第百四十五話 友母(friend's mother) 紅壱は修一の母親がドジである事を、修一は紅壱の母親が亡くなっている事を知っている
遠足とは名ばかりの、ゴミ拾いで、山にやってきた天戯堂学園高等部の一年生ら
男子生徒は、女子生徒よりもはるかに多い量を拾わねばならない、そんな悪しき慣習など、紅壱と修一には関係ない
桁違いのパワーとスタミナで、冷蔵庫と箪笥を運び、女子からウットリされ、ついでに、同性からは嫉妬された二人は、難なく、昼休みに入る条件をクリアしたのだった
紅壱の作ってきた玉子焼きを食べ、巧は、あまりの美味しさに意識が吹っ飛んでしまう
美味過ぎるがゆえに、ほんの数秒で、我に返れた巧は、注意しながら二口目に挑むも、やはり、意識が飛んでしまう。
何とか、意識を繋ぎ止め、感想を口から発する事ができたのは、結局、残り一口の大きさに到ってからであった。
「美味しすぎますよ、この玉子焼き!!」
「だろ!!」
嬉しそうに破顔したのは、自らも玉子焼きを頬張る修一。
二人の反応にビビるも、やっぱり、紅壱の玉子焼きが気になり、一欠けら、口へ運んだ夏煌も目を見張り、その美味しさに蕩けた表情となった。
「・・・・・・」
「そんな全力で褒められると、こそばゆいな」
夏煌が、自分の弁当を、キラキラとした目で褒めてくるので、紅壱は頬を赤く染めながらもホッとしている。
日頃から、自分の技術を惜しまずに使った料理を『うみねこ』で客に出しているとは言え、同年代の友人に食べてもらうとなると、緊張はするのだろう。
「コイツの玉子焼きを食っちまうと、うちのババァが毎朝、作る玉子焼き擬きなんか、美味く感じないぜ」
修一の発言に、紅壱は呆れ気味な笑い声を漏らす。
「なんだよ」
「いや、小春さんは大分、腕が上がったらしい、と思ってな」
紅壱が、今の修一の暴言のどこに、そんな受け取り方を見出したのか、理解が出来なかった夏煌と巧は戸惑う。それでも、口はモグモグと動き、顔の筋肉を緩ませている事からも、紅壱の弁当の虜と、既になっている事が覗えた。
「は?」
「中学の頃は、小春さんの玉子焼きを炭そのものだの、卵の無駄使いって言ってたろ。
それに、何だかんだで、毎朝、食べてやってるんだから、相変わらず、優しい奴だな」
「!!」
「俺が玉子焼きの作り方をレクチャーしたのは、まぁ、二、三度だけだが、あれから、小春さん、何度も練習したんだな。
懐かしいぜ、三者面談の後、こっそり会いに来てくれた小春さんに頭を下げられて、玉子焼きの作り方を教えて、と頼み込まれたのが」
中学に入って、すぐ、拳で語り合ってつるむようになった紅壱と修一。
そんなある日、家庭科の授業で、玉子焼きを作った二人。意外でも何でもないが、彼らは周囲から不良扱いされていても、自分達は不良と思っていないので、授業には普通に参加する。態度や成績は、差はあったにしても。
紅壱が作った玉子焼きを修一は家に持ち帰ったのだが、それを、息子の目を盗んでつまみ食いした修一の母・小春はいたく感動し、すぐに指南を求めてきた。
いきなり、廊下で大人の女性に頭を大袈裟に下げられ、たまげた紅壱だったが、祖母の朱音に「教えてあげなさい」と言われた事で、快く引き受けた。
母親が自分の好敵手に、料理を習う、と知った修一は大反対してきたが、紅壱は無視を決め込んだ。
修一は「どうせ、上達しないから、教えるだけ無駄だ」と言っていた理由が、教え始めて理解できた紅壱。
端的に言って、鈍臭だった小春は。
決して、彼女は勝手なアレンジなど加えず、紅壱の指示通りの事を行おうとするのだが、それが上手く出来なかった。ちょっとした失敗で、彼女は落ち着きを失い、一回目のミスよりも大きなミスをしてしまう。 その結果、完成したものは、およそ、食べられる状態ではなくなっていた。
それでも、息子に、自分の料理を「美味しい」と褒めてもらいたい小春は諦めなかった。
懸命に練習を繰り返し、紅壱と修一が中学三年生になる頃には、見た目と味が、そこそこのレベルに到っていた。
嘘の吐けない修一が美味くない、とは言いながらも、毎日、食べられるだけの味になったのだろう、と教えた側の紅壱としては感慨深さも覚えた。
「けど、お前の玉子焼きと比べたら、まだまだ、雲泥の差だぞ」
友人に母親の事を褒められ、照れ臭くなったのか、自棄を起こしたように、玉子焼きを修一がバクバクと食べだしたので、夏煌と巧は急いで、自分らの分を確保する。
「・・・・・・・でも、俺としちゃ、例え、自分の作るものよりマズかろうと、母親の作る玉子焼きが食べられるお前が羨ましいけどな」
いつになく、紅壱が寂しそうに、それでいて、どこか吹っ切ったような笑みを口元に浮かべたものだから、夏煌は胸がギュッと絞めつけられた。
