第百四十三話 言負(argue them down) 紅壱たち、陰険な教師たちを言い負かす
天戯堂学園高等部、一年生の校外学習は、訪れた山でゴミ拾いの奉仕活動を行うのが通例
当然のように、差別を受けている男子生徒は、女生徒よりも多く、ゴミを拾う事を義務付けられていた
他の男子が右往左往する中で、紅壱と修一は持ち前のフィジカルの高さを活かし、山中に不法投棄されていた冷蔵庫と箪笥を、それぞれ、一人で運んでいた
ゴミを集めておく場所に到着する前に、二人は同行していた巧、夏煌に持たせ、四人の手柄にする事も忘れない
収集場には、女生徒からも、女性教師からも、軽蔑されている男性教師が待ち構えているのだった
「よっこいっショートケーキ」
化学教師の方など、目の前に箪笥を地面に勢いよく下ろされた衝撃で、恐怖もピークに達してしまったのだろう、尻もちを衝いてしまった。失禁まではしなかったので、そこは褒めるべきだろうか。
「おい、これは何だ!?」
修一が冷蔵庫を下ろした瞬間に、自分がつい、一歩下がってしまったのを見た女子が「プッ」と失笑したのが耳に入ったからだろう、体育教師は醜態を誤魔化すように、語気を荒げる。その滑稽さで、女子たちは、ますます、せせら笑うのだから、悪循環だ。
(うーん、僕も図太くなったのかな)
紅壱と修一の側にいて、恐怖に対する耐性が異様に強まってしまったのか、巧は体育教師の剣幕にも動じない。
一般人代表である巧が、ちっともビビらないと言うことは、紅壱と修一にも、体育教師の放った怒気は、何の意味も成さない。
「何って、冷蔵庫っすよ。あっちは、箪笥。
先生の家には、どっちもないんですか?」
「あるに決まってるだろ!!
箪笥と冷蔵庫なのは見れば、分かるッッ!
何で、持ってきたんだ、そんなもの!!」
すると、修一は呆れたように溜息を吐いた。
男子生徒に目の前で溜息など吐かれたら、プライドが高い、この体育教師は愛のムチと称し、拳骨で殴っていただろう。
けれど、修一の方が体育教師よりも頭一つ半分ほど背が高く、体もデカい。しかも、喧嘩慣れしているのは見た目から一目瞭然なので、自分のパンチなど簡単に避けられる、と予想できた。
何より、この時点で体育教師は、無自覚で、いや、無意識だからこそ、ハッキリと雄としての格差を痛感してしまっており、心を不快にざわつかせる苛立ちの感情とは裏腹に、瓦を十枚も割れる自慢の拳もまともに握る事が出来ていなかった。
「俺らは、言われた通り、山の中に捨てられていたゴミを拾ってきただけっすよ」
なぁ、コウ、と修一から振られ、紅壱は「えぇ」と鷹揚に頷く。
「この山に不法投棄されていた、冷蔵庫と箪笥。
これは、立派なゴミですよね、先生たち」
紅壱は、その場から一歩も動いていない。
けれども、彼の魔王的な笑顔は、二人の教師へ額が触れそうなほど迫られるよりも圧迫感を、襟を掴んで絞め上げるよりも息苦しさを強いた。
紅壱の発言は、間違いではない。
けれど、ゴミ拾いの行事で拾ってきていい物の範疇を、明らかに越えていた。
冷静に、そこを指摘し、当初の予定通り、突っ撥ねる事も教師たちには出来たのだ。
しかし、完全に気圧されている彼らは、口で呼吸するのが精一杯で、反論など出来なかった。
もう一押しか、と彼らの劣勢具合を冷淡に見切った紅壱は、口撃の手を緩めない。
「ダメってんなら、戻してきますよ。
けど、バレたら問題になっちゃうでしょうね。
教師が、生徒へゴミを捨てて来い、って指示したって。
マスコミが好きそうなネタじゃないですか、これ」
「!?」
そんな事になるはずがない、落ち着いていれば、気付けただろう、二人のどちらかは。
だが、気迫と言葉で追い込まれた教師らは、一方が青くなり、もう一方は赤色で、今にも失神しそうだ。
彼らが、紅壱と夏煌が生徒会に所属している事を知っていたのも、平静を取り戻せない理由の一つだろう。
紅壱と夏煌が、もし、「助けて、アキえも~ん」と泣きつきでもしたら、瑛が劣化のごとく憤怒り、職員室に抗議へ来るのは、火を見るより明らかだ。
何せ、この二人は、瑛を一年生の頃から知っている。
女帝気質である彼女に、女生徒への過度なスキンシップを、何度も注意され、疎ましく思うと同時に、彼らの心理には、瑛への恐怖が、しっかりと刻み込まれてしまっていた。
一時期、やけに瑛の正義感からの行動が鳴りを潜めたので、二人を含む男性教師らは安心していた。だが、二年生になって、一週間も経たない内に元通り、いや、前よりも職務に真面目となったものだから、彼らは辟易としていた。
