第百四十四話 卵焼(omlet) 巧、紅壱の作った玉子焼きを食す
山でのゴミ拾いを目的とした校外学習の真っ最中である、天戯堂学園高等部の一年生たち
他の男子たちが、女子と拾わねばならない量の違いに苦しむ中、紅壱と修一は、持ち前の反則的な体力と腕力で、山中に不法投棄されていた冷蔵庫と箪笥を、収集エリアへと運ぶ
女生徒から嫌悪されている男性教師2人は、紅壱らにイチャモンをつけ、クリアさせない気だったが、まさかの大物に言葉を失ってしまい、動揺したために、易々と丸め込まれてしまうのだった
難なく、ゴミ拾いを終え、紅壱らは昼食に向かう
「・・・ハッ、あいつらは所詮、見せかけですよ。
顔が怖くて、背が高い、ちょっとガタイが良い、それだけです。
今時の、喧嘩もした事が無いような、見た目だけの不良なんて、私の拳骨で大人しくできます」
「いや、心強い、豊田先生」
持て囃しつつも、化学教師の久世は「本当に出来るのかよ、このゴリラ」と疑心っていた。
貧弱な肉体だからこそ、久世は実用的ではない筋肉で鈍重となっている、体育教師の豊田よりも、相手の強さを嗅ぎ分ける鼻が、ある程度は優れていた。
なので、久世は紅壱と修一は喧嘩慣れしているのではないか、と推測っていた。
彼の読みは、正しい。仮に、豊田が殴りかかってきたとしても、紅壱は手は決して出さず、無駄なく避け続けるだろう、豊田が疲弊し、動けなくなるまで。もしくは、誰の目にも視えないほど高速く、顎を打ち抜き、意識を断つだろう。
修一の方は、回避なんて、まだるっこしい真似などはせず、豊田の拳を額で受ける。サンドバックやミットなど叩いて鍛えていない拳が、全体重を乗っけて頭突きをすれば、厚さ3cmの鉄板すら凹ませる修一の額にぶつかれば、どうなるか、想像するだけで激痛みで顔を顰めてしまう。
だが、それを豊田に言わないのは、自分が殴られるのは嫌だったし、豊田が紅壱らに返り討ちされてくれればありがたい、と思っていたからだ。
久世は、これまで何回も、豊田に飯を奢らされていた。当然、豊田に奢ってもらった事はない。しかも、豊田は、他の教師にプロテインを半ば無理矢理に買わせている。いつ、自分がカモにされるか、不安な久世としては、豊田がいなくなってくれるのは都合が良かった。
教師に暴力を振るったとなれば、紅壱らも退学だ。もしも、退学にならなかったとしても、肩身が狭くなり、いずれ、学校に来なくなるはずだ、と久世は期待していた。
万が一、紅壱らが、そんな事も気にしないような鈍い者であるなら、その時はその時で、下剤でも飲ませ、学校で脱糞させてやる、と教師として失格の考えすら抱いていた。
また、彼らは、紅壱らが退学となった時は、チャンスだ、と考えていた。
修一の方はともかく、紅壱が退学となりそうになれば、間違いなく、瑛はその阻止に動く。
その時こそ、瑛に恩を売り、なおかつ、弱味を握る絶好の機会だ、と目論んでいる、この教師共は、本当に男の風上にも置きがたい。
彼らにとって、瑛のように立派な女生徒は、許しがたい存在だった。瑛が立派なほどに、自分達の低俗さが浮き彫りとなり、生徒や教師の尊敬は、瑛だけに集中する。
己らの行動が、自分達の首を絞め、足元を瓦解させている事から目を背けている、この二人は、常に瑛を、どうやって、自分の性欲のはけ口にするか、夢想していた。
自分らに厳しい態度で接してくる瑛だが、紅壱の退学を取り消すのに、力を貸してやる、と言えば、瑛は自分らの下品な命令を聞かねばならなくなる。写真もしくは動画を撮影し、追い込めば、瑛は何も出来なくなる、と二人は自分勝手な希望を抱く。
もちろん、紅壱の退学を取り消すのに、力を尽くす気など、彼らには全くない。
目の上のたん瘤がいなくなってくるのに、わざわざ、引き留める努力なんか、二人はしたくなかった。例え、それが露見しても、痴態を撮ったものがあれば、瑛も強くは出られない。学校の外にも、助けは求められない。そうなれば、自分達の性欲を、もっと、瑛の体へ遠慮なくぶつけられる。
もっとも、紅壱と修一が、退学にされる事など、万が一にもない。
この人間としても、男としても、教師としても風上に置いておけぬ二人が、自分をダシにして、性的な要求を瑛に強いたとなれば、紅壱は相手が一般人であろうと、構わずに、鉄拳の雨霰を浴びせかけていただろう、原型すら残さず。何せ、彼には、絶対に露見ない死体処理の手段があるのだから。
「まったく、あんな奴ら、ろくな大人には育ちません。
奴らが、暴力沙汰など起こしたら、この学園の看板にも傷が付いてしまいますよ」
「どうせ、アイツらは、大学に行く頭も金もないでしょうし、あの風体じゃ就職も出来ませんよ。
いや、それ以前に、夏休みまで、この学園に在籍できるかも怪しいですよ」
「そうですな。さっさと、辞めて欲しいですな、あんなゴミどもには」
「奴らがいなくなれば、学園の空気も良くなるでしょうよ」
例え、紅壱と修一がいなくなってたとしても、豊田と久世が女生徒から好かれるようになる事など、まず、有り得ない。