「辰姫さんのお母さんは、お仕事が忙しくて、あまり、ご飯を作れないんですか?」
紅壱の家庭の都合を知らない上に、彼の弁当があまりに美味しすぎたのも悪かったのだろう、巧は普段の聡明さを手放していたようだ。
「あー、いや」
事が事なので、自然と言い淀んだ友人の代わりに、何の躊躇いもなく、巧の疑問に答えたのは、修一だった。
「コイツの親父さんとお袋さん、コイツがこんくれぇ小さい頃に、事故で死んじまってるんだよ。
だから、コイツは、お袋さんの料理の味、ほとんど知らねぇんだ」
「!!」
途端に、巧は紅壱へ謝罪する。
「すいません、僕、カサブタを剥がしちゃうような事を不躾に言っちゃって」
「いいよ、いいよ、気にすんな」
微苦笑の紅壱はヒラヒラと振った手を、巧が落とした肩へ置く。
「何だ、お前、言ってなかったのか」
コイツに、と修一が親指の先で指したのは、呆けた表情の夏煌。
「自分から言うような事でもねぇだろ。
俺は両親がいない可哀想な奴です、って言うのって、かなり恥ずかしくねぇか」
「だな。
そんな事言って、周りが、どんだけ反応に困るか、想像できないようじゃ、単なる馬鹿だ」
「・・・・・・」
「ま、チビの言う事も一理あるな。
ダチなんだから、隠し事は良くねぇよ」
お前は、どっちの味方なんだよ、と肩を竦めた紅壱は、自分に対して、何と言っていいのか、思いつかないのか、口を悔しそうに真一文字に引き結んでいる夏煌に目を向けた。
「隠してたつもりはねぇんだ。
聞かれなかったから答えなかったって、言い訳もできねぇ。
ただ、本当に、俺は両親がいないって事を、コンプレックスに感じている訳じゃない。
確かに、昔は落ち込む事もあったけどな、俺にはジィちゃんやバァちゃん達もいた。
シュウもしつこく絡んできてくれたおかげで、腐っている暇もなかった。
そんで、今は会長やナツ、お前達がいる。
だから、俺は今、不幸じゃない」
力強く言い切った紅壱の瞳に映った自分を見て、夏煌は気まずさが霧散していくのを感じた。
「そうだぜ、チビ。
こんな空気の良い場所にいるんだ。どんよりしてたら、もったいないぜ」
「・・・・・・」
「確かに、修一君の発言が原因だよね」
夏煌と巧からの厳しい視線に、修一はたじろぐ。
そんな友人らの仲の良さに、紅壱は「くはっ」と笑ってしまう。
「さ、飯を続けようぜ」
コクリと頷いた三人は、再び、食事を再開する。
「落ち着いて食べろよ」
紅壱が汲んでくれたお茶を飲み、夏煌はふと、瑛の事を考えた。
瑛は、紅壱が両親を喪っている事は知っているんだろうか。
紅壱を生徒会へ入れる際に、不穏な繋がりがないか、事前の調査はしているはずなので、両親が事故死している事実は知ったはずだ。
その上で、瑛は紅壱の強さを信じ、あえて、そこに触れなかったのだろう。両親がいない寂しさを知っているからこそ、今の紅壱は強い、と判っていたのかも知れない。
教えてくれればよかったのに、と夏煌は筋違いの苛立ちを覚える。
しかし、そんなモヤモヤも、紅壱が作ってきてくれたミートボールを食べただけで吹っ飛んでしまった、呆気なく。
「本当に、美味しいですね」
「口に合って何よりだ。
さっき、コイツも言ったが、俺はおふくろの味をほとんど知らなくて、料理を教わったのはバァちゃんだからなぁ、つい、味付けがそっちに寄っちまうんだよな」
「・・・・・・」
「うん、大神さんの言う通り、素朴ですけど、飽きが来ない美味しさです」
「・・・・・・」
「そんな大変でもねぇよ。
他の住人にも、弁当を作るから、そんな手間じゃない」
「他の住人?」
「あぁ、俺、学園から、ちょい離れた所にあるアパートで一人暮らしてるんだよ。
今日、遠足用の弁当を作るのは、他の住人も知ってたから、頼まれてたんだ」
どこに住んでいるんですか、と尋ねた巧は、紅壱が「音桐荘」、そう淡々と答えたものだから、危うく、玉子焼きを噴き出し、修一の顔面を黄色い欠片だらけにするところであった。
「た、辰姫さん、あそこに住んでるんですか、一人で!?」
「応」と頷いた紅壱は、巧が青褪めているのを見て、夏煌に視線を動かす。
夏煌は顔色こそ変化させていないが、心底、驚いているようだった。
これまで生きてきた中で食べてきた玉子焼きは、何だったのか
月並みな疑問が浮かんでしまうほど、紅壱の玉子焼きは美味しすぎた
自我が崩壊しそうな美味さに耐えながら、巧は玉子焼きを食べ続ける
友人が「美味しい」と褒めてくれる事に喜びつつ、紅壱は修一を、彼の母親のネタでからかう
紅壱が両親と死別している事実を、思いがけぬタイミングで知ってしまった巧は、配慮の足りぬ己を責めるも、そんな彼を救うのは、やはり、紅壱の弁当のおかずだった