その為、瑛の目が届かない今日は、久しぶりに羽を休められると浮かれていた彼らは、ここで、こんな追い詰められ方をするなんて思ってもいなかった。
瑛が職員室へ殴り込みをかけてきたら、憧れのマドンナには蔑まれるだろう。その上、校長の耳にでも入れば、クビが確実にトぶ。校長もまた、瑛に強く出られない教師の一人なのだから。
「どうします?」
紅壱に親指の先を山へ向けられ、教師らは瞬く間に汗だくとなってしまう。
もう、彼らに出来る事と言ったら、首を縦に、弱々しく振る事だけだった。
ニッと口角を上げた紅壱は、「一応、重さ、計りますか?」と100kgまで計測できる秤へ視線を注ぐ。他の三人も同じく、秤を見つめた。
「いい。君らはOKだ。
帰る時間まで、自由にしていい」
紅壱らを追い詰め、優越感に浸るはずが、逆に窮地に立たされてしまった二人の教師は項垂れる。
たったの数分で、随分と老け込んでしまった彼らの生気は、随分と削がれてしまっていた。
「あざっす」
ガッツポーズを決めた四人は、順にハイタッチを決めた。
その音は、教師らにとっては、己らに向けられた処刑用の銃の発射音にすら聞こえた。
「じゃ、時間も丁度いいし、飯にしようぜ」
「いいですね。もう少し先に、ベンチのある休憩場がありましたから、そこでお昼にしましょう」
「・・・・・・」
「うっし、行くか」
弁当などが入ったリュックサックを背負い直し、昼食を取って良い場所に指定されている方向に軽い足取りで去っていく四人を見送る事も出来ず、教師は陰鬱とした表情で、その場に残された冷蔵庫と箪笥を見て、途方に暮れる。
「これ、どうしたらいいんですかね?」
「さすがに、ゴミ収集車には断られてしまうでしょう。
あとで、ここの管理事務所に回収の段取りをお願いします」
「引き受けてくれますかね?」
「毎年、ここのゴミを拾いに来てやっているんですから、嫌とはアチラも言えないですよ」
「なるほど。確かに、こちらは無償で、ゴミを拾って、自然の美化に協力してやっているんですから、文句を言ってくるのも筋違いですよね」
下衆な発言を自分達がかまし、聞いている女生徒から蔑視されているとは、まるで気付いていない教師二人は、悪態の矛先を、とっくに姿が見えなくなっている紅壱らへ向けた。
「まったく、あそこまで生意気な奴とは思ってもいませんでしたね。
豊田先生、ガツンッとやっちゃえば良かったのに」
華奢と言うよりも、貧弱な体つきである化学教師の久世から、そんな事を言われ、むすっとする体育教師の豊田。
自分が出来ない事を他人に押しつけるな、と同僚に心の中で文句を言いつつ、豊田は「まぁ、最近は体罰だのなんだの、うるさいですからね」と、差し障りのない詭弁で、自分の度胸の無さを誤魔化した。
「獅子ヶ谷が、生徒会に、あの不良を入会させた時には、神経でも病んだかと思いましたよ」
「いっそ、あの不良どもが問題行為を起こしてくれれば、獅子ヶ谷からイニシアチブも奪えるんですがね」
そう目論む教師だが、生憎、そんな事にはならない。むしろ、自分達の方が崖っぷちである自覚に欠ける教師らの愚痴は止まらない。
「まったく、あんな虫が二匹も、今年は迷い込んでくるなんて、どうかしてますよ」
「さっさと、我々の憩いの場から追い出したいものですよ。
いっそ、プチッと潰せればいいんですが」
「今に、奴らは尻尾を出しますよ。
これだけの上玉が揃っているんです。下半身の節操がない不良は、間違いなく、女子へ不埒な行為を働きます。
その時こそ、私達が女生徒を守ってあげるのです」
互いに、成年誌に掲載される漫画のような妄想を頭の中で描いたのだろう、口はだらしなく緩み、股間は不自然に膨らんだ。
さすがに、そのテントを女生徒に見られたら、減給ものだ、と気付くだけの常識はあるようで、二人は慌てて、股間にぶら下がっているものを押さえた。ちなみに、その膨らみにしても、紅壱と修一に比べれば、実に貧相であった。
陰湿で口だけ、セクハラまがいの行為ばかりを繰り返している男性教師が、女生徒に好かれるはずがない
そんな彼らが、冷蔵庫と箪笥を、巧と夏煌の手を借りてとは言え、ここまで運んできた紅壱と修一に怯えている姿は、普段、嫌な思いをさせられている女生徒からは溜飲が下がるものだった
気迫負けし、言葉でも反撃できなかった教師らは、惨めな思いを噛み締めながら、紅壱らに、昼休みに入って良い、と告げるのがやっとであった
無事に、ゴミ拾いの課題はクリアできた四人。果たして、彼らは楽しく、残りの時間を過ごせるのだろうか