妄想するのは個人の自由ではあるが、身の程を弁えない期待を大きくする者ほど滑稽で、周囲に不快感を与える存在もない。
下品な笑い方を重ね、女生徒から敬遠されている、この二人の中で渦巻く負の感情、それが放つ悪臭気もまた、紅壱が夏煌を大泣きさせてしまう事になる事件のキッカケを引き寄せていたのかも知れない。
「まだ、そんなに人、集まってないな」
「そりゃ、皆さん、地道にゴミを拾っているんですから」
「・・・・・・」
「褒め言葉として受け取っておくよ、ナツ」
広場に設置されているテーブルとベンチへ、紅壱らはバスから回収してきた、各々の荷物を置く。
「ほれ、飯の前に、きちんと、手は拭けよ」
紅壱は空腹ゆえに高まっている、弁当への期待で今にも飛びかかってきそうな友人へ、ウェットティッシュを投げ渡した。
正直なところ、手を拭いている暇も惜しいのだが、ここで手を清潔にする事を怠ると、紅壱は昼食を自分に食べさせてくれないので、修一は腹の足しにもならない文句を飲み込み、自分の手を丁寧に拭いた。
冷蔵庫を持っていたのだ、当然、修一の手は汚れており、ウェットティッシュは三枚ほど変色した。
「よし、全員、手、綺麗にしたな」
紅壱の言葉に頷きながら、丹念に拭いた両手を彼へ見せる修一、夏煌、巧。
「なら、飯にするか」
自らも清潔にした手で、紅壱は弁当の包みを開いていく。
「けど、そんな大層な物は作ってきてないぞ、シュウ」
「そこがいいんじゃねぇか。
お前の作ってくれる飯は何でも美味いから、俺は大好きだぜっ」
薄い本を積極的に読み、精力的に描く者が聞いたら、真っ赤な鼻血を噴きながら、黄色い歓声を上げるような発言を、何の照れもなくかます修一。対する紅壱も、言われ慣れているのか、眉を少し跳ねさせ、「ありがとうよ」と言っただけだった。
紅壱が持ってきたのは、五重の弁当箱。
一段目と二段目にはおにぎりが、三段目には唐揚げとミートボール、四段目には玉子焼き、そして、五段目には筑前煮、漬物が入れられていた。
メニューこそ、ごく普通だったが、量の多さはとんでもなく、小柄な巧と夏煌は目を向いてしまった。
紅壱と修一の体の大きさ、逞しさを考えると、丁度いい量なのだろうが、実にインパクトがある。ゴミ拾いで動く事を想定していたにしても、これは欲張り過ぎなのでは、と思った巧たち。
「・・・・・・ちょい少なくないか?」
「!?」
修一のやや不満そうな声に、巧と夏煌はギョッとするも、紅壱は友人がそう言うのを予想していたんだろう、肩を竦めた。
「帰りに、また、パーキングエリアで、ファストフードやら屋台飯を買うんだ。
それが入るようにしなかったら、お前、文句言うだろうよ」
自分の単純な性格と食欲旺盛さを完全に読まれていた修一は、悔しそうに唇は尖らせながらも、目の前の弁当から漂ってくる芳香には勝てなかったようだ。
溜息交じりに、紅壱が差し出してきた箸と小皿を受け取るや、修一はおかずを皿へ盛っていく。
「ナツも、タクミも、食べたいものあったら言ってくれよ」
紅壱に、そう笑いかけられたら、プレッシャーで、つい、遠慮をしてしまうだろう。しかし、既に彼は悪い不良じゃない、と知っている二人は、やや躊躇ったにしろ、香りと修一の良い食いっぷりで刺激され、強まる食欲には抗えなかった。
「・・・・・・」
「おにぎりは、これが椎茸と昆布の佃煮、隣が辛子明太子で、その隣が鮭マヨ。
これが、大葉味噌を塗って焼いたもの。
これは、カリカリ梅とゆかりの混ぜご飯、こっちがおかかとジャコの混ぜご飯。
これは、牛肉のしぐれ煮だ。
具の入ってない、ただの握り飯もある。
海苔は、悪いが、俺らはパリッと派だから、しっとり派だったら我慢してくれ」
「・・・・・・」
「鮭マヨだな」
紅壱は、鮭マヨのおにぎりと海苔を夏煌へ渡し、巧に向き直す。
「僕は、自分のご飯があるので、おかずを貰っていいですか?」
巧の目は、黄金色に輝く、焦げ目などない玉子焼きに向けられていた。
「玉子焼きは甘い物と、出汁入りがある。
甘い方はプレーンと野菜、出汁の方はプレーンと桜エビの二種類だ」
「じゃあ、甘い方のプレーンをください」
玉子焼きを蓋に乗せてもらった巧は、旨さが伝わってくる香りにボディブローを喰らったような錯覚すら覚えた。
「いただきます!!」
「いただきます」
たったの一口、玉子焼きを齧っただけで、巧の意識は飛んだ。食べ慣れている修一は、あえて、自分から、美味さの奔流へダイブしていた。
もしも、世界が異なっていれば、二人は口から光線を飛ばしたり、顎がしゃくれたり、衣服が飛び散ったかもしれない。
言うまでもないが、この男性教師はクズである
クズゆえに、紅壱と修一に嫉妬するのだ
真摯に、己の矮小さと向き合い、自省できれば、成長のチャンスもあるだろうが、ここまで、この性格と気質で生きてきてしまった男性教師らは、もう、手遅れであった
一つ、彼らがツイている事があるとすれば、紅壱に、瑛へ劣情を抱いている事を知られなかった点か。もしも、気取られていれば、彼らに明日はなかった
対して、紅壱が自作してきた弁当の量と質に、巧と夏煌は驚かされる。もちろん、普段から食べている修一はワクワクしていた