた。
何より、異世界の事を打ち明ける際にも、修一が音桐荘にいてくれるなら、都合はいい。
「とりあえず、帰宅ったら、もう一回、ババァに相談してみるわ。
うっし、その為にも、食うぞ」
どういう理屈だ、と呆れながらも、「おう、食え、食え」と紅壱は弁当箱を、やる気が漲っている友人の方へ軽く押す。
「ナツ達も、どんどん食えよ」
「はいっ」
「・・・・・・」
その時だった、彼らへ、紅壱と修一のクラスの女子が、恐る恐ると近づいてきたのは。
「あの、辰姫くん」
震える声に呼ばれた紅壱が振り返ると、そこにいた女子は身を竦ませた。
紅壱が振り返る際に、ゆっくりとしたのは、彼女が何故、自分に話しかけてきたのか、それが解からなかった故の緊張と焦燥を鎮める為だったのだが、なけなしの勇気を振り絞ったクラスメイトからしたら、不機嫌にしてしまった、そんな誤解をしても仕方がない。
しかも、戸惑っていた紅壱の目付きは、いつもより、鋭い。クールと言うよりは、冷酷な印象を生みそうなデザインの眼鏡をかけている事で、余計に、紅壱の眼光は相手を萎縮させるものになっているのだが、紅壱はそれに気付いていなかった。
今にも、白目を剥いて失神しそうな女子に、助け船を出したのは、巧であった。
「何か用?」
ごく普通の容姿である巧が、ここにいられるのだ、紅壱と修一は自分が思っているほど怖い人じゃない、と思い直したのだろう、彼女はおもむろに、胸へ手を当て、深呼吸する。
その間に、紅壱は彼女の名を思い出していた。
「設楽さん、俺、何かしちまったかな?」
紅壱が、自分の名字を知っていた、その驚きは逆に、彼女を一気に落ち着かせたようだ。
「ううん、辰姫くんが、何かしたって訳じゃないの!!
聞き耳を立ててたみたいで、恥ずかしいんだけど、辰姫くん、そのお弁当、自分で作ってきたって本当?」
「あぁ、俺が作ってきた」
頷きながら、紅壱は設楽が調理部に籍を置いている事を思い出した。
各部が提出した、新入部員の名前とクラスを簡潔に纏めた書類のチェックを、紅壱は任されており、自分のクラスの人間が、どの部に入ったか、も把握していた。
彼なりに、クラスメイトと仲良くする方法を模索していたようだ。
とは言え、何故、設楽が急に話しかけてきたのか、察しがつかない紅壱は困惑ってしまう。
その心の海の波は、目付きを一層に、魔王のそれへ寄せる。
最後の一滴まで振り絞ろうとしていた勇気は、彼が漏らしてしまっている威圧感で木端微塵にされそうとなる。
他の女子が、自分の惚れている男に近づくのは癇に障る夏煌。
しかし、さすがに、今にも股間から湯気の上がる液体が噴出しそうな女子を見ると、同情の方が強まってしまったらしい。
「・・・・・・」
目が怖い、そう、ストレートに言われた紅壱の方がダメージを負うも、どうにか耐えた。
そうして、彼はなるべく、目元を緩め、口調も穏やかなものを心がけ、問いかけ直す。
「どうしたんだ?」
「あの、本当に、失礼だとは思うんだけど、私も一口、貰っていいかな!」
唐突なお願いに、紅壱は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になってしまう。
彼の珍しい表情に、恋心が射抜かれた夏煌は、即座に撮影していた。
夏煌に、自分の顔を撮られた事で、我に返ったのか、「お安い御用だ、そのくれぇ」と設楽が申し訳なさそうに差し出してきていた弁当箱の蓋を受け取ろうとする。
けれど、それを止めたのは、修一であった。
「おいおい、まさか、無料で貰う気か、コイツの美味ぇオカズを」
修一の発言に、またしても、設楽は意識の糸に斧の刃が当たるのを感じた。
それでも、全国大会の常連であり、星付きレストランのシェフを何人も輩出している、天戯堂学園高等部の調理部が行った入部試験に合格した一年生の一人として、紅壱の作ってきたオカズを食べたい、その欲が勝ったようだ。
「そうだよね。いくら払えばいいかな?」
冗談のつもりで言ったのに、設楽が本気で財布を取り出そうとしたので、慌ててしまったのは修一だ。
「ちょ、待て。ジョークだよ。金はいい」
「何で、お前が決めてるんだ。
いいよ、設楽さん。何がいいかな?」
ホッとした設楽は、少し迷っていたが、「唐揚げをください」と答えた。
「お、唐揚げに目を付けるとは、やるな」
思いがけない修一からの褒め言葉に、設楽は反応に詰まってしまう。
修一は、それに気を悪くした風ではなかったが、何か思いついたのだろう、再度、気軽に唐揚げを差し出そうとしている友人に「待った」をかけた。
「金はいいが、他の物を貰いたいな」
「え!?」
まさか、体で払え、なんて言うんじゃ、と逃げの体勢に入りかけた設楽は、修一が続けた言葉にギョッとさせられてしまう。
「アンタの弁当に入っているオカズと、コイツの唐揚げをトレードしてもらおうか」
「いや、だから、なんで、お前が決めてんだ」
ドヤ顔な修一の後頭部を引っ叩き、「コイツの戯言は気にしなくていい」と、設楽に告げようとしたのだが、ここで夏煌までもが、修一に同調してしまう。
さすがに、夏煌の後頭部は引っ叩けない。頑丈な修一の頭だからこそ、紅壱のツッコミを頭に受けても、「スッパーン」と音が上がるだけで済んでいるだけで、もしも、夏煌が受けたら、間違いなく、脳震盪を起こすだろう。
とは言え、脳震盪で済むのは、夏煌が首を鍛えているからで、一般人が紅壱に頭を軽くでも叩かれれば、脳挫傷もしくは頸骨粉砕でお陀仏だろう。
それほどの差が、一般人と夏煌ら生徒会メンバー、そして、紅壱、修一の間にはあるのだ。
「・・・・・・」
夏煌の厳しい言葉で、設楽は「そうよね」と納得したのか、「ちょっと待ってて」と、戸惑っている紅壱に言うや、自分と友人が昼食を摂っていた席へ、駆け足で戻っていった。
音桐荘、そこは界隈の高校生にとって、面白半分で見に行く事すら出来ぬほど恐ろしい怪奇スポットだった
間違いなく、幽霊が出る、と言われていた外観の音桐荘が、いきなり、リフォームされた事も、高校生らの恐怖と興味を膨らませていた
まさか、自分の姉が、自分に快適な日常を送らせるために、大金を出して改築させたとは言えぬ紅壱
一方で、修一は年上の女性と同じ屋根の下で生活しているライバルを羨ましく思っていた
もう一度、母親を説得し、音桐荘に引っ越そう、と決意を修一が強めた直後に、クラスの女子が恐る恐ると近づいてくる
彼女の目的は、紅壱の作ってきた弁当のおかずだった
果たして、彼女は物々交換に成功できるのだろうか